著者
髙山 史徳 嶋津 航 青栁 篤 鍋倉 賢治
出版者
一般社団法人 日本体育学会
雑誌
体育学研究
巻号頁・発行日
2018
被引用文献数
1

<p>Some recreational runners participate in consecutive races within a short period. A high frequency of participation may not allow for sufficient recovery time, leading to overreaching. This case study reports on the training load, physiological variables, performance, and psychometric status of a male recreational runner during the 16-week marathon season. The runner completed 4 marathon races in a period of 8 weeks (6-14 week). Training load was quantified based on the cumulative time spent in 3 intensity zones (zone 1: < ventilatory threshold, zone 2: between ventilatory threshold and respiratory compensation point, zone 3: < respiratory compensation point) using heart rate monitoring. The Hooper questionnaire was completed every morning to quantify sleep, stress, fatigue, and muscle soreness. The runner performed four identical treadmill running test over the season. The coefficient of variation for maximal velocity and physiological variables was 1.0% and 1.8‐5.2%, respectively. Pearson correlation showed significant relationships between training load and stress, fatigue, and muscle soreness. There was no significant relationship between training load and sleep. In conclusion, it appeared that this runner was able to complete 4 marathon races without overreaching. These findings suggest that the training load and Hooper questionnaire are practical tools for monitoring of recreational runners during the marathon season.</p>
著者
髙野瀬 惠子 タカノセ ケイコ Keiko TAKANOSE
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2009-03-24

