著者
和栗 珠里
出版者
桃山学院大学
雑誌
桃山学院大学人間科学 (ISSN:09170227)
巻号頁・発行日
no.36, pp.197-222, 2009-03-10

It is said that the nobility of the Republic of Venice was a caste, because the noble status was a hereditary privilege of certain families. A series of decrees issued in 1297-1323 defined its Serrata (closure), which continued until the middle of the 17th century, when noble status became purchasable, although at a very high price. However, if the nobility was inaccessible to the Venetian non-nobles, foreigners could obtain Venetian noble status. In fact a large number of foreigners, especially condottieri (mercenaries), were accepted into the Venetian nobility even under the Serrata system. In this article I examine some cases in which condottieri came to be ennobled. These were agents in wars to whom Venice turned in fighting against the Terraferma (mainland) powers such as the Scaligeri of Verona, the Carraresi of Padua and the Visconti of Milan, against the king of Hungary, and even in the wars against Turkey. Those appointed to the rank of Captain General of the Venetian army found it easy to be ennobled. It is not always easy to determine whether a condottiero obtained a hereditary status in the Venetian nobility instead of a personal one, but not a few condottieri did so. Moreover, some families kept a special relation with the Republic of Venice. The Malatesta of Rimini provided Venice with many able men of arms, and Venice in return protected them from their enemies. The Martinengo of Brescia also contributed military talent to Venice and weaved a matrimonial network with other condottieri families with Venetian noble status. Interestingly enough, we find a dozen condottieri members in the Compagnie della Calza, fete-organizing associations composed of young members of prominent noble families, which had much to do with the growing self-consciousness of the Venetian nobility in the late 15th and 16th centuries. The ennoblement of condottieri may have been, in the first place, a reward to military commanders. But it had another function; namely, to give more `nobleness' to the Venetian nobility who had non-feudal origin. Most of the condottieri were already nobles with feudal titles (duke, marquis, count, etc.), or at least semi-nobles with rule over a dominion. Thus they helped not only to conquer the Terraferma but also to establish a substantive definition of the Venetian nobility after the Serrata.
著者
片岡 真
出版者
社団法人情報科学技術協会
雑誌
情報の科学と技術 = The journal of Information Science and Technology Association (ISSN:09133801)
巻号頁・発行日
vol.56, no.1, pp.32-37, 2006-01-01
参考文献数
15
被引用文献数
2

九州大学附属図書館では, 情報検索の結果からの一次資料や関連情報へのナビゲーションを目的として, 2005年4月からSerials Solutions社製リンクリゾルバArticle Linkerを導入し, 九州大学附属図書館学術情報リンクサービス「きゅうとLinQ」と名付けてサービスを開始した。本稿では, まずこれまでの本学での「きゅうとLinQ」への取り組みを通して, リンクリゾルバのしくみを説明する。そして学術ポータルには, 学術情報検索の入口としての機能の他に, 情報検索結果から一次資料や関連情報を適切にナビゲートする機能が必要であることを明らかにする。最後に, 今後の電子リソースマネジメントの方向性について考察する。Article Linker, an OpenURL link resolver made by Serials Solutions, was implemented to provide context-Sensitive linking at Kyushu University in April, 2005, and it was named "Cute LinQ", Kyushu University Library's Appropriate Link Resolution. First of all, this article will explain how "cute LinQ" works and how it functions well in recent situations of information retrieval. Then, it is clarified that academic portals are required to navigate to the appropriate copy from search results, in addition to the navigation into various kinds of information retrieval services. At the end, the future developments in electronic resources management will be considered.
著者
伊藤 翔太 ITO Shota
出版者
北海学園大学人文学部
雑誌
北海学園大学人文論集 (ISSN:09199608)
巻号頁・発行日
no.71, pp.116(二五)-98(四三), 2021-08-31
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1517, pp.26-29, 2009-11-23

冷たい風が吹きつける中、船のデッキを洗い、岸壁とつなぐ小さな梯子を往復していたのは、大勢の若いインドネシア人船員たちだった。台風一過の秋晴れの空の下、真っ黒に日焼けした彼らは、年配の日本人船員と、束の間の"陸"を楽しんでいた。 「あれは九州や四国から来たカツオ船。カツオ船だけじゃない。
著者
前田 亜紀子 山崎 和彦 栃原 裕
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.59, pp.6, 2007

