著者
吉田 洋平 浜田 望 国松 昇
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
情報処理学会研究報告音楽情報科学(MUS) (ISSN:09196072)
巻号頁・発行日
vol.2006, no.133, pp.49-54, 2006-12-16

遺伝的アルゴリズム(CIA)を用いて被験者の好みを反映した楽曲を作成する対話型GAの研究が広く行われている。対話型GAを用いる際、被験者は自身の好みを作成する楽曲の中に反映することが出来ることになる。しかし実際には、提示されたメロディーを被験者が評価しやすくするためにメロディーに何らかの規制(#、bがメロディーに入らない等)をつけなくてはならず、被験者の好みを反映した楽曲が作成出来るとは言い難い。そのため、本研究では、作成するメロディーをジャズのアドリブソロに限定し、GAの評価部分にマルコフ過程などを用いることによって、対話型GAの被験者に提示するメロディーをより判断しやすいものにするための手法を提案する。Studies on interactive GA are widely performed to realize automatic music composition system.lt aims to compose music reflecting the subject's favor.The subject can reflect his favor in music through interactive GA.In this process,we actually have to apply some restrictions to the melody to evaluate composed music .Our aim is to realize automatic composition system to evaluate music easily for subject,especially by focusing on Jazz music. In the method, Markov process modelling and music theory are used for evaluation function.
著者
鈴木 信吾
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
no.44, pp.177-204, 1994-10-20

L'italiano antico presenta spesso un tipo di frase che comincia con un costituente diverso dal soggetto. Nel presente saggio cerchiamo di cogliere alcune proprieta pragmatiche di tali costituenti, mettendoli a confronto con quelli dell'italiano moderno similmente anteposti al verbo. Prima di operare tale verifica, consideriamo, come punti di riferimento, quali mezzi sintattici esistono, in italiano moderno, per spostare a sinistra un elemento diverso dal soggetto(§1)e quale meccanismo permetteva all'italiano antico di fare altrettanto(§2). In base a queste osservazioni possiamo ritenere che due anteposizioni di tipo moderno, quelle anaforica e contrastiva, riecheggino in qualche modo la struttura dell'italiano antico. Esaminiamo in seguito, mettendo a fuoco l'italiano antico, le proprieta pragmatiche dei costituenti anteposti che vengono condivise da quelli delle due anteposizioni di tipo moderno(§3). Proseguendo nello stesso esame, consideriamo alla fine il caso della dislocazione a sinistra, cioe il caso in cui il costituente anteposto presenti un pronome clitico di ripresa(§4). Nel corso di tale analisi verifichiamo che, in italiano antico, la funzione anaforica degli elementi anteposti, che oggi e conservata per lo piu nello stile elevato, si estendeva anche a quello colloquiale, mentre la loro funzione contrastiva si esprimeva in diversi gradi di intensita:piu intensa e la loro funzione contrastiva, piu si avvicina a quella dell'anteposizione contrastiva di tipo moderno. In definitiva, la costruzione con un costituente anteposto al verbo oltrepassava, da un lato, il limite che oggi ha l'anteposizione anaforica e si avvicinava, dall'altro, alla sfera dell'anteposizione contrastiva, coprendo cosi un insieme dei contesti che oggi farebbero scattare l'esigenza di una ripresa pronominale. La ripresa pronominale dell'italiano antico, invece, si poteva avere essenzialmente quando il costituente anteposto non era adiacente al verbo. D'altra parte, il fatto che essa si trovasse anche in alcuni rari casi di costituenti contigui confermerebbe, dal punto di vista diacronico, un ulteriore passo in avanti verso l'italiano moderno.
著者
有元 健
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.45-60, 2015

