著者
菅原 至
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2023年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.230, 2023 (Released:2023-04-06)

1.問題の所在 日本は第二次大戦の敗戦により小笠原諸島の施政権を喪失した.米国施政権下(1945-1968)の小笠原諸島では先住者である欧米系・太平洋系世帯のみが居住を認められ,日系島民は施政権返還まで居住が許されなかった.施政権返還後の小笠原村民は,住民行政上「在来島民」「旧島民」「新島民」の3者に区分されるが,「在来島民」は米国施政権下の父島に居住していた人々を,「旧島民」は戦前に小笠原諸島に居住していた日系世帯を指す.「新島民」は返還以降に父島・母島に移住した人々である. 「在来島民」の歴史経験や「新島民」の移住に関する研究には一定の蓄積がみられ,戦後に難民化した「旧島民」の生活や帰島・補償運動については石原(2013; 2019)に詳しい.しかし「旧島民」の返還前後の活動や帰島後の生活については詳らかになっていない.そこで,本研究は故郷喪失を経て帰島し,島内に定住した「旧島民」の経験を明らかにすることを目的とする.手法としては,南方同胞援護会の刊行物等の分析と,聞き取り調査を用いた. 2.返還以前の「旧島民」の動向 強制全島疎開以降,難民化した「旧島民」は,東京都(島嶼部を含む),神奈川県,静岡県を中心に全国43都道府県および沖縄(大東諸島)に離散した(南方同胞援護会編 1966).帰島を待つなかで「旧島民」は経済的に困窮し,1953年の東京都による「小笠原島引揚民の生活状況調査」では全体の85%が困窮者とされている.いつ帰島が許可されるか見通しが立たない状況のため,現住地への資本の投下が困難であったことも困窮の要因となった(犬飼・橋本 1969).総理府が返還直前に全国の「旧島民」を対象に実施した悉皆調査では,帰島希望者は回答者全体の68%にのぼり,島別の内訳は父島2,276名,母島1,424名,硫黄島395名であった. 3.返還時の諸島内の状況と課題 戦前の小笠原諸島には, 5つの行政村(父島: 大村・扇村袋沢村,母島: 沖村・北村,硫黄島: 硫黄島村)が設置されていたが,米国施政権下では父島大村のみが居住地として利用され,その他の集落は放棄されていた.「旧島民」の帰島に際しては,住宅や上下水道,電気等のインフラ整備が喫緊の課題であった.そのため,小笠原返還をもって「旧島民」の帰島が実現したわけではなかった.特に米軍が駐留しなかった母島は,全島が亜熱帯の植物に覆われたため再開拓が求められ,定住には返還から5年の歳月を要した. 4.「旧島民」の帰島・定住の過程 返還後に帰島を果たした「旧島民」は,主に戦前の生活の記憶を持つ40代以上であり,少数の若者は親の意志に応えて随伴した島外育ちの戦後世代であった.帰島時期に着目すれば,同じ「旧島民」にも従事する職種により差異がみられた.例えば,漁業者は農業者よりも帰島・定住が早く,その要因としては以下の3点が指摘できる.第1に,米国施政権下の父島では,「在来島民」がグアムに冷凍魚を輸出していたため,最低限の港湾設備が整っていたこと.第2に,漁業者は,返還以前から返還後の漁協設立に向けて「在来島民」の漁業者と接触していたこと.第3に,戦前の農地が密林に戻っていたため,農業者としての定住を希望した人々は生業基盤の整備に時間が掛かったことである. これに対し,帰島が果たされなかった「旧島民」も存在する.一部の硫黄島出身者は父島・母島に移住し帰島を待ったが,現在まで帰島は実現していない.また,小笠原復興計画では,インフラ集約を目的として「一島一集落」が基本方針とされ,父島大村地区と母島沖村地区の優先整備が行われた.そのため,他集落出身者は帰島できても帰郷できない状況が続いた.本発表では,以上のような文書資料から得られた「旧島民」の帰島・定住の過程を,聞き取り調査の結果と照らし合わせることで,生きられた経験として論じる.文献 石原 俊 2013.『〈群島〉の歴史社会学――小笠原諸島・硫黄島,日本・アメリカ,そして太平洋世界』弘文堂. 石原 俊 2019.『硫黄島』中央公論新社. 犬飼基義・橋本 健 1969.『小笠原――南海の孤島に生きる』日本放送出版協会. 南方同胞援護会編 1966.『小笠原関係実態調査書元居住者名簿編』南方同胞援護会. [付記] 本研究は「阿部英雄史学地理学科研究奨励金」および 「明治大学大学院生研究調査プログラム」の補助金を使用した.
著者
杉浦 芳夫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.64, no.5, pp.303-326, 1991-05-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
117
被引用文献数
1 1

