著者
申 知燕 李 永閔
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

1.はじめに 資本主義経済のグローバル化は,世界各国において商品やサービスはもちろん,労働力の国際移住までをも活発にさせた.労働のグローバル化とも言われる国際移住の増加は,特にグローバルシティにおいて顕著に現れており,生産者サービスに従事する熟練労働力,ならびに彼らにサービスを提供するための非熟練労働力の急増が起きている.特に,グローバルシティに流入する近年の移住者の中には,トランスナショナルな移住者という,国境を越えて様々な地域で家族・知り合い・民族集団との人的ネットワークを活用し生活情報を共有・利用しているような移住者が増加しており,既存の移民者が形成したローカルを変化させている.エスニック・エンクレイブ(ethnic enclave)のように,旧来の移住者が形成した集住地は,移住者がホスト社会に同化するまで一時的に留まるためのものであったが,近年はトランスナショナルな移住者の登場によって複数の文化や人的ネットワークが交差する中でアイデンティティの競合が起こり,多様な特性を持つ空間へと変化している. 従って,本研究では,トランスナショナルな移住者によってグローバルシティにおける移住者の集住地がとめどなく混成的に変化していることを確認することを目標にした.具体的には,コリアタウンの景観および韓人と朝鮮族の民族間関係を分析し,朝鮮族移住者の柔軟なアイデンティティがいかに集住地とその内部の移住者間の関係を変化させるのかを把握することを試みた.本研究の分析にあたり,2012年5月および2013年6月に現地調査を行い,韓人,朝鮮族,中国人など合計42人から得たヒアリング資料を収集・分析した. &nbsp; 2.事例地域の概要 本研究の事例地域としてニューヨーク州ニューヨーク市クィーンズ区のフラッシングに位置するコリアタウンを選定した.フラッシングでは1970年代から韓人移住者向けの商業施設が立地し,現在はニューヨークにあるコリアタウンの中でも最も歴史が長く,人口も多い,典型的なエスニック・エンクレイブとなっている.フラッシング地区における2010年の韓人人口は約3万人に上るが,近年は居住者の高齢化や新規移住者層の属性の変化によって人口の流出・現象が起きており,老朽化しつつある. &nbsp; 3.知見 本研究から得た結論は以下の2点となる.1点目は,フラッシングのコリアタウンが大型化・老朽化し,近隣地区にチャイナタウンが形成されたことが朝鮮族の流入のきっかけとなったことである.韓人移住者の郊外化や,自営業者の引退などによってフラッシングのコリアタウンは縮小傾向に陥った.韓国・中国のアイデンティティ両方を持つ朝鮮族は,韓人の経営する店で従業員として勤務するか,コリアタウンとチャイナタウンの境目で自営業を行い,韓国人・中国人・朝鮮族全部を顧客として誘致する.このような朝鮮族の活動によって,コリアタウンは多様な民族景観が結合された <i>liminal space</i>となる. 2点目は,フラッシングの朝鮮族は,自らの必要に沿って,戦略的かつ選択的にアイデンティティを発揮し,コリアタウン内外で生活を営む点である.韓国語・中国語を駆使する能力や,中国国籍を活用して韓人教会のコミュニティで活動することで,彼らは生活基盤やアメリカの永住権を獲得する.彼らの柔軟なアイデンティティは,コリアタウン内の韓人にとっては同胞意識や異質感,敵対心などを同時に感じさせる要因となり,朝鮮族と韓人の間の葛藤や差別の原因にもなる.
著者
岩船 昌起
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.100153, 2011

