著者
LAI SHANGYU 于 濰赫 池田 真利子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2023年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.233, 2023 (Released:2023-04-06)

日本統治時代を経験した台湾・韓国には,現在でも数多くの有形・無形の関連遺構が存在する。戦後,両地域の政府は戦後体制の確立のなか,日本統治時代の遺構の撤去・破壊を行った。一方で,1990年代にはこの撤去・破壊に対する市民運動が発生し,これを機に日本統治時代の遺構を文化財として認識する機運が高まり,以降,これらの遺構は「遺産化」されるようになった。また,2000年代以降の登録文化財制度の新設により,日本統治時代の遺構の文化財指定・登録は一層進み,工場や旧官僚社宅のような「大型の日本統治時代遺産」を中心に積極的な活用が行われるようになった。台湾ではイギリスの文化創造政策の影響を受けた「文化創意園区」が統治時代遺産で発展し(于・池田,2020),また群山・木浦・大邱等を例とし,韓国の地方都市では観光資源として積極的に活用される場合もある。これらの文化遺産を巡る視点は,双方の国の戦後体制において流動的に変化し,また1990年代の台湾本土化運動では台湾のアイデンティティの一部として受容され,新たに意味付けられる側面も確認される。 さて,日本統治時代遺産に関する文献や先行研究は複数あるが,これらは大型の日本統治時代遺産に注目したものが主体であり,また,地権者が民間・個人に帰属するため,保存・活用の難しい「リトルビルディング遺産」を扱った文化遺産学的研究はない。また,文化遺産を巡る視点が絶えず変化し,せめぎあうなかで,「リトルビルディング遺産」の利用者は,なぜ,どのような視点に基づき,どのようにそれらを利用しているのか等,関係主体へのヒアリング調査が極めて意味を有する一方で,台湾・韓国においてもこれらの研究は不足する。 したがって本稿の研究目的は,台湾・韓国における日本統治時代遺産を対象として,その形成背景と保存の経緯を概観するとともに,なかでも延べ面積が100坪以内であり,住宅用途以外で使用される「リトルビルディング遺産」に焦点を当て,利用の現状を明らかにすることである。 本研究は,文献調査(先行研究や報告書の現地入手),データベース作成(各文化省データベースのほか,書籍,Web情報),現地調査の順に行った。また現地調査では,計14件の半構造化インタビュー調査(所要時間40分~1時間程度)を行った。本研究対象地域は,いずれも旧日本人高級住宅街として形成された台北の旧御成町・旧幸町,およびソウルの厚岩洞(以下,旧三坂通)である。 本研究では,台湾,次に韓国で日本統治時代遺産の保存・活用の体制が整備されたこと,そしてこれらは大型の日本統治時代遺産に顕著であるのに対し,リトルビルディング遺産は民間において都市開発の回避や景観条例の制限等の結果,消極的かつ偶発的に残されていること,またこれらを使用する動機として日本統治時代の遺構であることは弱く,同様に流動的な対日感情がこれらの利用に影響を与えてはいないこと等が明らかとなった。論争的な側面を有する植民地遺産の一例は,保存・活用を自明のものと捉える態度に疑問を投げかける。他方で,これら有形の遺構は,日常的に使用されることで結果的に残され,過去の歴史的記憶の参照を可能とする。
著者
後藤 拓也
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100308, 2017 (Released:2017-05-03)

