著者
宮脇 偉史 国信 真吾 富永 浩之
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. ET, 教育工学 (ISSN:09135685)
巻号頁・発行日
vol.106, no.583, pp.63-68, 2007-03-02
被引用文献数
3

近年,教材コンテンツや受講状況を管理する授業支援システムが導入されはじめている.これらの多くは,大学側からの一方向的な情報提供が主で,学生側からの十分なアクセスが得られているとはいえない.本研究では,ユーザである学生の利便性を考慮して,授業支援サービスと連携した個人適応の学生ポータルサイトPASPortを提案する.PASPortでは,大学からの情報を個人単位で集約する窓口として,学生各自にマイページを用意する.マイページでは,予定表や備忘録などの個人情報管理コンテンツや,掲示板などのコミュニケーションツールも提供する.授業情報から自分に関する事項を抽出して時間割表に埋め込むなど,諸機能を連動させて日常的なアクセスを促す.また,個人適応として,利用環境や操作履歴によるレイアウトの最適化や入力支援を行う.本論では,PASPortの要件定義と概略設計を述べ,特に,時間割ベースのスケジュール機能について論じる.
著者
藤田 真理子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.58-85, 1988-06-30

本論は、1979-80年に行った、米国カリフォルニア州サンフランシスコ近郊に住む65歳以上の白人高齢者で、特に、高齢者向けの活動に積極的に参加している人々を対象とした調査を元に、老後の適応について象徴人類学の立場から考察した。ギァーツが提唱するように人間を「意味付ける動物」と定義し、高齢者がどのように、意味と象徴の体系を使って、彼らのとりまく世界、老後の活動を解釈するかということを中心に分析した。高齢者の日常会話を分析すると、workとmiddle classが、彼らの行動を意味付けるキー・シンボルとして浮かび上がる。この2つのシンボルに反映されているのは、独立性、主体性、勤労精神、ボランティア精神といったようなアメリカ文化の中核とされているものである。この2つのシンボルは、密接に絡まり合って高齢者の老後の生活を意義あるものとしていくと同時に、ディレンマも形成していく。このことは、無償奉仕活動に従事することの意味に的確に表れている。無償奉仕活動は、高齢者社会で社会的ステータスを築くと共に、人生の成功者という評価をもたらす。しかし、このことは、高齢者の労力に対する金銭的報酬を犠牲にするものである。2つのシンボルは、また、高齢者と他の年齢層との関係、及び、高齢者間の関係も規定する。
著者
高木 健作 大原 利眞
出版者
Japan Society for Atmospheric Environment
雑誌
大気環境学会誌 (ISSN:13414178)
巻号頁・発行日
vol.38, no.4, pp.205-216, 2003

関東地域におけるオゾンの植物影響を, 大気常時監視測定局で測定された光化学オキシダント (O<SUB>x</SUB>) 濃度データ, 収穫量データおよびダメージ関数を用いて定量的に評価した。対象とした植物は農作物8種類 (稲 (水稲), 小麦, 大麦, 大豆, カブ, トマト, ほうれん草, レタス) とスギである。はじめに, 関東地域270局の大気常時監視測定局で測定されたO<SUB>x</SUB>濃度データを用い, O<SUB>x</SUB> オゾンとみなして植物生長期間における3次メッシュ (約1km×1km) 別平均オゾン濃度とオゾン暴露量を算出した。次に, 農作物については植物生長期間別平均オゾン濃度をダメージ関数に入力し3次メッシュ別植物種類別減収率を推計し, その減収率に収穫量を乗じて3次メッシュ別減収量と損失額を推計した。一方, スギに対してはオゾン暴露量をダメージ関数に入力し一本当たりの乾重量減少量を3次メッシュ別に推計した。<BR>推計結果によると, オゾンによって関東地域の植物は大きな影響を受け, 農作物収穫量およびスギ乾重量が大きく減少している。農作物減収による被害総額は年間210億円にものぼると試算された。一般的に野菜類は穀物類に比ベオゾン影響を受け易く, 中でもレタスは平均減収率約8%と極めて大きな被害を受けている。ほうれん草の減収率は約4%程度であるが, その経済価値が高いため損失額約22億円とレタスの約20億円よりも大きくなった。一方, 穀物の中では大豆がオゾン影響を受け易く, その減収率は約4%である。稲の減収率は約3.5%とそれほど大きくないが収穫量が多いことから減収量も多く, それによって損失額も約140億円と莫大になる。スギについては一本当たりの減少量のみが推計され, O<SUB>x</SUB>濃度が高い内陸部における減少量は約1.5kgと評価された。<BR>本研究の結果は, 関東地域におけるオゾンの植物影響が非常に大きいことを示した。一方, 関東地域におけるO<SUB>x</SUB>濃度はやや増加傾向にあり, しかも高濃度域が都市域からその周辺域に拡大している。これらのことから, 植物影響の視点も考慮して光化学大気汚染対策を講じる必要があると考えられる。
著者
原 俊雄
出版者
文教大学
雑誌
情報研究 (ISSN:03893367)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.75-84, 1994

