出版者
日経BP社
雑誌
日経レストラン (ISSN:09147845)
巻号頁・発行日
no.270, pp.152-157, 1999-04

53歳の経営者です。私達夫婦と,50歳代の正社員2人,パート8人で,仕出し兼業の総合食堂と民宿を運営しています。 朝は6時から民宿の朝食と事業所に配達する弁当の仕込みを始め,仕事の終了は早くても午後10時。若い社員も集まらず,夫婦とも現場に出放しですが,忙しいだけで売り上げが伸びません。1989年に2億円を借り入れ,店舗を新築をしたこともあって返済に追われる毎日。
著者
菊地 達夫
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.58, no.4, pp.299-308, 2012

北海道は,明治以降,中央政府の主導によって,地域開拓政策,地域開発政策を展開してきた.戦前の地域開拓政策では,食料生産,地下資源開発を中心に産業立地を形成してきた.他方,製造業を中心とした工業立地では,道外大規模資本による鉄鋼業や製紙業の立地,道内小規模資本による食品加工業,木材加工業の立地がみられた,戦後では,太平洋ベルト地帯が形成されると,工業立地の分散のため,大規模な地域開発政策が計画された.北海道の場合,苫小牧東部地域開発計画が展開した.しかしながら,苫小牧東部地域開発計画をはじめとする道内工業団地は,思うような企業誘致ができなかったところが多い.そうした中,同時期に展開した石狩湾新港地域開発計画では,地域環境や地域資源の活用を重視した企業誘致を行い,一定の企業立地に達している.工業立地の場合,その中心は食品加工業や木材加工業であった.それに加え,近年,リサイクル系企業や環境・エネルギー系企業の立地が,急速にすすみつつある.また,東日本大震災の影響が,皮肉にも,それら企業立地の追い風になっている.第7期北海道総合開発計画,札幌臨海小樽・石狩地域の基本計画の内容では,誘致する企業立地の推進として,食品加工業,リサイクル系企業,環境・エネルギー系企業などの業種が示されている.いずれも,地域環境や地域資源の活用を重視する業種内容である.そのため,石狩湾新港地域は,それら企業立地の先駆的な役割を果たしている.
著者
青木 隆浩
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.197, pp.321-361, 2016-02

本稿では,明治時代から1980年代までの長期にわたり,日本における美容観の変遷とその原因をおもに化粧品産業の動向から明らかにしたものである。そのおもな論点は,明治時代以降の美容観が欧米化の影響を受けながらも,実際に変化するには長い時間がかかっており,欧米化が進んだ後でも揺り戻しがあって,日本独自の美容観が形成されたということであった。まず,明治時代といえば,白粉による白塗りと化粧品の工業製品化による一般家庭への普及がイメージされるが,実際には石鹸や化粧水,クリームといった基礎化粧の方がまず発達していったのであり,メイク方法は白粉をさらっと薄く伸ばす程度のシンプルなものだった。口紅やアイメイクに対する抵抗感は,現在から考えられないほど強かったため,欧米の美容観はなかなか受容されなかった。1930年代に入ってから,クリームや歯磨,香油などの出荷額が伸びていくが,第二次世界大戦による節制と物品税の大増税によって,すぐに化粧をしない時代に戻っていった。その後,1960年前後までの日本の女性は,クリームや化粧水による基礎化粧はするものの,メイクはほとんどしなかった。欧米型のメイク方法は,1959(昭和34)年におけるマックスファクターの「ローマンピンク」キャンペーンと1960(昭和35)年におけるカラーテレビの放送開始を契機として,普及し始めたと考えてよい。とくに1966(昭和41)年からそのキャンペーンにハーフモデルを起用して成功を収めたことが,ハーフモデルの日焼けした肌と大きな目に憧れる結果となって,欧米型のメイクが普及する大きな要因となった。ところが,1970年代の初めにハーフモデルを起用した日焼けの提唱がいったん終わり,その後,日本の美が見直されていくことになる。さらに,1980年代に入ると自然派志向やソフト志向が顕著となり,その中でアイドルタレントが化粧品のプロモーションに起用されるようになると,日本独自の自然でソフトな女性像,つまり1980年代の「かわいらしさ」のイメージが形成されていった。This article examines the trends of the Japanese cosmetics industry from the 1870s to the 1980s to reveal the changes in the Japanese sense of beauty and their causes. The results consist of two main findings: (i) after the Meiji period (1868-1912), the Japanese sense of beauty was affected by westernization but changed very slowly; and (ii) the westernization was followed by a backlash, resulting in the creation of a new sense of beauty unique to the Japanese.It is generally considered that in the Meiji period, cosmetics were commercialized and became popular among ordinary women and they started to powder their faces. In actual fact, however, skin care products such as soap, skin lotion and cream were developed earlier. Japanese women preferred simple makeup and thought light powdering was enough. Their reluctance to wear lipstick and eyeshadow in those days was much stronger than we can imagine today; therefore, it was difficult for them to accept the western sense of beauty.In the 1930s, the sales of skin cream, toothpaste, and scented oil products expanded; however, soon all the cosmetics products disappeared from the market due to the frugal habits and drastic commodity tax hikes during the Second World War. From after the war until around 1960, Japanese women used skin care products such as skin lotion and cream but hardly wore makeup.Western-style makeup techniques began to penetrate into Japan through the Roman Pink Campaign of Max Factor starting in 1959, also receiving a nice tailwind from the start of color TV broadcasting in 1960. In 1966, the advertising campaign starred a half-Japanese model, which resulted in a huge success. Many women admired her light suntanned skin and big eyes. This served as a great impetus for the spread of western-style makeup techniques.However, once the campaign starring the half-Japanese model with light suntanned skin finished in the early 1970s, Japanese women reviewed their sense of beauty once again. In the 1980s, when a desire for the soft, natural look became prominent and pop stars started to appear in cosmetics advertisements, the Japanese shaped their own unique image of female beauty that was soft and natural by emphasizing "cuteness" in the 1980s.
出版者
日経BP社
雑誌
日経ア-キテクチュア (ISSN:03850870)
巻号頁・発行日
no.683, pp.72-75, 2001-01-01

