著者
楠瀬 悠
出版者
早稲田大学
巻号頁・発行日
2017

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著者
甲斐 克則
出版者
早稲田大学
雑誌
比較法学 (ISSN:04408055)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.1-28, 2011-06-01
著者
宮里 修
出版者
早稲田大学
巻号頁・発行日
2008

制度:新 ; 文部省報告番号:甲2518号 ; 学位の種類:博士(文学) ; 授与年月日:2008/1/15 ; 早大学位記番号:新4648
著者
井上 智洋
出版者
早稲田大学
巻号頁・発行日
2011

制度:新 ; 報告番号:甲3425号 ; 学位の種類:博士(経済学) ; 授与年月日:2011/6/22 ; 早大学位記番号:新5749
著者
西尾 知己
出版者
早稲田大学
巻号頁・発行日
2010

制度:新 ; 報告番号:甲3080号 ; 学位の種類:博士(文学) ; 授与年月日:2010/2/24 ; 早大学位記番号:新5340
著者
田中 裕子
出版者
早稲田大学
巻号頁・発行日
2013

制度:新 ; 報告番号:甲3882号 ; 学位の種類:博士(文学) ; 授与年月日:2013/2/25 ; 早大学位記番号:新6340
著者
吉村 貴之
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011-04-28 (Released:2011-08-05)

第二次世界大戦後に約10万人の在外アルメニア人がソヴィエト・アルメニアへ移住したのは、ソ連邦が、戦勝国として世界に離散するアルメニア社会の盟主として宣伝を行った結果である。しかし、折からの冷戦の昂進で在外アルメニア人社会は親ソ派と反ソ派に分裂し、この運動も下火となる。一方で、ソヴィエト・アルメニア政府は、この在外同胞の社会統合を進め、対外宣伝を強化するために、在外同胞の祖先の多くが被った第一次世界大戦にオスマン帝国下で発生したアルメニア人虐殺・追放事件から50周年にあたる1965年4月に大規模な追悼集会を首都エレヴァンで催した。だが、これが反トルコ・ナショナリズムを国内に浸透させる結果となる。
著者
高橋 淑郎
出版者
早稲田大学
雑誌
早稲田大学日本語研究教育センター紀要 (ISSN:0915440X)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.55-76, 1999-05-31

講義や論文における次のような「自問自答形式の疑問表現」を<自問表現>と名づけ, その性格を考察した。(例)で, 今週からは, どういう勉強をするのか, っていうと, 2つの変数を同時に取り上げて分析する方法について勉強していきます。【講義】(1)<自問表現>は, 典型的な疑問表現と比べると, 表現主体が疑問を抱かず, しかも自分で答える, という特徴を持っている。(2)<自問表現>は講義, および論文の一部でよく使われる。(3)「説明要求」の<自問表現>は答えの表現と, 合わせて「x(と)はyである」という「題目提示」-「説明」関係を構成している。そのため, 講義や論文のような一方的な伝達形態の言語表現になじみやすいと考えられる。(4)「説明要求」の<自問表現>において疑問表現を用いるメリットとして, 題目を文として提示することができるので名詞句の場合のように複雑な構造になりにくい, 疑問詞による漠然とした題目提示が可能, また, 答えとして複数の文を持つことができる, さらに独立文形式のものに限っては働きかけの効果が狙える, ということが指摘できる.(5)「判定要求」の<自問表現>は答えの表現と合わせて全体で「Aである(ではない)」(Aは命題・事柄・事態など)という表現を構成している。(6)「判定要求」の<自問表現>では, 「Aである(ではない)」を強く印象づけるために疑問表現が用いられていると考えられる。「Aである(ではない)」が強調されるとその根拠・理由≡が求められる場合が多く, その結果, 「判定要求」の<自問表現>は説明・解説の表現を構成することになる。その点で「説明要求」の<自問表現>と同じく, 一方的な伝達形態の言語表現になじみやすいと考えられる.
著者
村上 公子
出版者
早稲田大学
雑誌
早稲田大学人間科学研究 (ISSN:09160396)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.109-127, 2003-03-31

