著者
小田切 司朗
出版者
一般社団法人 電気学会
雑誌
電気学会誌 (ISSN:13405551)
巻号頁・発行日
vol.129, no.9, pp.620-623, 2009-09-01 (Released:2009-09-01)
被引用文献数
4 1

本記事に「抄録」はありません。
著者
ゴルドン イザベラ 小田原 アキ子
出版者
日本甲殻類学会
雑誌
甲殻類の研究 (ISSN:02873478)
巻号頁・発行日
no.4, pp.123-132, 1971-07

・ホワイト氏(彼のカタログは1847年及び1850年に出版された)が退職した頃は,甲殻類研究にはほとんど何も見るべきものがなかった。もっとも,トマス・ベルのコブシガニ(1885)が一連のモノグラフの先駆をなしていたし,また,C.スペンス・ベイトが端脚類(1862)のカタログを作るために雇われたりはしたが,マイヤースはホワイトの後を継いだ。彼は,ホワイトの多くのnominanudaを含む館内の収蔵品のうち,新しい種類や,よく知られていない種類を述べエビ,カニ類の数種について,また,シャコ類やヘラムシ科についても訂正した。それに加え,彼は多くの重要な採集物について報告し,ニュージーランドの有柄眼と無柄限甲殻類のカタログを出版した。この期間中,「収蔵品の鑑定ばかりでなく,記名,ラベルはり,分類などまで私ひとりの手でなしとげた」(1883年5月14日付書簡)ことを考えると,彼の組織的な仕事の量と質は驚くべきである。当時採集したものは,大体,生物の記録として新種のものになった。マイヤースは新種の名を脚註や他の種類のテキストの中でなにげなく紹介する傾向があったので,マイヤースの発見した新種を正確に数えることは容易ではない。しかし,彼は 大体のところ十脚類に32の属,亜属と260の種,亜種を加えた。そして甲殻類の目に4つの属と,72の種,あるいは変種をつけ加えた。名前は少し変ったかも知れないが,それらの大部分は今でも有効である。例えば最近,R.セレン博士によって編纂された西インド洋の短尾類の暫定的なリスト(未出版)の中には,143のマイヤースの発見した種類が含まれており,そのうち名前の変ったものは20しかない。(十脚類を含むマイヤースの文献のリストについては,Balss&Gruner.1961:1898と1989〜1991を参照されたい)ところで,彼の主要報告はどうであったろうか。甲殻類のサウス・ケンジングトンへの移転がマイヤースにとって大変厄介な時にやってきた。1883年5月14日付のギュンターへの手紙で,彼はその移転が,「軍艦アラートによって採集された甲殻類に関する報告の準備によって必然的に延びるチャレンジャーの短尾類の予備調査の完了まで延期される」ことを暗示した。ジョン・ミュラーは彼の報告書の長さと,それを図で説明するのに必要な図版の数によって評価されたいと望んでいた。しかし,マイヤースはこの望みをかなえてやらなかった。というのは彼は異尾類のほうにまわされることになっていたパロワとまだ討議しなければならなかったし,また,図版は10から15で十分であると考えたからである。ミュラーは1883年5月18日にこう書いている。「あなたの時間の多くが,博物館の移転に費やされてしまったのは残念です。しかしながら,せいぜい二月以内に,あなたが我々によい報告書をお与え下さることを望んでおります」。甲殻類は全部6月末までに移されたが収蔵品と書籍を整理するのに,数か月かかったにちがいない。つづく18か月をマイヤースは,彼の博物館の仕事が許すがぎり,チャレンジャー報告に費やした。しかし1885年の終りまで彼は病気がちで,健康をかたり害していたので11月に辞任した。チャレンジャーの原稿は,1886年4月1日から11月26日までの間に分けて,ミュラーのところへ送られ,マイヤースは健康の続く限り,それを校正した。彼は6月26日付のミュラーの手紙を読んで確認したに違いない。「ここ数年間,私はあなたの報告書をていねいに読んでおります。大変立派な,重要なものであり,今あなたのお送り下さった原稿は,大変明確でよく準備されてありますので,出版が完了するまで,大して,あなたにお手数をおかけしなくて済むと思います。あなたの名を高める報告書になるにちがいありません。すべての生物学者に,科学への最高の貢献であるとみなされるでしょう」。マイヤースはしばしばこの博物館で働いていたようである。その時彼はかなり元気で,乾燥標本を新しい標本棚に並べかえたりしていた。(ギュソター宛の書簡,1887年7月30日)この日以来,1892年1月19日の葉書しか残っていない。