著者
浜田 信行
出版者
日本保健物理学会
雑誌
保健物理 (ISSN:03676110)
巻号頁・発行日
vol.52, no.3, pp.159-166, 2017 (Released:2017-11-15)
参考文献数
27
被引用文献数
1 1

In its latest basic recommendations issued in 2007, the International Commission on Radiological Protection (ICRP) recommends that the working conditions of a pregnant worker, after declaration of pregnancy, be such as to ensure that the additional dose to the embryo and fetus would not exceed about 1 mSv during the remainder of the pregnancy, where exposures of the embryo and fetus of pregnant workers are considered and regulated as public exposures. However, it remains unclear, e.g., [1] whether such recommended additional dose of about 1 mSv to the embryo and fetus is the whole body equivalent dose or the effective dose, [2] if the latter, how to compute the effective dose while the currently recommended tissue weighting factors (wT) do not include the stochastic risks of in utero exposures and while the unavailability of the current epidemiological data sets does not allow computation of detriment for in utero exposures, and [3] whether the embryo and fetus are the public. This paper briefly reviews historical changes in ICRP recommendations on protection of pregnant workers, embryo and fetus, and then discusses pertinent issues behind the 2007 recommendations.
著者
砂澤 雄一
出版者
学習院大学大学院
巻号頁・発行日
2014-03-31

