著者
中川 和明
出版者
弘前大学國史研究会
雑誌
弘前大学國史研究 (ISSN:02874318)
巻号頁・発行日
no.90, pp.1-14, 1991-03-30
著者
中川 敏宏
出版者
専修大学法科大学院
雑誌
専修ロージャーナル = Senshu Law Journal (ISSN:18806708)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.153-166, 2013-01-25 (Released:2013-05-14)

2012年5月24日,韓国大法院は,日本による植民地統治下において三菱重工(旧三菱)・不二越により強制徴用を受けたとして,その被用者らが同会社を相手に損害賠償と未払賃金の支払いを請求した事件において,原審である釜山高等法院が同じ請求を棄却した日本における判決(最高裁で本件原告らが敗訴確定)を受け入れ原告らの請求を棄却したのに対して,その原判決を破棄し,釜山高等法院に事件を差し戻した。この日本企業に対する戦後補償の可能性を認めた大法院判決は,韓国のマスコミでも大きく取り上げられ,さらなる追加訴訟を提起する動きも伝えられている。その意味で,本判決は,韓国において,対日本企業のみならず対日本国の戦後賠償問題に関し象徴的な意味を有するものになるであろう。本判決については,今後わが国でも様々な観点からの検証・分析が求められるが,そのような多角的な検証・分析は訳者の能力の域を出ており,ここでは,本判決の重要性に鑑み,公表されている三菱重工に対する訴訟の大法院判決を取り上げ,判決文の翻訳を試みたい。翻訳に際して,できるかぎり原文のニュアンスを尊重したが,日本人読者への便宜から,日本における一般的呼称等に従っている箇所がある(例えば,韓国と日本を指す際,韓国語では「韓日」と表現されるところは「日韓」と訳出している)。
著者
林 淑美 大塚 博 内藤 由直 中川 成美 兵頭 かおり
出版者
立教大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-04-01

本研究は、中野重治の肉筆原稿、書簡、日記などの調査と研究である。加えて、最近困難な状況にある文学館との協力の社会的意義の追求も目的である。近代文学研究において肉筆原稿等第一次資料の調査はきわめて大切であるが、調査の対象となる原物は適切に整理・保存・収集されねばならず、そのための作業は研究者の重要な任務である。中野重治の第一次資料を所蔵しているのは石川近代文学館、神奈川近代文学館、中野重治文庫記念坂井市丸岡図書館、日本近代文学館である。これら文学館との協力によって、本研究の肉筆原稿・書簡の整理と調査、戦後日記の翻字とデータ化等が実現した。
著者
中川 裕美 Nakagawa Yumi ナカガワ ユミ
出版者
大阪大学大学院 人間科学研究科 対人社会心理学研究室
雑誌
対人社会心理学研究 = Japanese journal of interpersonal and social psychology (ISSN:13462857)
巻号頁・発行日
no.18, pp.61-69, 2018-03

原著社会心理学の分野において、内集団協力を説明する代表的な理論には社会的アイデンティティ理論(SIT)と閉ざされた一般互酬仮説(BGR)がある。SITは自己と集団の同一化から、BGRは互恵性の期待から内集団協力が生じるという。中川・横田・中西(2015)により野球ファンにおける内集団協力には、二つの理論が記述する心理過程が同時に働くことが示された。さらに、中川・横田・中西(投稿中)で協力行動にかかるコストを明示すると、SITよりもBGRの心理過程が強く働き内集団協力が生じた。このことから、SITとBGRの心理過程の働きを規定する状況要因の一つは、協力行動のコストであることが示唆された。しかし、中川他の実験では集団間の関係性が曖昧であり、他集団の比較を前提とするSITの心理過程を引き出すには不利な状況だったと考えられる。そこで、本研究ではコストは明示したままで集団間の関係性を明確にするため、集団間の地位を提示した。地位を提示した状況では、SIT が支持されるか否か検討を行った。実験では、カープファン81名(男性47名, 女性33名, 不明1)に地位の刺激(高地位/低地位/統制)をプライミングした後、内集団協力を測定した。その結果、地位の効果が見られず、地位の効果を除いた内集団協力ではSITとBGRともに支持されなかった。In this study, we compared the ability of both the Social Identity Theory (SIT) and Bounded Generalized Reciprocity Hypothesis (BGR) to explain ingroup cooperation in real groups. We conducted the vignette experiments that were designed as controlling various confounded factors to possibility influence ingroup cooperation among Japanese baseball fans. In the experiment, we manipulated expectation of reciprocity, which was assumed as a precursor of ingroup cooperation by BGR, by controlling knowledge of group membership. Ingroup cooperation was measured by participants' intent of helping a stranger in four scenarios. According to Nakagawa et al. (2015, submitted), cost of ingroup cooperation can enhanced the psychological process of BGR, while ingroup cooperation without cost proceeds both processes of theories. However, these experiments were unclear intergroup differences and the effect of social identity was weak. Thus, we expressed the stimulus of intergroup status by the perceptual priming to clear intergroup differences. But the result of the experiment was not support the effect of intergroup status. The analysis that the effect of status was removed revealed both theories was not supported.
著者
岡 孝和 松岡 洋一 小牧 元 三島 徳雄 中川 哲也
出版者
一般社団法人日本心身医学会
雑誌
心身医学 (ISSN:03850307)
巻号頁・発行日
vol.31, no.5, pp.405-409, 1991-06-01
被引用文献数
2

