著者
桑原 司 木原 綾香 Kuwabara Tsukasa Kihara Ayaka
出版者
鹿児島大学
雑誌
地域政策科学研究 (ISSN:13490699)
巻号頁・発行日
no.7, pp.237-249, 2010-03

Since 1960s,Symbolic Interactionism (SI) has come to the forefront as an alternative sociological and social psychological perspective not only in American Sociology,but also in Sociology of the world. In the beginning,many scholars in the field drew fundamental ideas mainly and approvingly from Blumer's works,especially,from his 'three premises.' However 1970s and 1980s have brought many criticisms of the perspective. Therefore,SI needed to reconsider and re-develop its perspective and method in response to the criticisms. Among those criticisms,two of those have become common and popular as the labels characterizing both Blumer's SI and SI as a whole. That is,on the one hand,SI has been seen as one of the subjectivist theories,and on the other hand,it has been called micro-sociology by its very nature. In sum,there are four challenges facing Blumer's SI: i) theorizing the influences of social structures on self-interaction; ii) theorizing the influences of self-interaction on social structures;iii) theorizing the social structure itself; and iv) consideration of the 'approach from "the positions of the actors'" in relationship to the macro-sociological version of SI's perspective. The main purpose of this paper is to examine Blumer's SI and to show the way in which his perspective (and method) should be reconsidered.
著者
黒田 景子
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学総合教育機構紀要
巻号頁・発行日
no.2, pp.17-40, 2019-03

マレーシアのクダーには歴史史料に登場しない情報を民衆が口承伝統として残している場合がある。近年クダーのマレー人ムスリムたちが自らの祖先の墓や歴史について古老の情報を残そうとし、それをマレー語のブログなどに公開する動きがある。特にタイ軍がクダーを攻撃占領した時期(1821-1842)は異教徒によるムスリムの支配時代の苦難と抵抗の時代としてクダーの村々で多くが伝承されている。本稿で扱うコタムンクアン村の伝承は 南タイから戦乱を逃れてきたマレームスリム王族の一団がこの村を築城し住み着いていたが、1821年のタイ軍の攻撃で一族がほぼ殺害されたというものである。しかし、残った長男の直系子孫によって伝えられたその王名がナコンシータマラート国主のタイ語の欽賜名を持っていること、マレー語ではなく「シャム語」と彼らが呼んでいるタイ語の南タイ方言に類似した言語を話していたことがわかった。クダーには現在はマレー語教育が浸透して数少なくなっているが、「シャム語」起源の地名は多く、また現実にシャム語を日常語としている村々が少数ながら存在していて、クダーとタイの長い歴史関係を物語る。ところが、この伝承がネットで公開されると熱心な支援者が現れ、独自の解釈をしてアユタヤ王朝は実はイスラーム王朝だった、その版図はインドの一部からマレー半島のマラッカ、ビルマの一部からフィリピンに至るという「奇説」に発展し、それを支持する人々が次々とネットで二次利用するようになった。マレーシアの歴史学会は歴史フォーラムを開いて独自の解釈をする情報提供者がよりどころとする歴史的資料である「クダー法」や「メロンマハーワンサ物語」から距離をおいて、「コタムンクアンの主」の「シャム語」話者ムスリム王についての発表を行ったが、現在も「アユタヤ朝最後の王はクダーに逃げてきてその子孫がいる。アユタヤ朝はイスラーム帝国だった」という言説がマレー語のWikipedia に乗るまでになった。なぜこのような説が熱心に支持されるのかを考察すると、歴史的に「シャム語」を話していた南タイからクダーに至る地域のムスリムが、1909年に英領マラヤに編入され分断されたことで、ムスリムの中のマイノリティとなり、かつて彼らが他者からサムサムと呼ばれ「敬虔ではないムスリム」と評された経験からマレー語話者ムスリムの中で「シャム語」を話すことを恥としたり、引け目を感じるアイデンティティの危機に陥っている現状が見えてきた。コタムンクアンの主アブ・バカール・シャーはクダーの歴史書に登場しない「シャム語」話者の「自らの歴史」に通じるものとして、過ちを検証されないまま民間での通説に成りかかっている。
著者
大田 理郁 オオタ リナ OTA Rina
出版者
鹿児島大学
雑誌
地域政策科学研究 (ISSN:13490699)
巻号頁・発行日
no.9, pp.1-16, 2012-03