本論は、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催を契機として新自由主義的な国策と都市形成が結びつきヘゲモニーを構築するあり方を、東京大会招致から決定後の諸言説・表象を素材として分析し批判するものである。本論はまず、「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」という招致スローガン及びポスターを記号論的に分析する。そこでは領土的な意味合いを視覚的に連想させる「日本」ではなく音声化された「ニッポン」という記号が用いられることによって情緒的なナショナリズムが喚起されると同時に、東京という個別的な都市が「ニッポン」に置き換えられることによって、個別の利益が全体の利益を代表=表象するというヘゲモニー構造が自然化される。本論は次に、東京大会開催決定後のエコノミストや都市政策専門家の新自由主義的言説の中で2020年東京大会がグローバル・シティとしての東京の都市開発戦略にどのように奪用されているかを分析する。そこではオリンピック開催を契機とした都市開発をめぐるユーフォリアがたきつけられながら、アベノミクスの経済政策と東京一極集中化が肯定されていく。だがそうした都市開発や経済政策の受益者は階級的に選択されたものとなる。本論は最後に、そこで語られるオリンピック・パラリンピック開催の「夢の力」が、現実にはどのような結果を導きうるのかを2012年ロンドン大会の事例を参照しながら批判的に捉えていく。レガシー公約とは反対に、ロンドン大会が生み出した都市のジェントリフィケーションは貧困層を圧迫し、またスポーツ普及は全体として進まず、参加者の階級的格差が広がっている。「夢の力」を当然のように期待し、それが良きものだと前提することは、オリンピック・パラリンピックというスポーツ文化を奪用しようとする限られた一部の特権的な受益者を批判する視点を失うことになる。
著者
大澤 昇平
出版者
東京大学
巻号頁・発行日
2015

審査委員会委員 : (主査)東京大学特任准教授 松尾 豊, 東京大学教授 元橋 一之, 東京大学特任教授 阿部 力也, 東京大学特任講師 森 純一郎, 国立情報学研究所教授 武田 英明
著者
野口 孝俊 浦本 康二 鈴木 武
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木学会論文集D2(土木史) (ISSN:21856532)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.20-29, 2014

第二海堡は,軍事要塞として明治32年に人工島が竣工し,建設後100年が経過している.その間,第二海堡は1923年の関東大震災によって被害を受け,長年の風浪等により劣化・損傷・崩壊が進行している.現在,護岸の保全を行い,その一部は当時の護岸を復旧させることを検討している.本稿は,工学的立場から,国内で初めての海上人工島築造に対する海堡建設計画,建設技術,設計技術など明治期土木構造物の建設技術をとりまとめ,現代技術への展開について考察を行った.
著者
大沼 靖彦
出版者
社団法人日本産科婦人科学会
雑誌
日本産科婦人科學會雜誌 (ISSN:03009165)
巻号頁・発行日
vol.29, no.9, pp.1065-1073, 1977-09-01

女性骨盤の発育と性機能の成熟との関係を検するため,6〜14才の男女について,骨盤外計測,身体一般計測及び性ホルモンのLH・FSH・Estrogen (Es)・17-KSの測定を行つて,次の成績を得た. 1) 女子骨盤は,身長・スパンなどの長管骨の成長に男女差のない6〜10才の小児期においても男子に比べて有意差をもつて大きく,その形態も有意差をもつて男子に比べ前後径が大きい円形に近いことが特徴的である.この年令層では性ホルモン値には差異はないことから,かかる男女差は性差による先天的遺伝因子の相異によるものと推測される. 2) 性ホルモンのLH及びEs値が月経発未前の1年以内に有意差の上昇を示し,これと平行して骨盤指数の有意差の増大もこの時期の9→10才及び10→11才の間にみられた. 更に,月経発来時期の前後それぞれ2年計4回の連続計測による各計測値の年間の伸び率の検討により,卵巣Es分泌の冗進する月経発来の直前に身長とともに骨盤も著しく発育するが,長管骨に比べて骨盤の発育の方が有意差をもつて大きく,且つその後,身長の成長は止まるが,骨盤の方は月経発来後の少なくとも1年間は更に有意差の伸長を示し,且つ前後径が横径に比べて有意差をもつて更に成長して成人女性型の骨盤に近づくことが示された.月経発来の頃の女性骨盤の顕著な発育には性機能の成熟特に卵巣Es分泌の亢進が大きな役割を果たしていることが示唆される.
著者
蜂須賀 正氏
出版者
北海道大学
巻号頁・発行日
1950

博士論文
著者
安藤 良平
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
no.15, pp.p1-19, 1982-03