マンガ研究において、改稿の有無を確認しどのテクストをもって定本とするかは研究の第一歩である。改稿データを研究者が共有し、客観的に妥当だと認められたテクストを策定する作業は、今後のマンガ研究において欠くことのできない重要なステップであると考える。本稿ではこうした基礎研究を「生成論的研究」と位置づけ実践するとともに、今後の多くのマンガ研究で行われることを提唱するものである。\n\n宮崎駿の唯一の長編マンガ『風の谷のナウシカ』(以下『ナウシカ』と略す。アニメ版の同名作品を指す場合はその都度「アニメ版」と付す)は、「アニメージュ」連載時と「アニメージュコミックスワイド版」刊行時との間に相当数の異同が見られる。また、「腐海は、人類が汚染した大地を浄化するために生まれた生態系」というアニメ版のコンセプトが、マンガ版では相対化され、「腐海は、旧人類が人工的に作り出した清浄化システムであった」というものに変更されている。これは、読者の意表を突く「どんでん返し」だった。\n本稿は、改稿分析を通じて「改稿はなんのために行われたのか」と「〈どんでん返し〉を宮崎駿は何時の時点で着想したのか」という二つの点について考察することを目的としている。\nこのことについて、第1章では執筆経緯と当時の世界情勢、先行作品や後続作品との影響関係を、第2章では第1巻から第7巻までの具体的な改稿箇所を、第3章では先行論文について検証し分析した。\n \n『ナウシカ』は、1982年2月号から1994年3月号まで足かけ13年連載された。連載時には国内外で世界史的な出来事が立て続けに起こった。1986年4月チェルノブイリ原発事故、1989年1月昭和天皇崩御、2月手塚治虫死去、6月天安門事件、11月ベルリンの壁崩壊、12月冷戦終結、1990年10月東西ドイツ統一、1991年12月ソ連邦崩壊、1992年ユーゴスラビア解体などである。宮崎に最も大きな衝撃を与えたのはユーゴスラビア紛争であった。「人間は同じ過ちを何度でもする」と痛烈に感じたからだ。それは1983年に亡くなった母・美子の口癖であった「人間はしかたのないものだ」を思い出させた。母の言葉は、尊敬する司馬遼太郎と堀田善衛によって「人間は度しがたい」という言葉に昇華される。『ナウシカ』を終わらせようという時期に宮崎は〈マルクス主義をはっきり捨て〉、〈人間は度しがたい〉という〈ごくあたりまえのところ〉に〈もう一度戻〉った。それは母と同じ場所に立つことでもあった。\n この宮崎の内面の変化に呼応するように、作品内の時間の在り方も変化していった。初のオリジナル作品であった『砂漠の民』(1969-1970)は、ソクート人がどのようにして滅んでいったかを主人公テムの目を通して描かれている。父、親友、好意を寄せる少女、尊敬していた師が次々と殺されていくというかなり惨い物語である。『砂漠の民』は、予告編の段階ですでにソクート人が滅びることを告げており、時間は「滅び」へ向かってリニアに流れていた。\n1978年、宮崎が実質的に初監督をつとめたテレビアニメ『未来少年コナン』では、最終戦争後から物語を出発させるという変化が見られる。しかし、直線的に時間が進むという構造は『砂漠の民』と変わらなかった。ところが、1983年に刊行された『シュナの旅』に流れる時間はそれまでのものとは違っていた。〈いつのころからか/もはや定かではない/はるか昔か/あるいはずっと/未来のことだったか〉という書き出しで始まるこの作品では、時間は確定されていない。それは過去か未来かも定かではない。これは『ナウシカ』の描く世界が、産業革命を起点に考えれば西暦3800年くらいの未来を描いているにもかかわらず、その風俗が現代から見て過去のものに見えるという設定に通じる。\n 『ナウシカ』の連載後に制作された短編アニメ『On Your Mark』の絵コンテには〈永劫回帰シーン〉というメモが見られる。円環する時間の流れへの変化は、先に述べたマルクス主義を捨て生活実感に根ざした身体的思想とも言うべき境地に戻った宮崎の航跡と重なる。\n\n 『ナウシカ』のマンガ表現上の特徴は、コマ割が細かくコマ数が多いことにある。大ゴマが少なく、あったとしてもキャラクターのアップは少ない。ページ全体のレイアウトよりもコマの完成度に重きを置いている。「漫符」の使用頻度は低く、使われるものも限定的である。「光芒」と「集中線」の使用の多さは、『ナウシカ』が〈気づきのマンガ〉であることを示している。「音喩」については、コマを跨いだりするものはなく抑制的である。また音喩が描かれるレイヤーの位相が、一般的なマンガによく見られるように一番読者側にあるわけではないという特徴がある。音喩については宮崎独特の文法が存在するように感じられる。\n \nコミックス刊行時に行われた「加筆」「さしかえ」「描き直し」「挿入」「台詞等の変更」の5項目の改稿についての分析の結果は以下の通りであった。\n「加筆」は、改稿の中で最も多いものだが、その主な要因は連載時の描き込み不足を補うものであった。背景が緻密で情報量が多い、と言われることの多い『ナウシカ』であるが、連載中には緻密な描き込みができずにそのまま掲載された場合が少なくない。ただし、後半に見られる「加筆」には「血糊」を意図的に増やすなどの演出上の要請から行われたものが見られる。\n 「さしかえ」は、視線誘導に関係する可能性が高いもので、その意味で既成のマンガ文法との関係が問題になる改稿でもある。しかし、結果的に視線誘導の大幅な変更は見られない。\n 「描き直し」も同じ構図の絵であるために視線誘導の変化には関与しない。ただし、同じ絵をわざわざ描き直すために物語内容に対する作者の何らかの特別な意図が感じられる改稿である。「描き直し」は第7巻に多く、「庭の主」との対決の場面などに顕著である。\n 「挿入」はページ毎のものが多く、結果的に視線誘導に絡む場合は殆どない。