新燃岳(1,421m)は,霧島屋久国立公園の核心地である「えびの高原」から東南約6?qに位置する。2011年1月以降の火山活動の活発化で立入規制区域が拡大し,3月後半以降では規制が解除されつつある。しかし,噴火時に噴石から身を隠すシェルターがない韓国岳等では登山者の安全が確実に担保されたとは言い難く,入山規制の解除には至っていない。本研究では,噴火活動の推移とそれに対応した危機管理をまずは概観する。そして,えびの高原の諸施設関係者が構築した「自主防災的な避難行動マニュアル」の検証を行い,避難対象者の体力を想定した実験結果を交えてえびの高原での避難行動の時空間的な展開を検討し,新燃岳周辺地域での危機管理を総合的に考察する。<br> 新燃岳の火山活動が活発化した1月26日以降2月半ばまでの危機管理については,火山活動の実態把握に関わる観測網の未整備,新燃岳周辺地域の人々への噴火情報の周知の遅れ,諸機関での「噴火警戒レベル」や「噴火警戒範囲」の理解の不一致などから,噴火活動に応じた危険域を見極めての立入規制等を迅速に実施する対応が十分であったとは言い難かった。一方,噴火活動が見かけ上沈静化してきた3月半ば以降では,規制解除の方向へと動き,鹿児島県等では立入規制区域を半径3km圏内に縮小した。そして,6月1日に県道等の一部の通行規制が解除され,高千穂河原でも昼間の利用が可能になった。しかし,新燃岳に近い韓国岳等への登山では安全対策が不十分であり,噴石等への対策が講じられるまで規制を継続する意向が示されている。<br> そのような中で,えびの高原では,環境省自然保護官事務所を中心に高原内の諸施設が連携して自主防災的に「避難マニュアル」を作成した。これに沿った防災対応は6月29日の噴火時に実施され,噴火後約10分で施設周辺にいた全ての人々を建物内に避難させた。これは,えびの高原の施設関係者等で連携したほぼ「満点」での避難誘導であった。鹿児島県と宮崎県にまたがり,霧島市やえびの市や小林市などに区分される山岳地域という特性から,霧島山では危機管理を統一して実施する難しさがあるが,両県および各市町,国立公園行政を広く管轄する環境省は,密に連携して一つにまとまり,火山地域の安全体制を構築する必要がある。<br> 当日は,避難対象者の体力を想定した避難行動に関わる実験結果なども交えて総合的に考察します。
著者
桐村 喬
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<b>I 研究の背景・目的</b><br> 近年,晩婚化の進展と,団塊世代の高齢化などを背景として,単身世帯が大きく増加するとともに,その割合も増大してきている(藤森2010).単身世帯増加の傾向は大都市圏においてより顕著であり,学生や新社会人などをはじめとする若年層だけではなく,より高い年齢層の単身世帯が増加し,単身世帯の年齢は多様化している.大都市圏における単身世帯の大幅な増加の地理的な側面として,1990年代後半から続く都心部での人口回復現象(宮澤・阿部2005)や,女性の単身世帯の都心居住志向の強さ(中澤2012)など,都心部における増加がこれまでに指摘されている.<br> 一方で,マクロな視点からの分析は不足しており,大都市圏全体からみた単身世帯増加の地理的な動向にはまだ不明な点が多い.また,単身世帯に関する地域統計は少なく,単身世帯増加の要因としての人口構造以外の地理的な背景については十分には明らかにされていない.<br> そこで,本発表では,日本の三大都市圏を対象として,近年,単身世帯の年齢の多様化が進展している地域を市区町村単位で把握したうえで,単身世帯に関する詳細な小地域統計が利用できる1995年と2000年の2時点の分析から,単身世帯の年齢の多様化の地理的な背景を明らかにすることを試みる.<br><b>II 市区町村単位での分析-1990~2010年-</b><br> まず,すべての市区町村について,年齢階級別の単身世帯数を把握できる1990年から2010年の国勢調査結果を利用して,総務省の定義による2010年時点の三大都市圏のうちで単身化が進展する地域を世代ごとに把握する.<br> 単身化を捉える指標として,コーホート単位で,年齢階級別人口に占める単身世帯比率の変化率と,年齢階級別単身世帯数の増加率を求めた.年齢階級別人口に占める単身世帯の比率は,いずれの年齢階級,年次,大都市圏においても,都心部ほど高く,郊外に向かうにつれて低くなる傾向であり,若いほど都心部で若干高くなることを除けば,年齢階級による地域差は明確ではない.コーホート単位での年齢階級別単身世帯比率の変化から,三大都市圏ともに,郊外での中高年層の比率の高まりと,1995年以降の都心部における若年層の比率の高まりが確認された.都心部では,若年層の増加率も高く,単身世帯の大幅な流入による絶対的な増加が進んだものと考えられる.一方,郊外の中高年層の増加率はそれほど高くはなく,中高年層の単身化の速度は若年層に比べて緩やかであるといえる.<br><b>III 小地域単位での分析と若干の考察-1995~2000年-</b><br> 年齢階級別単身世帯数が把握できる1995年と2000年の町丁・字単位の小地域統計を用いて,2000年における単身世帯の年齢構成を類型化し,年齢構成ごとの地域特性から単身世帯の年齢の多様化の背景を検討する.類型化は,一般世帯総数に占める単身世帯比率や単身世帯の年齢階級別構成比などをもとに,SOM(自己組織化マップ)を用いて行った.SOMによって要約された指標値に基づき,さらに6クラスターに分類し,クラスターごとの年齢階級別単身世帯数・配偶関係別人口,住宅の建て方・所有別世帯数,DID化の時期について整理した.<br> 都心部に広がる若年・単身卓越クラスターでは,2000年に20~24歳になる単身世帯および未婚者の増加が顕著である.また,郊外に広がる青年・壮年クラスターにおいて,中高年・高齢層(2000年に50歳以上)の単身世帯の大きな増加のほか,若年・青年層(同25~39歳)の単身世帯の増加傾向も確認でき,郊外では単身世帯の年齢の多様化が進んでいることがわかる.次に,青年・壮年クラスターは,持ち家や一戸建が多い地域であるものの,1995年から2000年の間に6階建以上の共同住宅に住む世帯が大きく増加し,若年・単身卓越クラスターと類似した変化を示した.一方,郊外に分布する中高年クラスターは,青年・壮年クラスターと同様に一戸建に住む世帯が多いものの,世帯数の増加は大都市圏全体と比べて低調である.DID化の時期との関係をみれば,青年・壮年クラスター,中高年クラスターについては,1960年代後半~1970年代後半に市街化された地域に多く分布することが示された.開発から20~30年が経過し,高齢化と単身化が同時に進行してきたことがうかがえる.<br> 単身世帯の年齢の多様化が生じてきたのは,三大都市圏ともに,1960年代後半~1970年代後半に市街化された郊外である.郊外でも高層共同住宅の供給が多い地域では,若年の単身世帯の増加が目立ち,増加傾向を示す単身世帯が中高年・高齢を中心とする地域と,若年も含まれる地域とに二分されている.今後は,詳細なメカニズムの解明に向けて,よりミクロな視点による分析を進める予定である.<br>
著者
広田 麻未
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<b>Ⅰ はじめに<br></b>現代の国際的労働力移動は,かつてない規模で,かつ質的な変化をともないながら展開している.大規模な人の国際的移動は,複雑な経済的,社会的,そしてエスニックなネットワークのなかに埋め込まれており,移民は,野放しに自由なのではなく,大きな制約を受け,構造化されている. 熟練性や言語などが問われない単純労働は,世界中誰でも従事することが可能であるといえ,低賃金で社会的地位の低い労働として捉えられている.先進国においてはこういった仕事の多くを途上国からの移民が担っており,国際的労働力移動における先進国と途上国の間の問題としてしばしば議論されている. 英語教師としての出稼ぎは,労働力の送出国と受入国の間の英語力の差を背景として移動が発生しており,経済格差を背景とした,先進国への安い労働力としての出稼ぎとは異なる出稼ぎと捉えることができる.そこで本稿では,フィリピンからカンボジアへの英語教師としての労働力移動に着目し,先進国への非熟練労働者の出稼ぎとのキャリア形成における共通点及び相違点を明らかにする. <br><b><br>Ⅱ カンボジアにおける英語教育サービスの成長<br></b>カンボジアの英語教育サービスは,公教育の不備を補うように発展しており,就学前児童および義務教育段階の子どもを対象とした英語学校が主体となっている.カンボジア教育省が,初等教育における遅延入学,留年,中退といった課題の解決のため,就学前教育を推進していること,また,教育省の認可によって,民間の英語学校が,義務教育にあたる「クメール語教育」を提供できることが背景にある. また,調査を行った41校の英語学校のうち36校は外国人の教師を,23校はフィリピン人教師を雇用しており,そのうち11校では外国人のうち3分の2以上がフィリピン人であった. <br><b><br>Ⅲ 出稼ぎ英語教師のキャリア形成</b><br>フィリピン人の英語教師としての出稼ぎは,性別,結婚歴で異なるキャリアがあることがわかった.男性は,世帯内での経済貢献意識が強くなく,稼業目的以上に「英語力をいかしたい」,「海外で挑戦してみたい」といった個人的な動機付けが強く,カンボジアを移住先に選んでいた.女性にとっては,これまで指摘されてきた「矛盾した階級移動」を経験することなく,学歴や前職との関連のある仕事によって経済的地位を向上させることができる出稼ぎとなっていた.また,ASEAN域内での移動であり,地理的な近さとビザ取得の容易さから,定期的にフィリピンに帰国することができ,既婚者(特に母親)がその出稼ぎを正当化することができていた. 彼らは移住先社会で,経済的・社会的地位が比較的高い仕事に従事しているといえ,先進国での自己犠牲的な出稼ぎのイメージとは異なる出稼ぎである.しかし,カンボジアの英語教育においては,ネイティブ・スピーカーであることや,白人であること,欧米諸国出身であることがよしとされる価値観があり,フィリピン人教師は,彼らの補佐的・代理的な役割を担っていることが明らかになった.英語力や教師としての能力・経験ではなく,国籍や見た目によって「人材の価値」が決められており,途上国間の移動であっても,労働市場においては先進国(欧米諸国)と途上国間の「人材の階層化」がなされていることが見て取れた.
著者
山田 浩久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>_2019年における山形県の総宿泊者数は557万人泊であり,東北6県の中で第4位となっている。しかし,人口(2015年国勢調査)百万人あたりの総宿泊者数は496万人泊であり,第2位にまで順位を上げる。同数値は,北海道と関東7都県を加えた14都道県の中でも第4位となり,全国平均(469万人泊)も上回る。山形県は,ゲスト側から見れば東北6県の中でも中位以下の誘客力しか有していないが,収益の分配や受け入れの負荷といったホスト側からの視点で見ると,東日本でも有数の観光県であると言うことができる。ただし,人口100万人あたりの外国人宿泊者数(21万人泊)については,東北6県内で第4位であり,同全国平均(91万人泊)も大きく下回ることから,山形県の宿泊者数を支えているのは,国内旅行であることが分かる。また,山形県は総宿泊者数に占める県外居住者のシェア(68.0%)が,東北6県の中で最も低く,国内旅行の中でも特に県内旅行に依存する割合が高いことも同県の宿泊者数に指摘される大きな特徴になっている。</p><p> 山形県では2020年3月31日にCOVID 19感染者の1例目が報告され,4月に感染が拡大したが,5月4日に69例目の感染が報告されてからは2ヶ月間感染が確認されず,7月4日に70例目の感染が報告された。山形県の2020年における月別総宿泊者数の対前年同月比を見ると,3月までは60%台を保っていたが,4月には一気に20%を割り込み(18.9%),東北6県最大の下げ幅を記録した。これは4月中の感染拡大によるものである。同県では100万人あたりの累積感染者数(5月5日時点64人)が東北最多となり,特に国内在住者の旅行に負の影響を及ぼした。</p><p> 一般に,国の政策は都道府県を介してトップダウンで市町村に降ろされていく。こうした政策の伝達体制によって生まれる事業実施までのタイムラグは,現況に対する個別事業の遅れに繋がるが,一方で自治体の「考える時間」にもなっていた。日本の観光政策に関しても,2000年代初頭より国家戦略の一つに位置づけられるようになり,観光立国推進基本法による国の制度設計に基づいて都道府県レベルでの観光計画が策定され,それが市町村の観光事業によって具現化されてきたが,COVID19のパンデミックは,トップダウン型の政策伝達体制を機能不全に陥らせた。自治体は「考える時間」を与えられず,独自の判断によって観光に対する様々な問題に対処することになった。</p><p> 4月に発令された全国の緊急事態宣言を受けて山形県が行った主な観光支援施策は,観光立寄施設支援と宿泊支援に大別される。それらは,国の「Go Toトラベル事業」の内容と類似するが,同事業よりも2ヶ月も早く,対象を県内に限定して実施された。そこには,県内旅行に依存する割合が高いという山形県の事情が存在しているほか,同県が2015年に蔵王山の噴火警報発令に伴う風評被害対策のために旅行クーポンを販売した実績と教訓が活かされている。</p><p> COVID 19のパンデミックは収束の気配すらなく,観光も含めた関係人口の大幅減が継続する可能性もある。しかし,全国的な観光政策はインバウンド旅行を基調にしており,中長期的な国の戦略はインバウンドの解禁を想定している。行政による経済的な支援にも限界があり,山形県においても,ホスト側の安全と安心を重視する方針を広域からのゲストに安全と安心を担保する方針に切り替えていくことになることは必至である。観光のパラダイムシフトは,旅行時の「衛生」概念の革新に集約される。わが国において,その転換点は行政による国内観光の支援期間にしか無い。「Go Toトラベル事業」断行の意味もそこに見出される。</p><p> Post-COVID19に向けたスタッフ,施設,ルール作りにおいて,各都道府県が同じスタートライン上にあるという現在の状況は,観光後発県の位置に甘んじてきた山形県にとって,飛躍のチャンスとも言える。積極的な活動によって一歩先んずることができれば,それが他地域との差別化をもたらし,ブランド化にも繋がっていく。人の集まる場所に行く観光から人が集まらない場所に行く観光への変化は,オフシーズンの観光や低活性の観光地を変える大きなきっかけになるはずである。</p>
著者
村山 良之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2016年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100135, 2016 (Released:2016-11-09)

