著者
水野 一晴
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.377-385, 2018 (Released:2018-06-12)
参考文献数
6
著者
徳本 直生 苅谷 愛彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2022年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.117, 2022 (Released:2022-03-28)

【はじめに】飛騨山脈・立山火山南部に位置する五色ヶ原には,モレーン状の微高地群が分布する.従来の研究では,これらは氷河成と考えられてきたが,次のような問題点が挙げられる.すなわち,i)航空レーザ測量技術の進展による高精度・高解像度な地形解析が可能になって以降の研究はほとんどなされていないこと,ii)大縮尺での微地形判読がなされていないこと,iii)詳細な地質学的記載などの根拠に基づく議論に乏しいこと,iv)成因について地形形成作用が多角的に検討されていないこと,である.飛騨山脈の氷河地形に関しては,成因が再検討された結果,崩壊成と結論付けられた例が増えている.以上の経緯から,本研究では五色ヶ原に分布するモレーン状地形について,1 m-DEMを用いた地形判読と現地踏査を基にその成因を再検討した.【結果】モレーン状地形は,細長く直線に近い堤防状地形(lv),楕円形のマウンド状地形(md),環状に湾曲するループ状地形(md)の3つの形態の微高地からなることがわかった.lv は比高0.5-2 m,長さ数mから約150 m,幅2-10 mであり,長軸の走向は台地の一般最大傾斜方向とほぼ一致する.md は比高最大5 m,長径数mから40 mである.lp は比高数m,幅数mから20 mであり,長さ100 m近く連続するものが多い.md と lp は,lv の斜面下方で卓越する.また,これら微高地群の間には凹地が分布する.凹地は大きなもので長径30 m前後であり,周囲にlpを持つものもある.踏査の結果,モレーン状地形は安山岩・アグルチネート岩塊を含む不淘汰岩屑層からなることがわかった.地表面に巨礫が濃集し,細粒物質に乏しい.擦痕のついた基盤岩や氷食礫は認められない.【考察】モレーン状地形の成因を再検討し,次の結論を得た.a)モレーン状地形は氷成とされてきたが,以下の点で否定される.すなわち,氷河の推定流動経路に氷河侵食地形(氷河擦痕のある基盤岩や氷食礫)が認められないこと,モレーン状地形の構成物質に氷河底変形構造など氷河地質特有の構造が認められないこと,である.b)モレーン状地形は岩石なだれで形成されたと考えられる.その発生域は,lv の長軸方向の延長から五色ヶ原西方にかつて存在した火山体と考えられる.c)微高地群間の凹地は,岩石なだれが雪氷塊を含んだ状態で定置したことに起因する.移動物質内の雪氷塊が融解することで地表面が陥没し,凹地が形成された.これは,岩石なだれ発生域の火山体が氷河や大型越年雪渓を湛えていたことを前提とする.d)この前提に依れば,岩石なだれの発生年代は更新世後期と考えられる.
著者
手代木 功基
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>はじめに </b><br>モンゴル国南部には草本が卓越する乾燥ステップが広がっている。こうした草本優占景観の一部には、灌木が集中して分布する地域がみられる。世界の乾燥・半乾燥地域の植生と放牧圧の関係を検討したAsner et al. (2004)は、草原中の灌木は,過放牧に起因する草原の劣化にともない優占すると指摘した。一方で、モンゴルにおいては、これらの灌木は家畜の採食資源になっているという報告もある(Fujita et al., 2013)。このように、内陸アジアの乾燥ステップにおける灌木の分布の実態や放牧との関わりについては不明な点が多い。 したがって本研究では、モンゴル国南部、マンダルゴビ地域において、高解像度衛星画像を用いて灌木の分布を明らかにすることを試みる。そしてその結果をもとに、分布の要因や家畜の放牧との関係を定量的に検討する。 &nbsp; <br><br><b>方法 </b><br>調査地はモンゴル国ドンドゴビ県、サインツァガーン郡である。特に県の中心地であるマンダルゴビの南東部を対象とした.降水量は年変動が大きく、干ばつやゾド(寒冷害)もしばしば発生する。対象地域には家畜を飼養する牧民が居住している。牧民は主に移動式の住居に居住しており、季節的に遊動しながら放牧を行っている. 現地調査は2013年9月、2014年1月,及び8月に実施した.灌木の分布を現地で記録して衛星画像解析時の参照情報にするとともに、対象地域における牧民の樹木利用や放牧活動について調査した。放牧活動については、対象地域内で家畜を飼養している牧民のヤギとヒツジにGPS首輪を取り付け、放牧場所を記録した。 灌木の分布は、空間解像度が50cm(パンクロ)、2m(マルチ)と高いWorldView-2(撮影日:2011年7月14日及び10月24日)を利用して抽出した。この解析にはExelis VIS社製ENVI5.1とFeature Extractionモジュールを使用した。 &nbsp; <br><br><b>結果と考察</b><br>調査地域では、主に<i>Caragana microphylla</i>と<i>Caragana pygmala</i>が灌木として出現した。これらの灌木の周囲にはしばしば砂が堆積したマウンド(nebkha)が形成されていた。マウンドの高さは平均が約30cmであった。 次に、衛星画像上でオブジェクト分類を行って、灌木の分布密度を算出した。その結果、灌木の分布は地域内において一様ではなく、偏りがみられることが明らかになった。これらの灌木の分布は、マクロスケールにおける地形や土壌の差異と関わりがあると考えられる。 次に、灌木の分布と放牧場所の関係について検討した。その結果、灌木が高密度で分布する場所はヤギ・ヒツジの放牧場所として利用されていることが明らかになった。牧民は季節によって放牧場所を移動させており、特に草本の採食資源が減少する冬から春にかけて灌木の密集地帯を利用していた。 牧民は、草本が不足する時期や、干ばつなどの災害時には灌木が家畜にとって需要な採食資源になると語る。したがって、今後は干ばつやゾド時における灌木の利用状況を定量的に明らかにすることを通して、乾燥ステップにおける樹木の役割を再評価していく必要がある。<br><br>*本研究は,総合地球環境学研究所「砂漠化をめぐる風と人と土」プロジェクト(研究代表者:田中樹)及びJSPS科研費・若手研究(B)「乾燥地域における放牧システムのレジリアンスに関する研究:樹木の役割に着目して」(課題番号:25750118)の成果の一部である。
著者
松尾 卓磨
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.101, 2020 (Released:2020-03-30)