院政前期において注目すべき人物に令子内親王(1078〜1144)がいる。令子内<br />親王は白河天皇の第三皇女として生まれ、賀茂斎院を勤めた後に鳥羽天皇の准母として皇<br />后となった。院号こそ受けなかったが、院政前期に未婚の皇女が立后して皇室を支えた事<br />例として、その存在の意義は小さくない。そして内親王家で行われた文芸活動もまた考究<br />すべき面を持つ。<br />令子内親王は、母・賢子の養父である藤原師実とその室麗子によって、摂関家で養育さ<br />れた。従って斎院時代(1089〜99)には師実・師通親子の手厚い後見を受けており、<br />摂関家の文化的豊かさを象徴する存在であった。その華やかな内親王家の和歌活動を伝え<br />るのが『摂津集』であり、同じ時期の摂関家の和歌活動を伝えるものに『肥後集』がある。<br />この二集には、摂関家の盛儀歌合や廷臣を率いた花見など、伝統的美意識を継承した催事<br />に関わる和歌が多く収められているが、そこには摂関家の伝統と権威を守り文化的主導権<br />を保ち続けようとする師実・師通親子の意識の反映がある。この時期の令子内親王家は「摂<br />関家文化圏」にあったと言ってよく、それは先行研究において指摘されていた。しかし、<br />令子内親王斎院期には、紫野の斎院御所に於いて神楽が年二回(夏神楽と相嘗祭後朝神楽)<br />催行されていたことや、音楽との関わりも多い廷臣と女房の交流などに、芸能流行の時代<br />の貴族社会の一面を具体的に知ることが出来る。<br />令子内親王が斎院を退下した康和元(1109)年六月、関白師通が三十六歳で薨去し<br />た。これにより摂関家が大きな痛手を被り、自河院政が進行する。内親王は退下後も師実<br />夫妻との関係が深かったが、康和三(1101)年二月、師実もまた薨去した。その翌年、<br />令子内親王は同母弟の堀河天皇に寄り添うように内裏に入り、弘徽殿に住むようになった。<br />この時期の『殿暦』『中右記』の記事からは、令子の内裏入りに、堀河天皇と摂関家(忠<br />実)との結合、天皇と白河院との紐帯をそれぞれ強めるという政治的事情もあつたことが<br />察知される。天皇が大切にする姉令子内親王とその女房たちは、今度は天皇を中核とした<br />文芸活動の中に身を置いた。それは『堀河百首』が作られた時期である。内親王自身は歌<br />人ではなかったが、少なからぬ歌詠み女房を擁する前斎院令子方では、中宮篤子方と同様<br />に、天皇側近の歌人らとの盛んな交流が行われた。『大弐集』はこの時期の令子家の生活<br />を具体的に伝えている。ここでは、百首歌と関連する題詠歌、隠し題などの技巧的・遊戯<br />的な歌、漢詩文の影響を受けた物語的な連作等が見られるが、それらにこの時期の天皇と<br />廷臣らの嗜好と新風の模索が表れている。令子家は、堀河天皇を中心とした文化活動の中<br />にあってその特色を体現するものであり、いわゆる「堀河歌壇」の持つ明るく活動的な雰<br />囲気をよく反映していた。<br /> 嘉承二(1107)年、堀河天皇が崩じると、新帝鳥羽が幼少であったことから令子内<br />親王が准母となって立后し,皇后宮となった。これによって令子内親王とその女房らは、<br />今度は「鳥羽天皇後宮文化圏」とでも言うべきものに属することになった。この時期の令<br />子家の具体的な姿を伝える女房歌集はないが、『金葉和歌集』等に皇后宮令子周辺の和歌<br />を拾うことが出来る。遺された断片的な資料から、令子家の和歌活動は小規模で即興性が<br />あり、小弓・蹴鞠・管絃、或いは今様や神楽歌などと場を同じくすることも多かったこと<br />が窺われる。その背景に、内裏や摂関家での大規模な歌合や物合がなくなり、文化活動が<br />「家」レベルや仲間同士で行われる傾向が強まったことがある。令子家の和歌は、総じて<br />個性的なものとも斬新なものとも言い難い、伝統的な詠みぶりである。しかしながら、皇<br />后宮令子が歌詠み女房を多く抱え、また音楽や物語を愛好する「風雅な宮」(『今鏡』)<br />として存したことは、後宮の中心としての必要性に沿ったことでもあった。史料に散見する<br />皇后宮の行事等からも、後宮の伝統を継承し維持することが期待されていたことが窺われ<br />るのである。<br /> このように令子内親王の人生がそのまま内親王家の文芸活動のあり方に影響したため<br />に、その活動は一貫性やオリジナリティーのないものと見なされがちで、文芸の場や内容<br />の詳細と特質に対する研究は十分には行われてこなかった。しかし、強い個性を持たず、<br />貴族社会の状況が色濃く反映したものであつたこと自体に、令子内親王家の特色と存在意<br />義があると言うべきである。白河・鳥羽両院の時代、すなわち院政の開始から確立に至る<br />時代、貴族社会が激しく変貌する中で生きた令子内親王は、斎院、前斎院、皇后宮、太皇<br />太后宮と、呼称の異なる各期において、環境も少しずつ異なる所に身を置いた。その結果<br />として、各時期の皇室と貴族社会の具体的状況と変化の様相を、内親王家のありようにも<br /> 文芸活動にも反映し続けることになったからである。貴族社会の状況を反映したという点<br />では、令子の同母姉妹(郁芳門院媞子、土御門斎院禎子)や堀河天皇中宮篤子の各内親王<br />家の文芸活動にも見ることが出来るが、とりわけ令子内親王は、六十六年の生涯において<br />長期間重い立場にあった点が重要である。<br /> 白河院政から鳥羽院政に至る時代は、いま、歴史学において中世社会の出発期として注<br/ >目される。この時代の文学の研究には『堀河百首』や『金葉和歌集』等、主要作品を読み<br />解くことが重要であるが、それらの精確な読解のためには、周辺の文芸の場のあり方と人々<br />の意識、貴族の生活実態を探ることが不可欠である。令子内親王家及びその周辺の文芸活<br />動を精査し特質を考察することは、この時代の文学の研究のために必要であり、延いては<br />和歌史の研究にも寄与するものである。
著者
髙田 祐里 小林 実夏
出版者
大妻女子大学人間生活文化研究所
雑誌
人間生活文化研究 (ISSN:21871930)
巻号頁・発行日
vol.2013, no.23, pp.47-76, 2013 (Released:2013-02-08)
参考文献数
31

