著者
田中 雄祐
出版者
政治哲学研究会
雑誌
政治哲学 (ISSN:24324337)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.56-80, 2016 (Released:2019-09-05)
参考文献数
30
著者
植田 康成
出版者
広島大学大学院文学研究科
雑誌
広島大学大学院文学研究科論集 (ISSN:13477013)
巻号頁・発行日
vol.68, pp.37-55, 2008-12

筆者は「オーストリア哲学のための研究所と資料センター」(オーストリア・グラーツ市)に保管されているカール・ビューラー遺稿整理を、日本学術振興会(2001年)、オーストリア研究学術省(2002年)、ドイツ連邦共和国フンボルト財団(2003年)の支援を得て、各年それぞれ2ヶ月間3年にわたって行った。その内容と部分的成果について述べたものである。遺稿整理の内容とその成果に基づいて、カール・ビューラーが、言語理論に関してアメリカ亡命(1938)以後、どのような思考を展開したかを彼の遺稿によって追認することが研究上の目的の一つであった。最終的には、現時点においても有意味と判断される内容の原稿をまとめて、遺稿集を出版することが目標である。言語理論に関して言うならば、まず『言語理論』(1934)における公理(C)の具体的な展開として言語芸術作品、言語の詩的機能について考察を展開している。次に、イメージ破壊を唱えるオルテガに対する批判を展開する中で、メタファーの認識的機能について、現在の認知意味論につながる考察を展開している。第3番目の主題として、当時めざましい展開を遂げていた一般意味論の潮流を見据え、ビューラーは『言語理論』(1934)を起点に、実用意味論の名のもと、医学、気象、法廷という3つの分野を取りあげ、意味論が日常生活においてどのように有用であるかを論じている。ビューラーは1950年代に生物学、とりわけ生物の体内時計、方向定位に関する論文を発表しているが、言語理論を中心とする言語一般に関するビューラーの学問的関心も決して衰えることはなかった、というのが、彼の遺稿を文献学的に整理して得た結論である。ビューラーの全業績に関する俯瞰と考察を含め、現時点においても有意味と判断される遺稿部分を含む報告の出版は、将来の課題として残されている。
著者
江口 聡
出版者
京都女子大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2003

本年度はコンピュータの集団的な利用による「責任の曖昧化」の問題を検討した。Therac-25に代表される高度な技術や、コンピュータ・ウィルス、ネットワークによる投票、P2Pファイル交換ソフトウェア等はどれも誰がどのような行為を行なったのかという点を不明確にし、それゆえ責任の所在がわかりにくくなる原因となる。このような問題を扱うには「責任」の本来的な意味が「賠償責任」であるのか、最近一部の論者によって提出されている「応答責任」なのかを明確にする必要がある。報告者の分析によれば、通常提出されている「応答責任論」は「責任を問う」ことと「責任がある」ことの違いを見失っている可能性がある。この点は上で述べたような集団責任の問題をとりあげれば明白になる。集団的な責任においては、(1)責任を問うべき個人が誰であるか明らかでなく、(2)個人を見た場合その落ち度はささいな場合が多く、(3)他人の行為について応答するということの意味が不明確である。報告者の主張では、われわれは責任の問題をあつかうにあたって、伝統的な目的論的な解釈をおこなうべきである。「責任」という概念の中心にあるのは「非難」であり、社会的に望ましくない結果を抑止あるいは予防し、加害者の教育や被害者の救済その他の目的のための手段としてプラグマチックに解釈するべきである。つまり責任という制度は、そのような制度を採用することの帰結によって正当化されるような擬制にすぎない。より詳細な研究成果は、平成18年度に各種学会および刊行物で公開する予定である。
著者
加藤 紫苑
出版者
京都大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2017-04-26

