義視 (@kamo1868)

投稿一覧(最新100件)

RT @tvdrama_db: 「テレビドラマデータベース」などネット上のドラマ情報媒体を用いた研究論文。「放送前の情報のみを用いたテレビドラマの視聴率予測」https://t.co/r2BvpF7tSU
RT @nekonoizumi: CiNii 論文 -  バルカン半島国、アルバニアにおける日本アニメの受容 : 歴史と近隣国イタリアの影響 https://t.co/wuvPv8fDpv CiNii 論文 -  アルバニアにおけるスタジオ・ジブリアニメーション : アルバニア…
RT @nekonoizumi: CiNii 論文 -  バルカン半島国、アルバニアにおける日本アニメの受容 : 歴史と近隣国イタリアの影響 https://t.co/wuvPv8fDpv CiNii 論文 -  アルバニアにおけるスタジオ・ジブリアニメーション : アルバニア…
RT @noyorin: 渋沢の上司として出てきた森新十郎って、明治政府では外務官僚的な職につくのか #青天を衝け https://t.co/01T7dvcIPS
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒尾川翔大 「政党内閣期における行財政整理と運動競技の所管問題について」 『スポーツ史研究』33巻(2020) https://t.co/tsiyIFqwZm
RT @T_urade1987: 鈴藤勇次郎の書簡。どうも平岡円四郎暗殺事件で川村が水戸藩の刺客と応戦の際使った刀は鈴藤のものだったようです。顔に傷を負った川村に「尊兄当時は大いにモテ風聞有之御浦山敷奉存候」と言っていますね。 https://t.co/QM7gDjj9KX
RT @T_urade1987: 大河ドラマの影響もあってか、川村正平関係文書がデジタル公開されましたね。武田観柳斎の直筆書簡も誰でも見れるようになりました。 https://t.co/Bgt0hxnN9R
RT @T_urade1987: 中山忠能宛の正親町公董書状に面白い記述が。古高俊太郎の口書が触書として張り出されたと。他の風説書にも古高口書が写されているんですが、これで伝存経緯が判明するのでは。 https://t.co/jEkbl2QhNN
RT @T_urade1987: この書簡で武田観柳斎は桂川で魚釣りしたと書いており、つまりそれだけ非番の日が多かったということなんでしょうね。しかし武田と釣りで絡めたフィクションは意外に少なそうです。 https://t.co/Bgt0hxnN9R
RT @T_urade1987: 人見、中川両苗の書き上げも含まれていることは気になりますね。武田もここに絡んでいますからね。 https://t.co/0CILuaPCA9
RT @T_urade1987: 鈴藤勇次郎の書簡。どうも平岡円四郎暗殺事件で川村が水戸藩の刺客と応戦の際使った刀は鈴藤のものだったようです。顔に傷を負った川村に「尊兄当時は大いにモテ風聞有之御浦山敷奉存候」と言っていますね。 https://t.co/QM7gDjj9KX
RT @T_urade1987: 大河ドラマの影響もあってか、川村正平関係文書がデジタル公開されましたね。武田観柳斎の直筆書簡も誰でも見れるようになりました。 https://t.co/Bgt0hxnN9R
RT @T_urade1987: 『原市之進暗殺事件の高橋泥舟・山岡鉄舟黒幕説を否定する』がciniiに投稿されていました。この事件に関しては画期的な論考になりました。 https://t.co/VpAa3pCoba

12 0 0 0 OA 維新史蹟図説

RT @T_urade1987: 『維新史蹟図説』より平野国臣遺影。全く見たことがありませんでした。本物なんでしょうか。 https://t.co/DcPTEgq9xn
RT @IdatenInfoSta: 野口源三郎による男子1,500m走のレポートはこちらになります。 #蓮見三郎 #アントワープオリンピック #野口源三郎 #いだてん #いだてん史料噺 『第七回 オリンピック陸上競技の印象』 野口源三郎 著 - 国立国会図書館デジタルコ…
RT @washou3956: 坂口太郎『大正・昭和戦前期における徳富蘇峰と平泉澄』(第19回松本清張研究奨励事業研究報告書、北九州市立松本清張記念館、2019年)読了。官学アカデミズムと民間史学が交錯した近代史学史の一断面を、平泉と徳富に注目して描き出す。圧巻。史料編の四一号…
RT @shibawankok2: CiNii 論文 -  <論説>箱館戦争に荷担した10人のフランス人(人文科学編) https://t.co/qVEeiASimk #CiNii
RT @zasetsushirazu: 大正15年1月28日、三浦梧楼が死去。幕末の長州藩出身で、奇兵隊に所属した。明治14年政変の際に谷干城らと共に政府批判の意見書を提出。李修京・朴仁植「朝鮮王妃殺害事件の再考」(『東京学芸大学紀要 人文社会科学系』58)は、朝鮮公使時代の三…
RT @hwtnv: 「情報の科学と技術」に寄稿した「東京五輪アーカイブ1964-2020: 1964年大会資料の“フロー”化と記憶の継承」がJ-STAGEにて公開されています。 https://t.co/QPUAyHxrLb

71 0 0 0 OA 官報

RT @genmaysan: あった! 美川秀信さん実在証拠!! 官報に美川秀信さんが東京高等師範学校に入学した証拠があったよ。 「熊本県士族」、って士族なの美川秀信さん?! #いだてん 官報. 1910年04月07日 - 国立国会図書館デジタル https://t.c…
RT @zasetsushirazu: 明治42年11月14日、山川二葉が死去。会津藩士・山川尚江の娘で、兄弟姉妹に山川浩と健次郎、大山捨松がいる。会津藩家老の梶原平馬と結婚。東京女子高等師範学校で教育に携わった。文献に、遠藤由紀子「会津藩家老梶原平馬をめぐる女性」(『女性文化…
RT @univ00009: 車って結構簡単にひっくり返るんだな https://t.co/Nj4D9q1eCY https://t.co/eZ4AEK5pr4
RT @zasetsushirazu: 明治17年10月12日、川路高子が死去。幕末の幕臣・川路聖謨の妻で、慶応4年に夫が自殺した後も明治の世を生きた。揖斐高ほか「国立国会図書館蔵『川路高子日記』-翻刻と解題および人名索引-」(『成蹊人文研究』19)は、夫が奈良奉行を務めていた…
RT @kaerusan: 「いだてん」見てなかったら、嘉納治五郎が永田秀次郎に宛てた書簡を国会図書館資料で見つけたり、その封筒に五輪のマークが入ってるのに気づいてぐっときたり、ということはなかっただろうなあ。https://t.co/SHVF7LVtiC

