4 0 0 0 IR 日高さんと私

著者
勝俣 銓吉郎
出版者
立正大学文学部
雑誌
文學部論叢 (ISSN:0485215X)
巻号頁・発行日
no.4, pp.4-7, 1955-09
著者
小林 健彦
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = BULLETIN OF NIIGATA SANGYO UNIVERSITY FACULTY OF ECONOMICS (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.59, pp.43-80, 2021-10

日本では、古来、様々な自然災害―大雨、泥雨、洪水、浸水、土石流、地滑り(陸上・水底)、地震、津波、火山噴火、大雪、雪崩、紅雪、雹、台風(大風)、暴風雨、竜巻(辻風)、落雷、高波、高潮、旱害、低温、高温、蝗害、黄砂、飛砂、塩害、山火事等、そして、人為的災害―疫病流行、戦乱、火災(失火)、盗賊・海賊、略奪行為の発生等々、数え切れない程の災害が人々を襲い、人々はその都度、復旧、復興させながら、現在へと至る地域社会を形成、維持、発展させて来た。日本は湾曲した本州部分を主体とした島嶼国家であり、その周囲は水(海水)で囲まれ、高山地帯より海岸線迄の距離が短い。自然地形は狭小な国土の割には起伏に富む。その形状も南北方向に湾曲して細長く、本州部分の幅も狭い。日本では、所謂、「水災害」が多く発生していたが、それは比較的高い山岳地帯が多くて平坦部が少なく、土地の傾斜が急であるというこうした地理的条件に依る処も大きい。つまり、日本では古来、日常生活に適した安全な土地は少なく、折角営んでいた集落も被災し、消滅する可能性が大きかったと言うことができ得る。古代宮都の設定条件の1つとして盆地地形が選択されていたのも、中国由来の都城設計思想上に依る理由以外にも、そこへ流れ込む大河川が少なく、かつての日本でも頻発していたであろう「水災害」に対しては、比較的安全であったという現実的な事情も大きく関係していたことが想定されるのである。ただ、こうした地理的要因に依る自然的な災害も、人の活動に伴なう形での人為的な災害等も、発災当時の日本居住者≠日本人に無常観・厭世観を形成させるには十分な要素として存在したのである。文字認知、識字率が必ずしも高くはなかった近世以前の段階でも、文字情報を自由に操ることのできる限られた人々に依った記録、就中(なかんづく)、災害記録は作成されていた。特に古い時代に在って、それは宗教者(僧侶、神官)や官人等に負う処が大きかったのである。正史として編纂された官撰国史の中にも、古代王権が或(あ)る種の意図を以って、多くの災害記録を記述していた。ここで言う処の「或る種の意図」とは、それらの自然的、人為的事象の発生を、或る場合には自らの都合の良い様に解釈をし、加工し、更に、政治的、外交的に利用し、喧伝することであった。その目的は、正確な記録を取ること以上に、それらを独占し、災害対処能力を持ち得る唯一無二で、広域的版図を持った王権として、自らの「支配の正当性、超越性」を合理的に人民へ主張することであったものと考えられる。それは又、自らの政権が国を代表する王権であるとした意思表示でもあり、自負でもあったものと類推されるのである。日本に於ける「公儀」意識成立の瞬間であった。時期が新しくなり、取り分け、カナ文字(特にひらがな)が一般化する様になると、その文体とは関わり無く、私的記録としての個人日記(私日記)や、読者の存在を想定した日記、物語、紀行、説話集等、文学作品の中でも、各種の災害情報が直接、間接に記述される様になって行った。前者では、自らの住居が在る都や、自らの所領が存在する等、所縁(ゆかり)や権益関係のある場所に関わる発災、被災状況の記録が主体であるが、後者では、そうした関係性は殆(ほとん)どの場合には見られない。ただ、文学作品中に描写された災害情報が全て事実であったとは言い難い。しかしながら、それも最初から嘘八百を並べたものではなく、素材となる何らかの事象(実際に発生していた災害)を元にして描かれていたことは十分に考えられるのである。自らが被災したか、否か、現認情報であるか、伝聞情報かを問わず、そうでなければ、読者、受け手の共感を得、興味を引くことは困難であったものと考えられる。従って、文学作品中には、却って真実としての、当時の人々に依る対災害観や、ものの見方が反映され、包含されていたことが想定されるのである。筆者がかつて、『災害対処の文化論シリーズ Ⅰ ~古代日本語に記録された自然災害と疾病~』〔DLMarket Inc(データ版)、シーズネット株式会社・製本直送.comの本屋さん(電子書籍製本版)、2015年7月1日、初版発行〕に於いても指摘をした如く、都が平安京(京都市)に移行する以前の段階に於いては、国政運営に際して「咎徴(きゅうちょう)」の語が示す中国由来の儒教的災異思想の反映が大きく見られた。しかしながら、本書で触れる平安時代以降の段階に在って、表面上、それは影も形も無くなるのである。その理由に就いては、はっきりとはしていない。それを補うかの如く、人々に依る正直な形での対自然観、対災害観、対社会観の表出が、古記録や文学作品等を中心として見られる様になって来るのである。本稿では、以上の観点、課題意識より、日本に於ける対災害観や、災害対処の様相を、意図して作られ、又、読者の存在が意識された「文学作品」―「今昔物語集」をその素材としながら、「災害対処の文化論」として窺おうとしたものである。作品としての文学、説話の中に如何なる災異観の反映が見られるのか、或いは、見られないのかに関して、追究を試みることとする。これに加えて、それらの記載内容と、作品ではない(古)記録類に記載されていた内容に見られる対災害観との対比、対照研究をも視野に入れる。ここでは、既刊である『災害対処の文化論シリーズ Ⅷ 日本の古典に見る災害対処の文化論 ~日本的無常観の形成~』(販売:シーズネット株式会社、2021年6月30日初版発行)とも合わせて、日本の古典中に出現していた災異の様相を垣間見たものである。
著者
布川 寧 藤永 徹 平 知子 奥村 正裕 山下 和人 角田 修男 萩尾 光美
出版者
社団法人日本獣医学会
雑誌
日本獣医学雑誌 (ISSN:09167250)
巻号頁・発行日
vol.55, no.6, pp.1011-1016, 1993-12-15
被引用文献数
5