This paper looks at the first-ever tours in the general Japanese tourism market to see the 2009 total solar eclipse. Of the different tours which were organized to take participants to the Nansei Islands to view the eclipse, here we focus on those to Toshima Village where the eclipse was going to be longest. Situated to the south of Kyushu, Toshima Village has seven inhabited islands which are both isolated and lacking in infrastructure. The large-scale eclipse tours to these small remote islands threw into the various observation prerequisites for tourists on the islands that had not been considered before. Analyzing the measures needed to meet these conditions, we are able to present a framework model for establishing tourism to small remote islands.
著者
徳丸 亜木
出版者
鹿児島大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1997

本科研においては、鹿児島県薩摩半島の森殿信仰、山口県豊浦郡豊浦町のモリサマ信仰、沖縄県宮古島の御嶽信仰を調査対象として、各信仰対象に纏わる伝承がいかなる経緯で形作られ、或いは、古い伝承から別の形へと再構成されてゆくかを捉える事を目的として、平成九年度、ならびに十年度にかけて調査、研究を継続した。伝承の再構成過程を最も明確になし得たのは、山口県下のモリサマ信仰であり、そこで、伝承者と民間宗教者との相互作用的なコミュニケーションに基づく伝承再構成過程の特質として以下の諸点を明らかに成し得た。一、 民間宗教者の「森神」祭祀への関与は、「森神」を死霊の祭り場とする祭祀者側の意織に基づいて行われる。そこには土地の霊を祀るとする地霊祭祀の観念が接合しており、祭祀者は死霊祭祀の意識を枠組みとして、民間宗教者からの伝承への後次的な脚色を受容し、その由来伝承の再構成を行う。二、 多くの場合、「異人殺し」伝承が創出、あるいは付加される。集落の外部より寄り来る「異人」は、地域の歴史的コンテキストと対応のもとで落人と位置づけられ由来伝承が構成される傾向が強い。その場合、民間宗教者により、「森神」は落人が死んだ土地であると、地域の歴史的コンテキストに合致した解説がなされる。三、 祭祀者と落人の死霊との関係は、一つは、その先祖自体が、その「生きた時間」において落人の死に何らかの形で関わり、その家筋に連なる子孫に、死霊による崇りなどの発現が生じるという形で現れる。今一つは、死霊が宿る土地を屋敷地としている、あるいは所有している事を理由として、自己の帰属する家と「森神」との因果関係を意識する。四、 「森神」に対する死霊祭祀の場としての意識、および家筋や死霊が宿る祭地への居住や土地所有に基づく祭家への帰属意識が、その死霊の祭家に対する崇り発現の背景にある。旧来から「森神」が祭祀されていた事例の場合、家の生活史上生じた危機的状況の災因は、家に関わる死霊の存在に帰結され、家の盛衰と死霊祭祀との因果関係が因縁として意識される。この過程で、家の生活史上の様々な出来事がいわば、家の内包的なコンテキストとして、「森神」にまつわる伝承に取り込まれ再構成されてゆく。五、 また、家に危機的状況が生じた時点で、「森神」が民間宗教者によって新たに創出される場合もある。この場合も、その「森神」に対する民間宗教者の「解説」は、その家の構成員の信仰的な意識の枠組み、背景としての家の生活史上の事件(家の内包的コンテキスト)、地域の歴史的コンテキストを接合してゆく形で提示され、結果として死霊祭祀の由来伝承を持つ「森神」が創出される。六、 こうした「森神」伝承の再構成過程は、民間宗教者と祭家との間で、相互の信仰世界に影響する形で生じ、その相互作用の中で「森神」の伝承は活性化され、再構成される場合もある。七、 以上の様な伝承再構成過程を示す家の家族員には、家の生活史上の危機的状況を、信仰的な側面での解決に求める様な、特有のパーソナリティが認められる。そうした家では、宗教者の解釈を受けつつ、「森神」に対する意識を一定の枠組みの中で再構成してゆき、その帰結として日蓮系宗教者の祭祀を受容する。反対にその様なパーソナリティが希薄な家では、家の危機的状況が生じても、その原因は信仰的側面に帰結されず、「森神」伝承の再構成には結び付いて行かない。
著者
"肥後 伸夫"
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学水産学部紀要=Memoirs of Faculty of Fisheries Kagoshima University (ISSN:0453087X)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.56-67, (Released:2016-10-28)

