著者
小林 進 落合 武徳 堀 誠司 鈴木 孝雄 清水 孝徳 軍司 祥雄 剣持 敬 島田 英昭 岡住 慎一 林 秀樹 西郷 健一 高山 亘 岩崎 好太郎 牧野 治文 松井 芳文 宮内 英聡 夏目 俊彦 伊藤 泰平 近藤 悟 平山 信夫 星野 敏彦 井上 雅仁 山本 重則 小川 真司 河野 陽一 一瀬 正治 吉田 英生 大沼 直躬 横須賀 収 今関 文夫 丸山 紀史 須永 雅彦 税所 宏光 篠塚 典弘 佐藤 二郎 西野 卓 中西 加寿也 志賀 英敏 織田 成人 平澤 博之 守田 文範 梁川 範幸 北原 宏 中村 裕義 北田 光一 古山 信明 菅野 治重 野村 文夫 内貴 恵子 斎藤 洋子 久保 悦子 倉山 富久子 田村 道子 酒巻 建夫 柏原 英彦 島津 元秀 田中 紘一
出版者
千葉大学
雑誌
千葉医学雑誌 (ISSN:03035476)
巻号頁・発行日
vol.76, no.5, pp.231-237, 2000-10-01
被引用文献数
1

今回,千葉大学医学部附属病院において,本県第1例目となるウイルソン病肝不全症例に対する生体部分肝移植の1例を実施したので報告する。症例(レシピエント)は13歳,男児であり,術前,凝固異常(HPT<35%)とともに,傾眠傾向を示していた。血液型はAB型,入院時の身長は176.0cm,体重は67.0kgであり,標準肝容積(SLV)=1273.6cm^3であった。ドナーは姉(異父)であり,血液型はA型(適合),身長は148.0cm,体重は50.0kgと比較的小柄であり,肝右葉の移植となった。術後は極めて良好な経過をたどり,肝機能は正常化(HPT>100%)し,術後72病日で退院となった。
著者
辛 大基
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.81-94, 2005-09-30

李箱の代表作「終生記」は遺書として書かれた作品として知られている。この作品で問題視したい箇所は、序文に「十三篇の遺書」を書いてきた事実を明記していることであるが、そのため李箱の遺書は「終生記」だけではなく、他にも存在することが推測できる。ただしそれについてははっきりした資料が残っていないのが現実である。もう一つは「終生記」には芥川龍之介の遺書と自分の遺書を比較しながら、そこから離れて独自的な作品を書こうとする決心も表れているため、李箱独自のスタイルとともに芥川からの影響関係をも考えられるのである。したがって本論では、このような李箱の遺書をめぐって、作品の構造や内容を分析することによって「十三篇の遺書」を見つけ出すことを試み、また芥川の遺書と比較を試みるのと同時にそれを通じて改めて李箱の遺書の本意を考えてみたいと思う。
著者
森 桂一
出版者
千葉大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:05776856)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.89-99, 1958

1 Characteristics of adolescence 思春期の特色 われわれが思春期とよぶ子供から成人への移行期は,批判的な時期であると同時に情緒的緊張の時でもあることを忘れてはならない。従って新鮮で生き生きとした創造的表現に導くのにむしろ好適の時期であることを考えねばならない。若いものたちが自分自身の潜在力や周囲の世界というものに気づく始めての時であり,それに対して彼等は青年独特の熱情をこめて反応を示し始めるのである。2 The First duty of education of adolescents 思春期教育の第一任務充分な精神的成熟というものは必ずしも生理的成長に伴わない。しばしばこの時期の複雑な問題の故に人間の身体だけが成長し心は未熟といぅことにもなりがちである。だから教育者の最初のつとめは彼等の生得的な創造能力を逃さないよう均衡のとれた思春期たらしむべく助力を送ることである,この心やりはacademicな適合,技術的訓練に先行すべきものである。3 The Full scope of art in education 教育に於ける芸術の広領域,芸術といぅものは人生経験の諸反応を形に現わすことだと理解された。又すべての個人の精神的肉体的潜在力の具現,成就の可能性を暗示するものである。