著者
大邑 潤三 土田 洋一 植村 善博
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.75, 2010

I 研究目的<br> 北丹後地震は1927(昭和2)年3月7日(月)18時27分、京都府北西部の丹後半島を中心に発生したM7.3の地震である。震源の深さは極めて浅く、震央は旧中郡河邊村付近であると推測されている。丹後半島地域の被害が最も激しく、全体で死者2,925人、負傷者7,806人、住宅被害17,599戸であった。<br>本地震では郷村地震断層近傍の峰山町で約97%、山田地震断層近傍の市場村で約94%という高い住宅倒壊(全壊)率を示しており、地震断層近傍の地域ほど住宅倒壊率が高い一般的傾向であると言える。<br>しかしこれまで住宅倒壊率に関して小地域レベルでの詳細な検討がされてこなかった。そこで今回小地域レベル(大字)での分析を行った結果、一般的傾向にあてはまらない集落の存在が明らかとなった。本研究ではこれらの地域が一般的傾向に当てはまらない原因について、地震断層からの距離や地形・地盤などの観点から考察する。〈BR〉II 被害分析の結果 今回大字別の被害分析を行うにあたって『丹後地震誌』(永濱1929)の大字別被害統計を採用した。ここから各集落の住宅倒壊率の状況を示した地図と、地震断層からの距離と住宅倒壊率の関係を示した相関図などを作成した。これから総合的に判断して_丸1_地震断層辺遠で倒壊率の高い集落、_丸2_地震断層近傍で倒壊率の低い集落の2種類に分類し表1の通り抽出した。尚、山田断層周辺の集落に関しては比較・抽出が難しいので今回は割愛した。<br>相関図による分析を行った結果、地震断層からの距離と住宅倒壊率との関係は全体的に一般的傾向を示しながらも、かなり散らばる形となった。また比較する集落数の違いはあるものの、郷村地震断層下盤側の被害率が高い傾向にある事も明らかとなった。 <br>作成した地図から郷村地震断層の変位量と住宅倒壊率との関係を分析した。変位量の大きな郷村地震断層中部の被害率が高く、変位量が小さくなる南に移動するに従って被害率も低くなる傾向にあることを確認できた。<br>次に、表1に示した郷村断層東側分類_丸1_の仲禅寺などの4集落は、いずれも島津村の集落である。中でも仲禅寺・島溝川直近には仲禅寺断層が走っており、住宅倒壊率が高い原因が活断層による地質・地盤構造の急激な変化にある可能性が考えられる。また同じく島津村の掛津・遊両集落は砂丘地形に立地している。西側_丸1_浜詰村浜詰は浜堤上、木津村上野は砂丘周辺に立地しており、砂質地盤が倒壊率に大きく影響していると考えられる。<br>以上、地震断層辺遠で住宅倒壊率の高い集落は、いずれも地質・地盤状況に強く影響されていると考えられる。活断層の存在や地質・地盤状況が住宅倒壊率にどれほどの影響を与えたか、ボーリングデータなどからより詳細に分析する必要がある。またこれら特徴的な被害が発生した原因を地質・地盤のみに限定して求めることなく、盛土や建築物の構造など様々なレベルや視点から分析する必要性を感じる。
著者
牛垣 雄矢
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

<b>1</b><b>.はじめに</b><br><br> 本発表では,変貌著しい工業都市川崎を写した景観写真を用いて,そこに写された景観要素を抽出し,都市の地理的特徴やその変化を把握する方法を検討する.<br><br><b>2.</b><b>川崎臨海部の景観写真を読む</b><br><br> 最初にみるのは,かつては重化学工業が集積した川崎臨海部を写した景観である.写真左のAとB は東京電力の火力発電所で,Cは天然ガス発電所である.火力発電の原料として利用されている液化天然ガスは,川崎港の輸入の大半を占める.Dはオイルターミナル石油精製所であり,重化学工業地帯として活況を呈していたころの景観要素が残っている.一方,E・F・Gはいずれも食品系製造業等の倉庫や物流センターである.川崎の臨海部は,国内屈指の貿易港をもち大消費地でもある東京と横浜に近接し,各方面への交通アクセスもよくモノの流れがさかんであるため,近年では冷蔵・冷凍食品の物流センターとしての役割が大きい.<br><br> 都市の景観要素の場合,対象物が「何なのか」分からない場合でも,スマホやタブレットにより地図アプリや検索サイトを利用することで,その景観要素が何であるか,その詳細な情報を得ることができる.それを当該地域の地理的特徴と関連させてとらえれば,景観写真を地理的に読み解くことができる.<br><br>次に見るのは,京浜急行大師線とその沿線の高層マンションを写した景観である.京急大師線は,川崎大師の存在によって関東初の電車として1899年に開通した.この敷設以降,川崎の近代工業化はその沿線で進み,1909年には蓄音器の日本コロンビアが,1914年には味の素が立地した.写真中央のマンションは,日本コロンビアの跡地に建てられている.川崎の工業化に大きな役割を担った京急大師線は,今日では沿線のマンション居住者の足となっている.<br><br><b>3.</b><b>川崎内陸部の景観写真を読む</b><br><br>次に見るのは,川崎内陸部のマンション群を写した景観で,AはJR南武線鹿島田駅周辺,Bは同矢向駅周辺,Cは武蔵小杉駅周辺に位置する.生産年齢人口やその子供世代の流入に伴う人口増加が顕著な点は今日の川崎の特徴であり,景観としてはマンションが林立する姿として表れる.Bの左にはキャノンの研究開発施設(D)がみられる.電気機械など組み立て型の工場は内陸部へ立地する傾向があり,川崎市でも戦前から南武線沿線に電気機械工場が立地し,近年はこれらが研究開発施設へと転換している.<br><br> 景観要素がその場所に立地する背景を考察するには,過去から現在にかけての変化を見るとよく,それには古地図が有効である.A~Eにはかつては工場が立地し,いずれも鉄道駅に近接しており,貨物による物流が主であった時代の立地として適地であった.その後これらの工場が安価な労働力を求めて海外や地方へ移転すると,駅前に広大な空地が生まれ,大規模マンションの建設を可能とした.今日,武蔵小杉駅や川崎駅周辺などにマンション等がみられるのは,かつて川崎が工業都市であったことと関係が深い.<br><br>次に見るのはさいわい緑道の一部を写した景観である.ここはかつて東京製綱川崎工場へ続く貨物線が通っていたが,この工場が移転し跡地に13棟の団地が建設されると,緑道へと変わった.この写真は,一帯がものづくり空間から生活空間へと変化したことを表している.<br><br><b>4.JR</b><b>川崎駅前の景観写真を読む</b><br><br> 次に見るのは,JR川崎駅周辺を写した景観である.AはSCのラゾーナ川崎プラザで,その人気の背景には乗降客数の多いJR川崎駅に近接していることがあげられる.ここは1908年に東芝の工場が立地した場所で,現在も敷地の一部に東芝のオフィスと科学館(B)が残っている. Cは日本最大級のパイプオルガンを有する音楽ホールが入るミューザ川崎で,これは「街が汚い」といった川崎の負のイメージを払しょくするために進められている「音楽の街」政策の中核的施設である.Dは,かつてはアパートが立地していた場所に立つ高層マンションである.駅前には分譲価格が1億円程の高価格な高層マンションもあり,この地区の居住者層にも変化がみられる.<br><br><b>5.</b><b>景観要素からみた川崎の都市構造</b><br><br>これまでみた景観写真に描かれた要素は,相互に関連しながら川崎という都市を構成しているため,それらの景観要素の関係性から都市構造をとらえる.今日の川崎の特徴であるマンションや研究所,SCなどの多くは工場跡地に立地していた.音楽の街としての川崎の政策も工場の集積による公害の経験と関係している.過去や今日の川崎の特徴を表す景観要素は,いずれも工場と直接的・間接的につながっており,川崎という都市の地理的特徴や構造,その変化を把握するには,工場を中核に添えて他の要素との関係性をみると理解しやすい.なお,これら川崎の地理的特徴や構造を構成する景観要素を抽出するには,対象とする地域や事象についての知識が必要となる.
著者
伊藤 智章
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.516-525, 2016 (Released:2017-03-29)
参考文献数
9

