著者
菊盛 真衣 石井 隆太
出版者
日本マーケティング学会
雑誌
マーケティングジャーナル (ISSN:03897265)
巻号頁・発行日
vol.40, no.1, pp.56-67, 2020-06-30 (Released:2020-06-30)
参考文献数
25

本研究は,グローバル企業が自社Webサイトを現地の文化に適応化させる度合い,つまりWebサイトにおける文化的カスタマイゼーションの度合いが現地消費者のWebサイト使用容易性にどのような影響を及ぼすのか,そして,その影響が制御焦点の違いによってどのように異なるのかを検討した。実証分析に際して,日本に進出するアメリカ企業のWebサイトを対象に内容分析を行い,その後,消費者調査を行うことによってデータを収集した。実証分析の結果,Webサイトにおける文化的カスタマイゼーションは情報取得の容易性およびナビゲーションの容易性という2種類のWebサイト使用容易性に正の影響を及ぼすということが示された。加えて,促進焦点はその正の効果を促進するということが示された。この知見から,本研究は,グローバル企業は自社のWebサイトに現地の文化的価値観を反映させる必要があり,そうするべきなのは,予防焦点型の消費者というより,促進焦点型の消費者に対してであるという含意を提供する。

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著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1948年05月14日, 1948-05-14
著者
伊藤 精晤
出版者
信州大学農学部
雑誌
信州大学農学部紀要 (ISSN:05830621)
巻号頁・発行日
vol.31, no.2, pp.p73-86, 1994-12

山村農家の敷地と農家の庭園趣味について,研究Iでは,敷地内の建物配置,境界はいくつかの型が見られた。研究IIでは,農家の趣味生活で,家族構成員のそれぞれが庭園を楽しんでおり,庭園の植物の豊富な種類と維持管理や栽培の自前の実行などから,その趣味の程度は高く,庭園の役割として,生活の実用を含めた心理的楽しみの効果が複合的に期待されていることが明らかになった。本論文では,農家庭が新たな敷地計画のもとに作られることは少なく,元来の農作物のための庭を別として敷地境界と建物配置によって生じる空き地が庭園建設の場に展開してきたことを考察する。また,農家が農業主体から住宅主体に敷地を利用するように変化しており,この敷地の機能面の変化と庭園化の関連を考察していく。敷地に庭園を作る空間的条件は建物の配置によって決まり,境界と建物間の隙間の部分の庭園化,空き地として作業庭に使われた部分の庭園への転換によって,20年から30年前に庭園の建設が行われている。この庭園の建設は趣味生活の拡大が原因となっている。敷地内の庭園部分は玄関の前庭,作業庭,表の座敷庭,裏の座敷庭,路地庭,勝手庭に区分できる。作業庭は半数が座敷庭として庭園化され,半数が作業庭として維持されている。裏の座敷庭は古くから作られることもあったが,庭園趣味と生活のゆとりの中で楽しみとして,表の座敷庭まで作られることが多くなったことが考察される。勝手庭は物干し,洗い場など設置されている。周囲の境界と建物との隙間に路地庭が作られている。玄関前庭,作業庭(主庭),裏庭,前庭,路地庭,勝手庭といった庭園配置に分化した戸外敷地を家族構成員で使い分けが行われていることが考察される。以上から,従来の農家庭の機能と骨格が存在し,これに現代生活と趣味に適合した庭園建設が行われていると結論づけられる。
著者
井上 充幸
出版者
東洋史研究會
雑誌
東洋史研究 (ISSN:03869059)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.1-28, 2000-06

