著者
村上 祐子
出版者
東北大学文学会
雑誌
文化 (ISSN:03854841)
巻号頁・発行日
vol.79, no.3,4, pp.59-66, 2016-03-25
著者
日比野 忠史 森本 優希 福岡 捷二 植田 彰
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集B2(海岸工学) (ISSN:18842399)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.I_1471-I_1476, 2015 (Released:2015-11-10)
参考文献数
9

感潮河川では海水の遡上とともに河口から運ばれる有機泥が高塩分下で河岸干潟に堆積している.高塩分下で堆積する有機泥は有機泥,間隙水,流水中に存在するイオンの相互作用により輸送過程における物理運動に強い影響を与えている.本論文ではヘドロ化が進んだ河岸干潟において地盤を形成する有機泥の特性量を評価するためのテクスチャーとなる物理・化学量の個々の特性および相互の関係を考察した.さらに,感潮河川で輸送・堆積する有機泥の基本となる指標とその評価法についてまとめた.提案されたテクスチャーから実河川における有機泥の輸送・堆積状態について推定し,テクスチャーの妥当性を確認した.
著者
岡嶋 美代 原井 宏明
出版者
一般社団法人 日本認知・行動療法学会
雑誌
行動療法研究 (ISSN:09106529)
巻号頁・発行日
vol.33, no.2, pp.171-183, 2007-09-30 (Released:2019-04-06)

特定の恐怖症の血液・注射・外傷型は血管迷走神経性失神という特有な反応を伴う。これに対し筋緊張とエクスポージャーを用いた行動療法(applied tension)が有用とされる。この論文は注射恐怖の20代女性患者に対する行動療法の報告である。失神の予防が重要であること、重症例に対する治療には工夫が必要であることを論じた。症例は小児期から注射恐怖があり、受診時には注射だけでなく、恐怖対象に関連した写真や医療行為全般を見ること、恐怖対象を表現することばを読み書きすること、話したり聞いたりすること、また思い浮かべることも避けていた。治療当初、筋緊張による血圧維持の練習を行った。次にエクスポージャーの計画を立てた。しかし、恐怖対象に関する話し合いは不可能で、不安階層表は治療者側が作成したものになった。治療目標としていた採血行為が行えるようになるためには、替え歌を利用したことばに対するエクスポージャーと、3回の現実エクスポージャーセッションが必要であった。セルフエクスポージャーをするようになり、1年後は医療従事者としての仕事が可能な水準まで到達した。
著者
Jiali Chen Mengxia Tan Lisi Zou Xunhong Liu Shuyu Chen Jingjing Shi Cuihua Chen Chengcheng Wang Yuqi Mei
出版者
The Pharmaceutical Society of Japan
雑誌
Chemical and Pharmaceutical Bulletin (ISSN:00092363)
巻号頁・発行日
vol.67, no.8, pp.839-848, 2019-08-01 (Released:2019-08-01)
参考文献数
46
被引用文献数
6

Panacis Japonici Rhizoma (PJR) contains various kinds of saponins, which possesses extensive pharmacological activities, but studies of comprehensive analysis of its saponins were limited. Thus, ultra-fast liquid chromatography coupled with triple quadrupole-time of flight tandem mass spectrometry (UFLC-Triple TOF-MS/MS) and ultra-fast liquid chromatography coupled with triple quadrupole-linear ion trap tandem mass spectrometry (UFLC-QTRAP-MS/MS) methods were established for the qualitative and quantitative analysis of the saponins in PJR, separately. Fifty three saponins in PJR were identified by UFLC-Triple TOF-MS/MS method, 23 saponins of which were unequivocally identified by reference substances. In addition, fragmentation pathways of different types of saponins were preliminarily deduced by fragmentation behavior of 53 saponins. Furthermore, the simultaneous determination of the contents of 13 saponins in PJR samples harvested at different times were analyzed by UFLC-QTRAP-MS/MS method. Furthermore, the quality of the samples was evaluated by grey relational analysis. This study might be beneficial to the quality assessment and control of PJR. Meanwhile, it might provide the basic information for confirming its optimal harvested period.
著者
渡邉 裕美子
出版者
早稲田大学
雑誌
奨励研究
巻号頁・発行日
2011