"In the fishing operated with the use of the towing nets of the same construction, the yielded catch-differentials may, reasonably, be attributed to the difference in the towing-forse of the trawlers. Basing on the materials obtained by the subsidiary trawlers belonging to the Fish-meal fleets operating on the Bering Sea in 1963 and in 1965, the possible relationship between the catches of the eastern net and the towing-force of the trawler which is to be denoted by the resultant of the Gross tonnage and the Horse Power of the main engine was put under investigation, with the following results obtained : 1) The increase of the Horse Power of the main engine of the trawler seemed to have been coincided with the responsive increase of the catch per one unit of the towing net, which was to be observed most remarkably at the good-catching period. 2) Each increase in the total tonnage seemed to have been accompanied by the increase in the catch per one unit of the towing net, though this was not so remarkable as in the above mentioned case. 3) The towing speed might be regarded as one of the chief factors in the formation of this relationship between the catch and the Horse Power of the main engine, but the versatility of the towing speed, easily influenced by the net-size, sea-condition and the catches make necessary the execution of the spot investigations."
著者
桜井 芳生 サクライ ヨシオ SAKURAI Yoshio
出版者
鹿児島大学
雑誌
人文学科論集 (ISSN:03886905)
巻号頁・発行日
no.71, pp.1-19, 2010-02

日本戦後社会における格差と教育について一つの仮説を提起する。昨今よく議論される格差社会の問題、とくに、格差と教育に関して、学知的コミュニケーション圏ではほとんど言及されていないとおもわれる一つの仮説を提起した。すなわち、「教育ゲームにおける、学力の主観的認知完了による勉強期待」仮説、である。もしこの仮説が成立していると、時代が経るにつれて「収入・職業威信などを統制したうえでの、本人学力→子供への教育意識」の影響力の強さは増加する、という反証可能な予測をたてることができる。SSM95データにより、この影響力の強さがどう変化するかを分析した。予想に即した結果を得た。最後に、主に二点にわたって、このアプローチの今後の課題を指摘した。
著者
大橋 勝文
出版者
鹿児島大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2014-04-01

二酸化炭素の発生場所として注目すべき活火山近くの鹿児島市、大都会の東京、大規模な森林火災が起こるインドネシアカリマンタン島パランカラヤに観測装置を設置し、我々が開発した解析手法により二酸化炭素のカラム量及び大気層内の存在比を見積もった。我々のシステムの解析精度を国立環境研のFTSと比べた結果、±2ppmの誤差であった。鹿児島市では405ppmの濃度を確認した。東京学芸大学付属高校の観測・解析により9.8ppmの上下変動と2.1ppm/yearの増加を明らかにできた。解析システムにGPUを利用することで、6セルでのマルチCPUに比べGPUを利用した手法に比べ約9倍も高速にすることができた。
著者
鄭 忠和 山口 昭彦 増田 彰則 宮田 昌明 枇榔 貞利
出版者
鹿児島大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2004

慢性心不全・閉塞性動脈硬化症・慢性疲労症候群・慢性疼痛・慢性呼吸不全に対して、60℃の遠赤外線乾式サウナ装置を用いた温熱療法の効果を検討した。心不全に関しては、2週間の温熱療法は心室性期外収縮総数、連発性心室性期外収縮、心室頻拍を有意に減少させた。ノルエピネフリン濃度は有意に低下し、24時間ホルター心電図による心拍変動解析(SDNN)は30%有意に増加した。さらに、2週間の温熱療法で、グレリン及び成長ホルモンは有意に増加し、質問表による食欲の改善が認められた。温熱療法は慢性心不全患者で増加した酸化ストレスを減少させることも明らかにした。心不全発症ハムスターを用いた実験において、温熱療法非施行群と比較し、温熱療法群では、生存率を35%有意に改善し、eNOSのmRNA及び蛋白の発現や血清nitrate濃度を有意に増加した。温熱療法による血管新生に関する検討では、アポ蛋白E欠損マウスの下肢虚血モデルにおいて、5週間の温熱療法は下肢血流と血管密度を増加させた。L-NAMEやeNOS欠損マウスを用いた実験により、温熱療法の血流改善作用にeNOSとNOが重要な役割を果たしていることを明らかにした。さらに、10週間の温熱療法により、閉塞性動脈硬化症(ASO)患者の下肢疼痛、6分間歩行距離、ABI、体表温度、レーザードプラ血流計による下肢血流、下肢血管造影、皮膚潰瘍に関して有意な改善を認めた。4週間の温熱療法は、軽症うつ患者の愁訴や食欲低下を改善させた。また、慢性疼痛患者の疼痛を軽減し、その後の社会復帰率を高めた。さらに、2名の慢性疲労症候群患者に対して温熱療法を施行し症状の改善を認め、社会生活に復帰した。温熱療法は慢性閉塞性肺疾患患者におけるRV dP/dt、運動中の肺高血圧、運動耐容能、QOLを改善することが示された。温熱療法は、これらの疾患に対する新しい治療法として期待される。
著者
古田 貴志
出版者
鹿児島大学
雑誌
奨励研究
巻号頁・発行日
2013-04-01