これはコーンウェルの住所から発信したもので,かつての同僚にクリスマスの挨拶に対する感謝をしたためたものである(偶然にも,ヘンリー・マイヤースが1882年から1895年までこの博物館の職員であり,また,1926年から1939年まで大英博物館の理事をつとめている)。E.J.マイヤースは終生,動物学会員及びロンドンのリンネ学会員であった。日本の甲殻類に関するマイヤースの業績 日本の甲殻類に関する彼の重要な文献は,韓国と日本の海を7年間調査したことのある英国海軍のセント・ジョン海軍大佐によって集められた資料に関する1897年の報告である。資料の多くはドレッジで採集された深海のものである。それゆえ,デ・ハーンによってよく説明されている通常海岸に住む種類はほとんど含まれていなかった。この地域の深海の甲殻類については,アメリカ合衆国,北太平洋調査探検隊(1853〜56)に加わった動物学者スティンプソンがフィラデルフィア科学学士院委員会で,多数の属や種の特性についての短いラテン語の本を出版するまでは,比較的わずかしか知られていなかった。しかも,短尾類と異尾類の説明とさし絵は,かなり後まで出版されなかった。(スティンプソン1907)しかしながら,マイヤースは,セント・ジョンの資料と,スティンプソンによって命名され数年前スミソニアン協会から大英博物館に寄贈された日本近海で採れた標本とを比べることができた。提供された64種類のうち,26種類は明らかに新種であった。他の7種には彼は種名をつけなかった。彼はParatymolus, Pleistacantha, Pomatocheles, Heterocumaなどの属名を確立し,日本の動物相の関連について述べた。彼は後日Amphipoda, Isopoda, Cirripedia Pycnogonidaなどに関する出版をするつもりであったが,達成しなかった。マイヤースの出版物の多くは,さし絵を画家に石版刷りにさせているが,この図版のように石版工の名だけしか記されていないものは,恐らく下絵はマイヤース自身によるものであろう。1881年12月17日,ナポリの動物学研究所のピー・メイヤー博士がマイヤース宛ての書簡で,彼はあるアメリカ人,ホイットマン博士によって彼に送られた日本のエビの標本をいくつか送るつもりであると述べている。このエビは東京の近くの淡水池で採集された。メイヤーの手紙には,実際に誰がそれを採取したのか書いてない。この標本は成長した大きさよりせいぜい5mmしか小さくなかったのであるが,かなり小さかった。しかし私は,ホイットマン博士個人を通じて,この標本を送ったのは石川博士であるに違いないと思っている。というのは石川博士は,この種類を増やすことを研究していて,専門家にそれを名づけてもらいたがっていたからである。このことは,Atyaephra? Compressa De Haan(1882.マイヤース)に関するメモを受けとった時に石川博士が書いていることに一致するであろう。1882年6月12日に石川はこう書いている。「私があなたにお送りした標本は,皆小さいので,今度はもっと良い大きた標本をお送りしたいと思っているのですがご存じのとおり,アルコール標本を海外に郵送することは,我々にとって大変困難なことなのです。」それ故,大英博物館の収蔵品には,ナポリからメイヤー氏によって送られたこれらの標本(登録番号82.2)しかないのである。このエビは,久保博士によりParatya compressa improvisa Kempに属するものとされている。(1938.東京水産大学報告.33(1):71).英国軍艦チャレンジャーは,再び日本の海で採集し,1875年5月12日から6月17日までの間に獲得されたカニはマイヤースのリストに載っている。2種類だけ新種であることが分った。即ちCharybdis bimaculata(Miers)と深海産のEthusa(Ethusina)challengeri(Miers)である。又,マイヤースがよく述べていた西インド洋産の多くは,後に,日本の動物相に属することが分った。
著者
佐藤 誠亮 久保 高行 四海 公貴 船引 達朗 大内田 友規 小田川 絢子 梶村 政司
出版者
公益社団法人日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学 (ISSN:02893770)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, 2008-04-20
被引用文献数
2

