著者
藤城 卓己 西尾典洋 木村 英寛 高橋 由美子 坂根 裕 杉山 岳弘 竹林 洋一
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
情報処理学会研究報告情報システムと社会環境(IS) (ISSN:09196072)
巻号頁・発行日
vol.2004, no.116, pp.63-69, 2004-11-17

身近に開催されるコンサートの活性化を狙い,市の開催するコンサートの中で遠隔地からコンサートへの出演を実現する.大規模な専用の機材ではなく,普及しているビデオカメラやネットワーク,コンピュータを利用し,既存のストリーミング技術を用いて双方向に動画配信を行うことで,問題点となる遅延や臨場感を会場の運営や演出を工夫することで解決した.これによりコンサート会場という,今までそこにいる出演者と観客で構成された閉ざされた空間を開き,ユビキタス社会におけるコンサートの可能性を示す.We realized the bi-directional video streaming with ordinary video cameras, network devices and computers instead of high-end equipments for professionals. Many kinds of our idea such as a hall layout or concert management realized that against quality loss or network delay irremissible in video streaming. The bi-directional streaming extended the ordinary concert environment available only for players and audiences on site, and indicated a potentiality of a new concert style in the ubiqitous society.

1 0 0 0 OA 3.黒島の植物

著者
迫 静男 丸野 勝敏
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学農学部演習林報告 (ISSN:03899454)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.33-61, 1983-03-25
被引用文献数
1
著者
遠藤 克子 田中 治和 塩村 公子 宮崎 法子 渡部 剛士
出版者
東北福祉大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1995

本研究の目的は、社会福祉士に必要とされるソーシャルワークの援助技術を効果的に教育する方法を開発することにある。我々が学部学生を教育してきた経験によれば、社会福祉援助技術現場実習は、学生の中で現場で体験するものと大学で学ぶものとがうまくつながることができれば、より効果をあげるものである。この「つながり」を促進するためには、学生・現場指導者・大学教員が、学生の現場での体験を表現し伝えあう為の、共通して使用できる道具が必要となる。したがって、本研究の最終的な狙いは、この「つながり」と「コミュニケーション」の為の道具を作り上げることになる。研究対象としては、特別養護老人ホームにおける実習を選択した。学生の実習記録に基づき、彼らが実習中に何をするかのカテゴリー化をまず行い、次に各カテゴリーにどのくらいの時間が使われたかを調べた。この研究の結果、学生の実習体験を述べるには少なくとも3次元の表現が必要であることがわかった。故に我々はモジュールという単位に着目し、これをもって学生の体験を整理することに決定した。実習現場の指導者の意見もこのモジュールの内容に反映するべく聴取された。モジュールの内容は以下のとおりである。(1)実習行動(介護、他機関との連絡・調整、行事・活動、オリエンテーション、相談援助、その他)x(2)学習対象(個人、家族、施設及びそのサービス、地域、制度、自己覚知、一般化、その他)x(3)学習の焦点(コミュニケーション、問題理解、援助計画、援助の実施、評価、記録)5事例を選びこの枠組みの妥当性を検証した。今後の研究の方向性としては、(1)モジュールの1単位ずつの内容をさらに検討すること、(2)モジュールという枠組みを実際に使用し、学生・現場指導者・大学教員からフィードバックを得てその適用性と効果を検証することである。
著者
[Josef Gabriel Rheinberger]
出版者
Carus-Verlag
巻号頁・発行日
1999
著者
菊池 文誠 名古屋 光男
出版者
日本物理教育学会
雑誌
物理教育
巻号頁・発行日
vol.36, no.3, pp.240-243, 1988

放射線に関係した実験で従来から半減期の短い核種を授業で用いることはほとんど不可能であった.今回^<42>Ar-^<42>Kジェネレータから抽出した半減期12.5時間の^<42>Kを用いていくつかの実験を試みた.その結果,教育現場で充分利用出来ることがわかったのでジェネレータの概要と実験の具体例および教材としての有用性について紹介する,
著者
野入 直美 Noiri Naomi
出版者
琉球大学法文学部
雑誌
人間科学 (ISSN:13434896)
巻号頁・発行日
no.5, pp.141-170, 2000-03