エスシタロプラム(商品名 : レクサプロ錠)は, 2011年7月に薬価基準収載され, うつ病に対して用いられる選択的セロトニン再取り込み阻害剤である. 添付文書の「用法・用量に関連する使用上の注意」として, 「肝機能障害患者, 高齢者, 遺伝的にCYP2C19の活性が欠損していることが判明している患者(Poor Metabolizer)では, 本剤の血中濃度が上昇し, QT延長等の副作用が発現しやすいおそれがあるため, 10mgを上限とすることが望ましい」との記載があるが, CYP2C19活性欠損患者が日本人で約20%と多く, 2012年6月に禁忌事項として, 「QT延長のある患者」が追記されたにも関わらず, 日本人においてCYP2C19活性欠損を含む因子と副作用のリスクについて考慮されていない. そこで, 本研究では, 日本人におけるエスシタロプラムのQT延長のリスクについて解析を行った.2013年度に鹿児島大学病院でレクサプロ錠を服用された患者は96名(入院25名, 外来71名)だった. そのうち, レクサプロ錠を10mg以上服用し, 肝機能などを元に減量の必要性を考慮すべき患者は28%(96名中27名)だった. また, そのうち心電図が検査されていたのは, 22%(27名中6名)だった. 一方, 心電図が検査されていた患者34名(入院20名, 外来14名)では, 82%(34名中28名)がレクサプロ錠の減量を考慮し10mg以下で服用されていた. 以上のことから, レクサプロ錠を減量する必要のある患者は多く, レクサプロ錠のQT延長のリスクが考慮されていないために, 心電図を検査されていないものと推測された.また心電図が検査されていた患者では, QTc間隔の平均は(Fridericia補正法, Bazett補正法で評価)は, 424/416msであり, 450以上が4名, 480以上が2名だった. QTc間隔が480以上の2名は, レクサプロ錠10mgで服用されており, QT延長のリスクとして, 女性・うっ血性心不全・高齢者(60歳以上)では一致したが, 低カリウム血症や添付文書で減量を考慮するように記載ある肝機能障害(Child-Pugh分類A)はみられず, 投与前の心電図を検査している1名は, レクサプロ錠追加後のQTc間隔増加はみられなかった. これらの症例は肝機能障害がなくレクサプロ錠の影響は少なかったものと思われるが, 今後は肝機能障害のある患者において, CYP2C19活性欠損の有無とエスシタロプラムの血中濃度を測定し, QT延長等の副作用のリスクを評価していく.
著者
種村 完司 Gloy Karen
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 = Bulletin of the Faculty of Education, Kagoshima University. Cultural and social science (ISSN:03896684)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.67-80, 2002

カレン・グロイは,科学とテクノロジーの優勢,デモクラシーの優勢,人権の理念の優勢という今日の時代状況の中で,哲学の基礎が深刻な危機に陥っていることを指摘し,その上で,哲学がどんな課題をはたすべきかを改めて問い,諸論者による哲学の規定を「代償の学問」「啓蒙の学問」「行為の学問」の三類型において把握し,それぞれを批判的に吟味している。しかし,この三つの哲学規定では不十分であり,哲学の危機とは実は西洋の理知主義的な哲学の危機であることを示し,生活世界に根ざした要求,感性や身体性,世界の全体的な意味解釈を包括した哲学が求められていることを訴える。訳者(種村)は,筆者グロイによる今日の思想・文化状況の把握,哲学の三類型への批判的論述に基本的に同意する。哲学のイデオロギー化に対する批判には支持しがたい点もあるが,「理性の他者」をも包括した豊饒な哲学の構築を追求する筆者の姿勢はきわめて貴重だと考える。
著者
日隈 正守
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:03896684)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.1-13, 2014

本論文では,日向・大隅・薩摩三箇国に亘る島津荘域の中で,大隅国内において国衙・国一宮(大隅国正八幡宮)と島津荘との間に対立関係があることを具体的な事例を通して指摘した。国衙・国一宮と島津荘との間に対立関係が生じた理由を島津荘立荘時に遡って考察し,島津荘立荘者平季基の大隅国府焼き討ち事件とその結果が国衙・国一宮と島津荘との対立の原因であることを解明した。
著者
林 敬人
出版者
鹿児島大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2013-04-01