高等学校の地理教育におけるGISの普及低迷を打破するための手段として,タブレットコンピューターの活用を企図し,学校の現状に合わせた教材を開発した.沖縄への修学旅行の事前学習と現地研修において,現地の新聞記事とデジタル地図を組み合わせたアプリケーションソフトを作り,地図と記事との関連づけや,現地での研修を行うことにより,生徒に沖縄の歴史と市街地の変遷について深く理解させることができた.タブレットコンピューターによるGIS教材は,パソコンよりも操作が容易であり,かつインターネットへの常時接続を必要としないため,汎用性が高い.本教材を地理教育にGISを浸透させるための有効な手段として位置づけ,今後も普及を図っていきたい.
著者
菅 浩伸 木村 颯 堀 信行 浦田 健作 市原 季彦 鈴木 淳 藤田 喜久 中島 洋典 片桐 千亜紀 中西 裕見子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.114, 2020 (Released:2020-03-30)

1. はじめに 「海底では陸上のように風化侵食が進まないため,地形はその形成過程をそのまま反映していることが多い」(『海洋底科学の基礎』 共立出版 p.10)。しかし遠洋深海域と異なり、沿岸浅海域では波浪や流れにともなう海底砂州の変化や海底の侵食が発生する。日本の海底地形研究は1950年代以降に格段に進歩した。地理学者であった茂木昭夫は広く日本沿岸や北西太平洋の海底地形研究を行い、浅海域における現在の侵食・堆積作用についても多くの記述を残している1)。また、豊島吉則は波食棚や海食洞・波食台について、素潜りの潜水調査によって詳しい記載を残した2)。しかし1980年代以降、日本および世界の海洋研究は遠洋深海を舞台にした調査と資源探査に力が注がれていき、浅海底の地形研究は中断期を迎える。40年の時を経た今、浅海底の地形・地理学研究を再び前へ進める一歩を踏み出したい。2.研究方法 琉球列島・与那国島において、2017年12月に南岸域、2018年7月に北岸域を対象として、ワイドバンドマルチビーム測深機(R2 Sonic 2022)を用いた測深調査を行い、島の全周にわたる海底地形測量を行った。また、2013年および2016年以降にSCUBAを用いた潜水調査を行い、海底地形や堆積物などの観察を行った。2. 与那国島の海底地形 与那国島では主に北西−南東、北東−南西、東−西の3方向で正断層が発達しており、北側の地塊がそれぞれ南へ傾動しながら沈む傾向にある3)。海底地形にも北西−南東、北東−南西、東−西の3方向で大小多くの崖や溝地形が認められる。 与那国島西端の西崎および東海岸(東崎〜新川鼻)は中新統八重山層群の砂岩泥岩互層が海岸を構成する。これらの海岸の沖では頂部が平坦で側面が崖や溝で区切られた台状の地形が多く認められる。また、海底では現成の侵食作用が顕著に認められる。水中にて、岩盤の剥離、削磨作用、円礫の生成などの侵食過程や、様々な形状・大きさのポットホールなどの侵食地形がみられた。観察した中で最大のポットホールは水深16mを底とし、径20m 深さ12mのもので、径2〜3mの円礫が十数個入る。南東岸では水深31mで径50cm〜1mの円礫が堆積し、新しい人工物上に径50cmの円礫が載る場面も観察された。海底の堆積物移動と削磨・侵食作用が深くまで及んでいることが推定できる。 南岸の石灰岩地域の沖でも海岸に接した水深10〜15mに現成の海食洞がみられる。また、水深26mにも海食洞様の地形が認められ、底部の円礫は時折移動し壁面を研磨しているようであることが付着物の状況から推定できる。 南岸ではこのような大規模な侵食地形(海底・海岸)とともに,サンゴ礁地形においても他島ではあまりみられない地形(リーフトンネル群や縁溝陸側端部のポットホールなど)があるなど,強波浪環境下でつくられる地形が顕著にみられる沿岸域といえよう。 北岸沖(中干瀬沖,ウマバナ沖)にも、水深20m以深の海底に崖地形が発達するなど、侵食地形がみられる。一方、北岸の沿岸域には比較的穏やかな海域でみられるタイプのサンゴ礁地形が発達する。島の北岸・南岸ともサンゴ礁域における造礁サンゴやソフトコーラル・有孔虫などの生育状況はきわめてよい。謝辞:本研究は科研費 基盤研究(S) 16H06309(H28〜R2年度, 代表者:菅 浩伸)および与那国町—九州大学浅海底フロンティア研究センター間の受託研究(H29〜31年度)の成果の一部です。引用文献: 1) 茂木昭夫 (1958) 地理学評論, 31(1), 15-23.など 2) 豊島吉則 (1965) 鳥取大学学芸学部研究報告, 16, 1-14.など 3) Kuramoto, S., Konishi, K. (1989) Techtonophysics, 163, 75-91.
著者
泉田 温人 内山 庄一郎 須貝 俊彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<b>1.初めに</b> 平成27年9月関東・東北豪雨は鬼怒川流域に記録的な大雨をもたらし<sup>1)</sup>,10日12時50分に常総市三坂町地先(左岸21k付近;図1中の&times;)で鬼怒川の堤防が決壊した<sup>2)</sup>.鬼怒川水海道観測所においては同日13時に計画高水位(17.24m, Y.P.)を超過した<sup>3)</sup>.破堤箇所付近の鬼怒川は,風成層を載せる更新世段丘に挟まれた沖積低地の西端を流れ,河床勾配1/2500程度の砂床河川である.堤防の決壊区間から後背湿地に南流した洪水流による自然堤防上の地形及び洪水堆積物の特徴を報告する.<br><b>2.調査手法</b> トータルステーション測量とVRS方式のGNSS観測機による測量を実施し,洪水後の地形断面図を作成するとともに洪水前の5mメッシュDEM(国土地理院提供)と比較して洪水イベントによる地形変化を検討した.堆積物調査では現地での記載とレーザー回折式粒度分析装置による粒度分析を行った.<br><b>3.破堤地形の記載</b><br><b>地形の特徴</b><b>:</b>洪水流の中心では破堤堤防の付近に深さ2 m以上の落掘が形成され,その下流も150 m以上の距離の間,浸食作用が卓越し標高が30-40 cm低下したが,中心以外では侵食域は洪水流の根元に限られ標高変化の小さい領域が大きかった.この領域の途中には地形的な段差の下に比高30-40 cmの急崖を持つローブ状堆積地形が一部で形成された.また侵食を免れた道路などの洪水流下流側に砂が堆積する例が多く認められた.<br><b>堆積物の特徴</b><b>:</b>調査地のほぼ全域で地表から5-30 cmの深度まで洪水堆積物が分布し,その下部は上方粗粒化を示す泥質細砂-極細砂,上部は淘汰の良い細砂-中砂で主に構成されていた.前述のローブ状地形では層厚50-60 cmの泥を欠く中砂が地表まで堆積した.また,一部地点は泥が地表を被覆した.<br><b>4.まとめと今後の展望</b> 今回の破堤地形は過去に報告されたクレバス・スプレー<sup>4)</sup>と類似する特徴が多いが,地形の分布は人工物の影響を多少受けている.今後,UAVを用いた新たな地形調査法を含む地形と堆積物の詳細かつ広範な調査により,破堤箇所から遠方に至るまでの破堤地形の縦断的な地形変化のシーケンスが明らかにされ,過去の埋没破堤地形の同定に適用できる可能性がある.このことは,自然堤防の分布と共に勘案することで,クレバス・チャネルの出現に発する新河道の形成と本流路の争奪,そしてまた別の流路への河道変遷の過程を追跡し,氾濫原の地形発達の理解に繋がり得る.<br><br><b>参考文献</b>&nbsp; 1) 気象庁 (2015):平成27年報道発表資料,http://www.jma.go.jp/ jma/press/1509/18f/20150918_gouumeimei.html(2015年12月28日閲覧) 2) 国土交通省関東地方整備局 (2015):平成27年記者発表試料, http://www.ktr.mlit.go.jp/kisha/index00000080.html(2015年12月28日閲覧)3) 国土交通省:水文水質データベース, http://www1.river.go.jp/(2016年1月23日閲覧) 4) Bristow et. al. (1993) : Sedimentology, 46, 1029-1047
著者
大橋 和幸
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

