著者
植田 章
出版者
佛教大学
雑誌
社会福祉学部論集 (ISSN:13493922)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.19-32, 2010-03-01
被引用文献数
3

障害のあるなしにかかわらず,老化には個人差がある。ダウン症者においては壮年期にさしかかった頃にアルツハイマー症状を呈したり,身体的機能の低下をもたらすなどの「早期老化」傾向が確認されているが,知的障害のある人たちの「老い」が一律的に早いということではない。しかし,彼らが被ってきた社会的な不利益が壮年期・高齢期の暮らしを大きく規定していることは確かであり,このことは,知的障害のある人たちの加齢研究の重要な視点と言える。 本小論では,筆者が実施した「知的障害のある人(壮年期・高齢期)の健康と生活に関する調査」の結果をふまえ,健康保持と日常的な生活アセスメントの重要性や環境要因についての検討の必要性,高齢化する家族に対応した支援のあり方など,壮年期・高齢期の人たちの地域での暮らしをより豊かなものにしていくための生活支援の実践的課題について明らかにした。さらに,終末期を含めて後期高齢期の支援には,ただただ健康や疾患に配慮するだけの消極的な支援ではなく,「人生の満足」を追求した積極的な視点が求められていることも示した。
著者
坂本 勉 永和 良之助
出版者
佛教大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010

本研究は、高齢者の経済的虐待防止に焦点を絞った。まず、国内での高齢者虐待防止の相談機関として地域包括支援センターの状況を分析し、その課題を抽出した。また、海外での先行研究などから、消費者被害や経済的虐待事件から高齢者を守るために、金融機関と連携する事例が認められた。これらの先行研究を国内で応用するための基礎的課題を、法律専門家および福祉専門家との協議からその連携を探ろうとしたものである。
著者
牧 剛史
出版者
佛教大学
雑誌
教育学部論集 (ISSN:09163875)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.25-34, 2014-03-01

「臨床心理士」は1988 年に資格化され、現在まで右肩上がりに資格取得者数は増加し続けている。対人援助の専門職を資格化する上で大きな課題となるのが、その養成プログラムであろう。「対人援助」の専門家である以上、実践を行なうことが必須になるが、「学生」というアイデンティティに留まっている者をいかに「実践家」に育て上げるのかは避けては通れない重要な問題である。本論文では、現在の臨床心理士養成プログラムについて呈示し、臨床心理士養成プログラムにおける「省察」や「実践知」の重要性を論じることを目的とした。臨床心理士資格を取得するためには、大学院を修了することが基礎要件となっている。現在は指定大学院が認定されており、臨床心理士の専門資質のレベルを一定水準に維持した養成プログラムとなっている。指定校の一つである佛教大学大学院臨床心理学専攻では、特に「臨床心理実習」を重視したカリキュラムを用意している。この実習には、学外機関での実習とグループスーパーヴィジョン、附属相談室での事例担当と個人スーパーヴィジョンおよびケースカンファレンスが含まれている。臨床心理士の養成においては、自分自身の実践について省察する「行為についての省察」だけではなく、臨床実践中に何を感じていたかという「行為の中の省察」が重要である。「臨床心理実習」を通して学ぶのは「実践のマニュアル」ではなく、「個別的・具体的な実践知」であると言えよう。
著者
水谷 幸正 田宮 仁 藤本 浄彦 山口 信治 雲井 昭善 藤原 明子 藤腹 明子 久下 陞 中村 永司
出版者
佛教大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1988