挿入されたページもその他のページと同様で、特にコマ割に変化が見られるわけではない。挿入については第4巻の挿入が特徴的である。粘菌兵器のエピソードをかなり前倒しして投入したり、クシャナの母にまつわるエピソードを新たに入れたりしており、作品全体の構成が固まりつつある時期との関連が窺われる。\n 「台詞の変更」はコマ割に関わらないが、物語の内容に大きく影響を与える重要な改稿の一つである。特に第7巻に多い。これは「墓所の主」との対決の場面に見られ、挿入された新たな台詞と共に、宮崎が連載終了後にもこの場面を深化させようとしていたことが窺える。\n 以上の分析から、『ナウシカ』における改稿が「読みにくく」しているものかどうかについては、少なくとも「読みにくく」はなっていないという結論に達した。ただし、既存のマンガ文法に従う形で改稿が行われているとは考え難い。したがって既存のマンガ文法には従っていないものの、結果としては物語の展開が理解しやすくなり読みやすくなっているという場合が多い。強いて言えば「読みやすく」はなっていないとしても「わかりやすく」はなっていると言えそうである。「読みやすさ」は表現論的な分野に関わりが深く、「わかりやすさ」は物語論的な分野に関わりが深いという予感がするものの、今後の課題としたい。\n\n先行研究を「表現論的分野」「物語論的分野」「倫理の問題」の3分野に関して分析し、あわせて手塚治虫との関係について検証した。\n 表現論的な研究では阿部幸弘と久美薫を取り上げた。阿部は、『ナウシカ』が後半読みやすくなるのは宮崎が自身で作り上げようとしたオリジナルのマンガ文法が次第に機能するからだと述べている。久美薫は、映画の場面のつなぎ方の分析を援用し、後半読みやすくなるのはコマ割というよりはコマのつなげ方が巧みになるからであると述べている。その方法は映画的とも言え、この点を夏目房之介は「アニメからの逆輸入」と呼んでいる。\n 物語論的な研究では小山昌弘の「語り」の見地から分析した論考を取り上げた。小山は『ナウシカ』にナレーションが少ない理由と、その代替としての登場人物の内語について分析している。小山も『ナウシカ』は読みにくいが後半読みやすくなるとして、その理由をマンガ文法に従うようになるからだとしている。もっともコマ割自体は変化せず、最後までコマ数は多いままだとも述べている。\n 倫理の面から稲葉振一郎と夏目房之介を取り上げた。稲葉は『ナウシカ』における「青き清浄の地」が、実在するがたどり着くことのできないユートピアであるという点でノージックのユートピアの「枠」を超えた存在だと論じた。夏目は戦後マンガに流れていた手塚治虫的「生命倫理」が引き継がれている作品として『ナウシカ』を見ている。宮崎駿は手塚治虫の継承者だったというとらえ方である。\n『ナウシカ』における「どんでん返し」の時期について、久美はそれを『紅の豚』制作時、ユーゴスラビア紛争の時期と見、稲葉は冷戦構造が解消した時点と見ていた。二人ともその時点から宮崎が、『ナウシカ』の結末を変更せざるを得ない思想的立場に立ったと分析した。\n 以上の分析から、改稿の多くは連載時に十分時間をかけられなかった部分を補筆する形で行われているが、第4巻においては、全体像がほぼ固まった時点から遡って行われており、作品全体の整合性を保とうとしている様子が窺えること、また、改稿は一般的なマンガ文法にはよっていないため、必ずしも「読みやすく」はなっていないが、物語の内容的にはより深まりかつ理解しやすくなっているという結論を得た。\n 全体的な構想がまとまった時期は、第4巻の刊行時の1987年中頃にかけて、「どんでん返し」については第5巻の改稿が行われた時期に着想されたと考える。ただし、『シュナの旅』には『ナウシカ』における「庭」や「墓所」に相当する場面が登場するため、1983年頃には大本になるアイディアはあったと考えるべきである。また、「人間はしかたのないものだ」という母の考え方に、ユーゴスラビア紛争の激化に伴って戻ったと見ることもできる。1983年の『シュナの旅』刊行と母の死、1986年のチェルノブイリ原発事故、1991年からのユーゴスラビア紛争の激化などの要素が「どんでん返し」に至らせたと考えるのが妥当であろう。\n\n 最後に「文化人≒思想家」としての宮崎駿と、「町工場のオヤジ≒職人」としての宮崎駿の関係について検証した。宮崎は自ら「文化人ではなく町工場のオヤジでいたい」という旨の発言をしているが、結果として「文化人」と見なされることで、アニメ制作に好都合な面はあった。宮崎を、当初から「作家」として扱おうとしたのは1981年にアニメージュで「宮崎駿特集」を組んだ当時の編集部、とくに鈴木敏夫であった。大人数で制作するアニメにおいて「作家性」を強調し、宮崎駿の特異性をアピールした。鈴木は1982年当時、仕事らしい仕事のなかった宮崎に『ナウシカ』の執筆を勧め、連載が決まると『ナウシカ』のタッチを「読みにくい」ものにし、連載が危うくなると鉛筆での執筆を勧めた。鈴木は、宮崎にアニメを制作させるための一段階として、既存のマンガ文法によらないオリジナルマンガを描かせようとしたと見ることもできる。『ナウシカ』の成立には鈴木敏夫が大きく関与しているのである。 \n\n 今回本稿で行った『ナウシカ』の改稿分析が、基礎資料として『ナウシカ』研究の進展に寄与することと、「生成論的研究」が今後のマンガ研究において基礎研究の方法として定着することを望む。
著者
永井 恒司
出版者
公益社団法人日本薬学会
雑誌
藥學雜誌 = Journal of the Pharmaceutical Society of Japan (ISSN:00316903)
巻号頁・発行日
vol.123, no.3, pp.143-150, 2003-03-01
参考文献数
11
被引用文献数
4

