著者
大橋 めぐみ 永田 淳嗣
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.91-117, 2009-03-01 (Released:2011-05-31)
参考文献数
49
被引用文献数
2 2

従来型の食料供給体系に対するオルタナティブな流通としてショートフードサプライチェーン(SFSCs)が注目を集めている.本研究では,1991年の牛肉輸入自由化以降2004年までの岩手県産短角牛肉流通の動態を,供給連鎖の短縮・単純化,密な主体間相互作用,特定の場所との密な相互作用というSFSCsの動的システムとしての三つの特徴の効果発現の条件に焦点を当てて分析し,SFSCsの安定的な存立のための条件を探った.本研究の事例は特に,特定の場所との関係強化という方向で安定化を図ってきたが,ローカル性による差別化は容易ではなく,消費者の嗜好への対応や行動原理への地道な働きかけが必要であった.同時に,需給調節や資源循環型技術の実現といった課題を克服し,三つの特徴の効果発現を通じてSFSCsの安定的な存立を図るには,流通業者や生産者の公益性や助け合いを重視する行動原理の維持・強化が重要であった.
著者
佐藤 峰華 岡 秀一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.144-160, 2009-03-01 (Released:2011-05-31)
参考文献数
32
被引用文献数
2 2

シラビソAbies veitchii,オオシラビソA. mariesiiの優占する日本の亜高山針葉樹林帯には,いわゆる縞枯れ現象wave-regenerationが発現する.これは,天然更新の一つのパターンであり,特に北八ヶ岳にはその広がりが顕著である.北八ヶ岳・前掛山南斜面における亜高山帯針葉樹林で,空中写真判読を行い,いくつかの更新パターンを検出した.さらに,その違いが何に由来するのかを検討するために,現地で林分構造,齢構造,ならびに土壌条件について調査を行った.その結果,成熟型更新林分,縞枯れ型更新林分,一斉風倒型更新林分,混生林型更新林分という構造と更新パターンを異にする四つの林分が識別された.これらの林分が出現する範囲はほとんど固定されており,縞枯れ型更新林分は,南向き斜面のごく限られた領域にしか生じていなかった.これらの林分の配列は土壌の厚さや礫の混在度ときわめてよい対応関係を持っており,縞枯れ現象を発現させる自然立地環境として,斜面の向き,卓越風向などとともに,土壌条件が重要な役割を果たしていることが明らかになった.
著者
外枦保 大介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.82, no.1, pp.26-45, 2009-01-01 (Released:2011-05-12)
参考文献数
53

本稿は,宇部興産の企業城下町である山口県宇部市を事例として,産学官連携による主体間関係の変容に関する実態解明を通じて,産学官連携が産業集積の質的変化に果たしつつある役割を考察する.従来の主体間関係は,宇部興産とその下請企業から成る垂直的な構造であった.一方,1950年代の産学官連携による公害の克服や1980年代のテクノポリスの指定など,大学と企業・自治体との関係も構築され,今日の産学官連携の基盤となった.1990年代以降,産学官連携の進展により,宇部興産に加えて山口大学が主体間関係の中核になっている.宇部興産は,山口大学と包括的連携を結び,製品開発の高付加価値化を進めている.一方,中小企業は,技術等を獲得し,取引相手や共同研究相手を拡げている.特に宇部興産の下請企業にとって,産学官連携は,脱下請化を促進させる可能性がある.このように産学官連携は,産業集積のロックインを解放し,それを水平的構造に転換させるという重要な意味がある.
著者
若林 芳樹 久木元 美琴 由井 義通
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