10 0 0 0 IR 林研海の生涯

RT @zasetsushirazu: 明治15年8月30日、医師・林研海が死去。幕末の長崎でポンペに学んだ後、榎本武揚や沢太郎左衛門らと同じ船に乗ってオランダ留学。帰国後の明治期に、静岡病院長、陸軍軍医総監などを歴任。高橋慎司「林研海の生涯」(『早稲田大学大学院教育学研究科紀…
RT @zasetsushirazu: 大島明秀「十九世紀国学者における志筑忠雄訳『鎖国論』の受容と平田国学」(『日本文藝研究』57-1)は、平田篤胤以降の国学者が志筑忠雄の『鎖国論』を「西洋人ケンペルによる日本讃美論」として読み解き、その後の国内で日本の優秀さを説く古典として…
RT @zasetsushirazu: 渡邊ゆきの「戊辰戦争戦没者の墓石の劣化状態」(『奈良大学大学院研究年報』22、2017年)は、函館、松前、会津若松、白河、柏崎など全国各地の戊辰戦争戦没者の墓(明治元年〜2年頃に建立されたもの)の状態を調査し、保存対策の必要を提言。 ht…
RT @zasetsushirazu: 明治6年6月3日、南貞助(高杉晋作の従弟かつ義弟)と英国人ライザ・ピットマンの結婚の届が、外務省に送付された。日本政府が許可した最初の国際結婚と言われる。小山騰「明治前期国際結婚の研究」(『近代日本研究』11)、同『国際結婚第一号』(講談…

64 0 0 0 OA ランニング

RT @NIJL_collectors: >RT 明石和衛, 金栗四三 共著『ランニング』(大正5年、菊屋出版部) 国会デジテルで読めるとは~ https://t.co/pztn9lkbcJ 加納先生の題字「鍛錬」 冷水浴にも言及があるとはw https://t.co/ZcYk…

64 0 0 0 OA ランニング

RT @NIJL_collectors: >RT 明石和衛, 金栗四三 共著『ランニング』(大正5年、菊屋出版部) 国会デジテルで読めるとは~ https://t.co/pztn9lkbcJ 加納先生の題字「鍛錬」 冷水浴にも言及があるとはw https://t.co/ZcYk…

12 0 0 0 OA [師守記] 64巻

RT @YuudukiHigure: 七隈史学・第21号「足利尊氏の兄、高義の生母をめぐって」読了。 異母兄弟説・同母兄弟説をそれぞれ取り上げ、どちらも決定打に欠ける部分があるとしつつ、師守記貞治三年五月十三日条の記述から異母兄弟説と推定する、というものでした。 https:/…
RT @T_urade1987: 勝海舟関係文書「伊藤甲子太郎建言書」。おや、と思う方もいるでしょう。しかし、末尾を見てください。慶応四年三月、既に新選組のその人は死んでいます。更に「臣重固」とあるのにご注目を。伊東の諱は武明ですよね。そう、伊東甲子太郎がもう一人、幕末期にはい…
RT @zasetsushirazu: 渡邊ゆきの「戊辰戦争戦没者の墓石の劣化状態」(『奈良大学大学院研究年報』22、2017年)は、函館、松前、会津若松、白河、柏崎など全国各地の戊辰戦争戦没者の墓(明治元年〜2年頃に建立されたもの)の状態を調査し、保存対策の必要を提言。 ht…
RT @zasetsushirazu: 明治33年2月26日、品川弥二郎が死去。長州藩出身で、慶応2〜3年、京都の薩摩藩邸内に長く滞在し、薩長提携の象徴のような役割を担った。齋藤伸郎「品川弥二郎 明治十四年懐中日記」(『獨協学園資料センター研究年報』8・9)曰く、明治14年の日…
RT @ronbuntter: こんな論文どうですか? 裁判員制度における死刑のあり方について(増本 弘文),2010 https://t.co/guZ2JP7tBo 平成16年から死刑確定者数は急増し、死刑の基準の明確化…
RT @zasetsushirazu: 明治21年2月10日、松浦武四郎が死去。何度も蝦夷地探検を行い、幕末期には蝦夷地通として有名だった。北海道の名付け親でもある。三浦泰之「松浦武四郎研究の現状と課題」(『北海学園大学人文論集』65、2018年)は、松浦が置かれた時代状況や立…
RT @zasetsushirazu: 明治8年2月3日、熊谷直孝が死去。京都の商人(鳩居堂当主、香具屋久右衛門)で、幕末期には長州藩の活動に親和的な立場だった。戊辰戦争の際には新政府に千両を献上し、ほかの有力商人にも新政府への献金を促した。小林丈広「明治維新期の「市長」」(『…
RT @kamedatoshitaka: CiNii 論文 -  14) 足利尊氏の歯(日本歯科医史学会第27回(平成11年度)学術大会講演事後抄録) https://t.co/fWUmS38Q3t #CiNii
RT @zasetsushirazu: 嘉永元年11月8日(1848年12月3日)、坪井信道が死去。蘭方医で、門下に緒方洪庵や黒川良安(佐久間象山に蘭学を教えた)がいた。村田清風の依頼などにより、長州毛利家に仕えた。森川潤「萩藩医坪井信道」(『広島修大論集』51-2、2011年…
RT @khcoder: #研究事例リストに追加しました:加納靖之・橋本雄太 2018 「『みんなで翻刻』による翻刻テキストの分析の試み」 『じんもんこん2018論文集』 2018: 147-152 https://t.co/Sdh51YxlfW ※お知らせ感謝申し上げます
RT @ksk18681912: 「裸一貫生活法」は、国会図書館デジタルコレクションで読むことができます。 https://t.co/WMZH63dOZq 実際に読んでみてください。「裸一貫生活法」は”被災者に向けたガイドブック”ではありません。 なぜこんなに簡単にバレる嘘…
RT @T_urade1987: 奈良勝司さんの「人見・中川両苗と新撰組-幕末における二つの「郷士」集団-」、公開されていました。面白い論文です。是非一読願えれば。 https://t.co/sueJyFALkc
RT @shibuya1972: WANによる配信があるようですが、澁谷の個人報告は配信されません。ご関心のある方は会場においで下さい。来れない方は、おおむね以下の論文と同じような話をするのでご覧下さい。 →「「フェミニスト男性研究」の視点と構想――日本の男性学および男性研究…
RT @washou3956: PDF公開。津野倫明「木下吉隆と文禄の役に関する豊臣秀吉朱印状の年代」(『人文科学研究』23、2018年7月)豊臣秀吉右筆とである木下吉隆の失脚・官途を検討することで、朝鮮出兵時の秀吉朱印状の年代比定における指標を提示。https://t.co/…
RT @zasetsushirazu: 須賀忠芳「ストーリー化された歴史観光素材の功罪をめぐって-「幕末会津」をめぐる言説を中心に-」(『観光学研究』17、2018年)は、白虎隊像などの「定番化された「幕末会津」をめぐるストーリー」に関する問題点を、大河ドラマ『八重の桜』の話も…
RT @zasetsushirazu: 明治35年7月18日、西郷従道が死去。西郷隆盛の弟で、明治後半には同じ薩摩出身の黒田清隆や松方正義らと共に元老と呼ばれた。後藤新「台湾出兵の終幕」(『武蔵野法学』7、2017年)は、台湾蕃地事務都督として従道が指揮した台湾出兵について、従…