1.はじめに ジェントリフィケーションと立ち退きの関係性に焦点を置き様々な角度からジェントリフィケーション研究をレビューしている5つの論考が2018年から2019年にかけて相次いで発表された(Zhang and He, 2018; Zuk et al., 2018; Cocola-Gant, 2019; Easton et al., 2019; Elliott-Cooper et al., 2019)。いずれの論考もジェントリフィケーションの研究史の中では比較的新しく2018年と2019年という短期間に集中的に発表されたものであり、いずれの論考の表題にもジェントリフィケーションと立ち退きの両方が含まれ、さらにジェントリフィケーションによる立ち退きの類型化を行ったピーター・マルクーゼの研究(1985; 1986)への言及が見受けられる。本発表ではこれらの共通点に着目し、ジェントリフィケーション研究において立ち退き概念やマルクーゼによる立ち退きの類型化がいかに位置づけられ、どのように新たなアプローチが模索されているのかという点について検討する。研究方法としては基本的にはマルクーゼの研究内容や上記の5つの論考の内容を参照し、それらの研究において提示されているジェントリフィケーション研究における立ち退き概念や今後のジェントリフィケーション研究に必要な視点や研究方法を整理する。2.結果 マルクーゼはニューヨークを事例として不動産物件の放棄、ジェントリフィケーション、立ち退きの関係性について論じる中で、ジェントリフィケーションによって引き起こされる4種類の立ち退き、すなわち最後の居住者に対する立ち退き、連鎖的に進行する立ち退き、排他的な立ち退き、立ち退きの圧力の4つを提示した。最初の2つの立ち退きは直接的な立ち退きであり、漸進的な過程の最後の段階に着目するのか、より長い時間軸で捉えるのかという着眼点の違いに基づいて2つに分類されている。そして後者の2つは間接的な立ち退きにあたり、これらは立ち退きの内容の違いにより重点が置かれて分類されている。ジェントリフィケーション研究が進展する中では特に間接的な立ち退きへのアプローチが新築のジェントリフィケーション、小売業のジェントリフィケーション、教育での立ち退きなどの把握の際に応用されている。しかしながら、このマルクーゼによる類型化は依然として高く評価されてはいるものの、この類型化が1980年代のニューヨークの状況に基づいて提示されたものであるという点には留意しなければならない。この点に関してElliott-Cooper et al.(2019)はジェントリフィケーション研究のレビューを通じてジェントリフィケーションと立ち退きに対する多角的なアプローチの必要性を指摘している。彼らは「立ち退きの現象学的側面や情動的側面、立ち退きという経験に内在する怒りや絶望」を理解する必要があると主張し、さらにAtkinson(2015)を参照しながらジェントリフィケーションによる立ち退きを「居住者とコミュニティの繋がりを断ち切る『アンホーミング』の過程」として捉える視点を提示している。こうした視点は、ジェントリフィケーションに直面し立ち退かされる人びとのアイデンティティや心理へのアプローチを促すものであり、ジェントリフィケーションおよび立ち退きへの抵抗に関するアプローチとも密接に関連している。そしてElliott-Cooper et al.(2019)を含む近年発表された5つの論考においては、多種多様な視点や方法論に言及されながら検討されるべき重要な論点が数多く提示されており、例えば「サンドイッチクラス」や元ジェントリファイアー、公共投資によって進められる政府主導のジェントリフィケーション、そしてビッグデータを使用した立ち退きの定量的研究などにも言及されている。3.結論 先行研究の整理を通じて、近年の研究においてもマルクーゼによる立ち退きの類型化の重要性が認められており、ジェントリフィケーション研究の文脈においては依然として頻繁に参照されているということが明らかとなった。そして本研究で参照した5つの論考がその点を裏付ける重要なレビュー研究の事例であるということも確認することができた。ジェントリフィケーションの定義やジェントリフィケーションへのアプローチの多様化は同時に立ち退きの定義やアプローチの多様化も意味している。そのため今後の研究ではジェントリフィケーションの研究史における概念やアプローチの展開、そしてそれらの重要性を十分に踏まえながら、そうした先行研究で提示されている視点、概念、事例研究が応用されていくことが期待される。[謝辞] 本研究には日本学術振興会科学研究費補助金(特別研究員奨励費:課題番号18J23295)を使用した。
著者
日野 正輝
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100046, 2017 (Released:2017-05-03)