近年、米国を中心にフルクトース過剰摂取による健康への悪影響についての報告が論争を呼んでいる。日本では、厚生労働省の「2010年版日本人の食事摂取基準」において、初めてフルクトースの過剰摂取への警告がなされたが、食事摂取基準で数値を算定できるほど十分な科学的根拠は得られていない。その理由として、日本の食品成分表には糖類の成分値の記載がないため、単糖類、二糖類の摂取量を推定できないことが挙げられる。そこで本研究では、日本人の糖質摂取量の推定を目的として糖質成分表の開発を試みた。米国農務省(USDA)が作成した食品成分表には、ガラクトース・グルコース・フルクトース・ラクトース・スクロース・マルトースの成分表示がある。そこで、USDA食品成分表を用いて、日本食品標準成分表2010に収載されている食品の代替を行うことにした。USDA食品成分表に記載のない食品のうち、糖質総量が10g以上の食品を原材料に含むものについては、レシピを作成して原材料を代替し、100g当たりの重量に換算することで糖質総量を算出した。日本食品標準成分表2010には1878食品の記載があり、そのうち557食品の糖質成分表を作成した。日本食品標準成分表で、特に糖質を考慮すべき食品は250品(USDA食品成分表で糖質総量が10g以上の42食品を原材料に含むもの)あり、そのうち221食品(88.4%)を代替することができたため、日本人の糖質摂取量の推定が可能となった。本研究で開発した糖質成分表から推定された糖質摂取量の妥当性を、生体指標を用いて検証することができれば、日本人の糖質摂取量について多くの知見を得る可能性が示唆された。
著者
岩部 万衣子 小澤 啓子 松木 宏美 髙泉 佳苗 鈴木 亜紀子 赤松 利恵 岸田 恵津
出版者
日本健康教育学会
雑誌
日本健康教育学会誌 (ISSN:13402560)
巻号頁・発行日
vol.25, no.3, pp.151-167, 2017-08-31 (Released:2017-09-07)
参考文献数
32

目的:夜遅い食事及び夜食と肥満との関連を成人と子どもに分けて把握すること.方法:医学中央雑誌及びCiNiiを用いて,2005年以降の10年間に報告された論文を検索した.検索式には「夜遅い食事・夜食」と「肥満・MetS」を示す検索語を用いた.本研究の除外基準に基づき314件の表題と抄録を精査し234件を除外し,次に採択基準に基づき本文を精査して21件の論文を採択した.結果:21件中,縦断研究1件,横断研究18件,両方を含めたもの1件,介入研究1件であった.研究対象者は成人が15件,子どもが6件であった.成人では夜遅い食事を12件が調査し,7件で夜遅い食事の摂取者に肥満が多い等の正の関連があり,2件で性別等により肥満との関連の有無が異なり,3件で関連がなかった.夜食は10件で調査され,4件で夜食の摂取者に肥満が多く,3件で性別等により肥満との関連の有無が異なり,3件で関連がなかった.一方,子どもでは夜遅い食事の調査は1件と限られ,肥満との関連はなかった.夜食は6件で調査され,3件で関連なし,2件でBMIの高い者で夜食の割合が低く,1件で夜食の摂取者に肥満が多かった.結論:成人では夜遅い食事が肥満と正の関連を示し,子どもでは夜食が肥満と関連しないか負の関連を示した報告が多かった.しかし,多くは横断研究であり,交絡因子を調整した報告も少なかった.
著者
松井一乃 金髙一 池部実 吉田和幸
雑誌
マルチメディア、分散協調とモバイルシンポジウム2013論文集
巻号頁・発行日
vol.2013, pp.772-778, 2013-07-03 (Released:2013-12-24)