2012年8月に成立した子ども・子育て関連3法に基づいて,子ども・子育て支援新制度(以下,「新制度」と略す)が2015年4月から本格施行された.これにより,市区町村が保育サービスを利用者へ現物給付するという従来の枠組みから,介護保険をモデルにした利用者と事業者の直接契約を基本とし,市区町村は保育の必要度に基づいて保育所利用の認定や保護者向けの給付金を支払う仕組みへと転換した.また,待機児童の受け皿を増やすために,保育所と幼稚園の機能を兼ねた認定こども園の増加や,小規模保育所や事業所内保育所などの「地域型保育」への公的助成の拡大が促進され,保育サービスのメニューも広がった(前田, 2017).しかしながら,こうした制度変更の影響について地理学的に検討を加えた例はまだみられない.そこで本研究は,新制度導入から3年目を迎えた現時点での保育サービス供給の変化と影響について,若林ほか(2012)がとりあげた沖縄県那覇市を中心に検討した.<br><br> 新制度では,認可保育所などの大規模施設で実施される「施設型保育」に加えて,より小規模な「地域型保育」も公的補助の対象になった.このうち「施設型保育」については,認可保育所以外に認定こども園の拡充が図られている.2006年から幼児教育と保育を一体的に提供する施設として制度化された認定こども園は,制度や開設手続きの複雑さなどが原因となって普及があまり進んでいなかったが,新制度では幼保連携型認定こども園への移行を進める制度改正が行われた.その結果,2019年4月における保育の受け入れ枠の14%を認定こども園が占めるようになった.<br><br> 一方,「地域型保育」には,小規模保育(定員6~19人)・家庭的保育(定員5人以下)・事業所内保育・居宅訪問型保育があり,主に0~2歳の低年齢児を対象としている.これらは,住宅やビルの一部を使って実施されるため,従来の認可保育所に比べて設備投資が小さくて済み,小規模でも公的補助が受けられる.そのため,用地の確保が困難なため認可保育所で低年齢児の定員枠の拡充が難しい大都市では,待機児童の受け皿となることが期待されている.この他にも保育士の配置などで認可基準が緩和され,公的補助のハードルが全体的に低くなっている.その中でも小規模保育は,新制度への移行後の保育枠の増加に大きく寄与している.<br><br> 新制度に対応した那覇市の事業計画では,需要予測に基づいて2017年度末までに約2500人の保育枠を増やすことになっている.そのために,認可外保育所に施設整備や運営費を支援して認可保育所に移行させ,認定こども園や小規模保育施設を新設するとともに,並行して公立保育所の民営化を進めることになっている.工事の遅れや保育士不足などによって,必ずしも計画通りには進んでいないものの,地方都市では例外的に多かった同市の待機児童数は,2018年4月から1年間の減少幅では全国の自治体で最も大きかった.これは,保育所定員を2443人増やした効果とみられるが,依然として200人(2017年4月)の待機児童を抱えている.<br><br> 新制度実施前の那覇市では,認可外保育所が待機児童の大きな受け皿となっていた(若林ほか, 2012).保育の受け入れ枠を拡大するには,それらの施設の活用が考えられるため,認可外保育所の代表者6名にグループインタビューを行ったところ,認可外保育所の対応は3つに分かれることがわかった.比較的大きな施設は,施設を拡充したり保育士を増やすなどして認可保育所への移行を図っているが,規模拡大が困難な施設は小規模保育として認可を受けるところもある.しかし,認可施設に移行すると既存の利用者の多様なニーズに柔軟に応えられなくなる恐れがあり,保育士の増員も困難なため,認可外にとどまる施設も少なくない.<br><br> また,事業所内保育施設については,市が施設整備費補助制度を設けていることもあって増えている.そこで新規に認可を受けた事業所内保育所2施設に対して聞き取りを行った.A保育所は,都心からやや離れた場所にある地元資本のスーパー内の倉庫を改装して使用し,運営は県外の民間業者に委託している.利用者は事業所従業員と一般利用が半数ずつを占める.B保育所は,風営法により認可保育所が立地できない場所にある都心部のオフィスビルに1フロアを改装して新設されている.定員のうち従業者の利用は少なく,大部分は地域枠として募集しているが,入所待ちの児童もあるという.これらの小規模保育施設に共通することとして,2歳児までしか受け入れ枠がないため,3歳児から移行できる連携施設を近隣に確保するのが課題となっている.
著者
阿部 一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.238-249, 1992-03-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
13
被引用文献数
2

