- 著者
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高山 知明
- 出版者
- 金沢大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2006
近世初期における発音への関心の高まりに関する問題を中心に考察した。注目すべき点としては、五十音図の果たした役割である。五十音図はこの時期、謡曲の指南書にも多く引用されている。このことは,五十音図の普及,浸透という点から見て興味深い。すなわち,これが社会的により広く知られるようになったことを示している。しかし,謡曲においては,この当時に特有の五十音図の役割についてより具体的に明らかにする必要がある。その役割について考える上で問題となるのは,中世期から江戸期にかけて生じた諸々の音変化である。長母音の形成、四つ仮名の合流,あるいはさらにハ行子音の脱唇音化といった変化は,いずれも五十音図本来の枠組みから外れる方向を持つ。そのため,当時の知識人たちは,現実の発音と五十音図とのズレに正面から向き合わざるを得なかった。しかし,現実の発音と仮名との関係を知る上で,五十音図を座標に据えると便利である。それとのズレによって体系的な把握が可能になるからである。とくに,謡曲のようにその発音法に独特の伝承を持つ場合には,その発音法を理解する上で五十音図は必要なものであった。五十音図をあらかじめ頭の中に入れておくことによって,どこに注目すればよいかを組織立てて理解することができる。「いろは」しか持ち合わせていないとそのような理解に到達するのは容易ではない。また,当時,五十音図はさほど特殊な存在ではなく,知識層一般にとって受容可能なものになっていたからこそこのように利用できたのであろう。蜆縮涼鼓集をはじめとして,言語音そのものに対する関心が高まった社会的背景に,上述のように五十音図が重要な役割を持って使われていたことが挙げられる。また,別の問題として,近世期の状況を理解するためには、漢語の問題も重要であり、漢語の音韻的特徴についての考察は本課題の研究を今後深めるためにさらに必要になる。