79 0 0 0 OA 神社境内の設計

RT @Naga_Kyoto: 国立国会図書館デジタルコレクション - 神社境内の設計.  大正8年 https://t.co/jYEysoMihU やべー本を見つけてしまった…!! #参道研究会 https://t.co/aZjvHWlRv4
RT @t_ohnuki: CiNii 論文 -  カール禿頭王は本当に禿げていたか https://t.co/XuDnHvWtUq
RT @clane_2015: 超すんごい資料見つけた!!昭和21年から22年にアメリカ人モージャー氏によって撮影された、後藤鍬五郎作の聚楽園の大仏、弘法大師、仁王像を写したカラー写真。長浦海岸にあったタコの写真まである!! https://t.co/uAgLFZ4ToR ht…
RT @zasetsushirazu: 渡邊ゆきの「戊辰戦争戦没者の墓石の劣化状態」(『奈良大学大学院研究年報』22、2017年)は、函館、松前、会津若松、白河、柏崎など全国各地の戊辰戦争戦没者の墓(明治元年〜2年頃に建立されたもの)の状態を調査し、保存対策の必要を提言。 ht…
RT @machi82175302: 拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩―西郷吉之助の動向を中心に―」(『日本研究所紀要』8号、2016年)は、以下からダウンロード可能です。https://t.co/in1GB6YkW2
RT @zasetsushirazu: 2012年8月3日、哲学者・上山春平が死去。『明治維新の分析視点』(講談社、1968年)など明治維新に関する著作もある。山口輝臣「哲学者による維新」(『史淵』152、2015年)は、「いまの明治維新の研究状況をつくりだした」と評価。 ht…
RT @machi82175302: 拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできますが、如何せん70ページ超の大作、ご覚悟あれm(_ _)m https://t.co/A65OnLMHFg
RT @T_urade1987: 以前書いた『壬生浪士の思想事情』CiNiiに掲載されたようです。内容はともかく(笑)、これで論文扱いして頂いたことになるのでありがたいですね。 https://t.co/5WKv6IXwXc
RT @zasetsushirazu: 池田敬正「明治維新観の変遷をめぐって」(『社会問題研究』15-3・4、1965年)は、戦後20年にして「明治百年」が間近という状況での、明治維新観をめぐる論文。1965年と言えば、池田氏自身、中公新書で著書『坂本龍馬』を出した年。 ht…
論文ならこちらも一読の価値あり CiNii 論文 -  「大河ドラマ」ジャンルの登場とその社会的意味の形成過程 https://t.co/f5FM9QEX00 #CiNii
RT @zasetsushirazu: 明治5年4月10日(1872年5月16日)、佐藤泰然(幕末の佐倉藩医・順天堂の創始者)が死去。酒井シヅ「佐藤泰然伝」(『順天堂医学』51-2、2005年)は、漫画及びドラマ『JIN-仁-』の監修を務めた医学史研究者による講演録。 http…
RT @zasetsushirazu: 川上正浩ほか「不思議現象を信じる理由 (1)」(『大阪樟蔭女子大学人間科学研究紀要』9、2009年)は、占い、UFO、超能力、霊、血液型性格診断などを、信じる人・信じない人それぞれについて、普段触れているメディアなどについて分析。 ht…
RT @hakubutu: この論文、現地調査をしているのに、(祭神をテーマとするなら)一番重要なはずの、その神社の由来と変遷、その神社がいつからそこにあるのかといったことがすっぽり抜け落ちている。調査に行った人にはその重要性が「見えなかった」のかもしれない。 https://…
RT @machi82175302: 拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできますが、如何せん70ページ超の大作、ご覚悟あれm(_ _)m https://t.co/A65OnLMHFg
RT @zasetsushirazu: 秋月俊幸「明治初年の樺太」(『スラヴ研究』40、1993年)は、「明治新政府が旧幕府から引継いだ外交諸懸案のうち、その解決がもっとも急を要し、また危機をはらんでいたのは樺太問題であった」として、日露雑居による問題を分析する。 https…
RT @machi82175302: 続き)近藤長次郎は坂本龍馬とこの時点では同格であり、薩長融和に果たした役割を看過すべきではない」として、近藤長次郎を高く評価している。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできます。https…
RT @zasetsushirazu: 石井寛治「維新経済史再考」(『東京経大学会誌 経営学』258)は、新選組の中心メンバーを育て、自由民権運動の拠点だった多摩地域を経済から考察。幕末の多摩から開港地・横浜には多くの生糸が運ばれたと指摘し、「多摩のシルクロード」と呼ぶ。 ht…
RT @zasetsushirazu: 明治21年4月11日、上野景範が死去。上野は幕末の薩摩出身で、英学を学び、開成所に勤務。明治期は外交官として条約改正交渉などに尽力。門田明「日本近代化と上野景範」(『鹿児島県立短期大学研究年報』19)は、上野の事績についての講演録。 ht…
RT @machi82175302: 拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)は、以下からダウンロードできます。https://t.co/A65OnLMHFg
CiNii 論文 -  〈特別寄稿・研究ノート〉成人後期の生涯発達課題と大河ドラマ教材論 https://t.co/YDTx4g9pRc #CiNii
RT @zasetsushirazu: 小泉雅弘「史料紹介 戊辰内乱期の秋田藩と新政権」(『駒澤史学』86、2016年)は、戊辰戦争期の秋田藩が奥羽列藩同盟に加わりながらも新政府との関係性を保持しようとしたとして、その実態分析に役立つと思われる史料「公務控」の一部を紹介。 ht…
RT @machi82175302: 【再掲】拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)が既にダウンロード可能となっていました(^^)https://t.co/A65OnLMHFg
RT @machi82175302: 拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)が既にダウンロード可能となっていました(^^)https://t.co/A65OnLMHFg メチャ大部で恐縮ですが、どうかよろ…
RT @zasetsushirazu: 昭和14年3月28日、田中光顕が死去。天保14年生まれの彼は「幕末の政争を生き延び、太平洋戦争の開戦前まで、九〇歳を超える長寿を全うした稀有な官僚、政治家」(安岡昭男・長井純市「田中光顕関係文書紹介1」『法政大学文学部紀要』52)。 ht…
RT @zasetsushirazu: 高橋小百合「〈木戸孝允〉を支えた女」(『北海道大学大学院文学研究科研究論集』16、2016年)は、明治以降に木戸孝允の「偉大さ」を語る言説の中で、近代日本の男女交際論の流行を先取りする形で木戸と幾松の物語も歓迎されたと指摘。 https:…