The symbolic landscapes of a nation are important clues to the human-landscape relation, which is an aspect of the relationship between the people and their environment. Mt. Fuji was long the typical symbolic landscape of modern Japan, as can be seen in textbooks for use in elementary schools. I examined the symbolism of Mt. Fuji in textbooks to suggest tendencies in the relationships between Japanese and their environment. The results are as follows: 1) Mt. Fuji appeared in the primary school textbooks from Meiji Era until 1945. The mountain was presented as the sublimest mountain in Japan through textbooks for reading, drawing, and singing, whose contents were inter connected. Consequently, children learned a certain image of Mt. Fuji. 2) Mt. Fuji was praised as the sublimest mountain of Japan in order to make children sympathize with the sentiments of Japanese adults, who were supposed to admire Mt. Fuji. At the same time, children were taught that the national sentiment was focused on the image of Mt. Fuji. 3) The relation between the nation and school children as illustrated in teaching materials concerning Mt. Fuji is shown graphically in Fig. 5. The materials formalized the appearance of Mt. Fuji and formed a specific image of it. Children learned the materials and internalized a certain image of the mountain. The image validated the content of the materials and suggested the national sentiment. Through this process of learning, children came to obscurely understand the concept of a national sentiment. 4) The national sentiment of Japan that was used as a unifying concept was a Vague idea escaping logical grasp; therefore the education inevitably stressed impressions rather than logic. Mt. Fuji was seen to be the best material for that kind of education. 5) The relation between Mt. Fuji and the national sentiment seems to have been sustained by an “intentionality to legitimacy”. The national sentiment was supposed to have legitimacy, although the foundation of that legitimacy was not shown. On the other hand, Mt. Fuji was given legitimacy through the formalization of its appearance. Therefore, Mt. Fuji was chosen as the image of legitimacy to suggest the content of the national sentiment.
著者
山崎 孝史
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.127, 2020 (Released:2020-12-01)

現代世界は生態系・金融・テロなどに関わるグローバルな危険(リスク)にさらされている。そうした危険は、近代化自体の反作用として、新たな政治主体の出現と政治の動態をもたらすと考えられる。現代の「地政学」はこれら危険に触発された主体の対立や連携から多面的かつ重層的に構成されると考えられる。そうした危険の一つがパンデミック(感染症のグローバル化)である。本発表は、COVID-19の世界的拡大によって、近代国家による公衆衛生管理(生政治 biopolitics)と空間や場所をめぐる支配や管理の実践(地政治 geopolitics)がどのように接合され、展開されてきたかについて、日本の対策を軸に考える。
著者
岩船 昌起
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