Until the end of the nineteenth century, the dominant method of teaching bookkeeping was what is called the "journal approach." After that, by the banishment of the journal as the mainbook in the business world, the "ledger approach" was introduced, and by the establishment of the periodic reckoning and the balance sheet, the proprietorship theory of accounts germinated. Thomas Jones (1804-1889) adopted a new method of teaching, the ledger approach, and distinguished two sets of accounts, the "primary accounts" and the "secondary accouts", which were intended to determine net assets or proprietorship. His theory, however, differs from the English style of the proprietorship theory of accounts, for his classification of accounts differs from the English Style. His secondary accounts comprise not only capital and nominal accounts, but also merchandise account and others which he calls "floating property." In my opinion, this difference results from his result-oriented ("dynamic") thory. According to him, each set of accounts in double entry is a comparison of outgoings and incomings, —but one the reverse of the other. In this paper, I will reconsider the proprietorship theory of accounts and elucidate the result-oriented thoughts of Jones.
著者
村田 京子
出版者
大阪府立大学
雑誌
人間科学 : 大阪府立大学紀要 (ISSN:18808387)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.115-139, 2006

バルザックの『ベアトリクス』に登場する女性作家カミーユ・モーパンは、バルザックと親しかったジョルジュ・サンドがモデルである。本稿ではカミーユという人物を通して、バルザックが思い描くサンド像を、他の男性作家たちの女性作家論と比較しながら分析する。まず、femme ecrivainとfemme auteurの違いを指摘しておきたい。というのも、バルザックは両者を明確に区別し、カミーユはecrivainであってfemme auteurではないと否定しているからだ[以下、便宜上femme ecrivainを「女性作家」、femme auteurを「女流作家」と訳す]。実際、バルザックの未完の作品『女流作家』には、カミーユと性質の全く異なる女性が登場する。主人公の女性は、7月王政期に流行した「ジャンリス夫人風の文学」[道徳的な教訓に満ちた作品]を目指すブルジョワ作家である。作者hはこうした文学を痛烈に批判し、彼女をbas-bleu[ブルーストッキング]と呼んで「作家になることで、女ではなくなる」と述べている。Bas-bleuという言葉は1820年代に「文学かぶれの女」という意味で使われ始め、40年代にはbas-bleuは新聞や本、芝居などで非難・中傷の的になった。その根底には、当時のジェンダー規範が関っている。フランス革命以降、公的生活と私的生活が分離し、女性の役割は「妻」「母」という家庭内の領域に限られるようになる。それゆえ、女性が作家となって私的空間から公的空間に移行することはジェンダー規範に抵触し、「女ではなくなる」ことを意味する。さらに「作家」は知的創造に関わり、男の職業でも高次の機能を果たすものであった。それを女性が行うことは男の眼には「力の簒奪」と映ったのである。また、Bas-bleu批判には性的メタファーが用いられたが、それは「出版=思想の切り売り」とみなす「思想の売春」という考えに基づく。それは男性作家にも付きまとう強迫観念で、ましてや女性の場合、その肉体と結びつけられ「売春婦」扱いされた。男の側からのこうした批判の矢面に立ったのが、ジョルジュ・サンドであった。