【はじめに】平和カップイン広島・国際交流車いすテニス大会(以下ピースカップ)は「広島から世界にpeace」をスローガンに、広島県車いすテニス協会(以下HWTA)の主催で開催されている。当初この大会のフィジオサービス(以下PS)は理学療法士(以下PT)の有志のみ(組織対個人)で運営されていたが広島県理学療法士会(以下当会)が会員活動を支援するためにHWTAと協議し当会の事業として位置づけた(組織対組織)ことでピースカップPSでの会員活動の負担が軽減した。現在では連携がさらに強まりHWTAが当会会員に対しての車いすテニス講習会を開催し当会会員PTの質の向上に役立っている。<BR>【変遷】1996年第51回ひろしま国体が開催され、続けて第32回全国身体障害者スポーツ大会・おりづる大会でスポーツ理学療法室が設置され当時のメンバー4名がピースカップでのPSを運営した。1997年HWTAより当会に正式要請があった。<BR>【現在の活動状況】当会からピースカップへ:大会期間中のPS運営を行う。2007度実績は1日利用者平均33名5日間延べ件数207件1日平均スタッフ数11名治療対象部位別件数は頭頚部87腰背部110肩上腕152肘前腕146手手指41治療方法は徒手療法63マッサージ149ストレッチ131テーピング42アイシング39物理療法39PS運営総経費は\77,328であった。ピースカップから当会へ:車いすテニス体験会の講師派遣してもらい障害者スポーツ研修の一助となっている。組織対組織として当会がピースカップPS運営に関わるようになり当会で運営のための予算を設け1.スタッフの交通費支給2.スタッフ確保が容易に3.物理療法機器レンタルが可能に4.事故発生時の責任問題の明確化5.PSでの使用物品の購入が可能になる事で参加会員の負担の軽減になった。<BR>【大会当日までの流れ】1.車いすテニス体験会の開催2.車いすテニス選手ケアのための研修会開催3.PSスタッフ参加募集4.PS運営のための大会直前研修会開催<BR>【考察および今後の展望】この取り組みのように他団体と本会が組織対組織で活動することで1.会員誰もが活動する機会が平等に与えられる。2.PTは障害を有するものを主な対象者として接するが実際には障害を有し社会復帰した後のものを対象として接する機会は少ない。障害を克服した方と接することで我々が臨床の場でよく接する障害を克服する前の対象者に還元できる事は十分にある。3.優秀な人材を発掘しその人材が本大会での活動のリーダーシップをとり質の高い選手ケアが提供できるようになる。これらは公益職能団体として不特定多数へ貢献できる活動といえる。全国的にみてもPT会が他団体の活動をサポートしている報告は散見される程度であるため、当会としてはこのような活動を組織として行うことのメリットを全国に発信していきたい。<BR>
著者
小田原 のどか
出版者
アジア・ジェンダー文化学研究センター
雑誌
アジア・ジェンダー文化学研究 (ISSN:24329525)
巻号頁・発行日
no.5, pp.21-30, 2021

[特集] 国際シンポジウム「都市空間とジェンダー:身体表象と記憶をめぐって」※本稿は国際シンポジウム「都市空間とジェンダー:身体表象と記憶をめぐって」の発表原稿で あり、内容は「空の台座:公共空間の女性裸体像をめぐって」(『彫刻1』所収)を大幅に改稿し たものである。
著者
小田 国雄 宇野 源太
出版者
社団法人 大阪生活衛生協会
雑誌
生活衛生 (ISSN:05824176)
巻号頁・発行日
vol.11, no.4, pp.164-176, 1967-08-15 (Released:2010-03-11)
参考文献数
46
被引用文献数
1
著者
小田切 祐詞
出版者
日仏社会学会
雑誌
日仏社会学会年報 (ISSN:13437313)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.35-48, 2019-11-30 (Released:2021-08-25)

This paper aims to revisit the individualization theory, especially the Ulrich Beck's one, by examining La condition fœtale written by Luc Boltanski. According to Beck, one of the aspects of individualization in the second modernity consists in, on the one hand, the liberation without reintegration into intermediate groups, which leads to an individual decision-making on one's own biography, and, on the other hand, the re-institutionalization based on the individual. Taking up as an example of these processes the legalization of abortion such as the Veil law and the diffusion of prenatal testing, this paper tries to clarify, based on Boltanski's arguments, the instance external to persons whose authority is invoked so that the child to be born can be considered preconfirmed in the contemporary society. This paper concludes that, in the individualized society, we see not the disappearance of big Other's authority, but its new appearance.
著者
小田川 大典
出版者
日本政治学会
雑誌
日本政治學會年報政治學 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.125-149,265, 2006