<b>【はじめに】</b>2016年熊本地震災害では,九州の県と市町村は,九州地方知事会での決定に基づき「カウンターパート方式」で被災市町村をそれぞれを専属的に支援した。筆者も,鹿児島県担当の宇城市で集中的に支援活動を行い,災害対策本部等に助言している。本発表では,この活動や宇城市提供データに基づき,宇城市での被害や避難者の実態を報告する。<br><b>【地震の概要】</b>2016年4月14日21時26分に熊本県熊本地方を震央とする震源の深さ11kmでM6.5の地震が発生し,益城町では震度7,宇城市では震度6弱が観測された(気象庁)。また,同じく熊本地方を震央とする震源の深さ12kmでM7.3の「本震」が16日1時25分頃に発生し,西原町および益城町で震度7,宇城市で震度6強が観測された。<br> 本震以降,熊本県阿蘇地方や大分県西部および中部でも地震が頻発し,14 日21 時以降6月30日までに震度1 以上を観測する有感地震が1,827 回発生している。これは,平成16年新潟県中越地震(M6.8)など日本で観測された活断層型地震の中で最も多いペースである。<br><b>【熊本地震による被害の概要】</b>熊本地震災害の主要な被災地の熊本県と津波災害が際立った東日本大震災被災地の岩手県とでの被害状況を比較する。人的な被害としては,死者・行方不明者が岩手県の方が桁違いに多いが,負傷者は熊本県が8倍弱多い。地震動による瓦の落下や家具の倒れ込み等で外傷を負った方々が多かったものと思われる。物的被害として,全壊は岩手県の方が7倍程度多いが,一部損壊は熊本県がほぼ倍程度の数となっている。<br> 東日本大震災では,全壊あるいは大規模半壊でも家屋を解体して「滅失」と判定されて応急仮設住宅に入居できた方々が多く,応急対策期の避難所での生活よりも復旧期の仮設住宅での暮らしの中でさまざまな問題が現出した感がある。一方,熊本地震では「一部損壊」認定世帯が被災者の大半を占め,半壊以上ので手厚く施される生活再建支援のさまざまな手立てを熊本地震災害被災者の大半に適用できない可能性が高い。<br> また,熊本地震では,土砂災害で阿蘇地方での大規模崩壊等が注目されているが,ほとんど報道されていない宅地や農地の盛土地等で小規模な崩壊や亀裂が多数生じており,それらの土地所有者の多くがその対処に難儀している。それは,宅地被害でも家屋の破壊に結びつかないと罹災証明で評価され難く,特に私有地の被害が公的支援の対象になり難いからである。盛土地での被害は,1978年宮城県沖地震や2011年東日本大震災でも丘陵地の団地等で繰り返し発生しており,日本列島の造成地では地震動でどこでも生じる可能性が高かい問題であった。<br><b>【避難者の特徴】</b>宇城市提供の避難者数データから, 14日「前震」直後より16日「本震」以降で避難者数が多いことが分かる。17日0時に宇城市内避難所20施設合計で,宇城市人口の2割程度の11,335人が最大の避難者数として記録されている。また,日中には避難者数が減じ,寝泊まりする夜間に増加する傾向がある。<br>&nbsp;一方,約93年間(1923年~2016年4月13日)の宇城市での最大震度は,震度4であった(気象庁)。従って,「前震」までに震度5弱以上の経験者はごくわずかであり,かつ震度5弱以上の地震は宇城市で発生しないと考えていたようであった。そして,地震災害を身近なものと考えていなかったことから,地震にかかわる科学的な知識や地震から身を守る知識や技術も地震が多発する地域の人びとに比べて相対的に低かったと思われる。<br> 「地震に対する備え」が十分でなかった宇城市民は,14日夜の前震と16日未明の地震で「地震の揺れに対する恐怖心」が強化され,家屋の損壊が酷くなくても自宅に入れない人びとが多数出現した。特に夜に地震に遭ったことから家の中で寝られない人びとが多く,それが避難者数の夜間増加の要因となった。<br>&nbsp;避難者が抱く「地震に対する恐怖心」を軽減・解消するためには,地震の発生が収まることが最も重要であるが,活断層が存在する熊本では今後も地震が必ず発生し,再び恐怖心が呼び起される可能性が高い。これに対処するには,ソフト面では,心理的なカウンセリング等と並んで,防災教育を通じて「地震を知り,これへ対処できる」知識と技術を「地震を経験した人びと」が身に付ける必要がある。具体的には①市民が地震に関する科学的知識を身に付けること,②家具の固定など被害に遭い難い居住環境を事前に整えておくこと,③地震発生時には自身の安全にかかわる周囲の状況を見極められること,④これに応じて「身を守る」行動を選択実行できることなどに及ぶ。<br><b>【本発表では】</b>今後の防災教育の立案にかかわり,宇城市提供資料の分析や,実施予定の質問紙調査の結果も交えて,本発表時には,熊本地震災害避難者の詳細な特徴を報告する。
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.38, no.6, pp.383-393, 1965-06-01 (Released:2008-12-24)
著者
田瀬 則雄
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.198-204, 1988-02-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
22
被引用文献数
1

The United States of America has suffered from the land degradation or desertification in and around semi-arid regions. This paper illustrates the background of desertification, soil erosion and land degradation due to overcultivation and overgrazing, in the U. S. A., mainly in the Great Plains. Measures to soil erosion and overgrazing and environmental management are also discussed. Table 1 summarizes the events related to desertification and environmental management in the United States chronologically. In protecting non-federal lands and land resources, Soil Conservation Service of U. S. D. A. and the local conservation districts are playing important roles. Soil erosion from croplands is very serious (Fig. 1 and Table 2). The land management in private farms depends much more on the national and international economy. Wars and exports of grains usually brought big profits to farmers, which was an incentive to expand the cropland, and then severe erosion occurred. The Food Security Act of 1986 includes the soil conservation provisions, which for the first time deny the subsidies to farmers who do nothing to control the soil erosion. Before Federal Land Policy and Management Act of 1976 was enacted, the federal land had not necessarily been managed well, though the Taylor Grazing Act of 1934 played the significant roles in improving the rangeland conditions, which had been degraded in the late 19th century. After 1976, the improvement of rangeland conditions in federal land goes toward (Table 3) and the management policy is still developing. Compared with the desertification in developing countries, that in the United States would be caused more by the social and/or economical situations of the nation and the world, under the relatively fragile natural conditions.
著者
島倉 聖朗
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100340, 2017 (Released:2017-05-03)

