著者
坂東 昌子 和田 隆宏 真鍋 勇一郎 角山 雄一 中尾 麻伊香 尾上 洋介
出版者
大阪大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2016-04-01

社会調査G:アンケート項目を作成し、491人の放射線の研究者(10の学会、6のML)にアンケートを実施し、結果の分析を行った。その結果、交流人数が多い人は放射能汚染のリスクを低く評価していることが認められた。交絡因子によるものかどうかを精査することによって、これらの関係がより明確になるが、これはH30年度実施予定の項目を改善し、大規模で実施するアンケートで確かめていきたい。また、異分野交流の人数が多い人は放射線に関する知識量も多い傾向がみられた。参与観察G:環境科学研究所、ノースウエスタン大学に赴き、研究所(室)の概要についてのインタビューを実施した。また分野を横断する試みを行っている研究会(iCEM リトリート研究会等)に参加し、分野横断の試みについて調査した。歴史研究G:分野横断研究を行った研究者(和田昭允・永宮正治・安斎育郎))のインタビュー調査を行い、文章化し、推敲を行い、発表できる目処が立った。
著者
沖 祐美子 小池 春樹 祖父江 元
出版者
一般社団法人 日本内科学会
雑誌
日本内科学会雑誌 (ISSN:00215384)
巻号頁・発行日
vol.96, no.8, pp.1591-1597, 2007 (Released:2012-08-02)
参考文献数
5

薬物による末梢神経障害は,薬剤の用量規制因子となり,原疾患の治療に影響を与えるという点で重大な副作用である.早期発見による投与薬剤の減量,中止が唯一の対症療法となる場合がほとんどで,なんらかの神経症状が残る場合も多い.日常診療においては,末梢神経障害を引き起こす薬剤について幅広く理解し,症状の出現を早期に発見し迅速に処置を行うことが最も重要であると考えられる.
著者
菊池幽芳 著
出版者
金尾文淵堂
巻号頁・発行日
vol.後編, 1913
著者
菊池幽芳 著
出版者
金尾文淵堂
巻号頁・発行日
vol.前編, 1913
著者
四柳 宏
出版者
一般財団法人 日本消化器病学会
雑誌
日本消化器病学会雑誌 (ISSN:04466586)
巻号頁・発行日
vol.115, no.9, pp.777-780, 2018-09-10 (Released:2018-09-10)
参考文献数
13

B型肝炎ワクチンの定期接種化は,母子垂直感染対策だけでは水平感染のコントロールができなくなったことが主因である.定期接種化により今後日本のB型肝炎の新規発生は激減すると考えられるが,定期接種の対象とならない児や青少年に対するキャッチアップを行う必要がある.今後解決すべき問題としてエスケープ変異,ワクチン無効例への対策,ブースター接種の検討などが挙げられる.
著者
リュッターマン マルクス
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.35, pp.537-571, 2007-05-21

小論では先行研究を伝授史料と合わせて、非言語的な記号群に限定して日本書札礼の一特徴となる傾向を考察している。一五九四年に布教者ザビエルと日本人パウルスとがインドで出会い、文面を譬喩に、文化の相違点を巡って懇談した。その会話に触発されて、二人がそれぞれ教授された西洋と東洋の伝承を遡って、書簡や文通における非言語的なコミュニケーションの作法史分析を試みる。この分析によって、文化の「面」や型がどのように形成し、とりわけ「行」の縦と横の譬喩はいかなる意味を秘めているか解明してみる。ひいては形式的な場において日本書札礼の非言語的な記号はどのように、且つどれほど人と人との位置の「差」を儀礼的に表現しているか示したい。

4 0 0 0 OA 甲斐国志

著者
松平定能 編
出版者
温故堂
巻号頁・発行日
vol.第69巻 神社部第15,第70巻 神社部第16,第71巻 神社部第17上,第72巻 神社部第17下, 1884

4 0 0 0 OA 核生成

著者
木村 勇気 川野 潤 田中 今日子
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(S)
巻号頁・発行日
2015-05-29

核生成は物質形成の始まりであり、物理的、化学的なメカニズムの解明は多分野にまたがる非常に重要な課題である。本研究では、1)気相からの核生成実験、2)計算機シミュレーション、3)核生成の透過電子顕微鏡(TEM)中その場観察実験の3つのアプローチを行うことで、核生成と前駆体のかかわりを直接的に示すことを目的としている。本年度は、それぞれに関して、以下に記す実績が得られた。1)気相からナノ粒子が生成する場合であっても、初めに生成したクラスターが成長ユニットとなり、方位をそろえて接合しながら成長することで、最終生成物が形成することが分かった。結晶成長分野で最近注目されている多段階核生成の解明に迫る成果であり、論文としてまとめてNanoscaleに報告した。2)昨年成功した、最大1500万の希ガス分子(Lennard-Jones分子)を用いた長い待ち時間の計算による、気相から過冷却液滴への核生成と液滴からの結晶化という多段階核生成過程の再現をまとめ、Physical Review Eに報告した。3)コンクリートの劣化を防ぐ為に使われるシリカ粒子と水酸化カルシウム溶液を用いて単純化したコンクリート化の初期過程のTEM中その場観察実験を行った。その結果、まずシリカ粒子の膨潤によってコンクリート内の細孔が埋められていき、その後、カルシウムケイ酸塩水和物が形成して粒子同士をつないでいくことで固化が進むプロセスを捉えた。わずか0.03 nm/秒というシリカ粒子が膨潤する典型的な速度の実測にも成功した。溶液セルを用いたTEMその場観察実験により、他の手法では殆ど不可能である個々のナノ粒子の水和による膨潤や溶解、成長の微小な速度を求めることが可能になった。本成果を論文としてまとめ、Industrial & Engineering Chemistry Researchに報告した。
著者
竹田 竜児
出版者
三田史学会
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.613-643, 1958-10