用語「広域中心都市」、「地方中枢都市」、「札仙広福」の登場と定着 日野正輝(中国学園大学)1.はじめに 戦後の札幌、仙台、広島、福岡の4都市の広域中心性の確立と急成長は、人口・経済力の東京一極集中とともに、20世紀後半の日本の都市化および都市システムの構造的変化を特徴づける特筆すべき現象であった。しかし、上記4都市を特定した統一した用語は存在しない。広域中心都市、地方中枢都市、札仙広福の3用語が比較的広く使用される用語としてある。 本報告は、上記した3つの用語がいつ頃誰によって、あるいはどの機関によって使われはじめ、それがどのように広まったのかを調査したものである。2. 広域中心都市   用語「広域中心都市」は、北川(1962)によって六大都市の下に位置するものの、他の県庁所在都市とは区別される新しい上位都市階層として提唱された用語である(吉田、1973)。北川は、ドイツの地理学者シェラーおよび恩師であった米倉二郎らの示唆を得て、ドイツの都市の階層体系にあるLandstadtに相当するものとして、広域中心都市の用語を使用したと言う。また、服部(1967)および二神(1970)も、1960年代後半にすでに上記4都市を指す用語として地方中核都市などの呼称が見られたが、国家中心都市に次ぐ都市階層として広域中心都市の表現を使用した。さらに、1969年日本地理学会秋季学術大会でシンポジウム「広域中心都市」が開催され、その成果が木内信蔵・田辺健一編『広域中心都市』(1971)として刊行された。こうした経緯によって地理学の分野においては、用語「広域中心都市」を定着したとみてよい。  しかし、「広域中心都市」は早くに登場したが、地理学以外の分野に普及することはなかった。全国総合開発計画では、広域中心都市に相当する都市階層の認識があったが、その表現は見られなかった。また、時期は1985年以降に限られるが、広島市市議会の議事録から、「広域中心都市」の出現回数を見ると、わずか1件のみであった。「地方中枢都市」の出現回数が116件であったことから、広域中心都市広島おいてさえ、当該用語はほとんど用いられることがなかったと判断される。3. 地方中枢都市   地方中枢都市は、中枢と言う表現からすると、大都市の成長は中枢管理機能の集積にあるとした中枢管理機能説との関連が認められるが、中枢管理機能をクロースアップした新全国総合開発計画において使用されていない。同計画では、7大中核都市、地方中核都市と言った表現が使用されていた。1977年閣議決定を見た第三次全国総合開発計画においてさえ、地方ブロックの中心都市と言いた表現が用いられ、地方中枢都市の用語は見られなかった。一方、国土庁に設けられた地方都市問題懇談会の地方都市の整備に関する中間報告(1976)において、地方中枢都市、地方中核都市、地域中心都市、地方中小都市の階層区分がなされた。この中間報告によって、都市の一般的な階層区分と各階層の名称が受容されることになったと推察される。その結果、第四次全国総合開発計画においては地方中枢都市の用語が使用されている。なお、地方中枢都市の用語は、1981年発行の中学社会科地理分野の教科書にも登場した。4. 札仙広福札   札仙広福は上記2用語に比べると後になって登場した表現である。上記した広島市議会の議事録において出現する時期は第五次全国総合開発計画策定の1980年代末から1990年代前半に集中している。これには、上記計画に札仙広福の4都市が自らの意向を反映させるために連携して運動した時期にあたる。ただ、どの機関が最初に当該用語を使用したのかは目下のところ不明である。1990年代はじめに札仙広福を冠したシンポジウムを重ねて開催し、当該用語の普及に貢献した櫟本(1991)によると、広島市では4都市の比較をしばしば行っていたが、そのなかで自然と出てきた表現ではなかったかと言う。付記今回の調査において下記の方々から貴重なご教示とご便宜を図って頂いた。ここに記して感謝に意を表します。北川建次、今野修平、櫟本功、松田智仁、宮本茂、小笠原憲一、渡辺修、寺田智哉(敬称略)。
著者
鈴木 晃志郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

