著者
林 弘正
出版者
中央大学
雑誌
法学新報 (ISSN:00096296)
巻号頁・発行日
vol.121, no.11, pp.599-644, 2015-03

児童虐待は、個々に生起する保護者等による自子に対する侵害行為に「児童虐待」との呼称を付与し社会現象として共有される。児童虐待の公的データは、児童相談所での児童虐待相談対応件数の一九九〇年一、一〇一件から二〇一三年七三、七六五件の推移及び警察庁の児童虐待の罪種別・態様別検挙状況の一九九九年一二〇件から二〇一三年四六七件の推移である。両データは、相談対応件数及び検挙件数であり社会に生起している実相とは程遠いものでありナショナルデータの集積が喫緊の課題である。 本稿は、二〇一二年から二〇一四年までの三年間に裁判実務に顕在化した児童虐待事案から行為態様類型別に身体的虐待二事案、ネグレクト及び児童期性的虐待各一事案を考察の対象とする。具体的事案の分析を通して、児童虐待の問題の所在と児童虐待防止の方策について検討する。児童虐待事案は、ケースにより裁判員裁判の対象となり、厳罰化傾向の指摘されるなか最高裁第一小法廷平成二六年七月二四日判決は量刑に関する判断を示した。 本稿の基本的視座は、「児童虐待は、犯罪であり、刑事制裁の対象である。」、「被害者のサポートは、最優先課題である。」、「加害者に対する治療プログラムの提供は、児童虐待防止のため不可欠である。」との三点である。
著者
橋本 優花里 澤田 梢
出版者
福山大学
雑誌
福山大学人間文化学部紀要
巻号頁・発行日
vol.8, pp.117-127, 2008-03
被引用文献数
1

認知リハビリテーションには,認知機能回復訓練および代償手段の獲得だけでなく,障害認識の向上や社会的行動障害および心理症状へのアプローチが含まれる。本稿では,認知リハビリテーションの現状について,ここ20年ほどの間に定着してきた認知機能回復訓練の手法を概観するとともに,コンピュータの導入や集団訓練などの近年の新しい試みを紹介し,これからの課題について考える。また,認知リハビリテーションに携わる心理士についても,業務の実態を通して今後の課題を検討する。
著者
田中 麻帆
出版者
美学会
雑誌
美學 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.137-148, 2015-06-30

Contemporary artist David Hockney's (b. 1937) trips to Japan were connected to the works he created in the 1970s and 1980s. However, prior studies have not analysed these works in detail. This report re-examines Hockney's interest in Japan by collating the Japanese art that he encountered during his travels. Some scholars identify the works that Hockney created after first visiting Japan in 1971 as the impetus for his moving beyond naturalistic composition based on one-point perspective. This report additionally compares his works with Japanese paintings he may have encountered and indicates their similarity in terms of techniques depicting time. In the 1980s, Hockney created collages of photographs, which require time to shift the viewer's gaze across multiple points of focus. He called this visual sense "reverse perspective". Although preceding studies have referenced 'reverse perspective' theory, they have lumped together Chinese and Japanese art. Hockney has stated that his visit to Kyoto's Ryoan-ji Temple inspired his "reverse perspective" theory, the background of which requires further examination. Hockney explained this theory by referring to Chinese scrolls; however, when his works from that period are analysed in detail, they reveal that he might also have gained knowledge from his exposure to Japanese scrolls.
著者
丸山 幸彦
出版者
奈良大学史学会
雑誌
奈良史学 (ISSN:02894874)
巻号頁・発行日
no.24, pp.79-104, 2006