1.研究の目的 日本における西洋音楽の受容ついては,他の多くの西洋文化と同様に,当時の交通事情に影響を受け,海外に向けた出入り口として,横浜,神戸といった港湾都市は独自の存在感をもっていた.横浜,神戸は,現在ともに「ジャズの街」や「日本のジャズ発祥の地」と標榜されており,どちらもジャズ輸入時期にその窓口となったと言われている.大正初期に横浜からサンフランシスコへの国内資本による太平洋航路において,客船内で音楽演奏をする,いわゆる「船の楽士」が日本へジャズをもたらしたことは,音楽史の分野での先行研究では明らかにされているが,地理学的視点で捉えた研究はほとんどない. そこで,本研究では,その「船の楽士」の活動に着目して,彼らの果たした役割,演奏技術の移転,その後の職業音楽家としての活動の場といった視点から,西洋音楽受容と横浜の関係性を明らかにすることを目的とする.2. 「船の楽士」の始まり 1912年(大正元年)8月,橫浜港よりサンフランシスコに向けて出航した東洋汽船の客船に,東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)の卒業生らが,5人の小編成楽団を組み,主に昼食・夕食時に演奏した.私立の音楽学校は就職先を確保することが困難な時代,卒業生が外国航路の客船に乗船し,乗船客向けに演奏を提供できれば,働きながらも海外で新しい音楽を直接見聞できるということであった.彼らは「船の楽士」と呼ばれ,彼らの活動は,メンバーを変えながら大正年間を通じ,さらに昭和16年までの約30年間に渡った.クラシック,後にジャズと呼ばれるダンス音楽など幅広い音楽を吸収し,「船の楽士」を通じて日本国内に広まった.3. 演奏技術の習得と陸に上がった楽士の活動       サンフランシスコでは,楽譜,楽器,レコードを購入し,それらを日本へ持ち帰ったと同時に,停泊期間中に現地ホテルの専属楽団からの演奏指導,他国の客船楽団との交流を通じて新しい音楽技能を身につけた.初期の「船の楽士」は,陸にあがったのち,乗船時代の経験を生かし,東京銀座の活動写真館での無声映画伴奏をはじめ,帝国ホテルなどにおけるサロン音楽演奏のオーケストラのメンバー,浅草の劇場でのオペラ演奏楽団員,横浜鶴見にあった花月園ダンスホールの専属バンドのメンバーとして活動した.これが昭和に入ると,カフェーやダンスホールなどでのジャズ演奏家に転じるものも出てきて,日本ジャズ創世期を担った.4. 結論「船の楽士」は,現在でいうところの「ジャズ」を完成された形で輸入したわけではなく,その時々に流行したダンス音楽の影響を受け,ジャズに転じたことが明らかになった.また,横浜は,海外からの文化の出入り口であったが,外国人が文化をもたらすだけでなく,横浜港から海外に出て行き,帰ってきた日本人によって海外の文化が日本にもたらす場としての二面性を持っていたことも明らかになった.〔文献〕大森盛太郎(1986) 『日本の洋楽1』新門出版社瀬川昌久+柴田浩一(2015) 『日本のジャズは橫浜から始まった』一般社団法人ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館武石みどり(2006) 「ハタノ・オーケストラの実態と功績」お茶の水音楽論集 2006-12 お茶の水女子大学
著者
高根 雄也 近藤 裕昭 日下 博幸 片木 仁 永淵 修 中澤 暦 兼保 直樹 宮上 佳弘
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

本研究では、地表面からの非断熱加熱を伴うハイブリッドタイプのフェーンが、風下末端地域の高温の発生に寄与しているという仮説を、3つの異なる手法・視点:独自観測・数値シミュレーションによる感度実験・過去データの統計解析から検証した。このタイプのフェーンは、1)典型的なドライフェーン(断熱加熱)と、2)地表面からの加熱(非断熱加熱)の複合効果によって生じる。フェーンを伴うメソスケールの西寄りの風に沿った地上気象要素の現地観測により、1)の典型的なフェーンの発生が確認できた。このフェーン発生地の風下側の平地における2)地表面からの非断熱加熱の効果に関しては、風下の地点ほど温位が高くなるという結果が得られた。そして、その風下と風上の温位差がフェッチの代表的土地利用・被覆からの顕熱供給(地表面からの非断熱加熱)で概ね説明可能であることが、簡易混合層モデルによるシンプルな計算にから確認できた。この非断熱加熱の存在を他の手法でより詳しく調査するため、WRFモデルによる風上地域の土壌水分量の感度実験、および過去6年分の土壌水分量と地上気温、地上風の統計解析で確認した。その結果、風上側の地表面から非断熱加熱を受けた西寄りの風の侵入に伴い、風下の多治見が昇温していることが両手法によっても確認された。この地表面加熱を伴うハイブリッドタイプのフェーンが、この風の終着点である多治見の高温に寄与していると考えられる。
著者
中山 絵美子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2008年度日本地理学会秋季学術大会・2008年度東北地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.137, 2008 (Released:2008-11-14)