1990年代に飛躍的な進歩を遂げたICT(情報通信技術)は、誰もがウェブ上で情報交換できる時代をもたらした。いまや紙地図は急速にウェブや携帯端末上で閲覧できる電子地図へと主役の座を明け渡しつつある。二者の決定的な違いは、地理情報を介した情報伝達が双方向性をもつことである。Google Mapなどの電子地図とLINEやFacebookなどのコミュニケーションツールの連携で、利用者はタグや文章、写真を貼り付けてオリジナルの主題図を作成でき、不特定多数に公開できるようになった。また、OpenStreetmapなどに代表される参加型GISの領域では、官公庁や製図家に限られていた地理情報基盤整備の局面における、一般人の参画を可能にしつつある。<br> しかし、こうしためざましい技術革新に比して、利用者側に要求されるモラルや責任、リテラシーについての議論は大きく立ち後れている。阪神大震災の教訓を踏まえ、電子地理情報の基盤整備に尽力してきた地理学者たちは、2007年に制定された「地理空間情報活用推進基本法」に貢献を果たすなど、電子国土の実現に深くコミットしてきた。電子地理情報の利活用におけるユビキタス化は、その直接・間接的な帰結でもある。ゆえに、ユビキタス・マッピング社会の実現は、地理学者により厳しくその利活用をめぐるリスクや課題も含めて省察することを求めているといっても過言ではない。本発表はこうした現状認識の下、地理学者がこの問題に関わっていく必要性を大きく以下の3点から検討したい。<br><br>(1)地図の電子化とICTの革新がもたらした地理情報利用上の課題を、地理学者たちはどう議論し、そこからどのような論点が示されてきたのかを概観する。この問題を論じてきた地理学者は、そのほとんどが地図の電子化がもたらす問題を「プライバシーの漏洩」と「サーベイランス社会の強化」に見ており、監視・漏洩する主体を、地理情報へのアクセス権をコントロールすることのできる政府や企業などの一握りの権力者に想定している。本発表ではまず、その概念整理を行う。<br><br>(2)地理学における既往の研究では、地理情報へのアクセスや掲載/不掲載の選択権を、一握りの権力(企業や行政、専門家)が独占的にコントロールできることを主に問題としてきた。しかし、逆にいえば、権力構造が集約的であるがゆえに、それら主体の発信した情報に対する社会的・道義的責任の所在も比較的はっきりしており、そのことが管理主体のリテラシーを高める動機ともなり得た。これに対し、ユビキタス・マッピング社会の到来は (A)個人情報保護に関する利用者の知識や関心が一様ではない、(B)匿名かつ不特定多数の、(C)ごく普通の一般人が情報を公開する権力を持つことを意味する。それでいて、情報開示に至るプロセスには、情報提供を求めてプラットフォームを提供する人間と、求めに応じて情報提供する人間が介在し、一個人による誹謗中傷とも趣を異にした水平的な組織性も併せ持っている。ユビキタス・マッピング社会は、そんな彼らによって生み出される時にデマや風聞、悪意を含んだ情報を、インターネットを介してカジュアルに、広く拡散する権力をも「いつでも・どこでも・だれでも」持てるものへと変えてはいないだろうか。本発表では、ある不動産業者が同業他社あるいは個人の事故物件情報を開示しているサイトと、八王子に住む中学生によってアップロードされた動画に反感を抱いた視聴者たちが、アップロード主の個人情報を暴くべく開設した情報共有サイトの例を紹介して、さらに踏み込んだ検討の必要性を示す。<br><br>(3)地理情報をめぐるモラルや責任の問題は、端的には情報倫理の問題である。本発表で示した問題意識のうち、特にプライバシーをめぐる問題は、コンピュータの性能が飛躍的に向上した1980年代以降に出現した情報倫理(Information ethics)の領域で多く議論されてきた。本発表では、これら情報倫理の知見からいくつかを参照しながら(2)で示された論点を整理し、特に地理教育的な側面から、学際的な連携と地理学からの貢献可能性を探ることを試みる。<br>
著者
三木 一彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.69, no.12, pp.921-941, 1996-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
43
被引用文献数
2

江戸時代に入って広く信仰を集めるようになった山岳信仰の霊山は数多い.このうち,本研究では,武蔵国秩父郡に位置する三峰山を取り上げ,その所在地である秩父地域において三峰信仰が展開した背景と,同地域における三峰信仰の性格にっいて検討を加えた. 三峰山の山麓にあたる大滝村では, 17世紀中期以降,主に江戸へ向けた木材生産が盛んになり,村としてまとまって伐採の規制などを行う必要が生まれた.この中で,三峰山に大滝村全体の鎮守,とくに木材生産に関する山の神としての機能が求められるようになり, 18世紀中期には,大滝村をはじめとする秩父地域の人々がさまざまな形で三峰山を支えた.秩父地域の人々にとって,たしかに三峰山は多くの信仰対象の中の一つにすぎなかった.しかし,三峰山は,多種多様な信仰を取り込み,生産・流通の進展を背景に経済力をっけた人々とっながりを持っことで,秩父地域における一定の地位を築いた.
著者
池谷 和信
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.66, no.7, pp.365-382, 1993-07-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
53
被引用文献数
4 4

