著者
高田 和文
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
no.30, pp.167-185, 1981-03-31

L'originalita artistica e la forza espressiva dei Sei personaggi in cerca d'autore si devono unicamente al fatto che Pirandello ha intuito l'analogia fra la sua problematica esistenziale e il meccanismo del teatro, che si imperniano entrambi sulla dialettica realta-finzione, e l'ha concretizzata in una metafora eccezionalmente significativa : 'personaggio in cerca d'autore'. In questo 'teatro nel teatro', ossia 'metateatro', Pirandello fa un doppio uso linguistico della tensione dialettica teatrale, la cui essenza risiede, come e stato ben detto, 'in una pellicola sottile fra il reale e il falso'. Egli, cioe, con tale dialettica esprime la sua visione del mondo, e nello stesso tempo mette in discussione le convenzioni del teatro tradizionale. In altre parole : l'autore qui si occupa tanto del signifiant quanto del signifie del linguaggio teatrale. Cio premesso, il presente saggio si propone di evidenziare il doppio valore dei personaggi pirandelliani, enucleando un aspetto peculiare della loro azione teatrale. Data la doppia struttura della commedia stessa, potremmo ipotizzare due livelli ben distinti dell'azione dei personaggi. Essi, da una parte vivono di prima persona la loro tragedia, scatenando i loro sentimenti in termini prevalentemente emotivi, dall'altra, sono costretti, di fronte al Capocomico ed agli Attori, a 'narrare' gli avvenimenti del loro passato ed a 'spiegare' la loro ragion d'essere, sicche tendono ad analizzare i loro sentimenti e argomentare sul perche della loro sofferenza. E ovvio che si tratta di un procedimento analogo a quello dello sdoppiamento della coscienza esposto nel saggio 'L'umorismo' ; una funzione particolare della riflessione, per cui essa 'analizza il sentimento, spassionandosene' ; l'atteggiamento di vivere e 'sentirsi vivere', che e 'il tristo privilegio' dell'essere umano. E, addirittura, la disgregazione della coscienza razionalistica, che costituisce il motivo ideologico-esistenziale della produzione letteraria di Pirandello, e che permea tutti i personaggi pirandelliani precedenti : da Mattia Pascal a Leone Gala de Il giuoco delle parti. Il fenomeno che caratterizza l'azione teatrale dei personaggi, tuttavia, puo essere interpretato anche in chiave tecnico-formale ; piu precisamente dal punto di vista della teoria dell'attore. Siamo, infatti, di fronte a un modo di recitare molto simile a quello teorizzato da Brecht, che si contrappone al sistema di rappresentazione naturalistico basato sull'immedesimazione illusionistica, e che afferma : l'attore deve mantenere la 'distanza fra se e il personaggio', assumendo 'un atteggiamento critico', e quindi 'guarda se stesso' nell'atto della recitazione. Potremmo concludere che la formula del 'teatro epico', che diede una svolta decisiva al teatro contemporaneo, era gia presente, anche se in una maniera implicita, nel capolavoro pirandelliano.
著者
加藤 明
出版者
研究・イノベーション学会
雑誌
研究技術計画 (ISSN:09147020)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.187-191, 2010-03-01
参考文献数
7

日伊眼鏡産地に大きな影響を与えた3つのイノベーションである,福井・鯖江産地の「チタン製眼鏡枠」,イタリア・ベッルーノ産地における世界的な規模での「流通支配」,及び眼鏡の「ファッション・アイテム化」について論じ,それが産地の盛衰にどのような影響を与えたのかを分析する。特に,眼鏡製品のファッション・アイテム化については,これをファッション化イノベーションと呼ぶことにし,日伊眼鏡産地,産業に対してどのような意義を持つものだったのかを分析する。現在,日本企業はプロセス・イノベーションからプロダクト・イノベーションへの移行を迫られているが,目に見える,ハードな品質,機能を追求するだけのイノベーションでは限界がある。そういう意味においてイタリア・ベッルーノ産地,企業によるファッション化イノベーションは,競争優位を得ることについてのクラシカルで,シンプルなベスト・プラクティス事例であるといえる。
著者
秦 郁彦
出版者
日本大学
雑誌
政経研究 (ISSN:02874903)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.107-153, 2013-06-25
著者
鈴木 真吾
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.3, pp.151-174, 2010-03