The name of Yang family of Hungnung had been widely-known among the Chinese ever since the days of Han Dynasty. It became very famous, however, after it produced the highest officials successively through four successive generations under the Later-Han Dynasty. The profession of the members of Yang family was the study of Confucianism, and the house of Yang produced many famous men. However, these famous scholars of the family were presumably incapable of making their fortune. At the time of War of Yung Chia 永嘉 (311), the Chin Dynasty removed its court to the south side of the Yangtze River. The Yang Family, however, failed to escape with the court. Accordingly, the family was in adverse circumstances under the Tung Chin Dynasty. Meanwhile, under the Northern Dynasty, the descendants of Yang Chieh 楊結 one of the members of the Yang family, enjoyed prosperity for a time. However, the Yangs in the Northern Dynasty made an enemy of the Erh-chu family, and were almost annihilated by the latter. Thus the power of the Yang family declined. With the advent of Sui and T'ang period, the Yangs restored their power in the courts of the two dynasties and founded their position in the political circles. Thus a family become powerful again under the two dynasties. However, the writer of this article is of opinion that it is a question whether those Yangs including the Imperial Family of Sui were, without exception, the descendents of the Yang family of Hung-nung as they professed themselves to be.慶應義塾創立百年記念論文集
著者
松井 豊
出版者
心理学評論刊行会
雑誌
心理学評論 (ISSN:03861058)
巻号頁・発行日
vol.60, no.4, pp.277-284, 2017 (Released:2019-03-22)
参考文献数
50

This report outlined psychological support activities and psychological studies related to the Great East Japan Earthquake. After the disaster, psychological support programs were funded by the Japan Society of Certified Clinical Psychologist, Tohoku University and by other organizations to assist and care for the victims of this Critical Incident Stress. Studies have been conducted on the support systems at disaster areas and research on the mental health of disaster victims. In addition, there have been studies on the critical incident stress of those treating the victims and information behavior after the earthquake with regard to rumor damage and risk perception. The sharing of this knowledge was proposed to allow for better preparedness for the next disaster.
著者
王 勇
出版者
関西大学
雑誌
東アジア文化交渉研究 (ISSN:18827748)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.105-112, 2008-03-31

There are already many researches about Jianzhen's arrival in Japan. Therefore, this paper described his motives for going to Japan as being related to Taoism in the Tang era. Early return of Japanese dispatched priests and Jianzhen and the others' obsessive passion for going to Japan is due to the Chinese circumstances which prosperity of Taoism reached its peak in the period of Xuanzong, and as well as Japanese circumstances, "Japanese emperor did not worship principles of Taoist priest". There were no evidence that Tang era's Taoism were taken into Japan, as a religious community which had facilities, officers, and organizations; however, Taoism among the Tang cultural things which are mixed into rituals, folk beliefs, and annual events would be brought to Japan by various routes in the era of Japanese envoy to the Tang Dynasty.

4 0 0 0 IR トピックス

著者
長田 敏行 田近 英一 五所 恵実子 稲垣 秀彦 広報誌編集委員会
出版者
東京大学大学院理学系研究科・理学部
雑誌
東京大学理学系研究科・理学部ニュース
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.3-5, 2006-05

天皇皇后両陛下の本研究科附属植物園への行幸啓/第9回公開講演会開催される/第6回理学部海外渡航制度(アメリカ)/UCバークレー&スタンフォード大学訪問記/理学部1号館に理学部年表等の展示が完成
著者
北舘 佳史
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.89, pp.333-358, 2018

本稿ではカンタベリ大司教アビンドンの聖エドマンドの奇跡関連史料を分析の対象として13世紀半ばの奇跡の記録の実践のあり方を明らかにすることを目的としている。13世紀には教皇の列聖手続きの発展とともに審問記録という新しい史料類型が登場し,一方で教会や修道院が作成する伝統的な奇跡集は衰退していくと見なされている。ところで聖エドマンドの奇跡に関しては列聖調査委員会が作成した審問調書と聖遺物を所有するポンティニー修道院の作成した奇跡集の両者が存在している。これらの史料を形式面と内容面で比較検討して史料の性格を明らかにし,さらに修道院による奇跡話の収集と立証のあり方を検討して奇跡を記録することの意味について考察する。そこには聖性の承認に関する教皇側の論理と地域社会の側の論理が表れており,13世紀半ばにおいても聖性の評判について共同的に合意を形成する上で奇跡集の役割が残されていたことが結論付けられる。