インドにおいては、1990年代以降の経済発展によって食肉生産量が顕著に増加し,全国的に畜産地域の形成が進んでいる。このような趨勢は,インドにおける「緑の革命」や「白い革命」になぞらえて,研究者らによって「ピンク革命」と呼ばれる。なかでもインドでは,牛肉や豚肉に比べて宗教的制約を受けにくい鶏肉の生産拡大が著しく,鶏肉部門は2005年に水牛肉部門を抜いて,インド最大の食肉部門へと成長した。このような状況にもかかわらず,インドの鶏肉産業についての研究は,インド人研究者らによる南インドを対象とした経営学的研究や,USDAによる報告などにとどまり,地理学的な視点に基づいた実証的研究は,いまだ十分に得られていないのが現状である。先行研究によれば,インドの鶏肉産業には南北で大きな地域的差異があり,養鶏業に適した諸条件を持つ南インドに比べて,養鶏業に有利でない北インドでは産地形成が遅れているという認識が一般的であった。ところが2000年代以降,北インドでも急速に産地形成が進み,ハリヤーナー州では全国的にも突出したブロイラー飼養羽数の増加率が認められる。   本研究では,①インドの鶏肉産業がどのようなメカニズムで発展し,南北間の地域的差異が形成されたのか,②もともと養鶏業に有利でないとされる北インドのハリヤーナー州において,いかなるメカニズムで鶏肉産業が発展したのか,③北インドの鶏肉生産を支えるハリヤーナー州のブロイラー養鶏地域(および養鶏農家)は,どのような存立基盤のもとで成り立っているのか,という3点を地理学的視点から明らかにしたい。  1990年代以降,インドの鶏肉産業を主導してきたのは,Hatcheriesと呼ばれる大手孵卵企業群である。これら大手孵卵企業は,Improvedと呼ばれるブロイラーの改良品種を1980年代に相次いで開発し,それらが1990~2000年代にインド全土に普及した。なかでも,インド最大手の孵卵企業Venkys社が開発した新品種Vencobbは,現在インドで生産されるブロイラーの約65%を占める。Venkysの支社が立地するハリヤーナー州ではこのVencobbの普及率が高く,これがブロイラー農家の生産性や収益性を向上させ,1990年代以降の急速な産地発展につながったことが窺える。   さらに,北インドの鶏肉産業が発展した背景として重要なのは,1992年におけるデリーでの鶏肉卸売市場(ガジプール市場)の開設である。このガジプール市場では現在,87の鶏肉卸売業者がブロイラーの生鳥集荷に携わっている。2015年12月に実施した聞き取り調査によれば,それら業者の大半がハリヤーナー州からの生鳥集荷に依存しており,ハリヤーナー州はデリー首都圏への鶏肉の一大供給拠点となっている。しかし多くの業者は,ナシックやムンバイなど1,200kmも離れた産地からブロイラーを集荷するなど,市場の集荷圏がきわめて広範囲に及んでいることも判明した。   ハリヤーナー州におけるブロイラー養鶏地域の実態を把握すべく,デリー近郊のグルガオン県に所在するブロイラー養鶏農家に対し,2016年2月に聞き取り調査を行った。その結果,殆どの農家がVenkys社の新品種Vencobbを導入しており,しかも多くの農家がこれまで複数回にわたって品種を変えるなど,生産性や収益性を求めて試行錯誤を行ってきたことが明らかになった。また対象農家の殆どが,2010年頃まではガジプール市場に生鳥を全量出荷していた。しかし近年,多くの農家がより良い販売条件を求めてローカル市場(グルガオン県マネサール)に出荷先をシフトしている。さらに,対象農家の殆どが州外からの出稼ぎ労働者にブロイラー飼養を担当させ,自らは野菜栽培に専念するなど,ブロイラー飼養が農業経営の一部に巧みに組み込まれていることが判明した。
著者
栗山 絵理
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.423-437, 2023 (Released:2023-12-06)
参考文献数
16

2022年4月から全国の高等学校で「地理総合」が必修化された.それにともなって変わった学習内容や評価の在り方を踏まえ,初年度の実践に基づいて「地理総合」を通じて育成したいコンピテンシーを考察した.その結果,①地図や地理情報システムを的確に使いこなし,学習を通じて獲得した地図活用技能を,学習者が継続的に運用できること,②設定されたルートを正しく歩き,地理的観察によって得られた場所に関する特徴を的確な地名や数値を踏まえて文章で説明できること,③主題を設定して,課題を追求したり解決したりする活動を協働的な学習を通じて考察できること,の3つのコンピテンシーの育成に本授業実践は貢献できたと考える.
著者
石塚 利孝 鹿島 薫
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.59, no.4, pp.205-212, 1986-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
4

Lake Ogawara is located in the eastern part of Aomori Prefecture, north Japan. The authors obtained the Holocene lake sediments by all-cored borings at two sites of lake-side lowland, and presumed the Holocene water level changes of Lake Ogawara through diatom analysis of the sediments. At the Loc. A near the Chushi (I) shell-mound site formed early to middle Jomon period, the succession of three diatom zones can be subdivided. Zone I (-1.8_??_+1.0m); marine species constitute about 90%, and Paralia sulucata, Diploneis smithii are dominant. Zone II (+1.0_??_+2.6m); the rate of marine species decreases from lower to upper horizon, and Cyclotella striata v. subsalina, which lives in brackish lagoon, is dominant. Zone III (+2.6_??_+5.0m); fresh water species accounts for more than 90%, and marine species cannot be observed. Navicura radiosa, Fragilaria construens and Eunotia veneris are dominant. At the Loc. B near Futatsumori shell-mound site formed early to middle Jomon period, the succession of three diatom zone can be subdivided. Zone I (-0.5_??_-0.0m); Cyclotella striata v. subsalina accounts for about 50%. Zone II (0.0_??_+3.0m); fresh water species constitute more than 90%. Navicula radiosa, Melosira ambigua, which live in fresh-water pond, are dominant. Zone III (+3.0_??_+5.0m); fresh water species constitute more than 90%. But Eunotia veneris, which lives in a boggy environment, is dominant. On the basis of the result of diatom analysis, 14C date and tephrochronology, water level of Lake Ogawara was 2m higher than that of present about 4, 500_??_5, 000 y. 8. P., and it had lowered to the same level as present till 3, 500 y. B. P.. Since then water level has been stable.
著者
後藤 拓也
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.7, pp.369-393, 2001-07-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
33