A case of Akatsuki disease was reported. Akatsuki disease which was named and reported first by Dr. Sakamoto in 1964 is defined as the skin lesions that are induced by neglect of skin hygiene and based upon certain psychological mechanisms. A 58 year-old female diagnosed as Akatsuki disease was referred to our department by a bermatologist. She had not been able to bathe for more than seven years because she felt burning sesations on her face when she took a bath. When she was admitted to our hospital, her cheeks looked red. When she put her hands into hot water, her face became more red and that state lasted over ten hours. However, endocrinological studies could not explain her complaints. As she was in a hypochondriacal state and also suspected to be in a hypersensitive state of the vasomotion of her face, Autogenic Training as well as the image therapy called "Nanso no Hou" were introduced in addition to supportive psychotherapy and congnitive, behavioral modification. As the result, the redness of her cheeks disappeared and she became able to take a hot shower in two months, and was discharged from the hospital.
著者
林田 賢治 中川 滋人
出版者
日本肩関節学会
雑誌
肩関節 (ISSN:09104461)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.427-430, 2005-06-30 (Released:2012-11-20)
参考文献数
6
被引用文献数
1

The aim of this study was to elucidate the relation between ball speed in pitching during a baseball game and the power of external rotation (ER) of the shoulders. Nineteen games, which were at the national inter high school baseball tournament games in Japan, in which the pitchers threw more than 100 times, and the ER strength before the tournament and after the games were measured, were included in the present study. The straight balls were decided by the ball speed data and video tapes of the games and a mean straight ball speed in the first 30 pitches and the last 30 were calculated. The relation between the changes of ball speed and ER strength were assessed. In 8 of 19 games, the ball speed decreased more than 3 km/h between the first 30pitches and the last 30 pitches and these games were classified into speed decreased game (DG), and the other 11 games were into non DG. The mean ratios of ER strength of the throwing side to the non throwing side were 1.02 in non DG and 0.99 in DG before the tournament. The mean ratios of ER power were 1.02 in non DG and 0.95 in DG after the games. The differences of ER ratios between before the tournament and after the game were +0.012 in non DG and -0.041 in DG, and a statistical significant difference was recognized between them. A decrease of straight ball speed during a game relates to a decrease of ER strength ratio. Maintaining ER strength could be one of the ways to keep ball speed in the game.
著者
中川 昌子
出版者
公益社団法人日本薬学会
雑誌
ファルマシア (ISSN:00148601)
巻号頁・発行日
vol.14, no.9, 1978-09-01

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著者
中川泉三 編
出版者
文盛堂書店
巻号頁・発行日
1919
著者
中川 宏道
出版者
行動経済学会
雑誌
行動経済学 (ISSN:21853568)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.12-29, 2016 (Released:2016-11-18)
参考文献数
26

貯めたポイントを1ポイント単位で使用できるロイヤルティ・プログラムにおいて,消費者はどのようなときにポイントを使用するのであろうか.中川(2015)のポイントに関するメンタル・アカウンティング理論から示唆される通り,ポイント残高がポイント使用意図や支払いの知覚コストに影響を与えるという仮説について,本研究では家電量販店およびスーパーマーケットのロイヤルティ・プログラムの会員を対象とした実験がおこなわれた.実験結果から,ポイント残高がポイント使用意図,支払方法の選択,支払いの知覚コストに影響を与えていることが明らかになった.従来の研究結果とは異なり,支払金額はそれほど影響を与えていなかった.ポイント残高が少ない消費者にポイント使用を促すことは,ポイントを全く使わない場合よりもかえって支払いの知覚コストを高めてしまう.したがって消費者にポイントの使用を促す際には,ポイント残高がある程度以上の場合にすべきであることが示唆される.
著者
中川 一郎
出版者
公益社団法人 日本栄養・食糧学会
雑誌
栄養と食糧 (ISSN:18838863)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.105-106, 1971 (Released:2009-11-16)
参考文献数
3

