著者
冨永 光昭
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. IV, 教育科学 (ISSN:03893472)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.47-56, 1997-08

本稿は,1996年3月27日から1996年4月4日にかけてのスイス研修を基に,スイス障害児教育研究をすすめるパースペクティブを提示することを目的としている。スイスでは,ハンゼルマン,モア亡き後,ヘーベルリン,コビー,ビューリー等により治療教育学の理論化の作業が進められている。この現代スイス治療教育学の動向を明らかにすることが課題として示された。また,スイスの障害児教育システムには,1960年に施行された連邦障害保険法の存在が大きな影響を与えている。この法令が有する問題点を詳細に跡づける必要があろう。さらに,スイスは26の州による連邦国家で,ドイツ語圏,フランス語圏,イタリア語圏等により障害児教育システムの様相が異なっており,今後,障害児のインテグレーションを中心にこの構造を解明する必要性が指摘された。In dieser Arbeit beabsichtige ich, die Perspektive der Studien über die Behindertenpädagogik in der schweiz mit dem Erfolg der Studienreise vom 27. Marz bis 4. April in der Schweiz, zu erlautern. Die Perspektive, die vorlegte ich, sind wie folgt. 1, Die Entstehung und die Eigenschaft der Behindertenpädagogik bei Haeberlin, U., Kobi, E. E., Bürli, A.u.a.m., welche der Behindertenpädagogik in der Schweiz heute gross beeinflusst hätten, müssen immer wieder betrachtet werden. 2, Der fragliche Punkt und die Aufgabe der Eidgenössischen Invalidenversicherung, die einen grossen Einfluss auf die Politik und das System der Sonderschulung der einzelnen Kantone in der Schweiz hat, müssen aufklärt werden. 3, Die Eigenschaft der System der Sonderklasse in der Schweiz, die eine Position im System der Regelschule Erziehung einnimmt, muss afuklärt werden. 4, Der Unterschied der schulischen Integration behinderter Kinder im deutschsprechenden Schweiz, dem französischsprechenden Schweiz, italienischsprechenden Schweiz und die Basis der Theorien müssen immer wieder aufklärt werden.
著者
近藤 昌和 友永 進 高橋 幸則
出版者
水産大学校
雑誌
水産大学校研究報告 (ISSN:03709361)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.67-73, 2002-02
著者
作山 美智子 小笠原 喜美代 安藤 莉香
出版者
東北文化学園大学医療福祉学部看護学科
雑誌
東北文化学園大学看護学科紀要 = Archives of Tohoku Bunka Gakuen University Nursing (ISSN:21866546)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.13-21, 2020-03

高齢者の単独世帯が増加しており、ひとり暮らし高齢者は2020年には高齢者の中で16.4%と予想されている。地域包括ケアシステムの具現化、専門職による多職種連携が推し進められている現在、訪問看護師が「ひとり暮らし」利用者の訪問看護の中で、生活を支えるために実際に実践していることは「療養相談」「傾聴」「会話の促進」が6割だった。利用者が活用している専門職、他等の支援は多い順から「ケアマネジャー」「介護職・ヘルパー」「別居の家族・親戚」だった。ひとり暮らし療養者に関して【自助力の不足】【家族の対応能力】【互助力の不足】【公的支援の不足】【緊急時・災害時の対応】を訪問看護師は課題と感じていた。
著者
一瀬 貴子
出版者
関西福祉大学社会福祉学部研究会
雑誌
関西福祉大学社会福祉学部研究紀要 (ISSN:1883566X)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.11-20, 2016-03