選択的拡大部門における拠点開発的な産地形成論は,わが国の周辺地域に「周辺型食料生産基地」の形成を促した.輸入農産物の急増によって,これち周辺型食料生産基地が著しい再編成を迫られることが,既存研究でたびたび予測されてきた.こうした議論に対する実証的回答を得るべく本稿は,国際化による顕著な再編成がいち早く現れた南九州ブロイラー養鶏地域を事例に,その再編成メカニズムを検討したものである. 1973年り畜産危機以降も垂直的統合を維持した一部的総合商社は,南九州を解体品供給地域と位置づけ,南九州養鶏地域の肥大化を促進してきた.しかし,輸入鶏肉急増による解体品価格の下落で, 1990年以降の南九州養鶏地域は急速な再編成を迫られる.南九州のうち宮崎県では1990年以降,全国有数のプロイラー飼養過密地域である児湯地域が急速な衰退を呈するが,それを規定した三つの要因が地域レベルで確認された.それは(1)飼養過密性に起因する生産低下,(2)大手ブロイラー処理場による集鳥戦略の変化,(3)低収益性と施設資金償還に起因する児湯地域内236農家の顕著な対応分化であり,これらの複合的作用が地域的差異を伴う再編成を進行させたのである.その一方,養鶏地域形成を主導した総合商社は,再編成において必ずしも中心的役割を果たさなかった.このように,国際化による南九州養鶏地域の再編成は,輸入鶏肉にに因する解体品価格の下落が,地域レベルに内包されていた低生産性を顕在化させるという,複層的メカニズムとして解釈できる.っまり・周辺型食料生産基地の再編成は国際化によって一面的に起因されるのではなぐ,地域レベルにおける飼養過密性の問題と,それに対処せざるを得ない処理場による集鳥戦略の変化が,きわめて重要な役割を果たしたと指摘できる.
著者
湯澤 規子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.74, no.5, pp.239-263, 2001-05-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
30
被引用文献数
1

本稿では生産者の生活と紬生産との関わりを視野に入れて,結城紬生産地域における機渥の家族内分業の役割を明らかにすることを目的とした.その際,織り手の生活と紬生産の全体像をとらえるため,ライフヒストリーを分析対象とし,考察を進めた.結城紬生産地域では, 1980年頃まで年間約3万反に及ぶ結城紬が安定的に生塵されてきた.そこでは,生産関連業者が原料や製品の流通,加工を分業しており,さらに機屋と呼ばれる製織業者における生産工程は家族内分業によって担われている.機屋においては「織り」,「緋括り」,「下椿え」という三っの生産工程が存在し,妻が織り,世帯主が緋を括り,世帯主の父母が下持えに従事するというような家族内分業がみられる.結城紬の生産工程はすべてが手作業で行われ,緋括りや織りなど,特定の技能が要求される.家族内分業は,緋の括り具合や糸の織り込み具合など,生産者一人ひとりが持っ技能上の特徴に規定されており,その特徴は生産者の間でお互いに把握されていることが重要である.また,家族構成員の数や構成員それぞれの性別,年齢の違いなどは家族内における紬の生産環境に影響を与えており,それによって家族内分業にも違いがみられる.紬生産に従事している家は,農作業や家庭内で営まれる家事・育児を含めた労働力需要を家族労働力で調節する中で紬生産を行っている.長期的にみれば,家族構成員の出生や死亡,就学,就職,結婚などによって変動する家族労働力構成に対応して,紬の生産形態を変化させる例もみられる.本稿ではそのような生活と紬生産間の調節を家族内分業の柔軟性によるものと考えた.家族内分業には上記のような,農作業や家事労働との調節が含まれているため,紬生産の経営形態転換時においても,農作業や家事に従事する家族労働力の有無が直接的に影響を及ぼしていた.そのため,経営形態転換時の対応は各機屋ごとに多様であった.各機屋の多様な動向は,経営転換,廃業という行動が,外部からの経済的影響によって生じるというよりは,外部からの経済的影響がある中で,さらに各機屋が有する家族的な条件に規定されて生じていることを示している.
著者
堀 和明 清水 啓亮 谷口 知慎 野木 一輝
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.93, no.3, pp.193-203, 2020-05-01 (Released:2023-02-19)
参考文献数
19

