著者
星 優也
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.109-125, 2018-03-01

『妙覚心地祭文』は、弘法大師空海作と伝わる祭文で、その書名自体は平安末期の嘉応二年(一一七〇)写とされる初期両部神道書『三角柏伝記』に確認できる。鎌倉期以降、各所に伝本が存在しているが、近世以降に空海仮託の偽書と見なされたことで研究は進まなかった。近年は中世神道研究において注目されており、再評価の機運が高まりつつある。本稿は以上の研究史を踏まえ、『妙覚心地祭文』前半部の祭文について、<本尊>である「尊神」「冥道」(冥衆)、そして祭文の詞章に登場する「陰陽師」、さらに弘法大師作という言説に注目し読解を試みる。初期中世神道書である『三角柏伝記』にその名が見え、平安後期以降に密教や陰陽道の神々として展開される冥道や星宿を<本尊>とし、さらに祭文に「陰陽師」が登場する『妙覚心地祭文』。本稿は、中世神道と中世仏教、中世陰陽道をクロスさせる『妙覚心地祭文』研究序説として位置づけるものである。『妙覚心地祭文』冥道陰陽師弘法大師中世神話
著者
平松 隆円
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.193-241, 2012-09

髪には、人々の身分や生き方が如実に反映されてきたという歴史から社会の変遷を読み取り、また人々のもつ無意識の戦略について論じることで、普遍的な美への志向を読み取る。化粧や髪形は時代とともに変化する。動態的には公家から武家へといった支配的地位にいる者の変化、異性から同性など、「誰のためによそおうのか」というよそおう対象の変化に伴って、表現として変化する。 本研究では、主に女性の髪に焦点を結び、髪の長さや結髪などが文化史的にもつ意味をあきらかにするとともに、それが社会的な存在であったこと、美意識はその社会性に裏打ちされてきたことなどを、男性の髪の社会的変化とともに論じる。そのなかで、俗説的に言われてきた、垂髪は平安時代の顔隠しに由来するという説や、髷は歌舞伎や遊女を真似たとする説などを批判し、文化史としてのコードを明確に読み解く。
著者
単 荷君 Hejun SHAN シャン ヘジュン
出版者
総合研究大学院大学文化科学研究科 / 葉山(神奈川県)
雑誌
総研大文化科学研究 = Sokendai review of cultural and social studies (ISSN:1883096X)
巻号頁・発行日
no.14, pp.127-144, 2018-03-31

第一次世界大戦勃発から第二次世界大戦終結までの間に、青島は2度、合わせて16年に及んで日本の統治下に置かれ、上海と中国東北地方(旧満州)に次いで、日本による対中国投資の最も重要な中心地であった。日本帝国勢力圏の拡大と共に、青島もそのなかに組み込まれ、多数の日本人が青島に渡った。これらの人的移動は、資本、技術、生活、文化の移動を伴い、近代青島に看過できない影響を与えていた。従って、青島日本人社会の誕生、発展、終焉の過程と、それと同時に生じた青島社会の変容を究明することは、青島史のみならず、近代日中関係史、更に東アジア近代史上の青島の位置づけを再確認するために、極めて重要な作業である。本稿ではドイツ統治時代、青島に進出した一般日本人居留民の経済活動と情報収集活動から、当時の青島の日本人社会の内部構造と日本人の活動の実態を論じた。特に日本人たちと植民地支配者であるドイツ人、現地中国人、そして母国日本との葛藤、連携を歴史的に検証し、ドイツ統治下の青島日本人社会の具体像と全体像を提示しようと試みる。ドイツ統治下、青島と天津、大連、上海、香港、更に海を越え、日本、朝鮮、ウラジオストクとの間に人的・物的交流が行われていた。当時海外に自由に進出することのできた一般日本人たちも、この新開地に飛び込み、300人ほどの小さな社会を形成した。しかし、従来ドイツ統治下の青島をめぐる研究は、主にドイツの膠州湾占領とドイツの植民地政策を中心に行われ、日本人社会に着目する研究はわずかである。そこで、本稿は青島日本人社会の原点に焦点を当て、まず第1章で青島に進出した日本人の人数、ルート、出身地、職業、活動区域など日本人社会の内部構造について考察する。続く第2章では、植民地支配者と現地人の間隙を縫って商業活動に従事した日本人小商人、大手商社、そして人数の最も多いからゆきさんに着目し、彼らとドイツ人、中国人との競争や共存関係をみる。更に第3章では、青島日本人が携わったもう一つ重要な活動、即ち情報収集活動を通じて、彼らと帝国日本との協力関係を検討する。そして最終章では、ドイツ統治時代の青島で暮らしていた日本人が、日本の青島占領後にどのような結末を辿ったのか、その行く末を明らかにする。Imperial Japan invaded Tsingtao twice and was dominant there for sixteen years in total. After Shanghai and Manchuria, Tsingtao was the next important area for Japan's foreign 'investment' in China. With Japan's imperialistic expansion, thousands of Japanese moved into Tsingtao, and approximately forty thousand Japanese resided there until the Second World War ended. The influx of Japanese impacted on Tsingtao's local society, for they brought with them capital and technology, and a different lifestyle and culture. However, previous studies have mainly focused on the German occupation and its policy, and little attention has been paid to the Japanese community in Tsingtao under German rule or to the relationships between German, Chinese, and Japanese during the period.This paper explores the organization and the activities of the Japanese community, while examining economic as well as information gathering activities carried out by ordinary Japanese in Tsingtao. The first section reviews the number of Japanese residents, their backgrounds, such as hometown and occupation, their motivations for moving to Tsingtao, and the routes they took to travel to Tsingtao.The second section investigates how the Japanese cooperated and competed with the Germans and Chinese, while also examining economic activities conducted by Japanese people such as petty traders, businessmen from large enterprises, and prostitutes called karayuki-san.In the third section, I attempt to demonstrate the cooperative relationship between ordinary Japanese and the imperial Japanese government, through an examination of how Japanese engaged in information-gathering activities in Tsingtao. Finally, in the last section, I will discuss the transformation of the Japanese community after the First World War.
著者
内藤 忍 花輪 陽子 羽生 祥子
出版者
日経BP社
雑誌
日経マネー (ISSN:09119361)
巻号頁・発行日
no.341, pp.24-27, 2011-04

