著者
速水 敏彦 小平 英志 青木 直子
出版者
中部大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2011

家事の動機づけを測定する項目を収集し質問紙を構成し、成人女性に実施して因子分析を行った。その結果、興味関心・効力感、義務感、生活習慣、生活必要感、代替者不在感の5つの因子が抽出された。また、各家事の動機づけが現実の家事行動とどのように関係するのか、さらに専業主婦と就業者では動機づけに違いがあるのかについても検討した。さらに家事の動機づけの高低を規定するパーソナリティや価値観、家族の人間関係との関連についても調べた。
著者
榎木 泰介 今井 唯 山中 にな子
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要. 第3部門, 自然科学・応用科学 (ISSN:13457209)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.49-55, 2014-02

本研究は,大学体育会アメリカンフットボール部に所属する男子大学生70名を対象として,スポーツ活動における障害と外傷の発生について検討を行った。集計を行った2011年と2012年に発生した障害および外傷を対象に,発症の部位について,負傷者の属性(ポジション・学年)と調査年度による比較を行った。発症部位の分類は,1)頭・頚部,2)体幹(腹部・背部)および腰部,3)肩,4)腕および手・指部,5)大腿部,6)膝関節,7)下肢および足部である。調査対象の集団について,それぞれの身体組成を反映する所属ポジションから3群に分け,バックス群(B群),ミドル群(M群),ライン群(L群)とした。 集計を行った2年間における総受傷件数では,2011年と比較して2012年で2.2倍に増加した。1人当たりの平均受傷件数をみると,B群とL群において,2011年と比較して2012年で有意に高い値を示した。学年間の比較では,M群において高学年群が有意な高値を示した。受傷部位では,2012年に膝関節の負傷が増加しており,特にM群で顕著であった。 今回の対象集団では,2012年度において運動(練習・試合)の強度・頻度・時間が高まり,受傷件数が増加したと考えられる。そのような状況において増加する可能性のある受傷部位は,L群では脳震盪を含む頭・頚部,M群では前十字靱帯損傷を中心とした膝関節,B群では肩関節であった。これらのスポーツ障害および外傷を未然に防ぐには,テーピングや可動域を固定する装具などの活用,ポジションおよび競技固有の技能を支持する骨格筋群を中心としたトレーニング,学年や運動能力を考慮した練習強度と年間計画の設定などが重要である。This study investigated the occurrence of sports injuries and disorders in 70 students who belong to the collegiate American football team. We collected and surveyed a large number of sports injuries, trauma, failure and disorders occurred in 2011 and 2012. The case reports were divided into 7 groups according to following body sites, 1) head and neck, 2) body trunk(abdomen, lib and back), 3) shoulder joint, 4) arm, hand and finger, 5) femoral region, 6) knee joint, 7) lower leg and foot. These data were compared by the year, position in football and school grade. In addition, we set three groups from the position reflecting their body composition profile. There were bucks group(B), middle group(M), and lines group(L). The total number of injuries was increased to 2.2 times in 2012 compared to 2011. The average number of injuries per player, L and B group were significantly higher in 2012 compared to 2011. In the M group, the upper grades(senior and junior)showed a significant higher injury rate than lower grade(junior and freshmen). Moreover, M group had a tendency that injured risk of knee joint site was increased in 2012. It is considered that increased playing time, intensity and frequency in practices and games in 2012 had strong correlation with significantly increased number of injuries. Distinctive injuries related with the football position were 1) head and neck damages including a concussion in L group, 2) knee ligament damages in M group and 3) shoulder joint damages in B group. To forestall these sports injuries, utilize of the equipments and sports taping for fixing the range of motion, introduce the physical training, athletic rehabilitation and physiotherapy with a focus on the playing movement that supports for position-oriented football skills.
著者
竹松 哲夫
出版者
日本芝草学会
雑誌
芝草研究 (ISSN:02858800)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.35-62, 1986-10-10 (Released:2010-06-08)
参考文献数
74
著者
林 怡蓉
出版者
大阪経済大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2009

インターネット時代における放送は、より積極的で個人と社会/市民社会と政治システムを繋ぐ「中間過程のコミュニケーション媒体としての放送」となることを通じて,放送は社会に潜む多分にある問題を具現する場となり,社会を動的に回転させていく原動力を生み出す場となる.こうした放送は様々に異なる背景知をもつ人々の意見,語りが飛び交うデリベラティヴでアゴニスティックな意味空間を提供し,社会的規範/ルールの修正点を浮上させ,新たに形成し構築していく可能性をもつ.
著者
八木 章好
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.40, pp.153-172, 2008

はじめに一 詩語としての「狂」(一) 「狂風」(二) 「猖狂」(三) 「発狂」「狂喜」(四) 「顛狂」「清狂」「狂歌」(五) 「狂客」「狂叟」「狂夫」二 李白の「楚狂」三 杜甫の「狂夫」四 杜甫が歌う李白の「狂」おわりに
著者
高嶋 猛
出版者
福井大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1998