社会福祉援助職従事者はストレスフルな職場で就労しているといえる.特に,社会福祉士は,支援困難事例に対処する場合,バーンアウトしやすい状況におかれるのではないか.本稿の目的は,①サービス介入が必要であるにもかかわらず,サービス介入を拒否する事例を抱えた経験のある社会福祉士のバーンアウトの実態を明らかにすること,②社会福祉士がとる対処スタイルとバーンアウトとの関連を明らかにすることである. 平成27 年9 月14 日から10 月15 日までの間にA県に所在する202 か所の地域包括支援センターに配置されている404 名の社会福祉士を対象とし,自記式質問紙調査を郵送法にて送付した.有効回答数は51 名(12.6%)であった. 全体的な傾向としては,顕著なバーンアウトの兆候を示しているとは言えない結果となった.ただ,個人的達成感が「注意」の範囲に入ることが分かった. バーンアウトの規定要因を明らかとするため,重回帰分析を行った.その結果,「色々な方法を試して一番良い方法を探し出した」「何が問題かを分析した」という『問題解決型』対処スタイルをとることは,脱人格化を減少させ,個人的達成感を高める作用があると明らかとなった.ストレッサーに対して直接働きかけ,どうにかしようと努力することは,バーンアウトの低減につながっているといえる. 「ぼうっとしてとりとめのない物思いにふけった」「不満や愚痴を誰かに話した」「スポーツ・趣味・グループ活動に熱中して嫌なことを忘れた」という『コミュニケーションによる発散型』対処スタイルは,脱人格化および情緒的消耗感を高めることにつながっている. また,「なるべく関わらないようにした」「睡眠安定剤を常用した」「うちにこもった」という『ストレス抑制型』対処スタイルは,情緒的消耗感を高めることにつながっている. つまり,回避・情動的な対処スタイルをとることで,バーンアウトが高まるといえる.
著者
井上 明人
出版者
日本デジタルゲーム学会
雑誌
デジタルゲーム学研究 (ISSN:18820913)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.59-66, 2009

ゲームを理解させていくプロセスにこそ注目をしていくようなゲーム観やゲームデザイン観を「チュートリアリズム」と名付け、こうしたゲームデザイン観が1980年代前半の日本ゲーム市場の持つ歴史的な偶然性から発達してきた可能性について提示し、このようなゲームデザイン観の可能性と問題について素描した。
著者
鎌田 道隆
出版者
奈良大学史学会
雑誌
奈良史学 (ISSN:02894874)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.46-63, 1992-12