オフィス中央を貫く"メーンストリート"。本物の緑で人々を迎える"セントラルパーク"。バーやバスケットコートもある。訪れただれもが,この場所を「街」と呼ぶことに抵抗はないだろう。 TBWA・シャイアット・デイは,アップル・コンピュータの「Think Different」プロモーションなどの斬新なアイデアで知られる米国の有力な広告代理店の一つ。
著者
高木 雅惠 高木 雅恵
出版者
九州大学大学院比較社会文化学府比較文化研究会
雑誌
Comparatio (ISSN:13474286)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.1-14, 2012

Akutagawa Ryunosuke committed suicide during the literary controversy with his rival Tanizaki Junichiro, in which Tanizaki underlined the importance of the novel's plot while Akutagawa emphasized its poetic sentiment. Before his death, Akutagawa sent Tanizaki a copy of the novella Colomba by Prosper Mérimée. The plot of Colomba describes a vendetta, but the novella is also full of romantic local color described with poetic spirit. This paper argues that Akutagawa wanted Tanizaki to understand Colomba's poetic spirit.
著者
小橋洋平 坂野 達郎
出版者
一般社団法人情報処理学会
雑誌
情報処理学会研究報告自然言語処理(NL) (ISSN:09196072)
巻号頁・発行日
vol.2007, no.35, pp.71-76, 2007-03-29

本稿では、日本語学の分野において古くから指摘されてきた日本語文の階層構造について議論する。モダリティ論によると、日本語文は客観的な事柄を表す命題と心的態度を表すモダリティからなり、モダリティが命題を内包する構造を取る。この階層構造を解析することで、命題とそれに対する心的態度の情報を取り出すことが可能になると考えられる。我々は、階層構造の解析を、従来の係り受けを部分的に解析するものとして捉え、朝日・毎日・産経・読売新聞の社説記事を対象に、SVM に基づく既存の統計的な係り受け解析を行った。そして、階層構造と重要な関わりのあるモダリティと従属節の情報を素性に加えてその有効性について検証した。In this paper, we discuss the method to analyze Japanese hierarchical structure suggested by some researchers of Japanese Linguistics. According to the theory of modality, Japanese sentence consists of "proposition" that expresses objective thing and "modality" that expresses speaker's attitude, and modalities put proposition around. If we analyze the hierarchical structure, we can get the proposition and speaker's attitude toward it. In our study, we selected a general method for analyzing Japanese dependency structure based on Support Vector Machines for the analysis.
著者
李 艶
出版者
聖泉大学
雑誌
聖泉論叢 (ISSN:13434365)
巻号頁・発行日
no.16, pp.55-73, 2008