従ってすべての芸術,音楽,劇,物真似等も絵画,彫刻,建築等と同様に考慮の中に入れるべきである。これについては多数の支持者があって次期総会のテーマに, artからartsへの問題としてとりあげられることになった。4 The Furtherance of moral education by art 芸術による道徳教育の助長,道徳的,倫理的教育は円満な人格発展の中核であることに間違いない。勿論芸術それ自身が道徳を創造するわけでぱない。然し少くとも人生に対してこれから遠ざけたり,又これを破壊したりするものではなく,芸術による教育は道徳の構成的要因を数多用意しているものであることは事実である。本来芸術的達成には心と身体の同時的訓練が要請されている。従て表現の可能性の為道具や材料の統御ということも必要になってくる。尚芸術は社会の道徳的思想を人間の心の中へ伝達したり保持したりするに有効な手段であることも銘記しなければならない。5 The practical element in art appreciation 芸術鑑賞の実利的要素,人類的教養の立場からも,個人の住む特別社会の立場からも鑑賞指導は教育に磨きをかける意味で基本的要素である。かって〓々我々は諸種の芸術を組合せる形でこの目的達成を実証して来た。諸種の芸術を組織的に結合して刺戟暗示を与えるのにも思春期は最適の時機であろう。然し純粋な理論的指導では鑑賞の目的はとげられない。充全な鑑賞に先立って材料や道具に関する初歩的な理解をさせたり又制作意慾に捲込むことも大切である。創造的活動によって青少年が一つのものをしあげたという達成感,満足感は他の抽象的指導では到底望み得ないことであろう。6 Art as a corrective to the lack of balance in contemporary education 同時代の教育の均衡欠如を是正する為の美術,ある傾向として特に目立つ西欧教育の中で一方純粋知識の達成を目指すものや,又一方技術訓練の熟達に傾くものがあるが,普通教育としての均衡を正しく保つためにも芸術の必要を強調せねばならぬ。芸術を通しての教育という概念は教育に全体として働くカリキュラムの統一完化という解釈に於て成立する。7 The unifying function of art in education 芸術教育の統一的機能芸術は従来の盛沢山のカリキュラムと張合って別な分科と解するのでなく,思春期教育に対して他と同格の基礎的要素であると解すべきである。芸術部門の中でも他の色々な学習と同じ創造過程へ,融合させてゆくのが本来ですべて只指導上の便宜でそれらが分けられていると解したい。8 The place of art in the curriculum 教科中芸術の位置 青少年の教育でアートの重要な理由として学校時代全体を通じてこれがカリキュラムや,学校の空間,建物又その育てる人々の内で最も好適な時機に与えられるということが根本問題である。尚この分野の才能が深く身についていなければならぬという認識をもたせなければならない。すべての生徒は更に芸術的諸学習が効果的に受けられるよう,設備材料等その選択範囲を広く用意されなければならない。9 Conclusion 総括 美術は一般教育に於て青少年の成熟助成の為最も効果的な手段である。
著者
伊豫 雅臣 明石 要一 保坂 亨 羽間 京子 五十嵐 禎人 武井 教使 三國 雅彦 松岡 洋夫
出版者
千葉大学
雑誌
特別研究促進費
巻号頁・発行日
2003

今年度は1、国際会議開催、2、研究会、3、少年非行に関する調査研究を行った。1、英国精神医学研究所司法精神医学研究部Fahy教授、豪州・クィーンズランド統合司法精神保健センター長Kingswell先生を招聘し、我が国からは分担研究者である五十嵐禎人先生により、英国、豪州、日本における司法精神保健に関する制度、医療、教育・研修、研究についての講演を得た。また、司法精神保健に関連した、最近の生物学的研究について伊豫雅臣が発表し、・千葉大学大学院専門法務研究科 本江威憙客員教授より指定討論を得た。英国、豪州とも触法精神障害者の医療施設として保安度の異なるものを有し、社会復帰に向けた体制が確立されている。また、裁判所と精神科医との連携体制も確立されている。我が国では平成17年度より心神喪失者等医療観察法が施行されるが、未だ整備途中である。