- 著者
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中島 卓郎
岡田 匡史
- 出版者
- 信州大学
- 雑誌
- 萌芽研究
- 巻号頁・発行日
- 2001
本年度の研究は、「印象派期における音楽と絵画の相関(2)-ドビュッシーとモネの作品の構造的側面からの分析および考察-」を行った。ドビュッシーは、ピアノ作品におけるダンパーペダルの斬新な使用法により、1つ1つの和声をはっきりと示すことなく、それらを融合させて響きの色合を溶け合わせている。そして、そのような響きに包まれた休符や'で区切られる断片的な旋律は霧の中にうっすらと見えるかのようにぼかされている。これらは、モネが絵画において、SLの猛煙,立ち込める靄や霧をメイン・モティーフとし、輪郭をキチッと描かず、「積み藁」,「ルーアン大聖堂」,ロンドンで描いた「橋」とか「国会議事堂」などの連作,さらには殆ど融合してしまう晩期の「ばらの小道」連作など、対象が周りの空間に溶け込むような作法をとったことと極めて類似するものである。また、ドビュッシーが伝統的機能和声の破棄による方向性の薄い和声群を基盤としていることや、コントラストを避けた強弱法なども、やはりモネの、絵画作品において伝統的に使用されていた黒を避け、影を黒でない色で表すことによって生じる朦朧たる情調や、カラヴァッジオを嚆矢とするバロック的作風とは対照的に,明暗のコントラストを抑え,明るい色(概してパステル調)で全体をまとめていることなどと、相通じるものである。それらが結果として「ぼかしの効果」を生み出していると考える。ドビュッシーの作品に見られた、驚くほど多様で細密なアーティキュレーションや弱音域に執着した精緻な強弱法は、ほんの少しだけの微細な変化をもたらし、pp、pppの多彩さと限りないニュアンスを生み出した。一方、モネにおいては、白を混ぜる中間域トーンを主として達成される,色の無限とも言いうる諧調、緑にピンクやヴァイオレットが浸透したりもする移ろふようなデリケートな色調を用い、点描をビッシリと敷き詰めていく中で,その作品において色が発酵を始め,葉を繁らす木々,キラキラ輝く川面,陽を浴びた岩肌などが,独特なニュアンスを呈してくる。加えて、型・レ型・l型,また長短太細と,様々な種類のストロークが画面を構成し、油絵具の粘っこくネットリした触感性をよく生かした,稠密で美しいマティエールなどの技法も、「細部の緻密性と豊穣なニュアンス」という点において、ドビュッシーと近似していると捉えられる。そして、3点目は「主張のなさ」である。ドビュッシーの作品は、小節数・演奏所要時間の短さ、小規模な編成により、誠に簡潔性を帯びたものであり、極端な弱音城における表現の連続、旋回あるいは下降形をとる旋律線、楽節構造の曖昧さやモティーフの非発展性と非生成感、単調なリズムの反復などには、主張が感じられなく、クライマックスの不在と簡潔なコーダとともに、ドラマティックな展開とは全く無縁の世界と捉えられる。モネでの添景人物の反復的な置き方,並木の列,またはタッチの繰り返しには,やはり劇的な盛り上がりが認められない。そこでは、聖書などのテキスト,モティーフの寓意的・教訓的働きをベースとはせず,今ここで目に映り感覚に訴えてくる物を描き、ドラマを伴う人間でなく,普通の,ありふれたとも言いうる風景の方がテーマとなる。そして、対象となる人物に対し、しばしば目鼻口を描かず,心理表出に大きく益するところの表情が顔に表れていない。このようなアトモスフェリックな絵は中心性が退くため,拡散的な空間自体がテーマとなっている。これらのこと全てが、思弁性を帯びた主張をなくし、「耳を楽しませるための」、「目を楽しませるための」、音楽と絵画の創造を導いていると考える。