前稿に登場した落合直亮は明治の国文学者、歌人落合直文の父であるが、本稿に述べる権田直助、藤川三渓とともに多くの著述をのこしている。幕末から明治にかけて尊王攘夷家が丹念に記録をのこし、文章をものしている理由について本論で若干の考察をしたい。かれらは維新の表舞台で活躍した雄藩の出身でないから、働いたわりには、戦後の生活は恵れなかった。また自ら売り込んで猟官運動をするほどの厚かましさもなかった。もっとも、晩年になって権田や藤川の尊王運動の語り口が、おおげさになったのは国家の処遇にたいする反感があったのかもしれない。革命期にはこのような中級の運動家は、御用済になれば、使いすてになるのは、いつの時代でもおなじである。自分の望むところに働き、著述に励むことのできたかれらはまだ幸福といってよい。多少の感慨をもって、かれら国事鞅掌者の生きざまを追ってみた。
著者
杉田 早苗 小林 宣洸 土肥 真人
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画. 別冊, 都市計画論文集 = City planning review. Special issue, Papers on city planning (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.45, no.3, pp.751-756, 2010-10-25
参考文献数
10
被引用文献数
1 1

本研究では、ホームレスにとって重要な場所である寝場所の移動を把握し、またその移動と様々な形態をとる排除との関係を考察することを目的とする。川崎市のホームレス支援NPOが所有するデータを個人別データベース化し、寝場所の移動の実態と傾向を把握するとともに、ヒアリング調査と資料調査からホームレスの排除事例と排除された場所の現在の利用状況を検証し、移動と排除の関係を分析した。結論は以下の3点である。1.川崎市のホームレス支援NPOから提供を受けたデータを個人別データベースとして構築し、寝場所の移動の実態を明らかにした。2.寝場所を移動している人は全体の60%程度であり、また河川では一定の場所で野宿を継続する人が、公園や道路、駅では移動を繰り返しながら野宿する人が多いことがわかった。3.排除行為の発生は公園、道路、駅にある寝場所で起こることが多く、河川では少ない。このことが結論2の移動と固定と関係あることが推測される。
著者
伊藤 真梨子
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.17, pp.115-152, 2019-03

本稿では一見近代化との関係が強いようには見えない漢字語基の中にも、日本の近代化に伴いその使用が増大し定着していったものがあることを提示した。具体的には、「特」を含む二字漢語について初出年代を調査し、「特」語彙が大きく増加した時期が幕末から明治10 年(1854~1877)の間であることを示し、この時期が初出である27 語のうち半数以上が現在もよく通用するものとして残っていることを明らかにした。また、「特」が後項にくる二字漢語は7 語と少なく、大正時代以降が初出のものはないことも確認した。次に、「特」語彙が持つ意味を、「(1)雄牛。(2)つれがない。ひとり。(3)すぐれている。(4)他とは異なる。」に分け、「特」が元々持っていた(1)の意味の二字漢語は日本では使用されず、(2)~(4)の意味はいずれも近世以前から見られることを示し、(4)の意味を持つ語が全体の7 割以上を占めどの時期でも多いこと、(2)の意味を持つ語は少なく、第二次大戦後が初出のものはないこと、(3)の意味を持つ語は幕末から第二次大戦まではある程度の数が見られたものの、初出例が戦後の語は1 語のみであることを確認した。| This paper offers that one type of base which does not seem to have a close relationship with modernization came to be used more and to take root in the society along with the modernization of Japan. In other words, it examines the year in which Sino-Japanese vocabulary made from two Chinese characters with "toku"(特)(hereinafter called "toku vocabulary")appeared for the first time, indicates that toku vocabulary increased greatly from 1854 to 1877, and clarifies that more than half of all 27 words which appeared in this period are still used now. Moreover, it confirms that there are only 7 words in which 特 is the last character, and that there were no new words introduced after the Taisho period. Next, this paper classifies the meaning of toku vocabulary into(i)bull(ii)alone(iii)superior(iv)different from others. This indicates that toku vocabulary in(i)is the oldest meaning and is not used in Japan, and that (ii)┉(iv)have been in use since the pre-modern period. In addition, it is confirmed that the words in(iv) account for more than 70% of words in all times, words in(ii)are few and there have been no new words since the end of World War II, and while some words in(iii)have been seen from the end of the Edo period to World War II, there is only one word that first appeared after the war.
著者
竹本 知行
出版者
同志社大学
雑誌
同志社法學 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.55-87, 2007-09