本研究の課題は、中期シェリングの主要著作『世界時代』の分析を通して、ヘーゲルによるシェリング芸術哲学の批判とそれに基づく《芸術終焉論》がシェリング自身によっていかに再批判されるのか、という問いに答えることにある。この問題意識のもとに平成30年度は以下の活動を行った。第一に、平成29年9月以来、ドイツ連邦共和国のボン大学国際哲学センターにおいてマルクス・ガブリエル教授のもとで研究を行っており、平成30年度の前半も引き続き同所において研究を行った。平成30年6月にはガブリエル教授の日本への招聘講演にも帯同した。来日中、報告者の日本での所属研究機関の主催により、ガブリエル教授の京都大学で講演会を開催した。その発表原稿を翻訳したものが「なぜ世界は存在しないのか――<意味の場の存在論>の<無世界観>」である。第二に、ヘーゲルのシェリング批判の内実とその妥当性を判定するための論文を執筆した。「〈導入〉としての『ブルーノ』―同一哲学の見過ごされた側面」と題するもので、ヘーゲルの『精神現象学』におけるシェリング批判がある意味で一面的であることを示そうとした。本研究の中心的課題である『世界時代』の再解釈は、具体的には、(1)『世界時代』の構想の解明、(2)『世界時代』の過程の解明、(3)『世界時代』の成果の解明という三つの段階を踏んで行われる。本年度の前半は『世界時代』の執筆の挫折の主要原因を十分に明らかにした上で、後半はこの挫折の経験がシェリングの後期哲学(特にその『神話の哲学』)にとってどのような意義を有しているのかについて考察した。そのためには、この挫折の経験をふまえて行われている『エアランゲン講義』の内容の分析が不可欠であった。主に『エアランゲン講義』の読解を中心とした研究成果はいずれ、国内外の学会において研究発表を行い、各機関誌に論文を投稿する予定である。
著者
高坂 史朗
雑誌
人文研究 (ISSN:04913329)
巻号頁・発行日
vol.55, no.8, pp.1-17, 2004-03

1 狩野直喜の『中国哲学史』には次のようなエピソードが紹介されている。「兪樾(蔭甫・曲園)は中国に於ける近時の大儒で, 経学・文章を以て名を海の内外に馳せ, 著述も多く, 我国の人で就いて教を請ひし人もあつた位であるが, 彼のまだ存命中, 我国に於て余の一友人が其の著述を読み, 哲学雑誌に「兪曲園の哲学」なる題目で其の学説を紹介したことがあつた。然るに其の後, 春在堂全書といふ彼の全集の舶載され来つたのを見ると, 其の中に, 日本の学者が己の学説を紹介したるを喜び作つた詩がある。其の一節に「挙世人人談哲学。傀我迂疏未研権。誰知我即哲学家。東人有言我始覚。」と。……
著者
榊 和良
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.58, no.3, pp.1139-1143, 2010

『アムリタクンダ』は,既に明らかにしたように,カーマルーパの女神をめぐるマントラを伴う祈願法と,『シヴァスヴァローダヤ』に代表されるナータ派文献にも含まれる呼吸を観察することによる占術を含むタントラ・ヨーガ文献である.13世紀末から14世紀中頃にアラビア語・ペルシア語に訳され,16世紀中頃にはインドのシャッターリー教団のスーフィーの手でイスラーム色を濃くした形でペルシア語で重訳され,中央アジアからトルコ,西アジアからマグリブ世界まで広く伝搬した理由は,寓意文学やその解釈学を発展させたイスラームの伝統を受け継いだ枠物語にある.それは,『トマス行伝』に含まれる「真珠の歌」やイフワーヌッサファー(純粋なる心をもった兄弟)と呼ばれる学者集団による『百科全書』に示された小宇宙観などの影響のもとに,中世イランの哲学者イブン・スィーナーの系譜を継いだスフラワルディーによる『愛の真実に関する論攷』に含まれる「愛」の語る物語を模している.異邦の地への旅を経ての故郷への帰還と「生命の水」による新たな生まれ変わりを核とした寓意的物語を枠として,大宇宙と小宇宙の相即性から説き起こし,「息の学」を媒介として,浄化法やチャクラへの瞑想法をとりこみつつ,本来の自己の認識による救済をめざすありかたが示される.人間の肉体をひとつの町として描き出す枠物語の示す象徴世界は『ゴーラク語録』にも共通性が見出されるが,『ゴーラクシャシャタカ』大本のペルシア語訳にも示されるように,ナータ派文献に示されるヨーガは,霊智による救済を獲得する手段としてスーフィー道と共通性をもつものと理解され,『アムリタクンダ』の翻訳者は,グノーシス的枠物語によって有資格者のためのイニシエーションとして視覚化して見せてくれたのである.
著者
植村 玄輝 吉川 孝 八重樫 徹 竹島 あゆみ 鈴木 崇志
出版者
岡山大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2020-04-01

本研究は、現象学の創始者エトムント・フッサール(Edmund Husserl)が1922年から1923年にかけて日本の雑誌『改造』に寄稿した5編の論文(うち2編は当時未刊)、通称「『改造』論文」について、フッサールの思想の発展・同時代の現象学的な社会哲学の系譜・より広範な社会哲学史の系譜という三つの文脈に位置づけ、現象学的な社会哲学の可能性についてひとつの見通しを与えることを目指すものである。
著者
岡本 紀明
出版者
流通経済大学
雑誌
流通経済大学論集 (ISSN:03850854)
巻号頁・発行日
vol.41, no.2, pp.133-148, 2006-10