現在広く利用されているspam対策技術のひとつにgreylistingがある.greylistingは「spam発信MTAは再送をしない」との仮説に基づき送信者に対して一時エラーのレスポンスコードを返し,再送をうながす対策手法である.greylistingはspam排除の効果は高いが,適用する全てのメールに再送要求をするため,通常メールにも大きな遅延が生じる.そこで大分大学ではmilter managerを導入し,S25R,SPFの判定結果によってメールをgreylistingに適用するかを決定している.SPF,S25Rを用いて通常メールとspamを判断することで, SPF,S25Rによる検査のみで受信できるメールが増え,greylistingによる再送遅延を軽減できる.また,SPF,S25Rによって誤検知された通常メールはgreylistingによって救済することが可能となる.milter manager導入後,通常メールのうち約70%はSPF及びS25Rが処理しているため,greylistingを適用せずに受信できるようになった.また,受信した通常メールに対するgreylistingの再送要求割合を比較すると,milter manager導入前と導入後では43.1%から12.4%まで減少していた.このことから,milter managerを導入することで配送遅延がかかる通常メールが減少したといえる.
著者
野中 直之 髙田 智仁 西片 由貴 大澤 一輝 栗原 早紀 小林 大泰 染谷 慶子 李 輝
雑誌
書道学論集 : 大東文化大学大学院書道学専攻院生会誌 (ISSN:13489313)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.3-26, 2015-03-31

手鑑とは、古人の筆跡(手)である古筆切や短冊、色紙等を鑑賞や手習いの手本(鑑)とするために貼り込んだ帖のことを指す。本手鑑は2004年度に大東文化大学図書館に受け入れられたものである。縦38.8センチ、横25.6センチである本手鑑は、表面66葉・裏面66葉の計134葉を収め、聖武天皇、光明皇后から始まる基本的な手鑑行列の配列に従っているものの、貼り替えの跡が多数見られ、また手鑑行列も乱れている点から、製作当初とは所収内容が変更されていると思われる。しかしながら、伝藤原有家筆「墨流切(多田切)」、伝西行筆「曽丹集切」、伝藤原俊成筆「顕広切」などの固有古筆名を有した名物切も所収する。本解題は表面2回・裏面2回の計4回に分けて掲載を予定し、2回目に当たる本年度は表面のうち、後半の「大覚寺殿義俊」から「徹書記正徹」までの29葉を扱うものである。
著者
髙橋 雅之 表 和徳 相川 忠夫 浅川 響子 檀浦 裕 小松 義和 相馬 孝光 岩切 直樹 牧野 隆雄 甲谷 哲郎 加藤 法喜
出版者
公益財団法人 日本心臓財団
雑誌
心臓 (ISSN:05864488)
巻号頁・発行日
vol.46, no.6, pp.723-729, 2014 (Released:2015-07-12)
参考文献数
13

症例は65歳男性. 2012年8月, 意識消失し自宅階段から転落, 家族により救急要請. 救急車内で無脈性心室頻拍 (ventricular tachycardia ; VT) および心室細動を認め, 不整脈原性の意識消失が疑われ当院搬入となった. 搬入時, モニター心電図はwide QRSとnarrow QRSが入り乱れた異常波形を示していた. 12誘導心電図で下壁誘導のST上昇, 心臓超音波検査所見で壁運動低下を下壁に認めたため急性冠症候群を疑い, 冠動脈造影を施行したところ, 右冠動脈#2 : 100%の所見にて引き続き経皮的冠動脈インターベンション施行し血行再建に成功した. しかし冠疾患集中治療室入床後に血圧低下を伴うサインカーブ様の非持続性VTが散見され, まもなく無脈性VTとなり, 電気的除細動にて自己心拍再開を得た. アミオダロン持続静注を開始したが, 最終的に無脈性VTが頻発し電気的除細動による停止効果も得られなくなり, 循環動態の破綻をきたしたため, 経皮的心肺補助装置を留置した. その後, 透析患者にもかかわらず塩酸ピルシカイニド75mg/日の服用が判明し, 血中濃度高値が予想されたため, 持続的血液濾過透析も開始した. 翌日には洞調律となり循環動態も安定した. VT stormをきたした塩酸ピルシカイニド中毒について, 文献的考察を含めて報告する.
著者
髙橋 小百合
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.85-100, 2016-12-15