明治三年一〇月、兵部省は陸軍兵式を仏式に統一すると布告した。仏式は、明治二〇年に陸軍大学校教官として来日したドイツ陸軍のメッケル少佐の勧告にしたがってドイツ式に転換されるまで日本陸軍の兵式として採用された。そのため、この期間は各種の陸軍学校ではもっぱら仏式による教育が行われることとなった。しかし、大村益次郎の遺策である大阪兵学寮では明治三年一月の開校時からすでに仏式に倣った教育がなされていた。仏式での兵式統一がなされた当時、英式を主張する薩摩藩勢力と仏式を主張する山口藩勢力との対立は深刻であり、しかも英式を採用していた諸藩が多かった中で、大村は山口藩の意向とは無関係な別の地平に立った上で仏式採用に強いこだわりを持っていた。この大村の遺志に沿って、兵制統一の布告の前でも、大阪兵学寮での教育は仏式で行われていたのである。そして、この大阪兵学寮の実績が仏式統一を後押ししたことは疑い得ない。しかし、兵制統一問題における英式と仏式の対立の中、仏式での統一がどのように実現したのかについての研究は、明治六年の「徴兵令」制定前後のいわゆる仏式か普式かをめぐる研究に比較しても、決して十分とはいえない。 また、大阪兵学寮は将来の徴兵制の導入を前提に、大村が国民軍隊の基幹となる士官を養成しようとしたものであった。そのため、大村においては士官教育のめどが付いた時点で徴兵制を施行する構想を持っていた。大村の死後、その建軍プランの実現は極めて困難な状況になったが、兵部大丞山田顕義ら大村の後継者達は明治三年一一月に徴兵制の一部実施となる「徴兵規則」を発布するに至る。つまり大阪兵学寮の操業と同規則の発布は不可分の関係にあるのだが、両者の関係および大久保派との対立の中でどのように実現したものかという問題については今日必ずしも明らかではない。これまで、「徴兵規則」については、それが制定後わずかに半年で廃棄されたことからあまり重要視されてこなかったためである。 陸軍における仏式統一と「徴兵規則」の制定は密接に関係した事業であり、それらは兵学寮の操業によってもたらされた。そして、その何れも大久保派との対立の中で決してスムーズに実現されたものではなかった。それら事業の実現の過程において両派が何を論点として対立していたのか。本稿では、兵学寮と仏式兵制・「徴兵規則」の不可分の関係を確認しつつ、大村の遺策が彼の後継者によってどのように実現されたのか、その過程の実相について分析している。
著者
佐々木 嘉光 内野 恵里 山口 ゆき 美津島 隆
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.B4P2146, 2010