Li Ri-hua, one of the typical intellectual in the late Ming, together with Dong Qi-chang 董其昌 were equally admired as connoisseurs of objets d'art and curios. Li's diary, Wei-Shui-Xuan Ri-Ji covers the years 37-44 of Wan-li 萬暦 (1609-1616), and by this we can observe his daily life in his hometown, Jia-xing 嘉興. This article attempts to examine the artistic taste of the intellectual and hence the cultural activities in those times by referring to the appreciations of arts like calligraphy, painting, ink slab, porcelain and all sorts of antiques described in this diary. Accordingly, appreciation and collection of objets d'art had originally been a personal taste of the intellectual, but had a vogue up to the late Ming. In those times, especially in the Jiang-nan region 江南, many collectors who flaunted their considerable collections of arts appeared. Xiang Yuan-bian 項元汴, his relative, Wang Ji-mei 王繼美 and his son, Wang Ke-yu 王砢玉 were typical ones. They had been living in Jia-xing for generations, and Li Ri-hua was able to appreciate many obiets d'art through companionship with them. With rapid economic development, the intellectual and even common people got absorbed in appreciation and collection of objets d'art in those days. As objets d'art became commodities and were widely traded, there was a sharp rise in demand for them, and their prices went up finally. At the same time, forgeries were produced in large quantities, so it became quite difficult to discriminate between the genuine and the fake. According to the diary, Li Ri-hua, as a famous connoisseur, was often asked to authenticate various objets d'art and curios and set prices for them. Besides, the article also discusses the relationship between "Shan-re" 山人 and the intellectual. "Shan-ren" were newly-risen intellectuals in the late Ming, who lived by their knowledge and skills and did not engage in any official position. "Wen-ren" 文人 had originally referred to the so-called "Shi-da-fu" 士大夫, but when some of the "Shan-ren" were regarded as the typical intellectual in the late Ming, the dividing line between the "Wen-ren" and the "Shan-ren" became ambiguous. Li Ri-hua was able to lay his academic foundation under the influence of the typical "Shan-ren" such as Zhou Lu-jing 周履靖 and Chen Ji-ru 陳繼儒 in those times. However, he had been trying to act as the most eminent intellectual without doing the job of making or appraising arts since he had become an official.
著者
遠藤 健治
出版者
日経BP社
雑誌
D&M日経メカニカル (ISSN:13486314)
巻号頁・発行日
no.593, pp.128-131, 2004-02

日本企業の冠がついた中国の現地企業に日本企業の社員は安心感を覚える。その親会社である日本企業と同等の高い信頼性を期待できると思うからだ。ところが,そうした思い込みが間違いのもと。多くの日系企業は現地採用の従業員を抱え,商習慣もその国のままだ。
著者
廣瀬 美幸 森山 紋由美 鈴木 孝夫 李 相潤
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement
巻号頁・発行日
vol.2007, pp.A0231, 2008

【目的】最近、患者一人ひとりの栄養状態が極めて重要視され、栄養状態の管理・改善を院内栄養サポートチーム(Nutrition Support Team)で取り組んでいる病院もある。そこで、ラットを用いて運動と食餌・カロリー摂取量の違いが骨格筋にどのような影響を及ぼすかを比較・検討した。<BR>【方法】実験動物は生後8週齢の雄性Wistar系ラット15匹を用い、普通食自由摂取+運動負荷(CT)群、普通食制限摂取+運動負荷(LT)群、高カロリー食自由摂取+運動負荷(HT)群の3群各5匹に分けた。実験期間を通して、CT群には普通食、LT群にはCT群の餌摂取量の60%、HT群には普通食比カロリー120%、脂肪含有率332.6%の高カロリー食を与えた。その間、1日1回45分同時間帯に、最高速度25m/minのトレッドミル走行を5回/週、2週間実施した。実験終了後、対象筋である左右のヒラメ筋、足底筋、腓腹筋外側頭を摘出し、通常の方法、手順により筋線維横断面積を測定し、統計処理を行った。なお、運動負荷のない通常飼育の対照(C)群は先行研究の同週齢ラットの値を参考とした。<BR>【結果】体重:実験開始時には群間有意差は見られなかったが、実験終了時にはLT群はCT群に比較し78.1%の低値と有意差を示した。一方、CT群とHT群間には有意差は認められなかった。平均餌摂取量:HT群はCT群の摂取量の83.5%であった。筋線維横断面積:3種の筋においてCT群はC群と比較し有意の高値を示した。LT群はCT群と比較し有意の低値を示したが、C群と比較すると有意の高値を示した。HT群はヒラメ筋においてCT群と有意差が認められた。<BR>【考察】3筋の筋線維横断面積において、LT群はCT群、HT群と比較し有意の低値を示した。従って、栄養不良状態では筋萎縮が進行することが示唆された。これは、1)低栄養状態で筋内蛋白質の合成不良によること、2)筋線維横断面積は収縮の強度に関係するので、LT群は各筋の収縮の強さが飢餓の影響を受け低下したことが考えられる。一方、LT群はC群と比較すると有意の高値を示した。これはLT群は週5回の運動を実施したため、低栄養状態であっても運動負荷により筋萎縮予防、筋肥大が得られたと考えられる。<BR> 今回、足底筋と腓腹筋においてはHT群とCT群間に有意差が認められなかった。これは筋肉の主要構成成分は蛋白質であり、運動時には蛋白質の必要量が増加するが、今回与えた高カロリー食は蛋白質含有量が普通食とほぼ同じであったためと考えられる。蛋白質を多く摂取することで、より効果的に筋力増強が得られると考えられる。<BR>【まとめ】低栄養状態であっても運動負荷により筋萎縮予防、筋肥大が得られ、また蛋白質を多く摂取することにより、より効果的に筋力増強が得られると考えられる。
著者
武井 玲子 鍋山 友子 藤井 美香
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.61, pp.39, 2009