1.はじめにOx濃度の年平均値は,1985~2004年度の20年間で約5ppb上昇しており(光化学オキシダント・対流圏オゾン検討会,2007),環境基準達成局数の割合は一般局・自排局ともに2010年に至っても0%であった(環境省報道発表資料,2012).この原因として,越境汚染や地域気象の状況が変化したことなどが指摘されている.また,以前よりわが国では週末の方が週日と比較して相対的にNOx濃度が低いにも関わらず,Ox濃度が高くなる週末効果という現象が確認されてきた.例えば,大原(2006)によると,Oxは週日の方がその場での生成量は多いが,週末はNOの排出量が減少するため,O3が分解されにくくなることが原因であるとしている.一方,神成(2006)は,HC-limitedの環境下において,週末にNOxの排出量が減少することによってO3生成抑制効果が解除されるため,週末に高濃度になるとしている.この様なOx濃度の近年における経年変化傾向や,週末効果といった短周期変動が指摘され,その原因が考えられてきているが,一方,こうした現象の時空間的特徴に関しては必ずしも明らかとなっていない.そこで本研究では関東地方を対象として,近年のOx濃度上昇および週末効果について,時空間変動からそれらの要因を考察することを目的とした.2.方法対象地域は関東地方1都6県とした.使用したデータは国立環境研究所で取り纏めている大気汚染常時監視測定データの1時間値であり,対象物質はOxである.対象期間は1980年4月から2011年3月までとした.はじめに,Oxの季節的・経年的な時間的特性を比較するため,月別平均値に対して主成分分析を行った.ただし,測定局により観測開始時期の違いや欠測値を含む期間が存在するため,対象地域内をグリッドで区切り,グリッド平均値を作成した後,解析を行っている.また,週末効果を把握する観点から,日平均値に対して同様のグリッド化を行ったデータに対しても主成分分析を行った.3.結果月平均値に対して行った主成分分析の結果,第1主成分には関東地方全域の濃度変動を示すモードが検出された.この成分は経年的に見ると,2000年頃からOx濃度が増加していることを示している.また,地域的な増加量の違いが認められ,北関東南部および千葉県では大きく,南関東では相対的に小さい傾向にあった.さらに,日平均値に対する解析結果から,週末効果に対する濃度変動は1980年代には小さく,近年において大きくなる傾向を持つことが明らかとなった.季節変化成分も顕著に認められ,春期(4月・5月)に増加の極大を持ち,経年的な増加傾向がこの時期における高濃度化と極大期の拡大に対応していることが示唆される.
著者
西宗 直之 小野寺 真一 成岡 朋弘 佐藤 高晴
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.123, 2003

<B>1. はじめに</B><BR> 瀬戸内沿岸地域は温暖少雨の気候のため、日本で最も山火事の発生頻度が高い地域となっている。山火事は森林植生や生息動物などの森林生態系を改変するのはもちろん、侵食作用の増大による地形変動や土壌環境、場合によっては水理・水質などの環境に影響を及ぼすことが想定される。また、土壌侵食の活発化による土砂流出量の増加は、下流域の堆積過程に変化をもたらす可能性があり、土砂災害の防止という観点からも重要な研究課題のひとつである。したがって、山火事の発生による侵食速度の変化や流域から生産される土砂量の予測を行っていくために、現存する山火事跡地の侵食速度を算出し、火災発生後の土砂流出特性を把握することが必要となる。よって、本研究では山火事発生後の経過年数の異なる流域における山火事発生前後の流域侵食速度の変化を確認し、山火事発生後の年数の経過に伴う土砂流出パターンの変動を明らかにすることを目的とした。</BR></BR><B>2. 研究地域及び方法</B><BR><U>2.1. 山火事跡地の砂防ダムにおける堆砂量の測定</U><BR> 流域の全面積が山火事に遭った砂防ダムのうち、最上流部に位置するものを選定し、堆積深度を検土杖で測定した後に堆砂量を算出した。堆積速度は、上記の方法により得た堆砂量を砂防ダム建造年から経過した年数で除して求めた。山火事の発生以前に建造されたダムについては、検土杖により炭化物が認められる堆積層を山火事発生時とみなし、堆積速度を区別することにより火災前後の侵食速度をそれぞれ求めた。一連の調査は2003年3月に実施した。<U>2.2. 山火事跡地試験流域における観測</U><BR> 2.1の砂防ダム流域とは別に、3か所の山火事跡地流域において調査・観測(2000年4月から2003年5月に実施)を行った。毎回の降雨イベント後に土砂トラップに堆積した土砂量を測定した。<BR>1)IK:2000年8月に山火事発生(撹乱流域)<BR>2)TB:1994年8月に山火事発生(荒廃流域)<BR>3)TY:1978年8月に山火事発生(回復流域)<BR> これらは、植生の状況以外はほぼ同一の特徴を持つ。<BR><BR><B>3. 結果と考察</B><BR><U>3.1. 山火事跡地流域における侵食速度の推定</U> 表1に各砂防ダム流域における流域特性及び侵食速度を示す。各流域とも、山火事発生前の流域侵食速度が0.02から0.07mm/yrという低い値を示したのに対して、山火事発生後では0.33から0.42mm/yrと高い値を示した。特に、山火事の発生からあまり年数が経過していないIK1では、侵食速度は2.2mm/yrという非常に高い値を示した。これらは、発電用ダムで計測された中部地方の急峻な山地渓流における侵食速度(0.3から0.5mm/yr)(藤原ほか、1999)と比較して同等かそれ以上の値であった。特に火災発生直後の流域では土砂堆積量の急激な増加が確認されたことから、これらの侵食速度の増加は山火事に伴う活発な土壌侵食の影響を強く反映している結果であるといえよう。<BR><U>3.2. 火災時期の異なる流域における土砂流出特性の差異</U><BR> 図1に各流域におけるイベント降水量と土砂流出量の関係を示す。いずれもイベント降水量の増加に伴った土砂流出量の増加が認められるが、小規模降雨イベントでは傾きが小さく、ある一定のイベント降水量で傾きが急になる傾向がみられた。IK流域ではイベント降水量に対する掃流土砂流出量の傾きが大きく、イベント降水量20mm付近に傾斜変換点がみられた。TB流域では傾斜変換点がイベント降水量40mm付近にみられ、傾きは緩やかであった。TY流域ではイベント降水量80mm付近に傾斜変換点がみられ、大規模出水時の傾きが大きかった。傾斜変換点は火災発生後の年数経過に伴ってイベント降水量の多い地点に現れた。この存在は、前後のイベント降水量の違いによって土砂流出プロセスが変化しているものと推察される。
著者
泉田 温人 須貝 俊彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2018年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.000293, 2018 (Released:2018-06-27)