はじめに-問題の所在天正十三年(一五八五)の蜂須賀氏入部に対する反対運動については、阿波国百姓一揆についての研究の先駆けをなした桑田美信氏がその著『阿波国百姓一揆』で[天正度仁宇・大粟・祖谷山一揆」という項目をたて、つぎのように整理しているのが研究の出発点になっている。①天正十三年八月に那賀(仁宇谷)・名西(大粟山)・美馬(祖谷山)の山間部豪族が反乱を起こした。②藩主家政は仁宇谷と祖谷山に使を派遣したが、いつれも抵抗され殺害された。③後に北(喜多)六郎三郎が祖谷山の土民を説服し、木屋平(美馬郡種野山)の松家長大夫が名西郡上山村(大粟山)の反民を鎮め、山田宗重が仁宇谷を平定した。④ただ、祖谷山のみ抵抗がつづき六年間に及んだが、天正十八年(一五九〇)には平静に帰した。この説が提出されてから八十年近くたつが、この間この説にたいする批判的な検討は管見の限りではなされておらず、定説として定着している。二〇〇〇年代に入り『大日本史料』第十一編之二十が公刊され、天正十三年九月二日「是ヨリ先、蜂須賀家政、阿波二入ル、是日、国内ノ土冠ノ平定二奔走セシ森正則・伊澤頼綱等ノ功ヲ褒ス」の項に関係史料が整理されているので、あらためてこれにもとづき桑田説をみなおしてみたい。この項におさめられた史料は基本的には二つのグループに区分される。第一のグループは仁宇谷・大粟山・種野山での反対運動にかかわる由緒書・系図類である。このうち仁宇谷(現那賀郡鷲敷町・相生町など)にかかわっては「湯浅先祖相伝次第之事」(木頭村湯浅氏蔵)、「仁宇先祖相続次第之事」(仁宇村柏木氏蔵)、などが収められており、「仁宇谷之民不服者」「仁宇谷溢者一党」が蜂須賀氏に抵抗し、それへの鎮圧行動に参加したとしている。また仁宇谷に隣接する大粟山(現名西郡神山町)と種野山(現麻植郡美郷村・美馬郡木屋平村)については、[伊澤文三郎系図」が収められており、天正十三年八月国中の仕置きのために目付として兼松惣左衛門・久代市丘ハ衛・黒部兵蔵が仰付けられ、見分していたところ、仁宇山・大粟山の者が一揆を企て、大粟山で兼松惣左衛門が殺害された、また木屋平も大粟の者と行動をともにしたが、三木村(種野山内の村)などは一揆に同心せず、伊澤らと上山村の粟飯原源左衛門も久代・黒部に加担し一揆を追い払い両人を無事徳島に送り届けたとされている。第二のグループは『蜂須賀家政公阿波国御入国井御家繁昌之事』および『蜂須賀家記』の「瑞雲公」項である。いつれも蜂須賀家由緒書ともいうべきものであるが、仁宇谷.祖谷山の賊が服さなかったので、家政公は梶浦与四郎を仁宇谷に、兼松惣左衛門を祖谷山に遣わしたが、いつれも抵抗する賊のために殺されたので、家政は援軍を送りそれら逆徒を平定したとする。さらにこの第一・第二のグループの後に『大口本史料』は「ナホ阿波祖谷山ノ百姓抗拒シ、家政之ヲ鎮ムルコト、其年次ヲ詳ニセズ、姑ク左二掲グ」として『祖谷山善記』(以下『奮記』と略記する)の関連部分を収める。『善記』は延享元年(一七四四)年に祖谷山政所喜多源治が藩に提出した、中世にさかのぼる喜多家の由緒書であり、『大日本史料』に収められているのは、蜂須賀氏入部直後の動向についての記述、すなわち「私先祖北六郎三郎同安左衛門美馬郡一宇山に罷在、兼而祖谷山案内の儀に御座候へは、悪徒謙罰奉乞請、方便を以、過半降参仕候、…不随族は、或斬捨或搦捕罷出候、…」として蜂須賀氏入部直後、喜多家が蜂須賀氏にしたがわぬ祖谷山豪族を鎮圧し、これが喜多家が祖谷山を専制的に支配する契機なっていることを述べている部分である。『大日本史料」所収史料のあり方をふまえてみると、桑田説の①・②は第ニグループの『蜂須賀家記』の記述をそのままうけいれており、③は『蜂須賀家記』と第一グループの『伊澤文三郎系図』および『善記』を接合させておりそして④は『藷記』に天正十八年十二月北六郎三郎が定使に任命されたとあることをもって祖谷山一揆の終末としている。そしてこの桑田説については、つぎの三点が問題点として浮かびあがってくる。第一点は入部反対運動のなかで重要な位置を占めている祖谷山における動きについて、『奮記』が由緒書として書かれているにもかかわらず、その記述について史料批判をおこなわないままに、その記述に全面的に依拠してしまっている問題である。これは桑田氏以降も同様であり、上記の記述がそのまま事実として使われ続けている。第二点は入部反対運動が長宗我部元親の秀吉への降伏、それにつづく秀吉の四国国分の結果として阿波国に蜂須賀氏の入部がなされたことにたいして起こっていることを見落としている問題である。入部反対運動は阿波一国内の動きとしてのみとらえることはできないのであり、阿波・土佐・讃岐・伊予四国またがる四国山地全域での動きの一環としてとらえる必要がある。第三点は反対運動を近世の百姓一揆の初発としてとらえ、中世からの連続面についての分析がないという問題である。大粟山・種野山・祖谷山・仁宇谷などは平安時代末以来高度な展開をとげてきている中世の山所ら領であるという事実にしめされているように、反対運動は中世を通して独自な山の世界として中世村落が豊かに展開してきている場で起こっている。このような中世的な村を拠点に活動する在地豪族の存在を前提にしなければ、この運動は正当に評価できないはずである。本稿はこの三点から桑田説の見直しをおこなう。その際、第一点について、『善記』における蜂須賀氏入部に反対する天正祖谷山豪族一揆の記述については、史料批判をぬきにしてはそのままでは使えないということをふまえて、本稿では分析対象からは除外し、祖谷山については『善記』以外の史料からみるという方法をとる。
著者
山本 洋史 河島 猛 岩田 裕美子 森下 直美 宗重 絵美 西薗 博章 平賀 通 好村 研二 前倉 亮治
出版者
JAPANESE PHYSICAL THERAPY ASSOCIATION
雑誌
日本理学療法学術大会
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.DcOF1083-DcOF1083, 2011

