著者
花田 文男 ハナダ フミオ Fumio HANADA
雑誌
千葉商大紀要
巻号頁・発行日
vol.42, no.3, pp.17-38, 2004-12-31

殺害者がいると死体は血を流す,血を流して殺害者を告発することは中世人にとってはあり得べきことであった。古くから受け継がれた伝承,信仰であると同時に事実の認識であった。中世の歴史家はたびたびその事実を報告している。おそらく死者にも意思が存在するという信仰の名残りであろう。とりわけ非業の死をとげた者ほど強い意思,うらみが残った。このモチーフを文芸作品の中ではじめて用いたのは12世紀後半のクレチアン・ド・トロワである。『イヴァン(獅子の騎士)』では,イヴァンは致命傷を負わせた騎士を追ってかえって城の中に閉じこめられる。魔法の指輪によって姿の見えなくなったイヴァンの前を騎士の遺体が通ると,遺体から血が噴き出す。遺体から血が流れているのに,犯人が見当らないことに周囲の者は不思議に思う。作者がどこからこの想を得たかは不明にしても,殺害者が自ら殺した者の葬列の場に居合わせざるをえないという状況がこのモチーフを用いさせた動機となったのではなかろうか。彼の追随者たちは好んでこの主題を取り上げるが,師ほどの成功を収めることはなかったようだ。
著者
藤田 尚
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.51, no.4, pp.97-122, 2018-03-30

本稿は,従来から福祉の分野で用いられている「社会的養護」の定義に疑問を呈し,諸外国の定義と比較して,「社会的養護」には,児童だけでなく,高齢者,障害者,ホームレス等まで含まれるとの新たな解釈を示したものである。そして,その解釈に基づき,近年,様々な政策が打ち出されている司法と福祉の連携を再犯防止の観点のみではなく,「犯罪予防」の観点から,まずは,児童虐待と少年非行の関係及びこれから問題になるであろう介護犯罪に焦点を当て,アメリカの現状を参考に,司法と福祉の立役者であるソーシャルワーカーのアウトリーチを活用した早期介入やソーシャルワーカー同士の情報ネットワークの構築を提言している論文である。
著者
鳥越 皓之
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.35-51, 2001-03-30

民俗学において,「常民」という概念は,この学問のキー概念であるにもかかわらず,その概念自体が揺れ動くという奇妙な性格を備えた概念である。しかしながら考え直せば,逆にキー概念であるからこそ,民俗学の動向に合わせてこの概念が変わりつづけてきたのだと解釈できるのかもしれない。もしそうならば,このキー概念の変遷を検討することによって,民俗学の特質と将来のあり方について理解できるよいヒントが得られるかもしれない。そのような関心のもとに,本稿において,次の二つの課題を対象とする。一つが「常民」についての学説史的検討であり,もう一つが学説史をふまえてどのような創造的な常民概念があり得るのかという点である。後者の課題は私自身の小さな試みに過ぎないためにそれ自体は一つの主張以上の評価をもつものではない。だが,機会あるごとにこのような方法論レベルの試みを行うことが,民俗学の可能性を広げるものであると信じている。前者の学説史においては,柳田国男の常民の使用例は三つの段階に区切れること,また,神島二郎,竹田聴洲の常民についての卓越した見解の位置づけを本稿でおこなっている。後者の課題については,学説史をふまえて「自然人としての常民」とはなにかという点を検討している。そして常民概念は,集合主体レベル,文化レベルでのみとらえるのではなくて,個別の生存主体としてのワレからはじまり,それが私的世界を越えて公的世界に開かれたときにはじめて集合主体や文化主体として現象すると理解した方がよいのではないかと提案している。つまり民俗学は,一個一個の人間の個別な生存主体を大切にしてきたし,今後もそれを大切なものとみなしていくことが民俗学の方法論的特性だから,常民概念の基本にそれを設定すべきだと指摘しているのである。
著者
牧野 聖久 松河 剛司
雑誌
研究報告デジタルコンテンツクリエーション(DCC) (ISSN:21888868)
巻号頁・発行日
vol.2018-DCC-20, no.8, pp.1-6, 2018-10-31