In his later work, <i>L'inhumaine</i>: <i>Causeries sur le temps</i> (1988), Jean-Fran&ccedil;ois Lyotard advocated the aesthetic political theory under the influence of Edmund Burke's early writing, <i>A Philosophical Enquiry into the Origin of our Ideas of the Sublime and Beautiful</i> (1759), though little attention has been paid to this point so far. This paper is intended as the examination of Burke's physiological aesthetics of sublimity and Lyotard's postmodern theory of the sublime from the perspective of political philosophy. Indeed, they didn't preach Kantian moral principles, but claimed the necessity of cultivation of the ethical sensibility through the aesthetical experience of the sublime in their theories. We may go on from this to the conclusion that it is what Stephen White called &ldquo;the sense of responsibility to otherness&rdquo; and &ldquo;the world-disclosing function of language&rdquo; in his work, <i>Political Theory and Postmodernism</i> (1991) that Burke and Lyotard emphasized the importance of.
著者
小田 恂
出版者
耳鼻咽喉科展望会
雑誌
耳鼻咽喉科展望 (ISSN:03869687)
巻号頁・発行日
vol.49, no.4, pp.162-171, 2006-08-15 (Released:2011-03-18)
参考文献数
41

耳鳴に関する臨床的事項を比較的最近の文献をまじえながら総説的にまとめた。耳鳴の発生頻度については母集団の選び方によって数値がかなり異なるが, 耳鼻咽喉科外来を訪れる患者のなかの耳鳴患者の頻度, 耳疾患患者のなかの頻度について示した。正常な日常生活を送る人のなかでの耳鳴を自覚している人の頻度を年齢別, 性別にまとめて示した。耳鳴の分類については今まで多くの先人が報告しているが, これらをまとめて実地臨床で利用しやすいかたちの著者の分類を示し, 耳鳴の病態生理についても箇条書き程度に記述した。耳鳴の診断については標準耳鳴検査法1993に基づき, その要点を解説した。耳鳴の治療については薬物治療, マスキングを応用した治療, 心理療法を導入した治療などについて示した。
著者
矢野 牧夫 小田島 和平 丹治 輝一
出版者
北海道開拓記念館
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1992

北海道開拓記念館に保存されている第2次世界大戦時の朝鮮人強制連行関係資料の整理分類と労働実態の調査を目的として研究を進めた。この研究によって得た新たな知見は、次のとおりである。1.連行者名簿の整理分類ーとくに住友金属鉱山,北海道炭鉱汽船(北炭)関係資料、日曹天塩炭鉱関係資料の整理分類を行い、強制連行された朝鮮人1,200名の連行者リストを作成した。これにより連行者氏名,年令,職業,本籍,連行時の居住地などを詳細に明らかにすることができた。2.強制連行関係資料の整理分類ー連行にあたっての現地における労務者の割当と募集状況,輸送計画および渡航状況,受入先での稼動状況,管理対策,稼動中の騒擾事件,逃亡状況,就業中の災害被災状況,慰安事業および馴化のための協和会組織などに関する資料の整理分類を行うとともに、それらの具体的事項を調査し,一連の強制連行,強制労働の経過を明らかにすることができた。3.強制労働が行われた現地の状況調査ー各鉱山は閉山後、かなりの年数を経過し、連行者が就労した事業所,収容された施設などはすでに存在していないが,各地に死亡者の墓碑,慰霊碑などが残存しており13箇所においてそれらの調査を行った。4.強制連行関係者からの聴取調査ーとくに、金属鉱山関係者から強制労働の実情を聴取することができた。それらは労働形態,就労内容,労務災害などに関する具体的内容であり,上記2の内容を補充するものであった.5.研究成果の公表ー研究成果の公表については,平成5年度の北海道開拓記念館研究年報および北海道開拓記念館調査報告に登載し一般への公表を行う。
著者
小田 伸午 森谷 敏夫
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2000