1.本年度は研究最終年度に当たり、当初の研究計画に添い報告書作成に向けて月1回の例会を開催した。その間に、次のような成果を得た。まず前年度までに一応の成果が得られた「仏教によるタ-ミナル・ケア方法論の開拓」ということでは、その方法論を検証を兼ねて仏教の祖師方のタ-ミナル・ステ-ジに当てはめ、再吟味を行なった。2.また本研究のもう1つの目的であった、タ-ミナル・ケアにかかわる仏教者の養成ということでの仏教学(宗学)専攻学生を対象としたカリキュラムに、医療看護関係者の意見も聴取して吟味を加え、より実際的なものとすることができた。4.これらの方法論開拓やカリキュラム作成という、本研究の主たる目的を中心に、その典拠となるべき仏典や仏教思想を吟味確認し、また研究分担者のそれぞれの専門分野からの研究をまとめ報告書作成に臨んだ。5.なお、各研究分担者は本研究の成果を以下の各種学会・セミナ-において報告等を行なった。(1)京都ビハ-ラの会研究会・於佛教大学四条センタ-・毎月2回第1,3金曜日、(2)佛教大学社会学研究所宗教研究会於佛教大学・11月14日、(3)第12回国際社会学会・於スペイン・マドリッド・7月9日、(4)第14回死の臨床研究所・於札幌市教育文化会館・10月13日、(5)‘90第2回日本生命倫理学会・於大阪日本生命講堂・11月3日、(6)日本仏教社会福祉学会第25回大会・於稲沢女子短大・11月11日。また中華民国で開催された国際仏教学術会議・12月23日〜29日、佛光山仏教青年学術会議・1991年1月1〜5日にも報告を行なった。
著者
森山 清徹
出版者
佛教大学
雑誌
仏教学部論集 (ISSN:2185419X)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.1-27, 2013-03-01

ダルマキールティのVadanyaya (VN)には<全体性(avayavin)>を始めとするヴァイシーシカ説批判が表されている。そこでは仏教徒にとり非存在であるものに関して、いかに無なる言語行為の確定を導き得るかが大きな争点となっている。プラマーナにより知り得ないことを根拠に<全体性> の無を確定する際、肯定、否定を内容とする無知覚によるとするが、シャーンタラクシタは、その注釈Vadanyayavrttivipancitartha(VNV)において肯定を<自性の対立するものの認識>などとし、否定を<能遍の無知覚> などとしている。対立関係を明示することにより非存在の無の確定へと導いている。この点は、刹那滅論証と共に、後期中観派により、そのまま活用される。また、効果的作用によりグナとドラヴィヤとの存在性の区別無区別(bhedabheda)を吟味する際、ダルマキールティは、一因から多なる果が、多因から一なる果が起こることをもって、それがあり得ないことを論じている。この両者の因果論が、ジュニャーナガルバを始めとする後期中観派により批判的に取り上げられ、四極端の生起の無自性論として形成された。その源泉がVN にあることは、VNV を通じて明瞭に知られる。
著者
原 清治
出版者
佛教大学
雑誌
教育学部論集 (ISSN:09163875)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.133-152, 2011-03-01

現在、子どもたちのなかでケータイ電話を介したネットいじめの問題が深刻化している。こうした事態に対処するため、2008年6月に18歳未満の青少年がケータイを利用する場合には、保護者からの申し出がある場合を除いてフィルタリングを適用することを各ケータイ電話会社に対して義務付ける「青少年ネット規制法」が成立した。しかし、フィルタリングの導入はネットいじめの「万能薬」とは言いがたく、子どもたちを守る本質的な取り組みが喫緊の課題となっている。 本研究では、京都府および京都市教育委員会の協力を得て、市内に在住する小学生の児童とその保護者に対するアンケート調査を実施し、子どもたちのネットいじめの実態を精緻に分析するとともに、その元凶ともいわれるケータイ電話利用に関する意識調査も同時に実施した。 結果として、ネットいじめの被害に遭う子どもたちはケータイの使用時間やメールの送受信回数が多い「ネット依存」がみられるだけでなく、学年の進行にしたがって学力が「上昇移動」した子どもに多い傾向であることが明らかとなった。
著者
瀬邊 啓子
出版者
佛教大学
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.29-49, 2012-03-01

文革期に知青文学がどのような過程で創作され、発表されるにいたったのか。この点を王小鷹の文革期の創作活動を通して、分析・考察を行った。王小鷹の処女作である「小牛」の創作・発表の背景から浮かび上がってくることは、知青文学については書き手が知青であり、一定の水準の作品が書けさえすれば、「誰でもよかった」ということである。そのため作品を書く知青の出身階級については、全く問題にされていなかったことが分かった。王小鷹は作家になりたいとも思っていなかったのだが、たまたま仲間たちと業余文藝小分隊を作り脚本などを書いていたために、編集者から原稿依頼を受けることになった。そうして文革期の文藝政策の変化に左右されながらも、編集者とともに何度も改稿を繰り返し、「小牛」については最終的には編集者が強引に審査を通す形ではあったが、作品発表にいたり、作家としての一歩を踏み出したのである。
著者
大藪 俊志
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.121-140, 2014-03-25