The correlation between body weight and basal metabolism of children is, except for middle school children, closer than the correlation of heat production with body surface. Therefore, the standards of metabolism based on body weight are considered simple and practicable for use in determination.
著者
中川 充 納 篤 山本 俊一郎 原田 武
出版者
The Society of Resource Geology
雑誌
資源地質 (ISSN:09182454)
巻号頁・発行日
vol.45, no.254, pp.401-408, 1995-12-31 (Released:2009-06-12)
参考文献数
48
被引用文献数
1

Platinum-group elements (PGE) in nonmagnetic panned-out detrital samples from the northern Kamuikotan ophi-olitic complex, Hokkaido, was examined by neutron activation method. Their Cl-chondrite normalized PGE patterns are similar to those of ophiolitic host rocks and chromitite. Positive correlation between the iridium and chromium contents imply that iridium-series-PGE anomalies are probably due to chromite-hosted platinum-group minerals. Averaged PGE concentration in the samples from the central Hokkaido (Do-ou) region is almost eight times higher than that from the northern Hokkaido (Do-hoku) region. Based on the chemical analyses and the estimated reserve of chromite, total amounts of PGE included within placer chromite grains are estimated to be 17 kg in the northern Hokkaido, and 245 kg in the central Hokkaido.
著者
中川 慧 今村 光良 吉田 健一
出版者
人工知能学会
雑誌
2018年度人工知能学会全国大会(第32回)
巻号頁・発行日
2018-04-12

時系列およびクロスセクションの属性を持つデータセットに対する時系列勾配ブースティング木を提案する。我々の時系列勾配ブースティング木は、内部ノードに時系列およびクロスセクションの属性を持つ弱学習器をもち、時系列間の非類似度に基づく基準例分割テストまたは通常の不純度に基づく分割を行う。時系列間の非類似性は、Dynamic Time Warping(DTW)または金融時系列に対してはIndexing DTWによって定義される。TOPIXを対象とした株価予測の結果は、提案手法は収益性、精度ともに優れていることが確認できた。
著者
中川 貴之 南 雅文
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

ATPを脊髄くも膜下腔内に投与すると、持続時間の短い機械的痛覚過敏が惹起され(〜20分)、引き続き、投与15〜30分後にアロディニアが誘導され、その後3〜4週間持続する長期持続性アロディニアが惹起された。本モデルでの脊髄内グリア細胞の活性化の経時変化を検討したところ、ミクログリアは比較的早い時期(誘導〜移行期)、少し遅れてアストロサイトが活性化された(移行〜維持期)が、その後、アロディニアは持続しているにも拘わらず、どちらも定常状態に戻りつつあった。さらにミクログリアおよびアストロサイトの活性化阻害薬、および数種のMAPK阻害薬を用いた検討などから、それぞれの活性化状態を示す時期と対応してアロディニアの惹起に関与することを示した。これらは、脊髄内のミクログリアは主に慢性疼痛の誘導に、アストロサイトは慢性疼痛への移行に関与することを示している。また、主にアストロサイトに発現するグリア型グルタミン酸トランスポーターGLT-1は、炎症性疼痛モデルおよび神経因性疼モデルにおいて、その発現量あるいは細胞膜における局在量が減少していた。組込えアデノウイルスを用いて脊髄内にGLT-1遺伝子を導入すると、急性痛に対しては影響を与えないものの、炎症性疼痛や神経因性疼痛の発症をほぼ抑制した。これらの結果は、アストロサイトによるGLT-1を介したグルタミン酸取り込み機構の破綻が、慢性疼痛発症に重要な役割を果たしていることを示す。さらに、このGLT-1局在変化の分子機構を明らかにするため、GLT-1-EGFP融合タンパク質を導入できる組換えアデノウイルスを作成し、培養神経-グリア共培養系を用いてタイムラプス顕微鏡下でアストロサイトでのGLT-1の局在変化を解析した。その結果、グルタミン酸の処置によりGLT-1は1時間以内に細胞内に移行しクラスター状に集積すること、また、GLT-1を介したNa^+流入が必須であることを明らかにした。
著者
中川 萌子
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科
雑誌
人間・環境学 (ISSN:09182829)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.81-93, 2014