日本人と留学生の周辺視野反応時間と中心視野反応時間の平均値はほぼ同一の値を示し、グループ間には差が認められず、人種に応じた周辺視野反応時間に差がないことが明らかとなった。大学サッカー選手は一般大学生と比較して周辺視野および中心視野での反応時間に優れていることが明らかとなり、サッカー選手は、日々のトレーニングによりその能力を向上させたことを示唆している。そこで、周辺視野と周辺視野での反応時間をトレーニングする2群を設けてトレーニング実験を実施し、二つのトレーニング効果の交互作用について検討した。周辺視野反応時間をトレーニングした群では、トレーニングをした周辺視野だけでなく中心視野でも反応時間の短縮がみられた。中心視野反応時間をトレーニングした群でも中心視野だけでなく周辺視野でも反応時間の短縮がみられた。これらの結果は、いずれの視野におけるトレーニングも、キー押し運動に関連する中枢処理時間が短縮したことを意味しており、キー押しという単純反応時間であれば、中心あるいは周辺いずれかの視野においてトレーニングをすれば、効果が転移することが明らかとなった。さらに、広範囲にわたる視野の中からランダムに視覚刺激を呈示する条件下において、ヒトは注意を等しく配分するか、あるいは何らかの戦略をとるかについて検討し、被験者は広い視野の中間の位置に対して能動的に注意を向けることを明らかにした。最終年度では、周辺視野反応時間は、低強度および中強度の運動中は変化せず、VT(換気性作業閾値)を超える高強度の運動負荷時に増大することを明らかにした。これらの研究成果は、日本体力医学会など数回の国内学会で発表し、別紙に掲げた学術雑誌に公表した。
著者
小田切 正
出版者
北海道教育大学
雑誌
情緒障害教育研究紀要 (ISSN:0287914X)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.207-218, 1999-02-10

菅季治(1917-1950)は,若くして逝った北海道が生んだ哲学者であり,教師である。本稿は,ひきつづき菅の戦中における生活・思想・哲学のもつ意義をあきらかにすることである。とくに今回は,アミエル(H-F Amiel 1846-1881)について再度とりあげ,菅にとってアミエルとはなにか,について検証を行なった。キエルケゴールが,魂へのふかい洞察をもたらしたことについては,これまでみてきたが,アミエルの自然・人間観,社会観,自由論があたえた影響も深刻だと考えられたからである。(戦争について-読者には戦争下のなかであった-,あらゆる真理を解体するもの,誤謬たいして誤謬をたたかわせるもの,醜悪そのもの,と指摘したのも,アミエルだったことが忘れられない。岩波文庫(四)1879年3月3日参照のこと)こうして,到達した菅の思想・哲学の結節点である主体-主体関係論(前回,「相互承認論としてとりあげたが)について考察するとともに,両者がともに生きるために構想された,「場」とはなにかについてもふれ,その将来展望について,検討を行なっている。
著者
小田 雄介 鈴木 亮 丸山 一雄
出版者
日本DDS学会
雑誌
Drug Delivery System (ISSN:09135006)
巻号頁・発行日
vol.31, no.4, pp.370-371, 2016-07-25 (Released:2016-12-25)
著者
小田 真隆
出版者
公益社団法人 日本薬学会
雑誌
YAKUGAKU ZASSHI (ISSN:00316903)
巻号頁・発行日
vol.129, no.10, pp.1233-1238, 2009-10-01 (Released:2009-10-01)
参考文献数
11
被引用文献数
1 1

Bacillus cereus is one that causes of opportunistic human infections. Sphingomyelinase produced by B. cereus is assumed a virulence factor for the infection. Sphingomyelinase from Bacillus cereus (Bc-SMase) is Mg2+-containing metalloenzyme. Bc-SMase is a family of neutral SMase (nSMase) and mimics the actions of the endogenous mammalian nSMase in causing differentiation, development, and apoptosis. Bc-SMase may be a good model for the poorly characterized mammalian nSMase. Activation of Bc-SMase by divalent metal ions was in the order Co2+>Mn2+>Mg2+≫Ca2+>Sr2+. Crystal structure analysis of Bc-SMase bound to Co2+, Mg2+, or Ca2+ revealed that the water-bridged double divalent metal ions at the center of the cleft in both the Co2+- and Mg2+-bound forms is the catalytic architecture required for sphingomyelinase activity. In contrast, the architecture of Ca2+ binding at the site showed only one binding site. A further single metal-binding site existed at one side edge of the cleft. Based on the highly conserved nature of amino acid residues of the binding sites, the crystal structure of Bc-SMase with Mg2+ or Co2+ provided a common structural framework applicable to phosphohydrolases belonging to the DNase I-like folding superfamily. In addition, our analysis provided evidence that β-hairpin containing the aromatic amino acid residues and the metal ion of the side-edge participate in binding to sphinogmyelin and membranes containing sphingomyelin. This article summarized current knowledge of characteristics and mode of action of Bc-SMase.