<B>【目的】</B>近年、乳幼児の事故例が社会問題化している。そこで、乳幼児の被服や身につけるモノによるリスクを低減化するリスクマネジメント研究の一環として、保育所や幼稚園の集団保育施設における事故実態を把握することを目的とする。<BR><B>【方法】</B>福島県を中心として保育所95ヶ所、幼稚園90ヶ所、計185施設の0~6歳児、16,752人を対象として、郵送法により質問紙調査を行った。調査期間は、2008年10~11月。<BR><B>【結果】</B>92%の施設で事故が1回以上起きており、種類別事故発生率は上着20%、靴下17%、靴12%、カバン・オムツ各8%、ズボン・スカート・パンツ各7%、雨具・装飾品各6%であった。多く見られた事故例は、靴下やタイツ着用時、床などで滑って転んだ、上着のファスナーで顔や首の皮膚に傷がついた、などであり、他人にフードを引っ張られたり、ふざけていて転びそうになった、など集団施設での潜在リスクも存在していた。雨具や帽子などは、危害例は多くないが、潜在リスクと考えられる「ひやり・ハッと」事例が高い傾向であった。また、保育施設に設置されている遊具と身につけるモノが関係した事故発生率は、滑り台が一番高く、その他の遊具も10~15%であった。保育施設から、保護者に対して事故防止指導をしており、保護者は比較的よく指導に従っている結果であったが、一方、行政機関からのリスク情報などの提供を受けている施設はわずかであった。リスクマネジメントには、法規制やガイドライン策定などの施策も必要であるが、保育施設、保護者、製造・販売業者、行政機関などの関係者間があらゆる関係情報を共有化するリスクコミュニケーションの推進が重要となる。このリスクコミュニケーションの視点からみると、いくつかの問題点があり、効果的なリスクコミュニケーションの展開が今後の課題と考える。
著者
高岡 朋子 大信田 静子 泉山 幸代
出版者
北翔大学
雑誌
北海道浅井学園大学短期大学部研究紀要 (ISSN:13466194)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.21-37, 2004-03-26

