著者
古明地 樹 Tatsuki KOMEIJI コメイジ タツキ
出版者
総合研究大学院大学文化科学研究科 / 葉山町(神奈川県)
雑誌
総研大文化科学研究 = SOKENDAI Review of Cultural and Social Studies (ISSN:1883096X)
巻号頁・発行日
no.16, 2020-03-31

大坂の書肆、柏原屋(渋川清右衛門、稱觥堂)は、渋川版と称される『御伽文庫』や、『女大学宝箱』等を出版したことで知られる。一方で、鈴木春信をはじめとする浮世絵師に影響を与えた橘守国画作『絵本写宝袋』(享保五(一七二〇)年刊)、合羽摺り絵本の嚆矢となった大岡春卜画『明朝紫硯』(延享三(一七四六)年刊)等を刊行し、大坂を中心とした享保期以降の絵本流行を支えた板元の一つにも数えられる。これらの影響を考えれば、絵本研究の視点から柏原屋の活動を明らかにする意義は大きい。この考えに基づき、本稿では柏原屋の初期絵本を取り上げ、その出版活動を論じることで、享保期における絵本流行の一端を明らかにすることを目的とする。享保五(一七二〇)年以前の成立となる柏原屋の絵本広告には、『絵本草源氏』『絵本清書帳』『絵本稽古帳』『絵本たから蔵』『絵本忘草』『絵本ふくらすゝめ』『絵本手帳綱目』『万物絵本大全』の八作品が載る。本稿では、これらを柏原屋が刊行した初期における絵本として取り上げ、その書誌を記すと共に作品の成立過程について考察することで、柏原屋の絵本出版の諸特徴を把握することに努める。この伝本調査により、柏原屋の刊記を有する『絵本清書帳』は『絵本手帳綱目』を求板後に改修した内容を持つこと、板木の改修跡より『絵本稽古帳』や『絵本忘草』等の作品が求板版であること等が判明した。また、これらは伝本の少ない稀覯本であるが、上述の作品に対する考察や、作品の構成に改修によって生じたと推測される不和が認められることから、初期の柏原屋絵本が総じて後修本である可能性が高いと判断する。『絵本手帳綱目』、『絵本ふくらすゝめ』、『万物絵本大全』を除く作品に柏原屋の刊記が確認され、全ての伝本が「享保三年五月」(一七一八)の年記を有する。しかし、刊記の分析を行った結果、これら八作品の印時期にはずれが生じている可能性があると推測できる。則ち、柏原屋は享保五年以前に八種の絵本板木を有していたものの、作品によって印・修の時期が大きく異なる可能性を指摘するKashiwara-ya is an Osaka bookstore well-known for publishing Otogi-bunko, a collection of illustrated short stories called Shibukawa-ban, in the Edo period. The bookstore also published many ehon, or books featuring illustrations, that are significant works for ehon studies including Ehon-Shahoubukuro and Minchoshiken. Although Kashiwara-ya played an important role in publishing ehon after the Kyoho era, preceding studies have not considered Kashiwara-ya as a publisher of ehon. Thus, this study investigates Kashiwara-ya's early works and considers its publication activity.Eight books—Ehon-kusagenji, Ehon-seishocho, Ehon-keikocho, Ehon-takaragura, Ehon-techokomoku, Ehon-wasuregusa, Ehon-fukurasuzume and Banbutsu-ehon-taizen—are listed in a Kashiwara-ya advertisement published before 1720. This paper considers these books to be Kashiwara-ya's early works. These books were published to provide patterns of paintings for artists. Since this has rarely been examined in preceding studies, this paper compiles a bibliography and identifies the characteristics of these early works.The paper first organizes a bibliography of each work and makes inferences, e.g. woodblocks of Ehon-techokomoku were bought by Kashiwara-ya and the bookstore repaired them to sell them as Ehon-seishocho. As a result of such inferences and mismatches in the composition of the eight books, it is also possible to ascertain the possibility that almost all the woodblocks used in Kashiwara-ya's early works were repaired after purchase, i.e. these early works were not made by Kashiwara-ya.Secondly, the paper analyzes diversity in publication dates. Although Kashiwara-ya's early works have same publication date of 1718, these descriptions are unreliable because the woodblocks of the publication dates were allocated among o-hon, one of the formats of Japanese books. The degrees of frictional wear of the woodblocks are different, and this difference tells us the sequence of printing.A hypothesis concerning Kashiwara-ya's early works is derived based on the above. Although Kashiwara-ya had woodblocks to publish eight ehon and had rights to publish them before 1718, the eight books were not published at the same time.
著者
藤原 秀彦 牧井 忠 米元 俊一
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学紀要 = Memoirs of Beppu University (ISSN:02864983)
巻号頁・発行日
no.58, pp.159-162, 2017-02