はじめに 身の丈にあまる積雪がある地域では、どのように雪に対処しているのだろうか。長野県飯山市において、市街地では流雪溝を設置しているが、郊外では除雪機と併せて融雪池“タネ”を活用している家庭がある。“タネ”とよばれる池は、農具や野菜の洗浄用、観賞魚の養殖用、防火用など、多様に使用され、さらに冬季には“冬ダネ”も併設して除雪用に利用されている。“冬ダネ”は、秋の農作業が一段落すると、家の周りに掘って作られ、春の農作業始めには埋め戻される、深さ30cmほどの池である(第1図)。現在では、“タネ”をコンクリート張りにし、冬になる度に“冬ダネ”を設ける家庭は減少しているが、“タネ”そのものは除雪機の補助的な役割として、現在でも消雪に活用されている。 “タネ”の機能とシステム 多雪環境のもとに暮すには、とりわけ屋根雪の処理が重要である。第2図は飯山市小字柄山(からやま)の、“タネ”を活用していない家屋周辺の積雪深変化の様子を示したものである。家屋の周りに雪が堆積すると、採光量が減り、また、屋根上の雪と地面の積雪がつながってしまうと、融雪時の沈降力で庇が破損するなど、家屋に被害のでる恐れがある。また、屋根から落下した雪は硬く締まり、それらを移送させる事は困難を極める。このため、“タネ”は、日当たりの悪い家の北側や、屋根からの雪がちょうど落下する位置、出入り口付近などに、施設されている。 “タネ”の水は、滞っていると融雪能力が低下するため、取り入れ口に落差を設けたり、取水口に障害物を置いたりするなどして、取り入れた水を発散させ、水を「動」の状態にするための工夫が凝らされている。 各家庭には、集落共同の用水から“タネ”に水を引き入れる。頚城丘陵沿い南向き斜面に位置する小字顔戸(ごうと)の事例では、丘陵中に湧出する清水を3箇所から集落に取り入れ、集落内を標高の高いところから低いところへ枝分かれさせ、82世帯の家屋に対する大小144個の“タネ”に通水している。 本報告では、日常の除雪作業において、限られた時間で効率良く消雪を行うために、“タネ”を活用している事例について、参与観察の結果をまじえて紹介し、多雪環境への人々の対応に関して考察する。 本研究は(財)なべくら高原森の家の協力を得て調査を行った。
著者
原 真志
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.67, no.10, pp.701-722, 1994-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
34
被引用文献数
2

都市化した住宅地域で,旧村落時代からの祭り運営が残る大阪府堺市百舌鳥梅北町5丁を対象地域に,自治会加入全世帯についての自治会関連組織に関する行動の分析,および個人単位での社会ネットワーク・社会空間の分析を行ない,地域社会特性と住民の定着の相互関係について考察した.年齢別,性別に分化した自治会関連組織は年齢の両端に位置する子供会・老人会が空間的には限定的であるが幅広い世帯属性を包摂しているのに対し,中間の青年団・秋月会はその逆である.この重層的包摂構造が住民の定着に影響を与えており,早くから社会空間を認知し組織に参加することで自治会全域という地域社会スケールでの定着がうながされる「地域社会型定着過程」と,若い間は組織に参加せず隣組およびその周辺という近隣スケールでの定着がまず進行し,後に社会空間を認知し定着範囲が広がる「近隣型定着過程」という2つの定着過程が生じていると考えられる.