入学式の式服についての実態,日常着用している洋服と服装感との関連,および仕事に対する姿勢と服装との関連について1993年調査時との比較検討を行った結果,つぎのことが明らかになった。(1)式服のイメージの測定から,落ち着いた,すっきりした,改まった,新しいの形容詞に高い評価がみられ,'93年当時よりも公的ながやや高く表出していた。'93年の調査時には体育コースの学生は女子ばかりであったが,式服のイメージはスポーティで男っぽく捉えられていおり,今回の調査でのスポーツ科学は半数以上が男性であるにも関わらずスポーティでラフな式服という同様な結果となり,専攻する分野が同じであると,性別に関係なく同じイメージをもつ服装をすることが伺えた。(2)式服の着用実態から,着用していた服種として上げられるのはスーツ,ブレザーとスカート,パンツの組み合わせが多く,アクセサリーとしてはペンダント,ネクタイをつけていた。このスーツの平均金額は22,353円,ブレザー14,318円,スカート10,927円,パンツ13,189円であった。礼装としてのスーツ着用は過去2回の調査から当たり前になっていることがわかった。スーツの色は黒が38.8%と最も多く,次はグレー,紺色の順位である。ワンピースは白,ブレザーは黒とグレーが同率で,スカート,パンツはともに黒色が多かった。また上着の下に着るTシャツは白が多く,全体的には様々な服種に黒,白,グレーの無彩色の傾向がみられた。(3)服装感を探る質問項目の回答結果から,独自型,同調型,目立ち型,堅実型,流行型,購入態度とに概念分けをして考察をした。入学生の服装感として,購入態度から学生は合理的で堅実的な衣生活を送っており,男子のほうが堅実的であった。また'93年時と比較した場合,今回は独自性が弱まり同調性がやや強まったものと推測される。各科系ごとの特徴として服飾美術は独自的・非同調的な傾向,経営情報は同調的・流行型の傾向,初等教育は非独自的・非流行的な傾向にあった。服飾美術と初等教育は'93年時と同じ服装感が表出した。(4)日常よく着用する服装については,評定値の高い項目から,日常着として学生はジーンズやパンツを着用し,スポーティでラフなスタイルをしていることがわかった。また評定値の低い項目からスカートはほとんど着用しない傾向にあることが分かった。つぎに主因子法・バリマックス回転の因子分析を実施した結果,個有値1.0以上,累積寄与率は54.69%で6因子抽出され因子の解釈を行った。第1因子は「スカート着用因子」,第2因子は「スポーティ因子」第3因子は「ドレッシイ因子」第4因子は「個性的因子」とした。さらに各因子ごとの因子得点の平均値から,各科系の特徴を検討した結果,服飾美術の学生はスカートを着用することが多く,ドレッシイで個性的な洋服を着用し,スポーツ科学系の学生はスポーティな洋服を着用し,総合教養の学生はスカートを着用することがあり,個性的な洋服を着用する傾向,経営情報もスカートを着用することがあり,初等教育はドレッシイな洋服とスポーティな洋服を着用する傾向にあることがわかった。'93年時と比較すると,各科系で基本的には変化はないものの,洋服のドレッシイさとスカート着用が微妙に変化していることがわかる。(5)日常着用している洋服と服装感との関連では,服装感の概念の強い人と弱い人を取り出し,主要4因子の因子得点の平均値を算出し有意差検定を行った。その結果同調型の服装感を持つ人はスポーティな洋服とドレッシイな洋服を着用する傾向にあり,独自型の服装感を持つ人は個性的な洋服を着用する傾向にあり,非同調的な人はやや個性的な洋服を着用し,ドレッシイな洋服は着用しないことがわかった。また流行型の服装感をもつ人はスカートを着用し個性的な洋服を着用しない傾向にあった。'93年時と比較をすると独自型の服装感の人は今回も全く同様な結果,同調型,非同調型流行型の服装感の人達はほぼ同様の結果が得られた。(6)女子学生の仕事に対する姿勢では「仕事を一生続ける」と「こどもに手がかからなく再就職をする」を合わせると75%になり'93年時よりも増加していた。服装との関連では,仕事を一生続けるとしたキャリア志向の人は,個性的な洋服を着用し,服装感は独白的な傾向であった。また学生の中で多くを占めた再就職型の人は,ドレッシイな洋服を着用する率が高く,非同調,非独自的な服装感をもつ傾向にあった。'93年時との比較ではキャリア志向の人の着用する洋服は同じであるが,服装感が非流行,非同調的な傾向から独自的な傾向へと変化していた。
著者
牧 良樹 白鳥 裕士 佐藤 剣太 中村 聡史
出版者
一般社団法人 人工知能学会
雑誌
人工知能学会全国大会論文集
巻号頁・発行日
vol.2018, pp.2K105, 2018

<p>ストーリーコンテンツにおいて,未知であるストーリー部分を明らかにすることはネタバレと呼ばれ,多くの研究で防止する手法が提案されてきた.しかし、そのネタバレがコンテンツを楽しんでいるひとに対しどのような影響を与えるのか,またコンテンツの進度によりネタバレの影響は変化するのかについては調査されていなかった.我々は以前の研究で,コミックを対象としたネタバレ影響調査を行ない,作品によってネタバレの影響が変化することを明らかにしてきたが,ネタバレの本質的な影響については調査できていなかった.そこで,本研究ではネタバレ直後の影響を調べることによってネタバレの本質的な影響について明らかにした.また,ネタバレページの特徴を分析することによって,ネタバレページ推定実験の手法についての検討を行なった.</p>
著者
出口 万由子 高野 佑紀奈 鈴木 麗璽 有田 隆也
雑誌
第82回全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.2020, no.1, pp.35-36, 2020-02-20

