著者
山崎 勤 小川 勝比古 山川 宗位 山中 昇 白戸 勝 柳内 統 吉田 真子 山本 一男 福田 勝洋
出版者
耳鼻と臨床会
雑誌
耳鼻と臨床 (ISSN:04477227)
巻号頁・発行日
vol.34, no.4, pp.987-1007, 1988-07-20 (Released:2013-05-10)
参考文献数
27

The clinical effect of isosorbide (TYS) for patients with Ménière's disease was first reported in 1981. Long-term treatment by TYS produced considerable symptomatic relief in many patients during the active stage of the disease. In the present study, the effect of TYS for patients with Ménière's disease was evaluated by a multi-centered double blind trial using betahistine meyslate (MR) as a reference drug over a period of 8 weeks. The indices that reflect global improvement and utility showed, by the Wilcoxon rank sum test (one-tailed), that the TYS was significantly (P<0.05) superior to the MR in the effectiveness of the control of Ménière's disease at 2 weeks, 4 weeks, 6 weeks and 8weeks after administration. There was no particular difference in the frequencies of side effects or abnormal clinical laboratory findings between groups treated with TYS and with MR. From the above results, it was concluded that TYS was an effective and useful drug for the treatment of Ménière's disease.
著者
田中 雅章 吉田 要
出版者
独立行政法人 科学技術振興機構 情報事業本部
雑誌
情報科学技術研究集会予稿集
巻号頁・発行日
vol.38, pp.133-138, 2001

三重県では,ブロードバンドインターネットのインフラとして都市型ケーブルテレビの整備が進んでいる。CATVインターネットは,ケーブルモデムを経由して直接10BASE-TのLANのように取り扱うことが出来る。筆者らはCATVインターネットを広域なLANと見なして,動画送信が行えないか検討を行った。CATVインターネットの速度測定の結果は下りの実効速度が約3Mbpsもあり,広域なLANネットワークとして充分に使えるとの見通しが立った。実際にCATVインターネット網で動画のマルチキャストである,PrimeCastを使って動画送信実験を行った。PrimeCastは,MPEG4に準拠するQualityMotionを応用したシステムである。QualityMotionは,特別な器機を必要としない動画配信システムで,市販のビデオキャプチャーとサウンドボードさえあればシステムを構築することが出来る。今回はこの環境を最大限に生かし,低価格なテレビ会議システムやインターネット放送局の実現性が高いと考えられる。今回はさらに小学校における応用事例を試作したので報告する。
著者
村山 良雄 小菅 浩文 鍋谷 重吉 吉田 和也 山田 昌弘 太田 圭子 山下 明美
出版者
一般社団法人 国立医療学会
雑誌
医療
巻号頁・発行日
vol.49, no.12, pp.1073-1076, 1995

日本全国で大規模災害の発生する危険性があるが, 当院のある明石市周辺は交通の要衝であり, 大規模交通災害の起こる可能性が少なくない. 平成4年の信楽高原鉄道事故を期に当院独自の大規模災害対応策を検討し, 各種緊急資材の配備やマニュアルを試作してきた. これらを基に信楽高原鉄道, 大阪ニュートラム事故, 名古屋空港事故を例にシュミレーションを行った. 事前に準備しておくと単独でもかなりな規模の交通災害に対応可能と考えられたが, より大規模な災害では単独では限界があり, 全国的な国立病院の支援, 協力態勢が不可欠であり, 災害の正確な情報伝達, 複数期間の統括, 救護班の派遣, 資材の備蓄, 空床の確保などの問題点が示唆され, これらを考慮した総合的な訓練の必要性が痛感された.
著者
吉田 博司
出版者
八戸大学商学部
雑誌
八戸大学紀要 (ISSN:21866929)
巻号頁・発行日
no.3, pp.91-106, 1984-03-01
著者
吉田, 秀升
出版者
巻号頁・発行日
vol.[7],
著者
篠澤 毅泰 吉田 和恵 波多野 陽子 辻 哲也
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement Vol.37 Suppl. No.2 (第45回日本理学療法学術大会 抄録集)
巻号頁・発行日
pp.E4P3184, 2010 (Released:2010-05-25)