マルティン・ハイデガーは, 形而上学を一貫して批判することを通して, 存在問題を新たに問い直すことを目指した. しかしハイデガーは, 前期において―とりわけ彼の思索の「形而上学期」と呼ばれる時期において―形而上学の基礎づけを通して形而上学を乗り越えようとした. 後に彼自身がこの時期の思索に関して自己批判を加えている. しかし, 結局のところ「形而上学期」の思索の如何なる点がまさに「形而上学的」であったのかということは, ハイデガー自身によっても先行研究によっても明確にされているとは言い難い. けれども, ハイデガーの存在問題の独自性が, 形而上学との闘いの中で, とりわけ彼自身の形而上学的傾向に対する自己批判の中でより鮮明に捉えられるであろうということを考慮するならば, 上述の問題は等閑視されてはならない. 上述の問題の解明のためには以下の論点が肝要である. それは, 「形而上学期」において捉えられた存在の非性(「脱-底」と「無」) とその内への被投性が規定不十分により軽減されてしまっているということ, それ故にここでの存在が形而上学的に了解された存在(「現前性」) と明確には区別されえないものになってしまっているということである. 言い換えれば, 存在がここでは存在者を常に現前させ続けることと見なされてしまいうるのだが, そうした存在はハイデガーの主張する「問うに-値するもの」としての存在とは全く異なるものであると言わざるをえない. 他方で, 「形而上学期」後に述べられた存在の非性(「覆蔵性」) とその内への被投性は, 現前するものを現前させ続けうるか否かに関して無規定であることを意味していると解釈しうる. つまり, 存在は存在者とは全く異なって振舞いうるため, 形而上学的に存在者から類推されるようなものではない. これが自らの形而上学的傾向に抗うハイデガーの存在了解であると言えよう.Martin Heidegger beabsichtigte mit seiner kontinuierlichen Kritik an der Metaphysik erneut die Seinsfrage zu stellen. Trotzdem hat er in seiner ersten Periode, vorzuglich in seiner sogenannten "metaphysischen Periode" versucht, die Metapysik zu uberwinden, indem er gemas seinem Denken ein solides Fundament fur die Metaphysik legt. An diesem metaphysischen Gedanken hat er spater Selbstkritik geubt. Welche Punkte jedoch letztendlich in seinem Denken "metaphysisch" waren, ist weder von Heidegger selbst noch von den bisherigen Forschungen prazisiert worden. Zieht man allerdings in Erwagung, dass die Originalitat der Heideggerschen Seinsfrage lediglich im Kontext seines Konflikts mit der Metaphysik, insbesondere der Selbstkritik an seiner eingangs erwahnten eigenen metaphysischen Tendenz verstanden werden kann, sollte dies nicht vernachlassigt werden. Hierbei ist zu beachten, dass in Heideggers "metaphysischer Periode" die Negativitat des Seins ("Abgrund" und "Nichts") und die Geworfenheit dorthinein aufgrund defizitarer Bestimmung gemindert wird und daher das hier beschriebene Sein nicht vom metaphysisch verstandenen Sein ("Anwesenheit") unterschieden werden kann. Mit anderen Worten differiert das Sein, das als etwas, das das Seiende fortwahrend sein lasst, angesehen werden konnte, durchaus vom "frag-wurdigen" Sein. Die nach dieser Periode formulierte Negativitat des Seins (" Verborgenheit ") und Geworfenheit dorthinein konnten aber auch als etwas ausgelegt werden, das unbestimmt lasst, ob das Sein das Anwesende weiter anwesend lassen kann oder nicht. Also ist metaphysisch das Sein nicht analog aus dem Seienden zu schliesen, da sich das Sein vollig anders als das Seiende verhalten kann. Dies ist Heideggers Seinsverstandnis, das im Widerspruch zu seiner metaphysischen Tendenz steht.
著者
中川 成美
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.50, no.11, pp.52-63, 2001-11-10 (Released:2017-08-01)

カルチュラル・スタディーズが真に衝撃的だったのは、既存の学問的な思考分類がそれ自身のためにあったのだということに気付かせた点にあるだろう。ハイ・カルチュアーを構成してきた知識人や大学人によって排除・疎外されてきた大衆文化の見直し作業は、<制度>として機能してきたアカデミックな領域そのものへの痛烈な自己批判として出発した。それは「方法」ではなく、思考の転回を期するものであったはずだ。しかし、文学研究の領域で「推進」されようとしている<文化研究>と呼称されるものは、果たしてそうした起点を持ちえていたであろうか。文学におけるカルチュラル・スタディーズとは何を目的とするものなのか、また文学とカルチュラル・スタディーズを繋ぐものは何なのか、本稿で考えたい。