3 0 0 0 OA 会津藩庁記録

RT @T_urade1987: こちらの「京都方浪士人別」に出ている万年大進が誰だか分かりました。恐らく誤記で万年大純が正確でしょう。漢学者で医師だったようですね。 萬年櫟山の名前で『皇國醫系』という本を文久元年に出しています。それなりに知られていたようですね。 https:…
RT @machi82175302: 拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩―西郷吉之助の動向を中心に―」(『日本研究所紀要』8号、2016年)は、以下からダウンロード可能です。 https://t.co/in1GB6YkW2
RT @noyorin: これな>『大河ドラマの誘致 - 映像作品と地域活性化』北村純 行政学研究室 群馬大学社会情報学部研究論集 第 23 巻 https://t.co/Bg4S9BXLHb
RT @zasetsushirazu: 大正12年3月2日、何礼之が死去。長崎の唐通詞の出身で、明治期に外務省の官僚や貴族院議員などを務めた。また、モンテスキューの『法の精神』を翻訳。許海華「長崎唐通事何礼之の英語習得」(『関西大学東西学術研究所紀要』44)が履歴を紹介。 ht…
RT @zasetsushirazu: 大島明秀「馬琴と「鎖国論」」(『文彩』10、2014年)は、『南総里見八犬伝』などの著者として知られる曲亭馬琴(滝沢馬琴)が所持した志筑忠雄の『鎖国論』の写本を素材に、近世後期における『鎖国論』の受容のされ方の問題などを分析する。 ht…

2 0 0 0 OA 側面観幕末史

RT @zasetsushirazu: 桜木章『側面観幕末史』(啓成社、1905年) https://t.co/LrAqdrIv6g
RT @zasetsushirazu: 栗田尚弥「葉山佐内の思想に関する一考察」(『法學新報』121、2015年)は、吉田松陰が嘉永3年の九州遊学において一時的に学んだ平戸の兵学者・葉山佐内の思想が、松陰が思想家へと飛躍する上で重要な影響を与えたのではないかと論じる。 htt…
CiNii 論文 -  大河ドラマにみる「お市の方」 https://t.co/EYNDBCrutp #CiNii
CiNii 論文 -  「大河ドラマ」ジャンルの登場とその社会的意味の形成過程 https://t.co/f5FM9QEX00 #CiNii
CiNii 論文 -  大河ドラマと女性 https://t.co/6RxuKR3hbX #CiNii
CiNii 論文 -  日本史に対する興味・関心を高めるにはどうするか -大河ドラマを切り口としてー https://t.co/62gtC56Lf5 #CiNii
CiNii 論文 -  日本史Bにおける大河ドラマを取り入れた単元構成とその展開 https://t.co/sOGMNUgUmr #CiNii
CiNii 論文 -  日韓両国の『大河ドラマ』制作の比較考証と相互理解の促進 https://t.co/ufYUzaKFqW #CiNii
CiNii 論文 -  〈特別寄稿・研究ノート〉成人後期の生涯発達課題と大河ドラマ教材論 https://t.co/YDTx4g9pRc #CiNii
RT @zasetsushirazu: 下記リンクで読める飯田鼎氏の論文「福沢諭吉における民権とナショナリズム-『西洋事情』と『学問のすゝめ』を中心に-」(『三田学会雑誌』75-3)は、『飯田鼎著作集6 福沢諭吉と自由民権運動』(御茶の水書房、2003年)に再録。 https…
RT @nagisanoyuki: 古川松根の伝記で、私が松根ファンになったきっかけの本。閑叟公の葬儀委員長を務めてから殉死するまでの松根の姿がかなりドラマチックに描かれていて、涙無しには読めません…。 国立国会図書館デジタルコレクション - 寧楽園歌伝純忠古川松根 http…

16 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

RT @nagisanoyuki: 本日は閑叟公の旧暦の御命日ですね。鍋島直正公伝には、薨去から葬儀に至るまでの詳細が記されています。 国立国会図書館デジタルコレクション - 鍋島直正公伝. 第6編 https://t.co/ky1PgcxdqW
RT @zasetsushirazu: 大正5年1月16日、北垣国道が死去。北垣は幕末の鳥取藩士で、明治14〜25年には京都府知事を務めた。高久嶺之介「京都府知事最末期の北垣国道」(『社会科学』74)によれば、伊藤博文・井上馨・松方正義との関係が良好だったらしい。 https…
RT @kamo1868: 「あばら家の男」についての論文 #おんな城主直虎 CiNii 論文 -  瀬戸方久と新田喜斉と庄内の城 https://t.co/YatQb4CgSE #CiNii
「あばら家の男」についての論文 #おんな城主直虎 CiNii 論文 -  瀬戸方久と新田喜斉と庄内の城 https://t.co/YatQb4CgSE #CiNii
これかな? CiNii 図書 - 群馬人国記 : 利根・沼田・吾妻の巻 https://t.co/pzKs32J99F #CiNii

お気に入り一覧(最新100件)

