著者
榑沼 範久
出版者
横浜国立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2020-04-01

京都学派の著名な哲学者である下村寅太郎(1902-1995)は、1973年の定年退職後も著述活動とは別に、自身の研究談話会「プリムツァール会」で広大な思索をテープに残していた。「真の著作遍歴は著作以外にあるとすらいえる」、「テープの存するかぎり潜在的著作と称してもよいであろう」とは下村自身の言である。だが、『下村寅太郎著作集』(1988-1999)の完結から20年以上が過ぎた現在でも、この「潜在的著作」は公刊されていない。入手可能で可聴状態にあるテープを文字化し、選択・編集・校閲を経て刊行を目指す本研究は、下村の未知の側面の発見にとどまらず、思想史研究にとって重要な学術資料の集成になるだろう。
著者
野家 啓一
出版者
日本感情心理学会
雑誌
エモーション・スタディーズ (ISSN:21897425)
巻号頁・発行日
vol.6, no.Si, pp.42-47, 2021-03-22 (Released:2021-03-25)
参考文献数
10

The relation between psychology and philosophy is like one with a close relative and a distant relative. They have the same research object, i.e. mind, but their methodologies differ in kind. Emotion is a suitable subject for philosophy to dialogue with psychology. This essay puts forth the comment rather critically on three articles from a philosophical viewpoint. First, Ogihara’s article criticizes the prejudice that the reason is superior to the emotion in western philosophical tradition. Although I agree with his intention, I would like to point out some defects in his arguments. Secondly, related to Kido’s article about Kant’s conception of “common sense,” a query is raised that the double aspect of common sense amounts to a strange concept of “empirical a priori.” Thirdly, Murayama’s article represents an attempt to define the concept of “love” by way of “happiness,” but this definition might fall into a vicious circle. Lastly, joint research is proposed between psychology and philosophy to transcend the concept of causal relations in the mind–brain problem.
著者
佐々木 重洋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.80, no.2, pp.242-262, 2015-09-30 (Released:2017-04-03)

本稿の目的は、エヴァンズ=プリチャード(以下、E-P)の思考の軌跡と、彼が示していた問題意識と手法をあらためて批判的に再検討し、その知的遺産と検討課題を現在に再接続させることにある。本稿では、民族誌や論考、講義録や書簡から読み取ることができるE-Pの構想のなかでも、人間の知覚と認識、その作用に影響を与えるものとしての社会、それも決して閉じた固定的なシステムではなく、人間関係の動態的な諸関係としてのそれとは何かをモンテスキューにさかのぼりつつ自省し続けた点と、民族誌と人類学の主要な仕事としていち早く解釈という営為を強調した点にとくに注目し、その背景を再検討した。アザンデの妖術やヌアーの宗教を扱った民族誌においては、当時の西欧的思考の枠組みに対する疑義ないし違和感が表明されていたが、E-Pとその後進たちの遺産は、そこに「インテレクチュアル・ヒストリー派」としての省察がともなうかぎり、主知主義批判、表象主義批判や言語中心主義批判、主客二元論批判や心身二元論批判としても、今なお私たちにとって着想の源泉たり得る。さらに、共感や友情を強調したその人文学的経験主義からは、絶えず自己に立ち返り、自らが影響を受けている知的枠組みと社会背景に対する自省を保ちつつ、調査する者と調査される者のあいだの共約不可能性を乗り越えようとする姿勢を継承でき、それはフィールドワークと民族誌を取り巻く思想的、物理的環境が大きく変わりつつある今こそ、あらためて参照に値することを指摘した。今日、E-Pに立ち返って考えることは、モンテスキューを脱構築しつつ、人類学的思考が哲学や社会学はもとより、法学や政治学、経済学などと未分化の状態であった時点に立ち返って考えることにつながるものでもあり、今後の人類学が人文学とどのように関係すべきかという点も含めた人類学の知のあり方を模索するうえで一定の意義があると考える。
著者
鳥越 覚生
出版者
宗教哲学会
雑誌
宗教哲学研究 (ISSN:02897105)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.56-68, 2020-03-31 (Released:2020-07-09)

Können Menschen den Egoismus überwinden? Schopenhauers Philosophie zufolge kann das nur ein mystischer „Weltüberwinder“, der sich ohne Interesse beherrscht, obzwar es sehr mühselig ist, so zu sein. Nun haben einige Forscher den Weltüberwinder als „tatenlos“ und „negativ“ kritisiert. Aber ich habe in dieser Abhandlung versucht, die Aktivität des Weltüberwinders neu zu erklären, indem ich „die büßenden Asketen“ als seine vorhergehende Stufe des Weltüberwinders interpretiert habe; die büßenden Asketen verzichten auf das Eigentum und leben in freiwilliger und absichtlicher Armut, um keinen Neid auf andere und keinen bösen Willen zu erregen. Allerdings besteht keine Notwendigkeit darin, dass die Asketen zur größten Gleichgültigkeit des Weltüberwinders gelangen. Aber er vollbringt die asketische Lebensweise (Armut und Hingebung). Daher ergibt es sich, dass der stille und unbemerkte Lebenswandel eines solchen Menschen vor egoistischen Augen als „tatenlos“ und „negativ“ erscheint.
著者
竹中 真也
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.279-304, 2019-09-30