本研究は,ナイジェリアのフルベ族の牧畜経済を,その生態的側面と彼らをとりまく政治経済的側面との両面から分析したものである.なかでもフルベ族の移牧形態,家畜群の管理と販売からなる牧畜経済を記述・分析することが中心となった.調査の結果,移牧フルベは雨季から乾季にかけて約8m下がるベヌエ川の水位の変化に対応して,家族総出で居住地を氾濫原に移動する生活様式をとり,彼らの牧畜活動は,伝統的な薬を利用した牛の繁殖や牛の夜間放牧などに特徴がみられることが明らかになった.また,フルベは牛の価格の高い家畜市を選択するだけではなく,病気の牛,不妊の雌牛など,群れの中で不必要な牛を適宜売却することから,市場経済の原理に強く依拠している.彼らは,結婚式や命名式などで使われる数頭の牛を除くと,3頭分の牛を売却して得た現金によって穀物などを購入して,一年間の生計を維持することができる.ナイジェリアのオイルブームによる経済成長をへて,フルベは伝統的牧畜形態を維持したままの自営牧畜を展開させてきた.
著者
森 正人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.254, 2009

本発表は、中世の武士である楠木正成が1930年代の日本においてどのように意味づけられ、彼に関する催事や事物が形作られていったのか、またそうした出来事をとおしてどのように人びとのアイデンティティが刺激されたのかを論じる。よく知られるように、楠木正成と息子正季は後醍醐天皇に対する忠誠を、命を賭して体現した人物として『太平記』に描かれているが、南北朝時代の南朝に与したため江戸時代にいたるまで朝敵と見なされていた。楠木正成の名誉回復がなされ、江戸時代末期に尊皇攘夷運動が高まると、「忠君」楠木正成は顕彰の対象となる。各地で執り行われた鎮魂祭は招魂社の設立運動にいたり、後に靖国神社と名を変える招魂社にまつられる英霊から区別された楠木正成はただ一人、湊川神社に祀られることになった。 国家を代表する偉人としてがぜん注目されるようになった楠木正成は、宮城前への銅像設置や、南北朝のどちらが正統であるかをめぐってなされた南北朝正閏論争をとおして完全なるナショナル・ヒーローの座へ登りつめていった(森2007)。したがって、楠木正成の近代に注目することで、日本のナショナリズムや国家的アイデンティティの問題の一端が明らかになると思われるのだが、この楠木正成が見せた国家的偉人への軌跡を正面からあつかった研究は実はそれほど多くない。 近代日本のナショナリズム研究は、1990年代に大きな興隆をみた。ベネディクト・アンダーソン(1997)の想像の共同体の議論を受けながら、近代史や法制史を中心に国家的諸制度の整備が確認された。地理学においては近代における均質的な国家空間創出のためのさまざまな物質的基盤が解明された。それらの研究が一段落した後に残されたのは、国家的な諸制度や観念の形成に貢献したローカルなるものの役割の検討であった。すなわち、アイデンティティであれ諸制度であれ、それらは決して国家によってのみ作動されたのではなく、地域や郷土などといったローカルな地理的範域での実践もまた国家的なものを下支えしていたことが確認されたのである(「郷土」研究会2003)。 ただし、国家的スケールに対して地域的スケールでの実践の重要性を強調するだけでは、国家と地域を二項の固定的なものと前提してしまう。国家も地域も、首尾一貫性を持つ地理的スケールではない。それらは、相互の関係性のなかで認識されるべき地理的スケールであるだけでもない。むしろ国家的スケールも地域的スケールも、後にそれと確認されるスケールでの諸実践をとおして認識される。したがって、一貫した地域も国家もなく、事後的に確認される地域的なるものと国家的なるものととらえ、地域と国家というスケールの二分法の不可能性と、それが生成されるプロセスに取り組むことが重要となろう。こうした空間への視座は、近年の英語圏人文地理学における空間の存在論の高まりと共鳴している(Massey 2003, 2005; アミン2008)。 国家/地域的なるものを、出来事をとおしてその都度に構成し直される関係的なものとすれば、国家や地域へのアイデンティティもまた、自律的な人間主体の内側からの発露とすることも、あるいは人間主体の外側に措定される権力主体からのイデオロギー的呼びかけととらえることも困難になる。すなわち、とある地理的範域に対するアイデンティティは、前提される地理的スケールの外部、人間主体の外部にある事物や自然や機械などの客体との折り重なりの中でつねに刺激され、形作られ続けているのである。アイデンティティを含む人間の感情や倫理は、つねに資本によっても多方向へ屈曲されている(スリフト2007)。 本発表はとくに1930年代に照準する。この時期、楠木正成は国家的偉人であると同時に、彼を輩出したり彼が最期を遂げたりした場では地元の英雄として取り上げられた。それは楠木正成の死後600年を祝う1935年に一つのピークを魅せた。楠木に関わるイベントは郷土を確認させる出来事であり、そのイベントは行政だけでなく新聞社やレコード会社やラジオ局などの資本によっても開催されたのである。
著者
植村 善博 太井子 宏和
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.63, no.11, pp.722-740, 1990-11-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
40
被引用文献数
11