セファデックスG-75を用いたゲルクロマトグラフィーを3回繰返すことによって急性期ウマ血清から血清アミロイドA(SAA)を分離した. これをウサギに免疫して得られた抗ウマSAAを用いた一次元放射免疫拡散(SRID)法によって, ウマ血清中のSAA濃度を測定した. 臨床的に健康なウマのSAA濃度は, 出生直後から1週齢にかけて高値を維持した後一旦低下したものの, その後も加齢に従って若干の増減を示した. 12ヵ月齢以下の子馬のSAA濃度の平均は19.37±9.41μg/ml, 18か月齢以上の成馬では平均21.53±9.81μg/mlであった. 周産期にある雌馬の血清SAA濃度の推移は, 分娩4か月前から分娩時まで特に変動はみられなかったが, 分娩直後より急上昇し, 分娩3日目には最高値136.78±56.74μg/mlを示したが, 分娩1か月以内に正常値範囲内に回復した. 実験的炎症作出馬では処置後6時間目より急激に上昇し, 処置後2日目には処置前値の約4〜20倍の最高値に達した. その後, 局所の炎症消退につれて10日から4週間以内に処置前値に回復した. 検査に供した炎症性病態にある多くの症例馬の平均SAA濃度は正常値と比較して有意に高値を示した. 以上の結果から, ウマSAAは各種炎症性疾患の急性期の初期に著増する急性相蛋白の一つであると判断された.
著者
木村 光太郎 Kotaro KIMURA 尚美学園大学総合政策学部 Shobi University
出版者
尚美学園大学総合政策学部
雑誌
尚美学園大学総合政策研究紀要 (ISSN:13463802)
巻号頁・発行日
no.30, pp.47-66, 2017-09

