著者
松元 雅和
出版者
関西大学政策創造学部
雑誌
政策創造研究 (ISSN:18827330)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.21-41, 2016-03-31

公共政策学はその下位部門として、公共政策に関する価値の諸問題を扱う研究分野をもっている。その目的は、公共政策の善し悪しを規範的に評価したり、その意思決定を手助けしたりするための処方的知識を提供することである。それでは公共政策学者は、個々の公共政策に関して、具体的にどのようにして処方的知識を提供しうるのであろうか。本稿では、公共政策学と隣接する政治学において規範研究を担う政治哲学から知見を得ることを目指したい。はじめに、政治哲学における〈規範研究〉の方法論的性質について概観し(第Ⅱ章)、次に、応用倫理学の方法論的知見も参照しながら、〈応用研究〉に従事するにあたっての具体的な方法を整理・評価する(第Ⅲ章)。最後に、以上の方法論を規範的政策研究に転用するにあたっての留意点を列挙したい(第Ⅳ章)。Public policy studies aim to illuminate various aspects of public policy, a subfield of which deals with value-related issues in this subject. The purpose of the subfield is to provide a necessary prescriptive knowledge to evaluate the good and the bad of public policy, and to assist its decision-making. Now, how do public policy scholars provide a prescriptive knowledge for a particular public policy? This paper aims to get some instructions from political philosophy, which is concerned with addressing normative themes in the field of political science. First, it will explore the methodological nature of "normative studies" in political philosophy (Chapter II). Next, with reference to methodological discussion in applied ethics (biomedical ethics in particular), it will develop and evaluate a specific method of how to conduct "applied studies" (Chapter III). Finally, it will address the remaining points to remember when applying these methodologies to normative public policy studies (Chapter IV).
著者
伊藤 恭彦
出版者
日本公共政策学会
雑誌
公共政策研究 (ISSN:21865868)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.20-31, 2013-12-20 (Released:2019-06-08)
参考文献数
22

公共政策は規範や価値に関する思考と深い関係にある。その点で価値や規範を正面から扱う政治哲学は公共政策学において重要な役割を果たせそうである。しかし,現実の公共政策学では規範や価値の問題はどちらかというと「周辺的」な扱いを受けている。本稿では規範や価値を扱う政治哲学が,公共政策学と現実の政策過程に関与するアクターにいかなる貢献ができるのかを検討し,政治哲学と公共政策学を架橋する試みを行った。政治哲学的思考と政策学的思考は多くの点で質を異にするが,両者の違いを自覚するならば,政治哲学は「民主主義の下働き」としての役割を政策過程で演じることができる。その役割は政策アクターや政策を考えている有権者に「道徳の羅針盤」を提供することである。「道徳の羅針盤」のうち,本稿ではアジェンダ選定における「規範的な認識のフレームワーク」と政策形成における「価値コミットメント」の明示化を例示的に検討した。政治哲学は現実政治や政策過程から距離をおいて,政策理念や政策規範を構想することができる。他方で,政治哲学は政策過程に寄り添ったり,政策過程を振り返ったりする中で,政策に関する価値と規範を明らかにし,政策的思考を豊かにしていくことに貢献できる。
著者
上倉 庸敬 田之頭 一知 渡辺 浩司
出版者
大阪大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

本研究は、ドラマ繰り広げられる場で音楽がはたす役割を観客の観点から実証的に解明しようとするものである。そのさい研究の最大の動機(モティーフ)となったのは、研究対象としての、ドラマにおける音楽および効果音楽というものが美学においても音楽学においても、従来あまり主題的にはとりあつかわれないまま充分に研究されてこなかったということである。ないよりも強調されねばならないのは、ドラマ空間や劇場における音楽ないし効果音楽なるものとは、ドラマそれ自体、劇それ自体とは異なる独自の効果を観客に与えているということである。本研究が当初その解明をめざしていた問題は多岐にわたるが、とりわけ重点をおいていたのは、1.ドラマや劇に附けられた音楽ないし効果音楽がドラマや劇とは独立した一つの芸術ジャンルたりうるか、2.音楽ないし効果音楽がドラマや劇と独立して観客の感情におよぼす影響がどれほどのものであるのか、3.ドラマや劇の構成を観客が理解するさいに音楽や効果音楽がどれほどの・どのような役割を担っているのか、といった問題である。そのうちでも2と3とに最も重点がおかれており、ドラマや劇と密接に関係があると思われている附帯音楽や効果音楽が、ドラマや劇の構成や演出に多分に左右されながらも、ドラマや劇に対する観客の理解をたすけ、観客の感情面をも支配しうるという側面が明らかにされるとともに、ドラマや劇の附属とされ二次的なものとする従来の考え方との違いということもいっそう際立ってきたと思われる。その意味では、附帯音楽や効果音楽について今日それなりにおこなわれている、音楽学的ないし映像(画)学的といった支配的な諸研究とことなる本研究の意義が多少とも示されたということができる。研究の実際において特筆すべきは、まず第一に、具体的な映像作品を取り上げ、映像に対する観客の反応と日楽に対する観客の反応、ならびに映像を理解するときにはたす音楽の役割を実証的な研究をおこなったことである。第二に、音楽と感情効果との関係を哲学的な原理からも追及し、その実例を文化史のなかに求めて歴史的に実証したことである。
著者
正村 俊之
出版者
大妻女子大学人間生活文化研究所
雑誌
人間生活文化研究 (ISSN:21871930)
巻号頁・発行日
vol.2020, no.30, pp.1-20, 2020-01-01 (Released:2020-02-16)
参考文献数
37