3 0 0 0 OA 地誌学習再考

著者
秋本 弘章
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.27-34, 2012 (Released:2012-04-09)
参考文献数
20

日本における地誌学習を,学習指導要領を中心に検討した.日本では,児童・生徒に諸地域の実態を知識として身につけさせることを目的にカリキュラムを構成してきた.平成10年告示の学習指導要領では地域の特徴を解明する方法を学ぶことがカリキュラムの中心となった.このことに批判があったが,本来この二つは,相互に補完するものである.日本の地誌学習は欧米の地誌学習と比較した場合,特殊な面を持つが,方向性は共有している.日本の地誌学習の課題は,教育現場での実践にあるが,教員だけの問題としてとらえるのではなく,教育環境も含めた教育システムの問題としてとらえる必要がある.
著者
金 延景
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

新宿区大久保には,韓国人ニューカマーの集中居住地区であると同時に,商業業務中心地区としての性格を強く帯びたコリアタウンが形成されており,エスニック景観が顕著にあらわれている.本研究では,大久保コリアタウンの形成過程とその変容を明らかにすることを目的としている.<br> 韓国系施設は1990年代から2000年代初頭にかけて主に職安通りを中心に分布し,段階的に裏通りから表通りへ,2階以上から1階へ拡散しながら,ハングルの看板や広告を中心としたエスニック景観を形成し始めた.当時のコリアタウンでは,韓国食料品店,韓国料理店,ビデオレンタル店,不動産,美容室,教会や寺など韓国人ニューカマーに向けた韓国現地の商品や情報,そして日本の生活に必要なサービスやコミュニティを提供する場として機能していた.<br> そして,2003年ドラマを中心とした第1次韓流ブームにより,日本人観光客が急増したことで,コリアタウンは大久保通りへ拡散し,2005年頃にはコリアタウンのメイン通りとされた職安通りよりも大久保通りの方に多くの韓国料理店や韓流グッズ店が出店されるようになった.2009年のK-POPを中心とした第2次韓流ブームにより,大久保コリアタウンは一層拡大し,裏通りや2階以上へ再び拡散する一方,「イケメン通り」への出店が顕著にみられた.エスニック景観は,ハングルから日本語に変わり,韓流スターのサインやポスターを飾り,スクリーンやスピーカーを設置して映像や音楽を流すなど韓流スターを媒介としたエスニック景観へ変化した.<br> こうしたコリアタウンの変化には,第2次韓流ブームの他,2008年のリーマンショック以降,円安・ウォン高により日本人の間でブームとなった韓国旅行が影響している.2008年から2009年にかけては,一時期,大久保では比較的売り上げや客数減っていたことから,韓国の観光名所である明洞で日本人顧客が求めていた商品やメニューが積極的に投入されたとみられる.&nbsp;
著者
清水 希容子 松原 宏
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.118-134, 2014 (Released:2014-11-29)
参考文献数
22
被引用文献数
2 2

東日本大震災から3年半が経過した.本稿の目的は,大震災後の製造業の回復過程を明らかにするとともに,地域経済の復興に向けて出されてきた産業立地政策を整理することである.鉄鋼,石油精製,セメントなどの沿岸部の素材型工業は,津波による大きな被害を受け,復旧にも時間がかかった.これに対し,内陸部の電子や自動車などの機械工業では,一部でサプライチェーンを通じて内外に被害が波及した工場があったものの,被害は相対的に少なく,早い時点での回復がみられた.震災後,中小企業向けのグループ補助金,国内産業立地補助金,地域イノベーション戦略推進地域など,さまざまな産業立地政策が,経済産業省や文部科学省によりとられてきた.被害の大きかった地域への新規投資を促すとともに,広域的観点から,東北各地の回復力と地域間の連携を強化することが今後の課題といえる.
著者
東郷 正美 長谷川 均 後藤 智哉 松本 健 今泉 俊文
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.111, 2010