「テレビドラマデータベース」などネット上のドラマ情報媒体を用いた研究論文。「放送前の情報のみを用いたテレビドラマの視聴率予測」https://t.co/r2BvpF7tSU
CiNii 論文 -  バルカン半島国、アルバニアにおける日本アニメの受容 : 歴史と近隣国イタリアの影響 https://t.co/wuvPv8fDpv CiNii 論文 -  アルバニアにおけるスタジオ・ジブリアニメーション : アルバニア語吹き替え版の編集とセリフの付け加え https://t.co/YG7Y6eJMSJ
CiNii 論文 -  バルカン半島国、アルバニアにおける日本アニメの受容 : 歴史と近隣国イタリアの影響 https://t.co/wuvPv8fDpv CiNii 論文 -  アルバニアにおけるスタジオ・ジブリアニメーション : アルバニア語吹き替え版の編集とセリフの付け加え https://t.co/YG7Y6eJMSJ
渋沢の上司として出てきた森新十郎って、明治政府では外務官僚的な職につくのか #青天を衝け https://t.co/01T7dvcIPS
PDFあり。 ⇒尾川翔大 「政党内閣期における行財政整理と運動競技の所管問題について」 『スポーツ史研究』33巻(2020) https://t.co/tsiyIFqwZm
中山忠能宛の正親町公董書状に面白い記述が。古高俊太郎の口書が触書として張り出されたと。他の風説書にも古高口書が写されているんですが、これで伝存経緯が判明するのでは。 https://t.co/jEkbl2QhNN
この書簡で武田観柳斎は桂川で魚釣りしたと書いており、つまりそれだけ非番の日が多かったということなんでしょうね。しかし武田と釣りで絡めたフィクションは意外に少なそうです。 https://t.co/Bgt0hxnN9R
人見、中川両苗の書き上げも含まれていることは気になりますね。武田もここに絡んでいますからね。 https://t.co/0CILuaPCA9
鈴藤勇次郎の書簡。どうも平岡円四郎暗殺事件で川村が水戸藩の刺客と応戦の際使った刀は鈴藤のものだったようです。顔に傷を負った川村に「尊兄当時は大いにモテ風聞有之御浦山敷奉存候」と言っていますね。 https://t.co/QM7gDjj9KX
大河ドラマの影響もあってか、川村正平関係文書がデジタル公開されましたね。武田観柳斎の直筆書簡も誰でも見れるようになりました。 https://t.co/Bgt0hxnN9R
『原市之進暗殺事件の高橋泥舟・山岡鉄舟黒幕説を否定する』がciniiに投稿されていました。この事件に関しては画期的な論考になりました。 https://t.co/VpAa3pCoba

12 0 0 0 OA 維新史蹟図説

『維新史蹟図説』より平野国臣遺影。全く見たことがありませんでした。本物なんでしょうか。 https://t.co/DcPTEgq9xn
野口源三郎による男子1,500m走のレポートはこちらになります。 #蓮見三郎 #アントワープオリンピック #野口源三郎 #いだてん #いだてん史料噺 『第七回 オリンピック陸上競技の印象』 野口源三郎 著 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/gSdOXC5GdN https://t.co/J0ElFyDeav https://t.co/vX9Bocpq2E
七卿、吉川経幹公関連で氷上真光院について検索してたら見つけた論文。 ええの見つけた(*´ω`) CiNii 論文 -  周防国氷上山興隆寺の旧境内とその堂舎配置 https://t.co/xMLvqNF09v #CiNii
坂口太郎『大正・昭和戦前期における徳富蘇峰と平泉澄』(第19回松本清張研究奨励事業研究報告書、北九州市立松本清張記念館、2019年)読了。官学アカデミズムと民間史学が交錯した近代史学史の一断面を、平泉と徳富に注目して描き出す。圧巻。史料編の四一号が興味深い。https://t.co/KseIK5pTUt..
CiNii 論文 -  <論説>箱館戦争に荷担した10人のフランス人(人文科学編) https://t.co/qVEeiASimk #CiNii
大正15年1月28日、三浦梧楼が死去。幕末の長州藩出身で、奇兵隊に所属した。明治14年政変の際に谷干城らと共に政府批判の意見書を提出。李修京・朴仁植「朝鮮王妃殺害事件の再考」(『東京学芸大学紀要 人文社会科学系』58)は、朝鮮公使時代の三浦による閔妃暗殺事件を分析。 https://t.co/nfPkLcwcgq
「情報の科学と技術」に寄稿した「東京五輪アーカイブ1964-2020: 1964年大会資料の“フロー”化と記憶の継承」がJ-STAGEにて公開されています。 https://t.co/QPUAyHxrLb

71 0 0 0 OA 官報

あった! 美川秀信さん実在証拠!! 官報に美川秀信さんが東京高等師範学校に入学した証拠があったよ。 「熊本県士族」、って士族なの美川秀信さん?! #いだてん 官報. 1910年04月07日 - 国立国会図書館デジタル https://t.co/7rOqLtKvhh
明治42年11月14日、山川二葉が死去。会津藩士・山川尚江の娘で、兄弟姉妹に山川浩と健次郎、大山捨松がいる。会津藩家老の梶原平馬と結婚。東京女子高等師範学校で教育に携わった。文献に、遠藤由紀子「会津藩家老梶原平馬をめぐる女性」(『女性文化研究所紀要』35)など。 https://t.co/TFwKYZ5uvJ
車って結構簡単にひっくり返るんだな https://t.co/Nj4D9q1eCY https://t.co/eZ4AEK5pr4
明治17年10月12日、川路高子が死去。幕末の幕臣・川路聖謨の妻で、慶応4年に夫が自殺した後も明治の世を生きた。揖斐高ほか「国立国会図書館蔵『川路高子日記』-翻刻と解題および人名索引-」(『成蹊人文研究』19)は、夫が奈良奉行を務めていた時期、嘉永4年の日記を紹介。 https://t.co/gIVmZRRosm
森川洋「明治初年の都市分布」人文地理 14, 377-395, 1962 https://t.co/mdmdTCj4mF ・10万人以上:三都+名古屋・金沢 ・3~10万人:現県庁所在地クラス? ・1~3万人:現地方拠点都市クラス? 現在と比較すると北陸の人口密度が際立つ https://t.co/bjHdhNva6g
「いだてん」見てなかったら、嘉納治五郎が永田秀次郎に宛てた書簡を国会図書館資料で見つけたり、その封筒に五輪のマークが入ってるのに気づいてぐっときたり、ということはなかっただろうなあ。https://t.co/SHVF7LVtiC

10 0 0 0 IR 林研海の生涯

明治15年8月30日、医師・林研海が死去。幕末の長崎でポンペに学んだ後、榎本武揚や沢太郎左衛門らと同じ船に乗ってオランダ留学。帰国後の明治期に、静岡病院長、陸軍軍医総監などを歴任。高橋慎司「林研海の生涯」(『早稲田大学大学院教育学研究科紀要 別冊』11-2)参照。 https://t.co/64QIqT03cY
大島明秀「十九世紀国学者における志筑忠雄訳『鎖国論』の受容と平田国学」(『日本文藝研究』57-1)は、平田篤胤以降の国学者が志筑忠雄の『鎖国論』を「西洋人ケンペルによる日本讃美論」として読み解き、その後の国内で日本の優秀さを説く古典として受容されたとする。 https://t.co/57Sf67XXul
大正10年7月25日、佐藤進が死去。戊辰戦争で治療に従事した医師で、日本人初のベルリン大学卒業生。酒井シヅ「順天堂三代目堂主・佐藤進 (1845-1921), ドイツ留学から帰国まで」(『順天堂醫事雑誌』59-2)曰く、「明治,大正時代,日本でもっとも有名な医者のひとり」。 https://t.co/hrczljgH0E
明治6年6月3日、南貞助(高杉晋作の従弟かつ義弟)と英国人ライザ・ピットマンの結婚の届が、外務省に送付された。日本政府が許可した最初の国際結婚と言われる。小山騰「明治前期国際結婚の研究」(『近代日本研究』11)、同『国際結婚第一号』(講談社)参照。 https://t.co/CDYGvqFKOV