また、生物学的診断法の確立も重要であることが指摘された。2、研究会は、検察庁より精神障害者の行った重大犯罪に関する公判記録の閲覧許可を得ることができた。その公判記録に基づき、精神科医、法学者、教育学者、生理学者により研究会を4回行った。精神医学では診断基準が複数使用されているが、精神鑑定においては診断基準を統一化するとともに、是非弁別能力判定についてのガイドラインが必要であることが指摘された。3、少年非行においては「怒り」が重要な役割を果たしており、そのマネージメント法を確立・普及させることが重要であること、また外国人少年非行の防止に関しては日本語学校の役割を認識する必要のあること、さらに非行傾向のある少年に対する校内サポートチームの形成の必要性について調査された。
著者
塚田 和美 伊藤 順一郎 大島 巌 鈴木 丈
出版者
千葉大学
雑誌
千葉医学雑誌 (ISSN:03035476)
巻号頁・発行日
vol.76, no.2, pp.67-73, 2000-04-01

心理教育が精神分裂病者の家族の感情表出(EE)を低下させ,再発を予防することが,欧米各国で報告されている。我が国の現状に即した心理教育が,同様の効果を持つかどうかを検証することは有意義だと思われる。そこで国府台病院に入院した85例の精神分裂病者とその家族を無作為に介入群と対照群に振り分け,心理教育の効果を検定した。すべての重要な家族員は入院直後,退院直後及び退院9ヶ月後にEEを測定され,介入群の家族は毎月1回,計10回の心理教育を受けた。その結果,介入群の退院後9ヶ月までの再発率は,対照群に比して有意に低下した。また,再発しやすいハイリスクグループである高EEのみの検定でも,同様の結果となった。一方,EEの下位尺度である批判的言辞(CCs)と情緒的巻き込まれすぎ(EOI)については,高CCsが両群とも時間の経過とともに有意に低下したにも関わらず,高EOIは介入を受けなければ低下しないことが明らかになった。これにより,国府台モデルの心理教育はEEの低下と再発予防に有効であることが証明された。
著者
石川 正寛 西垣 知佳子
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要 (ISSN:13482084)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.285-291, 2005-02-28

本研究は,千葉大学附属中学校と千葉大学教育学部が行った連携研究の報告である。本連携研究グループではこれまでに英語の「リスニング指導」に関して継続的に効果をあげ結果を公表してきた。本研究は従来の研究を発展させ,培ったリスニング力をスピーキング力ヘと橋渡しするための指導を試みた結果である。今回の指導実践の効果はプリテスト・ポストテストに加え,1)校内で開催したスキット・コンテスト,2)全国から応募の集まるNHK「新・英語スキット大会-基礎部門」への参加という形で評価した。その結果,1)については公開研究会で行った発表会で参観者から「生徒たちの英語のうまさに驚いた」という感想を多くいただいた。2)については,応募総数361チームの中から原稿とテープ審査で上位8位に残り,NHK放送センターで開催された決勝大会では,優勝を果たし,最優秀賞をいただいた。優勝大会の模様は3回にわたり全国放送された。
著者
篠原 温
出版者
千葉大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1992

1.セルリ-、ス-プセルリ-を用い、土耕区、水耕区を比較した。水耕区は園試処方培養液標準濃度の0.2,1.0,2.0倍の濃度区を設定した。生育量と植物体の緑化程度と香気成分の含有量には相関がみられ、葉色が濃くなるにつれて、また生育が抑制されるにつれて、香気成分含有量は増加する傾向が明らかであった。2.ディル・スイ-トバジル・チャイブス・ペパ-ミントを供試し、培養液中のリン濃度の影響を調べた。リン濃度が高くなるにつれて生育は促進されたが、高濃度では頭打ちとなった。精油含量については、処理濃度の影響が小さかったため、培養液中のリンの適濃度は4〜8me/lであると考えられた。3.スイ-トバジルを供試し、培養液濃度(1/2,1,2,4単位)・光条件(0,45,70%遮光)の影響、カリウムとマグネシウムの濃度・比率などが生育および香気成分含量に及ぼす影響を調べた。