In Japanese pharmaceutical community, there seems to be a lack of “Science of Science” and “Research on Research” which are to utilize unit sciences and research for the benefit of human being. In other words, pharmaceutical people in Japan should have much more pharmaceutical philosophy. The late Professor Komei Miyaki, founder Editor-in-Chief of FARUMASHIA, the monthly membership magazine of Pharmaceutical Society of Japan, under whom I worked as one of editorial board members, taught me that scientists should have their own philosophy of their sciences. Such a pharmaceutical philosophy as mentioned above should be established on the basis of complete separation of medical profession between doctors and pharmacists, which form the most important and necessary issue in safety assurance for patients with the complete zero defect (ZD action), as there is a long history for that in Europe since the separation was completed by King Friedrich II in 1240. Therefore, we have to learn the social status of European/American pharmacist practitioners who are the great No. 1 among all the professions. European pharmacists guarantee the safety of every chemical used for human body and pets, such as medicines, cosmetics, foods, tooth stuffs and so on. Regarding the pharmaceutical sciences in Japan also there seems to be a lack of pharmaceutical philosophy, as pharmaceutical scientists have no identity in research object that may be similar to basic scientists who are non-pharmacy graduates. Japanese sciences generally have developed along the lines of the Western model, reaching the current high level. We now not only should receive profits from the outside but also should embark on a mission to support pharmaceutical sciences throughout the world, especially Asian courtiers. At the present, we do not seem to be fulfilling our mission to do that, even though general activity includes significant international exchange. We have to make much more effort for international contribution/participation. For that, the most important and necessary issue is to make change in fundamental sense in Japanese pharmaceutical community, though an internationalization of technological issues is usually taken into consideration. In this connection, regarding the new drug development, we must have a change in the sense to establish pharmaceutical philosophy and jump up in conception from the existing one. Based on the above mentioned pharmaceutical philosophy, seven star pharmacists should be educated as described in 2000 FIP Statement of Policy: Good Pharmacy Education Practice, who could be a (1) care giver; (2) decision maker; (3) communicator; (4)leader; (5) manager; (6) life-long learner; (7)teacher.<br>