1.はじめに 氾濫原内の相対的な地形的高まりである「微高地」は,自然堤防だけではなく,様々な河川作用が形成する微地形の複合体である.自然あるいは人工堤防の破堤を形成要因とするクレバススプレーは,微高地を構成する微地形の一つである.平成27年9月関東・東北豪雨による鬼怒川の破堤洪水では茨城県常総市上三坂地区にクレバススプレーが形成され,微高地の発達過程におけるその重要性が再認識された.著者らはクレバススプレーが広く分布する(貞方 1971)とされる常総市域を含む鬼怒川下流域の氾濫原において,平成27年9月関東・東北豪雨を受けて形成されたクレバススプレー及び歴史時代に形成されたクレバススプレーに対し地形及び堆積物分析を行ってきた.本発表ではその二つの地形を比較し,調査地域ではクレバススプレーがどのように成長し,微高地発達に寄与してきたのかを検討した.2.平成27年9月関東・東北豪雨によるクレバススプレー 2015年9月10日に発生した鬼怒川の破堤洪水によって,破堤部付近で“おっぽり”の形成などの激しい侵食が生じた一方,その下流側では淘汰の良い中~粗粒砂層からなる最大層厚80 cm程度のサンドスプレーが堆積した(泉田ほか 2016b).破堤部を起点とする堤外地への洪水流向断面において,両者の分布領域の間に侵食・堆積作用がともに小さい長さ100 m程度の区間が存在した(泉田ほか2016b).この区間からサンドスプレーの堆積区間への移行は洪水流向断面内の遷緩点で生じた.サンドスプレー形成区間より下流では洪水堆積物層は薄く,地形変化量は微小だった.洪水前後の数値表層モデルから計算された,破堤部から約500 m以内の範囲における総堆積量及び総侵食量はそれぞれ約3.7万m3及び約8.0万m3であり,本破堤洪水では侵食作用が卓越した(Izumida et al. 2017).3.歴史時代に形成されたクレバススプレー 上三坂から約4.5 km上流に位置する常総市小保川地区は17世紀初期にクレバススプレーの上に拓かれた集落である.小保川のクレバススプレーは鬼怒川左岸に幅広な微高地が一度成立した後に形成を開始し,ある期間に鬼怒川の河床物質が繰り返し遠方に堆積したことで微高地を二次的に拡大したと考えられる(泉田ほか 2017).既存の微高地上では急勾配かつ直線的な長さ約1.5 kmのクレバスチャネルが掘り込まれ,クレバスチャネルの溢流氾濫による自然堤防状の地形であるクレバスレヴィーがその両岸に形成された一方で,チャネル末端では間欠的な大規模洪水によるイベント性砂層及び定常的に堆積する砂質シルト層の互層からなるマウスバーが形成された.両区間は,クレバススプレー形成以前の鬼怒川の微高地と後背湿地の境界域でクレバスチャネルの緩勾配化に伴い遷移したと推定され,マウスバー部分が後背湿地上に舌状に伸長したことで微高地が面的に拡大したと考えられる.小保川のクレバススプレーは厚い流路堆積物からなるクレバスチャネルを含め堆積環境が卓越し,侵食的な要素は鬼怒川本流とクレバスチャネルの分岐点に位置するおっぽり由来と考えられる常光寺沼のみである.4.考察 上三坂と小保川のクレバススプレーの形成時間スケールと地形の分布する空間スケールの差異から,両者の地形はクレバススプレーの発達段階の差を表すと考えられる.しかし,両調査地のクレバススプレーは,ともに破堤洪水により鬼怒川の河床物質が氾濫原地形の遷緩部分に堆積しサンドスプレーあるいはマウスバーが形成されたことで,鬼怒川の微高地発達に寄与したことが明らかになった.調査地域におけるクレバススプレーの発達は(1)クレバスチャネルの形成による河床物質の運搬経路の伸長,(2)その下流に位置する堆積領域の河川遠方への移動,そして(3)侵食環境から堆積環境への転換によって特徴づけられた.上三坂が位置する常総市石下地区の鬼怒川左岸の微高地及び地下地質が複数時期のクレバススプレー堆積物からなることが報告されている(佐藤 2017).クレバススプレーの形成は常総市付近の鬼怒川氾濫原において普遍的な営力である可能性があり,微高地の発達過程で激しい侵食作用を含む地形変動が繰り返されてきたことが示唆される.参考文献:泉田温人ほか 2016a. 日本地理学会発表要旨集89, 165. 泉田温人ほか 2016b. 日本地理学会発表要旨集90, 181. 泉田温人ほか 2017. 日本地球惑星科学連合2017年大会, HQR05-P06. Izumida et al. (2017). Natural Hazards and Earth System Sciences, 17, 1505-1519. 貞方 昇 1971. 地理科学 18, 13-22. 佐藤善輝 2017. 日本地理学会講演要旨集 92, 150.
著者
河上 税
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.71, no.5, pp.345-350, 1998-05-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
25

東北地方における政府主導による地域開発は,明治以降たびたび計画され,実行されてきた.しかし,住民の生活を豊かにするための本格的な地域計画は第二次世界大戦後であり,国土総合開発法に基づく特定地域総合開発や,東北開発促進法に基づく東北開発が進められた.その結果,経済的基盤や生活基盤などが整備されて所得が増加してきており,一応の成果を収めている.今後は,住民の福祉や文化的生活の向上を図るための総合開発に重点を移すべきである.
著者
遠藤 尚
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.27, 2009

<B>1.はじめに</B> インドネシア、ジャワ島における農業、農村については、「緑の革命」の影響が顕在化した1970-80年代を中心に、各地において多くの詳細な事例研究が行われてきた。一方、これまで農業センサスやその他の統計について、郡やそれ以下の行政単位別データの整備、提供が不十分な状況にあった。このため、研究機関が行う大規模調査の結果などを入手しない限り、農業に関する空間的な分析や地域間比較は困難であり、地域的特性を考慮した事例研究間の比較検討も十分行われてこなかった。このような状況下、2006年から実施されたJICA「小地域統計情報システム開発プロジェクト」において、2003年農業センサス、名簿調査データの県、郡別データベースが整備された。本報告では、1970年代以降、ジャカルタ首都圏の拡大と著しい人口成長を経験してきたジャワ島西部を対象として、上述の郡別データを元に作付作物や農家の土地所有経営状況などの分布状況を検討し、2003年時点のジャワ島西部における農業の全体像を明らかにする。また、報告者が2001年以降、西ジャワ州、ボゴール県の1農村において実施してきた世帯調査の結果から、ジャワ島西部における農家の世帯経営状況についても言及する。<BR><B>2.対象地域の概要</B> ジャワ島西部は、ジャカルタ首都特別州、西ジャワ州、バンテン州から構成され、特にジャカルタとその周辺地域はJABOTADEBEKと呼ばれる首都圏を形成している。2005年現在、ジャカルタを除く2州についても、1,110人/km<SUP>2</SUP>というジャワ島内でも人口密度の高い地域となっている。また、2000年時点で、西ジャワ州では就業人口の31%を農業が占め、ジャワ島内の水稲生産量の約35%、サツマイモ、ネギ、ジャガイモ、キャベツなど主要な野菜の50%以上が産出されている。<BR> 世帯調査の対象地域であるS村は、ジャカルタから南へ約60km、ボゴールから南西へ約10kmに位置するサラック山麓の農村である。2000年時点で、当村の世帯主の主職業の68%を農業が占めており、主な生産物は水稲、トウモロコシ、サツマイモ、キャッサバ、インゲンなどである。<BR><B>3.ジャワ島西部の農業と農家の世帯経営状況</B> 作付作物や農家の土地所有経営状況に関する農業センサスデータの分布状況は、水野(1993)が1970年代の農業経済調査所による調査結果から抽出した3つの土地所有階層構造類型と概ね一致していた。すなわち、土地所有の分化が進んだ水田稲作地帯である北海岸平野部、土地経営規模が非常に零細で北海岸平野部ほど分化が進んでいない水田稲作地域、プリアンガン高地盆地部、そして土地の自己所有地率が非常に高く、大規模所有がほとんどみられない畑作主体のプリアンガン高地部という分類である。ただし、農業センサスデータでは、首都圏と重なるジャカルタ周辺にこれらの3分類とは異なる農業の展開がみられた。ジャカルタ周辺では、園芸作物生産、畜産・家禽飼育、水産業に従事する農家の割合が、稲作農家の割合よりも高い地域が形成されていた。また、ジャカルタから南下する高速道路沿いには、畑作物生産農家の割合が20%以上と他地域よりも高く、より粗放的な農業が行われている郡も認められた。農業センサスに生産量に関する項目は含まれていないため、このようなジャカルタ周辺における農業が、ジャワ島西部、そしてインドネシアの農業に占める位置づけについては今後の課題である。<BR> 世帯調査の対象地域は首都圏の縁辺部に位置しており、土地利用に都市的な要素はみられない。ただし、作付作物は都市の市場の動向に従い頻繁に変化していた。また、比較的農業収入の割合が高い水田経営世帯であっても農業収入は46.8%と半分を下回っていた。加えて、特に若い世代の世帯主や子女の就業先として、ジャカルタやボゴールの労働市場が重要な役割を果たしていた。ジャワ農村では多就業が一般的であることは、先行研究からも明らかである。しかし、S村のように世帯経営上、非農業の割合が農業を上回る状況が、首都圏以外の農業地域においてどの程度認められるのか確認する必要があろう。<BR><BR>水野広祐 1993.西ジャワのプリアンガン高地における農村階層化と稲作経営‐バンドゥン県チルルク村の事例を中心として‐.梅原弘光・水野広祐編『東南アジア農村階層の変動』119-163.アジア経済研究所.
著者
中澤 高志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.88, no.1, pp.49-70, 2015

<p>本稿では,高度成長期の勝山産地において,「集団就職」が導入され終焉に至るまでの経緯を分析する.進学率の上昇や大都市との競合により,労働力不足に直面した勝山産地の機屋は,新規中卒女性の調達範囲を広域化させ,1960年代に入ると産炭地や縁辺地域から「集団就職者」を受け入れ始める.勝山産地の機屋は,自治体や職業安定所とも協力しながらさまざまな手段を講じ,「集団就職者」の確保に努めた.「集団就職者」の出身家族の家計は概して厳しく,それが移動のプッシュ要因であった.勝山産地の機屋が就職先として選択された背景としては,採用を通じて信頼関係が構築されていたことが重要である.数年すると出身地に帰還する人も多かったとはいえ,結婚を契機として勝山産地に定着した「集団就職者」もいたのである.高度成長期における勝山産地の新規学卒労働市場は,国,県,産地といった重層的な空間スケールにおける制度の下で,社会的に調整されていた.</p>
著者
兼子 純 山元 貴継 橋本 暁子 李 虎相 山下 亜紀郎 駒木 伸比古 全 志英
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