ナチスドイツからの亡命者で社会主義者のF. K. Schaefer は,アイオワ州立大学地理学科の正式教員に採用される過程で研究業績をあげる必要があった.その際演習でとりあげた R. Hartshorne (1939) のドイツ語文献の解釈に疑問をもった Schaefer (1953) は,その点を突いた「例外主義」論文を書くことを決意した.他方,マッカーシズムが吹き荒れる当時,当局による尾行が,かってOSSに関係し,自分との学問観の相違に恨みを抱く Hartshorne の密告によるものとの思い込みが, Schaefer を一層強く論文執筆へ駆り立てた.しかし,「例外車義」論文は,発表後一定期間にわたって引用されることがなかった.これには,学科長のH. H. McCarty が,性格学識学問観において Schaefer を評価しなかったことが関係している.加えて,マッカーシズムの時代的背景が,彼と彼の仕事の評価に不利に作用したといえる.
著者
石原 潤
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.73-90, 2009-03-01 (Released:2011-05-31)
参考文献数
47
被引用文献数
1

中国の集市(伝統的市)は,定期市と毎日市からなり,長い歴史の中で発展をとげ,民国期には5万余が存在していた.革命後の社会主義化の流れの中で,集市には一定の規制が加えられ,集市の数は次第に減少し,特に左寄りの政策が実行された時期には取引が衰退した.しかしながら改革開放期に入ると,集市取引はむしろ奨励され,多数の集市が復活・新設され,集市取引高も年々急拡大した.都市部では出稼農民や失業者が,農村部では兼業農民が市商人に参入した.ところがこのような集市の繁栄にも,近年,明らかに陰りの傾向(集市数の減少,集市取引高の停滞,小売販売総額に対する集市売上高の割合の低下)が見て取れる.常設店舗の叢生,モータリゼーションの進展,退路進庁政策,スーパーマーケットの普及等が影響していると考えられる.
著者
山本 晴彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100029, 2017 (Released:2017-05-03)

