著者
諏訪彰著
出版者
恒星社厚生閣
巻号頁・発行日
1958

1 0 0 0 OA 改正官員録

著者
内山正如 編
出版者
博文館
巻号頁・発行日
vol.明治26年乙8月, 1895
著者
水庭 千鶴子 荒井 歩 國井 洋一 栗田 和弥 鈴木 貢次郎 MIZUNIWA Chizuko Ayumi ARAI Yoichi KUNII Kazuya KURITA Kojiro SUZUKI
出版者
東京農業大学
雑誌
東京農業大学農学集報 (ISSN:03759202)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.171-182, 2011-09

造園学において,「自然とのふれあい」や「ものづくり」は,造園の計画および設計,実際の施工等を学ぶための動機付けとして極めて重要な体験である。近年,生活環境の都市化に伴い,自然とのふれあいやものづくりの体験ができる機会は減少する一方である。このような現状の中,造園学を学ぶ学生の自然とのふれあいやものづくり体験の実態はいかなる状況であるのかを把握するために造園学を学ぶ大学生625人に対するアンケート調査を行った。その結果,自然とのふれあいに関しては,幼少期から学童期まで日常的に体験するような川魚,海洋生物等の採取,カブト虫等の昆虫採取,昆虫や植物の標本づくりは男子で5~6割,女子で7~8割はほとんど体験がなかった。ものづくり体験のうちの,ものづくり体験は,「2~3回程度の体験」を「体験無し」に含まれるとすると, 2割~5割の学生はものづくり体験がほとんどないことが明らかとなった。ケガの体験については,自然とのふれあいやものづくりの体験をほとんどしていないこともあり,カマで手を切ったり,重い石を落としたこと,脚立から落ちたり,木登りをしていて落ちたりしたことはほとんど体験がなかった。以上より,「自然とのふれあい」や「ものづくり」の体験の機会は,終戦後,空間の消失と共に減少してきたといわれていることが確認できた。これらの結果を踏まえ,造園科学科として2010年産より大学教育のカリキュラムへ動機付けの基礎となる「造園体験実習」の教科を新たに組み込む必要性が生じた。
著者
永井 靹江 今村 ひとえ 山本 正代
出版者
The Japan Society of Home Economics
雑誌
家政学雑誌 (ISSN:04499069)
巻号頁・発行日
vol.37, no.5, pp.315-322, 1986-05-20 (Released:2010-03-10)
参考文献数
23

3週齢のウィスター系雄ラットを用いて, 基本飼料群, 塩類混合から亜鉛を除去した対照群, この対照群に未処理小麦ふすまを10%添加したWB群, 0.5% EDTA-2Na溶液で脱ミネラルした小麦ふすまを10%添加したEDTA-WB群の4群に分け, 3週間飼育後の亜鉛欠乏食ラットにおける小麦ふすまの影響を成育状況, カルシウム, マグネシウム, 鉄, 亜鉛の出納について検討した.1) 亜鉛欠乏の対照群, EDTA-WB群は3日目で成長は阻害され, 実験終了時に至るまで体重は増加せず, 3日目の体重をそのまま維持する程度であった.WB群は順調に体重が増加し, 基本飼料群と同じ成長速度を示した.さらに摂食量, 飼料効率においてもWB群は基本飼料群と有意差なく優れていた.2) 各臓器中のミネラル含有量は臓器, ミネラルの種類によって変動した。総重量あたりのミネラル量は基本飼料群, WB群で高い値を示し, 対照群, EDTA-WB群で有意に低い値を示した.大腿骨中のミネラル量も同様の結果であった.3) WB群のミネラル吸収量は基本飼料群とそん色なく良好な値を示した.とくに亜鉛の糞中排泄が抑制され, 吸収率は基本飼料群よりはるかに高く, 80%以上であった.対照群, EDTA-WB群の亜鉛吸収量は負の値を示した.4) 以上の実験結果から, 未処理ふすま中の亜鉛は亜鉛欠乏飼料を十分に補いうるもので, フィチン酸, センイ成分などミネラル吸収阻害作用で懸念される負の要素を考慮してもさらに上回った有効性が観察された.EDTA処理ふすまは何ら有効性を示さなかったが, 負の作用をさらに強調するほどではなかった.