生育は、遮光70%で顕著に劣り、培養液濃度1単位で優れた。また、カリウム・マグネシウム濃度については、対照区であるK:4.8,Mg:2.4me/lおよびK:9.6,Mg:2.4me/l、すなわちK:Mgが2:1および3:1の時に生育、精油成分濃度ともに優れた。この結果をもとに、スイ-トバジルに好適な培養液組成を決定した。4.遺伝的にばらつきの大きいスイ-トバジルの繁殖方法を検討し、光の強さと培養液濃度の影響を調べた。生育は培養液濃度1単位が優れ、光条件も高光度で促進された。また、挿し木による栄養繁殖では、挿し穂に8枚の葉をつけ、照射10時間は以下とするのが適することを明らかにした。5.スイ-トバジルの栽培における一斉収穫と随時摘みとり収穫する管理方法を比較したところ、終了は随時収穫で優れ、精油成分濃度は若令で比較的小さな葉中に高かった。収量および品質からみて、随時収穫による栽培が優れていた。
著者
山田 稔
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.85-128, 1987-11-30
被引用文献数
1

複式簿記には,純利益の算定と,また,経済財の現在価値量の把握という2側面がある.勘定組織によって,期末貸借対照表の資産-負債=資本と期首の資産-負債=資本となり,期末資本-期首資本=純財産となる.これが損益計算書の総収益-総費用=純利益と一致することによって,簿記の自己監査機能が保持されるとみるのが,勘定組織の静的考察である.一方動的考察では,組織と体系は社会経済の発展段階に対応する利潤追求のための資本循環として認識する.農業複式簿記も簿記である以上,動的考察の対象として位置づけられる.農業複式簿記の対象は家族経営であり,これは経営発展段階では第1期に位置づけられる.家族経営は第1に生活をするための生業であること.第2に生活に必要を所得獲得に狙いがある.第3は生産財か消費財かの区分が明確でない.第4は計算思考も資産-負債=資本という資本等式である.家族農業経営は,最大利潤の獲得でなく,生活に必要を所得獲得が目的であることから企業発展過程では第1期に位置づけた.この第1期に位置づけられるとしたら,複式簿記で何が解明されをければならないか,小家氏の論文を素材として,家族経営に複式簿記を適用することの是非について検討し,そこでは,結論的には可能であることを指摘した.経営と家計の未分離を前提とするのでなく,未分離に求めるとすれば,経営実体を認識し,複式簿記家計簿を考えた.財産という現物形態があって経営が存在するため,資産-負債=資本という資本等式で計算することによって自己資本が確定される.年度内にあげた利益は,自己資本額の増加として把えるのが計算理念である.家族経営に複式簿記を適用する理論体系としていずれに準拠すべきであるかを検討した結果,第1期の理論体系でなければならない.その理由の第1として,自己資本の増加は,経営と家計の未分離の状態においては,家計を含めなければ計算できない.したがって,経営損益や家計取引も財産の変動として扱い,積極財産・消極財産とし,財産変動の勘定記入は,物的一勘定学説により行う.次に企業発展史からみた,第2期を検討し,そこでの経営形態は,企業と家計の分離した共同出資による合名無限責任会社となり,企業が記録の対象となり,この段階になると,取引の種類,回数,金額も多くなり,勘定組織も複雑となる.資本成熟としては,産業資本段階となり,資本循環もG-W…P…W'-G'にみられるように,生産過程Pを含むことになり,企業目的は財産構成内容よりも,製品を販売することによって得られる利益剰余金の確認が目的となる.この時期は,貸借対照表項目の中に,建設仮勘定が認められ資産の拡大が行われたり,償却引当金が負債勘定として認められることによって,企業利益が過小に計算される.第2期の理論を農業に適用すれば,経営と家計の分離を前提とした生産組織が考えられ,共同利用組織,集団栽培組織,受託組織,畜産組織,協業経営組織などはいずれも貸借対照表と損益計算書が作成されている.このように,複式簿記が使用されている要因は,個別経営とは切り離し,経営を対象とすること,会計主体である構成員に公平を所得分配,会計の客観性を保持,租税対策などの必要性によるものである.