明治4年、兵部省海軍部に水路局が設置され、翌5年には海軍省水路局となっている。明治6年10月には芝飯倉に海軍観象台が創設され、気象の毎時観測が開始されている。水路局は水路寮への改称を経て、明治9年には再び海軍省水路局に改称されている。同年には『気象略表』が発行され、10月には水路局の所掌に観象が追加され、観象台事務専任が置かれている。明治13年には長崎と兵庫に海軍気象観測所が設けられ、海軍観象台では天気予報が開始されている。明治15年、内務、文部両省、水路局の気象観測報告を一元化して海軍観象台が取りまとめている。明治19年には海軍水路部官制により、海軍水路部に改称され、天文、気象および磁気観測、測器試験、警報等の業務が追加されている。しかし、明治21年には海軍観象台の天文・地磁気関係の業務が文部省に、気象業務ならびに海軍気象観測所が内務省に移管され、これ以後、気象観測事業は内務省の主管となり、海軍水路部は水路部に改称されている。なお、明治27年からは海岸(海軍)望楼、同30年からは鎮守府での気象観測も開始された。第一次世界大戦へ参戦した海軍は、委任統治した南洋群島で大正4年より臨時南洋群島防備隊による気象観測を開始したが、同9年には南洋庁が設置されたことにより、気象業務は南洋庁観測所に移管されている。一方、国内では横須賀に日本初の海軍航空隊が開設され、翌年には霞ヶ浦海軍航空隊が開隊している。この時期に水路部から日本近海気象図や北太平洋気象図が発行されている。大正9年の水路部令により海象観測は水路部第四課の所管となり、気象観測業務は第一課(一部は第二課)が担当することとなった。昭和3年、海軍兵学校卒の山賀守治と大田香苗の大尉が、海軍大学校選科学生として東京帝国大学理学部の聴講学生として派遣され、気象将校としての人材養成が開始された。教程修了後は山賀が水路部員、大田は霞ヶ浦航空隊に気象士官が配員された。昭和8年には最初の水路部気象観測所が北千島の幌筵島塁山に開設され、これ以降、千島・樺太、南洋群島に観測所が遂次開設されている。同年9月には、海軍大演習において第四艦隊が三陸沖で台風に遭遇し、大事故(第四艦隊事件)が発生している。この事件を契機に、海軍内で気象業務や気象将校養成の重要性が次第に認識され始めていく。なお、昭和9年には海軍航海学校が開校し、ここで気象専攻学生(雀部利三郎、飯田久世他)として気象学の教程を修学させる方針に変更している。昭和11年、水路部に第五課が設置され、気象・海象の業務を所掌することとなった。翌12年には、中央気象台に海軍連絡室が設置され、気象通報や天気図作成に関して気象台との合同勤務が実施されている。同年11月には企画院気象協議会が設置され、陸軍、海軍、中央気象台の緊密な連繋が図られ、気象業務が軍用気象に取り込まれていく。日中戦争(支那事変)が起こり、戦地が拡大する最中、上海海軍気象観測所が設置された。昭和13年には、不足する気象技術員の養成を目的に、水路部で第1期の普通科気象技術員講習が開始される(昭和18年3月に第21期が修了)。また、文官技術者を中央気象台や大学や専門学校卒の採用、海軍委託生として採用後は中央気象台附属の測候(気象)技術官養成所に派遣し、実戦部隊へ配属させていた。昭和16年には水路部内に気象業務を所掌する第三部(第六課、七課)が新設され、同時に人材速成のための修技所(後に気象修技所)が設置され。大量の技工士が養成されている。また、中央気象台構内の海軍連絡室が水路部分室となり、海軍気象通報業務と予報業務を実施することとなった。外地では第二気象隊(上海)、第三気象隊(スラバヤ)が開隊され、パラオの海軍第四気象部がトラックに移動し、第四気象隊が開隊され、南洋庁気象台の職員が第四艦隊司令部附となっている。昭和17年4月、水路部内に海軍気象部が特設され、第一課、第二課が置かれて第三部の職員が兼務した。同年5月には第五気象隊(厚岸)、11月には第八気象隊(ラバウル)が開隊されているが、翌年2月にはガダルカナル島での敗戦により気象隊も撤退を余儀なくされている。水路部以外では、昭和18年4月には、海軍航海学校内に気象教育を専門とする分校が設置され、翌年7月には観測術教育を実施する阿見分校となり、昭和20年3月には阿見分校が独立して海軍気象学校が土浦に開設されている。昭和20年6月には、陸軍、海軍、中央気象台で陸海軍気象委員会が設置され、大本営気象部の開設が検討されたが、終戦により実現を見なかった。終戦後は海軍気象部の全気象業務が中央気象台に移管された。連合軍司令部より海軍の気象業務や気象器材に関する解答の作成が要求され、海軍気象部の大田早苗が残務整理班の中心となり回答書を10月15日に提出している。
著者
中村 努
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.369-383, 2022 (Released:2022-11-25)
参考文献数
27

本稿は,地域福祉のニーズの変化とその対応を,ローカル・ガバナンスの構造に焦点を当てて検討した.製紙工場の集積地として栄えた高知県高知市旭地域では,1990年代後半以降,新住民を中心とする再開発地区と老朽木造住宅が混在する地域へと変貌した.他方,入浴難民,単独高齢世帯,生活困難を抱えた孤立世帯や子どもなど,環境変化にともなうさまざまな地域福祉ニーズが生じた.これに対して,①住民組織代表のリーダーシップ,②収益の改善,③他機関との連携,を特徴とする地域住民の主体的な対応を軸にしたローカル・ガバナンスがそのつど形成された.住民組織と行政との関係は活動の展開過程において,対立から相互協力的な関係性へと深化した.このように,行政の役割の再定義も含め,地理学の視点からマルチスケールでローカル・ガバナンスの再構築の過程を検証することが求められる.
著者
水野 一晴
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.57, no.6, pp.384-402, 1984-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
19
被引用文献数
4 5