日韓両国とも,地方都市における中心商業地の衰退が社会問題化している。しかしながら,韓国の地方都市の中心商業地は,人口減少や住民高齢化のわりに空き店舗が目立たず,日本でいう「シャッター商店街」がみられにくい(山元,2018)。そこで本発表では,2016年と2018年に発表者らが行った土地利用実態調査の結果をデータベース化し,韓国地方都市の中心商業地における店舗構成の変化を明らかにすることを目的とする。<br><br>調査対象地域として,韓国南部の慶尚南道梁山(ヤンサン)市の中心商業地(新旧市街地)を選定した(図1)。梁山市は同道の東南部に位置し,釜山広域市の北側,蔚山広域市の南西側に接している。高速道路で周辺都市と連結されており,さらに,釜山都市鉄道2号線によって,釜山市の中心部とも直接結ばれている新興都市である(2017年人口:324,204)。旧市街地は梁山川の左岸に位置し,南部市場が立地している。新市街地は旧市街地の南西約1km,2008年に開通した地下鉄梁山駅前に位置している。近年では,両市街地と梁山川を挟んで対岸に位置する甑山(チュンサン)駅前で,新たな商業開発が進行している。<br><br> 韓国では短期間で店舗が入れ替わることもあって,日本の住宅地図に相当するような,大縮尺かつ店舗名などが記載された地図が作成されることはまずない(橋本ほか,2018)。そのため発表者らは,韓国における中心商業地の構造変化を明らかにするための基礎資料の作成を念頭に置き,2016年3月に梁山市の新市街地と旧市街地において土地利用調査を実施し,そのGISデータベースを構築した。この時の結果をもとに,2018年3月に同じ範囲かつ同様の調査手法で再度土地利用調査を実施し,2年間で店舗が変化している箇所の業種を抽出した。今回の発表では,1階で店舗が変化している部分を分析対象とする。<br><br> 2016年の調査では,新旧市街地での商業機能の分担,つまり旧市街地では伝統的な商品や生鮮食料品店の集積,新市街地では若年層向けの物販サービス機能が卓越し,チェーン店(それらが展開する業種)の立地が確認された。そうした両市街地における2016年から2018年の2年間で店舗構成が変化した箇所を確認すると,旧市街地では530区画中129区画(24.3%),新市街地では485区画中132区画(27.2%)で店舗が入れ替わっていた。<br> 旧市街地において,在来市場を中心とする中心部よりも周辺部で空き店舗が目立つようになり,市街地の範囲が縮小している。新市街地では,店舗の入れ替わりが激しいことに加えて,店舗区画の分割や統合なども顕著である。現地での聞き取り調査によると,賃貸契約は2年が一般的であるが,契約更新時の賃料上昇や韓国特有の権利金の存在もあって,現在では新市街地から,新規に建設が進む甑山駅周辺に移転する店舗が増加しつつあるという。当日の発表では,変化箇所の業種や地域,区割りの特徴などから,梁山市全体の商業地の構造変化について報告する。
著者
兼子 純 山元 貴継 山下 亜紀郎 駒木 伸比古 橋本 暁子 李 虎相 全 志英
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<u>1.研究課題と目的</u><br> 日本においても韓国においても,国土構造として首都への一極集中が指摘され,首都圏と地方都市との格差が拡大している。共に少子高齢化が進行する両国において,地方都市の疲弊は著しく,都市の成立条件や外部環境,地域特性に合わせた持続的な活性化策の構築が必要とされている。その中で日本における地方都市研究では,モータリゼーション,居住機能・商業機能の郊外移転などによる,都市中心部の空洞化問題が注目されやすい。空洞化が進んだ都市中心部では,低・未利用地の増加,人口の高齢化,大型店の撤退問題,生鮮食料品店の不足によるフードデザート問題などが生じ,大きな社会問題となっている。 一方で韓国では,鉄道駅が都市拠点となりにくく,また同一都市内で「旧市街地」と「新市街地」とが空間的にも機能的にも別個に発達しやすいといった日本とは異なる都市構造(山元 2007)が多くみられる中で,バスターミナルに隣接した中心商業地などの更新が比較的進んでいる。そして,地理学の社会的な貢献が相対的に活発であって,国土計画などの政策立案にも積極的に参画する傾向が認められるものの,金(2012)によれば,研究機関が大都市(特に首都ソウル)に偏在し,計量的手法の重視および理論研究への偏重によって,事例研究の蓄積が薄い。 それらを踏まえた本研究の目的は,低成長期における韓国地方都市の都市構造の変容を明らかにすることを目指して,その手がかりとしての土地利用からみた商業地分析の手法を確立することである。なお,今回の報告は調査初年度の単年次のものであり,今後地域を拡大して継続的に研究を進める予定である。<br><u>2.韓国における一極集中と地域差</u> <br> 先述の通り,韓国は首都ソウルとその周辺部への一極集中が顕著である。その集中度は先進諸国の中でも著しく高く,釜山,大邱,光州,大田の各広域市(政令指定都市に相当)との差が大きい一方で,これら広域市と他の地方都市との格差も大きい。 <br><u>3.対象都市</u> <br> 地方都市をどのように定義するのかについては議論の余地があるが,本研究では首都ソウルとその周辺部を除く地域の諸都市を前提とする。今回の調査対象地域としては,韓国南部の慶尚南道梁山市の中心商業地を選定した。梁山市は同道の東南部に位置し,釜山広域市の北側,蔚山広域市の南西側に接している。高速道路で周辺都市と連結されており,さらに,釜山都市鉄道粱山線(2号線)によって,釜山市の中心部とも直接結ばれている。このように梁山市は,釜山大都市圏の一部を構成する都市である一方,工業用地の造成が進み,釜山大学病院をはじめとする医療サービスおよび医療教育の充実した新興都市として独立した勢力があり,人口増加も顕著である(2014年人口:292,376)。 そのうち新市街地は梁山川左岸に位置し,そこに梁山線が2008年に全通し,その終着点でもある梁山駅が開業した。同駅に近接して大型店E-MARTが立地しているほか,計画的に整備された区画に多くの商業施設が集積している。E-MARTに隣接してバスターミナルも立地し,全国各地への路線網を有する。一方,旧市街地は新市街地から見て国道35号線を挟んだ東に位置している。そこには梁山南部市場およびその周辺に生活に密着した小売店舗が集積しており,伝統的な商業景観が形成されている。<br><u>4.調査の方法</u> <br> 今後,韓国の各都市の都市構造の動態的変化を継続的に調査することを目指して,今回はその調査手法の確立を目指す。特に,韓国の商業地における店舗の入れ替わりは日本に比して頻繁で,その新陳代謝が都市を活気づける要因ともなっており,その変化に関心が持たれる。しかし,そうした変化を既存の資料から明らかにすることは難しく,実態調査が求められる。そこで今後,継続的に定点観察することを予定している中で,業種分類の設定の仕方なども重要となる。今回は予備的調査として,事例都市において商業地の調査手法を確立し,その方法を他都市に展開していくことを目指す。
著者
両角 政彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>2019年9月9日に関東地方を通過した台風15号は,東日本を中心に広範囲にわたって強風による風害や豪雨による水害を発生させる甚大な被害をもたらした。農林水産関係の被害額に限っても,およそ815億円の被害を発生させた(農林水産省「令和元年台風15号に係る被害情報」2019年12月5日付による)。本研究では,台風15号の強風による園芸施設(農業用ハウス)への風害に注目し,被害の大きかった千葉県を事例に,その実態を明らかにし今後検討すべき課題を考察した。研究方法として,全国,千葉県,市町村の広域的な被害状況については,農林水産省『農業災害補償制度 園芸施設共済統計表』と各行政webサイトに掲載された台風被害に関する情報をもとに把握した。内閣府webサイト「防災情報のページ」では激甚災害指定状況を確認した。被害原因となった気象の変化については,気象庁webサイト「各種データ・資料」を使用して分析した。園芸施設被害の状況確認は,2019年11月に八街市,山武市,君津市,鋸南町等へ現地訪問でおこない,被災農家にヒアリングを実施した。</p><p>台風15号の通過にともなう千葉県における農林水産業への被害は,面積で農業施設等に801ha,農作物等に5,073ha,このほかに畜産等にも被害が及んだ。被害額では農業施設等に276億円,農作物等に106億円となり,全体で約428億円に上った。この中でとくにビニルハウスやガラスハウス等の園芸施設への被害額が大きく,200億円を超えた。園芸施設が被害を受けた主な地域は,八街市,富里市,旭市,山武市などの県北部と,南房総市,君津市,袖ヶ浦市,鋸南町などの中部から南部にかけての広範囲にわたった(千葉県農林水産部農林水産政策課「台風第15号の影響による農林水産業への被害について(第8報)」2019年10月11日付による)。現地調査によると,園芸施設への被害は,ビニルの剥がれやガラス板の部分的な割れや落下などの比較的軽度の被害から,パイプハウスの倒壊やガラスハウスの鋼材の折れ曲がりによる半壊や全壊に至る大きな被害まで多様であった。園芸作物の被害は,主として花き(カーネーション,カラーなど)や,野菜(ニンジン,トマトなど)に対するものであった。</p><p>被害原因の誘因である強風について,気象庁webサイト「各種データ・資料」で,千葉県内のアメダス観測地点のうち風速・風向を観測する15地点の2019年9月9日の日最大風速・風向と日最大瞬間風速・風向を確認した。これによると,日最大風速は9地点で,また日最大瞬間風速は10地点でそれぞれ過去最大を更新した。風向は,前者で南東方向から南方向,後者で東南東方向から南南西方向であった。とくに,台風15号の中心経路に近かった「千葉」では,日最大風速35.9m/s(南東方向),日最大瞬間風速57.5m/s(南東方向)を記録した。</p><p>現地では園芸施設のビニルの切り裂きによる事前の対処行動がみられ,被害を受けた園芸施設に隣接する園芸施設が被害を免れた例も散見された。園芸施設そのものの強度に加えて,設置する位置や方向,周辺の地形などの被害原因の素因が被害状況を左右したと推察される。南北方向で設置された園芸施設の破損や倒壊が確認されたが,さらに綿密な調査が必要になる。強風による風害の特徴として,降雪による雪害の面的・集中的な被害と比べて,局地的・局所的な被害の発生の可能性が示唆された。</p><p>2019年9〜10月に発生した一連の台風被害によって,千葉県は「激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律」に基づく政令で激甚災害の指定を受けた。通常では園芸施設を自己復旧すると補償対象ではなくなるため,撤去業者や建設業者への復旧依頼が遅れて再建の見通しが立たない農家もみられた。被災による農業経営上の経済的負担に限定しても,強風による直接的な被害と復旧に掛かる費用,そして復旧までの不耕作期間の収入減や無収入という三重苦が発生している。総合的・統合的・地域的なリスクマネジメントが求められている。</p>
著者
岩佐 佳哉
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p><b><u>1</u></b><b><u>.はじめに</u></b> 広島県では,平成26年8月豪雨,平成30年7月豪雨(以下,西日本豪雨と呼ぶ)をはじめ,豪雨に伴う土石流の被害が何度も発生してきた。中でも,1945年9月に広島県を直撃した枕崎台風は,明治以降に広島県で発生した土砂災害の中で最多となる2,012人の死者を出した(国立防災科学技術センター,1970)。枕崎台風は第二次世界大戦の終戦から約1ヶ月後の混乱期に襲来したため,被害の詳細は明らかになっていない。土石流分布も一部の地域を除いて不明である。呉市では土石流の分布が示されているが(広島県土木部砂防課,1951),崩壊源の詳細な分布や正確な位置を読み取ることができない。</p><p>枕崎台風の襲来時期は,米軍により空中写真が多数撮影された時期と重なるため,写真判読によって土石流の分布を詳細に把握できる利点がある。この土石流の分布を明らかにした上で,その要因を検討することは,土石流の発生メカニズムや今後の土砂災害に対する防災を考える上でも重要であると考える。</p><p>土石流分布の要因について,西日本豪雨では地質条件の違いよりも降水量の多寡に関連していることが指摘されている(Goto et al., 2019)。枕崎台風時の降水量分布は広島県土木部砂防課(1951)に示されているが,各観測点の降水量を読み取ることができなかった。</p><p>本発表では,広島県南部を対象に,枕崎台風に伴う土石流分布を明らかにし,その分布要因を検討した。その際,各種資料に基づいて降水量分布を復元し,土石流分布と比較することで,土石流分布の要因を検討した。</p><p></p><p><b><u>2</u></b><b><u>.研究方法</u></b> 1947年から1948年にかけて米軍が撮影した空中写真の実体視判読を行った。判読に使用した空中写真の縮尺は約3,000〜30,000分の1である。判読の際には,谷の中に認められる白い筋を土石流が流下した跡であるとみなし,その最上部を崩壊源としてマッピングした。</p><p>土石流分布の要因を検討するために,当時の日降水量データを復元した。具体的には広島気象台編(1984)や中央気象台編(1985),広島県土木部砂防課(1997),気象庁webサイトを参照して,降水量分布を新たに検討した。作成した降水量分布や地質図と土石流分布を比較することで,土石流分布の要因を検討した。</p><p></p><p><b><u>3</u></b><b><u>.土石流分布の特徴</u></b> 対象地域において,枕崎台風に伴う土石流の崩壊源は,少なくとも4,025箇所で認められた。土石流は江田島市・呉市から東広島市にかけて多く分布し,分布密度の高い範囲が,幅20kmにわたり北東−南西の方向に延びる。一方,広島市中心部や竹原市,三原市では土石流の分布は疎らとなる。分布密度の高い範囲は台風の進路の右側にあたる危険半円にあたる。</p><p></p><p><b><u>4.</u></b><b><u>土石流分布と降水量との比較</u></b><b> </b>対象地域では,呉や黒瀬の観測点において200mmを超える日降水量が記録されている。日降水量が160mmを超える範囲では,土石流の分布密度が高くなっており,枕崎台風でも降水量の多寡が土石流の分布に関連している可能性がある。</p><p>発表時には,地質との関係や西日本豪雨の土石流分布との比較についても言及する。</p><p><b>文献</b>:国立防災科学技術センター(1970)日本主要自然災害被害統計; 広島県土木部砂防課編(1951)『昭和20年9月17日における呉市の水害について』; Goto et al. (2019) Distribution and Characteristics of Slope Movements in the Southern Part of Hiroshima Prefecture Caused by the Heavy Rain in Western Japan in July 2018; 広島気象台編(1984)『広島の気象百年誌』; 中央気象台編(1985)『雨量報告7』; 広島県土木部砂防課(1997)『広島県砂防災害史』</p>
著者
久保 純子 高橋 虎之介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.181, 2020 (Released:2020-03-30)