本研究の目的はドラマの各回へのユーザー評価の変遷の可聴化により集団心理ダイナミクスを理解することである.レビュー中の単語の評価極性をドラマ回ごとに鍛治らのPolar phrase dictionaryで実数値化(A),あるいは小林らの日本語評価極性辞書でラベル化(正/負感情,主/客観)(B)し,音を発して移動する各粒子の属性に割当てる.Aでは,評価極性の高低を音程の高低とx座標の正負に,評価極性の正負を長・短調に割当て,評価の頻度分布を音長に反映させる.Bでは,正/負を長/短調,主/客観を高/低音に割当て,ラベル4つを各象限に対応させる.試作システムの初期評価で「ネタバレ」なしにドラマが喚起する集団心理の典型的ダイナミクスを体感できることが示された.
著者
中宮 安夫
出版者
防衛衛生協会
雑誌
防衛衛生 (ISSN:00065528)
巻号頁・発行日
vol.14, no.12, pp.477-479, 1967-12
著者
野村 正晴
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
vol.81, no.728, pp.2297-2307, 2016 (Released:2016-10-30)

In this paper, I outline the birth and development of department store architecture in modern Japan and the interrelation of profitability and architectural plans by examining the case of the Mitsukoshi flagship store at Nihonbashi. This paper covers the following five periods of development: (1) 1914: Completion of the Main Building's Construction Efforts were taken to construct spaces such as entryways and stairwells to instill a sense of splendor and novelty in visitors. Expressing the establishment of the business style of the department store was regarded as the primary matter of importance, and little thought was given to profitability. A dry-goods business model was still followed, and suitable architectural plans were made for this model. (2) 1921: Completion of Restructuring and Expansion Work An intentional expansion of the sales area was undertaken in response to perceived demand. An awareness of profitability began to be reflected in architectural plans. Specialization of clerical work was also observed. The service model of the dry-goods model was still being followed, but now a rationalization of the store's management system led to a change in the service model, and this change was also reflected in the architectural plans. (3) 1927: Completion of Restoration Work for the Whole Building There was a small increase in the percentage of pure sales space. This was the result of the consideration of other methods of profit maximization besides increased sales space, such as attracting customers through enhancing guest facilities and an increase in customer turnover rate through changes in line flow, floor organization, and clearance practices, which was accompanied by the discontinuation of footwear due to a decrease in demand following the Great Kanto Earthquake. The changes reflected the popularization and expansion of department stores and, ironically, suggested that the earthquake provided an opportunity to plan a full-scale shedding of the dry-goods model. (4) 1935: Completion of Restructuring and Expansion Work Pure sales area proportion was decreased for the restoration of stairwells and to enhance customer facilities. This proactive reevaluation of construction plans for stairwells, introduction of a large-scale event hall, and use of basement selling space had not been present in the previous phase. These actions were attempts to attract customers, which in turn reflected the popularization of department stores. (5) 1956: Completion of Restructuring and Expansion Work This period saw no significant alteration in the architectural plans for the floor area, but there were fine adjustments and enhancements such as the extension of the façade along Nihon-odori by filling out the block, refinement of characterization through orientation, adjustment of line flow, increase of sales space, and refinement of vertical organization considering customer access. The discontinuation of footwear after the earthquake, the minimization and subsequent restoration of the splendid staircases, and the expansion of utilized space were all direct and significant sources of the changes in architectural plans. However, one can infer from a comparison of floor plans and the distribution of floor space that each architectural plan or act of restructuring and expansion was also designed to actualize changes in sales methods that coincided with changes in floor organization and in the store's customer base. The raison d'être for the department store's architecture and the managers' greatest demand to designers was to improve sales. Because of this, each architectural plan was an optimized solution not just to realize the maximization of the profitable area but also to achieve an increase in customers through the consideration of changes in the customer base.