1980 年代以降,地方自治体の行政改革は,合理化と効率化の徹底,行革推進体制の確立に重点を置き,事務事業の見直し(民間委託の推進),組織・機構の見直し,定員及び給与の適正化(人員の削減と給与の引下げ)などに取り組んできた。また,90年代後半からは,政策(行政)評価,指定管理者制度,PFI(Private Finance Initiative),独立行政法人制度,市場化テストなど,NPM(New Public Management)とされる改革手法の導入も進展する。本稿では,先進国における行政改革の取組みを概観したうえで,近年の地方自治体の行政改革の経緯とその特徴を検討し,今後の自治体行政改革の方向性を展望する。
著者
肖 越
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.1-29, 2011-03-25

本稿では『大阿弥陀経』における代表的な用語「斎戒清浄」・「智慧勇猛」等をとりあげ,文献学的にみて「無量寿経」最古訳としての『大阿弥陀経』の前半にも,漢訳された時,翻訳者によって付加・修訂された可能性が高いことについて論じ,「初期無量寿経」の成立の解明に一石を投じたい。次の四つの部分によって組成されている。まず,今まで『大阿弥陀経』に関する先行研究とその問題点について検討した。次に,『大阿弥陀経』の第六願と第七願及びその成就文における「斎戒清浄」に関する記述を通して,第六願の後半と第七願及びその三輩往生段の成就文の成立を中心にして検討した。更に第六願の前半及び長行における「仏塔信仰」に関連する文の成立を検討し,その結果、「仏塔信仰」に関連する文は,翻訳者によって付加されたものだと指摘した。最後に,「智慧勇猛」を通して違う側面から本願文前の阿難部と本願文及び三輩往生段の成立について検討した。結論としては,「無量寿経」最古訳としての『大阿弥陀経』は漢訳された時,翻訳者によって整合されたことを証明した。
著者
肖 越
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.45-66, 2010-03-25

本論は,次の四つの側面から「初期無量寿経」成立史における『無量清浄平等覚経』の役割を中心に検討した。まず,「初期無量寿経」成立史における『無量清浄平等覚経』の位置を検討した。次に,〈無量寿経〉最古訳の『大阿弥陀経』の原型を研究するにあたって,『無量清浄平等覚経』の意義を示した。次に,〈無量寿経〉諸訳の国土観の変遷を踏まえながら,『無量清浄平等覚経』の仏名としての「無量清浄」は,「浄土」の用語の元であり,『無量清浄平等覚経』が初期中国浄土教の成立において,重要な位置を占めることを示した。最後には,『無量清浄平等覚経』が『無量寿経』の翻訳に影響を与えたことを指摘し,更に中国初期浄土教の成立における『無量清浄平等覚経』の役割を纏めた。
著者
川合 尚子
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.248-265, 2010-11-27

張廷済(ちょうていさい)(一七六八-一八四八)は、清代中期に活躍した書家で文物の収集家である。彼が編集した『清儀閣所蔵古器物文(せいぎかくしょぞうこきぶつぶん)』全十冊(商務印書館一九二五年)からは、金石学が単なる学問の対象であるのみならず、愛情に満ち溢れた趣味の領域へと展開していったことが窺える。今回は、このような彼が、どんな環境で暮らし、文物の研究や趣味・芸術に打ち込んだのかを詳しく知るために、清儀閣(せいぎかく)跡地と彼と深い関わりを持った太平寺(たいへいじ)に現地調査を行ってきた。そこで太平寺(たいへいじ)の住職釈果蓮(しゃくかれん)氏から賜った『太平寺史話(たいへいじしわ)』で明らかにされた張廷済(ちょうていさい)の新たなる一面を取り上げ、家族関係や交友、太平寺(たいへいじ)との関係について考察する。
著者
丸山 哲央 山本 奈生 渡邊 秀司
出版者
佛教大学
雑誌
社会学部論集 (ISSN:09189424)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.1-18, 2011-03-01