1. はじめに 東京低地に位置し、隅田川と荒川に囲まれる足立区千住地区は洪水に対し脆弱な地域と考えられる。高橋は卒業研究で千住地区を対象として、避難所である小中学校の災害発生時の対応準備状況を調査していたところ、2019年10月の台風19号の接近で実際に避難所が開設され、多くの住民が避難した。このため、避難所の運営等についても事後に聞き取り調査を行った。これらをもとに千住地区の避難所に関する課題を検討した。2. 足立区千住地区の特色 足立区の人口は2019年1月時点で688,512人で、このうち千住地区の人口は76,690人である(足立区による)。国道4号線(日光街道)やJR常磐線、東武、京成、東京メトロなどが通り、中心部には北千住駅がある。 千住地区の標高は堤防を除き全域が2m以下で、東半分はゼロメートル地帯である。足立区ハザードマップによれば、千住地区は荒川が氾濫した場合(想定最大規模)、ほとんどが深さ3m以上浸水し、浸水継続期間はほぼ全域で2週間以上とされる。3. 千住地区の避難所 足立区地域防災計画(2017年)によれば、千住地区の避難所(一次避難所)は小学校6校、中学校3校の計9箇所であるが、このうち1校は現在改築中で使用できない。 ハザードマップによれば、「家屋倒壊等氾濫危険区域」に含まれる場合は避難所を開設しないことになっている。このため、避難所として使用可能なのは9校中4校で、それらも浸水のため3階以上または4階以上のみ使用可能、とされている。 区域内の9校のうち小学校3校と中学校2校を訪問し、責任者の副校長先生にインタビューを行った。その結果、5校のうち避難所開設の経験があったのは1校、収容人数はいずれも把握しておらず、備蓄倉庫は1階または2階にあり、また荒川氾濫時に避難所として使えないことを知らないという回答も2校あった。鍵の受け渡しについての取り決めが不明、という回答も1校あった。4. 2019年10月台風19号における対応 10月12日に荒川の水位上昇で区内全域に避難勧告が出された結果、区内全域で33,154人、千住地区で4,997人が避難所へ避難した。計画では避難所は4校のみであったが実際は改築中を含む9校すべて開設され、さらに高校や大学等も避難者を受け入れた(足立区による)。 2019年11月に地区内の小学校で避難所訓練があり、参加者へ当時の状況についてインタビューを行った。その結果、区の職員、町会、学校の間の連携がうまくいかなかったこと、スペースや毛布等の物資が足りなかったこと、避難者の集中のため受け入れを締め切ったこと等の問題点があげられた。5. 課題 地域防災計画における受け入れ可能人数は9校で計8,922人であるが、これは地震時を想定したもので洪水時は4校3,755人で、実際は1・2階が浸水するためさらに少なくなる。2018年の区のアンケート調査では洪水時に「近くの学校や公共施設に避難する」が21%、区外(広域)避難を答えたのは6%にすぎなかった。住民の2割としても約15,000人が避難所へ向かう計算となり、収容人数の4倍以上である。廊下や教室すべてを使用して1人あたり1m2としても全く足りず、既存の高層建物への受け入れルールを作成する必要がある。
著者
埴淵 知哉
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>新型コロナウイルス感染症(Covid-19)の流行下では、人混みを避けて人との距離を保つこと(Social distancing)が必要とされ、移動や外出の自粛も求められる。この状況が長期化する中で、人との対面接触を基本とする従来型の社会調査あるいは地域調査は、事実上、実施不可能な状態が続いている。国が実施する統計調査にも影響は及んでおり、2020年国民生活基礎調査は中止となった。その一方、Covid-19をめぐる人々の外出状況や予防行動の把握に対しては、スマートフォンの位置情報やLINEアプリを利用したサーベイ(「新型コロナ対策のための全国調査」)など、新たな技術・方法も活用されている。</p><p></p><p>このようなCovid-19の社会/地域調査に対する影響は、良くも悪くも、インターネット調査の学術利用に関する議論を活発化させる方向に働く。これが距離を保ちながら人々から情報を得ることができる、数少ない有用な調査法だからである。インターネット調査の強みはその迅速性と廉価性にあり、紙の調査票では不可能であった画像データなどの収集も可能である。標本の代表性や測定の精度に課題を抱えつつも、総調査誤差の観点から従来型調査を補完することが期待されている(埴淵・村中 2018)。</p><p></p><p>本発表では、Covid-19流行下で実施されたインターネット調査の事例を紹介するとともに、量的調査だけでなく、フィールドワークやインタビュー調査のオンラインでの実施可能性についても若干の考察を行うこととしたい。</p><p></p><p>一つ目の事例は、緊急事態宣言下における外出行動の把握を目的としたインターネット調査である(2020年5月実施、n=1,200、東北大学)。同調査では、過去三カ月の外出状況について、レトロスペクティブな自己申告データと、iPhoneに自動記録されている歩数の画像データが同時に収集された。注目すべきイベント(この場合は緊急事態宣言)の発生後、短期間のうちにイベント前に遡及したデータ収集を行うこの方法は、従来型調査では不可能なインターネット調査の迅速性を生かしたものといえる。</p><p></p><p>二つ目の事例は、Covid-19流行下における地域住民の予防行動に関するインターネット調査である(Machida et al. 2020、ベースライン調査:n=2,400、東京医科大学)。ここでは2020年2月から7月の間に4回のインターネット調査が実施されており、短期間で繰り返し追跡調査(同一の参加者による回答)を行っている点に特徴がある。刻々と変化する流行状況とそれに対する人々の行動変化(例えば手洗い実施率の推移など)を詳細に把握しうるこの方法も、インターネット調査の迅速性を有効に活用したものといえる。</p><p></p><p>とはいえ、すべての社会/地域調査がオンライン化できるわけではなく、調査手法間には差がみられるであろう。インタビュー調査に代表される質的調査や、現地を訪問して行うフィールドワークがどの程度オンライン環境で実施可能なのか、また翻って考えると、従来型の調査にはどういった方法上の価値があったのかなど、議論すべき課題は多い。「現場の雰囲気」を掴みにくいオンライン調査では、思いがけない偶発的な発見が生じにくいことなどは当然予想される。これらを実証的に探ることが、今後の社会/地域調査法において重要な検討課題になると考えられる。</p><p></p><p> </p><p></p><p>埴淵知哉・村中亮夫 2018. 地域と統計—「調査困難時代」のインターネット調査. ナカニシヤ出版.</p><p></p><p>Machida M, Nakamura I, Saito R, et al. 2020. Adoption of personal protective measures by ordinary citizens during the COVID-19 outbreak in Japan. <i>Int J Infect Dis</i>. 94: 139-144.</p><p></p><p>*本研究はJSPS科研費(17H00947)の助成を受けたものです。</p>
著者
加賀美 雅弘 コヴァーチュ ゾルターン
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.19, 2008