本論は『家畜人ヤプー』の作者であり、その全貌がいまなお明かされていない覆面作家沼正三と、1970年頃から沼の代理人として活動し、1983年に自身が沼だと名乗り出て以降も、沼との距離を注意深く保ってきた作家、天野哲夫に関するものである。2008年11月30日に死去した天野が沼の本体だという意見が主流を成す一方、天野が沼の本体ではないという意見は今日においてもなお支配的である。しかし、本論は沼の真の正体を考察するものではない。元来、仮想の人格を持った架空の人物として設定されていた「沼正三」が、何故、現実に存在する一個人であるという前提で語られてきたのかという点を問題にしつつ、『家畜人ヤプー』の作者の正体をめぐる騒動であった1980年代初頭の「『家畜人ヤプー』事件」を中心に、沼という覆面作家を巡る議論がどのように展開されたかを論じると共に、体系的に語られることのなかった天野について、沼としての天野ではなく、沼と対位法を成す存在としての天野を論じていく。
著者
宮地 良樹 Mizzi Fabienne 三田 哲也 白 立岩 生駒 晃彦
出版者
日本皮膚科学会大阪地方会・日本皮膚科学会京滋地方会
雑誌
皮膚の科学 (ISSN:13471813)
巻号頁・発行日
vol.15, no.4, pp.294-307, 2016

目的:本治験は,アダパレン0.1%/過酸化ベンゾイル2.5%配合ゲルを日本人尋常性ざ瘡患者に12ヶ月間の長期投与をした場合における安全性と有効性を検討することを目的として施行された。<BR>方法:多施設共同,非盲検,非比較,長期投与第III相臨床試験で,治験薬は12ヶ月間,1日1回,計436例の被験者の顔面全体に塗布された。安全性は有害事象や局所刺激性評価などの指標を用いて評価した。有効性は皮疹数の12ヶ月目の減少率によって評価した。<BR>結果:計47件の治験薬と関連のある有害事象が43例(9.9%)の被験者において報告され,このうち9例が治験を中止した。治験薬と関連のある有害事象の発生頻度は第1期(投与開始後90日以内)が最も高かった。治験薬と関連のある有害事象の大半は皮膚関連で,そのうち皮膚刺激が最も多かった。皮膚刺激の発生頻度は第一期で5.5%であった。局所刺激の徴候・症状の程度は,ほとんどが軽症か中等症で,重症であった被験者は極少数であった。有効性に関しては,12ヶ月目のベースラインと比べた皮疹数の減少率は,総皮疹数,炎症性皮疹数,非炎症性皮疹数のいずれにおいても85%を超えていた。<BR>結論:本試験により,日本人尋常性ざ瘡患者におけるアダパレン0.1%と過酸化ベンゾイル2.5%配合ゲルの長期投与の高い有効性と安全性が示された。(皮膚の科学,15: 294-307, 2016)
著者
川島 眞 原田 昭太郎 Philippe Andres 宮地 良樹
出版者
日本皮膚科学会大阪地方会・日本皮膚科学会京滋地方会
雑誌
皮膚の科学
巻号頁・発行日
vol.6, no.5, pp.504-512, 2007

尋常性ざ瘡は慢性疾患であるため,短期的な治療効果を維持するとともに,患者の期待に応える効果を得るためには長期間の治療を要する場合が多い。本試験は,日本人の尋常性ざ瘡患者に対し,アダパレンゲル0.1%を1日1回,最長12ヵ月間投与した場合の安全性及び有効性の評価を目的として実施した。446例の男女の被験者が組み入れられ,404例(91%)が6ヵ月間以上の投与を受け,357例(80%)が12ヵ月間の試験期間を完了した。尋常性ざ瘡患者に対する,最長12ヵ月間のアダパレン治療は高い安全性及び忍容性を示した。有害事象のほとんどが試験開始後2週間以内に生じた軽度又は中等度の一過性のものであった。9例(2.0%),13件の重篤な有害事象が発現したものの,いずれも被験薬との因果関係はなしと評価された。8例(1.8%)に試験中止につながる有害事象が発現し,被験薬との因果関係ありと評価された。総皮疹数,炎症性皮疹数及び非炎症性皮疹数の減少率(中央値)により評価されたアダパレンゲル0.1%の治療効果は,いずれの皮疹数についても試験開始3ヵ月後以降も認められ,その後6ヵ月後,さらに12ヵ月後まで継続した。このことから,アダパレンによる尋常性ざ瘡の治療期間として推奨される3ヵ月間の治療後にも継続投与することの臨床的意義が示唆された。また,被験者は試験終了時に実施した調査において,治療に対する高い満足度を示した。この満足度は,12ヵ月の試験中,経時的に増加した。以上より,日本人の尋常性ざ瘡患者にアダパレンを12ヵ月にわたり長期に使用することは,安全かつ有効な治療であることが支持された。
著者
林 伸和
出版者
日本皮膚科学会大阪地方会・日本皮膚科学会京滋地方会
雑誌
皮膚の科学
巻号頁・発行日
vol.8, no.6, pp.793-799, 2009