したがって、女性が公的空間で知的能力を発揮するのはエゴイズムの所産とみなされ、その能力は家庭内に留めるべきだとされた。バルザックも例外ではなく、女性の作家が次々に輩出される当時の傾向をサンド主義と呼んで非難している。ただし、サンド本人に関しては、例外的存在として、その能力を高く評価した。それゆえ、サンドをモデルとしたカミーユ・モーパンは「女流作家」とは違い、真の天分に恵まれた作家として登場する。実際、カミーユは生い立ちや身体的特徴など様々な点でサンドに酷似している。とりわけ両者とも男の特徴を有し、両性具有的な性質を帯びている。自己の内に自立精神を育み、男の特権とされる知性と行動力を備え、しかも女の魅力に輝くカミーユはまさに両性具有の夢を実現していた。彼女の自由な生き方は、伝統的な道徳を重んじる人々には「怪物じみたこと(monstruosite)」として映っている。彼らにとって彼女は精神的にも肉体的にも堕落した女で、既成秩序を乱す「怪物」であった。それは「女流作家」に対する当時の社会の反応を写し取ったものである。それに対して語り手は、カミーユの怪物性はむしろ、「女性特有の弱さ」を持たず、普通の人間を超越した、その偉大性にあるとしている。彼女の悲劇は、彼女が偉大すぎて男の愛の対象になり得ないことであった。カミーユがカリストとの愛に破れたのも、その力ゆえんであった。それはバルザックがサンドに見出したもので、カミーユ=サンドは力を獲得することで、従来の男女の支配関係を逆転させたが、その優越性が女としての幸福を妨げてしまったと、彼は考えている。カミーユは最後には地上の愛を断念し、僧院に引きこもる。同時に、自らの作家人生を「エゴイズムの発作」と呼んで全否定するようになる。当時の社会的規範を超越したかのように見えたカミーユも結局、こうした規範を内在化せざるを得ない。そこには、当時のジェンダー観に影響されたバルザックの考えが反映されている。カミーユのmonstruositeとしてはさらに、母性愛の欠如を挙げることができる。バルザックは母性愛を最も崇高な感情とみなし、母親になることを女性の「天職」と考えている。彼は『人間喜劇』の中で、不幸な結婚に苦しむ女性を多く登場させているが、サンドのように結婚制度への異議申し立てをするのではなく、満たされない愛情を母性愛に昇華するよう勧めている。その観点に立てば、母性愛を拒否するカミーユは一種の奇形(monstruosite)であったが、彼女もまたカリストの「知性の母親」になることで、「怪物」から崇高な「母親」に変貌する。それに対して2人の子どもの母であるサンドは母性愛を重視するものの、バルザックの勧めるような、父権制の枠の中で献身的な母親の役割を果たすのではなく、女としての自己実現と母性愛を両立させようとしている。そこにサンドとバルザックの考えの相違が見出せる。最後にカミーユの「作家」性について述べておきたい。バルザックには女性がなぜ書くのか、どのような主題で書くのかといった女のエクリチュールへの問題意識は見当たらない。カミーユの作家活動は書くことではなく、むしろ行動そのものにあり、言葉の力によって他者の心を支配し、その運命の「作者」になることであった。『ベアトリクス』では男の登場人物はすべて、彼女に操られる客体であって、行動の主体ではない。それもまた、彼女のmonstruositeの本質を成している。バルザックはカミーユによって象徴される女性の脅威を悪魔祓いするためにも、彼女にそれまでの人生を全否定させ、僧院に追いやって沈黙を課したように思える。そこに、優れた才能を持つ女性作家を評価しながらもその力を恐れる、バルザックの両面的な感情が見出せる。そしてそれが、バルザックのジョルジュ・サンド観でもあった。
著者
松原 義治 沢辺 昭義 飯塚 義富 岡本 耕造
出版者
Japan Oil Chemists' Society
雑誌
油化学 (ISSN:18842003)
巻号頁・発行日
vol.37, no.1, pp.13-18, 1988
被引用文献数
4 10

著者らはかんきつ類果皮中の生理活性物質に関する研究の一環として,オレンジ,ハッサク及びユズ果皮中のモノテルペノイド配糖体の構造について検討した。その結果5種の成分の分離に成功し,種々スペクトルの測定結果から,<I>trans-</I>カルベオール6-β-D-グルコピラノシド[1],α-テルピネオール8-β-D-グルコピラノシド[2],(2<I>E</I>,6<I>R</I>)-2,6-ジメチル-2,7-オクタジエン-6-オール-1-<I>O</I>-β-D-グルコピラノシド(9-ヒドロキシリナロール9-β-グルコピラノシド)[3],ボミホリオール9-<I>O</I>-β-グルコピラノシド[4]及び(6<I>R</I>,7<I>E</I>,9<I>R</I>)-9-ヒドロキシメガスチグマ-4,7-ジエン-3-オン-9-<I>O</I>-β-D-グルコシド[5]と決定した。<BR>なお,単離した成分のうち[1]及び[2]は新規化合物であり,[3],[4]及び[5]はオレンジ,ハッサク及びユズ果皮中から著者らが初めて見いだした成分である。
著者
島岡 哉
出版者
社会学研究会
雑誌
ソシオロジ (ISSN:05841380)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.39-56,172, 2003