【目的】 当院では入院患者に対し、リハビリ時間以外でも自主訓練が行えるよう、自主トレーニング(以下、自主トレ)を実施しているが、定着する患者と定着しない患者がいるのが実状である。渡邊らは外来患者を対象とし、自主トレの定着効果にセルフエフィカシー(ある結果を生み出そうとしたときの行動選択に直接的な影響を及ぼす因子のことで、自己効力感・自己遂行可能感と訳す、Banduraが提唱)が関与することを報告したが、入院患者を対象とした研究はいまだない。また、自主トレ定着効果についての研究は少なく、不明な点も多い。 本研究の目的は、入院患者を対象としてQOL尺度である生活満足度、セルフエフィカシー等を評価し、分析・検討することにより、自主トレ定着に影響を及ぼす因子を特定することである。【方法】 対象は当院入院患者のうち、認知症・失語症・高次脳機能障害の診断がなく、病棟内の移動およびトイレ動作が自立している当院入院患者とした。対象者に対して自主トレを導入、日々の実施記録を1週間記載してもらい、毎日自主トレを実施できた患者を定着群、1日でも実施できなかった患者を非定着群とした。 自主トレ提案時に、ADL評価としてFIM(機能的自立度評価法)、主観的QOL評価として生活満足度尺度K(以下、LSIK)、セルフエフィカシーの評価として一般性セルフエフィカシー尺度(以下、GSES)を評価した。 定着群、非定着群の2群間で各評価項目について比較検討を行った。統計処理にはMann-WhiteneyのU検定を用い、5%未満を有意水準とした。【説明と同意】 本研究の内容、自主トレの内容と効果については各担当者より説明し、同意を得た上で実施した。なお、当院の倫理委員会で承認を得た上で実施した。【結果】 対象者は18名、定着群は11名、非定着群は7名であった。内訳は男性8名、女性10名、平均年齢74.8±12.1歳、整形疾患8名、脳血管疾患10名であった。2群間に性別、年齢の有意な差は認めなかった。 2群間の比較では、GSESにおいて定着群10.9±2.8、非定着群5.9±3.9であり有意差(P<0.01)を認めた。一方、LSIKは定着群3.5±2.7、非定着群3.0±2.6、FIMは定着群107.4±8.2、非定着群103.1±10.1、発症からの日数は定着群100.9±42.0、非定着群94.1±28.8であり、いずれも有意な差を認めなかった。【考察】 渡邊らの先行研究と同様に、当院入院患者においても自主トレの定着効果にはGSESが関与していた。GSESは個人が生活していく状況の中で、困難な状況にどの程度耐えられるのかに関連する要因であり、広い意味での精神的健康と密接な関係があるといわれている。その得点が高い個人ほど困難な状況で、「問題解決行動に積極的に取り組み、自分の意志、努力によって将来に展望をもつという時間的展望に優れる」「自分の行動は努力や自己決定の結果であるという意識が高く、何に対しても努力しようという態度がみられる」と考えられている。 本研究においても自主トレという課題に対してGSESが高い患者ほど積極的に行い、定着するということが認められた。またLSIKにおいて有意な差が認められなかったことから、自主トレ定着には生活に満足している、満足していないという主観的QOLは関与していないことが分かった。 今後自主トレの定着効果を求めるうえで、GSESがその指標となる可能性が示唆された。GSESが高い患者は、自主トレ定着に対し特別な関わりを必要としないが、GSESが低い患者は、積極的に取り組むことが困難な場合があり、自主トレの提案方法や自主トレ提案後のセラピストの関わり方などに何らかの工夫が必要になると考えられた。【理学療法学研究としての意義】 入院患者においても自主トレの定着効果にGSESが関与していることが分かり、LSIKは関与していないことが分かった。今後自主トレを提案する際にGSESの得点で、より積極的な関わりが求められる患者かどうかの選別ができる可能性がある。例えば、GSESの低い患者を集め、特定の関わり方をした群と通常の関わり方をした群で定着率に差が出るかを検証するなどして、GSESが低い患者の自主トレ定着には、どのような工夫や関わり方が必要になるかについて、今後検討していきたい。
著者
吉田 満利恵
出版者
史学会 ; 1889-
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.126, no.4, pp.453-485, 2017-04
著者
吉田 宰
出版者
日本近世文学会
雑誌
近世文藝 (ISSN:03873412)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.17-30, 2017