今月号のスペシャル付録『お金持ち手帳』をプロデュースしてくださった内藤忍さんと花輪陽子さん。キーワードは「付けるだけでリッチになれる」です。どんな工夫があるのでしょうか? 活用法と効果を語ってもらいました。節約と投資をダブル記録!1年分の目標を書き込もう花輪 私が家計相談を受けていてよく聞くのが、「給料日から始まる家計簿が欲しい」という声です。
著者
畑 佳明
出版者
日本教育情報学会
雑誌
年会論文集
巻号頁・発行日
no.10, pp.154-155, 1994-07-29

教育機関におけるUNIXワークステーションの導入が加速する中で、UNIXを活用した情報教育が思考錯誤しながらも増加している。中でもUNIXの基礎/コマンド/C言語やFORTRANの実行手順などの基本操作の教育に講師が一番手間がかかっており、多くの先生方からの対処策の相談を受けていた。これに対して現状の調査を数回に渡り実施した結果、以下の教材システムを提供することでの対処を行った。この教材システムの利用により、講師の負担が軽減されてUNIXを活用した教育への取り組が増加しているとの評価も増え始めている。今後も先生方のご意見を聞かせて頂き『使いたくなる実習教材』を提案していきたい。
著者
瀬藤 康嗣 丹羽 順子
出版者
Japan Association for Cultural Economics
雑誌
文化経済学 (ISSN:13441442)
巻号頁・発行日
vol.4, no.4, pp.43-56, 2005

インターネット時代に適合した音楽著作物のビジネスモデルの提案を行う。そのため、著作権の中でも財産権よりも人格権を優先する『弱い著作権』の可能性について検討を行った。その結果、『弱い著作権』の音楽情報財を無償で流通すると、著作権の『弱さ』ゆえに容易かつ広範囲に流通するのでプロモーション効果が上がり、またコンサートなどの補完財との抱き合わせにより収益をあげられることを確認した。
著者
辻原 命子 谷 由美子
出版者
名古屋女子大学
雑誌
名古屋女子大学紀要. 家政・自然編 (ISSN:09153098)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.39-49, 1992-03-05

特異動的作用(Specific Dynamic Action 以下SDAと略す)は,安静状態において食物の摂取による食物の消化・吸収における代謝亢進と体内における化学反応の結果発生するエネルギーで一般に体温保持に利用され,生活活動には利用されないといわれている..そしてこのSDAは糖質のみを摂取した場合は摂取量の約5%であるのに対し,脂質のみの場合は約4%であり,たん白質のみの場合は約30%に達し日本人の日常食のSDA平均値は約10%とされている.たん白質のSDAについては田中らがその発生機構をラットを用いて詳細に研究しており,鈴木らは被検者1〜2名で高糖質食,高たん白食,高脂肪・低たん白食,高たん白・高脂防食による食餌組成の相違およびエネルギー摂取量の相違によるSDAの時間的経過ならびにその大きさについて報告しているが,個体差があり一定の傾向がみられない.一方たん白質のSDAは糖質,脂質のSDAに比して著しく大であり,国民栄養調査においてもたん白質のエネルギー比は昭和50年14.6%,55年14.9%,60年15.1%,62年15.3%と徐々に増加してきており,一日の消費エネルギーにおよぼす影響は大きいと思われる また脂肪の摂取量も年々増加しているがそのSDAへの影響は不明である ところで近年はこのSDAに代わってほぼ同義的に食事誘発性体熱産生(diet-induced thermogenesis DIT)が広く使用されていており,特に一回の食事によるエネルギー代謝反応への影響をみる場合は,一般にDITを使用しているようである.そこで本実験では,ヒト7名を被検者としてエネルギーおよび脂肪量が一定でたん白質量をエネルギー比5%〜47%まで変動させた食餌およびたん白質量が一定で脂肪量をエネルギー比14%〜45%まで変動させた食餌を摂取させ,DITにおよぼす影響をしらべた.また生命維持のための生理的最小エネルギー代謝量を示す基礎代謝は従来より夏季に低く,冬季に高い傾向があるといわれていることよりDITとの関係は興味深いが,その報告はみられないため四季の区別の明確な日本におけるDITの季節変動について検討した
著者
竹田 和子
出版者
大阪音楽大学
雑誌
大阪音楽大学研究紀要 (ISSN:02862670)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.43-48, 2016-03-01