Unity を用いて開発したドットグラフィックを用いたアクションゲームについて,高解像度ディスプレイにおいてドットグラフィックをピクセルパーフェクトで表示する手法や,追加カメラを用いて実装したドットグラフィックの表現を崩さない画面ズームの手法について述べる.
著者
プラダン ゴウランガ チャラン Gouranga Charan PRADHAN
出版者
総合研究大学院大学文化科学研究科
雑誌
総研大文化科学研究 = Sokendai review of cultural and social studies (ISSN:1883096X)
巻号頁・発行日
no.13, pp.99-111, 2017-03-31

『方丈記』は成立して間もないころから、様々な視点から多くの作品の中に受容され、連綿と関心が注がれ続けてきたのみならず、外国の人々からも多くの注目を集めてきた。夏目漱石が帝国大学在学中、英文学科の教授であったディクソン(James Main Dixon)の依頼により『方丈記』の最初の外国語訳として英訳を行ったことはよく知られている。また、ディクソンは、漱石の英訳を下敷きにして長明とワーズワースを対比した論文を執筆し、独自に『方丈記』の英訳も試みた。この二人の取り組みをきっかけとして、この作品は海外においても認識されるようになった。従って、『方丈記』に対する漱石とディクソンの持ったイメージは、国内外におけるこの作品の受容史を検討する上で重要な意味をもつと考えられる。本稿ではこの二人の執筆した論文を中心に、国内外の英語文献から『方丈記』に関する言説の分析を行い、その受容に関する理解を深めることを目的とする。そこから漱石の英訳以前において既に英語をはじめ外国語の文献の中でこの作品が言及されていることが判明した。漱石に英訳を依頼したディクソンは、西洋の人々の中で初めてこの作品に強い関心を持ったと言えるが、より具体的に彼は『方丈記』に描写された隠者ないし孤独さといった主題に注目したと思われる。また、ディクソンの研究発表や当時の学会議事録から、西洋の人々はキリスト教の道徳的価値観の視点から鴨長明の行動を理解しようとしたものと考えられる。さらに漱石のエッセイとディクソンの書いた論文の関係についても検討をすると、ディクソンは漱石のエッセイから多くの内容を自身の論文に取り入れたこともわかった。Kamo no Chōmei’s Hōjōki (1212) has a long history of readership. Throughout the history of Japanese literature, it continuously invited attention, not only from readers in Japan, but also from abroad. It is well known that Natsume Sōseki translated Hōjōki into English while he was a student at the request of James Main Dixon, his English literature professor at Tokyo Imperial University. Dixon, building upon Sōseki’s translation, further authored an article comparing Kamo no Chōmei with English poet William Wordsworth, and also produced his own English translation. It is owing to the endeavours of these two that Hōjōki became available to readers in the West for the first time. Hence, in order to study the history of Hōjōki’s reception, especially its circulation in the West, the insights offered by Sōseki and Dixon are particularly crucial. With this in mind, the focus in this paper is to deepen our understanding of Hōjoki’s reception through a close analysis of relevant English language resources that mention this work. We have found, from our study of late nineteenth century resources, that Hōjōki had already appeared, albeit in fragments, in English-language literature before Sōseki’s translation. Dixon was perhaps the first Westerner to show a keen interest in Hōjōki, and his primary thematic interest was the issue of reclusion and solitude. Also, the contents of Dixon’s talk on Chōmei show that the Western audience appreciated Hojoki and its author from the perspectives of the Christian cultural ethos. This paper also discusses the intertextual affinity between Sōseki’s essay and Dixon’s article. It demonstrates how the latter built his arguments based on the former’s ideas.
著者
Okada Sachio Hoshina Shokichi
出版者
山形大学
雑誌
山形大学紀要.工学
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.181-210, 1950-09-30