本論文は,心理学の立場から漢字と漢字の認知について検討する。漢字はそれ自体論理性があり,漢字を学習することは人間の論理性を育てるのに役に立つ。漢字は形,音声,意味という3つのコーデイングがあり,視覚的に優れている。また,漢字は弁別や認知もしやすい文字である。従って,漢字は学習しやすい文字であるといえる。以上の視点を踏まえて,漢字の優位性,漢字の認知,漢字と脳,漢字の学習,漢字と書道,漢字ゲーム,現代漢字心理などについて論じる。
著者
美和 千尋 河原 ゆう子 岩瀬 敏
雑誌
自律神経 = The Autonomic nervous system (ISSN:02889250)
巻号頁・発行日
vol.40, no.4, pp.399-405, 2003-08-15
参考文献数
10
被引用文献数
4
著者
波内 知津
出版者
筑波大学社会学研究室
雑誌
社会学ジャ-ナル (ISSN:03865983)
巻号頁・発行日
no.36, pp.101-116, 2011-03
著者
川上 量生 川岸 徹
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネスassocie (ISSN:13472844)
巻号頁・発行日
vol.10, no.20, pp.74-78, 2011-12-06

ネット業界で注目を浴びている川上量生さんが起業したドワンゴは、東京証券取引所の1部に上場し、グループの売り上げは年間300億円超。急成長中の動画共有サービス「ニコニコ動画」など、独自のサービスを立ち上げてきた。「僕は嫌々仕事をしている」と言う川上さんが、「競争せずに成長し続ける方法」を語った。
著者
角川 歴彦 田村 俊一
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1760, pp.78-81, 2014-10-06

10月、KADOKAWAがドワンゴと経営統合しKADOKAWA・DWANGOが発足した。日本のコンテンツ産業の未来を見据え、アナログとデジタル双方の強みを生かす。若き川上量生会長に経営を託したメディア界の重鎮がその思いを語る。
著者
川上 量生
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1745, pp.56-59, 2014-06-16

[ドワンゴ会長]川上 量生 氏統合の先、僕も読めない動画サイト「ニコニコ動画」が好調の中、KADOKAWAとの経営統合を決めた。日本のコンテンツ業界、ネット業界が抱える閉塞感への危機感が突き動かした。角川歴彦会長が「天才」と愛でる起業家は、どんな未来…
著者
川上 量生 今井 拓司 進藤 智則
出版者
日経BP社
雑誌
日経エレクトロニクス (ISSN:03851680)
巻号頁・発行日
no.1152, pp.93-97, 2015-02

「ニコニコ動画」など独自性の強いサービスで気を吐くドワンゴが、人工知能の研究や独自ハードウエアの開発に乗り出した。背景にあるのは、遠からず人は機械に負けてしまうという諦観や、他社に真似できないサービスの実現には独自のハードウエアが不可欠とい…
著者
雨宮 厚 谷 憲三朗
出版者
日経BP社
雑誌
日経メディカル (ISSN:03851699)
巻号頁・発行日
no.415, pp.160-162, 2002-06

横須賀米海軍病院では,1年間の研修を終えた医師に修了証を,病院の外観の写真を添えて手渡している。1973年から74年にかけて研修を受けた大船中央病院(神奈川県鎌倉市)の外科部長,雨宮厚氏は30年近くたった今でもこの写真を部長室に飾っている。戦前に旧日本海軍が建てた歴史を感じさせる建物だっただけに,雨宮氏の思い入れも一層深いようだ。
著者
洲見 光男
出版者
明治大学法科大学院
雑誌
明治大学法科大学院論集
巻号頁・発行日
no.2, pp.83-102, 2007-03

アメリカ合衆国(連邦)憲法修正4条(1)は,前段で「不合理な(unreasonable)捜索・押収(身体拘束)」を禁止し(以下,「合理性条項」という),後段で,令状は「相当な理由(probable cause)」に基づいて発せられる必要があること,および,捜索場所・押収目的物(身体拘束対象者)が特定されていることなど令状の発付要件を規定している(以下,「令状条項」という)。「不合理な」捜索・押収とは何か,それに対しどのような保護が与えられるのかについては,解釈に委ねられている。①「ルールに基礎を置く(rule-based)」アプローチは,修正4条が令状主義を採用したものと解し,令状によらない捜索・押収は,令状主義の例外にあたる場合を除いて,不合理であるとする。