Nishimura-Enri (1718-1787) is an amateur astronomer in Kyoto who wrote <i>Kyokōshi</i> (1775), <i>Uchū-mondō</i> (1778), and many other essays. Tatsuo Hino, one of few critics who deal with his essays, importantly notes that the author often cites Kumazawa-Banzan's Confucian discourses. Indeed, although he learned much about astronomy from his predecessor Nishikawa-Joken, his philosophical aspect was to no small degree cultivated under the influence of Bazan. Critically following Hino's argument, here I will examine Nishimura's philosophical astronomy in order to shed a new light on the humanities and sciences of the mid-Edo Period.
著者
吉田 敬介
出版者
学習院大学
雑誌
学習院大学人文科学論集 (ISSN:09190791)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.1-30, 2009

Was war die „neue Philosophie" bei Kierkegaard? Ich möchte im vorliegenden Aufsatz diese Frage untersuchen. In seiner Schrift der Begriff Angst (1844) unterschied er zwischen der „ersten Philosophie" (pr√th filosofºa) und der „zweiten Philosophie" (secunda philosophia). Jene ursprünglich von Aristoteles so genannte „erste" Philosophie, der Hegel weitgehend folgte, lässt sich wesentlich „Immanenz" und die „Erinnerung" kennzeichen. In der neueren, von Kierkegaard begonnenen „zweiten" Philosophie handelt es sich dagegen wesentlich um „Transzendenz" und „Wiederholung". In der ersten Hälfte des 20. Jahrhunderts haben nicht wenige Philosophen, wie etwa Jaspers oder Heidegger, aus ihren eigenen Kontexten jeweils positiv Kierkegaards „neue Philosophie" aufgenommen und interpretiert. Sowohl Jaspers als auch Heidegger waren nämlich der Meinung, Kierkegaard habe zum ersten Mal, im Unterschied zum Begriff des „Wesens" (essentia), den Begriff der „Existenz" (existentia) als solchen herausgestellt. Gibt es aber, so fragen wir, noch eine andere Interpretationsmöglichkeit, durch welche wir, weder aus der Jaspers'schen noch aus der Heidegger'schen Perspektive, sondern vielmehr aus Kierkegaards ganz eigener Perspektive, seinem „Existenz"-Begriff eine ihm eigentümliche Bedeutung entnehmen könnten? Wenn man sich auf die Tatsache beruft, dass das einzige Ziel von Kierkegaards philosophischen Anstrengungen darin lag, ein »wahrer Christ« zu werden und dass die ihn überzeugende Wahrheit ausschliesslich im christlichen Glauben zu finden war, dann wird der Charakter seiner Philosophie klarer und deutlicher. Seine „zweite Philosophie" soll uns zeigen, dass die Existenz des einzelnen Menschen gegenüber der „absoluten Transzendenz" bloss ein absolut negatives Motiv ist und dass der einzelne Mensch deshalb durch „Bewegung" oder „Wiederholung" ständig zur Wahrheit streben muss. Der Glaube zielt auf etwas jenseits der menschlichen Gedankens hin. In diesem Paradox kann der Einzelne es wagen, das »Verschwinden der Existenz« zu bestreben. Der Mensch als ein zeitlich Seiendes kann aber diese Wahrheit nicht spekulativ begreifen. Die Philosophie für die endlichen Menschen kann von einer solchen Wahrheit nicht mit einer Objektivität reden. Diese Philosophie verlangt also, dass der einzelne Mensch in seiner Existenz gerade mit seiner Subjektivität auf die Wahrheit zustreben soll. Seine Philosophie kann nicht mehr als eine Veranlassung zur Wahrheit in jedem Augenblick sein. Die Philosophie als „Veranlassung" kann nicht als ein geschlossenes System konstruiert, sondern lediglich als „Brocken (Smuler)" gekennzeichnet werden. Sie kann also nur „Philosophie zur Veranlassung", „unbestimmte Bestimmung" oder „unwissenschaftliche Wissenschaft" genannt werden. Die »zweite Philosophie« bei Kierkegaard ist nichts anderes als die „Philosophie als Brocken".
著者
中川 尚史 後藤 俊二 清野 紘典 森光 由樹 和 秀雄 大沢 秀行 川本 芳 室山 泰之 岡野 美佐夫 奥村 忠誠 吉田 敦久 横山 典子 鳥居 春己 前川 慎吾 他和歌山タイワンザルワーキンググループ メンバー
出版者
日本霊長類学会
雑誌
霊長類研究 Supplement
巻号頁・発行日
vol.21, pp.22, 2005