ヨルダン高原の北西端部に位置するウム・カイスは、古代都市ガダラに起源もつ遺跡の町である。ガダラは63 BCのポンペイウスよる東方遠征後、デカポリスの中心的都市となって大いに栄えた。しかし、749年に起こったパレスティナ大地震によって壊滅し、以後再興されることはなかったとされる。749年の大地震は、死海トランスフォーム断層に沿う活断層帯の活動で生じたM 7クラスの地震とみられている(Marco et.al, 2003など)。<BR> ウム・カイス遺跡を調査する機会に恵まれた演者らは、749年大地震のガダラ壊滅への関与を示す明確な証拠を求めて、発掘調査で露出した多数のローマ円柱に注目し、その出土特性を調べた結果、以下のような知見を得た。<BR><BR> 1)底面の縁が欠けている円柱が多数見いだされる。<BR> 2)このような底面縁に欠損部が認められる円柱を、64例見つけたが、その 多く(53例)は、円柱表面に特徴的な溶食帯(ひとつの接線に沿い一定の幅 をもって柱の両端に達するように生じている)を伴っていた。<BR> 3)このような溶食帯が上記の底面縁欠損部と対置するように発達するもの が、36例もある。<BR> 4)倒れた方向が判定できる円柱が36例あった。それらの方向性に注目する と、12例がほぼ東西方向、13例が南北方向を示し、この2方向への集中度 が高い。残りの11例はいろいろな方向に分散している。<BR> 5)倒壊した円柱とローマ時代の生活面との間に、10~数10cm、ところによ ってはそれ以上の厚さを持つ堆積物が存在することが多い。<BR> 6)倒壊円柱包含層の年代を把握するため、その上・下位層準中より年代 測 定試料を採取して14C年代測定を試みたところ、1870±40yBP、1740 ±40yBP(以上、下位層準)、1760±40yBP、1730±40yBP(以上、同または 上位層準)とほぼ同時代を示す結果が得られた。<BR><BR> 上記1)の底面縁の欠損部は、円柱が倒れる際に支点となった部分にあたり、この時柱の全過重がここに集中することで破壊が生じて形成されたと推定される。上記2)3)の溶食帯は、円柱が倒れた後、風雨にさらされてその頂部(嶺線付近)から溶食が進行したこと、しかし、溶食は円柱全面に及ぶことなく、また、浸食量も大きいところでも深さにして1cm程度であることから、円柱はまもなく埋没したものと思われる。多くの事例が以上のように同じような痕跡をとどめていることは、建物の倒壊が同じ原因で一斉に生じたことを示唆する。<BR> 上記4)は、倒壊した円柱群に、大地震の地震動による倒壊を思わせる全体的に系統だった方向性が明確に認められないことを示している。上記5)は、建物の一斉倒壊事件に先立ち、ガダラは市街地への大量の土砂に侵入を許していたことを意味しており、この時にはすでに都市維持機能は失われていたことを表している。その時代は、上記6)から4C初頭を前後する頃と推定されるので、ガダラの終焉に749年パレスティナ大地震は無関係と考えられる。
著者
岡 暁子 高橋 日出男 中島 虹 鈴木 博人
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.233-245, 2019 (Released:2019-07-03)
参考文献数
30
被引用文献数
1 1

本研究では,東京都と埼玉県を主な対象とし,15年間の夏季(6~9月)における,稠密な降水量観測網(290地点)の時間降水量データを用いて,降水域(≧5 mm/h)の局地性と広域性に着目して強雨(≧20 mm/h)発現の地域的な特性を解析した.その結果,関東山地東麓と都区部西部や北部で局地的強雨の頻度が高く,それによる降水量も多い.全強雨に占める局地的強雨の頻度割合は,都区部北部から埼玉県東部で大きく,総降水量への寄与も大きい.一方,関東山地や埼玉県西部,多摩地域では広域的な降水に伴う強雨の頻度や降水量が多い.また,南風時に都心の数十km風下側の埼玉県東部で夏季を通して局地的強雨の頻度割合が大きいことに関し,強雨発現と風系との関係を調べた.局地的強雨には基本的に風の収束が関与しており,いわゆるE-S型風系だけでなく,関東平野内陸からの北風に伴う収束や,相模湾からの南風と東京湾からの南東風との収束も重要と考えられた.
著者
中川 清隆 中村 祐輔 渡来 靖
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.163-179, 2019 (Released:2019-07-03)
参考文献数
61
被引用文献数
1 1

Summersの式はシンプルな数式でありながらプルーム型都市境界層の形成とそれに伴う都市ヒートアイランド形成をうまく説明するが,同式により予測される都市温度の水平分布は閉じた等温線を形成せず,市街地の最風下端に最高温度が出現する,という矛盾を含んでいることは自明である.この矛盾が市街地内の一様な熱源分布の仮定に起因するか否か調査したところ,例え市街地内に非一様に熱源が分布しても,熱源付近で等温線間隔が密になるものの地上気温の閉じた等温線は出現せず,市街地の最風下端が最高温度となることが明らかとなり,Summersの式が都市境界層内に冷熱源を持たないことがその原因と推測された.そこで,都市境界層内に都市温度に対応するニュートン冷却機能を付加したところ,市街地スケールおよび風速の条件によっては明瞭なドーム状の都市境界層が形成され,最高温地点が風上寄りに移動した地上気温の閉じた等温線形成に大きく近づくことが明らかになった.