赤石山脈の高山帯一亜高山帯には,いわゆる「お花畑」が広く分布している.この「お花畑」の成立条件を明らかにするために,地形,標高,風,積雪量などの環境因子を検討した.その結果,「お花畑」の分布や群落組成は,6種類の地形タイプによって大きく規定されており,それぞれの地形タイプに対応した6つの「お花畑」の立地環境型が存在することが明らかになった.各立地環境型は異なった環境因子の組み合わせからなっており,それが「お花畑」の性格を規定している. 6つの立地環境型は次のとおりである. (I) 亜高山帯風背緩斜面型, (II) 高山帯凹型風背急斜面型, (III) 大規模線状凹地(二重山稜)型, (IV) 小規模線状凹地型, (V) 沢沿い斜面型, (VI) 雪窪型.
著者
佐野 洋 中谷 友樹
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.73, no.7, pp.559-577, 2000-07-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
47
被引用文献数
1 1

多党化した日本における小選挙区制の選挙バイアスを明らかにするために,1996年衆議院議員総選挙の投票データを用いて選挙バイアスを測定した.その結果,英米の選挙について報告されてきたものよりも大規模な選挙バイアスを確認した.バイアスの構成では,議席定数の不均衡配分よりも死票によるものが大部分を占めている。また,多党制では政党規模が相対的に小さくなり,全選挙区で立候補者を擁立できないため,各政党は効率的な立候補者の擁立を図り,立候補者の有無によるバイアスが,死票を見掛け上少なく抑えている.これらのバイアスを介して,多党化の地域差は,議席定数の不均衡配分の効果と合わさり,「大都市圏」一「非大都市圏」間で1票が議席に与える影響力の格差を拡大している.
著者
岡 義記
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.68, no.8, pp.527-549, 1995-08-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
69
被引用文献数
1 1

斉一説は160年の長期間にわたり使用されてきた言葉である.その意義は地質学・地形学の進歩に対応して変容してきた.同時に斉一説に関する多様な誤記・謬説が生み出されてきた.本稿では,斉一説の意義を歴史的に整理して,誤記・謬説のルーツを追いながら誤りを訂正し,斉一説の現代的意義について考察した.その結果,「斉一説」という用語は,歴史的用語として,初期の斉一説に限定して使用すべきことを主張した.また,それ以後の斉一説(方法論的斉一説など)は科学一般に採用されるべき常識的な考えになってしまっている.今日,斉一説を唱えることは時代錯誤になっている状況を概説した.
著者
立岡 裕士
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2009年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.57, 2009 (Released:2009-06-22)

