著者
池内 慈朗
出版者
美術科教育学会
雑誌
美術教育学 : 美術科教育学会誌 (ISSN:0917771X)
巻号頁・発行日
no.31, pp.43-54, 2010-03-20

本稿は,幼児教育で有名なイタリアのレッジョ・エミリアとハーバード・プロジェクト・ゼロの共同研究Making Learning Visibleプロジェクトについて考察を行うものである。MLV Projectでは,ドキュメンテーションを用いることによって,学習を「可視化」することが中心的な役割りを果たす。また,ドキュメンテーションは,ポートフォリオの利点も兼ね備え,小グループでの学びを「可視化」する次世代の学習ツールとして,プロジェクト・ゼロは期待をもって推進している。グループ学習をドキュメンテーション化することで子ども達にグループ・アイデンティティの感覚が生まれ,「個の学び」とは異なったグループでの「協同の学び」が生まれる。MLVの研究を進めていく過程で,1970年代後期より,レッジョ・エミリアとプロジェクト・ゼロは教育哲学が近いところにあり互いに影響を与え合ってきたという結論を得た。
著者
塚本 浩司
出版者
日本物理教育学会
雑誌
物理教育 (ISSN:03856992)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.2-9, 2008-03-10 (Released:2017-02-10)
参考文献数
29

今日の科学史研究の成果によれば,運動方程式ma=Fを発見したのはニュートンではないし,古典力学を完成させたのもニュートンではない。いわゆる"ニュートンカ学"の体系とは,『プリンキピア』以降,200年ほどの科学研究と科学教育の営みの中で形成されてきたものである。本論文では,"ニュートンカ学"的な教科書の古典とされるトムソン=テイト『自然哲学論』(1867)以前の英語圈の教科書における古典力学の記述を追い,『自然哲学論』以前に先駆的な役割を果たした教科書の存在を明らかにする。
著者
福岡 義隆
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.66, no.12, pp.751-762, 1993-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
23
被引用文献数
1

まず始あに,最も古典的で著名ないくつかの文献と筆者自身の考えに基づいて,気候学と気象学の違いを論考する.気象学が人間不在でも成り立つ大気の科学であるのに対して,気候学は必ず人間の存在と密着した大気の科学であるとする.気候学をも含め自然地理学は,隣接の理工学の手法を取り入れるが,解析・理論的解釈の段階で人間的要素を色濃くもった地理学独自の哲学・思想が必要である. それゆえに,気候学は自然地理学の一つ,あるいは地理学そのものとしての存在理由があるはずである.その存在理由は'Physical-Human Process.Response'と称するW. H. Terlungのシステム論における5番目のカテゴリーによって確信づけられる.筆者はそのようなcontrol systemの説明のために3っの具体的な気候学の研究例を紹介した.その一つはW. H. Terlungが論じているように“都市気候学”の研究である.ほかの一つは“災害気候学”に示され,そのうちの一つとして年輪に記録される干ばつの気候に関する研究を紹介した. 3つ目は“気候資源に関する研究”で,これも最も地理学的な気候学の一つと考えられる.というのは,それらの研究が自然エネルギー利用の伝統的方法における気候学的考えに拠るものであるからである.最後に,いつまでも他分野に仮住まいすべきではなく,気候学という現住所にいて地理学という本籍(本質)を全うすべきことを主張した.
著者
渡邊 裕一
出版者
日本イギリス哲学会
雑誌
イギリス哲学研究 (ISSN:03877450)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.43-58, 2015-03-20 (Released:2018-03-30)
参考文献数
22

In the Two Treatises of Government, Locke regards the right to charity as a natural right. This right allows a needy person to obtain from the surplus of a rich manʼs property the goods which are necessary for the preservation of his own life. The right to charity is a means to realizing the right of subsistence. Locke defines the right to charity as an imperfect right, or the kind of right which cannot be enforced. The idea of common charity, however, can be so utilized as to support the view that in case of necessity, political power could transfer goods from the rich to the poor.
著者
宮山 昌治
出版者
学習院大学
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.83-104, 2005