3次元vector算に於ける數値積,内積,外積等種々の積の逆算を考察し之に依り内零因子,外零因子,内逆元,内商,外商等を求め内逆元から内積に関しvectorの一般整数巾(ベキ)を定義しvector代數に除法を導入した,叉Hamilton作用素(演算子)∇ (nabla)の逆元∇^(-1)によつて従來Pot, New, Max, Lapとして知られていた積分演算子の法則をvector除法の代数に歸する事が出来た,就中[A[BC]]=(CA)B-(AB)Cに於てA=B=∇として ∇^2A=∇divA-rot rotAを得ると同様に, A=^(-1), B=D, C=Xとして[D^(-1)[DX]]=D(D^(-1)X)-(D^(-1)D)X=D(D^(-1X))--XからvectorXのDに平行,垂直兩成分への分解式X=X_Ⅱ+X_⊥=D(D^(-1)X)-[D^(-1)[DX]]を得,更に此Dを∇(nabla)と解釋して任意のvector場を泉成分X_dと渦成分X_γに分解する公式X=X_d+X_γ=∇(∇^(-1)X)-[∇^(-1)[∇X]=grad grad^(-1)X-rot^(-1)rotX=div^(-1)divX-rot rot^(-1)X=∇^(-2){∇divX-rot rotX}を得,之等の代数的同一性を示し,周知の逆vector系も本逆vecterの1種である事を示し,vectorは和と外積に関しLie環である事も指摘した。
著者
林 英樹
出版者
東洋文庫
雑誌
東洋学報 = The Toyo Gakuho (ISSN:03869067)
巻号頁・発行日
vol.79, no.1, pp.39-73, 1997-06

Up to the present, many scholars have dealt with Shang-gu-zhi-lu (商買之律), laws of traders, in connection with the study of social rank system in the Qin (秦) and Han (漢) Dynasties. In this paper. the methods to control the northern area of the Han Empire in the early Han era, where laws which intertwine with political issues will be discussed by the author.Gao-zu of Han (漢高祖) attempted to firmly rule the northern area. In the late Qin era, the influence of Xiong-nu (匈奴) became stronger as they expanded southward. Under these circumstances, traders from Bai-tu (白土) conducted commerce between China and Xiong-nu, which had steadily developed. After taking over Guan-zhong (関中), Gao-zu fortified the Han-Xiong-nu frontier against possible Xiong-nu attacks, and abolished the traders commerce. Upon conquering Dai (代) and Zhao (趙) districts, Gao-zu sent Zhang Cang (張蒼) from the central government, in order to rule the frontier region. This measure infringes upon the principle of local rule in the Han dynasty, that as a regulation, the frontier shall be within the jurisdiction of the local government. Therefore, this measure illustrates an active interest of the central government in this region.But Gao-zu had Han Wang Xin (韓王信) command this region as a king, and later Zhang Cang was transferred back to the central government. Immediately thereafter Han Wan Xin and the traders became closely allied with Xiong-nu and revolted against the Han Empire.Gao-zu sent Chen xi (陳稀) from the central government to reconstruct the frontier rule. After putting down this insurrection, he enacted the laws of traders. The objective was to rule the traders who were closely related to the Xiong-nu.This policy, however, due to Chen xi reveling with the traders, Han Wang Xin, and the Xiong-nu had failed. It was a conflict between the Han Empire’s rule system and the local community in the early Han era. Therefore, Gao-zu endeavored to grasp public feeling in the area, and made the traders surrender in exchange for providing them with rewards. By tolerating the trader’s values, Gao-zu intended to incorporate them into the Han Empire’s sphere of rule. Thus, methods to control the traders became ever more skillful.
著者
稲村 雄 本郷節之
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.45, no.8, pp.1823-1832, 2004-08-15

SSL,SSH,IPSec等のいわゆるセキュアプロトコルを利用することにより,インターネット等の公衆ネットワークを介してプライバシ保護の必要な情報を安全にやりとりすることは,現在では十分現実的なオプションとなっている.しかし,そのようなネットワークの末端となる個々の計算機の内部実行環境を見ると,プライバシを要するデータの機密性/完全性を保護する機構はほとんど用意されていない.そのため,今後はこの内部実行環境に存在する脆弱性を突いた形でプライバシ情報を含む機密データを奪取するという形の攻撃に対する防御が重要性を増すと考えられる.本稿ではそのような計算機内部の実行環境を改善するための一方式として,暗号コプロセッサ等を持たない一般的な計算機ハードウェア(H/W)およびソフトウェア(S/W)で実装可能な“暗号化メモリシステム”なる手法を提案する.
著者
芹澤(松山) 和世 安田 泰輔 中野 隆志 芹澤 如比古
出版者
富士山科学研究所
雑誌
富士山研究 = Mount Fuji Research (ISSN:18817564)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.13-18, 2009-03