本稿は石垣島の台湾人の生活史の事例から、石垣島における台湾人と沖縄人の民族関係の変容過程をとらえようとする試論の前編である。ここでは、戦前から復帰前までの台湾から石垣島への人の移動と、石垣島における台湾人社会の生成と変容の過程をとりあげる。台湾から石垣島への人の移動は、戦前と戦後を通じて、台湾人実業家が石垣島にもちこんだパイン産業によって形成されてきた。戦前期については、パイン産業の萌芽と台湾人移住の始まり、国家総動員体制下での沖縄人による台湾人排斥を中心に記述を行う。そして戦後期については、パイン産業が石垣島の基幹産業となるなかで台湾人が集住部落を形成し、沖縄人との民族関係が変化していく過程と、復帰前の移行期における台湾人の職業の多様化について記述する。本稿の続編では、復帰後の台湾人社会について、大量の帰化、世代の移行と家族生活の変容、職業の多様化を中心にとりあげ、それらの変化にもかかわらず相互扶助のネットワークが維持されてきた過程について検討する。
著者
野入 直美 Noiri Naomi
出版者
琉球大学法文学部
雑誌
人間科学 (ISSN:13434896)
巻号頁・発行日
no.8, pp.103-125, 2001-09

本稿では、沖縄の本土復帰以降の石垣島における台湾人社会の変容について検討を試みる。沖縄が本土復帰した1972年に、日本は中華人民共和国と国交を回復し、中華民国との国交は途絶えた。この政情不安を背景として、石垣島では台湾人による家族ぐるみの帰化が大量に行われた。ここでは、まず戦後の台湾人の法的地位について整理し、石垣島に生きるひとりひとりの台湾人にとっての帰化の意味と、帰化をめぐる意識について、聞き取りの事例に基づいて考えたい。さらに本土復帰後の台湾人社会は、集住地域の解体に直面する。前稿で述べたように、石垣島の台湾人社会は、戦前からのパイン産業を柱として形成されてきた。戦後、パイン産業は石垣島の基幹産業となった。労働力の需要があったために、疎開でいったん台湾へ戻っていた台湾人は石垣島に再移住し、新たに就業機会を求めてやってくる台湾人もいた。しかし復帰後、パイン産業は急速に斜陽化し、パイン缶詰工場で働く下層労働者の多くは石垣島を去った。定住を選んだ人びとも、かつて「台湾人村」と呼ばれたX部落、パインの生産と加工によって栄えた台湾人集住地域を離れ、石垣市の市街地に移動した。この稿では、集住地域の解体と職業生活の多様化にもかかわらず、相互扶助と文化継承のネットワークが維持されていく過程を明らかにしたい。

〔慶長年間(1956〜1614)〕刊 古活字版 無刊記 大きさ各24.1×18.2cm 無辺無界 半葉7行13字内外 字高18〜19cm 漢字仮名交じり 薄紅色松林波模様雲母摺表紙、白色雲母摺模様本文料紙 原装 綴葉装。
著者
篠田 謙一 加藤 克知 北川 賀一 真鍋 義孝 中橋 孝博
出版者
独立行政法人国立科学博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2001