三代将軍徳川家光に将軍職をゆずりながら、なお大御所として幕府政治の実権をにぎっていた徳川秀忠が、寛永九年(一六三二)一月二十四日没した。この二日後の出来事として、『徳川実紀』は次の記事をかかげている。又此日、目付宮城甚右衛門和甫京坂に御使し、こたび御大喪により、関西の諸大名江戸にまかるべからず、各封地堅固に守り、前令違犯すべからずとの御旨をつたえしめ、女院の御方にも御使をつとめしめらる。前将軍であり、大御所としてなお実際に幕政の最高実力者であった人物の葬儀に際し、その直臣にもあたる関西の諸大名に対して、葬儀への参列無用と在国とが、幕府の命令として発せられたというのである。この場合の関西とは、関西地方という意味ではなく、西日本全体のことと解すべきであろうし、またこの命令が三代将軍家光の名において発せられたものであることも注目しておくべきことではないかと思う。西日本の諸大名は、なぜ江戸に駆けつけ秀忠の大喪に参列することが許されなかったのであろうか。もちろん、この時期西日本の大名のみが在国し領政につとめなければならないような国内・国外の特別な異変も見あたらない。秀忠の葬儀参列にかこつけて、西日本の諸大名が大挙して出府してくれば、江戸においてどんな大事件が企てられるかわかったものではない、という危惧と疑念が将軍家光を擁する江戸の幕閣をとらえたのではないか。西日本の諸大名を充分に統制できていないという認識と、大御所という実力者を失ったところからくる幕政への不安が、西日本諸大名への出府停止令となってあらわれたのではないか。元和九年(一六二三)七月二十七日に三代将軍に就任して以来、家光の将軍在位は秀忠死没の寛永九年正月まで、八力年余にわたる。この八年余におよぶ幕藩制支配が決して将軍家光による単独施政でなかったことを、この事件はものがたっている。将軍が、あるいは将軍を中心とする幕閣が、しっかりと統治できていたのは東日本だけであったといえば言いすぎであろうか。西日本支配をも含めた全国統治という点では、大御所秀忠の力量によりかかっていた八年余だったといえるのではないだろうか。ともかく、寛永年間前半の時期に、東日本と西日本の政治的差違が歴然としていまだ存在していたことと、将軍と大御所とによる協同幕政があったことは確認できよう。しかも、将軍と大御所との協力による幕府政治という形態は、慶長十年(一六〇五)四月十六日の二代秀忠の将軍就任から大御所家康が没する元和二年四月十五日までの期間にもみられた。そして、この慶長年間の後半に行われた将軍と大御所とによる幕府政治を、北島正元氏らは二元政治とよんでいる。ならば、寛永前期の将軍家光と大御所秀忠とによる幕府政治も、二元政治とよぶことができるのではないだろうか。もちろん、この場合にも将軍と大御所という二大権力者の存在形態に依拠した考え方ということになる。しかし、北島正元氏は、単に将軍と大御所との二大権力者の存在をもって二元政治とよんでいるのではない。むしろ、大御所家康と将軍秀忠は対立しているのではなく、一元的な方向にあったと、次のように記している。慶長八(一六〇三)年の江戸開幕は、徳川氏の全国政権としての地位を明確化したが、その政治組織にも当然それに応じた整備が必要であった。同十年に将軍職を秀忠にゆずった家康は同十二年に駿府に退隠したが、実際には「大御所」として幕政を裏面から動かし、将軍秀忠も父の意志に柔順であった。これはこれ以後の公文書にも家康の名で出されたものが多く秀忠の出した公文書はたんにそれを裏づけるにすぎないものが少くないことでもわかる。家康の強力な指導と支援のもとに、秀忠を盟主とする幕府政治が展開されたという認識を北島氏は示されている。ここには幕政が二元であったという論理は、成立しないかのように見える。それでは、何をもって二元政治論が主張されるのであろうか。北島氏や藤野氏の所説によると、問題は慶長十年に将軍職を退いた家康が、本多正純を側近として、「江戸の幕府を小規模にしたような政治機構を駿府につくった」ことにあったという。すなわち、江戸の幕閣と駿府の政府との対立・抗争の経緯を二元政権または二元政治とみているのである。大御所となった家康は、江戸の将軍補佐役として家康腹心の本多正信をこれにあて、正信の子正純を駿府において、本多父子を軸とする統一政治をめざしたが、江戸の幕閣では大久保忠隣・酒井忠世・酒井忠利・土井利勝らの譜代勢力が成長して本多正信はしだいに疎外され孤立するようになった。こうした譜代大名による江戸政権の形成に対して、駿府政権の構成は能力主義的で対照的であった。たとえば、本多正純と若干の譜大名以外に天海・崇伝・林羅山の僧侶や学者、大久保保長安・伊奈忠次らの代官頭、後藤庄三郎・茶屋四郎次郎・亀屋栄仁らの豪商、外国人の三浦按針らといった多彩な顔ぶれがその中枢にあったというものである。藤野保氏は、駿府政権を分類して四つのグループから構成されていたとした。その第一グループは新参譜代・近習出頭人、第ニグループは僧侶と学者、第三グループは豪商と代官頭、第四グループを外国人としている。そして、この駿府政権は、政治の実権をもつ大御所家康の直下ということから、発言力が強く、全国支配に深くかかわったと指摘している。これに対して江戸政権は徳川家臣団の系譜を優先する譜代勢力が結集して、関東地方を中心とする幕府政治を固めていたという。こうした二元的政権のかたちが、両政権に結集する勢力の対立となって激化したが、家康の強大かつ巧妙な統制力は、その矛盾を幕府の危機にまで表面化させることはなかった。しかし、慶長十七年の岡本大八事件ころからかなり顕在化し、大久保長安事件では政争の形をとり、元和二年の大御所家康と本多正信の死を契機として、駿府政権は解体され、二元政治も解消されたという。そして、この駿府政権の解体と江戸政権の強化というかたちでの慶長政治の終結は、譜代勢力を中心とする将軍政治が確立する元和政治への方向を決めたと、藤野保氏は整理している。すなわち、「幕府それ自身の組織の整備」と、「統一権力として諸大名を統治し、かつ幕藩体制を組織する」という二つの課題に応える方策としてとられた二元政治11慶長政治を否定したのが、元和政治であったとしている。慶長期の二元政治についての以上のような理解は、北島正元、藤野保両氏に共通しており、その限りでは幕政初期における二元政治論は元和以降再登場することはないと判断される。ところが、藤野保氏は元和政治ののち、寛永初期政治において「二元政治の再展開」があったことを分析されている。藤野氏の二元政治再展開論をみておこう。藤野氏は、「秀忠は将軍職を譲与したのちも、家康と同じく大御所(西丸居住)として、政治の実権を掌握したため、ここに幕政は再び将軍政治(家光)と「大御所政治」の二元政治の形をとって展開することとなった」として、大御所11西丸派と将軍11本丸派の構成について言及してい㍍胱具体的な大名についてここでは列記しないが・西丸老職が秀忠の側近グループを中心としたのに対し、本丸老職は新旧の譜代層から構成され、このなかから家光側近の新譜代層が台頭していくという整理をされている。経緯から先に追えば、寛永九年正月秀忠の死によって西丸老職は解散して二元政治も解消した。そしてこの二元政治の解消は「慶長政治における二元政治も含めて、初期幕政における特殊政治形態としての二元政治そのものの解消を意味した。このことは幕府の組織の整備に伴う将軍独裁権の確立を意味し、家光の寛永政治はこのような体制の確立の上に展開した」と、その意義について言及している。こうした二元政治論が、初期幕政における幕閣の構成とその派閥抗争の理解に一定の意義づけをできた点においては評価できるが、二元政治という概念そのものや、その二元政治の前提要件という面ではほとんど解明されておらず疑問を禁じえない。むしろ、初期幕政における二元政治論そのものを根本から問いなおす必要さえ覚える。以下、論点を整理しながら、新しい二元政治論を提起してみたい。
著者
岡村 繁
出版者
中国中世文学会
雑誌
中国中世文学研究 (ISSN:05780942)
巻号頁・発行日
no.5, pp.1-16, 1966-06-30