<BR> 1990年代以降,ハンガリーの首都ブダペストにおいては,都市の再生事業が活発化している。これは,行政や経済の中心地としての都市整備を念頭に置いたものであるが,その一方で,市内に多くのロマが集住する地区があり,その生活環境の改善と彼らの社会経済的地位の向上も大きな課題にあげられている。この発表では,ハンガリーの首都ブダペストの特定地区にロマが集住することと,体制の転換とともに激変しつつある都市構造とのかかわりを,特に都市再開発事業に注目して考察する。<BR> ブダペスト市街地における居住者の社会経済的水準や生活環境には著しい格差がみられる。とりわけ19世紀後半から20世紀初頭に市街地化した地区には,暖房やトイレなど基本的インフラの整備が遅れ,住宅の傷みが激しくファサードが劣化した住宅が多く,所得が少なく,失業者や年金生活者が集住する傾向がみられる。<BR> J&oacute;zsefv&aacute;ros区にもそうした住宅が多くみられ,早急な改修が求められているが,ここにはロマが集住していることから,彼らの生活環境の整備も大きな課題になっており,住宅の改修事業を推進するために,ブダペスト市とJ&oacute;zsefv&aacute;ros区の出資によって設立された再開発会社R&eacute;v8が主導となって事業の立案と実施がなされている。<BR> 会社の事業は大きく二つに分けられる。(1)老朽化が激しく,生活環境がきわめて悪い建物をすべて撤去して土地を新しい投資家に販売する。これは事業全体の財源を確保するために不可欠であり,これによって大規模な取り壊しが行われ,まったく新しい市街地が建設される。(2)土地の売却によって得られた資金を用いて他の再開発事業を実施する。これは19世紀の住宅を段階的に改修するものであり,居住者は入れ替わらず,住宅所有者も変更しない。<BR> 具体的な事業としてMagdolna地区のプロジェクトをみてみよう。この事業地区はJ&oacute;zsefv&aacute;ros区の中央部に位置する約34ha,人口は12,068人(2001年)の区域である。都心からわずか2kmほどの位置にありながら,市内でも屈指の貧困地区とされている。1919年までに建てられた建物が地区全体の建物の88%を占めていた。しかも,そのほとんどは建てられた当時の施設や間取りのままであり,改修がなされてこなかったために老朽化が著しい劣悪な居住環境になっている。安い賃貸料を求めて居住する低所得者層が長期にわたって居住してきた。<BR> これらの住宅のほとんどは,社会主義時代には他の地区の住宅と同様,国の管理下におかれていた。それが政治改革とともに区に移管されたが,老朽化が激しい住宅の買い手はつかず,依然として区が所有している。賃貸料は安価なままに据え置かれている。<BR> 居住環境には大きな問題がある。住宅密度が高く,低所得者層が中心で,教育水準が低い。対象となっている住宅の住民はほぼ100%ロマが占めている。他の地区の住民との接触が少なく,衛生や安全の問題を抱えた地区として,再開発が望まれている。<BR> しかしその一方で,住民の居住暦が比較的長く,土地の住民としての意識を比較的強く持っている点を考慮せねばならない。住民同士のつながりもあり,一定のコミュニティを構築している。現存の建物を撤去する再開発事業を実施してしまうと,新設住宅には低所得のロマは入居することができず,コミュニティは崩壊してしまう。当該地区からロマを追い出し,地区の生活環境を高めることはできるが,ロマ自身の生活改善にはつながらず,ロマ問題の解決にならない。<BR> そこで建物の撤去を行わず,住民の転居を伴わない改修事業が企画されている。改修事業は居住者の要望のできるだけ救い上げ,住民が居住したままで住宅の整備がはかられようとしている。また公共空間の設営も重視され,たとえば既存の広場の緑地化,散歩道や広場の造成など住民が利用しやすい空間へと整備が進められている。コミュニティセンターの構築も重要な作業課題であり,地域コミュニティの強化や地区の安全・防犯に向けた情報交換の促進,企業集団の形成などが期待されている。<BR> ロマが居住する点を考慮した事業も展開されている。学校教育を十分に受けていない住民が多く,失業率がきわめて高いことから,幼稚園や小学校を整備し,読み書きや計算など基本的な授業プログラムの実施が計画されている。また成人向けの再教育プログラムも構想に加えられている。
著者
石村 大輔 平峰 玲緒奈
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