中部ヨーロッパ地域に、「ドイツ」の名を初めて冠した「ドイツ帝国」が誕生したのは、1871年、今から150年足らず前のことにすぎない。それ以前のドイツは18世紀になっても、300以上の領邦に分かれていた。ほぼ独立国家といってもよいこれらの領邦が一つにまとまるには相当な困難があったことは想像に難くない。しかし「国民」の一体感を高め、ドイツ統一に寄与した市民階級は、一方で新たな分裂を見ることになった。政治における近代の歴史的発展を、ドイツの歴史家オットー・ダンの5段階モデルに従って、1848年の3月革命までのドイツ史を概観し、ドイツの国民形成の過程について考察する。
著者
道下 雄大 梅本 信也 山口 裕文
出版者
大阪府立大学
雑誌
大阪府立大学大学院農学生命科学研究科学術報告 (ISSN:13461575)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.33-55, 2005-03-31
被引用文献数
1

外周型の構造をとる日本の民家庭園では,さまざまな有用植物や野生植物が利用保存されて来た。このような庭園での植物と人との関わりを明瞭にする一例として,2004年の春と秋の2回,伊豆半島北部の2集落と東南部の2集落で,計80軒の民家庭園に生育する維管束植物を調査し,現地の住民より利用法と導入由来を聞き取った。145科781種の植物の生育が確認された。確認されたすべての種は,確認された軒数,常在度,鉢植えにされているかどうか(鉢比率),利用法とともに表1に示した。常在度は,雑草ではカタバミ,イヌワラビ,オニタビラコ,メヒシバ,コモチマンネングサ,ツメクサの順に高く,雑草を除く有用植物では,ドクダミ,ナンテン,ヒラドツツジ,キリシマツツジ,ウメ,イワヒバの順で高かった。有用植物には,631種あり,観賞,垣根,食用,薬用,儀礼,工芸用として利用されていた。有用植物の約8割は観賞用であり,花,葉,果実が観賞されたり,盆栽や忍玉として利用されたりしていた。鉢比率は,ナツメグゼラニウム,ウキツリボク,ハナスベリヒユ,外国産多肉植物など商店で購入された観賞植物や盆栽の植物などで高い傾向にあった。聞き取り調査で明らかとなった植物の導入先や由来は,自然実生の侵入,山野からの採集,店からの購入,贈答の4つに大別でき,その違いによって管理の様子に違いがあった。多様な由来をもつ植物が確認されたが,特に至近の野山から導入されたエビネ類,クマガイソウなどの日本原産林床性種に貴重種が多く,民家庭園は遺伝資源の現地保全(in site conservation)の機能を果たしているとも考えられた。
著者
杉林 堅次
出版者
日本DDS学会
雑誌
Drug Delivery System (ISSN:09135006)
巻号頁・発行日
vol.31, no.3, pp.201-209, 2016
被引用文献数
1

経皮吸収型製剤(TDDS)を多くの薬物に応用するためには、皮膚透過促進技術の利用が必須となる。一方で、最終的な医薬品とするためには、バイオアベイラビリティや吸収速度をあらかじめ予測した値にするため、コントロールドリリースの機能も必要となる。本稿では、TDDSのこの40年の開発研究から、経皮吸収促進剤の利用研究やイオントフォレシスやマイクロニードルなどの物理的吸収促進法の研究までについて紹介する。また、これら吸収促進法との併用により、ようやく本来の意味のコントロールドリリース能を持ち、高いバイオアベイラビリティを有するTDDSの開発が可能になりつつあること、さらにはモノのインターネット(IoT)の概念を導入したTDDSについて述べ、これら新規なTDDS(TDDS-IoT)が医薬品製剤の中心を担う可能性について論述する。