著者
荒木 健太郎
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.63, no.7, pp.326-327, 2022-06-15
著者
浜田 光誉 鈴木 新一
出版者
自動制御連合講演会
雑誌
自動制御連合講演会講演論文集 第54回自動制御連合講演会
巻号頁・発行日
pp.76, 2011 (Released:2012-03-09)

妨害ロボットは,相手との駆け引きや心理戦をもたらし,手動ロボットは,操縦者の行いによっては,ドラマを生む.こういった要素は,参加者と観客を楽しませる.妨害ロボットと手動ロボットは,面白いコンテストのためには必要である.しかし,2009年にロボコンのルールが変更され,それ以降,妨害ロボットは製作できなくなった.手動ロボットだけが,ゲームに面白さをもたらすことになった.しかし,外国の二チームによって,完全に自動的に動く,「自動化された」手動ロボットを製作された.自動化された手動ロボットはミスをしない.そこにハプニングは生まれない.観客は,ハプニングを楽しめなくなってしまった.ハプニングよって作られたドラマは,テレビ番組とって,とても重要である.自動化された手動ロボットの製作を認めるべきだろうか?
著者
廣田 龍平
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.63, pp.85-111, 2021-10-29

本稿は、キツネをめぐる世間話を題材として、アニミズムおよびパースペクティヴィズム理論を参照することにより、日本におけるヒトと動物の関係性の根底にある諸存在論を明らかにすることを目的とする。キツネが人間に変身したり(「化ける」)、ヒトの知覚を操作したりする(「化かす」)妖狐譚は、日本における非西洋近代的な存在論を明らかにするにあたって重要な資料になると考えられる。しかしこれまでは、ほとんど総合的な議論がなされてこなかった。それに対して本稿では、「変身」概念を中核に据えるアニミズムおよびパースペクティヴィズム理論を採用することにより、それらの理論が依拠する北アジア・南北アメリカの狩猟アニミズム世界とキツネの妖力を構造的に比較できることを示す。アニミズムにおいては、ヒトも動物も同じような霊魂を持ち、同じような文化を持つが、身体が異なる。そのため身体を変えることにより、ヒトが動物に、動物がヒトに変身することが可能になる。またパースペクティヴィズムは、身体に由来する観点の差異化により、種によって知覚される世界が異なってくることを前提とする。これらの枠組みを採用することにより、妖狐譚がうまく理解できるようになる。 本稿の中心的関心は、妖狐譚に見られるヒトと動物の関係性が、狩猟アニミズムと比較すると、構造的に反転しているという点である。狩猟アニミズムにおいてはヒトが「衣服」を身に着けて動物に変身するのに対し、妖狐譚においてはキツネが髑髏や藻などを身に着けて人間に変身する。また、狩猟アニミズムにおいてはヒトのシャーマンや精霊が、それぞれ動物や通常のヒトの観点を操作するのに対して、妖狐譚においては、キツネがヒトの観点を操作する。こうしたことから、日本のキツネは狩猟アニミズム世界におけるヒトのシャーマンや狩人の対称的反転であり、それが日本的な存在論の特徴であることが結論付けられる。

79 0 0 0 OA 神社境内の設計

著者
上原敬二 著
出版者
崇山房
巻号頁・発行日
vol.大正8年, 1919
著者
山下 脩二
出版者
日本生気象学会
雑誌
日本生気象学会雑誌 (ISSN:03891313)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.29-32, 2008 (Released:2008-06-13)
参考文献数
2
著者
樋口 耕一
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.68, no.3, pp.334-350, 2017 (Released:2018-12-31)
参考文献数
29
被引用文献数
13 16

筆者はテキスト型 (文章型) データの分析方法「計量テキスト分析」を提案し, その方法を実現するためのフリーソフトウェア「KH Coder」を開発・公開してきた. 現在ではKH Coderを利用した応用研究が徐々に蓄積されつつあるように見受けられる. したがって現在は, ただ応用研究を増やすのではなく, KH Coderがいっそう上手く利用され, 優れた応用研究が生み出されることを企図しての努力が重要な段階にあると考えられる. そこで本稿では, 現在の応用研究を概観的に整理することを通じて, どのようにKH Coderを利用すればデータから社会学的意義のある発見を導きやすいのかを探索する.この目的のために本稿では第1に, 計量テキスト分析およびKH Coder提案のねらいについて簡潔に振り返る. 第2に, KH Coderを利用した応用研究について概観的な整理を試みる. ここではなるべく優れた応用研究を取り上げて, 方法やソフトウェアをどのように利用しているかを記述する. また, なるべく多様なデータを分析対象とした研究を取り上げることで, 応用研究を概観することを目指す. 第3に以上のような整理をもとに, 計量テキスト分析やKH Coderを上手く利用するための方策や, 今後の展開について検討する.
著者
田中 康裕
出版者
一般社団法人 日本音響学会
雑誌
日本音響学会誌 (ISSN:03694232)
巻号頁・発行日
vol.40, no.12, pp.830-836, 1984-12-01 (Released:2017-06-02)
被引用文献数
1
著者
佐藤 翔 楠本 千紘 服部 亮 大菅 真季 浅井 理沙 河野 真央 久山 寮納
出版者
情報知識学会
雑誌
情報知識学会誌 (ISSN:09171436)
巻号頁・発行日
vol.28, no.3, pp.223-252, 2018-09-30 (Released:2018-10-19)
参考文献数
37

