著者
Shungo TAKANO Kiyoto SHIN-MURA Eiki NIWA Takuya HASHIMOTO Kazuya SASAKI
出版者
The Ceramic Society of Japan
雑誌
Journal of the Ceramic Society of Japan (ISSN:18820743)
巻号頁・発行日
vol.126, no.6, pp.482-487, 2018-06-01 (Released:2018-06-01)
参考文献数
32
被引用文献数
1 6

Sr2MgMoO6−δ (SMM) is one of promising anode materials for direct internal reforming solid oxide fuel cells as its excellent performance has been demonstrated. However, it is necessary to be chemically compatible with the electrolyte material to realize the original performance. In this study, we investigate chemical compatibility between SMM and typical electrolyte materials (8% mol Y2O3–92% mol ZrO2; YSZ, 10% mol Sc2O3–1% mol CeO2–89% mol ZrO2; ScSZ, La0.9Sr0.1Ga0.8Mg0.2O3−δ; LSGM) and anode interlayer materials (Gd0.1Ce0.9O2−δ; GDC, Ce0.8La0.2O2−δ; LDC) under conditions for preparing SMM electrode and operation. SMM formed a reaction layer with all of the typical electrolyte materials studied. LDC was the only material for the interlayer that maintains chemical compatibility with SMM, though it forms the reaction layer with YSZ and ScSZ. From these results, this study clarifies that LSGM and LDC should be used as electrolyte and interlayer, respectively, when SMM is used as the anode.
著者
安中 尚史
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.703-710, 2017-03-20 (Released:2018-01-16)
参考文献数
5

The Nichiren sect’s first priest to study abroad was Matsuki Bunkyō 松木文恭, a pupil of Arai Nissatsu 新居日薩. Arai promoted the modernization of Nichiren Buddhism, and Matsuki studied English in Shanghai in 1886, and later went to the U.S. In those days, Arai engaged in educational reform of the Nichiren sect and organized subjects such as English and mathematics in the educational structure of Nichiren Buddhism, aiming at educational enrichment. Moreover, he had his pupils study not only at the educational facilities of the Nichiren sect but also at Keiō Gijuku 慶応義塾. Arai recognized the educational importance of the times, and we may conclude that he had Matsuki study abroad so that his pupil could acquire Western knowledge, and pursue language study. This paper considers the conduct of Matsuki and the regulations for students from the Nichiren sect studying abroad.
著者
中村 沙絵
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第53回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.F23, 2019 (Released:2019-10-01)

人道主義が世界各地で展開し、多様な主体や局地的な実践形態をとりこみながら遂行されている。こうしたなか、贈与の効果によってその価値を測る世俗的贈与と、与える行為そのものに意味を付与する宗教的贈与のロジックが、同一の活動において同時に保持されるような混淆的な状況が出現し、研究の対象にもなっている。しかし人道主義と宗教が重なり合う領域がいかなる贈与のロジックによって成立しているか、それがいかなる経験や関係性の創出に寄与しているかについては、あまり問われてこなかった。本報告ではスリランカで人道主義的な介入と宗教的実践とが重なり合う領域としての社会奉仕実践、およびそこでの贈与行為に着目する。与え手・受け手のふるまいやロジック、ならびに与え手と受け手のあいだでとりむすばれる関係性のありようをみながら、こうした混淆的な贈与の実践がもたらす経験や社会性について検討する。
著者
藏本 龍介
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第53回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.F22, 2019 (Released:2019-10-01)

本発表では、ミャンマーの「自然法」瞑想センターを事例として、仏道修行/布教事業/社会福祉事業が渾然一体となった「布施行」の実態を分析する。そして「布施」というロジックに貫かれたこのセンターにおいては、「布施経済」とでも呼びうる独特な経済制度がみられることを示す。
著者
吉田 久美 尾山 公一
出版者
名古屋大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

花色素アントシアニンの機能性研究、および生合成・膜輸送研究のさらなる展開を目指し、柔軟かつ効率的なアントシアニンの化学合成法の研究を行った。アントシアニンの生合成における鍵酵素であるアントシアニジン合成酵素(ANS)が酸化酵素であることにヒントを得て、配糖化フラボノールの金属還元によるアントシアニン合成を試みた。本反応が、フラボノール体からフラベノール体への還元と次のアントシアニンへの空気酸化の二段階の反応であることを明らかにした。さらに、種々の母核および配糖化様式のフラボノール体へ本反応を適用し、汎用性の高い反応であることを確認できた。
著者
武田 晃治 和田 薫 砺波 雄介 佐藤 純一 村上 敏文 新村 洋一
出版者
東京農業大学
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.76-83, 2016 (Released:2016-12-15)

本研究は,植物色素が光合成のみならず酸素毒性から細胞や種を守る抗酸化物質としても働いてきたことを,進化的側面から植物色素の存在意義について再考察させるための実験開発と教材開発を行った。実験開発では,過酸化水素と2価鉄から生じる最も酸化力の高いヒドロキシルラジカルによるDNA分解が,植物色素であるアントシアニンにより防ぐことができることを可視化するための最適実験条件を明らかにした。また,高校生を対象とした授業実践から,本実験教材を用いた授業の教育効果を検証し,高等学校生物への発展的導入について考察を行った。授業実践の事前・事後アンケートの比較の結果,本教材のアントシアニンによる抗酸化能を可視化した実験により,植物色素の抗酸化能について理解しやすい教材であることが明らかとなった。また,授業解説と実験を行うことで,植物色素の抗酸化能が,紫外線や光合成から生じる活性酸素の毒性に対する防御機構として,植物の細胞機能の維持に重要な働きをしていることを,進化的側面から理解させることのできる効果的な教材であることも明らかとなった。よって本研究は,光合成以外の働きとして重要な植物色素の抗酸化能に着目した新たな実験としてだけでなく,光合成とバイオテクノロジーで学ぶ知識と実験技術を融合したバイオテクノロジーの発展的教材として,生徒に生命進化の観点から植物色素を多面的に理解させるための探究活動として,高校生物への今後の導入が期待された。
著者
阿部 康久
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.73, no.9, pp.694-714, 2000
被引用文献数
4

昭和初期の東京とその周辺地域を対象として,中国人労働者の集住地区が衰退していった過程を,政府や地方自治体の外国人政策の変化や,、都市労働市場の状況との関係から検討した.1920年代前半に日本へ来住した中国人労働者の就業構造は,昭和恐慌の発生によって一変した.1930年には中国人建設・運搬労働者の半数近くが失業するほどになり,彼らに対する排斥運動も深刻化しっっあった.そのため,この年には,失業者を中心に帰国希望者が相次ぎ,日本政府の斡旋により中国人労働者の大量帰国が実施された.1920年代後半期には,政府による中国人に対する強制送還も厳格化された.まず,1926年末頃から,窃盗などの検挙者を中心に送還者数が増大した.1929年頃からは主な送還対象者が不正入国者や無許可労働者に拡大され,1930年には送還者数が最大になった.これらの政府の諸政策によって,隅田川・荒川沿いの地域などに居住していた中国人労働者は帰国を余儀なくされ,彼らの集住地区は衰退していった.