著者
一柳 廣孝 栗田 英彦 菊地 暁 吉永 進一 石原 深予
出版者
横浜国立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-04-01

日本心霊学会は、1910年前後から20年前後まで活動した、当時最大規模の霊術団体のひとつである。その日本心霊学会の機関誌である「日本心霊」のほぼ揃いが、同学会の後進にあたる京都人文書院で奇跡的に発見された。近代日本の精神史を探るうえでの一級資料である「日本心霊」について、本プロジェクトは全資料の裏打ち処理、脱酸素処理を施してPDF化を進めるとともに、二度にわたるワークショップで近代科学史、仏教史、近代出版文化史、日本近代文学などの多様な観点から分析を進め、それぞれの研究成果については書籍、論文、学会発表の形で公表した。

33 0 0 0 OA 元号と武家

著者
北爪 真佐夫
出版者
札幌学院大学
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 (ISSN:09163166)
巻号頁・発行日
vol.68, pp.1-32, 2000-09

わが国の元号は中国より移植したもので, 最初の元号は「大化」(645)といわれているが「大宝」とみた方が確度がたかいとみることができよう。いずれにしても249程の「元号」が今日まで使用されてきているのだが, 現在の「平成」を除けばその決定権は天皇にあったものとみてよいであろう。法制史家滝川政次郎氏は元号大権とは「天皇が元を建て, 元を改められる権利であって, この権利は臣下の者の干犯を許さない天皇に専属せる権利」(同氏著「元〓考讃」)であるといっておられる。古代国家の確立期に整備導入された元号制は十二世紀末あたりから確立した武家権門としての鎌倉幕府ならびにそれ以降の「武家」とはどんな関係にあったのか, こうした検討を通じて平安末期以降の「国王」及び「王権」の特質はどの点にあったのかに接近しようとの試みが本稿の課題である。なお封建時代を通じて元号制度が存続し得た理由として考えられるのは三代将軍家光の言といわれる「年号ハ天下共二用フルコトナレバ」という一言に端的に示されているし, それ以前でいえば, 「公武」ならんで用いるものとの考え方が定着しているのである。つまり, 「元号」はある天皇の時代を意味するものでなく, ましてや天皇の独占物でなくなったことが, 封建制下でも, なお維持存続した理由とみてよいであろう。
著者
日下 英之
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.177-194, 2002-03-31

江戸時代における将軍の上洛は,幕初と幕末に限られている.幕初においては,初代家康・2代秀忠・3代家光に限られ,幕末においては14代家茂のみである。慶喜は家茂の将軍後見職としての上京はあったが,15代将軍としての上洛はなかった。幕初3代の上洛については,「江戸初期における将軍の上洛」として発表したが,ここでは幕末における将軍上洛の状況を,将軍後見職としての慶喜の場合も含めて考察した。上洛路は陸路の場合,江戸を発って東海道を西上するのが一般的であるが,その道筋は尾張で幾つかに分岐する。七里の渡しを渡るか,佐屋路あるいは美濃路の陸路をとるか。幕末の上洛はそのいずれを通行したか。その通行に際して,沿道諸村はどう対応したか。本稿はこれらの問題について論述した。

33 0 0 0 OA 足利直義論

著者
中田 伸一
出版者
小山工業高等専門学校
雑誌
小山工業高等専門学校研究紀要 (ISSN:02882825)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.214-205, 2004-03-05
著者
小豆川 勝見
出版者
公益財団法人 日本学術協力財団
雑誌
学術の動向 (ISSN:13423363)
巻号頁・発行日
vol.22, no.4, pp.4_40-4_43, 2017-04-01 (Released:2017-08-11)
被引用文献数
1
著者
濱田 陽
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
no.7, pp.23-45, 2001-06-17

現代日本ではキリスト教徒でない多くの人々がキリスト教の結婚式を選ぶ。本論は、世界的に稀なこの現象を取り上げ、日本のカトリックとプロテスタントが「無宗教」社会と接触してきたそれぞれの態様を考察する。研究では、キリスト新聞、日本カトリック宣教研究所資料の他、婚礼業界紙、消費者情報誌等を用い、司式側の聞き取り調査、関連宗教団体、業界への問い合せによる検証を加え、分析する手順を採った。具体的には、2章でキリスト教式結婚式の普及とイメージ形成をまとめ、神前結婚式と比較して社会要因にふれる。3章で日本カトリック教会とローマ教皇庁の対応、4章でプロテスタント界に於けるキリスト教ブライダル宣教団の役割に焦点をあて、日本のキリスト教界のキリスト教式への関わりを分析する。総じて、現行のキリスト教式の普及に連動した、両キリスト教界の「無宗教」社会への特殊化した関わりを「対話」として論じる。
著者
田村 淳
出版者
一般社団法人 日本生態学会
雑誌
保全生態学研究 (ISSN:13424327)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.255-264, 2010-11-30 (Released:2018-02-01)
参考文献数
47
被引用文献数
8