本発表では,和歌山市周辺タイワンザル交雑群の第5回個体数調査の際に試みた無人ビデオ撮影による群れの個体数カウントの成功例について報告する。<br> カウントの対象となった沖野々2群は,オトナ雄1頭,オトナ雌2頭に発信器が装着され群れの追跡が可能であった。またこれまでの調査からこの群れは,小池峠のやや東よりの車道を南北に横切ることが分かっていた。<br> 今回の調査3日目の2004年9月22日にも,一部の個体が道を横切るのを確認できた。しかし,カウントの体制を整えると道のすぐ脇まで来ていてもなかなか渡らない個体が大勢おり,フルカウントは叶わなかった。この警戒性の高まりは,2003年3月から始まった大量捕獲によるものと考えられる。翌23日も夕刻になって群れが同じ場所に接近しつつあったのでカウントの体制をとり,最後は道の北側から群れを追い落として強制的に道を渡らせようと試みたが,失敗に終わった。<br> そこで,24日には無人ビデオ撮影によるカウントを試みることにした。無人といってもテープの巻き戻しやバッテリー交換をせねばならない。また,群れが道を横切る場所はほぼ決まっているとはいえ,群れの動きに合わせてある程度のカメラ設置場所の移動は必要であった。そして,最終的に同日16時から35分間に渡って27頭の個体が道を横切る様子が撮影できた。映像からもサルの警戒性が非常に高いことがうかがわれた。<br> こうした成功例から,無人ビデオ撮影は,目視によるカウントが困難なほど警戒性の高い群れの個体数を数えるための有効な手段となりうることが分かる。ただし,比較的見通しのよい特定の場所を頻繁に群れが通過することがわかっており,かつテレメーター等を利用して群れ位置のモニタリングができる,という条件が備わっていることがその成功率を高める必要条件である。
著者
吉田裕著
出版者
岩波書店
巻号頁・発行日
1992
著者
吉田 光司 亀山 慶晃 根本 正之
出版者
東京農業大学
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.10-14, 2009 (Released:2011-07-26)

ナガミヒナゲシが日本国内で生育地を拡大している原因を解明するため、1961年に日本で初めて帰化が報告された東京都世田谷区と、1990年代以降急速に生育地が増加した東京都稲城市で生育地調査を行った。ナガミヒナゲシの生育地数は、世田谷地区と稲城地区の双方とも道路植桝で最も多く、次いで駐車場や道路に面した住宅地となり、自動車の通過する道路周辺に多いことが判明した。ナガミヒナゲシの生育地は道路植桝から周辺の駐車場へと自動車の移動に伴って拡大したと考えられる。この過程を検証するため、ナガミヒナゲシの在・不在データを応答変数として、道路植桝から駐車場までの距離と舗装の有無、それらの交互作用を説明変数とするロジスティック回帰分析を行った。AICによるモデル選択の結果、世田谷地区ではいずれの説明変数(距離、舗装の有無、それらの交互作用)も選択されなかったのに対し、稲城地区では距離(P=0.07)および距離と舗装の有無の交互作用(P=0.04)がナガミヒナゲシの存在に負の影響を及ぼしていた。これらの結果から、(1)帰化年代の古い世田谷地区では生育地拡大が完了しており、主要道路からの距離や舗装の有無とは無関係にナガミヒナゲシが生育していること、(2)稲城地区では生育地拡大の途上であり、その過程は道路植桝からの距離だけでなく、距離と舗装の有無との交互作用によって影響されることが示唆された。