琵琶湖はわが国最大で,世界的にも最古の湖沼の1つであるが,その湖底部の活構造についてはほとんど明らかにされていない.そこで,湖沼図・ユニブーム記録・エアーガン記録の判読,深層ボーリングの成果などに基づき,湖底活断層の分布と性質,琵琶湖の傾動運動および現湖盆の変遷過程について考察した. その結果,湖盆形態を決定する大規模な活断層として,西岸・南岸・東岸湖底断層系が認定された.西岸湖底断層系はA級活動度をもつ最も重要な逆断層であり,変動地形や西傾斜の基盤面の特徴などから,琵琶湖を含む近江盆地のブロックが比良・丹波のブロックにアンダースラストしている境界であると推定した.南岸・東岸湖底断層系はB級活動度をもつ逆断層である..以上の活断層はその走向と変位様式から,東西水平圧縮下での共役断層系をなしていることが明らかになった.またこれらに限られた中・北湖盆は逆断層性の地溝(ramp vally)である。中央撓曲と掘削点断層は50万年前頃を境に変位速度が加速化しており,近畿中部全域において生じた地殻応力の増加が原因と考えられる.琵琶湖の湖底地形や堆積作用を支配している近江傾動運動は,約100万年前に発生し,40万年前以降加速化してきている.現琵琶湖盆の発達過程は,(1)湖盆の発生期(200万年前頃),(2)浅い湖盆の発達期(200万年~40万年前),(3)深い湖盆の形成期(40万年前~現在)の3時期に分けられ,その古地理図が描かれた.
著者
小野 有五
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.1, no.2, pp.89-108, 2006 (Released:2010-06-02)
参考文献数
73
被引用文献数
1 1

河川環境と原発・高レベル放射性廃棄物地層処分問題,基本高水流量を事例として,環境ガバナンスの視点から,現在の日本の地理学が公共空間において果たしている役割を検討した.公共性・公開制を特徴とする公共空間での環境問題の解決が社会から要請されるなかで,ジャーナル共同体としての閉じた構造だけを維持しようとする伝統的な日本の地理学は,それに応えていないことを明らかにし,地理学の研究・教育システムの根本的な見直し,脱構築と,第二ジャーナルの発展が,緊急の課題であることを強調した.
著者
矢ケ崎 典隆 深瀬 浩三
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.55, 2009

ロサンゼルス大都市圏はアメリカ合衆国において最も急速に都市化が進んだ地域の一つである。ロサンゼルス市とその周辺部では20世紀に入って都市化が加速し、人口が急増した。ロサンゼルス市中心部と多数の郊外都市を結びつける電車網が発達するとともに、モータリゼーションも進行し、都市域が空間的に拡大した。増加する人口に食料を供給するために農業が発達し、第二次世界大戦直前まで日系人は農産物の生産と流通において重要な役割を演じた。しかし、戦後、都市化の更なる進行に伴って農地の蚕食が進み、農業景観は大きく改変されるとともに、日系人の経済活動も変化した。本論文では、ロサンゼルス市中心部の南方に位置するガーデナ市およびトーランス市を研究対象地域として、都市化に伴う農業的土地利用の変化について検討した。この地域では、ロサンゼルス大都市圏において農業が最近まで存続するとともに、第二次世界大戦前から日系社会が存在し、日系農業が盛んに行われた。 ガーデナ・トーランス地域では、20世紀に入ると、日系人の流入とともにイチゴ栽培が盛んになった。イチゴ栽培には大きな資本は不要であったし、借地することにより、家族労働力に基づいた小規模な農場経営が可能であった。日系人の増加に伴って日本街が形成された。また、日系農業協同組合や日本人会が組織され、それらは日系社会において経済的にも社会的にも重要な役割を演じた。時間の経過とともに日系人の居住地は拡大し、多様な野菜類の栽培に従事するようになった。 第二次世界大戦中の強制収用に伴い、日系農業は中断を余儀なくされたが、戦後、日系人の帰還に伴って日系社会が再建された。しかし、都市化の進行によって、また、一世の高齢化に伴って、野菜栽培を中心とした日系農業は衰退した。戦後の日系経済の中心となったのは植木業と庭園業であった。日系植木生産者の多くは、ウエストロサンゼルスからの移転者であった。庭園業は戦前においても一世にとっての主要な業種であったが、戦後の日系人にとっても容易に就業できる業種であった。こうして、植木業と庭園業は戦後の日系社会の重要な産業となった。都心部からの日系人の流入に伴って、ガーデナ・トーランス地域の日系人口は増加した。 都市化の進行に伴ってガーデナ・トーランス地域の農業的土地利用は縮小を余儀なくされ、1980年代までには農地はほとんど消失していた。住宅地化、工業化が顕著であり、特にトーランス市にはトヨタ自動車をはじめとする日系企業の進出が著しい。最後まで存続したのが植木園(鉢植えの花壇苗、グリーンプランツ、鉢植えの花卉)の経営である。しかし、近年、日系の植木業はさらに衰退の危機に瀕している。日系4世の高学歴化が進み、後継者不足は深刻である。外的要因としては、都市化の圧力に加えて、経済の停滞、技術革新(例えば、プラグ方式の普及)、ラティーノ生産者の増加と競合、大型量販店の進出と低価格競争などの影響も深刻である。<br> 2007年8月に行った現地調査により、限定された農業的土地利用の存続が明らかになった。それは、植木業の残存が認められたことである。小規模な植木園が依然として経営を続けており、特に、高圧送電線下の細長い土地を電力会社から借地することにより、鉢物類が栽培されている。また、特殊な残存形態として、日系農民がトーランス飛行場内に借地をして、トマト、イチゴ、とうもろこしを栽培する事例が確認された。農産物は道路に面した販売所で直売され、新鮮な商品を楽しむ常連に支えられて経営が維持されていた。 ロサンゼルス大都市圏は、経済活動、人種民族、文化景観において多様でダイナミックな地域である。今回の調査によって明らかとなったガーデナ・トーランス地域における土地利用の変化と日系農業の変化は、ロサンゼルス大都市圏のひとつの面を示している。こうした事例研究を蓄積することが重要である。
著者
谷 謙二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.68, no.12, pp.811-822, 1995-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
11