1.はじめに<br><br> 中期完新世を代表する日本国内の広域テフラは鬼界—アカホヤ(K-Ah)テフラである.給源である鬼界カルデラから関東地方までは広くその分布が確認されているが,東北地方以北での認定は限られ,その北限は東北地方南部とされている(町田・新井,2003).一方,東北地方を代表するテフラの多くは偏西風の影響により分布が東に偏り,東北地方を広くカバーする完新世のテフラとして十和田火山を給源とする十和田—aと十和田—中掫(To-Cu)テフラが挙げられる(町田・新井,2003).特にTo-Cuテフラは,最近の研究によって(苅谷ほか,2016;石村ほか,2017;Mclean et al., 2018),中部〜近畿地方北部にかけても分布することが確認された.加えて,Mclean et al(2018)により水月湖の年縞堆積物中に認められたことで信頼性の高い年代(5986<b>-</b>5899 cal. BP)が得られている.このようにTo-Cuの分布域や信頼度の高い年代が得られたことから,本テフラは東北〜中部地方にかけての中期完新世を代表する広域テフラとなり得る.しかし,その特徴は個々の地点・研究で得られているのみで,給源から遠地にかけて一様な情報に基づき対比されていない.<br><br> そこで本研究では,給源地域におけるTo-Cuを構成する3ユニット(下位より中掫軽石(Cu),金ヶ沢軽石(Kn),宇樽部火山灰(Ut)(Hayakawa,1985))と下北半島〜三陸海岸,新潟平野,青木湖に分布するTo-Cuの詳細対比を試みる.<br><br>2.手法<br><br> 本研究では,すでに石村(2014),高田ほか(2016),Niwa et al.(2017),石村ほか(2017)によってTo-Cuに対比されている試料と新たに露頭から採取した試料を用いた.<br><br> To-Cuのユニット対比に用いた指標は,火山ガラスの形態,火山ガラスの屈折率,火山ガラスの主成分化学組成である.火山ガラスの形態は,偏光顕微鏡を用いて,火山ガラスの形態を4つに分類し,それらとは別に色付きガラスの個数をカウントした.屈折率測定は,RIMS2000を用いて,30片以上を測定した.主成分化学組成分析(EDS分析)は,首都大学東京所有のエネルギー分散型X線分析装置Genesis APEX2 (EDAX製)と走査電子顕微鏡JSM-6390(日本電子株式会社製)を使用した.<br><br>3.To-Cuユニットの特徴<br><br> 給源地域における各ユニットの特徴について以下に述べる.屈折率測定結果から,Cuの屈折率は高いモード(1.513-1.514)と狭いレンジ(1.512-1.514)を示し,Knの屈折率は,Cuに比べ少し低いモード(1.512-1.513)と少し広いレンジ(1.511-1.514)を示す.一方,Utの屈折率は全く異なる傾向を示し,低いモード(1.505-1.510)と広いレンジ(1.500-1.513)を示す.主成分化学組成の結果から,CuとKnに大きな違いは見られず,値が集中する傾向を示す.一方,Utについては,Cu・Knに比べて値がばらつくのが特徴であり,SiO<sub>2</sub>の値がCu・Knよりも高いものが多い.火山ガラスの形態については,その比率からユニットの対比は難しいが,上記の指標に基づく対比をサポートする上では重要な指標になり得ることがわかった.<br><br>4.遠地におけるTo-Cuユニットの対比・分布<br><br> 上記の特徴に基づき,各ユニットの対比を行ったところ,Cuは,下北半島の中部〜北部には降灰しておらず,著しく南に偏った分布を示す.三陸海岸では全地点で確認でき,また新潟平野や青木湖に降灰したものもCuに対比された.Knは,Cuに比べて北にも広く分布する.確認できた範囲の北限と南限はそれぞれ下北半島北部と三陸海岸南部であり,それらの地点で層厚は1 cm程度認められる.Utは,東南東に偏った分布を示すが,三陸海岸沿いでは給源から約200 km離れた地点でも1 cm程度の層厚を有することがわかった.したがって,最も広く降灰しているユニットはCuである.また,Knも東北地方北部には広く分布している可能性がある.Utについては分布が偏るが,給源から50-100 km内には分布する可能性がある.<br><br>5.まとめ<br><br> 本研究では,To-Cuを構成する各ユニットの特徴を明らかにし,遠地における各ユニットの対比を行った.結果,3ユニットの降灰範囲が明らかとなり,東北地方から中部地方にかけて広くCuが分布することがわかった.したがって,To-CuがK-Ahに代わる東北地方の中期完新世を代表するテフラであることを確認でき,今後,関東〜中部地方での分布が確認されることを期待する.
著者
小室 譲 加藤 ゆかり 有村 友秀 白 奕佳 平内 雄真 武 越 堤 純
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2019, 2019

<b>中心市街地における飲食店の新規開業</b><br> 地方都市における中心市街地では,店主の高齢化や後継者不足および,それに伴う空き地や廃店跡の増加が喫緊の地域課題である。こうした衰退基調にある中心市街地では,これまでにまちづくり三法をはじめ,中心市街地の活性化に向けたさまざまな補助金政策や活性化の方策が官民学により検討されてきた。<br> 本発表では,シンポジウムの主旨であるUIJターンによる起業が中心市街地において進展している長野県伊那市を事例とする。発表手順は,UIJターン者により開業された主に飲食店の実態を報告したうえで,次に対象地域でいかにして,いかなる理由から新規開業が増加しているのか,地域的背景を踏まえて検討する。<br> 伊那市中心市街地では,2000年代以降に都市圏からのUIJターンによる移住者の新規開業が増加しており,2018年9月現在で,52店舗を数える。そのうち,飲食店が過半数の33店舗を占めており,そのほとんどが個人経営である。開業者は主に20〜50歳代であり,移住以前の飲食業や他業種における就業・就学期間を通じて得られた,経験や知見をもとに開業に至る。伊那市中心市街地では,ダイニングバーやスポーツバー,カフェなどである。そして,それぞれの店舗では開業者の経験や知見に裏付けられた地域のマーケットニーズのもと,地酒や地元の食材を積極的に活用し,周辺の官公庁向けにランチ営業をするなど中心市街地において新たな顧客層を獲得するに至っている。<br><br><br><b>新規開業者を支える地理的条件</b><br> まず伊那市内が地方創生関連の補助金や移住先輩者のインターネット上による情報発信のもと,Uターン者はもとより,IJターン予定者の居住地選択に入る地域であることが新規開業の前提として指摘できる。その上で移住者は官公庁や鉄道駅があり,既存の利用客による一定の集客が見込める中心市街地を開業先として選定する。その店舗開業の過程には,高齢化や後継者不足により中心市街地に残存していた低廉な飲食テナント,および開業助成金を開業資金の一部として充てることで大都市圏よりも開業時のイニシャルコストを抑えられることが新規開業を後押ししている。また既存商工会や既存商店主は,こうした中心市街地の空き店舗に対する新規開業者を市街地活性化の新たな救世主として好意的に捉える店舗が多い。事実,一部の既存店主は新規開業者に中心市街地内の空きテナント情報や開業時に申請できる補助金情報を積極的に提供している。<br> 新規開業者の移住・開業経緯の詳細は当日述べるものの,東京大都市圏出身者の中には会社員生活における昇進主義や満員電車の通勤生活に疲弊して,ワークライフバランスを考慮した生活環境を求めて移住を決意する事例がある。こうした開業者にとって個人飲食店の開業は,自己実現の機会であるとともに,移住先の就労機会として移住者やその家族が移住先で生活していけるだけの必要最低限の収入を得るためのなりわいとして成立している。一方で,中心市街地においては新規開業店の増加が単に空きテナントの量的補完にとどまらず,既存店舗の顧客増加,既存商店組織の活性化,開業者ネットワークの構築による中心市街地イベントの創出などの相乗効果として認められる。