【目的】<BR>胸部CTで上肺優位の気腫化と末梢肺底部優位の線維化所見を認めるCPFEは、肺機能上軽微な混合性障害と著明なガス交換障害を示す。重症化すると肺高血圧症が進行し、生命予後を悪化させる(Cottinら 2005、2010年)。そのため労作時の低酸素血症と息切れによりADLは制限されるため、PTやOTの介入が必要と考えられるが、その臨床像や治療実施とその効果に関する報告は少ない。そこで本研究では、retrospectiveであるがCPFE患者の肺機能や運動負荷心肺機能検査(Cardiopulmonary exercise testing ;CPET)、PT実施前後の6分間歩行検査(6MWT)の結果を、運動耐容能を一致させたCOPD患者と特発性肺線維症(IPF)患者とで比較することにより、CPFEの運動生理学的特徴を理解し、今後のPT治療の方針を考案することを目的とする。<BR>【方法】<BR>全身状態が安定したCPFE患者で、PT前に肺機能検査とCPETをおこない、PTとその前後で6MWTを実施した10例を対象とした。肺機能検査の項目はVC、FEV<SUB>1</SUB>、FEV<SUB>1</SUB>/FVC、%DL<SUB>CO</SUB>を選択した。CPETはTreadmillを用いた3分毎漸増負荷を症候限界まで実施し、呼気ガス分析、A-Line留置での動脈血ガス分析、Brog Scale(BS)を各ステージで記録した。6MWTはPT実施前後の2回、日常歩行でのSpO<SUB>2</SUB>、脈拍数、BSを把握するためマイペースとし、1分毎に各々記録した。PTはCPETの結果を基に酸素吸入の有無とその吸入量、安全に運動ができるSpO<SUB>2</SUB>と脈拍数を示したSafe rangeを症例毎に医師から処方され、それを遵守しながら呼吸練習、運動トレーニング、ADLトレーニングなどを計20回以上実施した。また同条件で検査をおこなったCOPD患者とIPF患者で、CPFE患者のCPETでpeak VO<SUB>2</SUB>を合致させた各々14例と9例を抽出し比較した。各検査結果について3群間の比較を、TukeyのHSD検定をおこなった。なお、有意水準を5%未満とした。<BR>【説明と同意】<BR>CPET実施前に全症例に対して検査方法と研究のためのデータ使用に関する説明と同意を書面にておこなった。<BR>【結果】<BR>CPETにおける運動継続時間とpeakVO<SUB>2</SUB>は3群間で差はなかった(CPFE/COPD/IPF:493/410/354秒、15.2/13.9/14.7 ml/min/kg)。年齢とMRC scaleも差はなく(72.7/72.5/73.2歳、2.7/2.9/3.0)、BMIはCPFEが他2群より高値であった(23.1/19.8/18.4 kg/m<SUP>2</SUP>)。肺機能検査では、%VCはIPFが他2群より低値(102/98/60%)、%FEV<SUB>1</SUB>はCOPDがCPFEより低値(76/42/58%)、FEV<SUB>1</SUB>/FVCはIPF、CPFE、COPDの順で高値であり(63/40/92%)、%DL<SUB>CO</SUB>はCOPDよりもCPFEが低値であった(40/66/48%)。運動終了時のV<SUB>E</SUB>はCPFEが他2群よりも高値で(47.9/31.2/31.1 ml)、換気制限を示す指標であるV<SUB>E</SUB>/MVVはCOPDが高値であった(74.4/93.1/67.1)。最大運動時の心拍数は差を認めなかったが、CPFEが高値である傾向を示した(140/126/117 bpm)。さらに運動終了時のPaO<SUB>2</SUB>はCPFEとIPFで低酸素血症を示した(49.8/63.2/58.7 mmHg)。PT前のマイペース6MWTでは、歩行距離に3群間で差はなく(286/253/258 m)、歩行終了時のSpO<SUB>2</SUB>、脈拍数、BSにも差は認めなかったが(88/91/91%、108/104/105 bpm、2.3/1.7/3.3)、歩行開始から終了時のSpO<SUB>2</SUB>低下はCPFEが大きかった(-8.4/-5.0/-6.1%)。PT実施前後でのマイペース6MWTの距離はCPFEで短縮したが(-39/41/8m)、歩行終了時のSpO<SUB>2</SUB>は88%から90%に改善した。<BR>【考察】<BR>CPFEの運動制限因子として、COPDやIPFと比較して、換気に余力を残すが、ガス交換障害に起因する低酸素血症が大きいと考えられた。またマイペース歩行検査から日常生活でも低酸素血症をきたしながらも、換気制限が著明でないため息切れを強く感じずに歩行していた。長期にこの状態が続くと肺高血圧症の進行に悪影響を及ぼすことが示唆された。したがって、PTにおいては低酸素血症をきたさないように、動作速度や方法を指導する必要があると考えた。PT後の歩行距離の短縮はその結果である。これらの結果から、CPFEはCOPDよりもIPFに近い病態を示していると考えられた。<BR>【理学療法学研究としての意義】<BR>CPFEの運動生理学を理解することは、EBMに基づいたPTプログラムの立案が可能となる。
著者
山口 亮 鈴木 拓馬 山田 晋也
出版者
日本森林学会
雑誌
日本森林学会大会発表データベース
巻号頁・発行日
vol.127, 2016