自然災害の構造自然災害は,自然現象が暴力的に人間に関与することによって発現する現象である。しかし,自然災害の原因は自然現象のみではなく,個人や社会を含めて重層的にこれを捉えることが,古くから地理学を含む諸科学によって提示されてきた。論者によって違いはあるが,以下のような基本的構造を持つことにおいてほぼ共通している。すなわち,自然災害のきっかけとなる(異常な)自然現象を「誘因」とし,それが発災前からのもともとの条件である「素因」とあいまって初めて災害が発生するというものである。気象学者の高橋(1977)は,このような考え方が古く中村(1934)や小出(1955)によって既に示されてきたことを明らかにした。経済学者,気象学者,河川工学者による共著である佐藤他(1964)は,用語法は独自だが,同様に災害の原因を重層的に捉えることを提唱している。そして佐藤らは,とくに社会的条件を重視している。地理学者の門村(1972)は,上記の素因に地域的要因の語をあて,その内容として土地的条件(地形,地質,地盤,水,植生など)および被害主体の社会経済的条件等を提示している。松田(1977)は,地形,地質(もしくは地盤),土地利用などそこに存在する各種の自然的,人為的要素が形成している複合体を指す術語として,土地条件を挙げ,これと被害主体を合わせて素因としている。さらに,水谷(1987)は,素因を自然素因(地形,地盤,海水)と2段階の社会素因(人間・資産・施設および社会・経済システム)に分けて示した。水谷は,自然災害の主要なものは,誘因が自然素因に働きかけて生ずる洪水,山崩れ,津波などの二次的自然現象が直接の加害力となって,被害が引き起こされるとして,防災はこれらの要因群の連鎖を断つことであると捉える。これら日本の地理学者はいずれも地形学をバックグランドに持ち,被害主体を含む地域を想定し,発災前からの素因を重視し,なかでも地形,地質など物理的条件を土地条件(または自然素因)と呼び,社会的条件とともに取り上げているところに特徴がある。英語圏では,脆弱性vulnerabilityを中心とする分析枠組みが地理学者によって提示されている(Blaikie et al.,1994;Cannon,1994;Hewitt,1997)。自然のインパクトが個人や集団に被害をもたらし災害となるかどうかは,インパクトに対する個人や集団の脆弱性によって決まるとし,その脆弱性は,生計(収入や財産)や準備状況(個人や社会による備え)等によって規定され,さらにその背景にある社会・経済・政治的要因がこれに影響するというものである。インパクトをもたらす洪水や地震等は(Natural)Hazardとされ,これが脆弱性との兼ね合いでDisasterを発生させると捉える。Hazardは誘因に相当し,脆弱性は素因なかでもその社会的側面を指すといえる。佐藤他(1964)と同様に社会的条件をとくに重視した枠組みといえよう。そして土地条件に関連することとしては,人間の関与によってHazardのインパクトを増大/縮小させるとしている。防災教育 -とくに学校教育における防災教育-自然災害はきわめて地域的な現象であるので,学校の防災教育においては,当該地域で想定すべきハザードや土地条件と社会的条件を踏まえることが必要であり,地元の災害史は教材として重要である。災害というまれなことを現実感を持って理解できるという教育的効果も期待できる。当該地域の誘因と素因および災害史の把握は,学校の防災管理や防災教育における「自校化」に必須であり,東日本大震災の教訓の1つである児童生徒による「臨機応変の判断」の土台でもある。しかし,この点がまさに学校防災の展開を妨げているとされてきた。地理学(関係者)が貢献すべきポイントの1つであると考える。当該地域の(自然災害のメカニズムの)理解が,防災行動の必要性の理解ひいては適切な防災行動に繋がると考える。発表者は「防災に関する教育」の課題がまだまだ大きいと考える。自然災害が多い日本で教育を受ける子どもたちは,自然災害に関する知識や防災のスキルを,学校教育(および社会生活)のなかで特段意識することなく身につけられること,これを目指したい。地理教育はこれに寄与できると考える。防災教育が意識されなくなるほどに学校教育に定着することを目標とすべきである。矢守氏の「防災と言わない防災」は目標とも捉えられよう。そして,世界における日本の防災教育の位置と,さらにそのなかで地理学が果たすべき役割を自覚しなければならない。桜井氏の指摘は,「当該地域の理解」に務める地理屋の視線を広く世界にも向けることの重要性を強く示唆している。
著者
佐護 浩一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