2008年秋に待望の外用レチノイドであるアダパレンが上市された。アダパレンでは副作用として外用部位における紅斑や鱗屑,乾燥などがみられるが,症状は軽く継続に問題がない症例が多い。第III相の基剤との比較試験では全顔に1日平均0.58g,1年間の長期安全性試験では1日平均0.46gを使用していた。このことから1日の使用量として0.5gを指導し,その後症状と副作用に応じて症例により増減し,個々の患者に最適な使用量を決定するのが適切と考えられる。また,面皰に対する治療の効果を自覚するのは2から3ヵ月を要し,その後の長期継続でさらなる改善を得ることができる。継続使用の重要性を開始時に説明しておくことも重要である。
著者
中野有紀子 塚原 渉 中川 正樹 黒須 正明
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
情報処理 (ISSN:04478053)
巻号頁・発行日
vol.48, no.11, pp.1242-1250, 2007-11-15
被引用文献数
1

利用者の視点に立ったより使いやすい製品を開発するには,ヒューマン・コンピュータ・インタラクション(HCI)の専門家からの視点が重要だといわれている.このような状況の中,企画段階から開発プロジェクトに参加し,さまざまな専門分野の人たちと協調してプロジェクトを推進できるHCI専門家の養成が求められている.本稿では,日本におけるHCI教育のさらなる改善に役立つ情報を提供することを目的とし,2006年にアメリカの4大学とヨーロッパの2大学のHCI教育を視察した内容をまとめ,各大学のカリキュラムの特徴,実践的教育を中心に解説する.
著者
森 篤志 馬場 直義 池田 由美 三田 久載
出版者
公益社団法人日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学 (ISSN:02893770)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, 2008-04-20

【はじめに】運動麻痺は軽度であったにも関わらず、ゲルストマン症候群(左右識別障害・手指失認・失書・失算)・失行症(模倣困難)に加え、上下肢の表在・深部覚に重度の感覚障害を有した症例に対し認知運動療法を試みた。その結果、症例の主観的な報告から左右の障害がある患者の空間認識における知見を得たのでここに報告する。<BR>【症例紹介】67歳、男性。2007年5月9日、言葉の出難さ、右半身の脱力にて発症。画像所見は、MRI上で左前頭頭頂円蓋部、中心後回に沿った皮質に多発性の急性梗塞、左レンズ核、尾状核頭部に陳旧性梗塞を認めた。来院時意識レベルJCSI-3、指示には応じるが発語は少なく運動性失語の状態であり、またゲルストマン症候群・失行症が見られた。麻痺はBrsにて右上下肢・手指VIレベルで、歩行は可能だが軽度分廻し様の歩容を呈した。感覚障害は、右下肢に軽~中等度鈍麻、右上肢・手指に中~重度鈍麻が存在していた。しかし身体状況について尋ねると「手も足も特に問題ないです」と答えた。<BR>【病態と解釈】自己の右側と左側の認識が可能かどうかについて確認するために、セラピストが触った部位が自分の右手か左手かを答える課題を実施した結果、自己の左右方向の認識困難であった。そこで、なぜ困難かについて症例に問うと「自分の右手と言っても、その手を右方向に動かせば右だし、左方向に動かせば左だから、どちらが自分の右でどちらが自分の左だかが分からなくなってしまう」と報告した。次に、盤上に書かれた横棒線を見て、セラピストに言語指示された方向(右・左)へ指でなぞるといった、視覚情報を基にした方向の認識課題を実施した結果、指示通りに横棒上を左・右方向へ正しくなぞることができなかった。なぜ困難かについて症例に問うと「線を辿るとき、一辺の端から始めるのか、一辺の中心から始めるのかが分からなくなってしまうため、どちらの方向に進んで良いか分からなくなってしまう」と報告した。<BR>【考察】訓練課題で観察されたエラーと症例自身の報告から、症例は発症により身体図式の変性が起こったことで、自己の身体空間の認識が障害されたのではないかと考えた。そして身体空間の認識障害によって、自己中心座標と物体中心座標の混同が起こり、空間での方向認識(視覚情報を基にした方向の認識困難、体性感覚を介した運動方向認識困難)にエラーが生じていたのではないかと考えた。この考えの基、自己の空間及び自己と外界との空間の統合(マッチング)を要求する課題を中心としたアプローチを実施した結果、視覚及び体性感覚を介した方向認識にある程度の改善を認め、結果として歩容の改善も見られた。このことより空間を認識する課題が、変性した身体図式の再構築をもたらし、身体空間の認識能力を改善させたのではないかと考えられた。<BR>
著者
増田 重光
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
no.4, pp.16-28, 1955-12-30