近年、気温の高い日が多く、特に夏季の最高気温が30℃を超える日が増加している。このため、原木シイタケ栽培の夏季における休養中のほだ木への影響が懸念される。そこで、自然条件よりも高い温度でほだ木を休養させ、子実体発生への影響を検討した。 シイタケ中高温性品種2種を接種したほだ木を用いて、浸水、子実体採取、休養の順番で複数回繰り返し、発生した子実体の生重量及び個数をほだ木ごとに測定した。発生は2014年5月から2015年12月にかけて8及び12回行った。休養は通常の栽培で用いられる遮光ネット下及び加温した遮光温室下(以下、遮光区、加温区)で行った。加温区のほだ木内部温度は、遮光区よりも平均で2から3℃高い状態となった。 ほだ木一代の子実体発生量は、2品種ともに試験区間で差はみられなかった。しかし、発生回ごとの子実体発生量は試験区間で差がみられる場合があり、夏季に限ると加温区における発生量は減少し、浸水から収穫までの日数が増加し、高温下での休養の影響が現れた。その後の発生回では、加温区の発生量が遮光区を上回ったことから、ほだ木への影響は長期に及ばないと思われる
著者
北條 正司
出版者
The Japan Society for Analytical Chemistry
雑誌
分析化学 (ISSN:05251931)
巻号頁・発行日
vol.63, no.9, pp.715-726, 2014