本研究では百科事典記事の信憑性判断に「情報源がWikipediaであること」が与える影響を明らかにすることを目的に,日本の大学生を対象とする調査を実施した.Wikipedia日本語版と日本大百科全書JapanKnowledge版双方に存在する6つの項目について,それぞれレイアウトをそのままにした 場合と,レイアウト情報を除去した場合を用意し,どちらの方が正確であると思うかを被験者に尋ねた.分析の結果,回答者の多くはレイアウト情報が残っており,見た目からWikipediaであることが判断で きる場合には,日本大百科全書の方がWikipedia日本語版よりも正確であると判断した.一方,レイアウト情報が除去された場合,Wikipedia日本語版の方が日本大百科全書よりも正確であると判断した者が多かった.情報源がWikipediaであること自体が,記事内容の信憑性判断に影響すると考えら れる.
著者
鈴木 寿之 大迫 尚晴 木村 清志 渋川 浩一
出版者
Kanagawa Prefectural Museum of Natural History (Kanagawa Prefectural Museum)
雑誌
神奈川県立博物館研究報告(自然科学) (ISSN:04531906)
巻号頁・発行日
vol.2020, no.49, pp.7-28, 2020 (Released:2020-03-31)
被引用文献数
2

琉球列島の河川急流域に生息するハゼ科ヨシノボリ属魚類2 新種、Rhinogobius yaima と R. yonezawai を記載した。Rhinogobius yaima(ヤイマヒラヨシノボリ:新称)は縦列鱗数40–43、脊椎骨数26、第1 背鰭棘数6、頭部はよく縦偏し、体と尾柄は細長い、雄の第1 背鰭低く後端は倒しても第2 背鰭起部に達しない、腹鰭第5 軟条は普通最初に5 分岐する、胸鰭基底、腹鰭起部前方、腹部腹中線周辺は無鱗である、生時もしくは生鮮時に側頭部から第2 背鰭起部にかけての背面に橙色または赤色の2 縦線がある、胸鰭基底に1 暗色楕円形斑がある、雄の尾鰭に橙色の4 横点列がある、雌の尾鰭基底に垂直に並んだ1 対の長方形または円形の黒色斑があるなどの特徴で同属他種から区別できる。Rhinogobius yonezawai(ケンムンヒラヨシノボリ:新称)は縦列鱗数35–39、脊椎骨数26、雄の第1 背鰭は高く烏帽子形、その第2・3 棘が最長で糸状に伸長しないものの倒すと第2 背鰭第1 から第4 軟条基部に達する、腹鰭第5 軟条は最初に4 分岐する、胸鰭基底、腹鰭起部前方、腹部腹中線周辺もしくは腹部腹中線前半周辺は無鱗である、胸鰭基底に黒色楕円形斑がある、生時もしくは生鮮時に側頭部から第1 背鰭下方にかけての背面に橙色または赤色の2 縦線がある、胸鰭基底に1 暗色楕円形斑がある、雄の尾鰭に橙色または赤色の6–8 垂線がある、雌の尾鰭基底に横Y 字形の1 黒色斑があるなどの特徴で同属他種から区別できる。
著者
髙橋 沙奈美
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.91, no.3, pp.25-48, 2017-12-30 (Released:2018-03-30)

本稿はペテルブルグの聖クセーニヤに対する崇敬を事例として、人びとの日常生活の中で経験され、表現される「生きた宗教(lived religion)」が、社会主義時代にどのような主体によって維持され、いかに変容し、またいかに持続したかという問題を検討する。十八世紀末の帝都の下町に暮らしたといわれるクセーニヤは、十九世紀後半から二〇世紀にかけて、悩みや苦しみに寄り添い力を貸してくれる聖痴愚として、人びとに慕われ始めた。一九一七年の革命後、反宗教政策で教会が壊滅状態に陥り、祈?を依頼できる司祭がいなくなると、レニングラードの人びとはクセーニヤに「手紙」を書くことで崇敬を維持した。クセーニヤは過去の記憶ではなく、テロルや包囲戦の時期もレニングラードと共にある等身大の福者として意識された。また、帝政末期にすでに正教会にも認められていたクセーニヤ崇敬は、教会権力によって単なる民衆宗教として排斥されず、西側の世論を怖れたソ連政府も礼拝堂の破壊を思いとどまった。一九八八年の列聖は、信者たちにとって、革命以前の信仰生活の復活ではなく、ともに最も苦しい時代を生き抜いたクセーニヤの記念を意味したのである。