豆乳ヨーグルトは乳酸菌の乳酸発酵により生じた乳酸が豆乳中のタンパク質を変性させ固化したものである。本研究では福岡県宗像市の発芽玄米浸漬水中から乳酸菌を分離し安全性を評価し、より風味のよい豆乳ヨーグルトを作成し、市販することを目的とした。発芽玄米浸漬水中から3株の乳酸菌様微生物を分離し、同定を行った結果、病原性・毒性がない微生物であることが示唆された。これら2菌株を用い豆乳ヨーグルトを作成した。
著者
池本 美和子
出版者
佛教大学社会学部
雑誌
社会学部論集 (ISSN:09189424)
巻号頁・発行日
no.37, pp.1-16, 2003-09

近年,福祉国家の再構築をめぐる論議が進む中で,その基本原理である社会連帯に注目する動きがみられる。基礎構造改革の理念にも社会連帯に基づく支援が掲げられているが,その分析は充分とはいえない。かつて19世紀末から20世紀の初頭にフランスでは社会連帯主義が提唱され,日本でも一時期,社会事業を支える思想として注目されたことがある。その際に,道徳的規範として浸透が図られるという特徴をもっていたが,今日の論議はその影響を払拭したとはいえない状況にある。道徳的規範を超えて,法規範としてどう論議を深めていくかが問われている。あらためて,過去のあゆみを振り返りながら,個人の自由のための連帯を権利として位置づけ,それにむけた国家の責任を求めていくという方向が必要である。社会連帯社会保障法福祉国家論基礎構造改革法的規範
著者
森川 敏育
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学人文学部研究紀要 (ISSN:13495607)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.151-169, 2008-03-31
被引用文献数
1

有馬,下呂と並び日本三名泉といわれる草津温泉は,高温で強酸性泉であるが故に,古くから薬湯としての効果が高く,かつて不治の病といわれたハンセン病患者が治療のために多く集まった。現代の不治の病「がん」患者が,秋田県の八幡平山麓にある玉川温泉に,一縷の望みを掛けて全国から集まってくるのに似ている。草津温泉は,明治2年(1869)の大火災以降,旅館業界に世代交代が起り,それまでハンセン病患者と一般湯治客が混在していた温泉街で,ハンセン病患者を分離させようとする動きが起り始めた。そして世界的にも例をみない,ハンセン病患者による自治集落「湯之沢」が誕生した。しかし,この動きこそが戦後の高原観光都市化へと発展し,湯治場温泉から広域観光の基地とスポーツ,音楽の観光温泉地へと脱皮するプロローグとなった。草津温泉が,過去の歴史的時代にハンセン病とどのようにかかわりを持ちながら今日に至ったかを,観光地理学的に明らかにしたい。
著者
小西 達男
出版者
日本気象学会
雑誌
天気 (ISSN:05460921)
巻号頁・発行日
vol.57, no.6, pp.383-398, 2010
参考文献数
35