虐待ストレスに基づく内分泌系変化がもたらす神経系並びに免疫系の変化について包括的に検討した。まず,心理的虐待モデルである拘束ストレスマウス及び小児虐待死剖検例の検討によって,虐待ストレスによって副腎内分泌系に変動がみられ,それらを解析することは小児虐待の法医病理学的診断及び虐待期間推定の指標となり得る可能性が示唆された。神経系については,有意な結果は得られなかった。免疫系については,ストレスによる胸腺の萎縮には免疫系の分子CCR5発現が関与していることが示唆され,小児虐待の法医病理学的証明の新規マーカーとなる可能性,さらには虐待による胸腺萎縮を予防する標的となる可能性が示唆された。
著者
中村 南美子 萩之内 竹斗 浅野 陽樹 池田 充 龍野 巳代 赤井 克己 大島 一郎 中西 良孝 髙山 耕二
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学農学部学術報告 = Bulletin of the Faculty of Agriculture, Kagoshima University (ISSN:24321885)
巻号頁・発行日
no.71, pp.23-30, 2021-03-30

都市部でのニホンアナグマ(以下,アナグマ)の生息実態に関する基礎的知見を得ることを目的とし,地方都市における大学キャンパスでのアナグマの出現状況とそれによる農作物への被害発生状況について検討した。2019 年1~12 月に自動撮影カメラ4 台を教育学部実習地,農学部附属農場(研究圃場ならびに動物飼育棟)および植物園内に設置し,アナグマの出現状況については静止画,農作物への被害発生状況については動画でそれぞれ撮影した。自動撮影カメラで野生哺乳類は計302 枚撮影され,そのうちタヌキは147 枚(48.7%)と最も多く,次いでアナグマは113 枚(37.4%),ノネコは41 枚(13.6%)およびイタチは1 枚(0.3%)の順であった。場所別ではアナグマが教育学部実習地で最も多く観察された。月別にみたアナグマの撮影頻度指数は,5~7 月で高く,1~3 月および8 月で低かった。しかしながら,その出現は年間を通じて認められ,5 月には教育学部実習地でビワの実の採食被害が認められた。以上より,地方都市にある大学キャンパスでアナグマは年間を通じて生活しており,農作物の一部に採食被害が起きていることが明らかになった。
著者
西中川 駿 松元 光春 本田 道輝
出版者
鹿児島大学
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1989

わが国の牛,馬の渡来時期とその経路を明らかにするために、遺跡から出土した牛,馬に関わる遺物を全国的に調査し、さらに牛,馬の出土骨、歯を肉眼的、計測学的に検索し、在来牛や在来馬のものと比較を行い、以下の結果を得た。1.牛,馬の骨や歯の出土調査は、各都道府県からの報告や文献ならびに現地調査によって行ったが、牛の出土は、全国で213カ所でみられ九州、関東が多く、馬は475カ所からの出土で、やはり関東が多い。また、時代別では、馬と共に中世が最も多く、ついで平安、古墳、奈良の順である。弥生以前のものも報告されているが、現在のところ東京都伊血子貝塚(弥生中期)の牛頭蓋骨が最も古く、確実な出土例である。2.出土骨の形態は、牛では在来牛である見島牛を口之島牛のものに似ており、また、馬では御崎馬やトカラ馬に類似し、推定体高は128cm前後で、中型馬に属するものが多いが、小型馬も含まれている。3.馬具の出土状況は、古墳時代を中心に調査したが、全国で1265カ所の遺跡から出土しており、地域別では九州の368カ所が最も多く、ついで関東、近畿、中国の順である。また、馬具は時期的には4〜5世期初頭に古墳の副葬品として出現し、5世紀代に分布が広がり、7世紀には古墳の減少と共に、その出土数も激減する。4.埴輪馬の出土は、全国で297カ所にみられるが、関東が圧倒的に多く、170カ所を占め、ついで近畿、九州であり、5世紀末頃から出現し、造形的に最も充実したのは6世紀である。祭祀に用いられたとみられる土馬は、奈良、平安時代に最も多く、全国589カ所のうち、328カ所が近畿地方で、特に平城京、平安京など古都に多い。以上の調査研究から、わが国の牛、馬は、弥生以降に朝鮮半島を経由して渡来し、当時の人々に飼養させていたことが示唆された。