会計上,企業や取引の形式よりも経済的実質を優先すべしとする実質優先主義が,財務会計における根本原則であることに異論はないだろう。だが,多くの局面で主張されるにもかかわらず,反映すべき実質とはいかなるものか,これまで体系的な理論的考察が加えられることがなかった。本稿は,哲学および社会学的な視点を導入し,会計において実質がいかに反映されるのか,新たな理論的枠組みを提示しようとするものである。具体的な本稿の構成は,以下の通りである。まず第1節で本稿の問題意識を提示する。第2節は,会計における実質に関する諸説を整理する。第3節では,Searle[1995]の制度的実体の理論の会計への適用を検討する。第4節では,それを展開させ,会計における実質は2つの規範に基づく集合的容認から構成される構図を提示する。第5節では,その構図を財務会計に解釈的に適用し,考察を加える。最後に第6節で,本稿の要約と今後の課題に言及する。
著者
尾鍋 史彦
出版者
紙パルプ技術協会
雑誌
紙パ技協誌 (ISSN:0022815X)
巻号頁・発行日
vol.75, no.4, pp.350-353, 2021

<p>古代ギリシアの時代から現代まで,「存在」という問題は対象が認識できるか否かに関わらず哲学の根本概念であり主題であり続けている。紙という日常的かつ即物的な対象を敢えて「存在」という視点から捉えると何が見えてくるのだろうか。直立二足歩行という動物として優位な特性をもつ人類は道具を生み出し,紙を発明し,機能別に分化させ現代に至っているが,この過程を「存在と生成」という思考の枠組みから捉えてみた。</p><p>現代哲学は多様だが,戦後フランスの実存主義,構造主義,ポスト構造主義という変遷の文脈の中で紙という存在を解釈してみたが,サルトルのアンガジュマン(engagement)は実存である人間が対象である紙に働きかけることにより紙を進化させ,また存在理由をraison d'être(レゾンデートル)と表現している。ポスト構造主義のレジス・ドブレによるメディオロジーでは思考の対象に紙を取り上げ,「紙の力」(Pouvoirs du Papier)として,記号としての文字を支える紙の支持体としての役割を強調し,伝達における歴史性・文化性の維持の重要性を強調し,暗にデジタルを批判しているとも解釈できる。</p><p>デジタルが優勢な世界でも記憶を基盤とする知的形成,初等教育,文化の形成には親和性と感情価の高い紙というメディアは今後も不可欠である。紙と印刷の世界へのコンピュータの登場は近代への決別というポストモダン的な捉え方があるが,21世紀になり現代哲学の地殻変動の中から新たな思考の枠組みで「モノの知」を探ろうという動きがあり,新たな紙の捉え方が生まれる可能性がある。</p>
著者
柴田 博
出版者
公益財団法人 医療科学研究所
雑誌
医療と社会 (ISSN:09169202)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.9-20, 2015
被引用文献数
1

Thanatology(死生学)はgerontology(老年学)と共に1903年,免疫学者メチニコフにより創出された用語である。この2つの学問は,科学(自然,社会)および人文学(哲学,宗教,文学など)の双方の分野からなる学際的な学問である。<br>人間の死の問題は生活の質(quality of life, QOL)の問題と統合的に把えなければならない。しかし,学問の進捗としては老年学の方が先行し,死生学は遅れたためそれは不十分にしか成されていない。1980年代まで死の問題を扱うことは宗教,哲学,生命倫理学以外の分野ではタブー視される傾向にあったのである。<br>この四半世紀,老年学のQOLにanalogousにQOD(D)(quality of dying and/or death)の実証的な研究が北米を中心に盛んになっている。これらの研究は従属変数としてのQOD(D)を操作概念化し,提供されるケアとの関連で,終末期のQOLを評価しようとするものである。死の質を測定するための尺度の開発により,実証研究は今後も大きく進むものと考えられる。<br>しかし,死の学問は終末期のきわめて短いスパンの問題に限局されてはならない。もっと長い人生のスパンにおけるQOLとの関連でも論じられなければならない。それは量的研究ではなく文学,病跡学にみられるようなnarrativeな方法を採ることになるであろう。本論文では,死生学にまつわるいくつかのトピックスについての,筆者の私見を述べた。死生学における位相的意義は明確にし得ないが。
著者
孕石 泰孝
出版者
関西大学
雑誌
奨励研究
巻号頁・発行日
2019

本研究では, 「科学とは何か」「科学を学ぶ意味は何か」という科学との関わり, 科学との向き合い方を科学哲学を通して児童に注目させようとした。成果物として, 科学哲学の内容を扱う小学生向けのテキストの具体的な教材, 電子ブック『科学哲学入門』を作成した。本教材は, 抽象的な内容を扱ってはいるが, 小学生でも読みやすいよう, 対話形式で話を進めるように工夫されている。本ブックは, ブラッシュアップをかけ, 「Apple Books」より無償配信されている。