石狩川下流域には自然短絡で生じた小規模な三日月湖が多数分布する.本研究では調査者自身が容易に扱える,エレクトリックモーターを取り付けたゴムボートおよびGPS付き魚群探知機を用いて,5つの湖沼(ピラ沼,トイ沼,月沼,菱沼,伊藤沼)の測深をおこない,湖盆図を作成した.また,表層堆積物を採取し,底質分布を明らかにした.すべての湖沼で水深の大きい箇所は河道だった時期の曲率の大きな湾曲部付近にみられた.ピラ沼や菱沼,伊藤沼の湾曲部では内岸側に比べて外岸側の水深が大きく,蛇行流路の形態的特徴が保持されている.一方,トイ沼北部や月沼は最深部が外岸側に顕著に寄っておらず,全体的に水深や湖底の凹凸も小さい.このような特徴は埋積開始時期の違いを反映していると考えられる.すべての湖沼でシルトや粘土による埋積が進んでおり,特にピラ沼と菱沼の水深の大きな地点では有機物を多く含む細粒土砂が表層に堆積していた.
著者
松岡 農
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2023年日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.141, 2023 (Released:2023-09-28)

1.研究経過 松岡2022は,東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)後に,仙台市若林区の災害危険区域である荒浜地区で展開される震災伝承活動について,震災伝承施設を用いた行政による活動と元住民による活動の双方に着目し,2020年から2021年かけて調査を行った。この結果,災害危険区域に立地する震災伝承施設には,震災以前の地域の景観や生活のすがたを記録,展示する機能,いわば「地域伝承」の機能が,他の地域に立地する震災伝承施設に比べ,充実していた。しかし,荒浜地区の震災伝承施設には元住民が来訪者と対話し,語り部活動等に取り組む機能,いわば「体験対話」の機能は設けられていなかった。その一方,居住が禁止された災害危険区域では,元住民が住宅の跡地に活動拠点を設け,その拠点に通うことで,休日を中心に来訪者との対話を中心とした震災伝承活動に取り組んでいた。このように,災害危険区域では行政と元住民の2者がいわば役割分担するかたちで震災伝承活動に取り組んでいた。しかし,両者は区域内に別々に拠点を有し,両者が連携した活動も無いに等しい実態であった。この背景には,震災後の災害危険区域指定をめぐり,行政と元住民が対立し,結果的に元住民が集落の現地再建を断念したという経過があった。この結果から,松岡2022は行政が震災伝承施設に「地域伝承」の機能を設け,元住民に一定の配慮を示した一方,未だ行政と元住民が協力関係を構築できていないことを指摘した。そして,2021年時点で,行政が災害危険区域で進める防災集団移転跡地利活用事業により,集落の痕跡の消滅と,震災の記憶の風化が進むと考えられるなかで,元住民が取り組む対話を中心とした震災伝承活動が岐路に立たされていると主張した。 本報告は,2023年に改めて荒浜地区で実施した現地調査をもとに,災害危険地域における土地利用と地域で行われる震災伝承活動の変容を明らかにする。2.集落の痕跡の消滅と震災伝承施設の充実 震災以前の荒浜地区は,東側の大字荒浜は半農半漁村,西側の荒浜新1丁目・2丁目は仙台市郊外のニュータウンとしての性格を持つ集落であった。しかし,津波により集落全域が壊滅したのち,行政が2011年12月に荒浜地区全域を災害危険区域に指定し,元住民の所有地を原則としてすべて買い上げ,内陸部に防災集団移転させた。そして,行政は買い上げた荒浜地区において,防災集団移転跡地利活用事業を進めた。しかし,2020年9月時点では荒浜新1丁目・2丁目に県道10号線の嵩上げ道路(東部復興道路)や避難の丘,JR東日本の関連企業が運営する観光果樹園(ただし,一般向けの営業開始は2021年3月)が整備されたが,大字荒浜の大半は未利用地であり住宅基礎や外壁の一部が残されていた。 2023年の調査の結果,未利用地は防災集団移転跡地利活用事業で計画された市民農園やバーベキュー場を造成するために更地となり,集落の痕跡は震災伝承施設として保存された一部を除き,消滅した。一方,荒浜地区の震災伝承施設は,2023年1月に展示を改装し,元住民が荒浜地区に対する複雑な思いを語る動画が新たに展示され,「地域伝承」の機能がより充実した施設となった。しかし,行政と元住民の関係に着目すると,未だ両者の協力関係は構築されたとは言えない状況であった。
著者
河本 大地
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2023年日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.86, 2023 (Released:2023-09-28)