本稿は,ティモシー・モートンの環境哲学の一端を解明することを目指す。そうするにあたって,ここでは鍵概念のmesh とstrange staranger に焦点を当てる。まずはモートンの哲学を生み出した時代背景「人新世」に触れ,しかるのちにmesh とstrange stranger に関する論述を紹介する。最初に豊富な具体的事例を『エコロジーの思想』から取り上げ,次に,『コラプス』に掲載された論文を軸として,それらの事例を哲学的水準から捉え返す。最後に,これらのmesh やstrange stranger の議論を,モートンが与すると言われているオブジェクト指向存在論の旗手ハーマンの議論と接続し,モートンの議論の特徴のひとつを浮き彫りにする。
著者
壁谷 彰慶
出版者
学校法人 植草学園短期大学
雑誌
植草学園短期大学紀要 (ISSN:18847811)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.77-82, 2019 (Released:2019-03-28)

フランツ・カフカの短編「断食芸人」の終幕で、断食を続ける芸人が、見世物小屋の監督に対し、自らの 生き方は世間からの「感心」に値しないことを吐露するやりとりがある。彼が死に際に残したこの言葉は、 読み手にいくつかの解釈の余地を残しており、その多義性は、「よい/悪い」や「幸福/不幸」などの価値 に関わる倫理的概念について、哲学的な示唆を与えるように思われる。以下では、「断食芸人」の終幕から 読み取れる「感心」の多義性を整理し、この作品が価値や「幸福」に関して示唆することを確認する。
著者
申 昌浩 シン チャンホウ Chang Ho SHIN
出版者
総合研究大学院大学
巻号頁・発行日
2000-03-24