The age of Jien-An (196-219A.D.) was, both militarily and politically, a very busy period for the Wei (魏) government. How was it possible, then, that a literary circle of unprecedented quality was established around the two princes of the Wei court? In this paper this apparently contradictory looking phenomenon was proved to be no contradiction at all, but a natural consequence of the realistic, practical and political intent of cao cao (曹操).
著者
諸 洪一
出版者
札幌学院大学人文学会
雑誌
札幌学院大学人文学会紀要 (ISSN:09163166)
巻号頁・発行日
no.81, pp.41-64, 2007-03

明治九年に締結された江華島条約(日朝修好条規)については,様々な評価がつきまとう。対極にある二つの評価のうち,日本における従来の評価は,朝鮮を開国して国際社会に導き「啓誘」する条約だったとする。一方,韓国および日本の一部における従来の評価は,朝鮮を開国させたが,それは「一方的」なものであり,さらに「侵略」の始まりとなった条約だったとする。いずれの評価も朝鮮は受け身に転じている。ところが,このような従来の評価に対して最近,韓国側から新しい見解が続々と発表されている。すなわち江華島条約は,朝鮮側が積極的であってむしろ日本側が消極的だったとするのである。この逆転の解釈は,朝鮮側の史料に立脚する主張である。では何故このような大きな解釈の転換が行われたのであろうか。本稿は,韓国側の新たな見解を念頭におきつつ日本側の史料を中心にして条約の性格と交渉の実態にアプローチする。先行研究ではほとんど触れていない外務大丞宮本小一なる人物に焦点を合わせ,宮本の「朝鮮論」を中心に,江華島条約の性格と実態に迫っていきたい。
著者
佐々木 秀美 榎 久仁裕
出版者
広島文化学園大学看護学部
雑誌
看護学統合研究 (ISSN:13460692)
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.1-24, 2018-12-21

本論では,わが国の公衆衛生及び福祉について,戦後の"日本国憲法"および憲法25条の成立過程を中心に,戦後のGHQ サムス准将による公衆衛生改革も含めて歴史検証を行った。"日本国憲法"成立の過程ではGHQ 指導下で強引に執行されたものであったが,しかし,両国間の対話を通して実行された憲法改正であり,指導したアメリカでさえ,実現不可能といわれる程に水準の高いものであった。特に,第25条はマッカーサー原案として提示された民生局の『憲法改正草案』にもなかった条文であり,その第25条の前文は,民間の憲法研究会から提案された『憲法草案要綱』案からであり,後半部分はサムス准将自身が加筆・修正したものであると考えられた。その第25条は,国民の日常生活における福祉,即ち,健康問題という点で最も関連のある人権思想の反映である。この条文が整ったことにより,わが国は,社会保障・福祉問題で国内の整備が可能となった。看護専門職者にとって日々の看護実践の基盤となる法律であり,その存在価値は大きい。
著者
池田 廉
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
no.3, pp.28-47, 1954-12-30