ベルクソンは多くの日本の文化人に大きな影響を与えた哲学者である。ベルクソン哲学は日本では1910 年に紹介されたが、紹介後すぐに翻訳や解説書が多数刊行されて、〈ベルクソンの大流行〉を引き起こすに至った。ベルクソンは一躍日本の思想界の寵児となったのだが、この流行は足かけ4 年で終わってしまう。なぜ、流行はあっさりと終わってしまったのか。その原因として挙げられるのは、ベルクソン受容における解釈の偏りである。 そもそも、ベルクソン哲学が受容される以前の日本のアカデミズムでは、新カント派の認識論が主流であり、「物自体」を直接把握しようとする形而上学は避けられる傾向にあった。だが、このアカデミズムに対する抵抗として、論壇ではしだいに形而上学を復興させる動きが盛んになり、ベルクソン哲学が大いに注目を集めた。ベルクソン受容では、『試論』の「持続」と「直観」、『創造的進化』の「持続」の「創造」が紹介された。すなわち、「物自体」を「持続」と捉えて、それは「直観」によって把握できるものであり、かつ「創造」性を有するものだと言うのである。ところが、これはベルクソンの紹介としては偏ったものであった。そこには、『物質と記憶』の「持続」と「物質」の関係がほとんど紹介されていない。それは、ベルクソン受容が唯心論の立場をとっており、唯心論では「物質」は排除すべきものでしかなく、「持続」と「物質」の関係を説明することが困難だったからなのである。 しかしそれでは、「持続」が「物質」のなかで、いかにして現実に存在するかを問うことができず、「持続」は観念でしかなくなってしまう。結局、ベルクソン受容は唯心論の枠組みの外にある現実存在するもの、すなわち「物質」や、ひいては「他者」についても論じることはできないということになり、ベルクソンの流行は一気に衰退に向かった。だが、その後の唯物論の隆盛は、ベルクソン受容が先に「物質」や「他者」の問題に直面していなければ、存在しないものであったし、さらに新カント派の変形である大正教養主義も、新カント派とベルクソン受容の対決を経て生まれたものであった。したがって、大正期のベルクソンの流行は日本の思想史において、きわめて重要な意味をもつ〈事件〉であったと言えるのである。In Japan, the philosophy of Henri Bergson was first introduced in 1910. From 1912, many books and papers discussed Bergson, and his philosophy came into vogue. At that time, the Japanese philosophical society maintained the epistemology of Neo-Kantism and refused to acknowledge "Ding an sich(" the thing itself),which metaphysics had tried to grasp immediately. Bergson insisted on acceptance of "Ding an sich" by "intuition", so the people who rejected Neo-Kantism enthusiastically agreed with him. But the vogue come to an end around 1915, and publicity about Bergson disappeared rapidly. The vogue declined because of the interpretation that Bergson's philosophy favored "Idealism" based on the pan-conscience. As that interpretation was ineffective at treating "matter" and "the Other", Matière et Mémoire(Matter and Memory)studied the matter hardly received attention during this time. The partial interpretation brought the vogue to a crisis Though the vogue declined, the prosperity of Materialism and Socialism that lasted through the 1920s didn't exist without the vogue had revealed the fault of "Idealism". Therefore, Bergson's significance in the history of modern Japanese thought cannot be overlooked.
著者
丹治 光浩 Mitsuhiro TANJI 花園大学社会福祉学部 THE FACULTY OF SOCIAL WELFARE HANAZONO UNIVERSITY
巻号頁・発行日
vol.17, pp.1-11,

スタートレックとは、22~24世紀の宇宙を舞台にした冒険物語である。その魅力は、最新の宇宙論を取り入れたリアルな未来世界の構築に止まらず、登場人物が織り成す人間関係や精神哲学にあることはいうまでもない。一般に芸術作品には作者の個人的な心理が反映されると同時に、さまざまな形で現実社会が反映されることが少なくない。たとえば、スタートレックにおいて人類が出会うさまざまな異星人は我々人間の一面をデフォルメして表現されたものであり、人類と異星人との間に生じるさまざまな誤解や葛藤は、そのまま現代社会における国家間の対立や人種問題の反映と考えることができる。本論では、臨床心理学的視点からTNG第9話を心の構造、TNG第79話を児童虐待、TNG第111話をPTSDとして解釈した。映画「GENERATION」は対象喪失と喪の作業として解釈し、平行宇宙はユング心理学における「影」として解釈した。そして、ボーグは無意識、ボーグドローンから人間世界への再適応は精神疾患の治療プロセスとして解釈した。
著者
山口 尚 YAMAGUCHI Sho
出版者
名古屋大学情報科学研究科情報創造論講座
雑誌
Nagoya journal of philosophy (ISSN:18821634)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.19-30, 2019-09-16

本稿は〈リチャード・ダブル論〉と〈自由意志の概念工学への批判〉の二側面をもつ。すなわち本稿は、一方で、自由意志と道徳的責任の哲学における極端な相対主義者リチャード・ダブルの思想的発展を(1)非実在論の主張(2)メタ哲学的相対主義の提示(3)自由意志論の心理学化の提唱という三段階に分け、彼の全体的思想をアウトラインする。他方で、ダブルの立場の考察から《自由意志や道徳的責任に関する私たちの概念枠組みは簡単に改訂されうるものではない》という洞察が得られるのだが、かかる洞見はいわゆる「自由意志の概念工学」の理解を批判的に深めることに繋がる。本稿の終盤では、私たち自由意志の概念工学者が、或る意味で「十中八九、敗れ去る」ことが指摘される。そして、こうした限界を見据えることによって却って自由意志の概念工学の使命が明らかになる、と言いたい。
著者
藤川 吉美
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大論叢 (ISSN:03854558)
巻号頁・発行日
vol.43, no.3, pp.23-39, 2006-03-31