Mobility studies in metropolitan areas have traditionally been focused on centrifugal out-migration from central cities in metropolitan areas. But in recent years, with the growth of metropolitan sub-urbs, more attention has been paid to suburban centers. Watanabe (1978) argues that intra-metropolitan migration in the Tokyo Metropolitan Area is com-posed of two main migration flow patterns, in-migration from non-metropolitan areas and out-migration from central Tokyo to its periphery. The purpose of the present study was to clarify the major flow patterns of intra-urban residential mo-bility in Ichinomiya City, which is included in the Nagoya Metropolitan suburban area and to exam-ine whether Watanabe's model can be applied to intra-urban residential mobility in a suburban core city. 922 movers were identified by using telephone directories published in 1990 and 1992. From the anal-ysis of zones divided by concentric circles centering on City Hall, it is clarified that the major flow pat-tern of migration in Ichinomiya City is from city core to peripheral zone. Then a questionnaire survey was conducted among migrants whose origin was the city core. Many of them are inter-urban migrants who moved from outside Ichinomiya City with a change of employ-ment. The major reason for intra-urban residential mobility is housing unit adjustment and 60.7% of sample households had moved into owner-occupied independent houses. There are migrants who flow out to the peripheral zone, and others who stay in the city core. Hayashi's Quantification Theory II was applied to distinguish the two types of migrants. As a result of the analysis, it was found that the important factors distinguishing them were type of present house, length of time spent at previous residence, and type of previous house. As a result, Watanabe's model can be fairly applied to the intra-urban residential mobility pat-terns in Ichinomiya City, which means that in the Nagoya Metropolitan Area there is not only a large concentric migration pattern centering around the metropolitan center but also a small concen-tric migration pattern centering around the suburban core city.
著者
新沼 星織
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.21-36, 2009 (Released:2010-02-24)
参考文献数
17
被引用文献数
3 6 2

本稿では,「限界集落」に分類される東京都西多摩郡檜原村のM集落を対象に,集落機能の維持水準と住民の生活問題との関係を明らかにし,実態に即した課題への対応策について考察した.その結果,M集落では別居子らの転出者により集落機能の大半が維持されており,人口減少と高齢化が集落機能ならびに住民生活の限界化に直結しないことが明らかとなった.ただし,転出者による補完が不可能な領域として土地・住宅の所有と管理に関する問題が指摘された.このことは,条件の不利な居住地に在住する高齢者の地域内転居を阻み,地域での生活継続を妨げる大きな障害となっていた.この点において,集落機能の低下と住民生活の困難化との相互関連が示唆された.ゆえに,同様の問題を抱える集落では,行政の対応として福祉目的による空き家の利活用が検討されるべきである.一律の数値基準により定義される「限界集落」もその性格は多様であり,今後は集落状態に即した対応が必要とされるであろう.
著者
福岡 義隆 丸本 美紀
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

Ⅰ. はじめに<br> 気候とは中国古来の農業暦「二十四節気七十二候」の「気」と「候」に由来する(福井)ということ、あるいは和辻(1979)の不朽の名著「風土」がclimateと訳されているなどから、気候は人間生活の環境であると言える。一方、地球とは異なる大気がある火星でも気象現象が発現しているが、生物が生育できない火星には言うまでもなく地理事象である気候現象はない。要するに、気候学が気象学の一部という説は妥当ではない。<br>瀬戸内気候はその名のとおり、瀬戸内地方に広がる日本の中でも雨の少ない気候区である。その特有の瀬戸内気候タイプは福井英一郎や関口武、鈴木秀夫ら地理学の気候学者による気候区分法によって設定され、研究のみならず地理教育などでも多用されてきた。ブローデル(1991)の『地中海』に「陸と海の地中海のうえに空の地中海が広がっている」という一節がある。これに肖り「陸と海の瀬戸内海の上に空の瀬戸内海が広がっている」のである。<br>瀬戸内気候は夏に少雨であるという定性的な表現だけでなく、瀬戸内気候という気候の強弱を定量化しその地域性を表現することも重要である。本研究では福井(1966)により、瀬戸内気候度の定量化を試みた。<br>Ⅱ.瀬戸内気候度の提唱と計算方法<br> かつてゴルチンスキーは海洋度を、福井は地中海気候度なるものを提唱し、各々計算式を設定した。瀬戸内気候度は夏季3ケ月中の8月の雨量が少ないという季節性に注目して、8月の降水量をpとし、夏季3ヶ月間の降水量Pに対するpの割合を瀬戸内気候度Scとし次式で表した。 <br>Sc=100cos2 ɵ<br>Ⅲ. 瀬戸内気候度計算結果とその地理学における気候学的問題<br> 瀬戸内地方の内沿岸の気象官署の資料から上記のScを計算し、Scが90以上を大S、89~85を中S、84以下を小sとした(図1)。大Sが中四国の中心都市に見られ、また、隣り合った京都盆盆地より奈良盆地の方が瀬戸内気候の影響が強いことなどが注目され、このことは水収支の比較(丸本、2014)によっても明らかにされている。<br>Ⅳ. 終わりに <br> 瀬戸内気候度の分布からその場所性を論究する気候学は純然たる地理学である。さらに「気候などの自然地理こそ歴史に影響を与え、歴史を支配する決定要素である」(『カントと地理学』松本)。かのフェーブルの『大地と人類の進化』もブラーシュの『人文地理学原理』などでも気候の役割を重視している。内村鑑三の『知人論』でも「地理学は諸学の基なり」とその重要性を述べている。
著者
山本 健兒
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.82, no.1, pp.1-25, 2009-01-01 (Released:2011-05-12)
参考文献数
49
被引用文献数
2

