著者
村石 正行
出版者
三田史学会
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.82, no.1, pp.39-58, 2013-04

論文はじめに一 京都における小笠原長時二 三好長慶政権と小笠原長時三 織田信長政権における小笠原氏の立場結語
著者
島薗 進
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.223-245, 2008-09-30

宗教学は近代文明に対するオルタナティブの探究を基本的なモチーフとして抱え込んでいた。宗教は理性の限界や近代社会の抑圧性に悩む人々に、ある種の魅惑を帯びたものとして現れた。だが、他方で宗教研究は宗教批判の中から生まれてきたものでもある。宗教の抑圧性を見抜くことが宗教学の形成と展開の知的動機の一部ともなっている。宗教学は宗教批判と近代批判をともに含み込むことによって先鋭な知の地平を切り開くことができたと考えられる。本稿では宗教批判と近代批判とを結びつけるような視点をもった先駆的思想家として、富永仲基、ディヴィッド・ヒューム、フリードリッヒ・ニーチェを取りあげる。彼らの宗教批判は、いずれも人類史における宗教の重要性を痛切に認識するが故にこそなされている。宗教が人間性に奥深い動因をもち、容易に克服しがたいものであると考えられており、人知の進歩により宗教は衰退してしまうと予見されているわけではない。むしろ理性の限界が強く意識されており、だからこそ宗教は人間性に深く根を張っていると考えられている。宗教を深く理解する必要があるのはまさにその故なのだ。
著者
柳 文珠
出版者
一般社団法人 社会情報学会
雑誌
社会情報学 (ISSN:21872775)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.17-29, 2013

本稿は,韓国においてインターネット文化の改善を目的とするインターネット実名制の導入過程について概観し,さらに,デッグル数という量的要素の変化に注目しながら,インターネット実名制の影響に関する考察を行う。まず,選挙掲示板の実名制の導入は,新たな政治参加手段として成長したインターネットの威力に対して警戒を強めた政界の積極的な主導によるものであった。それに対し,一般掲示板の実名制(制限的本人確認制)は,インターネット上で発生した一連の出来事が世間を騒がせるなど社会問題化したことをきっかけに,法的規制の必要性を訴える声が高まったため,比較的世論の支持を受けて導入に至るようになる。次に,インターネット実名制の施行後,韓国におけるインターネット空間にどのような変化が生じているのかを検討するため,ポータルサイトDAUMが提供するニュースに付けられたデッグル数の推移を分析した。その結果,デッグル数は,制限的本人確認制の施行直後と長期的な期間において減少していることが明らかになり,デッグルを用いた意見表明の活発さが萎縮している可能性が示唆された。
著者
鯨井 千佐登
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.174, pp.145-182, 2012-03

日本中世・近世「賤民」の権利のなかでも、①斃牛馬の皮を剥いで取得する権利、②埋葬する死体の衣類を剥いで取得する権利、③「癩者」の身柄を引き取る権利がとくに注目される。中世史家の三浦圭一は「牛馬にとって衣裳にあたるのが皮革に他ならない」とのべて、①と②を「同じレベル」で見ようとした。横井清も「皮を剥いでそれを取得することと死体の衣類を受け取ることが無縁なものとは私も思えない」といい、「身に付けている表皮を剥ぎとる権利と行為」をどのように考えるべきかという問題を提起している。一方、③は中世的な権利で、引き取られた「癩者」は「賤民」集団の一員となった。「癩」は「表皮」に症状のあらわれる皮膚の病であるから、③も含めて、「賤民」の権利は身を覆っている「表皮」にかかわるものとして一括して把握すべきかもしれない。こうした斃牛馬や死体の「身に付けている表皮を剥ぎとる権利」や「癩者」に対する監督権の宗教的源泉が、古くは境界の神にあると信じられていた可能性が高い。境界の神とは地境などに祀られていた神々のことで、「賤民」の信仰対象でもあった。本稿の課題は、そうした境界の神の本来の姿を見極めることである。本稿では、古くは境界の神に対する信仰が母子神信仰、とくに胎内神=御子神への信仰を骨子としていたことや、境界の神が月神としての性格を備え、人間の身の皮や獣皮、衣類、片袖を剥いで取得すると信じられていたこと、それゆえ境界の神に獣皮や衣類、片袖を捧げる習俗が生まれたこと、境界の神が皮膚の病の平癒という心願をかなえるだけでなく、それを発症させるとも信じられていたことなどを推定した。つまり、境界の神と「身に付けている表皮」との密接な関係を推定し、また、「賤民」の有した境界の神の代理人としての性格の検証という今後の課題を提示した。
著者
杉浦 滋子 Shigeko Sugiura
出版者
麗澤大学大学院言語教育研究科
雑誌
言語と文明 : 論集 (ISSN:21859752)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.33-53, 2012-03