日本語の「責任」と「義務」の概念は,意味が曖昧であり,かつその根拠が漠然としている。そこで本稿では,上記タイトルの下に「責任」(obligation)と「義務」(duty)の概念を明確に区別するとともに,あわせて「公正な社会」(fair society)の安定的な維持にとって不可欠な西欧古来のnoblesse obligeの新しい解釈とその意義について論じたいと思う。論文の構成は全6節からなっており,1.最初に本稿の趣旨について述べ,2.において「公正原理」と「責任概念」を定義し,両者が不可分の関係にあることを指摘した。3.においては,伝統的なnoblesse obligeの定義を与え,J.ロールスによって試みられたその新しい解釈を紹介するとともに,それが公正な社会的協力・分業において奏するところの効果について哲学的な検討を加えた。4.以降は,自然的な6つの「義務の原理」とそれに由来する6大義務(正義の義務,相互尊重の義務,相互扶助の義務,礼譲の義務,フェアプレイの義務,そして,他者に対し損害や危害や不条理な苦痛を与えない義務,または遵法の義務)およびその意義について論述し,5.以降で順次,次のような6大義務の詳細な説明を与えている。5.正義の義務6.相互尊重の義務7.相互扶助の義務8.礼譲の義務9.フェアプレイの義務10.他に損害・危害・不条理な苦痛を与えない義務(遵法の義務)以上である。ただし,5〜9を積極的な義務,また,10を消極的な義務と称している。こうした「義務」の概念は,人間理性の求める「自然的な義務」の概念とされ,すでに述べた「責任」の概念と違って,公正な社会を前提としないし,そこから利益を得ているという条件も,与えられる機会を自分の利得に活用するという条件も充たす必要のない概念であるということに特徴がある点を指摘し,その理由についても考察を加えた。こうした責任と義務の定義によって,公正な社会における個人の責任と義務がはっきりと理解され,より正しい社会の確立と維持に寄与するに違いないと考える。
著者
野瀨 王偉
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.53-69, 2023-03-17

本稿では古代ギリシアの吟遊詩人ホメロスによる英雄叙事詩『イリアス』『オデュッセイア』に共通してみられる「英雄が魚を食べない」という一つの特徴に着目し、その理由を明らかにしようと試みた。古代ギリシアにおいて、海産物が盛んに食べられていたことは、当時の料理書やギリシア喜劇といった文献や考古学的発掘などからも明らかであるが、奇妙なことにホメロスには魚食を示唆する場面は比喩表現などわずかにしか見られず、英雄が海産物を食べる場面は存在しない。本稿ではまず、ホメロスの英雄叙事詩について考察を進めたのち、ホメロス以後の英雄叙事詩、ギリシア悲劇、喜劇、小説、哲学といった異なるジャンルの文献も検討した。その結果、「英雄が魚を食べない」という特徴がホメロス以外にも見られることを確認し、そうした描写の背景にある意図の考察を行った。
著者
松尾 雄二

二年間の研究によって、次の内容から成るデータベースが完成に近いものとなった。1.Leibnizの執筆物のクロノロジカルな項目は、Akademie版全集既刊38巻42分冊(2006.3現在)すべてを加えた。翻訳は英独仏和等を対照させた。2.書簡の交信相手の索引。3.全集版等の部・巻・章の標題を示したもの。所収箇所を示す`Ak2.1,239-'だけで、この(オルデンブルグにあてた)手紙がパリ滞在中の哲学書簡として分類されていることが分かる。4.Braunschweig-Luneburg家等の系図。5.その他このクロノロジーによって、調べたいテーマに関係する人物、例えばNewton,Bernoulli,Malebranche,Bossuet等々の名前を冠する書簡や執筆物が何件あるか、年月日とともに正確に検索できる。これを手がかりとして、図書館を介して、件のページのコピー依頼による研究が可能となる。また、図書館もしくは個人の所蔵が想像されるGerhardt版、Dutens版等との対照を網羅しているので、さらには英訳等もできるだけ対照させているので、ライプニッツ研究、それも多様な視点からの研究がいっそう容易になるであろう。まだこれは対照させるべき英訳等を尽くしているわけではない。またこれから先、アカデミー版全集はさらに巻数を増すことになる。今後、定期的に追加、修正を重ねてHPを更新していくことにより、益するところも大きくなると思われる。また、人名の解説については、17世紀のドイツ諸侯国のもつ役職名と、神聖ローマ帝国(諸侯国をある仕方で統括する)のもつ役職名は、聖俗共にきわめて複雑である。さらに、聖職の邦訳語がプロテスタントとローマ・カトリックでは異なることも、事態を複雑にしている。人名解説はまだまだ未完成である。なお、本研究の一環としての徳倫理学の訳書については、J・ピーパー著松尾訳『四枢要徳について-西洋の伝統に学ぶ-』(または『四つの枢要徳』)を知泉書館から出版予定である。