中山間地域におけるジオパーク設立の意義と課題を、ルーマニアの「ブザウの地ユネスコ世界ジオパーク」の事例を中心に検討する。
著者
村越 貴光
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2023年日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.63, 2023 (Released:2023-09-28)

I. はじめに これまでの研究(伊藤2003;橋詰ほか2005)では,地名認知は居住地からの距離減衰効果が働いており,鉄道の路線網,他人からの口伝えも影響していることが明らかにされている.しかしながら,それらの認知理由は,調査対象者の実証分析が不十分である.そのため,実際に通学途中や居住経験での地名認知については詳しく解明されていない.また,従来の空間認知研究のアンケート用紙は,白地図に番号を振っただけであり,全体的に位置認知の回答率が低い傾向である.駒澤大学の学生は,出身地が東京都,かつ現在の居住地も東京都である学生が少なく白地図のみでは位置認知の回答が難しいと判断した.そのため,地理的な事象を白地図に記載すれば,地名認知に影響すると考え,鉄道路線とランドマークを記載した.大学生を対象とした東京都の空間認知研究は少なく,大学生は中学生,高校生よりも行動圏が広いため,広範囲の地名を認知していると考えられる.地名認知研究の多くは2000年代以前であり,現在と比較すると,スマートフォンが普及し,SNSやメディアによって大学生の情報ツールが変化している.本研究では,駒澤大学の学生を対象とし,地名認知理由に着目して東京都の地名認知調査を行った.II. 研究方法 伊藤(2007)は,駒澤大学の学生に東京の地名認知調査を行っているが,筆者の担当科目「人文地理学」の受講生を対象とした.その対象者は,地理学に興味のある学生が多く受講していると考え,地理学に精通していない学生にも調査した網羅的な研究が必要と考えた.そこで,2022年9月に,協力が得られた専門教育科目,教職課程,教養科目の講義で,受講学生を対象に,20分程のアンケート調査を行った.認知の対象としたのは,東京都の島嶼部を除く53市区町村である.アンケート調査では,回答者が知っている地名を10個回答し,知っている理由を選択肢から1つ選んだ.また,回答した地名の位置を調査用紙の白地図の番号で回答し,その理由も選択肢から1つ選んだ.アンケートの白地図に,地下鉄以外の鉄道路線と本研究の事前調査で多くの回答が得られたランドマークを記載した.事前調査は,「東京都のランドマークといえばどこですか」という設問を設けた.アンケート回収数は438で,有効回答数は355であった.III. 結果名称認知率を見ると,駒澤大学が東京都世田谷区にあることから,世田谷区の地名の認知率が他の市区町村と比較すると極めて高い.多摩地区は,町田市と八王子市を除くと,東京23区と比較すると認知率が低い.東京23区は網羅的に認知されており,特に,新宿区,渋谷区が認知され,墨田区,港区の認知率も高い.名称認知理由は,訪問経験,居住経験,メディア・SNSが見られた.位置認知に関しては,名称認知と比較すると回答率は低い。つまり,名称は認知していても位置まで認知していないことが明らかになった.位置認知理由に関しては,訪問経験,居住経験,白地図にランドマーク,鉄道路線図を載せたことが認知に影響している.つまり,位置についてはヒントがあれば回答できることが判明した.事前調査で得られたランドマークは,大学生の余暇活動に関連する場所であり,位置まで回答できたと考えられる.回答者の居住地別の地名認知を見ると,居住地からの距離減衰が確認できた.多摩地区居住者に関しては,JR中央線が認知境界線であり,中央線を含む南部地域が顕著に認知されていた.多摩地区居住者以外は,東京23区を中心に地名認知されていた.また,多摩地区の地名認知は,主に八王子市と町田市の認知率が他の多摩地区の市町村と比較すると高いことが分かった.
著者
中條 暁仁 梶 龍輔
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2023年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.54, 2023 (Released:2023-04-06)