1 0 0 0 骨材資源

著者
骨材資源工学会 [編]
出版者
骨材資源工学会
巻号頁・発行日
vol.14, no.55, 1982-12
著者
森 主一
出版者
東京動物學會
雑誌
動物学雑誌
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.1-12, 1938
被引用文献数
4

1. Donax semignosus DUNKER (Fig. 1), a mussel living at the sandy beach of the sea, manifests a characteristic tidal rhythmic migration. The observation of this rhythmic migration and the experimental analysis of the behaviour at the flood tide were performed at the coast of Okinosu in Tokusima-Si (Fig. 2), during late August and early September in 1937. 2. This animal lives beneath the sand of the beach washed by the waves (Fig. 11 and 12), and at the flood tide it makes shoreward migration inn accord with the rising of the surface of the sea, and at the ebb tide offshore retreat with the lowering of the sea level. The animal thus shows up-and-down movements synchronus with those of the tides. The distance of the migration was 3-6m at the neap tide, but at the spring tide it was often over 30m (Table 1, Figs. 3 and 4). 3. The method of the migration is characteristic. At the flood tide, the mussels lurked beneath the sand suddenly jump out to the surface of the sand just in front of the top of the surf (this motion requires 0.5-1.5 sec.) to be carried shoreward by it and then quickly insure the supporting point by inserting the foot into the sand so as not to be carried back again by the retreating current, nad in the next moment they disappear beneath the sand with quickly repeating motions of the foot (this movement requires 3-6 sec.). By repeating these movements the animals can perform the migration towards the higher parts of the beach (Figs. 5 and 6). On the contrary, at the ebb tide, they suddenly jump out to the surface when the lapped wave just begins to retreat to find themselves in the next moment at the lower parts of the shore, and then burrowing into the sand, disappear from the surface. By repeating these movements the mussels can accomplish the migration towards the lower parts of the shore (Fig. 6). 4. By several experiments and observations, it was proved that the jumping-out behaviout in front of the top of the surf at the flood tide was due to the shock or the vibration of the sand given by the wave when it beats the shore (Figs. 7-10). 5. This migrating behaviour seems to be concerned with food habit of the mussel. It feeds on minute living organisms at the beach and it is convenient for the animal to remain throughout the day at the beach where sand grains and consequently many minute organisms attached to them are always stirred by lapping waves. 6. The wedge-shaped triangular shell and the arrow-headed foot are all well adapted to execute the migration which needs the quick motion of the animal (Fig. 13). Accessory notes: 7. A king of the crab, Remipes truncatifrons MIERS (Fig. 14), which lives abundantly at the same beach mentioned above, shows up-and-down movements synchronous with those of the tides. The quick motion of this animal remembers that of the said mussel.
著者
阿部 一博
出版者
日経BP社
雑誌
日経automotive
巻号頁・発行日
no.91, pp.61-63, 2018-10

最後の最後にならないと、クルマの本当の出来映えは分からないですよ。途中段階の試作車でこんなにいい性能になるでしょ、すごいでしょとエンジニアは目を輝かせて言うわけです。でも信じられないんです。そうじゃないかもしれない。
著者
甘利 徳邦 武内 永記
出版者
一般社団法人 照明学会
雑誌
照明学会 全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.40, pp.64, 2007

「学校法人山野学苑」は平成19年4月9日、「髪・顔・装い・精神美・健康美」の5大原則からなる「美道」の追求する「山野美容専門学校」「山野医療専門学校」の新拠点として、渋谷区代々木に4月9日にグランドオープンした。地上27階地下3階(上層階は一部賃貸集合住宅)の高層建築外観は、打掛の着物を召した女性の立ち姿を表現している。隣接する小田急線南新宿駅からJR・都営大江戸線代々木駅を結ぶ回廊を開放し、地域に密着した景観づくりと、教育機関として優れた最新の設備を導入した施設である。
著者
大江 洋代
出版者
お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科
雑誌
人間文化創成科学論叢 (ISSN:13448013)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.11-24, 2007

在明治维新过程中,长州阀是最大的藩阀。本文主要通过统计原籍为山口县且毕业于陆军军官学校的步兵军旅过程,对长州阀的构造进行分析,从而达到阐明官僚专门化的过程及长州阀盛衰状况的目的。进入明治后期,陆军中长州阀派开始衰弱,这足以证明近代专门官僚制度在能力主义下走向完成。
著者
佐野 敬夫
出版者
一般社団法人 日本心身医学会
雑誌
心身医学 (ISSN:03850307)
巻号頁・発行日
vol.58, no.8, pp.703-707, 2018 (Released:2018-12-01)
参考文献数
10

疼痛は産婦人科を受診する患者の主訴として最も頻度の高いものの一つである. その原因として子宮内膜症や卵巣腫瘍などの有無が検査対象になるが, 実際には器質的な疾患としてとらえられないことのほうが多い. 骨盤内うっ血症候群もその代表的な疾患であるが漢方薬や抗うつ薬の投与でほとんどの症例が改善する. しかし, 疼痛部位が坐骨神経, 恥骨結合部などに限局した下腹部痛では治療が困難である. このような症例には対角線上にある経絡に治療穴を取る陰陽太極鍼による鍼治療が有効である. 延べ100例の限局した骨盤痛の患者に対して鍼治療を施行したところ95例がほぼ即効的に痛みは消失した. 疼痛部位は坐骨神経が37例, 恥骨結合部が30例, 鼠径部が25例, 尾骨が9例, 股関節が5例, その他9例であった (重複例を含む). 効果のなかった5症例は, 瘀血が3例, 器質的な炎症が1例, 統合失調症が1例であった.
著者
井上 智皓 戀津 魁 柿本 正憲
雑誌
第82回全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.2020, no.1, pp.113-114, 2020-02-20