屏風歌は平安初期の10世紀初頭から11世紀半ばまでの約150年間を最盛期として、その後衰退して使命を終えたというのが今日の和歌史の定説である。しかし、天皇の代替わりに作成された大嘗会屏風和歌は、15世紀に応仁の乱で中絶するまで作られ続け、一般の屏風歌も、衰退から約130年を経て復活し、文治6年(1190)の『女御入内屏風和歌』を皮切りに、いくつかの大規模な屏風歌・障子歌が新古今時代を中心に作られ、その後、中世の間も途切れることはない。本研究では「使命を終えた」とする定説をくつがえすべく、中世・近世期までを視野に入れて屏風歌の史的展開を追い、和歌史における位置づけを明確にすることを目指した。研究計画に3点挙げたうち、「平安初期屏風歌の衰退の原因と中世初期における復活の契機」の検討については、大規模屏風歌が権力の象徴として機能していたこと、復活の契機もまた、かつての権力の復活を願う摂関家の復古思想によることを明らかにした(『歌が権力の象徴になるとき-屏風歌・障子歌の世界-』平成23年、1月の刊行で年度としては前年度)。同時に、平安時代の屏風歌・障子歌の衰退期である院政期には、屏風のような大きな絵ではなく、小さな歌絵が盛行したことも明らかにしたが、歌絵には絵画や工芸品だけでなく装束の例もある。その一例が建春門院中納言著の『たまきはる』に見える。そこから派生した問題として、建春門院中納言の事蹟を追った論考を発表した。中世の屏風歌復活後にその社会的な意味に大きな関心を示し、大規模屏風歌・障子歌を催しているのは後鳥羽院で、そこで歌人として、また院の意を汲んで全体の調整者として活躍したのは定家であった。後鳥羽院主催の名所障子歌『最勝四天王院障子和歌』は、日本国全体の統治の象徴として編まれている。一方、定家の息為家には、ごく個人的な依頼による屏風歌が二種残されている。そのうち『祝部成茂七十賀屏風歌』は近江国のみの名所屏風歌で、『最勝四天王院障子和歌』と対照して考えると、名所の選択・詠歌方法などに私的性格が明確に現れている。この屏風歌の問題については、近時、発表予定である。また、中世に入ると、歌人をめぐる歌壇状況や詠歌機会などに変化が見られ、そのことが天皇周辺での屏風歌制作にも影響を及ぼしていると考えられる。後鳥羽院時代に見られたような精鋭歌人による競作後、厳しい撰歌が行われるような例は見られなくなり、屏風歌の制作により協調と融和が強調される。こうした様相は、中世に盛んになった歌会様式である続歌と共通する。続歌の成立や特質についてはまだ不明な点が多いため、屏風歌との関係を論じる前に続歌の成立についての論考を発表した。
著者
田島 智子
出版者
四天王寺国際仏教大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

平安時代中期における屏風詩歌資料集を作成した。勅撰集・私撰集・私家集・日記などに散在している屏風詩歌を集成し、整理を行ったのである。ただし、詩の資料はごくわずかであるので、ほとんどが屏風歌である。また、屏風詩歌ではないが、歌絵などの絵に詠み合わされた歌もできるだけ集成した。この資料集は今後の屏風歌研究に大きく寄与するものとなろう。その内訳は、古今集時代については、成立年代や成立事情が判明するものが74種類あり、その総詩歌数は709首であった。成立年代や成立事情が不明であるものは、10種類35首であった。後撰集時代については、判明するものが41種類684首、不明であるものは39種254首である。拾遺集時代については、判明するものが7種類176首、不明であるものは37種類106首である。以上のような状況の三つの時代を通覧した結果、おおまかに以下のことが指摘できる。これらは、屏風歌の歴史を考える上で、今後重要な指標となるだろう。1、屏風に歌を押すことがもっとも頻繁に行われたのは、古今集時代である。2、一つの屏風について歌を推す場面数が増えたのは、後撰集時代である。3、一つの屏風について複数の歌人に詠歌させることが増えたのも、やはり後撰集時代である。つまり、後撰集時代に屏風の大規模化が進んだのである。4、屏風に歌を押すことが激減したのは、拾遺集時代である。5、拾遺集時代の屏風は、大規模なものが多い。つまり、拾遺集時代には大規模な屏風がごく少数、制作されたのである。6、拾遺集時代の屏風のほとんどに、藤原道長が関わっており、道長が目的をもって積極的に屏風歌に関わったものと思われる。
著者
渡瀬 淳子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.62, no.7, pp.27-36, 2013-07-10 (Released:2018-07-13)

中世において粗末な家を描写する際にしばしば用いられる言葉に「松の柱」がある。 これは白居易の詩句から出た表現であったが、白居易の活躍した中国において、「松柱」が特別な意味を持つことはなかった。しかしそれがなぜか日本においては、ぼろ家の描写に定型句のように用いられることとなった。この現象を探るため、散文韻文の用例を検討した結果、この現象の根底には『源氏物語』の流行があると考えるに至った。さらに『源氏物語』享受を通して白居易の詩を須磨巻の内容に即して理解した結果、極めて日本的な解釈が成立していた可能性を指摘した。
著者
岡村 総吾
出版者
公益社団法人 応用物理学会
雑誌
応用物理 (ISSN:03698009)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.1, 1978-01-10 (Released:2009-02-09)
被引用文献数
1
著者
江端 俊彰 小林 謙二 長内 宏之 川山 照雄 戸塚 守夫 早坂 滉
出版者
Japan Surgical Association
雑誌
日本臨床外科医学会雑誌 (ISSN:03869776)
巻号頁・発行日
vol.39, no.6, pp.948-952, 1978-11-01 (Released:2009-09-30)
参考文献数
13

1975年より1977年までの3年間で当科におけるエンドトキシン血症は34例で,良性疾患14例,悪性腫瘍20例であった.エンドトキシン血症を呈した8例と,エンドトキシン血症を示さなかった15例についてchemical mediatorのうち,血漿ヒスタミン,血漿セロトニン濃度について比較検討すると, Limulus test陽性例では血漿ヒスタミン,血漿セロトニン濃度ともLimulus test陰性例と比較し,有意な上昇を示した.また,実験的エンドトキシンショックにおいても, chemical mediatorのうち血漿ヒスタミン,血漿セロトニン,血中ブラディキニン濃度の上昇を確認している.エンドトキシンショックの病態生理については種々の意見があるが,エンドトキシンショック時にchemical mediatorが放出され,末梢循環不全より血液のpoolingが起きショックになると考えられている.したがって,エンドトキシンショック時にはchemical mediatorの放出が,エンドトキシンショックのtriggerとなることが示唆され,エンドトキシン血症とchemical mediatorの関係は重要なものと考えられた.