近年,地域社会とともにあり続けた寺院が消滅していくとする指摘がなされている。一般に,寺院はそれを支える「檀家」の家族に対する葬祭儀礼や日常生活のケアに対応することを通じて地域住民に向き合ってきた。しかし,中山間地域などの人口減少地域を中心に家族は大都市圏へ他出子(別居子)を輩出して空間的に分散居住し,成員相互の社会関係に変化を生じさせているため,いわゆる「墓じまい」や「檀家の寺離れ」などが出現している。こうした諸事象は現代家族の変化を反映するものであり,寺院の動向を追究することによって社会や家族をめぐる地域問題の特質に迫ることができると考えられる。 一方,既存の地理学研究をふりかえると,寺院にとどまらず神社も含めて宗教施設は変化しない存在として扱われてきた感が否めない。寺社をとりまく地域環境が変化しているにも関わらず,旧態依然の存在として認識されているように思われる。宗教施設もまた,地域の社会や経済の変化による作用を受けていることを指摘するのも本研究の問題意識である。 そこで本報告では,実際に解散や合併に至った寺院がどの程度存在するのか,それはどのような地域で生じているのかなどを検討する。また統廃合後の寺院の実態にも言及したい。 発表者は,中山間地域など人口減少地域に分布する寺院をとらえる枠組みを,住職の存在形態に基づいて時系列で4段階に区分し提起している。住職の有無に注目するのは,住職の存在が寺檀関係(寺院と檀家との社会関係)の維持に作用し,寺院の存続を決定づけるからである。 第Ⅰ段階は専任の住職が常住しながらも,空間的分散居住に伴い檀家が実質的に減少していく段階である。第Ⅱ段階は檀家の減少が次第に進み,やがて専任住職が代務(兼務)住職となり,住職や寺族が寺院内に居住しない段階である。第Ⅲ段階は,代務(兼務)住職が高齢化等により当該寺院の業務を担えなくなるなどして実質的に無住職化に陥ったり,代務住職が死去後も後任の(専任あるいは代務の)住職が補充されなくなったりして無住職となる段階である。そして,第Ⅳ段階は無住職の状態が長らく続き,境内や建造物も荒廃して廃寺化する段階である。 このうち,本報告では第Ⅳ段階にある寺院を対象とする。現代においては宗教法人の煩雑な解散手続きまでには至らずに,少数かつ高齢による檀家の管理が行き届かずに,建造物や境内が荒廃し放置された寺院が過疎地域を中心に増加し続けていると考えられる。ただ,こうした寺院は統計的には把握されていないため,本報告では実際に宗教法人としての解散手続きを経て廃寺や合併に至った寺院を対象とする。 本報告で検討するデータは,寺院の統廃合に関する情報を取りまとめていたり,宗派内で公表したりしている曹洞宗・日蓮宗・浄土真宗本願寺派の3派から得られた。これまで解散や合併に至った寺院が個別に報告されることはあったが,それを体系的・経年的に明らかにされることはなかったため,主要宗派からデータが得られたことの意義は大きい。寺院を対象とする研究の遂行にあたっては,寺院の運営に関する詳細な情報,および原則非公開となっている各宗派組織における宗務データの収集が必須である。これまで本報告で目指ざす研究の実践は,対象者の協力が得られなかったために困難を極めたが,近年の寺院を取り巻く環境変化に呼応して各宗派組織が積極的に実態把握に努めるようになっており,データの収集が可能になりつつある。本報告は,これらの前提条件が満たされたことにより可能になったことを断っておく。 本報告では曹洞宗・日蓮宗・浄土真宗本願寺派における寺院の統廃合を検討する。比較可能な1980年代以降をみると,2010年以降解散や合併に至った寺院が顕著に増加していた。地域的には,80年代から過疎の進行した地方圏で目立っていたが,2000年以降は大都市圏にまで拡大している。ただ,宗派によって寺院の分布は異なるため,寺院が集積する地域ほど統廃合件数が増える傾向はある。しかし,こうした中にあっても過疎指定地域で当初多く見られたものが,現在は非過疎地域にまで広く及んでいる点は地域社会の空洞化との関連が指摘できる。また,宗派によって寺院単独の解散と合併による解散の相違があり,地域性と同時に宗派性を加味する必要がある。 中山間地域にある解散寺院の場合,建造物の内部に保管されていた仏像・仏具は合併した寺院に移されていたが,建造物本体は解体費用の負担が生じるため,朽ちて近隣住民に危険が及ばない限り放置されていた。また,解散して数十年以上経過した寺院のなかには,合併寺院や元檀家が資金を出し合って建造物を撤去整地している例もあった。跡地は共用施設に利用されたり,元檀家が石碑を建立してかつての所在を明示していた。
著者
青山 雅史 小山 拓志 宇根 寛
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.87, no.2, pp.128-142, 2014-03-01 (Released:2019-07-12)
参考文献数
48
被引用文献数
2 1

2011年東北地方太平洋沖地震で生じた利根川下流低地における液状化被害の分布を詳細に示した.本地域では河道変遷の経緯や旧河道・旧湖沼の埋立て年代が明らかなため,液状化被害発生地点と地形や土地履歴との関係を詳細に検討できる.江戸期以降の利根川改修工事によって本川から切り離された旧河道や,破堤時の洗掘で形成された旧湖沼などが,明治後期以降に利根川の浚渫砂を用いて埋め立てられ,若齢の地盤が形成された地域において,高密度に液状化被害が生じた.また,戸建家屋や電柱,ブロック塀の沈下・傾動が多数生じたが,地下埋設物の顕著な浮き上がり被害は少なかった.1960年代までに埋立てが完了した旧河道・旧湖沼では,埋立て年代が新しいほど単位面積当たりの液状化被害発生数が多く,従来の知見とも合致した.液状化被害の発生には微地形分布のみならず,地形・地盤の発達過程や人為的改変の経緯などの土地履歴が影響を与えていたといえる.
著者
原 裕太
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.70-86, 2021 (Released:2021-03-03)
参考文献数
50
被引用文献数
4 3