64 0 0 0 OA ランニング

>RT 明石和衛, 金栗四三 共著『ランニング』(大正5年、菊屋出版部) 国会デジテルで読めるとは~ https://t.co/pztn9lkbcJ 加納先生の題字「鍛錬」 冷水浴にも言及があるとはw https://t.co/ZcYkhXg8dM #いだてん https://t.co/EKOFAKezS9

64 0 0 0 OA ランニング

>RT 明石和衛, 金栗四三 共著『ランニング』(大正5年、菊屋出版部) 国会デジテルで読めるとは~ https://t.co/pztn9lkbcJ 加納先生の題字「鍛錬」 冷水浴にも言及があるとはw https://t.co/ZcYkhXg8dM #いだてん https://t.co/EKOFAKezS9

12 0 0 0 OA [師守記] 64巻

七隈史学・第21号「足利尊氏の兄、高義の生母をめぐって」読了。 異母兄弟説・同母兄弟説をそれぞれ取り上げ、どちらも決定打に欠ける部分があるとしつつ、師守記貞治三年五月十三日条の記述から異母兄弟説と推定する、というものでした。 https://t.co/8UWUkN8n36
勝海舟関係文書「伊藤甲子太郎建言書」。おや、と思う方もいるでしょう。しかし、末尾を見てください。慶応四年三月、既に新選組のその人は死んでいます。更に「臣重固」とあるのにご注目を。伊東の諱は武明ですよね。そう、伊東甲子太郎がもう一人、幕末期にはいたんです。 https://t.co/Wb9SPAbrJ1
明治42年3月3日、野辺地尚義が死去。盛岡藩出身で、伊藤博文らに英語を教えたという。明治期に紅葉館(跡地は東京タワー)を経営。孫に、ピアニスト・野辺地勝久(瓜丸)がいる。佐野仁美「日本におけるアルフレッド・コルトー受容」(『表現文化研究』10-1)などを参照。 https://t.co/oQM7iIBX7k
明治33年2月26日、品川弥二郎が死去。長州藩出身で、慶応2〜3年、京都の薩摩藩邸内に長く滞在し、薩長提携の象徴のような役割を担った。齋藤伸郎「品川弥二郎 明治十四年懐中日記」(『獨協学園資料センター研究年報』8・9)曰く、明治14年の日記が残る、唯一の長州閥高官。 https://t.co/W9fFwRCjXv
須賀博樹「因州鳥取藩と大坂両替商-文久三年~慶応元年の大名貸-」(『経済史研究』21、2018年)は、幕末の鳥取藩主・池田慶徳による国事周旋と京都警衛に関して、その財政状況を分析。鳥取藩が、慶徳の兄・徳川慶篤が藩主を務める水戸藩に、援助金を又貸ししたことも紹介。 https://t.co/FOgSH57x2J
明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、幕長戦争で長州藩と交戦。小倉城の落城後も抗戦を主張し、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、駐米公使などを歴任。片岡正彦「明治18年の淀川洪水と北河内」(『京都歴史災害研究』18)は、建野の災害対応を分析。 https://t.co/dDk3QUoONs
明治21年2月10日、松浦武四郎が死去。何度も蝦夷地探検を行い、幕末期には蝦夷地通として有名だった。北海道の名付け親でもある。三浦泰之「松浦武四郎研究の現状と課題」(『北海学園大学人文論集』65、2018年)は、松浦が置かれた時代状況や立場に注意する必要性を指摘。 https://t.co/IwDHPmmeXI
明治8年2月3日、熊谷直孝が死去。京都の商人(鳩居堂当主、香具屋久右衛門)で、幕末期には長州藩の活動に親和的な立場だった。戊辰戦争の際には新政府に千両を献上し、ほかの有力商人にも新政府への献金を促した。小林丈広「明治維新期の「市長」」(『奈良史学』29)参照。 https://t.co/UBpQ5mR4kM
CiNii 論文 -  14) 足利尊氏の歯(日本歯科医史学会第27回(平成11年度)学術大会講演事後抄録) https://t.co/fWUmS38Q3t #CiNii
嘉永元年11月8日(1848年12月3日)、坪井信道が死去。蘭方医で、門下に緒方洪庵や黒川良安(佐久間象山に蘭学を教えた)がいた。村田清風の依頼などにより、長州毛利家に仕えた。森川潤「萩藩医坪井信道」(『広島修大論集』51-2、2011年)が、その経緯を分析。 https://t.co/k4nXCSThbM
#研究事例リストに追加しました:加納靖之・橋本雄太 2018 「『みんなで翻刻』による翻刻テキストの分析の試み」 『じんもんこん2018論文集』 2018: 147-152 https://t.co/Sdh51YxlfW ※お知らせ感謝申し上げます
奈良勝司さんの「人見・中川両苗と新撰組-幕末における二つの「郷士」集団-」、公開されていました。面白い論文です。是非一読願えれば。 https://t.co/sueJyFALkc
慶応3年7月29日(1867年8月28日)、中岡慎太郎らが土佐藩の白川邸に居を定めた。ここが、陸援隊の屯所とされる。笹川尚紀「土佐藩白川邸・尾張藩吉田邸にまつわる覚書」(『京都大学構内遺跡調査研究年報』2016年度)は、中岡が白川邸を使うに至った経緯などを分析。 https://t.co/yc9PEH3vaJ
PDF公開。津野倫明「木下吉隆と文禄の役に関する豊臣秀吉朱印状の年代」(『人文科学研究』23、2018年7月)豊臣秀吉右筆とである木下吉隆の失脚・官途を検討することで、朝鮮出兵時の秀吉朱印状の年代比定における指標を提示。https://t.co/yfttaV3w9k
WANによる配信があるようですが、澁谷の個人報告は配信されません。ご関心のある方は会場においで下さい。来れない方は、おおむね以下の論文と同じような話をするのでご覧下さい。 →「「フェミニスト男性研究」の視点と構想――日本の男性学および男性研究批判を中心に」https://t.co/jq9dQQfDhB
須賀忠芳「ストーリー化された歴史観光素材の功罪をめぐって-「幕末会津」をめぐる言説を中心に-」(『観光学研究』17、2018年)は、白虎隊像などの「定番化された「幕末会津」をめぐるストーリー」に関する問題点を、大河ドラマ『八重の桜』の話も交えながら分析する。 https://t.co/HaVdMdT50H
明治35年7月18日、西郷従道が死去。西郷隆盛の弟で、明治後半には同じ薩摩出身の黒田清隆や松方正義らと共に元老と呼ばれた。後藤新「台湾出兵の終幕」(『武蔵野法学』7、2017年)は、台湾蕃地事務都督として従道が指揮した台湾出兵について、従道の凱旋(帰国)に着目した。 https://t.co/93dSWCWGQR
鍵RT:出てるかもだけどこれは読んだことある https://t.co/YJ4qIQpmY6
明治26年12月5日、幕末の会津藩主だった松平容保が死去。新選組を配下に持つ京都守護職を務めた。慶応3年、いわゆる討幕の密勅と同時に、容保討伐の文書も作成されていた。『山口県文書館研究紀要』42号に、容保を批判して怪物のように描いた風説書が紹介されている。 https://t.co/o01Cw0RGun
大正7年11月4日、土方久元が死去。幕末土佐出身で、坂本龍馬・中岡慎太郎と共に薩長同盟を周旋(その言動は勇み足気味だったようだが)。町田明広「慶応期政局における薩摩藩の動向」(『神田外語大学日本研究所紀要』9、2017年)が詳述。 https://t.co/rJFbXsrcBp
明治23年10月30日、「教育ニ関スル勅語」(いわゆる教育勅語)が発布された。井上毅が起草。貝塚茂樹「教育勅語は道徳教育の「源流」たり得たのか-研究動向の整理と課題-」(『近代教育フォーラム』24-0、2015年)が研究史を整理。 https://t.co/TDX46QGk5d
佐藤理恵「維新期佐賀藩海軍とその終焉」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』12、2017年)は、長崎警備のため早くから西洋技術を導入して整備された佐賀藩海軍が、廃藩置県に向かう中央集権化の過程でどのように終焉したか分析。 https://t.co/aWJVu8VAFQ
渡邊ゆきの「戊辰戦争戦没者の墓石の劣化状態」(『奈良大学大学院研究年報』22、2017年)は、函館、松前、会津若松、白河、柏崎など全国各地の戊辰戦争戦没者の墓(明治元年〜2年頃に建立されたもの)の状態を調査し、保存対策の必要を提言。 https://t.co/wbrUTwtE0p
文久3年9月2日(1863年10月14日)、仏陸軍のカミュ少尉が横浜で浪士に殺された(井土ヶ谷事件)。澤 護「井土ヶ谷事件と遺仏使節池田筑後守」(『千葉敬愛経済大学研究論集』29)は、事件と池田長発の横浜鎖港談判使節の関連を紹介。 https://t.co/Oy5zal8eJz
金澤裕之「文久期における幕府の海軍運用構想」(『史学』84)によれば、小野友五郎や勝海舟ら軍艦方は、海軍を台場の補助戦力と見なす傾向が強かった。むしろ、軍艦の外洋への積極的展開を求めたのは、水野忠徳など外国奉行や大小目付だった。 https://t.co/rSKsO5E7B6
拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩―西郷吉之助の動向を中心に―」(『日本研究所紀要』8号、2016年)は、以下からダウンロード可能です。https://t.co/in1GB6YkW2
明治33年8月23日、黒田清隆が死去。薩長同盟の際、木戸孝允を上洛させた人だが、町田明広「慶応期政局における薩摩藩の動向」(『神田外語大学日本研究所紀要』9、2017年)によれば、西郷隆盛らの指示ではなく独断専行だった可能性が高い。 https://t.co/rJFbXsrcBp
2012年8月3日、哲学者・上山春平が死去。『明治維新の分析視点』(講談社、1968年)など明治維新に関する著作もある。山口輝臣「哲学者による維新」(『史淵』152、2015年)は、「いまの明治維新の研究状況をつくりだした」と評価。 https://t.co/omPpOzFW8O