過去300年で最も強大とされる1828年シーボルト台風(子年の大風)について,古文書,シーボルトによる観測記録等を元に,災害の実態,原因,台風の勢力,高潮の状況を調べた.その結果,(1)佐賀藩の被害は,死者数が8,200~10,600人,負傷者数が8,900~11,600人,全壊家屋が35,000~42,000軒,半壊家屋が21,000軒程度である.佐賀藩の人口を36~37万人とすると死亡率は2~3%となる.また家屋数を8万軒とすると,建物の全壊率は約50%,全半壊率は75%程度となる.(2)北部九州での被害は,死者数が13,000~19,000人,全半壊家屋が120,000軒以上である.(3)台風は長崎県の西彼杵半島に土陸し,佐賀市北部を通って北部九州を縦断し,周防灘から山口県へ再上陸したものと思われる.中心気圧は935hPa程度,最大風速は55m/s程度と考えられる.(4)顕著な高潮被害が有明海,周防灘,福岡湾等で生じている.上の推定を基にした高潮数値シミュレーションによれば,それぞれの港湾で4.5m,3.5m,3mを超える最大潮位偏差となり,古文書による被害地域とよく一致する.(5)台風による高潮害の特徴は,類似のコース,勢力で九州北部を通過した台風9119号で観測された高潮とよく一致しており,台風経路の推定が妥当であること及びこのコースが北部九州地域にとって極めて危険であることがわかった.
著者
佐藤 麻衣
出版者
京都女子大学
巻号頁・発行日
2020

identifier:http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/handle/11173/2921
著者
塩谷 惇子
出版者
清泉女子大学
雑誌
清泉女子大学紀要 (ISSN:05824435)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.61-85, 2002-12-25

キリスト教は世界平和に貢献できるのだろうか。宗教そのものに問題はないかという問いが、アウシュヴィッツを経験したヨーロッパのキリスト教徒にとって深刻な問題であることをイスラエルに滞在中私は感じ取った。現在、世界平和の大きな焦点の一つである中東の政治状況をみると、10年前には、ユダヤ教とキリスト教の歩み寄りが積極的に行われていたかのように見えたことが、やはり表面上の動きにすぎなかったのかと思わざるを得ない。1993年9月にはノルウェーを仲介としてイスラエル・パレスチナ和平交渉が成立した。その年の12月末には歴史上はじめてイスラエルとバチカンとの間に国交が回復した。その頃、私は研究休暇でエルサレムのラティスボン・ユダヤ教研究所に滞在していた。翌1994年2月の初め、エルサレムで「現代社会と科学技術の挑戦に直面するユダヤ教徒とキリスト教徒の国際大会-世俗社会における宗教的リーダーシップ」(The International Jewish/ Christian Conference on Modern Social and Scientific Challenges-Religious Leadership in Secular Society)が開催された。この大会には世界96カ国から約500名が集まったが、私は傍聴人としての参加がゆるされ、そこでユダヤ教各派、キリスト教各派のリーダーの話に接することにより、諸宗教間対話の必要性を痛感した。
著者
大木 清弘
出版者
特定非営利活動法人 グローバルビジネスリサーチセンター
雑誌
赤門マネジメント・レビュー (ISSN:13485504)
巻号頁・発行日
vol.15, no.10, pp.509-522, 2016

<p>本稿は経営学分野の学術論文における「筋が悪い」リサーチクエスチョンを説明したものである。まず、学術的ではないビジネスレポート的リサーチクエスチョンを取り上げる。次に、学術的だが筋の悪いリサーチクエスチョンとして、(1)「無知」によるリサーチクエスチョン、(2)「無謀」なリサーチクエスチョン、(3)「無理矢理」なリサーチクエスチョンをとりあげる。その上で、「筋が悪い」リサーチクエスチョンに陥らないために考慮すべきことを議論する。</p>
著者
島村 宣男
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
no.127, pp.55-80, 2012

On the release of a new foreign film in Japan, the Japanese companies go out of their way to put the original for instance, into `Japanese,' like 2001-nen: Uchuu no Tabi for Stanley Kubrick's 2001: A Space Odyssey(1968), Michi tono So-gu- for Steven Spielberg's Close Encounters of the Third Kind(1977), etc. Some titles have nicely taken root among movie-goers, others have remained odd enough for some reason or other. In recent years, the trend is to give random katakana-transcribed titles. Such meaningless Japanese titles, for what?
著者
求 幸年
出版者
物性研究刊行会
雑誌
物性研究 (ISSN:05252997)
巻号頁・発行日
vol.89, no.6, pp.863-907, 2008-03-20