さらに,企業発展過程からみた株式会社の位置づけとして第3期を設定した.この期の勘定体系は,拡大再生産を基本とする剰余金算定で,余裕資金で利潤の増大を図るようになるA-P-K=Sのように,企業がいつでも活用できる剰余金の確保がその目的となる.この段階になると貸借対照表,損益計算書の外に利益処分案書が追加され,利益金の分配方法が提示される.これは出資と経営が分離された段階で,管理責任は株主総会がもつ.この時期に相当する農業は,専門的大規模経営が出現し経営と出資の分離した,株式会社形態の企業が,畜産部門とくに,ブロエラーや養豚の一貫生産にみられるように財務諸表の特定引当金のなかに,価格変動準備金を,法定準備金のなかに利益準備金,剰余金のなかに別途積立金を組入れるなどして,利益金の過小評価が行われている.この段階は,全体としてみれば,積立,引当金の整備体系であるといえる.このように,農業とくに畜産部門に企業経営が成立する条件は,生産にあたって,季節的影響を受けない,投下資本の回収が短期であり,生産に際し購入部分が大半であることなどの点について検討した.III章の農業複式簿記の展開では,論者によれば明治11年に駒場農学校において使用講義されたもので,英国より導入されたものであった.その内容は,人名勘定の設定が多いとしている.明治初期における外国からの複式簿記の導入は,当時の農政面と関わりをもっていたものと考えられる.すなわち,養蚕をはじめ,輸出できる作物の国際市場へ日本の農業生産を参画させようとした時期で,商品作物の生産にあたり,生産費の合理化や経営改善に関心が払われた時期であった.このように,わが国の農業複式簿記は,その初期においては,外国の簿記書を土台とした,模放的時代であった.しかし,明治17年に前田貫一氏によって,農業簿記教授書が出版され,わが国独自の専門書であり,その後明治33・37・44年の3著書が出版された背景として,機械制大工業による産業革命によって,潜在的失業人口は年雇という形で大規模経営に吸収され,商品生産農業を仕向するため,経営の採算に関心がもたれるようになった.明治33年の農業簿記教科書は,全体的に部門損益に重点がおかれていて,次の2点に問題が残る.第1は勘定の分類が体系的なものでない.田・畑勘定は作物の損益計算のための棚卸しを考えたものとみられるが,経営技術的分類からすれば生産対象であり,生産手段でもある.畜産及び養蚕勘定は,生産対象である.したがって,勘定科目の体系は,生産対象を中心に編成すべきものと考える.第2は,分配勘定のなかに営業費勘定を設けて生計費費用を算入している点で,これはむしろ,営業収入と営業外費用の計算を行った後に,営業外費用として生計費を計上すべきものである.その後,明治37年に農業簿記学,44年に最新農業簿記教科書が出版され,それぞれ検討した結果は,明治期の農業複式簿記は,簿記理論,勘定科目の体系,計算理念ともに未確立の時期であったということができる.大正期の農業複式簿記は,一部大規模経営を指向している地主層に適用しても,ほとんど普及しなかったとみられ,簿記は大正4年の「農家の簿記」によって代表されるように,自作・小作の小規模層を対象に単式簿記がその中心をなしていったものとみられる.昭和期の農業複式簿記は,昭和10年までは農業簿記に関心がむけられた時期で,それは高い現物小作料をとられては再生産不可能であるという損益計算書を地主に要求したり,農民自身が計算することによって,商品生産の意識が高揚されたときであった.第2の時期は昭和11年以降現在までで,その特徴は昭和30年代の農業複式簿記のブームである.経済の高度成長によって,農産物に対する消費需要の増加により,市場価格も上昇し企業的農業も発生した.一方では,農業労働力の減少と婦女子化,老齢化が進行するなかで,その対応策として施設の共同利用,栽培協定,作業の受委託,協業経営などが増加し,出資と労働の分離によって複式簿記の適用範囲が広がり,その著書はIII-1表のようである.昭和13年の近藤庫男氏の農業簿記学は農業複式簿記の記述として,体系的に記述された画期的なもので,この時期は商品生産農業が本格的に展開されようとした時であったこと,農業に対する経営改善要求が高まっていたおと,外国の会計学者による簿記会計理論に関する,優れた翻訳が著わされた時期でもあった.IV章の農業複式簿記理論の検討では,複式簿記の目標は利潤の発見にあるが,利潤の計算過程は収益マイナス費用によって決まるので,収益とは何か,費用とは何かについて,農業経営の実体から検討した.