22 0 0 0 OA 維新日乗纂輯

国会図書館デジタルコレクションで確認いたしましたが、確かに『伊庭八郎征西日記』元治元年2月23日条に「宇治之邊リ菊屋ニ而休中食致ス」とありました。( https://t.co/YYJ8k09WSf) 「菊屋=萬碧楼」と考えて良いのかな?
拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできますが、如何せん70ページ超の大作、ご覚悟あれm(_ _)m https://t.co/A65OnLMHFg
青山忠正「大政奉還後の政治状況と諸藩の動向」(『佛教大学歴史学部論集』7、2017年)は、大政奉還〜王政復古に至る政治動向を、主に新発田藩の史料から見る。大政奉還は薩摩、土佐、芸州、越前、尾張の朝廷工作の成果と見られていたらしい。 https://t.co/ZGwkSMmKdi
以前書いた『壬生浪士の思想事情』CiNiiに掲載されたようです。内容はともかく(笑)、これで論文扱いして頂いたことになるのでありがたいですね。 https://t.co/5WKv6IXwXc
奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(3)-「薩摩藩邸焼き討ち事件」の史料的解明(その2)-」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50、2015年)は、従来の研究で未活用だった史料も駆使して、慶応3年末の江戸を分析。 https://t.co/PftHWod9up
奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(3)-「薩摩藩邸焼き討ち事件」の史料的解明(その2)-」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50、2015年)は、従来の研究で未活用だった史料も駆使して、慶応3年末の江戸を分析。 https://t.co/PftHWod9up
明治5年4月10日(1872年5月16日)、佐藤泰然(幕末の佐倉藩医・順天堂の創始者)が死去。酒井シヅ「佐藤泰然伝」(『順天堂医学』51-2、2005年)は、漫画及びドラマ『JIN-仁-』の監修を務めた医学史研究者による講演録。 https://t.co/LYpZsoVxBz
拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできますが、如何せん70ページ超の大作、ご覚悟あれm(_ _)m https://t.co/A65OnLMHFg
秋月俊幸「明治初年の樺太」(『スラヴ研究』40、1993年)は、「明治新政府が旧幕府から引継いだ外交諸懸案のうち、その解決がもっとも急を要し、また危機をはらんでいたのは樺太問題であった」として、日露雑居による問題を分析する。 https://t.co/F00azjDOir
続き)近藤長次郎は坂本龍馬とこの時点では同格であり、薩長融和に果たした役割を看過すべきではない」として、近藤長次郎を高く評価している。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできます。https://t.co/A65OnLMHFg