近年、欧米諸国や日本が直面している、代議制民主主義の機能不全、有権者の政党離れ、市民の政治参加の退潮、政治的無関心などの「民主主義の失敗」状況のなかで、いかに政治空間をより多様な人々にたいして開き、民主主義そのものへの不信を払拭するかが政治的課題になっている。理念としての民主主義は、すべての人々による主体的な政治参加と自己を支配する秩序形成(集団的な自己支配)である。政治の現実にかかわる人間とはだれなのかを問うことは、民主主義において重要なテーマである。本稿は、現代の民主主義論における政治主体の再構成の条件を考えるための、ひとつの視座を提示した。また、本稿は、政治主体にたいする懐疑論を大衆社会状況における課題として捉え、思想史の文脈から整理した。さらに、言語論的転回とミシェル・フーコーによる近代的主体概念批判を取り上げ、哲学史的位置づけのなかでの主体の懐疑論について検討を加え、1990年代以降の新しい「市民社会論」に位置づけられる、エルネスト・ラクラウとシャンタル・ムフの「ラディカルな民主主義論」を批判的に検討した。本稿は、ラクラウとムフの「ラディカルな民主主義論」が、西洋中心主義とシニシズムとのあいだで、大衆社会状況のなかで浮かび上がった政治主体にたいする懐疑論にふたたび逢着することを指摘した。The purpose of this paper is to provide one viewpoint for considering the conditions of the reconstruction of political subject in contemporary democratic theory. Skepticism about political subjects has been developed as a matter of mass society in the early 20th century in the fields of social and political thought. In mass society, political subjects who are rationalists with well-educated and property, which the premise of modern democracyhad presupposed, have been lost, and the way in which the subjects of political practice are concerned is not a premise of politics but a political problem. In this paper, I point out that "the radical democracy theory" of Ernesto Laclau and Chantal Muffe, which rely on post-modern philosophy, will reunite with skepticism of the problem of political subjects posed by mass society between Western-centered and postmodern cynicism. Mass society theory is totally a thing of the past, academic arguments rarely being done. It is not because mass society was overcome, but rather the design of the subject just changed.
著者
森 一生
出版者
北翔大学
雑誌
北翔大学北方圏学術情報センター年報 (ISSN:21853096)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.143-149, 2012

『人々が生きる気力を取り戻す場所としての劇場』,『様々な人が出会い新たなコミュニティーを生み出す場所としての劇場』の構築の動きは,ここ数年,国や地方自治体や中央のアーティスト,研究者などの『声』となって論じられている。(その例,劇作家・演出家で,内閣官房参与でもある・平田オリザ氏は,2010年7月6日「劇場/新時代への展望」と題し,札幌市(かでる27)で講演。また,2010年12月5日にも札幌(キューブガーデン)で(第一部)「芸術立国から10年,演劇の未来」と題し講演。(第二部)『創造都市』をめざして新しい動きを展開する上田文雄・札幌市長と対談。など)にもかかわらず,残念ながら国レベルでも,地方自治体レベルでもその構築の動きは,「頓挫している」と言えないだろうか。一方,教育の現場では,文部科学省が,2010年5月,文部科学副大臣の主催による「コミュニケーション教育推進会議」を設置し,子どもたちのコミュニケーション能力の育成を図るための具体的な方策や普及のあり方について議論し,その審議経過報告をまとめている。そこでは「コミュニケーション能力が求められる背景」として,①社会の変化と子どもたちに求められる能力,②子どもたちの現状や課題,③新しい学習指導要領における言語活動の充実――等が述べられ,「効果的な手法・方策」が提案され,平成22年度から予算化され,実施されている。ところが,(道内の)各学校,地域の教育委員会,など「教育の現場」では,この動きに対する認識は「希薄」であり,その動きは,「鈍い」といわざるを得ない。私ども,舞台芸術プロジェクトは,その研究・実践活動の一つとして『人々が生きる気力を取り戻す場所としての劇場』,『様々な人が出会い新たなコミュニティーを生み出す場所としての劇場』の構築を目指して,研究・実践を続けているが,その実践例として2011年6月,ニセコ町・有島記念館で上演した『老船長の幻覚』について考察・報告したい。
著者
森 喜朗
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1655, pp.78-81, 2012-08-27