ドイツでは,グローバリゼーションの進展に伴って都市内の社会的空間的分極化が激化してきたといわれている.本稿は,その実態をドイツのドルトムント市を事例に検証することを目的とする.この都市は分極化を克服するための政策が積極的に実施されてきたところである.分極化は社会的排除という概念と密接に関わっている.これは移民・貧困・失業などの具体的に計測し得る指標の特定地区への集中的出現として把握できる.分析の結果,ドルトムント市内には社会的排除の現象が如実に現れている場所としてノルトシュタットをはじめ,いくつか確認できる.しかし,グローバリゼーションの進展とともにそれが激化してきたと簡単に言えるわけではない.むしろ,激化の側面と緩和の側面が同時進行してきた.ガストアルバイターだけというよりもむしろ,東欧・ロシアからの移民が多いところや,これも含めて移民の多様性が顕著な地区で激化の側面がみられる.
著者
岡田 登
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.85, no.1, pp.58-71, 2012-01-01 (Released:2016-12-01)
参考文献数
22
被引用文献数
1

本研究では群馬県東毛地域を事例として,農協連携によりニガウリ生産が拡大した要因を,農協間の協力関係の構築とニガウリ栽培を導入した農家の経営内容に注目して明らかにした.2002年から東毛地域で全農群馬が主導し,東毛3農協が連携してニガウリの共同販売を開始できたのは群馬板倉農協と館林農協の販売担当者に農協連携による共同販売以前から協力関係が存在していたことがある.これによって,全農群馬は各農協への指示系統を確立させ,規格と販売先を指示し,栽培技術を共有させることができた.また東毛3農協管内の60歳未満男性専業者のいる農家がニガウリ栽培を導入したことが生産拡大の契機となった.これらの農家がニガウリの生産に成功したことで,その後キュウリやナス以外の作物を主体に生産している農家や,女性農業者,兼業農家,および60歳以上の農業者がその栽培を導入するようになり,その生産は拡大した.
著者
高屋 康彦 小口 千明
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.84, no.4, pp.369-376, 2011-07-01 (Released:2015-09-28)
参考文献数
26
被引用文献数
3 5

史跡・吉見百穴の坑道壁面における凝灰岩の塩類風化による岩屑生産の速度を把握し, 塩類と岩屑の量的関係を求めるため, 崩落物質を回収する現地調査を1年間にわたって実施した.温度・湿度がともに低い冬から春先には粒状の風化による岩屑生産が著しく, それ以外の時期には岩屑量は非常に少なかった.壁面で観察された析出鉱物としては, 冬から春先にかけてはナトリウムミョウバンおよびハロトリカイトが顕著であり, 石膏とジャロサイトは年間を通して認められた.岩屑量および析出する鉱物種の季節性から, 塩類の析出に伴う岩屑生産に最も寄与している鉱物はナトリウムミョウバンおよびハロトリカイトであると考えられる.崩落した岩屑量と塩類量との間には一次の相関があることが明らかになった.
著者
植村 円香
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.84, no.3, pp.242-257, 2011-05-01 (Released:2015-09-28)
参考文献数
12

本稿では,生産者の高齢化が進んでいる東京都利島村のツバキ実生産を事例に,世代による経営形態の違いと,高齢者の生計維持における意義を検討した.ツバキ実生産は,粗放的で長期収穫が可能なので,高齢者でも生産しやすく,年間100万円程度の販売収入を得ることができる.しかし,若年者にとっては,ツバキ実生産のみで生計を維持することは難しく,ツバキ実生産への参入はみられない.このように経営形態が,世代によって異なることに注目し,農業者をコーホートに分けて比較分析を行った.その結果,ツバキ実生産は,高齢者によって長期的に維持されていること,高齢者の中でも上の世代ほど経営規模が大きく,より多くの収入を得て,安定した生計維持ができていることが判明した.しかし,世代間での農業資源の偏在を前提にすると,利島におけるツバキ実生産の維持には,世代間でどのようにツバキ林を受け継ぎ,ツバキ実の生産を調整していくかが課題となる.