インカによる統一以前のアンデスには、多数の地域国家が存在した。これらは生業形態や地理的環境から大きく海岸地帯と山岳地域または南部と北部に分類することができる。今回の研究では、かつてこれらの地域に存在した集団の遺伝的な関係と、集団内部の血縁関係を考察する目的で、骨と歯の形態学的な研究と人骨から抽出したDNAを解析した。4年間の研究で、ペルー北海岸では紀元前後から11世紀までの遺跡、アンデスの山岳地域ではインカ時代の遺跡、そして南部の海岸地域では紀元前後から7世紀にかけての遺跡を調査して、合計で2百体以上の人骨の研究を行うことができた。得られたサンプルに対し、形態学的な研究からは、各集団の歯の形態学的な特徴の抽出、頭蓋骨の形態学的な研究、そして頭蓋変形と開頭術の時代的な変遷についての解析を行った。また、DNA分析では、抽出したDNAを用いてPCR法でミトコンドリアDNAのD-loop領域とcoding領域の一部を増幅した。この塩基配列データ解析することによって、遺跡内部での血縁関係の追求と、周辺遺跡との系統的な関係についての考察を行った。北海岸のシカンの遺跡では、埋葬された人物間の血縁関係をDNA分析によって推定し、歯の形態学的な研究結果や考古学的な証拠と併せて考察を行った。また、モチェとガイナッソの遺跡を研究し、双方の関係について考察した。それらの知見と考古学的な証拠とを総合的に判断した結果、基本的には北海岸と南の海岸及び山岳地域とは、集団の構成に違いがあることが明らかとなった。また、アンデスのウルバンバ川周辺の遺跡のDNA解析からは、現代の先住民につながる人々がこの時代から居住していたことが明らかにした。
著者
宮本 淳子
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.89-127, 2011-09

This paper attempts to enumerate research performed to investigate the use and distribution of kana in Zenchiku's writing.Zenchiku was Zeami's son-in-law and is well-known as a writer of Noh plays and Noh theory. This investigation focuses on where Zenchiku placed kana in his words (e.g. at the beginning of a word sets). In order to make it clear where he placed the kana and which kana he chose, the researcher counted the number of alternative kana, and considered why they were used in the initial or terminal position. The results showed:(1) Zenchiku used more kinds of kana than Zeami.(2) Most of Zenchiku's kanas were in two kana combinations that represented one syllable (50.0%).(3) Certain kanas tended to be used in the initial position, while others were rarely used. It is possible that they were selected depending on their position in the word.(4) Some kanas tend to used in the second initial position in compound words. It can be said that Zenchiku's writing style helps us understand what Zenchiku thought about the unity of words.金春禅竹(1405~1471)は世阿弥(?1363~?1443)の女婿であり、能作者としても活躍、数々の著作を残したことでも知られている。本稿では、禅竹が平仮名をどのように使用していたのか、その使用実態を探る。今回扱う、禅竹自筆『五音三曲集』は近年になって発見されたもので、先行する用字法研究では扱われてこなかったものである。本稿では、同じ一音に対し複数の字母がどのように併用されているか、一音二字母の場合に焦点をあて語の位置別(語頭・非語頭・付属語)に分類、その特徴をまとめた。分析の結果、禅竹筆『五音三曲集』では世阿弥自筆本よりも多くの種類の字母が使用されており、語頭・非語頭で偏りが見られることが明らかとなった。最後に語頭専用と思われる字母「志」を例に複合語・二字漢語の語中で使用されている点に注目した。語頭・非語頭での使用分析により、禅竹自身が一語と捉えていた範囲を明らかにする一つの手がかりとなると思われる点についても論及した。
著者
宮本 淳子
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.89-127, 2011-09

金春禅竹(1405~1471)は世阿弥(?1363~?1443)の女婿であり、能作者としても活躍、数々の著作を残したことでも知られている。本稿では、禅竹が平仮名をどのように使用していたのか、その使用実態を探る。今回扱う、禅竹自筆『五音三曲集』は近年になって発見されたもので、先行する用字法研究では扱われてこなかったものである。本稿では、同じ一音に対し複数の字母がどのように併用されているか、一音二字母の場合に焦点をあて語の位置別(語頭・非語頭・付属語)に分類、その特徴をまとめた。分析の結果、禅竹筆『五音三曲集』では世阿弥自筆本よりも多くの種類の字母が使用されており、語頭・非語頭で偏りが見られることが明らかとなった。最後に語頭専用と思われる字母「志」を例に複合語・二字漢語の語中で使用されている点に注目した。語頭・非語頭での使用分析により、禅竹自身が一語と捉えていた範囲を明らかにする一つの手がかりとなると思われる点についても論及した。