本博士論文は、現在の韓国政治、文化の枠組を支える「韓国的ナショナリズム」の形成過程に、いかに宗教が大きな役割を果たしているかについて考察したものである。その宗教は、特に、日本という近代国家によって開国を迫られ、近代化の課題に直面していた朝鮮半島において、東学、親日仏教、プロテスタント(改新教)の三つが新たに成立したのである。そして、それらの成立の背景としては、東アジアを取り巻く国際情勢、とりわけ日本と韓国との政治的ダイナミズムが深い関わりをもっている。それゆえ、本論文では三つの宗教のそれぞれの成立と展開を、政治的な背景と関連させつつ、考察する。<br /> 第一に東学について。東学は19世紀後半、朝鮮半島で初めて成立した自生宗教であり、朝鮮王朝の封建的な儒教中心の既存の政治体制と両班による政治政権の掌握と運用に新たな変革を求めたものである。それは民族の宗教としての始まりと、民衆の真意を反映した民族主義と民族運動を成立させる役割を果たした。そして、特権身分階級として政治的・経済的な支配者である両班とその儒教体制による封建的な社会構造に対して挑戦を挑んだ民衆レベルの宗教であった。この東学の誕生は、間接的な原因ではあるが19世紀の朝鮮王朝の支配を突き崩すほどの力を発揮したといえるだろう。民衆運動と宗教運動を基盤にして形成された東学は、開国以後、日本帝国の経済的な進出に対しても積極的に対抗し、民族の自主と自立の精神を培養しようとした。この東学の民族主義は、宗教の問題であると同時に、政治的な問題であるといった方がよいだろう。東学が唱えていた思想は、朝鮮末期の政治問題や経済問題に民衆を結集させ、宗教的な内容よりもむしろ自由民権の宗教的哲学根拠を提供し、近代的な改革や社会変革を求める政治的な内容がより強く表出するものであった。この時期に形成され始めた民族主義は、国家ナショナリズムというよりも、民衆レベルでの民族の危機意識と開化精神の始まりといえよう。東学思想は19世紀後半期において、封建体制の対外的危機に対応する、農民や商人、賎民、没落両班の階級的利害、欲望、要求を反映した民衆運動として登場し、韓国の民族主義形成に大きく関わりを持っている政治的なものであった。しかし、日韓併合後の東学は日本帝国の政治的な力の前に内部分裂を繰り返し、民族宗教としての存在感が薄くなってしまった。その結果、解放後においても民族を支える宗教としての役割や政治舞台の中心に立つことはできなかったのである。<br /> 第二に親日仏教について。これまで仏教は幾度も民族的な危機に際して民衆を支えてきた伝統宗教であった。しかし、朝鮮時代の儒教的な政治体制から排除されることによって、町からその姿を消し、山に閉じこもるようになった。政治政権を掌握している儒者たち、いわゆる両班からの政治的な抑圧と蔑視と差別によって、朝鮮の仏教は非政治的な宗教集団となっていた。この仏教が、1876年の開国と共に朝鮮半島に進出してきた日本の僧侶によって復活し、政治的にも再生されるようになった。朝鮮仏教の宗教活動が解禁されたのは、日本帝国の経済的な進出が活発な時期であり、朝鮮王朝の儒教思想にも民衆を統制する力がなく、国運が傾き始めた頃のことでもあった。開国以来、日本の経済的な進出と1895年の日本の僧侶による嘆願によって、解禁されたため近代韓国仏教の始まりを「親日」仏教の始まりであるともいっている。朝鮮仏教は日韓併合後も政治的性格が日本の政治的支配や宗教政策に対して大きな反発を示す宗教運動や政治的な活動や動きも少なかった。また、解放後の成立した新政府による仏教浄化政策よって、親日仏教というレッテルを貼られるようになった。<br /> 第三はプロテスタント。1880年代に入ってきたキリスト教は、いわゆるプロテスタントのことであるが、儒教社会に迫害を受けたカトリックとは違い、封建的な社会であった朝鮮に近代的な先進文物や教育をもたらした宗教である。キリスト教は国を失った人々に、独立に対する熱望と組織的な体制を与え、近代韓国に本格的な民族的アイデンティティをもたらし、自覚することを可能にしたといえる。キリスト教教会は信者を中心に一般民衆が独立運動や民衆運動に積極的に参加する基盤を提供する役割を果たすと共に成長した。この韓国的キリスト教は、いわば純粋な聖書を土台にした信仰の基礎を作り上げることによって形成されたものではなく、愛国啓蒙運動や抗日民族運動の拠点を築く際に形成されたのである。それが日本帝国の植民地下での反日民族独立運動に参加し、韓国特有の民族イデオロギーを形成し、成長させることに結びつくことになる。その後、日本植民地からの解放されたキリスト教は、政治的・宗教的な苦難に対抗したことを様々な民族的な苦難を乗り越えてきた信仰的伝統にも結びつけるのである。そして、多くのキリスト教者は解放に伴って成立した新国家建設に参与し、教会の再建を図るために、儒教的な権威主義を背景にもつ西洋キリスト教者と結びつくようになったのである。<br /> 以上、三つの宗教を取り上げ、韓国的な民族主義宗教の形成と展開を近代韓国における、いわゆる政治と宗教の状況について論じてきた。封建的な儒教体制に挑戦するために民衆を結集させた力を持つ東学、親日的政治的な性格が付けられている韓国の近代仏教、日本帝国に立ち向かい愛国啓蒙運動や民族主義運動の立て役者となり、解放後は南北に分断された国土で共産主義に対抗し、大きく成長、定着したキリスト教に要約されよう。要するに、韓国的ナショナリズムの形成は、とりわけ宗教が同時に政治思想を帯びていたことを特徴とするのである。
著者
酒井 智宏
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2022-04-01

本研究の目的は、言語表現の意味(に関する知識)が外的環境に依存するとする意味論的外在主義と、言語表現の多義性が個人の心の中にネットワークの形で表象されるとする語用論的調整の考え方を統合することである。ごくわずかな例外を除き、哲学では外在主義が当然視され、逆に言語学では内在主義が当然視されてきた。本研究は、正反対に見える二つの立場がそれぞれの領域で当然視される理由・経緯をいかなる論点先取も犯すことなく追究し、「内在主義を出発点としない内在主義」と「外在主義を出発点としない外在主義」がそれぞれどこまで可能であるかを見定め、どの立場に立ったとしても有効な意味論を構築する。
著者
仁子 寿晴
出版者
一般社団法人 日本オリエント学会
雑誌
オリエント (ISSN:00305219)
巻号頁・発行日
vol.47, no.2, pp.1-19, 2004 (Released:2010-03-12)