自然災害は毎年発生し、地質と深く関わりがある。 地質調査の仕事の基本型は、対象構造物が位置する場所の地質を調べることである。その成果は建設計画や保守点検に反映される。また、調査の対象がものではなく、町や人々の場合もある。そのような調査の一つとして、活断層調査がある。<br> 調査の目的は、活断層の活動履歴を明らかにすることである。最新の活動や活動間隔が明らかとなれば、対象とする活断層の将来起こりうる大地震の可能性を評価することができる。この調査には必要とされる地理的感覚が2つある。 1つは調査地の選定の際、地表のどこに活断層が位置しているのかなどを見極める感覚である。 1つは、地層の解釈の際、掘削地とその周辺はどのような地形なのかを理解することで、壁面だけでなく周囲を見渡して考える感覚である。<br> 自然災害に対峙する時、「なにが起きたのか」の分析は,多角的な視点(分野)による検討が必要である。地質調査の中で地理はその一翼を担える視点を持っている。地理の得意とするところは,地図が読めることで、先に挙げた、「周辺を見渡し、読み解くことができる」という力につながると考える。周辺を見渡し、場の条件を読み解く作業は分野を問わず、仕事をする上で必要であるとともに大切な要素と感じる。
著者
滝波 章弘
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.76, no.9, pp.621-644, 2003
被引用文献数
2

本稿は,都市のホテルにおける雰囲気について,空間的な議論を試みたものである.従来の研究は雰囲気を商品や情感として実態的に扱ってきたが,本稿では雰囲気を空間的かつ社会的に構成されるものと考え,その意味を考察した.すなわち事例として,ホテル産業が大きな位置を占めるジュネーブ市街地の著名なホテルを取り上げ,雰囲気を提示することがホテルの当事者にとってどのような意味を持つかを,ホテル関係者のコメントを中心に,ホテルのパンフレット,ホテル編集の雑誌,ホテルの空間構造などを参照しながら分析した.その結果,ホテルにおける雰囲気は,単なる場所の状態ではなく,ホテル側の戦略に基づき,ホテルという場所を,フランス語圏地理学でいうような領域とする役割を持つものとして意識されていることが明らかになった.
著者
桐村 喬
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.62, 2020 (Released:2020-12-01)

I 研究目的・方法日本では2月下旬以降にCOVID-19の感染拡大が進み,3月には「行動変容」が求められるようになり,大都市を含む都道府県を中心に,知事による週末の外出自粛要請が行われた.4月には日本政府による緊急事態宣言が出され,罰則のある外出禁止ではなく,“自粛”という形で,人々の移動が実質的に制限されてきた.5月以降,感染者の増加が弱まってきたことで,5月25日には緊急事態宣言が解除され,6月19日からは政府による都道府県間の移動の自粛要請も撤廃されたが,7月に入って再び感染者が大きく増加してきている.そこで,本報告では,位置情報付きTwitterデータを利用して,2020年1月以降の日本におけるTwitterユーザーの移動状況の時系列変化の実態を明らかにし,それによって「行動変容」をはじめとする人々の日々の移動に関する変化の一端を示すことを目的とする.分析に用いるデータは,米国Twitter社が提供するAPIを通して収集できた,日本国内の位置情報が付与されたTwitterデータのうち,2020年1月6日〜7月26日までのデータである.II 都道府県別のTwitterユーザーの移動状況同一市区町村内でのみ移動するTwitterユーザーに注目し,Twitterユーザーに関する市区町村内移動ユーザー率を1日単位で求める.市区町村内移動ユーザー率は,ある1日において,1つの市区町村内でのみ投稿しているTwitterユーザーの数を,その市区町村内でその日に投稿したことがあるTwitterユーザーの総数で割ることによって算出される.ただし,1日の投稿件数が2件以上のTwitterユーザーを分析対象に絞る.市区町村内移動ユーザー率は,都道府県を含めた複数の市区町村で構成される空間単位で算出することもできる.図1は,2月上・中旬の日曜日である2日・9日・16日の都道府県別の市区町村内移動ユーザー率の平均値を1としたときの,各日の値の比を示したものである.3月29日には,埼玉県,東京都,神奈川県,山梨県,大阪府で1.50を超え,市区町村内移動ユーザー率の上昇が,外出自粛要請が行われた地域を中心に生じていることがわかる.5月6日の時点では,全都道府県で2月上・中旬よりも高い状況は続いている.都道府県間の移動自粛要請の撤廃後の6月21日には1.00を下回る都道府県も増えてきたが,大都市圏の都道府県では依然として高く,7月26日には大阪府で1.44,東京都で1.39となっている.III 東京・京阪神大都市圏でのTwitterユーザーの移動状況東京・京阪神大都市圏における市区町村内移動ユーザー率をみると,特に東京において平日に低く,休日に高いパターンとなっている.2月下旬以降の両大都市圏では,休日を中心とする市区町村内移動ユーザー率の上昇が確認でき,いずれも平日に低く,休日に高いという明瞭なパターンが確認できる.3月29日から5月下旬までは,おおむね京阪神よりも東京のほうが高い傾向にある.5月16・17日を最後に,両大都市圏の市区町村内移動ユーザー率が80%を超えることはなくなっており,平日に低く,休日に高い傾向を維持しつつも,徐々に低下してきている.次に,昼間を11〜16時台,夜間を0時台と19〜23時台として,それぞれの大都市圏全体と,各大都市圏内のうち,2015年の昼夜間人口比率が100以上の市区町村(中心地域)とそれ以外の市区町村(周辺地域)ごとに求めたユーザー数をもとに,夜間ユーザー数に対する昼間ユーザー数の比率を求める.2020年第2週(1月6〜12日)の平日を100とした指数を求めると,東京では第10週(3月2〜8日)に上昇し,周辺地域では中心地域よりも高い値を示した.第14週(3月30日〜4月5日)以降,特に周辺地域において大きく上昇し,昼間のユーザー数が相対的に多くなってきたものと考えられる.第22週(5月25〜31日)以降は低下傾向に転じているが,第30週(7月20〜26日)の時点では,まだ第2週の水準にまでは戻っていない.京阪神については,おおむね似た推移を示しているものの,値の上昇は東京ほどではない.
著者
穂積 謙吾
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.131, 2020 (Released:2020-12-01)