「日本総国風土記」(以下「総国風土記」)は、近世初頭に古風土記を模造して作られた偽書とされる。しかし「総国風土記」は単一の文献と見なすことが困難なほどに多様な形式・内容の写本群として残存している(「総国風土記」という名称を冠した一群の文献が伝えられる一方、それと類似した内容をもちながら「(某国)風土記残篇」といった名称をもつものがあり、また外題的に「総国風土記」として一括されながら内題的には「総国風土記」という名称をもたない文献もある。報告者は当面、「総国風土記」を一群の文献に対する総称として最広義に用いることにする。すなわち、和銅~延長に撰進された古風土記、近世以降に古風土記とは異なるものであることを明示しながら編纂された「新風土記」、のいずれにも属さない「風土記」を「総国風土記」と呼ぶ)。 「総国風土記」の検討は早川(1987)の提起にもかかわらずほとんど進んでいない。「総国風土記」について検討することは、それが受容されたことを通して近世初頭の地誌的知識希求の風潮について考えるための基礎作業である。さらに「総国風土記」作成の原資料について検討することにより、存在が推定される「失われた中世日本地誌」について考えるよすがとなろう。本報告はその端緒として「総国風土記」の分類を試みる。 現存する「総国風土記」は『日本古典籍総合目録』(国文学研究資料館)に収録されただけでも44機関に164部の写本が存在する。近世に地方史誌類などに翻刻収録されたものもある。年代の確実な写本のなかで古いのは18C初頭のもののようである。しかし山崎闇斎の『会津風土記』序文からは17C半ばにはすでに幾つかが流通していたことが考えられる。 「総国風土記」は風土記の残篇として、「虫喰」「落丁」などが織り込まれた形で伝えられている。一つの国の全郡の記事がそろっているのは駿河のみとされる。しかし何らかの記事がある国は45に及ぶ。同一国・同一郡について内容の全く異なるものが存在する場合があり、しかもそれが(異本という形で)同じ写本のなかに併存していることもある。 報告者は当面、下記の観点から「総国風土記」を分類することができるのではないかと考える: ・構成の形式:国単位で巻をなすものと郡単位で巻をなすものとがある。 ・空間的単位:郷・荘(庄)・里・村などが明記されたものと、そうした単位名がついていないものとがある(後者の場合、『和名抄』郷名と一致するものも多いが、そうでないものも多い)。 ・内容:大きくは貢租・物産・説話に分けられる。貢租記事は「公(土)穀○○仮粟○○貢○○」、物産記事は「土地○○民用○○出○○」という形式をとる。説話は地名・寺社の由来などである。特に前2者が混在することは少ない。 ・表記:和風諡号と漢風諡号との違い ・書写奥書:鎌倉~南北朝期(元亨・文和・嘉慶)・戦国末~近世初(大永・弘治・天正・寛永・寛文)のものが多く共通に見られる。
著者
春山 成子 大矢 雅彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.59, no.10, pp.571-588, 1986-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
32
被引用文献数
2 2

隣り合って流れる庄内川,矢作川の河成平野の地形分類図を作成した.地形要素の組合わせは庄内川は小型自然堤防+高位デルタ+低位デルタ,矢作川は扇状地的自然堤防+高位扇状地的デルタ+低位扇状地的デルタとなっており,著しい地域差が見られた. この原因を次のように考えた. (a) 矢作川は高度分布,高度分散量,起伏量平均値共に大きく,かつ風化しやすい花崩岩からなるため,山地崩壊が庄内川より大である. (b) 庄内川は河川縦断勾配が緩でかつ盆地,峡谷の繰り返しとなっており,下流平野へ流下する砂礫量は矢作川より少ない. (c) 縄文海進時に堆積した海成層上の河成沖積層の厚さは庄内川平野の方が薄い. (d) 氾濫原の幅は庄内川平野では上,中流は狭く,下流は広い.このため,上,中流では河道変遷は少なく,洪水は集中型となるが,下流は変遷が大きく,溢流型となる.矢作川は氾濫原の幅の変化は少なく,洪水は平野上流側はショートカット型,下流側は盗流型となっている.
著者
市川 正巳
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.89-103, 1988-02-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
79
被引用文献数
2 2

