著者
今井 直重
出版者
奈良学芸大学
雑誌
奈良学芸大学紀要. 人文・社会科学 (ISSN:04695569)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.65-77, 1963-02-28

The aim of this treatise is to clarify the true meaning of Plato's doctrine of ideal state. Plato was not only a great philosopher, but also a political thinker and a highly ambitious person of politics. His dialogues, for instance, State, Law, Statesman, etc. clearly show this fact. Plato has an urgent desire to relieve the people of Athens of the willful and despotic government of ochlocracy. His sincere desire' is to realize idee of justice in the actual, national life. So that, I want to make clear the conception of Plato's justice, and next explain the structure of Plato's ideal state, so-called greek polis state, and then the purpose of national government. The purpose of government, in Plato's doctrine, is to educate and cultivate the people as moral and cultured persons. So the ruler, that is, the governor should be the most educatsd and trained person. He must be a philosopher. This is generally called Plato's government, of philosopher. Plato wanted to put cooperative life into practice in his ideal polis state. So that, he is said as if he were a man of communistic idea. But he was not a communistic thinker. He was far from a communist, and in fact, he was a spiritualist and a lover of idee of kalos kai agathos. He loved, most of all, good, beautiful and purified spirit. He despised material goods, physical treasures. Communists, as a rule, love material goods, above all, and are interested in physical treasures. They are quite materialists. But Plato was not a materialist. He was entirely a spiritualist. He intented to make the people transcend the material wants. For material wants prevent the people from becomming moral and cultured persons. They are great hindrance to improving and establishing the purified personalities of the people.
著者
宗像 冬馬
出版者
首都大学東京・都立大学社会学研究会
雑誌
社会学論考
巻号頁・発行日
vol.40, pp.1-20, 2019-12-10

本稿は後期Wittgenstein思想の社会学的意義の再検討を試み,その中で自然主義解釈の社会学理論的展開の可能性を探る.そして自然主義と分析社会学を結びつけることを提案する.後期Wittgensteinの社会学的利用は,言語ゲーム概念と規則をめぐる諸考察に集中している.そこからいかなる理論や方法に繋げるかによって整理すると,大別して(1)論理文法分析・概念分析の方法,(2)意味のシステム論,(3)言語ゲーム論,(4)コミュニケーションと他者の理論,(5)実践と再生産の理論,(6)自然主義の6 つがある.そこには共通する論点がある.第一に,実践と規則の相互関係が基礎となる.第二に,実践が依存するコンテクストは多元的で複雑である.第三に,慣習的実践や規則の研究では意味と自然の領域が区別される.これらを基礎としつつ,実践/規則,理論/方法,意味/自然の区別のどこに着目するかで立場が分かれる.中でも,最も曖昧だが特異な視座を有する自然主義は,記述/説明の区別を導入すれば,説明を志向するものと見なせる.そして自然主義の社会学的位置づけの明確化とさらなる豊饒化の手段として分析社会学の視点が有望である.自然的・因果的メカニズムを説明する試みとして,後期Wittgensteinの自然主義と分析社会学は手を取り合える.
著者
柿本 多千代 松井 三枝 中澤 潤 吉田 丈俊 市田 蕗子
出版者
富山大学医学会
雑誌
富山大学医学会誌 (ISSN:18832067)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.28-32, 2011-12

Bayley乳幼児発達検査-第3版(Bayley−Ⅲ)は乳幼児の発達を詳細に,かつ客観的に評価でき,世界標準で用いられることの多い検査である。しかし,日本版は未だ作成されておらず有用性は確かではない。本研究では,日本人健常12ヵ月児42名と36ヵ月児81名にBayley−ⅢとBayley式検査-第2版(BSID−Ⅱ),発達質問紙(津守式)を実施し,Bayley−Ⅲの有用性を検証した。米国の健常児と比較した結果,12ヵ月児では言語尺度の得点低下,36ヵ月児では微細運動の得点上昇が認められた。BSID−Ⅱよりは全体的に得点は高く,尺度間には高い相関が確認された。津守式では,両年齢ともに月齢相応の発達を示していた。Bayley−Ⅲの言語尺度においては,日本人小児には見合わない文法が認められたが,それ以外の教示や用具など実施上の不都合はなく,Bayley−Ⅲは日本でも使用可能な検査であった。
著者
小川 知行
出版者
[出版者不明]
巻号頁・発行日
2008-02

制度:新 ; 文部省報告番号:甲2612号 ; 学位の種類:博士(工学) ; 授与年月日:2008/3/15 ; 早大学位記番号:新4771
著者
星野 太 奥本 素子
出版者
北海道大学 高等教育推進機構 オープンエデュケーションセンター 科学技術コミュニケーション教育研究部門(CoSTEP)
雑誌
科学技術コミュニケーション (ISSN:18818390)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.71-83, 2017-12

近年,日本においてはアートが地域と協力関係を結び,プロジェクトを実施するという動きが加速している.アートはなぜ社会や地域に接近し,どのように地域との連携を深めているのだろうか.金沢美術工芸大学で美学/表象文化論を研究する星野太氏は,社会問題と向き合うアートやアートと観客の関係の論評でも著名な美学者である.今回は,星野氏を訪ね,アートと社会,特に地域との関係を解説してもらい,その中でアートはどのような課題を抱え,今後どのように解決していこうと考えているのかという展望を語ってもらった.本インタビューで,地域振興のためにアートが活用される際に生じる,公共性という概念をどのように社会と共有していくか,という,科学技術コミュニケーションにも通じる課題が明らかになった.
著者
中嶋 真弓
出版者
愛知淑徳大学文学部
雑誌
愛知淑徳大学論集. 文学部篇 (ISSN:13495496)
巻号頁・発行日
no.43, pp.99-111, 2018-03-16

特定課題研究
著者
川島 昭夫
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 = THE SHIRIN or the JOURNAL OF HISTORY (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.70-102, 1978-01-01

個人情報保護のため削除部分あり
著者
近藤 雄一郎 佐藤 亮平 沼倉 学
出版者
福井大学教育・人文社会系部門
雑誌
福井大学教育・人文社会系部門紀要 = Memoirs of the Faculty of Education, Humanities and Social Sciences University of Fukui (ISSN:24341827)
巻号頁・発行日
no.5, pp.285-302, 2021-01-19

本研究は「ベースボール型球技」の特徴を明らかにするための基礎的研究として,ソフトボール及びティーボールの競技構造を提起することを目的とし,金井(1977)のスポーツ技術論を援用しながらソフトボール及びティーボールの競技構造を提起することを試みた.研究の結果,各種目を成立させているプレーグラウンドとしての「運動空間」,ルールや用具などの「客観的運動手段」,運動主体が有する技能や戦術能などの「主体的運動手段」について共通性が見られた.一方で,「運動主体」に位置づく投手及び捕手の有無がソフトボールとティーボールにおける大きな違いであり,投手の投球からプレーが開始されるソフトボールと,打者の打撃からプレーが開始されるティーボールのゲーム性に差異が生じていた.以上のことを鑑み,ソフトボールの「競技目的」を「ボールを道具(バットとグローブ)で捕捉することによって生じる時系列的勝敗を身体およびボールの移動で競う」こと,ティーボ―ルは「ボールを打撃することによって生じる時系列的勝敗を身体およびボールの移動で競う」ことにあると提起した。