All'infuori della sua personalita piena di contradizioni e che appartiene ad un periodo di transizione, abbiamo pochi elementi sicuri per investigare il pensiero del Petrarca. L'autore mette in rilievo, che siccome era cosa facile, passare dalla poesia volgare gia impregnata di elementi di razionalismo e di edonismo, al paganesimo, il Petrarca per opporsi a questa tendenza, unendo insieme, il moralismo latino e le sue idee cattoliche si adopero attivamente a formare il suo pensiero. Benche sentisse una profonda attrazione verso le cose umane, conservo sempre in se stesso un ideale religioso sicuro.
著者
上野 貴史
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
no.50, pp.49-75, 2000-10-20

I processi principali di formazione delle parole (FDP) sono la derivazione e la composizione. E noto che per "dervazione" (p.es. inter-porre) si intende fondamentalmente l'aggiunta di un affisso alla base lessicale, mentre la "composizione" (p.es. terra-ferma) consiste nell'unire di almento due parole. Al livello di morfema, questi processi possono essere schematizzati come segue: a) derivazione: (un morfema libero + un morfema legato) oppure (un morfema legato + un morfema libero) b) composizione: (un morfema libero + un morfema libero) In aggiunta a queste combinazioni bisogna la "parola complessa classica" (PCC). Con questa terminologia si intende tradurre "classical compoun". In alternativa a PCC si potrebbe proporre "complesso classico", evitando comunque il termine "composto" che si riferirebbe solo al caso b). Questo ultimo processo consiste nel congiungere due merfemi legati: c) complesso classico: (un morfema legato + un morfema legato) I morfemi legati della PCC sono gli elementi di composizione provenienti dalle lingue classiche come il latino o il greco, e sono forme combinanti distinte dagli affissi. Le forme combinanti che si possono osservare nelle rispettive parti sia nella composizione che nella derivazione. Le regole della FDP nel componente lessicale sono organizzate dalle regole di derivazione, composizione e cosi via. In questo lavoro, si cerca di chiarire la funzione morgologica delle PCC attraverso l'analisi delle regole della FDP. Allo scopo di osservare tali regole, si prendono in esame innanzitutto le relazioni semantiche degli elementi della derivazione, composizione e PCC, giungendo cosi ad una definizione delle forme combinanti. Il morfema legato indica una relacione di significato che equivale a quella della formazione dei composti. In secondo luogo, si pssa ad analizzare la struttura generativa delle PCC sulla base della regole applicate al componente lessicale. Come risultato si ottiene che la struttura che presenta forme combinanti nella seconda posizione delle PCC e generata dalle Regole delle PCC, che vengono applicate prima delle Regole di derivazione. Allo stesso tempo emerge il fatto che la forma combinante nella struttura <forma combinante + parola> e un affisso, perche la funzione semantica delle FDP e simile alla derivazione. Purtroppo non esistono molti studi di insieme delle PCC, nonostante che queste siano presenti non solo nella lingua italiana ma in tutte le lingue europee. Non bisogna sottovalutare il fatto che lo forme combinanti svolgono un ruolo importante nella formazione delle parole italiane moderne. In questo senso, pensiamo che lo studio delle forme combinanti abbia un grande significato dei processi linguistici.
著者
池添 博彦
出版者
帯広大谷短期大学
雑誌
帯広大谷短期大学紀要 (ISSN:02867354)
巻号頁・発行日
no.47, pp.73-80, 2010-03-31

精神保健福祉は比較的新しい分野であり、多くの外来語が用いられている。外来語の多くは英語に由来するもので、日本語の訳語が定着していないものも多い。用いられる外来語の示す内容を正確に把握するために、原語の意味内容を正しく理解しておく必要があると考え、外来語の語源を検索してみた。英語語彙の多くはラテン語およびギリシャ語が起源であり、古くはサンスクリット語に由来している。今回はラテン語およびギリシャ語まで語源を遡ってみた。猶、英語と同系のゲルマン語であるドイツ語、およびラテン語と同系のロマンス語であるフランス語、スペイン語、イタリア語の関連語を挙げている。
著者
瀬川 拓郎
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2006

identifier:総研大乙第154号