情報化が新たな段階を迎えつつある今日,AIやIoTに代表される最新の情報技術が人間の自由の実現に繋がるか否かが問われている.この問題を考察するための予備的作業として,近代的自由の成り立ちについて検討する.最初に,自由論の論点を整理し,自由論の「分析論的モデル」「生命論的モデルⅠ(主客合一論)」「生命論的モデルⅡ(主客分離=結合論)」という三つのモデルを提示する.次に,古代ギリシャから西欧近代に至るまでの過程を辿りながら,近代的自由が「因果的必然性」「国家権力」「市場メカニズム」「近代法」という四つの構造的条件に支えられた「自由の生命論的モデルⅡ」として成立したことを述べる.そして最後に,従来のメディア概念を拡張したうえで,近代的自由を規定する構造的条件とメディアとの関係について言及する.
著者
福間 聡
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.2008, no.59, pp.293-308,L22, 2008-04-01 (Released:2010-07-01)
参考文献数
15

Constructivism can usefully be seen as a view about normativity. It denies both that normativity is a constraint based on a fact which is prior to and independent of our stance (realism), and also that it is a merely causation originating in our conative attitudes (noncognitivism). It takes normativity to be a requirement which is derived from our rational choices and which is constructed by our practical reason. On this constructivist view, it becomes clear that normativity is constitutive of those who ‘are agents who make choices and judgments on the basis of reasons’. In this article, by examining moral judgments about the good from the viewpoint of Korsgaard's constructivism, I consider how it explains the normativity of moral value, and how it presents a possible means of dissolving the controversy between realism and non-cognitivism about moral value. First of all, I clearly specify what it is to be constructivist (sec. 2). Secondly, through examining a constructivist criticism of realism (sec. 3-4) and the rationalist theory about the good which constructivism advocates (sec. 5), I show that an important feature of the constructivist account of the normativity of moral value is that it emphasizes the procedure of making moral judgments in the light of our multiple agency. Thirdly, I set out what it is to be a reason-a concept which constructivism presupposes (sec. 6). Lastly, I reply to some objections to constructivism (sec. 7). In this article, I particularly take up G. E. Moore's realism and investigate onstructivism's explanation of normativity by contrast with this.
著者
内藤可夫
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 (ISSN:21858365)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.41-54, 2015-12-30

20 世紀最大の発見とも言われるミラーニューロンについて、その哲学的意味の解明の努力はほとんど行われていない。だが、存在概念や自我の否定という現代哲学の文脈から考えるならば、その重大な意義は明らかである。他者は人間にとってアプリオリだと言える。また、自我は他者の写しであり、存在概念も他者概念から派生すると考えるのが自然である。今後「概念」の概念自体もこの機能を手掛かりに考えられるようになるだろう。また、鉤状束の機能から、それらの持つ意味は畏れであると予想する事ができる。
著者
田坂 さつき 島薗 進 一ノ瀬 正樹 石井 哲也 香川 知晶 土井 健司 安藤 泰至 松原 洋子 柳原 良江 鈴木 晶子 横山 広美
出版者
立正大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2019-04-01

本研究は、日本学術会議第24期連携会員哲学委員会「いのちと心を考える」分科会委員のうち9名が参画し、同分科会委員長田坂さつきを研究代表者とする。本研究には、政府が主催する会議などの委員を歴任した宗教学者島薗進、倫理学者香川知晶に加えて、医学・医療領域の提言のまとめ役でもあり、ゲノム編集による生物医学研究の黎明期から先導的に発言してきた石井哲也も参画している。医学・医療領域におけるゲノム編集に関する提言に対して、哲学・倫理の観点からゲノム編集の倫理規範の構築を目指す提言を作成し、ゲノム編集の法規制の根拠となる倫理的論拠を構築することを目指す。
著者
金 木斗 哲
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.18, 2004