森喜朗氏は7月22日、早世した長男祐喜氏を追悼する会合で、次期衆院選の不出馬を表明した。引退を決意したのは60代後半のこと。しかし、政権交代の潮流の中、地元議席を死守するため、やむなく引退を引き延ばしていた。最近の小沢一郎氏の新党結成、民主党と自民党の不毛な攻防を目の当たりにし、「嫌気が差した」と話す森氏だが、政界に未練はないのか。
著者
木谷 佳楠
出版者
基督教研究会
雑誌
基督教研究 (ISSN:03873080)
巻号頁・発行日
vol.74, no.1, pp.105-124, 2012-06

論文(Article)映画が誕生して約120年の間に、イエスは「救い主」として、あるいは「ナザレのイエス」として、100本以上の映画に登場してきた。一方で、アメリカ映画の中のイエス像は時代の移り変わりと共に常にその姿を変えてきたのである。本稿はアメリカ映画におけるイエス像がどのような時代的変遷を遂げてきたのか、そしてそれはなぜなのか、という問いに対し、映画の検閲の問題やアメリカの社会状況を軸に一定の答えを模索するものである。
著者
米田 翼 Yoneda Tsubasa ヨネダ ツバサ
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.42, pp.15-29, 2021-03-31

人間学・人類学 : 論文アンリ・ベルクソンの『創造的進化』については数多くの先行研究がある。だが、本書の鍵概念のひとつである「適応」に焦点をあてた研究はほとんど存在しない。本研究の目的は、適応概念に焦点をあて、これを『物質と記憶』の再認論と結びつけるというアプローチを通して、ベルクソンの進化論を再構成することである。具体的には以下の手順で議論する。はじめに、彼の進化論の基本線を確認しつつ、進化と適応との関係をある程度確定しておく(2節)。次いで、二種類の適応概念、すなわち受動的適応と能動的適応をめぐる議論を詳細に分析する(3節&4節)。この分析を通して明らかになるのは、以下の二点である。①ベルクソンは受動的適応による進化の説明の限界を指摘することで、生物の現在の状態には複数の原因があるという、「ティンバーゲンの四つの問い」や比較心理学における「多重因果性」と似通った因果性に関するアイデアを提示していること。②真の適応たる能動的適応は、『物質と記憶』における知覚や記憶力と密接に結びついており、過去の介入によって生物が自らの行動様式を獲得・拡張する過程として理解できるということ。最後に、『物質と記憶』の再認論を踏まえて、能動的適応を種的な習慣形成の過程として理解する理路を示す(5節)。こうした議論を通して、ベルクソンの創造的進化論を行動の進化論として捉え直すことが、本稿の主眼である。
著者
溝部 良恵
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
中国研究 (ISSN:18825591)
巻号頁・発行日
no.12, pp.1-24, 2019

はじめに一. 家族の元に戻る鬼(一) : 「薛万石」の背景、袁晁の乱二. 家族の元に戻る鬼(二) : 「李覇」三. 聞き書きから創作へ四. 家族の元に戻る鬼(三) : 再び「薛万石」と「李覇」おわりに
著者
鈴木 昌子
出版者
山野美容芸術短期大学
雑誌
山野研究紀要 (ISSN:09196323)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.11-17, 1993-03-25

古代の代表的な髪形は,「美<み>豆<づ>良<ら>」であった。奈良時代になって,唐の文化が輸入されて「高髻」という髪形が流行したが,平安時代に入ると日本独自の文化が生まれ「垂髪」が一般的となり,この髪形が室町時代まで続いた。江戸時代には経済の実権が町人に移り艶麗ともいわれる江戸文化が華ひらいた。垂髪のわずらわしさを解放するために,江戸時代前期には唐輪髷が開発され,「兵庫髷」「若衆髷」や「島田髷」が工夫された。江戸中期になると,女髪結という専業者が生れ,また固練油の鬢付油が開発されて新しい髪形が考案されるようになった。江戸後期になると,江戸中期の豪華・精巧な趣があきられて,すっきりと洗練されたいわゆる「粋」な美意識が好まれるようになり,島田の変形が流行した。男女合わせて約三百種類の髪形が生まれた。現在ではこの一部の髪形が儀式や伝統芸能などの非日常的な分野にのみ伝承されている。