インドから中国,朝鮮・韓国を経て移入され,日本化された仏教(Japanized Buddhism)は日本固有の要素にすべての時代,地域に通底する普遍的要素を付加し,独自の体系を形成してきた。日本仏教に固有の要素でありながら新たな普遍性を備え,逆に外部に再発信しうる要素とは何かということの解明が,文化のグローバル化現象の根幹をなす問題である。本稿では,日本仏教のグローバル化について,特に布教活動である南米での海外開教を事例として取り上げ,その理論的分析方法について考察する。この際に浄土宗と浄土真宗の開教活動に焦点を当て,見仏体験にかかわる文化の実存的要素の伝播可能性についての究明を試みたが,文化伝播のメディアとの関連での分析が必要なことが明らかになった。
著者
丸山 美和子
出版者
佛教大学
雑誌
社会学部論集 (ISSN:09189424)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.195-208, 1999-03-01
被引用文献数
1

本研究は、「文字」と「数操作」の2領域における学習レディネスを具体的に明らかにし、教科学習に繋がる部分での就学期の発達課題を整理することをねらいとしている。文字学習開始のレディネスとしては、話しことばレベルでの一定の言語理解・表現能力、身振りと描画の表現力、音節分解・音韻抽出能力、視覚運動統合能力、空間関係把握・統合能力を提起した。数操作学習開始のレディネスとしては、10以上の数概念形成、系列化の思考、保存の概念等をあげた。合わせて意欲的側面の重視を指摘した。そして保育の課題として、「教科」の学習を幼児期に引き下げて行なうのではなく、幼児期の「発達の主導的活動」をふまえた遊びと生活を豊かにする中で上記の力の獲得を保障することの重要性についてふれた。
著者
山口 洋
出版者
佛教大学
雑誌
社会学部論集 (ISSN:09189424)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.105-119, 2003-03-01

個人間の社会ネットワークデータは,(1)主に質問紙(調査票)を用いて当事者に報告を求める,(2)研究者や調査員が当事者の行動を観察する,(3)既存の文献資料や記録を利用する,といった方法で収集されてきた。最も広く用いられてきたのは(1)の報告データである。しかし海外での方法論的実証研究を概観すると,通常の報告データは,客観的(行動的)紐帯および弱い紐帯を把握する際に,様々な問題をはらんでいることが分かる。しかも,その種の紐帯は一定の理論的意義を持つ。したがって客観的紐帯および弱い紐帯を把握すべく,通常の報告データだけでなく観察・記録データを併用したり,特殊な調査方法を工夫したりすることが,方法論的課題となるだろう。
著者
淺井 良亮
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.71-83, 2011-03-01

本稿の目的は、嘉永六年六月から七月にかけて実施された、徳川公儀有司による江戸湾巡見の実態を理解することにある。同年のペリー艦隊の来航と江戸湾侵入・海岸測量強行は、江戸湾警衛体制に大きな衝撃を与えた。艦隊の浦賀退帆後、有司は海防充備を模索するため、江戸湾周辺地域の巡見を企図した。それが、本稿で取り上げる、嘉永六年の江戸湾巡見である。二つの新出史料から浮かび上がった巡見の実態は、実地見分や直接体験に基づく、極めて実効性の高いものであった。巡見者が起案した海防策は、以後の海防路線の基軸となる、海上台場築造案と軍船導入案であった。巡見で得られた知見は、海防路線を大いに規定したのであった。
著者
渡邊 大門
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.71-84, 2006-03-01

宇喜多氏に関する研究については、直家期を中心にして、既にいくつかの論文が公表されてきた。それらの主要学説は、宇喜多氏が浦上氏の被官人であったか否かという問題をはじめ、宇喜多氏の大名権力がいかなる条件のもとで形成されたか等々、戦国大名論を検討するうえで重要な論点を提示している。近年では、地域権力論・戦国期国衆論に関しても活発な議論が展開されており、宇喜多氏の研究はその好素材であると言えよう。そこで、小稿では能家以前の宇喜多氏-文明-大永年間を中心に-について、発給文書およびその動向を改めて検討し、浦上氏との関係を論じたものである。その結果、宇喜多氏は金岡荘を基盤として領主権を確立しており、浦上氏とは軍事的なレベルなおいて従属にあったことを指摘した。つまり、宇喜多氏は、被官人あるいは家臣として浦上氏配下に組み込まれておらず、領主間の緩やかな提携関係にあったのである。