自然現象のシミュレーションはコンピュータグラフィックスにおける重要な分野である.このうち,水の色に着目した研究は多くされているが,氷の色に着目した研究は少ない.本研究では氷の色に着目する.氷は,水分子の特性から赤い波長の光を吸収する.氷河や氷山が青みがかって見えるのはこの性質に由来する.また,氷の結晶構造に由来する光学現象も観察されている.本研究は,氷に関する様々な光学現象を包括的に扱うことで,より現実らしい氷のレンダリングを目指すものである.本稿では氷のスペクトル吸収特性に着目し,スペクトラルレンダリングによって氷の色の再現を行った.

1 0 0 0 構造地質学

著者
狩野謙一 村田明広著
出版者
朝倉書店
巻号頁・発行日
1998
著者
高野 庸
出版者
日本物理教育学会
雑誌
物理教育 (ISSN:03856992)
巻号頁・発行日
vol.40, no.4, pp.264-267, 1992-12-02 (Released:2017-02-10)
参考文献数
3
被引用文献数
4

法則が媒介となって,学習者の感覚形成につながり,ひいては学問相互の関連やその全体像が見えてくるような学習を可能にする目的で,従来の学問分野のわくに捕われない,現代の自然像に忠実な物理教育の実践の試みが報告される。自然界の最も基本となる法則から,自然の各階層の固有の法則が,どの様に組み立てられているかが明らかになるようなテーマが選ばれる。学生が自から調べて発表する授業形態がとられる。
著者
北山 育子 真野 由紀子 澤田 千晴 下山 春香 安田 智子 今村 麻里子 花田 玲子
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集 平成24年度日本調理科学会大会
巻号頁・発行日
pp.70, 2012 (Released:2012-09-24)

【目的】本県では大晦日に祝い膳を家族で囲み、年越し料理を食べて祝う風習があり、その行事食も特徴的なものが多い。また、お盆には法界折を墓前にお供えし、下げていただく習慣がある。近年、伝統的な行事食の伝承が少なくなっている傾向にあるが、本研究ではこの風習がどの程度残っているのか、更に青森県の年越しとお盆の行事食の特徴について明らかにすることを目的とした。【方法】調査は平成21,22年度の日本調理科学会特別研究として全国統一様式による調査票とともに配布した独自の調査用紙により、青森県在住の一般240名(50~60歳代57.1%)を対象に集合自記法及び留め置き法にて実施した。また、学生75名(19~20歳)には大晦日における料理、主な材料、写真撮影を課しレポートに記入させた。調査期間は平成21年12月から平成22年5月までとした。【結果】年取りの祝い膳については、認知度、喫食経験率がともに100%であった。喫食経験率の高いものから煮物、茶碗蒸し、数の子、なまこ、昆布巻き、なますであり、特徴的なものとして子和え72.1%、酢ダコ66.7%であった。また、市販品の利用も多く、カニ67.5%、握りずし63.3%、オードブル(各種料理の盛り合わせ)45.0%などが行事食として根付いている様子が伺えた。地域別にみると、津軽はけの汁66.9%やエビ・鯛の雲平59.3%、南部はいちご煮34.6%、南部・下北はくじら汁35.8%が食されていた。お盆の行事食については、喫食率の高いものから煮しめ、赤飯、ところてんであり、その他に季節のものである枝豆、とうもろこしが食べられていた。
著者
岩月 善之助 木口 博史
出版者
日本蘚苔類学会
雑誌
日本蘚苔類学会会報 (ISSN:02850869)
巻号頁・発行日
vol.2, no.11, pp.156-160, 1980

A total of 23 species of Fissidens were found in Tokushima-ken and Kochi-ken, Shtkoku. Seven are additions to the moss flora of Shikoku.