12 0 0 0 OA 維新元勲十傑論

山脇之人『維新元勲十傑論』(1884年)は、明治維新の「第一流之功臣」と言うべき10人を、西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通、江藤新平、横井平四郎(小楠)、大村益次郎、小松帯刀、前原一誠、広沢兵助(真臣)、岩倉具視とする。 https://t.co/2b7kARScs3
石井寛治「維新経済史再考」(『東京経大学会誌 経営学』258)は、新選組の中心メンバーを育て、自由民権運動の拠点だった多摩地域を経済から考察。幕末の多摩から開港地・横浜には多くの生糸が運ばれたと指摘し、「多摩のシルクロード」と呼ぶ。 https://t.co/kZVz3OmdXF
明治21年4月11日、上野景範が死去。上野は幕末の薩摩出身で、英学を学び、開成所に勤務。明治期は外交官として条約改正交渉などに尽力。門田明「日本近代化と上野景範」(『鹿児島県立短期大学研究年報』19)は、上野の事績についての講演録。 https://t.co/FbmXJMZiGL
小泉雅弘「史料紹介 戊辰内乱期の秋田藩と新政権」(『駒澤史学』86、2016年)は、戊辰戦争期の秋田藩が奥羽列藩同盟に加わりながらも新政府との関係性を保持しようとしたとして、その実態分析に役立つと思われる史料「公務控」の一部を紹介。 https://t.co/RedL6Z10Dy
拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)は、以下からダウンロードできます。https://t.co/A65OnLMHFg
【再掲】拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)が既にダウンロード可能となっていました(^^)https://t.co/A65OnLMHFg
拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)が既にダウンロード可能となっていました(^^)https://t.co/A65OnLMHFg メチャ大部で恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。
昭和14年3月28日、田中光顕が死去。天保14年生まれの彼は「幕末の政争を生き延び、太平洋戦争の開戦前まで、九〇歳を超える長寿を全うした稀有な官僚、政治家」(安岡昭男・長井純市「田中光顕関係文書紹介1」『法政大学文学部紀要』52)。 https://t.co/VDVsrSRMte
高橋小百合「〈木戸孝允〉を支えた女」(『北海道大学大学院文学研究科研究論集』16、2016年)は、明治以降に木戸孝允の「偉大さ」を語る言説の中で、近代日本の男女交際論の流行を先取りする形で木戸と幾松の物語も歓迎されたと指摘。 https://t.co/bqEUSYS6hx
岩井憲幸「幕末ロシア語研究の新出資料について」(『明治大学人文科学研究所紀要』65、2009年)は、近世後期の国学者・平田篤胤がロシア語を学んでいた可能性があることを示す史料の発見について、ロシア語学習・研究史の観点から分析する。 https://t.co/wBycKow1AH

3 0 0 0 OA 会津藩庁記録

こちらの「京都方浪士人別」に出ている万年大進が誰だか分かりました。恐らく誤記で万年大純が正確でしょう。漢学者で医師だったようですね。 萬年櫟山の名前で『皇國醫系』という本を文久元年に出しています。それなりに知られていたようですね。 https://t.co/GWVI7NI0mq
拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩―西郷吉之助の動向を中心に―」(『日本研究所紀要』8号、2016年)は、以下からダウンロード可能です。 https://t.co/in1GB6YkW2
大正12年3月2日、何礼之が死去。長崎の唐通詞の出身で、明治期に外務省の官僚や貴族院議員などを務めた。また、モンテスキューの『法の精神』を翻訳。許海華「長崎唐通事何礼之の英語習得」(『関西大学東西学術研究所紀要』44)が履歴を紹介。 https://t.co/7krHvAgXob
後藤重巳「幕末期京都情報の流布をめぐって」(『別府大学紀要』38、1997年)は、幕末の志士・小河一敏を輩出した豊後の外様小藩である岡藩の、京都政局などの情報の入手方法を分析。それらの情報が一敏の活動を活発化させた可能性も指摘。 https://t.co/MPCSeugCe8
大島明秀「馬琴と「鎖国論」」(『文彩』10、2014年)は、『南総里見八犬伝』などの著者として知られる曲亭馬琴(滝沢馬琴)が所持した志筑忠雄の『鎖国論』の写本を素材に、近世後期における『鎖国論』の受容のされ方の問題などを分析する。 https://t.co/OokVAMatD8
大島明秀「馬琴と「鎖国論」」(『文彩』10、2014年)は、『南総里見八犬伝』などの著者として知られる曲亭馬琴(滝沢馬琴)が所持した志筑忠雄の『鎖国論』の写本を素材に、近世後期における『鎖国論』の受容のされ方の問題などを分析する。 https://t.co/OokVAMatD8
明治7年2月6日、政府の閣議で台湾出兵が決定された。小野聡子「国内政治上における万国公法」(『青山史学』33、2015年)は、「内治優先派」対「外征派」の図式を排し、万国公法に立脚した木戸孝允、山田顕義、黒田清隆の台湾出兵論を分析。 https://t.co/PadRKlkBNm
安岡昭男「幕末の小笠原諸島をめぐる国際関係」(『国際政治』14、1960年)は、幕末期の重要案件の1つである小笠原の領有問題を分析。安岡氏は昨年亡くなられた研究者で、同論文は著書『幕末維新の領土と外交』(清文堂、2002年)に再録。 https://t.co/Jl6bk35T0k
『小笠原壱岐守長行』は、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。同書について、奈良勝司「小笠原長行と「公議」」(『立命館大学人文科学研究所紀要』105)は、長行の手記や日記と照合した結果、概ね信頼できる内容だと評価している。 https://t.co/vFQi0YB5Et
古川松根の伝記で、私が松根ファンになったきっかけの本。閑叟公の葬儀委員長を務めてから殉死するまでの松根の姿がかなりドラマチックに描かれていて、涙無しには読めません…。 国立国会図書館デジタルコレクション - 寧楽園歌伝純忠古川松根 https://t.co/uAyIMFpTUi

16 0 0 0 OA 鍋島直正公伝

本日は閑叟公の旧暦の御命日ですね。鍋島直正公伝には、薨去から葬儀に至るまでの詳細が記されています。 国立国会図書館デジタルコレクション - 鍋島直正公伝. 第6編 https://t.co/ky1PgcxdqW
大正5年1月16日、北垣国道が死去。北垣は幕末の鳥取藩士で、明治14〜25年には京都府知事を務めた。高久嶺之介「京都府知事最末期の北垣国道」(『社会科学』74)によれば、伊藤博文・井上馨・松方正義との関係が良好だったらしい。 https://t.co/euHv2H83mW
慶応2年12月7日(1867年1月12日)、日本とデンマークが条約を締結。両国の最初の関係は、デンマーク船が弘化3年(1846年)の浦賀に来たことに始まる。長島要一「弘化3年浦賀沖 ビレ提督の日本訪問」(『日本研究』28)が詳しい。 https://t.co/HarnW6I9fs

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