The purpose of this article is a reinterpretation of Farabi's philosophy. Several difficult questions have arisen concerning Farabi's Trilogy, which consists of Tahsil al-Sa'ada, Falsafat Aflatun and Falsafat Aristutalis, one of which is how to understand the relationship among the three works. But in view of the general theme of the three works, i. e. investigation (fahs), and on comparing them with another investigative work, Kitab al-Huruf, we can see how Tahsil al-Sa'ada relates to the other two works.In the course of this examination, we must, at the start, solve the difficult question, how to interpret Farabi's assertion: ‘philosophy was completed with Aristotle’, which appears in two places (one in Tahsil al-Sa'ada, and the other in Kitab al-Huruf). If we take this assertion, it would mean that Farabi made no contribution to philosophy- he was only a transmitter, not a true philospher. However by considering Farabi's thought on the history of mathematics and the relation between mathematics and philosophy (especially logic), this phrase can be interpreted with subtle shade. (1) It is safe to say that in the age of Plato and Aristotle, as far as Farabi thought, mathematics was not fully developed, and so he could not really have believed that philosophy had been completed, for it seems that he thought mathematics and philosophy go hand in hand. (2) What he called into question when he discussed mathematics was not substantial matters or mathematical problems, but methodology. So we infer that his treatment of philosophy too is about methodology.This line of thought can show us the process of his introducing a mathematical methodology to his philosophy in the Trilogy. Now we can see how he describes in Tahsil al-Sa'ada the way his own philosophical investigation differs from that of Plato or Aristotle as seen in Falsafat Aflatun or Falsafat Aristutalis. Mathematical methodology has affected on Farabi's philosophy in various ways. This paper suggests some aspects of this effect, for example, we describe how it works in metaphysics and politics.This article cannot follow all the consequences of this thought, so it remains only preliminary research, but this step, I trust, is an important one for our understanding of Farabi's philosophy, especially of how he was a ‘true philosopher’.
著者
松田 美佳
出版者
宗教哲学会
雑誌
宗教哲学研究 (ISSN:02897105)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.69-80, 2002 (Released:2019-03-21)

In der gegenwärtigen säkularisierten Gesellschaft tritt immer öfter die Psychotherapie an die Stelle der Religion. Immer mehr Menschen fragen den Psychotherapeuten als den Priester um Rat. Auch die Religion ihrerseits psychologisiert sich insofern, als sie psychotherapeutische Theorien und Techniken einführt. Wer diese Tendenz der Psychologisierung hinterfragen möchte, kann Viktor E. Frankl nicht außer Acht lassen, der im Zusammenhang mit der von ihm begründeten Logotherapie oder der Existenzanalyse als ihrer “Spezifikation” eine einzigartige Stellung gegenüber der Religion einnimmt. Die Logotherapie wurde dazu entworfen, auf die Frage des Patienten nach dem Sinn des Lebens einzugehen, statt sie auf psychische Krankheiten zurückzuführen. Die Logotherapie, die keine bestimmte religiöse Überzeugung oder politische Ideologie voraussetzt, ist möglich, indem sie als Existenzanalyse die Verantwortung des Fragenden aufruft. Frankls Bemühungen um die Logotherapie sind einerseits als Kampf gegen den Psychologismus, andererseits als “Säkularisierung” der Auseinandersetzungen mit der Frage nach dem Sinn des Lebens zu betrachten. Solche Säkularisierung war eine Notmaßnahme für den Psychiater Frankl, der mit den existentiellen Fragen des Patienten konfrontiert war, aber sie kommt darüber hinaus der echten Religiösität entgegen, die, wie er herausgestellt hat, durch Spontaneität, Individualität und Unbewußtheit zu kennzeichnen ist.
著者
川﨑 惣一
出版者
宮城教育大学
雑誌
宮城教育大学紀要 = Bulletin of Miyagi University of Education (ISSN:13461621)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.37-48, 2019-01-31

本論の目的は、「人はなぜ謝罪するのか」という問いに対して哲学的なアプローチを試みること、そしてそれによって、謝罪というテーマに関する一定の見通しを得ることにある。 一般に、謝罪の目的は「過去の過ちを償うこと」にある、と理解されているように思われる。しかし、過去を書き換えることはできないし、後悔や自責の念だけでは、私たちを謝罪へと促す理由としては十分ではない。むしろ謝罪は、未来における個人の人格的な評価を高め、人々との間の関係をよりよいものにするために為される、と理解されるのがふさわしい。 私たちは、個別の行為をその担い手である人格に結びつけて理解するという傾向を持っている。過ちとされる行為は、その担い手である人格の評価を著しく下げるであろうし、反対に、加害者は謝罪することによって自らの人格的評価を高めることができるであろう。ただし、謝罪によって加害者が後悔や自責の念から解放されるかどうか、被害者が苦しみや傷つきから癒されるかどうか、加害者が被害者から赦しを得られるかどうかといったことは事前に確実に予測できることではなく、その意味で謝罪はつねに「賭け」である。それでも人があえて謝罪に踏み切るのは、加害者たる自分自身および被害者、そして両者を取り巻く人々のよりよい在り方とお互いのよりよい関係の構築を目指してそれを実現したいと願うからである。 したがって、謝罪の意義は〈加害者と被害者、および両者を取り巻く人々との間によりよい人間関係を(再)構築すること〉にあり、私たちが謝罪する根本的な理由は、私たちが社会的かつ倫理的存在であり、未来において、他者たちと共に、幸福でより善い生を送ることを望むからだ、と言うことができる。