ニホンジカの採食圧を受けてきた時間の長さによる植生保護柵(以下、柵)設置後の多年生草本の回復しやすさを検討するために、同一斜面上の設置年の異なる柵で、12種の出現頻度と個体数、成熟個体数を比較した。柵はニホンジカの強い採食圧を10年程度受けた後に設置された柵3基(1997年柵)と16年程度受けた後に設置された柵4基(2003年柵)である。両方の柵で出現頻度が同程度であった種が6種、1997年柵で高い傾向のある種が6種であった。出現頻度が1997年柵で高い傾向のある6種のうちの3種は、シカの採食圧の低かった時代において調査地にまんべんなく分布していた可能性があった。そのため12種のうち9種は両方の柵で潜在的な分布は同じだったと考えられた。これら9種において個体数を比較したところ、4種は1997年柵で個体数が有意に多かった。これらの種は、シカの採食圧を長く受けた後に柵を設置しても回復しにくいことを示している。一方で、9種のうちの5種は、両方の柵で個体数に有意差はなかった。このことは、これら5種が林床植生退行後の柵の設置までに要した10年ないし16年程度のシカの採食圧では出現に影響しないことを示唆している。ただし、このうちの1種は成熟個体数の比率が2003年柵で低かった。以上のことから、柵の設置が遅れると回復しにくい種があることが明らかになった。したがって、それらの生育地では退行後、遅くとも10年以内に柵を設置することが望ましいと結論した。
著者
渡辺霞亭 著
出版者
石切剣箭神社
巻号頁・発行日
1926
著者
Shintaro TANABE Eiiti KASUYA Takahisa MIYATAKE
出版者
The Herpetological Society of Japan
雑誌
Current Herpetology (ISSN:13455834)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.14-22, 2019 (Released:2019-02-28)
参考文献数
29
被引用文献数
1

The traits of many animal species exhibit individual and sexual differences. Individuals repeatedly receiving a stimulus without harm become habituated to it. However, few studies have been conducted on individual and sexual differences in the process of habituation to unfamiliar food stimuli. Therefore, we hypothesized that individual differences or sexual differences would be observed in reaction to an in-lab food-stimuli presentation of potential prey items (after that “food stimuli”). We tested the hypothesis using the Japanese tree frog Hyla japonica, and conducted statistical analyses of these results. A generalized linear model (GLM) showed individual and sexual differences in time to get used to the food stimuli. Females habituated more rapidly to food stimuli than males. The difference between sexes is discussed in view of two ultimate and one proximate reasons.
著者
野口 晃菜 米田 宏樹
出版者
一般社団法人 日本特殊教育学会
雑誌
特殊教育学研究 (ISSN:03873374)
巻号頁・発行日
vol.50, no.4, pp.413-422, 2012 (Released:2013-09-18)
参考文献数
41

米国では、連邦法により、障害のある児童生徒も通常教育カリキュラムへアクセス可能とすることが各州に義務付けられている。本稿では、障害児教育が場の議論からカリキュラムの議論へ移行した背景を整理し、通常教育カリキュラムへのアクセス方法および知的障害カリキュラムの研究動向と成果を整理した。通常教育カリキュラムへのアクセスは、スタンダード・ベース改革とインクルーシブ教育の実践レベルでの課題の両方への対策として講じられた。アクセス方法に関しては、RTI導入や「カリキュラム修正」が挙げられた。知的障害のある児童生徒については、教科の機能的内容が科学的根拠に基づき指導され始めている。スタンダードに基づいた教育内容の指導および試験への参加が、障害のある児童生徒の教育成果を測る方法として適切であるのか、通常教育カリキュラムへのアクセスが、多様なニーズに対応するインクルーシブ教育として評価され得るのか、検討されなければならない。
著者
小沢 朝江
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会技術報告集 (ISSN:13419463)
巻号頁・発行日
vol.19, no.42, pp.757-760, 2013-06-20 (Released:2013-06-20)
参考文献数
13

Meiji Imperial Palace and its building agency are the milestone of the modern architecture in Japan. In this study, duties and employment of the draft men were analyzed by the documents of the Imperial Household Agency, and their details were considered by the diary of Chiyotaro Tenaka who had been at the Miyadaiku family.As the result, some facts are developed such as; drafting and the part of planning were shouldered by the draft men, who were tested to measure their skills, about a half of them were promoted to the full-time building engineer for the national agencies.
著者
小野木 重勝
出版者
一般社団法人 日本建築学会
雑誌
日本建築学会論文報告集 (ISSN:03871185)
巻号頁・発行日
vol.195, pp.75-81,98, 1972-05-30 (Released:2017-08-22)

The construction of Meiji Kyuden (the Imperial Palace) was commenced in 1883 and completed in 1888. The Bureau of the Imperial Palace Construction was the largest system of constructions in Meiji Era which was set up in 1882 and employed many engineers. These engineers were constituted writh the engineers of the Department of Public Works and the Imperial Household Agency and the other office. This paper describes on the change of the organigaation, the number of engineers, their past record, their careers in the construction works and considers on the significance which the Imperial Palace Construction had in the process of the development of Meiji Era's architectures.