水産物の安定供給に向け養殖業への期待が高まる中、全国的な養殖生産は縮小傾向にある。しかし一部地域では養殖生産が活発であり、そこでは養殖業者による何らかの特徴的な経営戦略が講じられていると考えられる。 養殖業者の経営戦略について従来の地理学では、養殖業者すなわち生産主体にのみ焦点を当てられてきた(前田2018など)。これに対して、生産主体の動向を流通主体と関連付けて分析する必要性が指摘されている(林2013など)。実際に漁業経済学では、養殖魚を産地で一括集荷し、消費地へと一括出荷する中間流通業者の重要性や、養殖業者と中間流通業者の間の密接な取引関係に注目されている(濱田2003など)。 そこで本研究では、養殖業の主要産地である愛媛県宇和島市のうち宇和島地区を事例に、中間流通業者との取引関係から見た養殖業者の経営戦略を明らかにした。本研究の遂行に際しては、宇和島地区で活動を行う中間流通業者6社および養殖業者16経営体に対してのヒアリング調査を2019年8月〜10月に実施した。 宇和島地区においては、中間流通業者10数社および養殖業者31経営体が活動を行っている。宇和島地区のみならず宇和島市における中間流通業者の基本的な役割は、養殖業者に餌料を販売するとともに、その見返りとして養殖業者の生産した養殖魚を買い取り、主に卸売市場へ出荷することである。また、自社の販売するブランド品の生産(以下、業者ブランド品)を、特定の養殖業者に委託する中間流通業者も見られる(竹ノ内2011など)。 ヒアリング調査の結果、以下の3つの生産・出荷の形態が確認された。 第一に、市場流通で取り扱われる養殖魚を生産し、餌料購入先の中間流通業者に対して出荷する形態である。市場流通向けの養殖魚の買取価格は不安定な市況動向を受け日々変動するため、養殖業者においては事業収入を増加させるための戦略が取られている。具体的には、取引関係のある中間流通業者より市場での養殖魚の売れ行きに関する情報を取得し、それを踏まえた生産・出荷調整を行う養殖業者が見られた。また、中間流通業者と買取価格に関する交渉を行い、養殖魚の供給が不足している場合には市況より高値で養殖魚を販売する養殖業者も見られた。 第二に、中間流通業者による委託を受け業者ブランド品を生産する形態である。中間流通業者より一定の評価を受けた養殖業者は業者ブランド品の生産を委託されているが、業者ブランド品は市場外流通で取り扱われるため、買取価格は市況動向の影響を受けず一定である。従って業者ブランド品の生産により、安定した事業収入を確保できる。 第三に、養殖業者自身で商品開発と販路開拓を行った独自ブランド品を生産する形態である。業者ブランド品と同様に市場外流通で取り扱われる独自ブランド品も価格が一定であるため、独自ブランド品の生産により事業収入の安定化が可能となる。なお、独自ブランド品の生産に際しては自社製造もしくは独自に仕入れた餌料を使用しており、中間流通業者より餌料を殆ど購入していないため、この形態においては中間流通業者との関係性は希薄である。 各々の養殖業者における3つの生産・出荷形態の選択および組み合わせと、養殖業者の労働力規模との間には関連性が確認された。具体的には、市場流通向けの養殖魚のみを生産しているのは12経営体、独自ブランド品も生産しつつも市場流通向けの養殖魚を中心に生産しているのは1経営体である。これらの養殖業者の多くは従業者数が2〜4名と比較的小規模である。そのため、厳格な品質管理や通年の出荷など多大な負担を要するブランド品の生産には消極的であり、生産の負担が比較的少ないものの買取価格が不安定な市場流通向けの養殖魚に特化するとともに、その中で事業収入を高めようとする動きが見られた。一方、他の3経営体は業者ブランド品もしくは独自ブランド品を中心に生産している。これらの養殖業者は、従業者数が5〜10名と比較的大規模であり、品質管理や通年出荷への労働力配分が可能となっている。そこで事業収入の安定化を図るべく、負担は大きいものの価格が安定するブランド品を生産していた。 このように宇和島地区の養殖業者は、自らの経営資源に合わせながら、中間流通業者との取引関係を活用して事業収入を増大もしくは安定化させ、不安定な市況動向への対応を図っていると考えられる。竹ノ内徳人2011.産地流通業者による養殖マダイ価値創造に向けた取り組み.地域漁業研究51(3):67-84.濱田英嗣2003.『ブリ類養殖の産業組織 - 日本型養殖の展望』成山堂書店.林紀代美2013.水産物流通研究における研究動向と今後の課題.金沢大学人間科学系研究紀要5:1-34.前田竜孝2018.愛知県西尾市一色町における養鰻生産者の関係性とその変化.人文地理70(1):73-92.
著者
清水 龍来
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

米山海岸地域は、近年のGPS観測によって明らかになった最大剪断歪み速度の大きい地帯(新潟&minus;神戸構造帯)(Sagiya et al. 2000)に含まれ,日本海東縁変動帯の陸域への延長部と考えられている。そこでは、歪みが塑性的な変形として蓄積され、主要な活構造が分布している(大竹ほか 2002)。近年、本地域の南西部に位置する高田平野の東縁に高田平野東縁断層帯(渡辺ほか 2002)が報告され、また周辺海域において2007年7月16日新潟県中越沖地震(M6.8)の震源断層と考えられているF&minus;B断層や,より南西のF&minus;D断層(原子力・安全保安委員会 2009)も報告されており,詳細な変動様式の解明と定量的な評価に基づく本地域のネオテクトニクスの解明が必要である。本地域には数段の海成段丘が分布し、分布高度が南西に向かって増大する傾向が指摘されていた(渡辺ほか 1964)。しかし、米山海岸地域全域に渡る系統的な地形・地質調査に基づく編年・対比は行われておらず,また隆起を引き起こす活構造など詳細は不明であった。本研究では米山海岸地域全域の地形・地質調査を実施し段丘の編年・対比を試みた。その上でそれらが示す地殻変動の傾向と周辺の活構造との関連を考察した。<br> 本研究では米山海岸地域に分布する段丘地形を、HH、H1、H2、M1、M2、Lの5面に区分した。岸ほか(1996)はM1面構成層と風成砂層との境界付近にNG(中子軽石層=飯綱上樽cテフラ:15&ndash;13万年前噴出(鈴木 2001))を見いだし、M1面を下末吉面相当とした。本研究では、M1面構成層とされる安田層及び大湊砂層を、より南西方まで追跡し、M1面の分布を明らかにした。また小池・町田(2001)などによってMIS5eに対比されていた上輪新田付近の段丘について,東京電力株式会社(2008)は、構成層にクサリ礫を含むことに加え、風成層上端から90cm以内にAT,DKP,Aso-4を確認しその下位に数mの風成ローム層を挟んで、温暖期を特徴付けると考えられる古赤色土(松井・加藤 1962)が存在することから,本面の形成を下末吉期より大きく遡ると考えた。本研究でも東京電力株式会社(2008)の見解を支持する結果が得られ本面をH1面に対比した。<br> 研究地域全域に広く分布するM1面の分布高度から地殻変動の傾向を明らかにした。M1面の旧汀線及び分布高度は、柏崎平野付近において約20mで南西に向かって高度を増大し、青海川付近で約50m、笠島付近で45mと概して北東へ傾動する傾向を示すことがわかった。<br> 周辺に分布する活断層の活動が,段丘の形成や高度分布に影響すると仮定し、Okada(1992)のディスロケーションモデルに基づき活断層の地殻変動量をモデルを用いて計算した。またF&minus;B断層に関しては、国土地理院が公開している新潟県中越沖地震時の地殻変動データを参考にした。その結果、米山海岸地域の北東への傾動は、上越沖に分布するF&minus;D断層の活動による南西側の大きな隆起による効果と,F&minus;B断層の活動による北東側の沈降が大きく寄与すると考えられる。一方、ひずみ集中帯の重点調査研究による地殻構造調査では、高田平野東縁断層最北部では上端の深さは約3kmの東傾斜の断層が地下に認められている。この断層がより北東方向へ伸びるとすれば、米山海岸地域の傾動に寄与する可能性がある。 &nbsp;<br><br> 参考文献 <br>Okada 1992.<i>BSSA </i>82:1018-1040.大竹ほか編 2002『日本海東縁の活断層と地震テクトニクス』.岸ほか 1996.第四紀研究135:1-16.原子力・安全保安委員会 2009.東電柏崎刈羽原発敷地周辺の地質・地質構造に関わる報告書. 小池・町田編 2001.『海成段丘アトラス』.地震調査研究推進本部2009a.高田平野東縁断層帯の長期評価について:1-31.鈴木 2001.第四紀研究40:29-41.東京電力株式会社 2008.東京電力株式会社柏崎刈羽原子力発電所 敷地周辺の地質・地質構造に関わる補足説明:1-14.ひずみ集中帯の重点的調査観測・研究プロジェクト『平成23年度成果報告書』.松井・加藤 1962第四紀研究 2:161-179. 渡辺ほか 1964.地質学雑誌70:409.渡辺ほか 2002.国土地理院技術資料 D・1-No. 396. Zeuner 1959.<i>The Pleistocene Period </i>:447 Hutchins <br>
著者
鵜野 いずみ 後藤 寛
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