本論文は、明治期における木戸孝允と幾松に関する言説を、二人の関係性の描写から分析し、同時代の男女交際論等、男女関係についての思潮をふまえながら、文化史中に占める二人の描写の位置および意義について考察したものである。論者には『日本近代文学会北海道支部会報』一九号掲載予定の別稿「&lt;木戸孝允&gt;像の生成」があり、そこでは木戸孝允が死去から明治末年までのあいだ、どのように語られていったのか、その変容と文脈パターンについて論じた。本論文では、そこで見出した六つの文脈パターンのうち、以後、大正、昭和期とより重要性を濃くするであろう&lt;木戸と幾松&gt; &lt;幾松あっての木戸&gt;について一歩踏み込んだ論を展開したつもりである。本論文の第一章「木戸表象の傾向と類別」は、木戸を語る文脈パターンについてまとめ、右の別稿の内容を引き継いだかたちである。よって、本論文の核は第二章以降にあるといえる。幾松はなぜ、木戸を語る言説のなかで存在感を増し、大衆的歓迎をうけたのか。第二章では、木戸と幾松の関係が、近代的恋愛の文脈に読み替え可能であることを論じ、同時に、幾松の芸妓という出自に着目して、近代と前近代の微妙なあわいに、ふたりの「恋愛」があることを明らかにした。第三章は、一方で二人の関係表象がもつ「復古」性について論じている。「王政復古」「一君万民」のイデオロギーとからめながら、&lt;尊いから尊い&gt;カミの論理で語られる木戸と、太古、国運を占う巫でありえた(元)芸妓幾松との関係が、国生み神話に準ずる「復古」の国づくりを表徴しうると指摘した。幾松あることによって、木戸のイメージは①愛妓とついには恋愛結婚を遂げた②&lt;勤王の志士・桂小五郎&gt;として定型化していく。それは同時に&lt;近代&gt;化と&lt;復古&gt;の二律背反、あるいは混淆を示す営為でもある。これこそ、日本の&lt;近代化&gt;の姿そのままであり、本論文のもっとも強調しておきたいところである。
著者
髙橋 紳吾
出版者
金原出版
雑誌
小児科 (ISSN:00374121)
巻号頁・発行日
vol.42, no.6, pp.1017-1023, 2001-05
著者
髙山 亮太
出版者
早稻田大學中國文學會
雑誌
中國文學研究 (ISSN:03850919)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.24-34, 2015-12-25
著者
髙本 真寛 高田 治樹
出版者
公益社団法人 日本心理学会
雑誌
心理学研究 (ISSN:00215236)
巻号頁・発行日
pp.86.14336, (Released:2015-11-10)
参考文献数
34
被引用文献数
2

This study used structural equation modeling to investigate directional relationships between coping with interpersonal stress and received support. One hundred and seventy-seven undergraduates who had experienced interpersonal stress during the past month answered questions about coping with interpersonal stress and received support. Structural equation modeling based on third-order moment structures was used to examine the directionality of the relationship between these two variables. The results revealed interactive associations between distancing and emotional support. Received support affected coping with interpersonal stress in terms of active coping, planning and monitoring, and positive reappraisal. These results suggest that received support functions as a coping resource.
著者
東口 髙志
出版者
一般社団法人 日本静脈経腸栄養学会
雑誌
日本静脈経腸栄養学会雑誌 (ISSN:21890161)
巻号頁・発行日
vol.30, no.3, pp.761-764, 2015 (Released:2015-06-20)
参考文献数
8
被引用文献数
1

わが国の高齢化は歴史上類を見ない速度で進行しており、年々医療を必要とする高齢者は増加の一途をたどっている。しかも、医療施設は地域を中心に年々閉鎖を余儀なくされ、この10年間で約8,000施設にまで減少した。医療の発展とともに人々が最後の時を過ごす場所が自宅から医療施設へと大きく変遷しており、例え在宅医療が可能であっても人的資源が減少する中いったい誰が高齢家族の介護や看取りをするのか。またそれにかかる経費をどのように捻出するのかなど、深刻に老後の暮らしを危惧しなければならない。そこでその対策として、以前より、栄養状態の改善による診療成績の向上と、在宅移行を含む地域医療連携の充実や地域完結型医療の推進などを提案し、栄養管理をわが国の社会福祉・医療体制の基盤とすべく努力してきた。本稿では、将来の社会状況をふまえて患者の幸せな暮らしを第一と考え、医療の内外におよぶ在宅栄養管理の実践について論じる。