Secondo il Sig. Jacob Burckhardt, il personalita del M.Savonarola sarebbe un "moderno", ma l'autore non e dello stesso avviso e non capisce questa decisione. L'autore prende in considerazione diverse opere del M.Savonarola, Practica maior, De laudibus Johannis Baptistae, De felci progressi illustrissimi Borsii Estensis, De vera republica et digna saeculari militia, De nuptiis Battifecho et Serrabocca, Della penitenza, Confessionale, Ad mulieres Ferrarienses de regimine praegnantium et noviter natorum usque ad septennium Michaelis Savonarollae Patavfii liber, e'Libellus de magnificis ornamentis regiae civitatis Paduae. Ed alla fine conclude che la personalita di M.Savonarola non puo esser detta "moderna".
著者
サバットリィ ラウラ
出版者
イタリア学会
雑誌
イタリア学会誌 (ISSN:03872947)
巻号頁・発行日
no.57, pp.96-123, 2007-10-20

イタリア、1930年4月から5月にかけてローマのパラッツォ・デッレ・エスポジツィオーニ・ディ・ベッレ・アルティの展示場にて大規模な日本美術展覧会が開催された。企画は大倉喜七郎男爵(1882-1963)によるもので、融資的な後援は男爵自身が全面負担した。ムッソリーニ政権の組織的な支援によって実現されたこの展覧会は、西洋において初の大規模な日本美術展であり、日本では後に「ローマ展」という名で知られるようになった。展示作品は日本美術院及び帝国芸術院所属の画家たちによる絵画で、その多くは近代日本画の傑作として知られるようになった。展覧会の具体的な準備は、日本画壇の代表者として日本芸術使節の役を担った横山大観(1868-1958)が担当した。大倉男爵・大観両方の希望でパラッツォ・デッレ・エスポジツィオーニの展示場は日本人の職人達の手によって改装され、展示空間は本格的な日本様式へと変更された。このローマ展は当時の日本・イタリア両側のマスコミに大きく取り上げられ、評論界においても来客数においても大成功を収めた。イタリアのインテリ界に日本美学の解釈法及び日本画の本質を理解してもらうために、当時の在日イタリア大使、ポンペーオ・アロイージ男爵(1875-1949)は1929年にArs Nipponica(『アルス・ニッポニカ』、日本の美術)という本を500冊限定部数で発表した。この本は、日本美術の様々な表現を紹介したもので、当時の日本美術界の主な研究者及び芸術家による日本美術の特徴を解説したエッセイがイタリア語で掲載されていた。日本の代表的な建築物と芸術作品のきれいな写真及び日本人専門家のエッセイを集めたこの本こそは、イタリア側の評論家に不可欠な参考書になった。エッセイの中でも「日本絵画の本質に関する考察」と題する、画家・川合玉堂(1873-1957)によって執筆されたものは特に参考になったように思われる。そこには、日本美学の基本的な要素として《余韻》、《余白》などのような概念が述べられており、イタリア人記者・批評家の批評はそのコンセプトをしばしば借用した。本論文はその批評の中でより興味深いものを中心に議論することとした。イタリア側の多くの批評は〈繊細さ〉、〈優美さ〉、〈理想主義〉、〈鮮やかなポリコロミー〉及び〈様式性・本質性〉という日本絵画の独特な性質を特に評価した。