塩を混合することにより,濃硝酸ばかりか希硝酸にも酸化力が発現することを確認する目的で,アルカリ金属,アルカリ土類金属及びアルミニウム塩化物塩を含有する0.1~2 mol dm<sup>-3</sup>硝酸中に貴金属類,特に,金を溶解することを試みた.2.0 mol dm<sup>-3</sup> HNO<sub>3</sub>にAlCl<sub>3</sub>を1.0 mol dm<sup>-3</sup>混合した20 mL溶液中(15~80℃)に,純金板(20 ± 2 mg,厚さ0.1 mm)は完全溶解するが,温度の上昇に伴い,完全溶解に要する時間は著しく短縮した.40及び60℃ において,塩化物塩を混合した2.0 mol dm<sup>-3</sup> HNO<sub>3</sub>溶液中での金線(19.7 ± 0.5 mg,直径0.25 mm)の溶解速度定数[log (<i>k</i>/s<sup>-1</sup>)]は,一般的に塩濃度の増大と共に上昇した.例えば,60℃ において2.0 mol dm<sup>-3</sup> HNO<sub>3</sub>溶液中にLiClを1.0,2.0,3.0及び4.0 mol dm<sup>-3</sup>混合すると,log (<i>k</i>/s<sup>-1</sup>)値はそれぞれ-4.15,-3.77,-3.45及び-3.14へと上昇した.ずっと濃度の低い硝酸(0.1~1.0 mol dm<sup>-3</sup>)を用いると金線の全溶解時間は著しく長くなった.純金の溶解は,硝酸及び塩酸濃度の低い「希王水」,例えば,1.0 mol dm<sup>-3</sup> HNO<sub>3</sub>と1.0 mol dm<sup>-3</sup> HClの溶液中でも起こる.50 mL海水と2.0 mol dm<sup>-3</sup> HNO<sub>3</sub>の1 : 1混合液中に,金線5本(0.10 mg)を100℃ において約17時間で完全溶解させることに成功した[log (<i>k</i>/s<sup>-1</sup>)=-4.52].塩酸濃度の増加に伴うラマンスペクトル変化に基づき,バルク水構造の破壊及び水の特性の変化を議論した.
著者
半谷 吾郎 BERNARD Henry
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.32, pp.37-37, 2016

<p>一斉開花結実があり、季節性の大きな低地フタバガキ林に覆われた、ボルネオ島、ダナムバレー森林保護区のレッドリーフモンキー(<i>Presbytis rubicunda</i>)1群の遊動パターンを、25か月にわたって調査した。他のコロブスの個体群に比べて、遊動域が小さく、一日の遊動距離が長く、食性の季節変化との関連が見られないことが、この個体群の遊動の特徴だった。全調査期間を通じた遊動域(95%カーネル)は、21.4haだった。月ごとの遊動域、およびコアエリア(50%カーネル)の大きさは、4つの食物カテゴリー(種子、新葉、<i>Spatholobus macropterus</i>の新葉、<i>Spatholobus macropterus</i>以外の新葉)の採食時間から、統計的に有意な影響を受けていなかった。種子をよく食べる季節に、遊動域をシフトさせる傾向も見られなかった。一日の遊動距離、および月ごとの1時間当たりの遊動距離は、いずれもその日・その月の食性から有意な影響を受けていなかった。一日の遊動距離は1160±340 m(平均±SD、レンジ: 550-2140 m)だった。この遊動パターンは、森林内に小さなパッチが高密度で存在するマメ科のつる、<i>Spatholobus macropterus</i>の新葉1種だけをフォールバック食物として利用する、この個体群の独特な採食戦略によって説明できる。遊動域が小さいのは、食物が総量として豊富にあるからである。一方、一日の遊動距離が長いのは、パッチの一つ一つが小さく、すぐに枯渇してしまうからであると考えられた。</p>
著者
〓 徳泉 増田 拓朗 守屋 均
出版者
日本緑化工学会
雑誌
日本緑化工学会誌 = / the Japanese Society of Revegetation Technology (ISSN:09167439)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.292-295, 2001-08-31
参考文献数
10
被引用文献数
1

高松市中央通りの中央分離帯に植栽されているクスノキ並木をめぐって, 市のシンボルとしての緑豊かな樹冠を望む一般市民と, 見通しのよい圧迫感のない車道空間を望む運転者の論争が20年以上にわたって繰り広げられている。車道上に張り出した車道建築限界 (4.5m) よりも低い枝が問題になっているわけだが, 現在, このクスノキ並木の平均樹高は10.4mで, ほぼ樹高成長の上限に達しており, 現状で下枝を切除すると極めて貧弱な樹冠にならざるを得ない。4個体を選んで土壌断面調査を行ったところ, 有効土層は浅い所では40cm, 深い所でも80~90cmであり, 固結土層が樹高成長を制限している可能性が示唆された。固結土層を膨軟化して, 有効土層を深さ1.5m以上確保してやれば更なる樹高成長が期待でき, 緑豊かな樹冠と見通しのよい圧迫感の少ない車道空間の両立が可能になるものと考えられる。
著者
長井 政太郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.10, no.6, pp.443-466, 1934