給付に対する収益であるという規定に従えば,固定資産増殖額や流動資産増減額の矛盾は本来の損益に影響させないとすれば経営外収益として処理する.農業収益計算のための収益評価基準としては,販売基準を採用する.生産現物家計仕向は仕向時における販売基準とし,繰越および貯蔵農産物については生産基準にする.経営費についても,給付に対する費用ということで流動供用財減少評価額は,費用であっても経営外費用とすることによって,農業粗収益と農業経営費は対応するものと考えられる.簿記の出発点としての貸借対照表は,開業貸借対照表で[numerical formula]という形で表現される.この式は投下資本Gが具体的生産手段として,経済財に変態した状態を前提として,出発する要因を5つあげ,計算理念としてはA-P=Kという資本等式が基本となる.それは自己資本Kが企業において中心的重要さをもっている.計算過程で財産・資本の2つの系統を区別し計算することが適当であること.農業簿記における資本循環の特異性では,農業生産と工業生産の資本循環の相違と経営計算上の問題点を5つあげ検討した.農業簿記と計算期間では,農業生産自体季節の影響をうける有機的生産であるから,一律の計算期間はとり得ないとして,経営組織別計算期間を提案した.投下資本Gが生産手段Wへの形態変化の処理では,農業経営におけるGという最初の資本は,複雑を経済財としての形態をとる.[numerical formula]に価値移転の過程が問題となり,立毛評価をとり上げ検討した結果,動的貸借対照表論による評価原則に則して行うべきことが判明した.農業複式簿記における内部取引の検討では,費用の中で大きなウェートをもつ家族労働費の扱い方について,倉田,加用簿記理論を検討し,簿記論の経済的認識からみれば加用理論による家族労働費を費用化できない帰結として,農家所得が計算されるとする経営実態の認識を優先する立場をとる.V章の農業簿記と会計公準の検討では,企業と家計の未分離に対する複式簿記上の論述を2つに整理した,第1は企業会計原則を基準尺度として,これに順応させて処理しようとするもの,第2は経営実体に則して処理しようとするものに分かれるが,検討の結果筆者は第2の立場をとるものである.会計期間の公準では,定期的会計報告の基礎となるもので年度始と年度末における資産・負債・資本と期間利益=期間収益-期間費用という形で報告されるが,収益および費用把握については,すでに指摘したとおりである.貨幣評価の公準では,検討した結果貨幣価値水準一定を前提とした,実体資本維持説による評価が経営実体からみて妥当であると判断した.VI章の植物資産と農業複式簿記の関係について考察し,まず植物資本財としての性格,複式簿記と育成価,複式簿記と果樹の更新とくに耐用年数以後の品種更新を合理的に行う方法を検討した結果,経済的老木期間中に更新することが,経営の経済的負担を小さくすることができる.また耐用年数以前の機能的減価としての品種更新については,偶発的原価の特別償却として経営外損失として処理する.VII章の農業複式簿記の勘定科目の性格と体系では,農業簿記でどのような勘定科目を採用するかは,農業経営組織と規模に関係するが,勘定科目の組織と体系がどのように構成されているかをみることは,経営の資産構成と損益の内容規定にかかわってくる.第1は勘定科目の構成,形式,内容によって,どのような経営の損益が把握されるか,第2は経営の資産的,資本的実体の把握,第3は経営と家計の分離と勘定科目,第4は部門損益の把握と勘定科目などについて,貸借対照表項目である資産,負債,資本および損益計算書項目の費用,収益の内容把握が各著書によって異なることを考察し,結論としてVIIの4)に示したような農業における損益計算書区分(試案)を提示した.この場合従来の農業複式簿記では,当期業績主義会計が70%,包括主義会計が30%という実状である.ところが,最近における経営の変化は,専業,兼業,生産の組織化などいろいろの形態をとっている.都市近郊で農業を営んでいる経営では,経営主体が農業以外の事業として,貸間業,駐車場,ガソリンスタンドなどを兼業している場合があるので,当期業績主義会計よりも,分配可能利益をも包括的に表示する包括主義会計によるべきことを提案している.