【目的】本研究の目的は、濡れた衣服の影響について、気温、衣服様式、水分率、作業強度の各条件を組合せ、生理・心理的観点から観察することであった。【方法】被験者は健康な成人女子11名であった。人工気候室は、気温30、25、20℃(相対湿度は80%一定)に制御された。衣服様式はスウェット上下(様式S)とTシャツ短パン(様式T)とした。以上より5種条件(30S, 30T, 25S, 25T, 20S)を設定した。衣服の濡れ条件は、D(乾燥)、W1(湿った)、W2(びしょ濡れ)の3種とし、全衣服重量の平均は、様式Sでは各々819, 1,238, 2,596g、様式Tでは各々356, 501, 759gであった。各濡れ条件において、安静期と作業期を設けた。作業期における踏み台昇降作業のエネルギ代謝率は2.7であった。測定項目は、酸素摂取量、直腸温(Tr)、平均皮膚温(Tsk)、および主観申告値とした。【結果】酸素摂取量は、衣服重量および寒冷ストレスの影響を受けて変化した。Trの値は、条件25Tと20Sでは漸減した。Tskは環境温に依存して漸減し、特に条件20Sにおいては著しく低下した。本研究の要点は次の通りである。1) 濡れた衣服を着用した場合、気温30℃では着衣の工夫により温熱ストレスは最小に止めることができる。2) 気温25℃以下では、軽装の場合、寒冷ストレスが生じ得る。3) 衣類が乾燥状態であれ濡れた状態であれ、全身温冷感が中立であるとき、Tskは約33℃であった。4)濡れた衣服条件における特色は、全身温冷感が「冷たい」側へシフトするとき、平均皮膚温が著しく低下することである。
著者
谷 聖一
出版者
日経BP社
雑誌
日経コンピュ-タ (ISSN:02854619)
巻号頁・発行日
no.714, pp.116-121, 2008-10-01

今年8月、エジプトで開かれた「国際情報オリンピック」で、日本代表の高校生4人が金メダル1個、銀メダル1個、銅メダル2個を獲得した。日本は参加6回目で、初めて4人全員がメダルを獲得した。日本選手団の団長を務めた日本大学文理学部情報システム解析学科の谷聖一教授に、情報オリンピックの意義や日本選手団の奮闘ぶりを紹介してもらった。
著者
童 暁薇 TONG Xiaowei
出版者
創価大学日本語日本文学会
雑誌
日本語日本文学 = Studies in Japanese Language and Japanese Literature
巻号頁・発行日
no.30, pp.37-51, 2020-03-18

女性を家父長制と軍事体制の権威的な構造における被支配者として認識するのが一般的であるが、女性はこの構造の中で権威に従属し、みずからの役割に従順にしばしば熱狂的に従うことによってまたこのシステムを支え、補完する。十五年戦争中、数多くの女性作家は中国戦地へ従軍慰問をした。戦地ルポで意図的に中国兵士の「敵」イメージを作り、戦争を宣揚して、前線と銃後一体の共同体を強める戦争協力者となった。一方で、「敵」作りにおいて、戦地のもう一面が遮断されてしまい、そのことによって彼女たちの内心の不安や良心的負担などは解消されることが可能になる。
著者
林 青樺
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.3, no.2, pp.31-46, 2007-04-01

本論は,主体の意志性の有無及び事象のあり方と主体との関係に焦点を当て,無標の動詞文との比較を通して,実現可能文の意味機能を検討した。その結果,主体の意図的または期待する行為の実現を表わす構文として論じられてきた実現可能文は,「旅行中に思いがけず中田英寿選手に会えた」などのような,主体の意図の外での偶発的な行為の実現を表わす場合もあることを指摘した。そして,マイナス的な意味を表わす語句との共起が不可能であることと,成立の確率の高い事象を表わせないことから,実現可能文は< <事象が主体にとって好ましく,かつ得難い>というプラスの意味特徴を持ち,実現した行為をプラスの事象と捉えるか,ニュートラルな事象と捉えるかという点で無標の動詞文と対立することを明らかにした。また,実現可能文は,表わす事象の成立が不確かなため,「主体の行為がどうなったか」という事象の結果に焦点が当てられ,事象の《未成立》を表わせることが明らかとなった。
著者
都並 敏史
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1394, pp.106-108, 2007-06-04

ヤンマーのサッカー部を母体とするセレッソ大阪は、天皇杯を3回も獲得したことがある関西の名門です。それが、昨シーズンは成績が振るわずJ1(1部リーグ)から、下部のJ2(2部リーグ)に降格してしまいました。 何が何でも1年でJ1に復帰させてほしい。そう託されて私が監督に就任したのが昨年の12月20日でした。それからわずか半年も経たず、5月7日に私は監督を解任されました。
著者
清水 一彦
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.25, pp.195-206, 2015-03

1956 年の流行語となった「もはや「戦後」ではない」は,同年版『経済白書』に記されている。戦後からの回復を通じての経済成長が終わったあとにくる難題にたいしての警句であったが,そういつまでも戦後でもあるまいといった「空気」を背景に,情報の送り手と受け手の相互作用で戦後を抜け出し高度成長へ向かう凱歌として解釈されることになった。その後もこの凱歌としての社会的記憶は,送り手にとっても受け手にとってもより"ここちよい"物語として再構成されつづけ,現在では,神武景気を経て『経済白書』は「もはや戦後ではない」と高らかに高度経済成長期突入を宣言した,とまで変容している。本稿は,このフレーズの社会的記憶が変容する過程を分析した。
著者
中村 大介
出版者
埼玉大学教養学部
雑誌
埼玉大学紀要. 教養学部 (ISSN:1349824X)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.129-147, 2020

漢代の遼東郡は楽浪郡とならんで、朝鮮半島や日本列島の社会に関連の深い地域である。さらに、王莽期頃から烏桓が塞内でも活動していたことが、発掘によってわかってきた。そこで、本稿では遼東半島の墓を軸に時期的変遷と交流関係について考察を行い、当時の交易活動について検討した。その結果、東の膠東半島と北の騎馬遊牧民との仲介者として貝墓を造営していた人々の活動が重要であることが理解された。訂正(1p)あり