著者
西村 正身 Masami Nishimura 作新学院大学経営学部 SAKUSHIN GAKUIN UNIVERSITY
雑誌
作新学院大学紀要 = Bulletin of Sakushin Gakuin University (ISSN:09171800)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.23-38, 2008-03-01

「アリストテレスとフィリス」の名でタイプ登録されている説話がある。命名のもととなった作品は、13世紀末頃に書かれた無名氏のドイツ語による作品である。藤代幸一による邦訳があるが、ここではフォン・デア・ハーゲンによる梗概でどのような物語なのかを紹介しよう。
著者
伊藤 智彦 中里 秀則
雑誌
研究報告情報システムと社会環境(IS) (ISSN:21888809)
巻号頁・発行日
vol.2021-IS-155, no.5, pp.1-8, 2021-03-01

愛情が暴走して他者を傷つけてしまったり,SNS で「死にたい」とツイートするような人は「メンヘラ」と呼ばれ,社会問題化している.このような人が自分自身や周囲の人を傷つけ,大きな問題になる前に適切にフォローする必要がある.本稿では,このメンヘラに該当する人を見つけることを目指し,ツイートデータの学習による探索を行った結果を報告する.特にメンヘラカルチャーを代表する「#病み垢さんと繋がりたい」というハッシュタグに注目し,このハッシュタグに投稿する人が,メンヘラの性向をもっていると仮定し,そのハッシュタグをもつツイートを学習データとして,一般のツイートから同様の性向を探索した.
著者
吉沢 正広 田中 雅章 Masahiro YOSHIZAWA Masaaki TANAKA
雑誌
鈴鹿短期大学紀要 = Journal of Suzuka Junior College (ISSN:09158421)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.161-176, 1998-01-01

The purpose of this paper is to examine how IBM entered into prewar Japan and ran its wholly-owned subsidiary thereafter. Before examining something noted above, this paper surveys the process of formation of IBM and then traces its early overseas activities. Turning to the initial contacts between Japan and IBM, at first IBM carried out its mere export trade to Japan through Morimura and then Kurosawa. IBM then established its wholly-owned subsidiary, Japan Watson,in Japan to expand the business. As IBM 405 series began to sell well also in Japan, IBM was convinced of Japan as a promising overseas market. IBM would think that Japan was of increasing importance. So IBM decided to set up its subsidiary in Japan beyond mere exporting. But as the Pacific War approached, the Japanese government restricted the activities of Japan Watson. At last the government designated Japan Watson an enemy company in 1942. Therefore Japan Watson was forced to halt its business activities in Japan. It was not until 1950 that IBM Japan, former Japan Watson reopened the activities in Japan.
著者
小谷 善行
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.34, no.5, pp.973-984, 1993-05-15

一般人の扱いやすい、日本語表現の論理型プログラミング言語の仕様を設計した。Prologなどの論理型書語は、表現が非日本語的であるだけでなく、述語の引数に存在する変数の間の対応をよく理解するには数学的素養が必要であり、なじみやすくはない。そこで単なるワープロ使用者にも利用可能とすることを想定し、自然な日本語の文構造や語藁体系を素直に反映したプログラミング言語の仕様を設計した。本言語仕様は、述語の引数は陽には記述しないという特徴をもつ。データは、入力と出力の2ポートに区分して述語に与えられる。プログラミングは、メタ述語と呼ばれる演算子で述語間の結びつきを指定することで行う。述語は主としてユーザが定義し、通常、日本語の名詞を用いると読みやすい設計となっている。メタ述語は主としてシステム組込みであり、助詞や接頭語で表される。メタ述語は日本文としての理解と一致するように、語義に基づき選定されている。プログラムは分かち書せず、「祖母とは親の母」のように、ほとんど日本語そのままのプログラム表現となる。本言語によるプログラムは、Plologプログラムを日本語で自然に読み下した文に非常に近い。さらに意味ネットワークなどの知識を記述する観点からも、本仕様はその意味を自然に表現した形になっている。また、本仕様に対しその意味定義を与え、プログラム例による可読性および、システムを試作し効率を調査した。
著者
春成 秀爾
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.3-65, 1991-11-11