The purpose of this study is to analyze the experience of accepting the motion picture films in modern Japan by investigating screenings in a rural village of Nara Prefecture. The analysis presented here is mainly based on oral history collected from members of Nosegawa village in Nara Prefecure. A comparison is made between screening experiences as they appear in oral history and screenings as depicted in the medium of the time. As cinema and theater are usually regarded as modern, urban culture, they have often been examined in cultural studies and media studies, but have rarely been mentioned in rural sociology. By focusing on the screenings practiced by ordinary rural villagers in their everyday life, this study provides alternative viewpoints to previous studies that have ignored such everyday practice (such as the "employment" of traveling theaters for their own purposes). The following four findings were obtained as a result of my case study. (1) Rural sociologists have not paid proper attention to screenings in rural areas, having dismissed them as trivial. (2) Historical approaches to film in modern Japan show that the traveling theater formed the national subject through its education and propaganda. But such studies are based on two tacit premises: that cinema is a medium promoting identification with the nation-state, and that cinema audiences, particularly in rural areas, are male. (3) When elderly villagers talk about cinema, they differentiate between their own screenings and educational screenings. From this, it can be said that people continuously redefine educational and propaganda films in the context of their everyday lives. This shows that their adherence to the nation is subject to negotiation. (4)In rural areas, cinema was accepted as early as the 1910s as a new medium and a symbol of modern technology. Cinema was a strategy for the modernization of the community, used for such purposes as raising funds for new elementary schools. By examining the screenings of villagers in Nosegawa, this study offers a new discussion of modern culture in Japanese rural society.
著者
佐々木 俊一[作曲]
出版者
ビクター
巻号頁・発行日
1940-04
著者
三井 直樹 Naoki Mitsui
出版者
共立女子短期大学生活科学科
雑誌
共立女子短期大学生活科学科紀要 (ISSN:09172300)
巻号頁・発行日
no.56, pp.1-9, 2013-02

アレキサンドラ・モンローをゲストキュレーターに迎え、 1994年に開催された展覧会「Japanese Aat after 1945 :Scream against the Sky」 展は、アメリカを巡回する初の大規模な日本の戦後前衛美術展となった。現在のアメリカにおける日本の現代文化全体に対する見方は、この展覧会による影響が大きい。この展覧会の中心として取り上げられた「具体美術協会」は、吉原治良を中心に嶋本昭三、白髪一雄、村上三郎、金山明、田中敦子、元永定正らによる前衛美術集団であった。 本論では「具体美術協会」がパフォーマンスアートやハプニング、インスタレーションなど現代美術のさまざまな分野の先駆者として認められる点を検証しながら、さまざまな欧米美術家との関わりを探り、また、 日本の現代美術の源流がどこにあるかを検証する。戦後日本の作家たちは、西欧に対していかに「日本」あるいは「東洋」を確立するかが、自らの存在に関わる根底的な問題であった。「具体美術協会」の作品を考察することによって、 「日本」というアイデンティティの模索の歴史を再確認していく。
著者
佐藤 太一朗 松下 章 山下 康範 亀澤 祐一 宇野 克久 風間 宏志.
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. MW, マイクロ波 (ISSN:09135685)
巻号頁・発行日
vol.102, no.244, pp.47-52, 2002-07-19
参考文献数
6
被引用文献数
1

インターネットの普及・ブロードバンド化の進展へ向け,様々なIPベースの衛星通信サービスが提供されている.このようなIPベースの衛星通信に対して音声通信を適用するため,VoIP技術を適用した場合に衛星回線の状態やネットワーク遅延がEnd-endの音声品質に与える影響を評価した.本稿では,擬似衛星回線による試験構成を用いて,通話品質をPSQM+により測定し,衛星回線品質(BER)の劣化時、および音声系トラフィックとWeb系トラフィックとの共用時における通話品質への影響を明らかにし,衛星通信へのVbIP適用の可能性を示した.
著者
川島 伸麿
出版者
公益社団法人 日本農芸化学会
雑誌
化学と生物 (ISSN:0453073X)
巻号頁・発行日
vol.13, no.10, pp.675-680, 1975-10-25 (Released:2009-05-25)
参考文献数
21
被引用文献数
1