その批評を書いた人物の中に作家及び語学者、ピエトロ・シルヴィオ・リヴェッタ氏(1886-1952)及び建築美術史家・評論家、ロベルト・パピーニ氏(1883-1957)がいた。前者は普及者として重要な役目をもち、後者は日本絵画に対する独自の評価が美術評論上興味深い意義を持った。リヴェッタはもともと美術評論家ではなかったこともあり、当時の定期刊行物に掲載された日本絵画に関する彼の批評は『アルス・ニッポニカ』からの借用が特に目立ち、美術評論上オリジナリティーがあまりないように思われる。しかし、1930年に出版された彼の本、La pittura moderna giapponese(『日本の近代絵画』)は、一般のイタリア人に日本文化に対する知識を普及させた。この普及者としての役割は重要である。この日本美術展に関するコメントを執筆した評論家の中で日本画の"gusto primitivo"、即ち"ルネサンス前派の芸術家たちらしい美的センス"を指摘し、意義深い批評を書き残したものもいた。ロベルト・パピーニはその批評家の一人である。彼は日本画には《無邪気さ》、《謙虚さ》、《盛大さ》及び《壮大さ》という独特な要素が見られると指摘し、日本の伝統的な絵画は"プリミティーヴィ(Primitivi)"と呼ばれる(特に13世紀と14世紀の)イタリアの中世後期・ルネサンス前派の画家たちの絵画に似たような特徴をもつと強調し、日本絵画を評価した。パピーニのような批評は実はローマ展以前にもすでに行われていた。1911年にローマで開催された博覧会にて日本絵画が展示され、日本画はルネサンス前派、"プリミティーヴィ"を連想させると、文学評論家エミリオ・チェッキ(1884-1966)がすでに指摘していた。ルネサンス前派と日本画・中国画との両絵画に形式上・技法上の類似点が実際存在し、自然と対峙されがちなところがあるが、イタリアのファシスト政権時代における芸術界の事情を考えると、パピーニの批評は新たな意義をもつようになると思われる。20世紀初頭、ヨーロッパ中に様々なアバンギャルドの芸術が風靡した後、20年代から30年代にかけてイタリアにおいても、そして欧州全体の芸術界においても、伝統の形像的な表現法への回復傾向が表れた。当時のイタリアにおける文化・芸術討論はジョット、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、マサッチョのようなルネサンス前派及びルネサンス前期の芸術家たちの遺産が高く評価され、その伝統様式への復興の呼びかけが強まると同時に、ファシスト政権は芸術界において新古典主義を強調していったのである。実際、日本画に対するパピーニの評価、即ち近代日本画の中で見られる、東洋の古典より着想を得た《本質的で堂々とした雄大さ》という彼の批評には当時のイタリアの美術史・美術評論界の思想・傾向及びファシスト政権の独自の理想が反映されていたと考えられる。その理想は国家の土着の伝統に見られる、その古典の"聖なる"、単純で高貴な性質であり、その復興への呼びかけ及び称賛が独特で、ファシスト政権の国粋主義の一面と重なった。ローマ展は様々な局面において重要なイベントであった。それまで非常に限られた小数の評論家の中に留まっていた日本美術への関心はこのローマ展で広まり、日本絵画の美学はようやくイタリアのインテリ界にて幅広く取り上げられるようになり、体系的に分析されることになった。ただ、日本美術がイタリアのマスコミによって大きく取り上げられたのは、このローマ展へのファシスト政権の組織的な関わり及び支持があったからだと思われる。この際に作成された参考書『アルス・ニッポニカ』の重要性も大きいと言っても過言ではない。そこに掲載された日本人専門家によるエッセイはイタリア側の批評に非常に参考になったものであり、この点に関しても、日本美術史上その歴史的な意義は極めて重要だと考えられる。また、イタリア側の批評に関して、日本美学の特徴が当時のイタリアの美術史・美術評論の傾向に従って評価され、その評価にファシスト政権の理想も反映されていたという点は特に意義深いことである。