日本語で比況、例示、推量の用法をもつ「~みたいだ」は「~を見たようだ」が文法化した形式である。先行研究はその過程での形式が変化したこと、及び名詞以外の品詞の語に付くようになったことを指摘しているが、用法の広がりとして捉えるべきであること、用法の広がりにおいて意味の再解釈があることを指摘した。
著者
伊藤 嘉余子
出版者
一般社団法人日本社会福祉学会
雑誌
社会福祉学 (ISSN:09110232)
巻号頁・発行日
vol.50, no.4, pp.82-95, 2010-02-28

本研究の目的は,児童養護施設入所児童を対象に行った,施設生活に関するインタビューの結果から,子どもたちが児童養護施設や職員に求めている生活の質,支援,役割について明らかにすることである.C児童養護施設(A県B市)の入所児童10人を対象に1対1の半構造化面接によってインタビューを行い,データを分析した.その結果,多くの子どもが,実家庭とは異質な施設生活に満足や喜びを感じており,物的環境の充実が子どもに与える影響の大きさが明らかになった.しかし,その一方で,施設生活の質の高さに満足すると同時に,多くの子どもが「できれば実家に帰りたい」という葛藤を持ち続けている実態も明らかとなった.また,子どもの感じる施設生活への満足度の高低には,子ども自身が施設内の人間関係をどうとらえているかが影響していることが明らかとなり,人間関係構築やコミュニケーションにおける職員の資質や力量が重要となることが分かった.さらに,多くの子どもが施設入所前/入所時の不安について語っており,アドミッション・ケアの充実の必要性が示唆された.
著者
立花 章 小林 純也 田内 広
出版者
プラズマ・核融合学会
雑誌
プラズマ・核融合学会誌 = Journal of plasma and fusion research (ISSN:09187928)
巻号頁・発行日
vol.88, no.4, pp.228-235, 2012-04-25
参考文献数
30
被引用文献数
1

トリチウムの生物影響を検討するために,細胞を用いて種々の指標について生物学的効果比(RBE)の研究が行われており,RBE値はおよそ2であると推定される.だが,これまでの研究は,高線量・高線量率の照射によるものであった.しかし,一般公衆の被ばくは低線量・低線量率である上,低線量放射線には特有の生物影響があることが明らかになってきた.したがって,今後低線量・低線量率でのトリチウム生物影響の研究が重要であり,そのための課題も併せて議論する.
著者
川角 由和
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷法学 (ISSN:02864258)
巻号頁・発行日
vol.38, no.4, pp.1412-1370, 2006-03-10
著者
大島 明秀
出版者
関西学院大学
雑誌
日本文藝研究 (ISSN:02869136)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.86-110, 2008-03-10

本稿では、明治二十二年『国民之友』誌上に発表された徳富蘇峰「明治年間の鎖国論」を中心に、明治初期から二十年代に至る「鎖国」観の変遷を追跡した。 斯論において蘇峰は、「鎖国」に否定的な発言をしてはいるが、それは同時代を江戸の継続した時代と捉え、そこに遺り続ける旧弊「鎖国主義の精神」、すなわち西洋の知識・文物に対する排除的(保守的)姿勢への批判であった。そこには外国を敵視したり、侵略したりするような排外的且つ植民地主義的発想は全く不在であった。 従来の研究史では、戦前の「鎖国」研究は「鎖国得失論」であると語られてきたが、かかる蘇峰の議論に代表されるように、明治二十年代前半まで(とりわけ日清戦争以前)は、多様な「鎖国論」(「鎖国得失論」に回収されえない議論)が存在したことが明らかになった。
著者
鈴木 伸英 工藤 芳彰 宮内 [サトシ]
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.47, no.6, pp.31-40, 2001-03-31
参考文献数
14

本研究は、東京都府中市の大國魂神社の御先拂太鼓を対象として、その実体、保持・運搬用具、演奏方法、太鼓の役割等について検討した。その結果、以下の点が明らかとなった。御先拂太鼓が大型化した要因は、明治初期に祭礼の運営組織を府中四ヵ町に分けたことによって生じた、町内間の対抗心であった。その御先拂太鼓の存在意義は、祭礼の到来を知らせる実用的機能に加え、地域のシンボルであるという社会的役割、さらには音で神輿の道筋を払うという象徴的な機能にある。また、今日、御先拂太鼓が人々に受け入れられている理由として、次の諸要因をあげることができる。ソリッドの木材、麻縄といった伝統的な自然素材を用い、造形美を洗練させたこと。時代・社会の要請に応えて大型化・重量化した太鼓に対応するためにブレーキ付き台車、太鼓を台座から台車に載せ替えるためのクレーンの利用といった用具のシステムをそなえたこと。そうした前提の下で、音の大きさと単純さという根元的な太鼓の魅力を引き出す新しい演奏方法を確立させたことであった。