エーリカ・マン(1905-1969)は19世紀終盤から20世紀前半、ドイツ語で執筆する世界的な作家として名声を博したトーマス・マン(1875-1955)の長女である。彼女はヴァイマル共和国時代、一歳年下の弟クラウス・マン(1906-1949)と共に、「退廃的」なヴァイマル・ドイツ期の若者の典型のような生活を送っていたが、ナチズムの台頭が明らかになるにつれ、これに対する抵抗の姿勢を次第に明確にし、1933年1月にはミュンヒェンで政治的な文学カバレット「胡椒挽き」を旗揚げする。活動の自由を求めて同年3月にはスイスに亡命、9月にはスイスで「胡椒挽き」を再結成し、1936年までヨーロッパ各地を巡演した。1937年「胡椒挽き」のアメリカ公演失敗後、エーリカはアメリカ合衆国に残り、講演、および執筆によって生活を立てると同時に、アメリカの世論を反ヒトラー・ドイツに向けさせるべく力を注いだ。アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参戦した後は、従軍記者となり、連合軍のノルマンディー上陸、あるいはアメリカ軍のドイツ西部占領、さらには終戦後のニュルンベルクにおける軍事法廷の取材、報道を行っている。戦後、亡命知識人の少なからぬ部分が(東西を問わぬ)ドイツに帰国しなかったが、その中でもエーリカとクラウスのマン姉弟のドイツに対する批判的な態度は目立っている。本論考後半では、エーリカの残した著作、原稿における一人称複数の代名詞類の使用法を手がかりに、エーリカ・マンの自己理解の変化を明らかにしようと試みた。まだ調査数は少ないが、アメリカヘの移住当初、圧倒的に「ドイツ人」「移民」の意味で用いられていた一人称複数代名詞が、従軍をきっかけに「連合国民」「アメリカ人」を意味するようになっているという傾向は明らかである。
著者
前橋 明 浅川 和美 佐野 裕子 泉 秀生 松尾 瑞穂 長谷川 大
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2012-04-01 (Released:2012-04-24)

2012年度から2014年度の3年間で、述べ25県の幼稚園に通う3歳~6歳児15,575名、1都1府35県の保育園に通う1歳~6歳児41,797名の生活習慣調査を実施し、結果の返却と、希望の保護者には個人健康カードを作成して配布した。また、各地の行政や教育委員会と連携し、2012年は、18地域で延べ22回、2013年は、34地域で延べ70回、2014年は、24地域で延べ79回の健康づくり理論普及の講演会や、生活リズム向上のための運動指導などを展開した。生活習慣調査と講演会開催担当者358名を対象に、実践に対する評価を調査た結果、子どもたちの生活リズムが改善し、元気になったと回答が寄せられた
著者
仙石 知子
出版者
早稲田大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2012-04-01 (Released:2013-04-25)

毛宗崗本『三国志演義』に表現された女性像と、その背景となっている清代初期の女性に対する社会通念を追究し、その結果を『毛宗崗本『三国志演義』における女性像の表現』として刊行することが研究の目的である。本年度は、「毛宗崗本『三国志演義』における徐庶の母と忠」を公刊した。その内容は、以下のとおりである。劉備に仕えていた徐庶は、曹操に母を捕らえられ、劉備のもとを離れて曹操のもとに赴く。徐庶の行動は、忠よりも孝を優先させたことになる。毛宗崗本は、徐母の忠を強調するあまりに、徐庶の孝を貶めている李卓吾本の表現を改め、忠と孝の狭間に苦しむ徐庶の葛藤を救い出し、何のためらいもなく徐庶を送り出す劉備の仁に傷がつかない配慮をしている。こうして、毛宗崗本は、三絶と位置付ける曹操・関羽・諸葛亮の人物像を明確に描くとともに、漢を代表する劉備の「仁」の属性も明確にするため、忠の表現を工夫しているのである。以上である。このほか、「中国小説における「女をさらう猿」の展開」を『日本中国学会報』に投稿し、10月に掲載された。
著者
長谷 正人
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008 (Released:2008-04-01)

山田太一のさまざまな作品を映像作品として見直し、さらに山田太一氏本人や関係者へのインタビューも行って、70年代から80年代にかけての日本のテレビドラマがどのようにしてポストモダン的なイメージ社会を準備し、そしていかにそれを「後衛」の視点から批判したかを明らかにした。
著者
高屋 亜希
出版者
早稲田大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2005 (Released:2005-04-01)

本年度は本研究課題を行う最終年度にあたり、研究成果報告書『21世紀中国大衆消費社会における文学現象の研究』を刊行した。また21世紀以降の同時代中国における文化・社会現象について、広範な見取り図となる基礎研究資料『Chinese Culture Review(中国文化総覧)』vol.4を翻訳・出版した。現在、 vol.5の翻訳作業を進めており、今後もこの分野の研究情報プラットフォーム構築に努める予定である。本研究課題では、急激な大衆消費社会化が進行する21世紀中国で、文学というジャンルがどう意味づけを変え、他のジャンルや海外文化とどう関連しているかを調査し、研究を行ってきた。本年度は市場化が本格化した1990年代以降、市場を利用しながら若者サブカルチャーをリードしてきた、1970年代生まれの世代が果した文化的役割について考察した。その具体的研究の成果として、「慕容雪村『成都よ、今夜は俺を忘れてくれ』試論」および「「七〇后」とボヘミアン幻想の終焉」の論文2本を発表した。それ以前には社会主義体制を支える一員として、その社会的役割が国によって決められ固定されていた状況が、市場化とともに個人の意志で、転職など社会的役割を変えることが1990年代半ばから可能になった。こうした社会変化を背景に、当時、20歳代だった1970年代生まれの若者がビート文学や海外サブカルチャーなどを参照しながら、例えばバックパック旅行など、自由な移動に強い志向を持つ若者カルチャーを形成してきた経緯、およびそれらがインターネットの普及と結びつくことによって、1990年代末から21世紀初頭にかけて、アングラから一気に社会の表層に躍りでてきた、文化現象の一端が明らかになった。