Attention to the problems of desertification by many governments and the scientific communities in many countries has increasingly been paid in the last decade. The drought in the Sahel, which extended from 1968 to 1973, especially focused public attention on the problem of desertification. In response, United Nations Conference on Desertification (UNCOD) was held in Nairobi, Kenya, from August 29 to September 9, 1977. According to United Nations' definition(Biswas, M. R. and Biswas, A. K., 1980), “desertification is the diminution or destruction of the biological potential of land and can lead ultimately to desert-like conditions: grazing land ceases to produce pasture, dryland agriculture fails, irrigation fields are abandoned owing to salinization, waterlogging or some other form of soil deterioration”. The purpose of this paper is to make clear the present situation of desertification and its research in the world. The author explains the present situation and the problems of desertification in the world using distribution map showing the degree of desertification hazards prepared by Hopkins and Jones (1983). Aridlands divided into four types based on the degree of aridity such as hyper arid, arid, semiarid and subhumid regions, and three classes of desertification risk such as very high, high and moderate are shown on the map presented to UNCOD by UNESCO (1977). Then, the author has described the results obtained from the case study in South-East Spain, and conducted the comparative study on desertification taking place in South-East Spain and in semiarid region of northeastern Brazil. The author overviewed also the previous researches on desertification from the viewpoint of its definition, causes, reversibility or irreversibility, and degradation of tropical forests. Lastly, the author has emphasized that the desertification is the subject of interdisciplinary researches which should be faced in collaboration with various fields of science such as geography, politics, economics, cultural anthropology, hydrology, climatology, geomorphology, plant ecology, forestry, agriculture and so on. So, it is of importance to organize an interdisciplinary project team on desertification and to make clear scientifically the causes of desertification.
著者
志村 喬 小橋 拓司 石毛 一郎 後藤 泰彦 泉 貴久 中村 光貴 松本 穂高 秋本 弘章
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.71-81, 2023 (Released:2023-04-11)
参考文献数
8

高校必履修科目となった地理総合が授業実践される直前の2021年10月から翌年2月にかけて実施した全国的なカリキュラム調査の結果を報告した.主要な知見は次の通りである.①1学年での必履修科目の設置率は,歴史総合の方が地理総合より高い傾向がみられ,兵庫県と私立学校では顕著である.②学校類型別では,専門学科系高校において地理探究(選択科目)は基本的に設置されておらず,地理学習は地理総合で終了するといえる.③4年制大学進学者が過半数を占める学科・コースにおいては,文系では地理探究は設置されない(選択できない)傾向,理系ではそれと逆の傾向がある.④これら実態の背景には,大学受験に対する高校での指導戦略,地理を専門とした教師の不足,過去のカリキュラム枠組(特に単位数)を変更することの困難さがあると推察される.
著者
小口 高
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2008年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.262, 2008 (Released:2008-07-19)