ヘアーサロンは首都圏を例にみると東京の青山,原宿,渋谷地区にかなりの集中がみられる.このことを前提に客が移動コストをかけて美容院に通う動機と美容院業界および美容師業の構造,そしてそれに多大な影響を与えていると思われるファッションメディアによる情報発信の構造を明らかにすることを目指す.<br>また直接に客を相手にする美容院と,ファッション雑誌の中で活動するヘアーメイクアーチストの関連は近くと遠いものではあるが,雑誌をはじめメディアが振りまくファッションの中心地としての青山/渋谷地区のイメージは多分に,同地区美容院の広域集客に貢献しているものと考えられる.<br>美容院の立地分布をNTTのiタウンページデータをもとに描くと,東京都心西部の青山,渋谷,原宿周辺に極めて強い集積が確認できる.この集積は周囲のオフィス従業者分布や小売業の集積とは分布が異なり,それらと比べてもはるかに大きなものである.このことからこれらの地域の美容院はかなり広域からの集客によって成り立っているとみられる.<br>他方で,昨今ではリクルートの「ホットペッパービューティー」に代表されるサイトに希望の条件を入力して美容院を検索し,同時に予約を入れるシステムが普及している.このようなサイトの構成自体が広域集客を可能にしているとともに,ヘアースタイルに対する需要を発掘,あるいは顕在化させながら美容院自体の多様化,専門分化をも促し,全体として美容院市場の深耕を促していると考えられる.
著者
松本 太 石井 康一郎 山口 隆子 安藤 晴夫 三上 岳彦 福岡 義隆
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.142, 2004

1. はじめに 近年,地球温暖化とヒートアイランドによる温暖化に呼応して都市域では開花が早くなったり,紅葉が遅くなったりするなど,植物季節に変化が見られるようになったといわれている.そこで,松本・福岡(2003)は,埼玉県熊谷市を例として,2001年春に,都市の気温分布とソメイヨシノ(Prunus yedoensis)の開花日の局地差との関係を調査した.その結果,ソメイヨシノの開花日の分布に関しては都心部の高温域で早く,都市郊外の低温域で遅い傾向がみられ,ヒートアイランドが開花日に影響を与えていることが明らかになった.しかし,ヒートアイランドの調査は移動観測によって行われたために,開花日に影響を与えると考えられる積算気温と開花日との関係を詳細に検討するまでには至っていない.したがって,常時気象観測データが得られるような条件下でそれらの関係を検討する必要がある. 東京都環境科学研究所および東京都立大学(三上研究室)では東京都区内100カ所の小学校で百葉箱に自記録式の温湿度計を設置し,毎時10分間間隔で観測を行っている(METROS100).そこで,本研究では2004年春,それらの小学校のうち都心部から郊外部にかけての数地点を選定し,小学校内あるいは近辺におけるソメイヨシノの開花日の調査を行った.そして積算気温に着目しつつ,東京都区部におけるソメイヨシノの開花日に及ぼすヒートアイランドの影響について評価することを試みた.2. 調査方法ソメイヨシノの開花日の観察は2月下旬_から_3月下旬まで東京都区内,中央区,千代田区などを都心部,練馬区付近を郊外部として,当該地域の小学校や小学校付近の公園などを巡回し,調査を行った(図1).開花日の基準については気象庁の生物季節観測指針に従って判断した.すなわち1本の観察木で5,6輪以上の開花がみられた期日をもって開花日とした.なお,本研究では一つの地点で2本以上の木がある場合には,50%の木が開花したの基準に達した日を開花日とした. 3. 結果2004年は2月から3月にかけて,平年よりかなり気温が高く推移したために,気象庁発表では東京(靖国神社)はソメイヨシノ開花日の観測史上2番目に早い3月18日の開花となった.本研究で調査した地点では開花日は都心部の高温域で早く,郊外部の低温域で遅い傾向が見られ,都心部の早いところで開花日が3月18日であり,郊外部との開花日の局地差は最大で6日であった.よって,東京都区部においてもヒートアイランド現象が開花日に影響を与えていると考えられる.また,都心部と郊外部における開花日は各々におけるある起算日からの積算気温の変化傾向に相対的に対応している.以上のことから,ヒートアイランド現象によって都心部,郊外部におけるソメイヨシノの開花過程に影響を与える積算気温の推移に局地差が生じ,結果的に都市内外における開花日の局地差につながっていると考察された.謝辞2002年のMETROS100のシステム立ち上げ以来,東京都環境科学研究所の横山仁氏,市野美夏氏,秋山祐佳里氏,小島茂喜氏,現東京都水道局金町浄水場の塩田 勉氏,江戸川大学の森島 済氏,東京都立大学の泉 岳樹氏には,気象データの処理などに関して,多大なご尽力をいただきました.ここに記して深くお礼申し上げます.
著者
鈴木 力英 河村 武
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.68, no.12, pp.779-791, 1995-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
15
被引用文献数
1 1