The depth of snow on the ground does not always coincide with the quantity of snowfall, although the two may be regarded as almost equal. I therefore do not think it irrational to regard the former as indicative of the latter. Snow-depth is greatly affected by the condition of the weather from day to day or by the yearly climate. However, after the snow attains a certain depth, we may notice its outstanding characteristics as the result of conditions peculiar to that region.<br> In such a district as in Yamagata, for example, except near the Oou mountain range, where it snows under the influence of northerly or northwesterly winds from the Japan Sea, the snow-depth changes with certain regularity. From observations made during the time of deepest snow, namely, from the middle of February to the beginning of March, we find certain features characteristic of this district. The writer has constructed maps showing the geographical distribution of snows, the highest records of snow-depth, and the thawing season of snows from data obtained by the primary schools of this prefecture for the last 3 years, and he finds some close relationships between them.<br> Generaly speaking, deep snow delays the blooming of such trees as the cherry and affects considerably early spring agriculture. To establish climatic boundaries in such snowy districts as this prefecture, it is necessary to take into consideration data covering snowfall, etc.. According to the isothawing line of snow and the isoblocmning line of cherry blossoming the writer has divided this prefecture into the following regions.<br> I Region of little snow<br> a. The Syônai field b. The southern parts of the Yamagata-basin<br> II Region of medium amount of snow<br> a. The western parts of the Yamagata-basin b. The southern parts of the Nagai-basin c. Yonezawa-basin<br> III Region of much snow<br> a. Sindyô-basin b. Gbanazawa-basin c. The Dewa hills d.The Oou Mountains.
著者
Kai Keiko Kainuma Mikiko Murakoshi Naomi Omasa Kenji
出版者
The Society of Agricultural Meteorology of Japan
雑誌
農業気象 (ISSN:00218588)
巻号頁・発行日
vol.48, no.5, pp.771-774, 1993
被引用文献数
8

Strong correlations were found between blooming dates and meteorological factors. Based on these correlations, predictive maps of blooming dates in the Japanese Islands were proposed for each case of 1, 2 and 3°C of warming. The correlation was tested for the blooming dates of <i>Prunus yedoensis, Prunus mume, Camellia japonica, Taraxacum, Rhododendron kaempferi, Wistaria floribunda, Lespedeza bicolor, Hydrangea macrophylla, Lagerstroemia indica, Miscanthus sinensis</i>, etc., using the data of monthly mean temperatures, warming indices and cold indices from 102 meteorological stations in Japan between 1953-1990. Simple and multiple regression analyses were used for the correlation.<br>Among meteorological factors, the strongest correlation was shown for monthly mean temperatures. Notably, the strongest was obtained for the case of <i>Prunus yedoensis</i>. The cold index and mean temperature of the previous December also showed the best correlation for species such as <i>Prunus mume</i> and <i>Camellia japonica</i>. Strong correlations between the leaf color-changing dates of Ginkgo biloba and Acer palmatum and the monthly mean temperature were found in one month of autumn. In these species, there was a delay of 2-7 days with a 1 degree increase in mean temperature.<br>The 30-year 1km<sup>2</sup> temperature-climate mesh-file developed by the Japan Meteorological Agency was used for the phenological estimation and predictive maps of blooming dates. Each observatory station was classified according to its annual mean temperature. Blooming for each mesh was estimated through monthly mean temperatures and regression equations of corresponding stations. Then, distribution maps of predictive blooming dates distinguished by 5-day divisions were made.
著者
小泉 孝子
出版者
日本肺癌学会
雑誌
肺癌 (ISSN:03869628)
巻号頁・発行日
vol.42, no.7, pp.832-834, 2002-12-20
参考文献数
1

<B>目的</B>.「健康宝珠山村21」の計画策定を前に, 資料づくり及び保健事業の見直しを考え, 肺がん検診の問題点を把握し, 今後の事業推進に生かすことを目的としています. <B>研究計画 (方法)</B>. 1) 宝珠山村人口動態調査死亡票, 2) 宝珠山村疾患別医療受診統計 (毎年5月分診療費), 3) 宝珠山村肺がん検診受診状況, 上記3項目の1994年から, 2001年までを調査し分析しました. <B>結果・結論</B>. 35%の高齢社会の宝珠山村では, 脳血管障害等の予防に追われるうちに, 肺がんが高齢者に増加しています. 生活習慣が山村も都市化したことが考えられますが, 70歳以上の高齢者は, 農林業の傍ら炭鉱と関わっていたことが原因ではないかと考えます. 今後聞き取り調査等で分析が必要と考えます. 受診率を高くするには, 各種団体と連携をとり効率的な検診の実施と, 住民と十分な協議を重ね, 検診受診の環境づくりが必要と感じます.