著者
長板 光男 野村 正彦
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要 (ISSN:13482084)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.25-30, 2006-02-28
被引用文献数
1

現代社会で青少年の置かれた状況は,物質的に豊かになった反面,ストレスと戦いながら生きていくことが求められる。また一方では,夜型社会の到来で生活が不規則になりがちである。本研究において,大学生を被験者として睡眠と疲労感に関する実態調査を行なったところ,朝の疲労感や意欲のなさを訴える姿が浮かび上がってきた。筆者らはこの実態をふまえ,内分泌ホルモンである唾液中コルチゾール,メラトニンの生理的指標からELISA法でサーカディアンリズム障害の分析方法の確立をめざした。サンプル数は少なかったが,本研究で開発したプロトコールで十分分析できることが確認された。さらに生理的指標のみならず心理的指標との組み合わせでリズム障害を判別する方法を提起した。いずれにしても身体のリズム性に留意し,朝の疲労感のない生活がストレスへの対処上も重要であると思われる。
著者
樋口 誠太郎
出版者
千葉大学
雑誌
千葉医学雑誌 (ISSN:03035476)
巻号頁・発行日
vol.80, no.5, pp.209-218, 2004-10-01
被引用文献数
1

医事文化資料というと,その範囲はかなり広く,多岐に亘っていると考えられる。亥鼻分館に収蔵されているものも,直接医療に関したものから世事,不思議,怨霊などを描いたものまで,さまざまなものが収集保存されている。これらを大別すれば,絵画資料と文字(文献)資料に区分することができる。当館の医事文化資料で注目をひくのは,民間医療に関する「医療習俗」であろう。現時点で見ればなんのことはない一枚の絵が江戸時代末期疱瘡除けの習俗を伝えるものであったり,江戸時代から明治前半期にかけて,多くの薬物販売の広告が収集されているのを見ると当時は医師にかかるより薬を買って服用するのが病気を治す第一歩であったことが,これら広告の宣伝文によく表われている。本文では,これらをまとめてとりあげたが,「くすりと広告文」だけでも一つのテーマとなるほどであるので,ここでは代表的なものを選んでとりあげた。文字(文献)資料はさまざまなものがある。ここにとりあげたのは「コロリで死んだ役者が生きかえった」という不思議に,信仰による現世利益(りやく)を伝えるものや,明治5年当時の木更津県(現・千葉県)が出した「育子告諭」のような貴重な文献資料の存在を紹介した。また,これらの特色を総体的に見ると,絵と文字が一枚の資料の中に入っていることで,当時の人々の識字能力というのは,かなりのものであったということが判る。今回本稿では,亥鼻分館に収集された資料のガイドラインを紹介するものである。
著者
千坂 武志 布施 守
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学教育学部研究紀要 (ISSN:05776856)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.180-188, 1969-07
被引用文献数
1

栃木県葛生町付近に石炭系(?)〜二畳系の地層が発達しているが,これらは下部は栃木層群,上部は安蘇(あそ)層群に分けられている。安蘇層群の下部には石灰岩の発達した地層があって,鍋山層とよはれている。鍋山層はさらに下部から上部に向って,山菅石灰岩部層,羽鶴苦灰岩部層,唐沢石灰岩部層に分けられる。山菅石灰岩部層は日本のParafusulina帯の化石産地の標式地域として有名なところである。筆者らは葛生町付近の山菅,和田両部落付近の山菅石灰岩部層の地質および古生物について研究した。本部層の略々中央部には不純石灰岩の薄い層があり,そのすぐ下にMinojapanellaの多産する地層がある(この地層を中部層とした)。中部層より下部にあるものを下部層とし,上部にあたるものを上部層とした。Parafusulina kuzuensis n. sp.は殻が特に大きく,円筒形でaxial fillingは軸に沿うて細長く発達し,septaの発達は内部でよく,外方にいくにつれて少なくなっている。Parafusulina wordensis Dunbar and Skinner (Word formation, Glass Mountains, Texas, U. S. A.)に比較するとchomataが小さくapeatureがよく発達していない。Parafusulina nakamigawai Morikawa and Horiguchi(葛生町,アド山層産)に比較するとseptaの褶曲が弱いParafusulina iisakai Igo(岐阜県舟伏山産)に比較するとaxial Fillingが発達している。それで新種として記載した。この大型鐘紡虫は上部層に多く下部層には少ない。上部産のものは一般に大型化したものが多い。Parafusulina進化した型として非常に興味がある。進化の系統樹については将来さらに研究する。