固体中の電子が互いにクーロン斥力を強く感じながら運動する系-強相間電子系-では、見かけの単純さからは全く想像もつかないような多彩な物性が現れる。特に、電子相関の結果として電子が局在あるいは局在しかかった状態にあるとき、通常の金属には見られない異常な物性が、磁性や伝導・光学特性などに現れることがある。これは、電荷の自由度が凍結しかけたことによって、電子のもつ「別の顔」であるスピンや軌道の自由度が表に出てきて、種々の対称性の破れや揺らぎを通じてマクロな物性を支配するためである。こうした新奇な物性の発現メカニズムをミクロな視点から明らかにすることが、強相関電子系の研究における目標のひとつである。本講義では、急速かつ濃密に展開する強相関電子系研究におけるダイナミズムを、電子のもつ電荷・スピン・軌道自由度の競合と協調という切り口で紹介する。電子のもつスピンや軌道の自由度とは何か?それらはどのような場合にどのような形でマクロな物性に顕在化するのか?といった基本的な問いに答えることから始めて、研究のフロンティアにおける最新の話題まで議論する。具体的に取りあげるトピックは、3d軌道の電子が主役となる系のうち、e_g軌道あるいはt_<2g>軌道の縮退が重要な役割を果たしているペロフスカイト化合物、t_<2g>軌道の自由度と格子構造のフラストレーションが絡んだ面白い物性を示すスピネル酸化物、および巨大磁気抵抗効果を示すマンガン酸化物系などである。基本となる概念の学習と最先端の研究の間のギャップを埋めて、この分野に不慣れな方にも強相関電子系の研究の面白さを感じてもらえるようにしたい。
著者
大河内 勇 大川畑 修 倉品 伸子
出版者
一般社団法人日本森林学会
雑誌
日本林學會誌 (ISSN:0021485X)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.125-129, 2001-05-16
被引用文献数
3

道路側溝への両生類の転落死は両生類減少の一因として問題とされている。それを防止するために, 簡易な後付けスロープ型脱出装置をつけた場合の効果, 脱出装置の改良方法を調べた。スロープ型脱出装置をつけた場合, アズマヒキガエルでは側溝からの脱出数が多くなるという効果がみられたが, ニホンアカガエルでは装置がなくともジャンプによる脱出が可能なため効果はわからなかった。脱出装置は, 一部の種とはいえ効果があるので, 道路側溝につけるべきである。移動力の弱いアズマヒキガエルの幼体を用いた脱出装置の改良実験では壁面の角度が30度以下になると, 壁面が乾燥条件でも全個体脱出できた。これらから, 100%脱出可能な側溝は, 角度が30度より浅いV字溝になることを示した。
著者
仲 紘嗣
出版者
一般社団法人日本心身医学会
雑誌
心身医学 (ISSN:03850307)
巻号頁・発行日
vol.51, no.8, pp.737-747, 2011-08-01

「心身(シンシン)一如」は心身医学で重要な概念であるが,この言葉の由来は従来から「道元の言葉"身心(シンジン)一如"とされ,」とあいまいである.近年は栄西の言葉「心身(シンジン)一如」とする説もある.栄西(1141〜1215年)は1198年に『興禅護国論』を執筆しているが,その原本は紛失して現存していない.現在,われわれが一般に読むことができるのは1778年以降の校訂本である.その校訂本では,「心身一如」を含む前後の句を『禅苑清規』(1103年,中国の文献:禅僧の生活規範が記してある)から引用して示している.しかし,『禅苑清規』には「心身一如」ではなくて「身心一如」と記載されている.したがって,栄西の執筆時の言葉は「身心一如」であったと推測される.一方,道元(1200〜1253年)の言葉「身心一如」の出典は『正法眼蔵』「辧道話」(1231年)である.道元の言葉を今日用いている「心身一如」の由来とするには身と心の語順の逆転が問題となるが,そのことに関しては本文で示した理由により納得できるものであった.以上,これらの言葉の出典や原典の検討から,今日用いている「心身一如」の由来は道元の言葉「身心一如」であって,また,「身心一如」は推測ながら栄西の執筆時の言葉でもあったであろう.道元・栄西それぞれの言葉の意味するところは本文で示した.歴史的には「身心一如」は身を重視し「心身(シンシン)一如」は心を重んじてきた.「心身一如」の本来の意味は身を重視した「身心一如」にあり,この概念は心身医学分野ですでに生かされているが,いっそうこの点を念頭に置いて研究・診療にあたるべきであろう.