1 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1888年11月14日, 1888-11-14

1 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1885年12月24日, 1885-12-24
著者
佐藤 真一
出版者
国立音楽大学
雑誌
国立音楽大学研究紀要 (ISSN:02885492)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.168-162, 2006

ハイデルベルク大学教授時代に、近代歴史学の方法が伝統的な神学にもたらす帰結について考察を深めたトレルチ(一八六五-一九二三)は、第一次世界大戦のさなかの一九一五年以降ベルリン大学において歴史哲学を講じ、「われわれの思考の根本的な歴史化」の問題に取り組むことになった。その際、「近代歴史学の父」といわれるレーオポルト・フォン・ランケ(一七九五-一八八六)の歴史学をどのように捉えていたのだろうか。本稿では、一九一〇年代に相次いで出版された史学史の著作との関連も視野に入れながら、一般的な通念とは異なりランケのヘーゲルとの近さを強調するトレルチ独自のランケ観を考察する。
著者
佐藤 有理 峯島 宏次
出版者
日本認知科学会
雑誌
認知科学 (ISSN:13417924)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.139-152, 2020-07-15 (Released:2021-03-15)
参考文献数
71

The use of diagrams, instead of linguistic and symbolic representations, in logical reasoning has been the subject of continuous research interest over the last few centuries. Especially in 1990s, such logic diagrams have attracted substantial research attention in the fields of logic, artificial intelligence and cognitive science. More recently, according to some applications to computer sciences, various diagrammatic systems have been developed to handle extended types of logical information and reasoning. The research direction of logic diagram design raises the question of to what extent diagrammatic systems can be expressive enough to handle the generality of logics as well as be natural and effective so that they are easy to understand. This paper surveys historical and recent developments of logic diagrams, focusing on the two types of visualization: Euler/Venn diagrams and graph representations. While a majority of previous researches on cognitive science of reasoning focus on linguistic forms, this survey provides a systematic overview of diagrammatic reasoning, contributing to understanding the theoretical basis of reasoning in visual forms.
著者
大和田 秀二 所 千晴
出版者
早稲田大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2012-04-01

CO2を飽和させた硫酸溶液に、硫酸第一鉄と過酸化水素、pH調整剤を少しずつ断続的に添加させることによって高効率にラジカルを発生させる高効率フェントン法を用いて、CO2をメタノールやエタノールへ変換させることに成功した。中間生成物として、ギ酸、酢酸、シュウ酸、ホルムアルデヒド、アセトアルデヒドが生成することがわかった。また、各種触媒の使用や、プロセス条件の最適化によって収率が向上した。さらに、フェントン反応の結果生じる汚泥は水酸化第二鉄とシュベルトマナイトの混合物であるが、水酸化第二鉄の割合が大きくなるようにプロセス条件を制御することによって、アルコール生成の収率が向上することがわかった。
著者
門倉 正美
出版者
山口大学哲学研究会
雑誌
山口大学哲学研究 (ISSN:0919357X)
巻号頁・発行日
no.1, pp.63-81, 1992

先端医療技術やバイオ・テクノロジーの進展がわれわれの死生観を揺り動かし、環境問題は別の側面からいのちの危機を突きつけている。また、死の迎え方、老いの生き方、食のあり方といった日常の風景の中でもいのちのありようが問われている。「生命学」は、現代社会におけるいのちのあり方を総体的に捉えようとする試みである。 小論はそうした「生命学」への一つのアプローチとして、デパートの店員に「カブト虫の修理」を頼む子どもの「生き物」感覚の問題を切り口として、都市化や産業社会の論理、さらには一次産業の現場での「生き物」感覚の衰退・希薄化を見ていく。一次産業は「自然条件に依拠して生命を育てる」のを本来の姿としていたが、近代化が推進されていく中で「自然を最大限に効率よく搾取していく」という工業の論理に浸されてきている。 「生き物を物として扱う」近代産業社会の枠組みの中では、家畜や作物をはじめとする人間以外の生き物の生理が侵されるだけでなく、他の生き物のゆたかな生を保証しない殺風景さはやがて人間自身の「生き物」性を損なうことに連なっていくように思える。