- 著者
 
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             浅野 二郎
             
             仲 隆裕
             
             藤井 英二郎
             
          
 
          
          
          - 出版者
 
          - 千葉大学
 
          
          
          - 雑誌
 
          - 千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
 
          
          
          - 巻号頁・発行日
 
          - vol.39, pp.109-122, 1987-03-30 
 
          
          
          
          - 被引用文献数
 
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             1
             
             
             
          
        
 
        
        
        紹鴎から利休へとつづくわび茶の草創の時期において,わび茶の先達たちが求めた世界は,一座建立の世界であり,それは,茶の場において亭主の座と客の座がもつ格差の否定につながるものであった.而して,利休が求めるものは,四畳半,三畳あるいは二畳といった,いわゆる小間の茶に佗びすますところのものであった.しかし,うき世の外の道を目指したこのわび茶も,終いにうき世の外のものではあり得ず,やがて,それは客のための茶へ,さらに客のもてなしのひとつとしてとらえる茶へと変容する.わび茶に対する意識のこのような転換に伴って,茶室の空間構成にも,新たな展開が起る.この際立ったひとつとして茶室における台目構があげられる.一方,露地についてみるとき,露地もまたおそらく茶室のたどった道筋と無縁のものではあり得なかった筈である.つまり,台目構の茶室に対応する露地は,台目構を構想する意識と深くかかわりつつ造形されていったものとみてよいのではあるまいか.本論文では,特に台目構の茶室をとらえながら,それに対応する露地の形態がどのように展開したかを,指図(平面図)が確認できる史料を手がかりとして,検討を加えた.即ち,織部がかかわった松屋久好の露地,細川三斎の露地および金森宗和の露地を事例的にとりあげ,関連資料を活用しつつ,これらの露地が辿った道程を見極め,それぞれの茶匠たちが求めた造形をとおして,わび茶における伝統の継承と創造の問題について論じた.