中国では,環境汚染,内陸水産養殖業の急速な発展にともなう水田環境の喪失,農村部の貧困問題を改善するため,新たな農業のかたちが模索されている.中でも近代的な稲作と水産養殖の統合は,地域経済を発展させつつ水田環境と生態系を保全するための有効な方法の一つとして注目を集めている.一方,多くの地域では,依然として水田養殖の普及率は低い.その要因として,野生種の生息域内外ではその動物の養殖業の競争力に地域差があること,養殖動物の消費需要の地域的偏りと生育に必要な気候環境が制約条件になっていること,都市部の消費者の間で,水田養殖に関する生態学的なメリットやブランドの認知が広がっておらず,付加価値の創出に課題を抱えていること等が挙げられる.加えて,今後の課題として,養殖に導入された種による陸水域生態系への影響と,食の嗜好変化によって伝統的な方法を維持する中国西南地域へ近代的な水田養殖が無秩序に拡大すること等も懸念される.
著者
矢野 桂司
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.64, no.6, pp.367-387, 1991-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
56
被引用文献数
5 6

Wilsonのエントロピー最大化モデル以降,さまざまな空間的相互作用モデルが開発されてきた(石川, 1988). 従来,これらモデルの類似性については部分的に指摘されてきたが,それらを技術論的に統合しようと試みたものはみられない.本研究は,これらの新しい空間的相互作用モデルを,最尤法に依拠する一般線形モデルの枠組みによって統合した.そして,一般線形モデルの代表的な汎用ソフトであるGLIMを用いて, 1) 対数正規型重力モデル, 2) ポアソン重力モデル, 3) エントロピー最大化モデル, 4) 競合着地モデル, 5) 対数線形モデル,のキャリブレーションを,簡単な数値例を用いて示した.このような一般化の結果,近年展開されているさまざまな空間的相互作用モデルのキャリブレーションに関する技術論的な問題は,あまり重要でないことがわかった.むしろ,対象とする空間的相互作用システムのモデル化に対して,発地区,着地区あるいは当該地区間の関係を示す変数として,,どのような変数を採用し,モデルを特定するかといった概念化が,今後の空間的相互作用モデル研究の重要な課題となることを指摘した.
著者
平松 晃一
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.89, no.6, pp.283-302, 2016-11-01 (Released:2019-10-05)
参考文献数
57
被引用文献数
1

本稿は,建造物や景観の保存によって過去を示すとされるヘリテージの創出において,保存建造物はどのように選択されるか,また過去がどのように示されるかを明らかにする.事例とする象の鼻パークは,2009年,「横浜港発祥の地」をテーマに創出されたヘリテージである.象の鼻パークは,さまざまな公的事業によって,次々と新たな役割を課せられた.このため,個々の建造物の存廃決定過程において,歴史的な価値づけは,美的,経済的な価値づけとの対立を回避するよう,柔軟に変化しながら行われた.その結果,保存建造物の選択は,ヘリテージ全体にはたらく意図にのみ従うのではなく,流動的なものになり,個々の選択との整合性を図るためにヘリテージ全体の価値づけが見直されることもあった.また,象の鼻パークで示される過去は,計画の途上いつでも,さまざまな基準で取捨選択でき,さまざまなかたちで示すことができる可鍛性の高い資源として利用された.
著者
横山 智 高橋 眞一 丹羽 孝仁 西本 太
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.291-308, 2023 (Released:2023-08-18)
参考文献数
38
被引用文献数
3

本研究は,ラオス北部の盆地に位置するラオ族が設立した2村において,人口動態と水田所有の変化を3世代にわたって明らかにした.1970年代以降,政府の政策により高地から低地への移住が進められたが,研究対象地域では新しく水田を造成する土地は限られていた.したがって,高地から移住してきた住民であるクム族の多くは,水田を得ることができず,高地に住んでいた時と同様に自給自足的な焼畑農業を継続していた.1970年代以降の水田所有の変化を追跡したところ,水田を入手する一般的な方法は,離村した住民から水田を購入することであり,多くの住民は,その機会を待ちながら,水田の購入資金を準備するために都市へ出稼ぎに行くことが常態化するようになった.このような低地の盆地農村における高地からの移住者は,水田の少ない盆地にとどまるか,都市に移住するかの選択を迫られており,また高地と都市との移住の中継点として盆地農村が機能している.
著者
三浦 尚子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.94, no.4, pp.234-249, 2021-07-01 (Released:2023-02-19)
参考文献数
61
被引用文献数
5