近畿地方の弥生V期(2世紀)の壺形土器には,円形,直線形,三叉形,弧形などの記号を,箆描き沈線や竹管紋・浮紋で表現した例が知られている。これらの記号の大部分は,当初から抽象化された記号として出発したとする説が有力である。その一方,先行するIV期(1世紀)の土器や銅鐸には,鹿を筆頭に建物,鳥,人物,船などの具象的な絵画が描かれている。画題の出現頻度によると,鹿と建物または鹿と鳥を主題とする神話・儀礼が存在したことを推定しうる。円形にせよ,直線形にせよ,個々の記号には多くの変異が存在する。IV期の絵画も同様に画題ごとに変異があり,鹿・建物や船は,写実的なものからそうでないものへと順を追っていくことができる。そして,記号もまた複雑なものから単純なものへと辿っていくことが可能である。そこで,表現の省略が進んでいるが画題を特定できるものと,個々の記号のうち複雑な形状をもつものとを比較すると,鹿から円形記号へ,建物から直線形記号へ,船から弧形記号へ,というように,絵画と記号が連続する関係にあり,絵画の大幅な省略によって記号が成立したことが判明する。こうして,V期においても,鹿と建物または鳥を対合関係とする神話・儀礼が存続したことを推定できる。記号はVI期(3世紀)になると消滅する。絵画から記号へ,そしてその消滅は,農耕儀礼のために手間をかけて土器を作り,儀礼そのものも時間をかけて念入りにおこなう段階から,農耕儀礼の実修にあれこれ省略を加えて時間をかけなくなる段階への移行,すなわち集団祭祀の衰退を意味している。絵画をもち農耕儀礼の場で用いる「聞く銅鐸」が政治的儀礼に用いる「見る銅鐸」へと変質するのも,その一環である。それは,特定の親族あるいは首長の顕在化を表す墳丘墓の発達に示される政治的儀礼の比重の増大に起因するものであった。
著者
宮下 良子
出版者
白山人類学研究会
雑誌
白山人類学 = Hakusan Review of Anthropology (ISSN:13415980)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.141-168, 2020-03

This paper explores the dynamics of ethnicity of the Zainichi Koreans living with the Japanese in a Hisabetsu-buraku, or “discriminated district”, in Sakai, Osaka prefecture, Japan. Here, the term “Zainichi Koreans” refers to the Koreans who or whose ancestors migrated from the KoreanPeninsula to Japan before or during the Second World War; and who, concurrently, maintain their identity as Koreans. Sakai is an administrative city located in the southern industrial suburbs of a metropolitan region of Osaka.Both the Zainichi Koreans and the Hisabetsu-buraku people have long suffered severe discrimination and prejudice in Japan. A number of sociological, historical, and other academic studies has so far addressed the issues of ethnicity or identity of these marginalized communities.However, the scholars have paid less attention to the dynamics of their identity (re)formation which may have historically occurred in the process of daily interactions between these two communities.Reviewing these earlier studies, the present paper aims to 1) depict the daily lives and social spaces constructed by the Zainichi Koreans who live side by side with the Japanese Hisabetsuburaku people in A town, Sakai; and 2) examine the dynamic (re)formation of ethnicity of the second-generation Zainichi Koreans in this town. The study is mainly based on the interviews I conducted from 2006 through 2011 with the Zainichi Koreans and the Hisabetsu-buraku people in A town.
著者
荒井 三津子 杉村 留美子 片村 早花 佐藤 理紗子 太田垣 恵 Mitsuko Arai Rumiko Sugimura Sayaka Katamura Risako Sato Megumi Otagaki 北海道文教大学人間科学部健康栄養学科 北海道文教大学人間科学部健康栄養学科 北海道文教大学人間科学部健康栄養学科 北海道文教大学人間科学部健康栄養学科 北海道文教大学人間科学部健康栄養学科
雑誌
北海道文教大学研究紀要 = Bulletin of Hokkaido Bunkyo University
巻号頁・発行日
no.37, pp.17-29, 2013-03-15

木の葉形のベコモチは,北海道にのみ見られる端午の節句などに作られる餅である.青森県下北半島にも同じ名前の餅があるが形状が異なる.北海道の南西海岸,江差,上ノ国,松前にはベコモチと全く同じものがカタコモチと呼ばれていたり,青森県のクジラモチが共存している.ベコモチ,カタコモチ,クジラモチがともに作られたり食べられている地域は他にない.江差は鰊漁や北前船で栄え,松前は北海道唯一の城下町である.上ノ国はその間に位置する北海道で最も古く和人が移住した地として知られる.本稿は歴史のある3 つの町に伝わる三種類の餅菓子に着目し,そのルーツと伝承などについて検討する.