2007年9月に山中湖で大型藻類の潜水調査を行ったところ、湖北岸東部のママの森地先の水深1-5mと北東端の平野ワンドの水深2mの湖底で、礫上に着生する糸状緑藻を発見した。その外部形態および内部形態の詳細な観察を実体顕微鏡および生物顕微鏡を用いて行なったところ、マリモの特徴と一致し、フジマリモであると判断した。山中湖ではフジマリモの発見以来、その分布に関する調査が数回行われているが、その分布範囲の縮小や生育環境の悪化が懸念されてきた。そして1993年の調査を最後に本湖ではフジマリモは確認されなくなった。今回、わずかではあるが山中湖では絶滅したと思われていたフジマリモが再発見され、本種の保護と回復のための何らかの対策の必要性が感じられた。
著者
芹澤(松山) 和世 金原 昂平 米谷 雅俊 渡邊 広樹 白澤 直敏 田口 由美 神谷 充伸 芹澤 如比古
出版者
富士山科学研究所
雑誌
富士山研究 = Mount Fuji Research (ISSN:18817564)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.1-6, 2015

緑藻シオグサ目のフジマリモは富士五湖のうち山中湖、河口湖、西湖の 3 湖ではその生育が確認されているが、精進湖と本栖湖では未確認であった。しかし、西湖・精進湖・本栖湖はもともとひとつの湖であったものが富士山の噴火により分断されてできた湖なので、精進湖や本栖湖にもフジマリモが生育している可能性が高い。そこで、本研究では精進湖と本栖湖にフジマリモが生育しているか否かを確認することを目的に採集器や潜水による調査を行った。その結果、2012 年 6 月に精進湖の水深 2 〜 5 m で、2013 年 11 月に本栖湖の水深 17 〜 22 m でマリモ属様の糸状緑藻を発見した。顕微鏡観察を行った結果、藻体には枝と不定根が認められ、細胞内部には円盤状の葉緑体や多裂型のピレノイド、複数の核が確認された。これらはマリモ属の特徴に一致し、細胞の大きさと形、産地などから、本種をフジマリモと同定した。また、リボソームDNA の塩基配列(ITS 1 - 5 . 8 S-ITS 2 領域)は既知のマリモの配列とほぼ一致した。したがって、本研究により精進湖と本栖湖にもフジマリモが生育していることが明らかになった。
著者
大園 享司 広瀬 大 Takashi Osono Dai Hirose
出版者
同志社大学ハリス理化学研究所
雑誌
同志社大学ハリス理化学研究報告 = The Harris science review of Doshisha University (ISSN:21895937)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.41-51, 2020-04-30

樹木の生葉に由来する内生菌が枯死葉からも出現しその分解に関与することが知られている。本総説では、樹木の葉リターの分解に関わる内生菌の分類と生態を集約した。内生菌の葉リターにおける出現、定着、遷移、存続と、分解プロセスへの貢献についてまとめた。環境DNAを対象とした分子生物学的手法を用いた予備的な研究から、亜熱帯林と熱帯林の樹木葉でのリグニン分解に果たす内生菌の役割は小さいことが示唆された。
著者
齋藤 順一
出版者
実践女子大学
雑誌
実践女子大学人間社会学部紀要 = Jissen Women's University Studies of Humanities and Social Sciences (ISSN:24323543)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.119-131, 2022-03-31

本稿の目的は、臨床現場(特に保険医療分野)でCBT を使いこなすため、CBTにおける転移と逆転移の理解を深めることであった。そのために、まずCBTの治療関係や治療構造について整理し、CBTでは協働的実証主義という治療関係や治療全体の構造化により、転移と逆転移を最小限に抑えることで、効率よく現在の問題に取り組むことができるように図られていることを確認した。しかしながら、パーソナリティ障害の傾向が強いクライエントの場合、転移と逆転移についての洞察に注意を払う必要があり、対人関係スキーマを検討することの意義が述べられた。最後に、対人関係スキーマを検討するため、スーパービジョンを活用することや、セラピストのマインドフルネスが重要であることが述べられた。