本稿は日本の精神医療改革の新たな理念となる「地域移行」を,M. セールのエクスティテューションextitutionという施設/制度の対置概念を用いて,病院施設/医療制度の「内」と「外」を組み合わせて考察するものである.「地域移行」とは,長期在院者が相談員などの病院外の制度に帰属する者と共に,「閉鎖性」の病棟から「開放性」の病棟,病院近隣,前住地へと向かう多元的なプロセスであり,長期在院者は外の日常世界に慣れることでトラウマを軽減させ,人間としての尊厳を回復させている.ただし,「地域移行」は実際のところ行きつ戻りつの進捗で,国が想定する支援期間よりも時日を要するものであった.「地域移行」に参与する相談員の不足,基礎自治体ごとに異なる対応に加え,精神科病院の偏在とそれを活用した「転院システム」が存在する東京都では,長期在院者や相談員らの努力と偶有的な状況に依拠することで「地域移行」の実現が可能となっている.
著者
池口 明子 横山 貴史 橋爪 孝介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2019年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.188, 2019 (Released:2019-03-30)

磯焼けへの対応には藻場造成と漁業のシフトがあり,漁家は後者を迫られることが多い.日本では各種補助金による漁場整備,資源増殖のほか,代替魚種の資源化,観光化など多岐にわたる事業が実施されている.気候変動への順応をテーマとするコモンズ論では共時的制度の記述から,通時的な制度変化の分析を重視するようになっている.分析概念として,漁業者の生態知を核とした生態-社会関係が用いられる点で,生態地理学と接合しうる.ガバナンス論はより広い政治的文脈や行政の再編に制度変化を位置付けることを可能にすると考える.本報告では,磯焼けによる資源の減少や魚種交替に対応した資源管理制度の変化をガバナンスの視点から明らかにし,地理学的課題を考察する.2017年7月,10月に長崎県小値賀町,2018年9月に北海道積丹町,寿都町において漁協・自治体水産課に聞き取り,および事業報告書等の資料収集をおこなった.また小値賀町では漁業者12名に漁法選択を中心に聞き取りをおこなった.2.磯焼けへの順応と漁村・漁場磯焼け,およびその認知の時期は地域によって異なる.積丹町では1930年頃,小値賀町では1990年頃に漁業者が認識している.したがって漁法選択や生業選択のあり方は,その時期の地域社会が置かれた状況に依存する.磯焼けで起こる資源変動も海域によって異なる.積丹町ではウニとコンブは共同漁業権漁場の水揚げの主力である.磯根資源の減少に対し,資源増殖のほか観光との結びつきを強めるなど多次元化が図られている.一方,温暖海域に位置する小値賀町では180種以上の魚種が利用されてきた.資源シフトとブランド化が磯焼けで減少した磯根資源に代わって漁家経営を支えている.3.漁法選択とガバナンスの変化:小値賀島の事例 小値賀島におけるアワビ資源管理は古くは1899年に記録があり,以来多くの取り組みがなされてきた.1966年のウェットスーツの導入で乱獲が危惧されるようになると,1976年に総量規制によるアワビの資源管理が開始された.しかし,1987年の台風被害からの復興資金として過剰な漁獲が起こった上,磯焼けで餌料不足,成熟不良となり資源減少が加速した(戸澤・渡邉2012).1996年には漁業集団・漁協・町役場・県水産センターからなる「小値賀町資源管理委員会」が発足した. アワビに代わって漁家経営を支えるようになった魚種がイサキである.1977年に夜間の疑似餌釣りが導入され,1999年にブランド化された.漁業者集団によって「アジロ」(縄張り)ルールが形成され,漁協-漁業者集団によって選別ルールが形成された.4.資源ネットワークと地域的条件 小値賀島では沖合のヒラマサ・ブリといった回遊魚が生計に重要な位置を占めるなど資源の選択肢が多い.漁協は市場との取引経験が長く,これらの資源ネットワークが柔軟性を支え,漁場と市場の学習を可能にしてきた.この背景として,共同出荷への切り替え,小値賀町の単独自治など,流通と行政の再編経験が考えられる.市場との関係を軸としたガバナンス形成は一方で,よりローカルなスケールの調整,すなわち村落組織を基盤とする紐帯や仲間関係を必要とし,新規参入という点で工夫が必要と考えられる.