日本における地上から300hPaまでの気温逆転層(接地逆転層は除く)の地域性と季節性を明らかにすることを試みた.資料には高層観測磁気テープを使用し,1983年3月~1987年2月の4年間を対象期間とした.対象地点は国内の20地点,対象時刻は日本標準時で9時と21時である.逆転層の月別出現頻度と出現高度の情報をもとにクラスター分析を行ない,日本列島を5つの地域(北海道型,東本州型,仙台・館野型,西日本型,太平洋島しょ型)に区分し,次のような結果を得た.北海道型では1,000~950hPaの気層で逆転層が梅雨期を中心に31%(6月)の頻度で発生し,これはオホーツク海気団の影響と考えられる.750hPaを中心とした逆転層の出現頻度の極大は夏季を除いた季節に全国でみられ,冬季季節風,および移動性高気圧等に伴う沈降性逆転が原因であると考察される.
著者
武者 忠彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.57-69, 2021 (Released:2021-03-03)
参考文献数
20
被引用文献数
3

本稿の目的は,立地適正化計画によって都市はどのように変化し,それはコンパクト化として評価できるのかを明らかにすることである.立地適正化計画は,コンパクトシティの拠点形成の仕組みとして制度化されたが,計画を策定した都市のうち,大都市圏では,中心部における生活環境の充実などが課題に設定され,福祉や医療などの生活関連機能を中心に都市機能が誘導されはじめている.一方,地方都市の中心部では,計画の課題や生活需要とは別の論理で,補助金を活用した公共施設の再編が進む傾向にある.今後,コンパクトシティを実質化するためには,立地適正化計画にもとづく都市機能の配置だけでなく,中心部における生活スタイルの波及や共有による居住人口の増加が鍵となるだろう.
著者
高島 淳史
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.150, 2003

1.はじめに 中心市街地の衰退は、人口の郊外流出やモータリゼーションの進展を背景に全国的な問題となり、はや数十年が経つ。しかし、いまだ有効な対策がなされていないため、中心市街地の空洞化は進行している状況にある。そのため、現在中心市街地活性化の必要論、不必要論が議論されている。中心市街地再開発・再編成の必要性は以下のようにまとめることができる。_丸1_交流拠点としての「都市の顔」の役割、_丸2_コミュニティの保持、_丸3_都市のコンパクト化、_丸4_高齢者にとって住みよい環境、_丸5_環境に配慮した車に過度に依存しない生活の場である。以上のような観点から、全国各地で中心市街地活性化が行われている。本発表では、沼津市中心市街地活性化区域内の商店街を対象とし、中心市街地の現在までの経過を把握し、問題点を明らかにする。また、商店街の機能を把握した上で、商店街の活性化がどのように進められてきたのかを経年的に追う。その結果、商店街にもたらされた影響について考察し、活性化への問題点を探る。2.沼津市中心市街地の変遷1930年代の沼津市における商業の中心は、沼津港を核として旧国道1号以南にあった。しかし、1932年の西武百貨店をかわきりに、駅周辺に大型店が進出し、買い物客は交通の面でも便利な駅前に集まるようになり、旧国道1号以北に商店街が形成され、アーケードを整備し、商業の中心は移っていった。高度経済成長期が軌道に乗った1960年頃から70年にかけて中心市街地の人口は急激に増加したが、70年代に入るとモータリゼーションの影響を受け、中心市街地では人口流出が始まった。大型店(1000_m2_以上)については、1970年以降中心市街地に7店舗、郊外に38店舗と郊外化の傾向が強まっているといえる。 3.中心市街地活性化に向けての商店街の役割と活動大手町商店街、仲見世商店街の商店数、年間販売額は高く、依然商業の中心は駅南にあるといえる。一店舗当たりの年間販売額では、大手町商店街だけが際立って高い。仲見世商店街は店舗数が多いことで商店街の年間販売額を引き上げているが、各店舗の年間販売額は決して高くはない。一方、駅北は商店街ごとの商店数、年間販売額において、全体的に停滞もしくは減少を示している。また、駅北にあるイトーヨーカドーをキーテナントとしたイシバシプラザは、大型駐車場を完備しており、徐々に売上を伸ばしている。駅南の大手町商店街、仲見世商店街と駅北のイシバシプラザを活性化の核として、以上の現状より中心市街地の各商店街は、さまざまな年間行事を企画実践し、中心市街地のイメージアップと認知度の向上を図っている。また、若手を中心とした商店主の間に、まちづくりNPO設立の動きもあり、本格的な活動が始まっている。
著者
小林 護
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<p>伝統的建造物群保存地区(以下、伝建地区)とは、1975年の文化財保護法改正によって生まれた町並み保存を目的とした制度である。翌1976年に指定が始まり、2018年4月1日現在43道府県97市町村117地区が指定された。伝建地区制度とそれまでの町並み保存の取り組みとの違いは、建造物の群体である町並みを丸ごと一体として保存するべき文化財して定義した点と国からの指定ではなく市町村からの選定であるという点にある。伝建地区を扱ったこれまでの多くの研究は、対象地域を一つに絞った個別分析であり、さらにいずれの研究においても、伝統的町並みの保存活動が行われるようになった1970年代以後の事象を扱っている。このことは、対象となる地域の歴史や伝建地区が保存の必要が語られるようにになる以前の状況から現在までの経年変化や、周辺の関係性についても考察されていない。そこで発表者は、伝建地区を見る上では、その地区がなぜ残存したのかについて地区がもつ地理的要素から伝建地区を理解する必要があるのではないかと考えた。つまり、伝建地区は単独で存在するのではなく、地域の歴史や都市化の影響を受けながら残存してきたと考える。よって特に市街地内伝建地区と、その周囲地域も含めたフィールド調査と文献調査から、近代化した市街地の中にあって古い町並みを残すこととなった要因を考察することが重要であると考える。本研究は市街地内に立地する伝建地区(以下、市街地内伝建地区)の成立とその残存要因(市街地内において伝統的な街並みが残存するに至った要因)を地域の地理的特性を複合的に分析することで明らかにすることを目的とした。</p><p></p><p>調査・解析の結果。以下のことが明らかになった。市街地内伝建地区の成立と残存の主要件として3つが考えられる。それは文献資料調査による(1)対象地域の経済力、(2)非戦災・非災害、GIS解析によって明らかになった(3)対象地域を含む周辺地域の中心市街地の移動。</p><p></p><p>(1)経済力:市街地内伝建地区の多くは、「小江戸」と呼ばれ栄えた川越市川越地区などの商業物流の中心地として経済的に発展した町であったことがあげられ、他の武家町や寺町もまた特権的な立場の町として経済的に富が集積した地域であったと言える。</p><p></p><p>(2)非災害・非戦災:残存要因としては震災や大火といった偶発的な自然災害を免れたことや戦災による被害を被らなかったことがあげられる。現在残存する市街地内伝建地区とはこういった諸要因が重なった場所であると考えられる。</p><p></p><p>(3)中心地の移動:伝建地区が鉄道の敷設と駅の建設に伴い都市の中心地が移動し、結果として遺存的に残った町が含まれることを指摘できる。この例として、かつては港湾都市として栄えた倉敷市倉敷川畔地区があげられる。明治期以降、交通の主役は街道から鉄道へ短期間に交代した。それに伴い中心市街地がこれまでの街道沿いから鉄道駅前に移動たことにより、旧街道沿いの伝建地区を含む中心市街地は衰退し、鉄道駅周辺の新たな中心市街地が都市の中心となり発達した。結果として古い町並みを残す旧中心市街地が新しい中心市街地に隣接または内包される形で残されたといえる。</p>
著者
吉川 虎雄 太田 陽子 米倉 伸之 岡田 篤正 磯 望
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.53, no.4, pp.238-262, 1980
被引用文献数
44