I.日本のGISの発展と自然地理学 日本のGISの発展が,欧米に比べて遅れていたことがしばしば指摘されている.特に1990年代初頭におけるGISの普及度は欧米に大きく引き離されていたが,現在までにこの差はかなり縮小した.しかし,まだ欧米との差が大きい分野もあり,自然地理学はその一つとみなされる.日本で自然地理学へのGISの応用が遅れている理由として,1)特に初期において日本のGISを牽引した地理学者の多くが人文地理学を専門としていたこと,および2)日本ではGISの導入に積極的な工学の研究者が多いが,応用対象として都市や交通といった人文社会的な要素を選ぶ傾向があること,が挙げられる. 一方,欧米においては,自然科学と人文科学に関するGISが,よりバランス良く発展してきた.たとえば1986年に世界最初のGISの教科書を著したピーター・バーローは自然地理学者であり,1980年代以降に米国のGISを牽引しているマイケル・グッドチャイルドやデービッド・マークも,初期には地形,地質,生態などの自然を主な研究対象としていた.今後,日本においても自然地理学を含む自然科学におけるGISが,より発展することが望まれる. II.地理空間情報活用推進基本法と自然地理学 2007年8月29日に施行された「地理空間情報活用推進基本法」(以下,基本法)は,日本のGISを産・官・学の多様な側面において発展させる推進力になると考えられる.この法律が,上記した日本の自然地理学におけるGISの発展の相対的な遅れを解消するために有効かを,基本法の内容を踏まえて簡単に検討した. 上記の基本法は,主に国民生活と経済社会の向上を目指しているため,全体としては自然よりも人文社会に関する要素が重視されている.したがって,基本法は従来からの日本のGISの特徴を反映しているとみなされ,この法律が自然地理学におけるGISの応用を飛躍的に発展させるとは言い難い.しかし,自然地理学に関連したいくつかの課題については,確実に発展を期待できる.たとえば,基本法は13項目の「基盤地図情報」を制定しているが,その中には海岸線と標高点が含まれている.これらの情報が高頻度で更新され,GISデータの形で提供されることにより,地形変化の定量的な研究が容易になる.たとえば,これまで海岸侵食の実態をGISによって分析する際には,複数の時期の空中写真や地図を必要に応じて幾何補正し,海岸線をトレースしてベクター・データを作製する必要があった.今後はそのような手間が減り,幾何補正の際の誤差といった問題も軽減される.内陸の地形変化を調べる際にも,標高データが頻繁に更新されれば,写真測量などによって自前で複数の時期のDEMを作製する手間が減少する. III.GISアクションプログラム2010と自然地理学 2007年3月22日に測位・地理情報システム等推進会議が「GISアクションプログラム2010」を決定した.このプログラムの副題は「世界最先端の地理空間情報高度活用社会の実現を目指して」となっており,基本法と連動する動きを,より具体的に述べたものとみなされる.本プログラムでも,基本的には人文社会関係の情報の充実が重視されているが,「防災・環境などに関する主題図」「沿岸詳細基盤情報」「地質情報」「地すべり地形分布図」「生物多様性情報」といった自然地理学に関する情報も取り上げられている.これらの多くは省庁が以前から整備しているものであり,「生物多様性情報」に含まれるベクター植生データなど,研究者に頻繁に利用されているものが含まれる.その継続的な整備とデータの配布の促進が本プログラムに記されていることは,今後の自然地理学の発展に重要といえる.
著者
相馬 拓也
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.102-119, 2014-07-04 (Released:2014-07-10)
参考文献数
28
被引用文献数
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モンゴル西部アルタイ地域(バヤン・ウルギー県)では伝統的な季節移動型牧畜活動が,アルタイ系カザフ社会の生産体系の根幹をなす.しかし遠隔地かつ少数民族社会であることから,同地域ではいまだ生活形態などの基礎的知見が確立していない.本研究では,同県サグサイ村ブテウ冬営地(BWP)の牧畜開発・地域支援を視座に,滞在型のフィールドワークを行った.長期滞在による参与観察やウルギー県統計局の内部資料を参照し,①世帯毎の所有家畜総頭数・構成率,②家畜飼養・管理方法,③季節移動の現状,についての基礎的知見を明らかとした.その結果,BWPでは6割以上が貧困層世帯であり,最低限の生活水準にあることが確認された.また計画的増産や日々の放牧への人的介入は行われず,牧畜生産性の停滞など,アルタイ系カザフ牧畜社会が抱える現状と課題が明らかとなった.
著者
平野勇二郎 勇二郎 一ノ瀬 俊明
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100205, 2017 (Released:2017-10-26)

今後の人口減少と高齢化に備えて、居住域の交通計画について検討が必要である。スプロール化が進行した現在の空間構造のまま人口減少した場合、広域的に人口密度が低下し、とくに地方部では過疎化が深刻化する。この結果、生活の利便性の低下や、環境負荷の増大が懸念される。とくに交通に関する問題は重大である。利便性を維持するためには公共交通の充実が不可欠であるが、過疎化した空間構造の中ではインフラの維持管理コストが見合わない。このため、人口密度が一定以下になれば自動車が不可欠となるが、運転困難な高齢者の生活がますます困難となる上、一人当たりCO2排出量の増加などの環境負荷にも結び付く。このため、今後の人口減少に備えて居住域をコンパクト化する提案も多い。こうした背景から、今後の居住域の空間計画を検討する上で、都市条件と交通手段の関係について把握することが不可欠である。そこで本研究では、家計調査などの統計データから交通手段ごとに移動距離を算出し、都市間での比較を行った。この結果から、全体として自動車の移動が多く、大半の都市において半分以上は自動車が占めていることが示された。大都市では鉄道の割合が相対的に高いが、地方部では大半の移動を自動車が占めている。また鉄道、バス、タクシーの合計を公共交通とし、自動車との関係を調べたところ、若干の負の相関が生じた(R=-0.650、1%有意)。この結果から、自動車と公共交通の間に代替性が定量化された。また、自動車と公共交通を合わせた移動距離は公共交通の利用が多い地域の方が若干短く、都市域において高密度化した都市構造に伴い、移動が効率化されている可能性が高い。今後、各都市の人口密度や土地利用などの詳細な都市構造を踏まえて、さらに解析を進める予定である。