【目的】重症熱中症は、意識障害を含む中枢神経障害をはじめとした多臓器不全(MOF)を呈する疾患であり、48時間以上の遷延性意識障害例で小脳症状の後遺症を来すとされている。今回、熱中症発症後に48時間を越える遷延性意識障害とMOF等を呈し、小脳症状等の後遺症を来した症例を経験した。発症から自宅退院までの経過をまとめ、機能予後について検討したので報告する。<BR>【症例】40歳代前半、男性。持ち家一人暮らし。業務中に行方不明となり、2日後に車内で倒れているのを発見されA病院へ救急搬送。意識レベルはJCS 300、血圧76/37mmHg、直腸温41.7&deg;Cであった。重症熱中症によるMOF、横紋筋融解症と診断され、腎不全に対し人工透析(HD)を週3回実施。脳波検査、頭部MRIで異常所見はなかった。遷延性意識障害が続き、発症2ヶ月後よりリハビリを開始。訓練開始1週間後、HDとリハビリ目的で当院転院し、同日より訓練(PT・OT・ST)開始となった。HDは転院2週間後に腎機能改善し離脱した。入院時検査所見では、BMI 20.9Kg/m<SUP>2</SUP>、心電図で洞性頻脈を認め、頭部CTは正常であった。安静時血圧は120/90mmHg、心拍数は105拍/分。精神機能は興奮、幻視、せん妄、見当識障害、記銘力障害がみられた。言語はジャーゴン様発話で強い不明瞭発語の構音障害を認め、失語症の評価はせん妄のため困難であった。また嚥下障害を認め中心静脈栄養管理であった。MMTは上肢1~3、下肢4<SUP>-</SUP>~4。深部筋腱反射は右アキレス腱・左上腕三頭筋腱で亢進、左膝蓋腱で正常、他減弱。病的反射は陰性。感覚は精査困難で筋緊張は低下。基本動作は全介助で寝たきりレベル。ADLはFIM 18点、協調運動は体幹失調試験ステージ4、国際協調運動評価尺度(ICARS)92点で姿勢および歩行障害・運動機能障害・構音障害・眼球運動異常を認めた。<BR>【説明と同意】本人に対して症例報告の目的、方法、参加・協力の拒否権、個人情報の保護、利益、公表方法について書面および口頭で説明を行い、同意と署名を得た。<BR>【訓練・経過】発症後約2.5ヶ月からリハビリ開始。理学療法(2~3単位)は、筋力維持・増強訓練、基本動作訓練、起立・歩行訓練を実施。運動負荷は%HRの65~75%程度、Borg scale 11~13とした。作業療法(1~2単位)は、高次脳機能訓練、両上肢巧緻動作訓練、ADL訓練を実施。言語療法(1~2単位)は、摂食・嚥下訓練と構音障害・失語症の評価と訓練を行った。訓練開始当初は起立性低血圧を認めたが、発症後約3ヶ月で車椅子駆動訓練、4輪型歩行車(CW)の介助歩行訓練を開始。寝返りは自立し、食事はきざみ食となった。標準失語症検査(SLTA)では、単語レベルでの理解と表出は可能であった。ICARSは79点で、座位・立位時の著明な体幹動揺と失調性歩行を認めた。発症後約4ヶ月で精神機能が著名に改善し、起立・着座訓練、リカンベント式エルゴメーター、踏み台昇降訓練、CW歩行訓練(40m)、バランス訓練実施。FIMは77点、食事は常食、SLTAは正常域で失語症は否定された。ICARSは72点で構音障害は不明瞭発語であるがほとんどの語は理解可能となった。発症5ヶ月後FIMは113点、ICARS 58点で、6ヶ月後FIMは122点、ICARS 35点となった。発症から9.5ヶ月後に頭部MRIを実施した結果、小脳に軽度の萎縮を認めた。10.5ヶ月後に独居の準備も整い、主治医と相談のうえ自宅退院となった。退院時はMMTが上肢4<SUP>+</SUP>~5、下肢5<SUP>-</SUP>~5、基本動作自立、手押し歩行車歩行は10m最大歩行速度7秒87、6分間歩行300m、独歩は見守りで10m程度可能、FIM 122点となった。体幹失調試験はステージ2、ロンベルグ徴候陰性、ICARS 27点で、最終的に小脳症状の後遺症(姿勢および歩行障害・構音障害・運動機能障害・眼球運動異常)が残存した。<BR>【考察】本症例は、発症後約2.5ヶ月間は全身状態が安定せず臥床状態が続き、予後は転院時でも予測できなかったが、約8ヶ月間のリハビリの実施により精神・運動機能、歩行能力と失調症状、構音障害とADLが改善した。発症4ヶ月頃より精神機能の改善と合わせてICARSとFIMは加速的に向上し、全般的な小脳症状が残存したが自宅退院に至り、機能予後は比較的良好であった。発症時の高体温による重度のMOFと48時間を超える遷延性意識障害を来す重症例では、意識レベルや精神機能が改善するまでの廃用予防と、精神機能改善後の集中的なリハビリが必要と考えられた。<BR>【理学療法学研究としての意義】理学療法においては、これまで小脳症状とADLの程度を示した報告が少なく、稀な疾患であり、症例報告の蓄積によって今後の理学療法学の発展に寄与すると考える。