ケルマデック諸島南端部に近いニュージーランド北島プレンティ湾南東岸地域の海成段丘は,上位からマタカオア・オタマロア・テパパ・テアラロアの4段丘に分類される.これらの各段丘は,いずれも海進を示す地形と堆積物とを伴い, 4回の高海面期の存在を示す.段丘をおおうテフラの細分とそれらのフィッション=トラック年代,段丘堆積物の14C年代から,段丘の形成期は,上位のものからそれぞれ約22~23万年前,約12~13万年前,約8~10万年前,約4,000~5,000年前と推定される.<br> 各段丘面の高度分布から,この地域では, (1) 南東から北西への傾動と, (2) 北縁部における北への著しい擁曲とが認められる. (1) は,明瞭な二つのヒンジによって, (1a) 南東部の急な傾動, (1b) 中央部のゆるやかな傾動,および (1c) 北西部の沈降とに分かれる. (1b), (1c) および (2) は,この地域の山地の成長を示すが, (1a)は山地地形とは調和しない.段丘面は古いものほど同じ様式でより著しく変位しているので,第四紀後期には各地域ごとに同じ様式の地殻変動が継続したことを示す. (1a)の隆起や傾動の規模および速さは,ニュージーランドでは最大級の値であり,環太平洋地域の他の島弧一海溝系におけるそれらに匹敵する.このことと,この地域の海溝に対する位置関係から, (1a)はケルマデック海溝内縁に発生する大地震に伴う地殻変動によるものと考えられる.
著者
渡部 帆南 奈良間 千之 河島 克久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<b>1.はじめに</b><br> 2015年4月25日にネパールの首都カトマンズから北西に位置するゴルカ郡でM7.8の地震が,5月12日にカトマンズから北東80kmでM7.3の地震が発生した.100回ほどの余震を含めたこの一連の地震により,ヒマラヤ高山の雪氷域では雪崩,氷河崩落,雪氷土砂崩落,土砂崩落など多数の斜面崩壊が生じた.カトマンズの北に位置するランタン谷では,地震により生じた2度の雪氷土砂崩落(6.81×10<sup>6</sup>m<sup>3</sup>と0.84×10<sup>6</sup>m<sup>3</sup>)により,ランタン村は雪氷土砂堆積物に覆われ,350名を超える犠牲者がでている(Kargel et al., 2015; Fujita et al., 2016).雪氷土砂崩落のトリガーは山岳斜面上部にある懸垂氷河の崩落や冬季の大量の積雪による雪崩だと考えられている.ヒマラヤ地域に限らず,懸垂氷河の崩落のサイクルや崩落する地形場の特徴は明らかでなく,懸垂氷河の崩落を調査し,今後の防災対策に役立つデータを作成する必要がある.そこで本研究では,ランタン谷に面するランタン・リルン峰の南西壁と東壁を対象に,地震前のGoogleEarthの画像とWorldView-2の地形表層モデル(DSM)データ,地震後のヘリコプターから空撮した2015年10月,2017年4月と10月,2018年11月の空撮画像から作成したオルソ画像とDSMデータを比較し,懸垂氷河の崩落箇所とその特徴を調べた.<br><b>2.研究地域</b><br> ランタン谷は,ネパールの首都カトマンズから北に約70kmに位置し,谷底は標高3000mほどある.ランタン・リルン峰(7246m)は谷の北に位置し,その上部には懸垂氷河が多数存在する.本研究では,ランタン谷に面するランタン・リルン峰の南西壁と東壁を対象にした.<br><b>3.研究方法</b><br> 地震後の2015年10月27日にヘリから撮影された空撮画像をSFMソフトでオルソ画像とDSMを作成した.地上基準点の情報はGoogleEarthとWorldView-2 DSM(解像度8m)から取得した.また,地震前のGoogleEarthの衛星画像と地震後のヘリ空撮のオルソ画像を比較し,懸垂氷河の崩落箇所を抽出した.また,2017年4月と10月,2018年11月に取得した空撮画像から作成したオルソ画像とDSMデータを用いて,ランタン・リルン峰の懸垂氷河分布図を作成し,懸垂氷河の崩落個所やその縦断プロファイルの変化を調べた.<br><b>4.懸垂氷河の分布と崩落の特徴</b><br> ランタン・リルン峰の南西壁と東壁の懸垂氷河の分布を調べたところ,南西壁では広く面的に発達したシート状の懸垂氷河が存在する.一方,東壁では大きな氷河はなく,個々の小規模な懸垂氷河が全体に分布する.東壁の下部には,懸垂氷河の崩落により形成されたリルン氷河が存在するが,南西壁の再生氷河は小さい.この結果は,氷河崩落による涵養量の違いによるものと考えられる.<br> 地震前後のオルソ画像を比較したところ,地震によって崩落したのは,標高5500~6700m,斜度20~60°に位置する懸垂氷河であった.崩落箇所は12箇所確認され,幅50~100m,高さ20~50mの氷体が消失していた.崩落箇所は,懸垂氷河の末端部や氷河中央部の凸部の傾斜変換点で生じている.また,2015年と2018年の懸垂氷河の変化を調べたところ,崖タイプと斜面タイプの両方で崩落があり,氷河末端部の前進も確認された.複数の崩落箇所の縦断プロファイルを比較した結果,氷河の末端部が氷体底部まですべり落ちているのではなく,末端部の表面上部だけが崩落していた.懸垂氷河の多くの崩落が50°以上の斜面で生じており,崩落後の末端部の形態から,分布する懸垂氷河は寒冷氷河の可能性が示唆される.<br> また,地震によってランタン村に堆積した雪氷土砂堆積物の融解過程を調べたところ,地震後の2015年10月から2018年11月までに60%ほどの体積が消失しており,堆積物のほとんどが雪氷体で構成されていると考えられる.
著者
千葉 晃
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2019年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.92, 2019 (Released:2019-09-24)

筆者は、2011年3月11日に発生した東日本大震災直後から月末までの岩手・宮城両県太平洋岸のアメダス地点の気温を調査した。この震災直後は体育館や寒い屋外で避難を余儀なくされていた被災者が多く、どの程度の気温であったのかを明らかにしておく必要がある。地震直前の14:40JSTでは0.5〜5.8℃で、直後の14:50JSTでは0.6〜5.6℃であった。16:00JSTに最も低温であったのは宮城県の塩釜で0.0℃を記録した。翌日3月12日に日最低気温が最も低かった地点は岩手県の譜代で-5.6℃、3月31日までも譜代で-6.4℃であった。