セマンゴム干拓事業をめぐる賛否両論は、従来の'開発か環境か'という対立の地域的な展開を越えて、直接的な利害関係をもたない人々をも巻き込んで全国的な展開を見せている。これを空間スケールでみると、'干拓事業の直接的な利害関係住民=生活基盤をなくすことなので反対だが,補償との関係で消極的;補償対象外の地元住民=地域振興への期待と環境悪化への不安;広域の地元(全羅北道)=地域振興への期待で賛成;全国=環境面への配慮からおおむね反対'という構図といえよう。実際に、広域の地元(全羅北道)のマスコミの論調は事業の早期完工を促すものばかりで,テレビの討論番組で反対を表明した地元大学の教員(とその所属大学)は地元住民の抗議電話で職務が中止されるほどであった。また、知事選挙を含む地方選挙では常に「複合産業団地」への用途変更を視野に入れた公約が表明されており,推進派、反対派を問わずセマングム干拓事業によって造成される土地が農地として利用されると考えている人はほとんどいない。(無論、このような図式は、理解のために単純化したものである。)このようにセマングム干拓事業をめぐる論争が全国的に拡大した背景には、セマングム干拓事業そのもののが従来の干拓事業とは桁外れに大規模であること以外にも、'地域感情'称される負の遺産を残している韓国の国土開発の展開と1980年代の民主化運動の過程で培養された市民の政治的交渉能力の向上が大きくかかわっている。したがって、セマングム干拓事業をめぐる対立構図を理解するためには、韓国における国土開発や1980年代の民主化運動に関する理解が不可欠となる。ここでは、セマングム干拓事業との関連のもとに韓国の国土開発の特徴と1980年代の民主化運動の経験を紹介し、それらがセマングム干拓事業をめぐる論争(または運動)とどのようにかかわっているかについて報告者の見解を述べたい。1.国土開発政策の展開とセマングム問題1962年に始まった第1次経済開発5ケ年計画(1962_から_1966)を契機に韓国は高度経済成長期に入り、1980年代まで華々しい経済成長と国土全体にわたる地域変動が続いた。第6次経済開発5ケ年計画(1987_から_1991)に至る過去30年間、その国土開発戦略は拠点開発(1960・70年代)、広域開発(1980年代)、地方分散型開発(1990年代)、均衡開発(2000年以降)と、地域間格差を縮小する方向へ変わりつつあると言われているが、1960年代から始まった国土空間の両極集中(ソウルを中心とする首都圏と釜山を中心とする東南臨海地域)は依然として解決に向かわず、国土面積の約25%に過ぎないソウル_から_釜山軸上に総人口の70%以上が住んでいる。このような過程で開発の恩恵から最も遠ざかっていたのが湖南地方と呼ばれる全羅南道と全羅北道であり、この地域における開発からの疎外感は、当地域出身の政治家である金大中氏への迫害への憤慨とも相まって,「抵抗的地域主義」を生み出した。セマングム干拓事業に対する地元(全羅北道)の執着には、このような国土開発からの疎外に対する補償心理も大いに働いており,複合産業団地のような地域経済への波及効果の大きい産業部門への用途変更がその前提となっている。2.1980年代の民主化運動の経験とセマングムセマングム問題の社会的な表様態が諫早のそれとと大きく異なる原因の一つは、1980年代の民主化運動の経験から蓄積された市民運動団体の組織力と高い政治的交渉能力から求められよう。韓国の民主化運動に参加した個人や組織は、リベラルな市場主義から社会主義までの多様な理念的なスペクトラムをもっていたが,「反独裁民主化」という共通の目標(戦術的であれ戦略的であれ)のもとで戦った。1990年代に文民政府(金永三政権)が誕生して以来、反独裁民主化戦線はほぼ消滅し,運動はそれぞれの専門領域ごとに細分化していった。こうした中で本格化したセマングム保存運動では、1980年代の民主化運動の過程で蓄積された連帯、連携、戦線の経験が存分に発揮され、環境運動団体のみならず宗教界、労働界など市民運動団体のほとんどが参加する国民的な運動へ発展しつつあり、「生命」という哲学的な概念で結ばれている。その結果,セマングム干拓事業をめぐる論争は、初期の「科学的なデータ」の解釈をめぐる部分的なものから、哲学的かつ全国的なものへと拡大しつつある。