永瀬狂三(明治10(1877)〜昭和30年(1955))は、東京帝国大学卒業(明治39年)後、横浜・大阪で民間の設計事務所で設計活動を行っていた。その後京都帝国大学の創立に伴う建築部の設置(明治40年)直後の明治42年から退職する昭和4年までの20年間、同大学の営繕組織の一員として建築の設計に従事した。その間大正8年からの10年間は組織の長であった。京都キャンパスでは初代建築部長山本治兵衛や建築学科教授武田五一の存在が大きかったためか永瀬個人の代表的作品は少ない。その中でキャンパス外の大分県別府市の京都帝国大学別府地球物理学研究所(大正12年)や、京都大学以外の大和田銀行本支店(福井県、昭和2年)、敦賀町庁舎(福井県、昭和8年)では京都大学キャンパスとは違った自由な意匠で設計を行っている。このことから、永瀬狂三はこれらの建築において自由に実力を発揮でき、また永瀬の建築観をよく示していると考えられる。山田七五郎(明治4年(1871)〜昭和19年(1944))は、東京帝国大学卒業(明治32年)後、福岡医科大学、長崎高等商業高校の創立時の営繕組織に関わり、明治38年から大正2年までは長崎県技師を勤めた。大正3年からは横浜市に移り、大正9年からは初代横浜市建築課長となり、昭和4年の退職までの30年間を官庁の営繕組織の一員として設計活動を続けた。この中で特に長崎県時代の明治37年〜43年までの第二課(土木課)事務簿から当時の営繕の職務内容や仕事の推移が把握された。技師としては、議会で答弁を行う立場であり、また皇室の来県では関係施設の設計を自ら行うなど、組織内での位置づけが把握された。また永瀬同様、森田銀行本店(福井県・大正9年)等の営繕組織外の設計活動の位置づけの需要性を知ることができた。
著者
鈴木 順一
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要 看護学・リハビリテーション学編 (ISSN:18825788)
巻号頁・発行日
no.5, pp.13-24, 2010

現在、我が国における糖尿病患者は増加の一途をたどっている。糖尿病に合併する糖尿病性足病変は、下肢切断の原因となり、対象者の日常生活活動や生活の質において深刻な問題を残す病変である。近年、糖尿病性足病変に対する医学的な取り組みとしてはフットケアが積極的に導入されている。フットケアは病変を認める患肢の評価・処置および足と靴に関する患者教育で構成されるが、制度やマンパワーの問題で患肢への関わりほど靴は着目されていないのが実情といえる。本稿では糖尿病性足病変と靴との関連性を概説し、靴を選ぶに際しての指導上のポイントと、適合性を評価するための具体的な手法を紹介した。
著者
蓮村 哲 新谷 稔 高木 一郎
出版者
東京慈恵会医科大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1997

肝臓は血漿蛋白の産生臓器として重要な機能を有している。特にアルブミンは血漿蛋白の50%を占める重要な蛋白である。従来よりヒト由来の肝癌細胞株を用いて、ビタミンやホルモンによるアルブミンやAFPの産生の変化について検討してきた。さらにこの細胞をラジアルフロー型バイオリアクターを用いて3次元培養した際の、両蛋白の産生量の変化を検討した。ラジアルフロー型バイオリアクターによる培養細胞の3次元構築は、SEM TEMで確認し、球形の細胞の配列と、相互の細胞の緩やかな接着(接着装置の存在を認める)、細胞小器官の極性の存在を認めた。FLC4細胞の3次元培養では単位細胞あたりのアルブミン産生量は単層培養の6.9倍に増加し、AFPは400分の1に減少した。またFLC7細胞では3次元培養により、AFP産生が優位であったものがアルブミン産生優位となり、より正常肝細胞に類似の機能を発現すると考えられた。以上より、これら肝細胞の機能発現には、ホルモン、ビタミン、その他の生理活性物質だけでなく、細胞組織の3次元的構築が大きく関与することが明らかとなった。また肝由来蛋白である、thorombopoietinも本研究に用いた肝由来細胞株において産生され、その産生量はラジアルフロー型バイオリアクターを用いた際には、細胞数の増加、アルブミン産生量の増加に一致して漸増し、ほぼヒト正常肝の1日産生量に近い量を400mlバイオリアクターで産生可能であった。ラジアルフロー型バイオリアクターによる肝特異蛋白の高産生能が示された。
著者
斎藤 義弘
出版者
一般社団法人 日本考古学協会
雑誌
日本考古学 (ISSN:13408488)
巻号頁・発行日
vol.8, no.12, pp.147-155, 2001-10-06 (Released:2009-02-16)
参考文献数
3

宮畑遺跡は,古くより縄文土器の散布地として知られていた遺跡であるが,1997年度に実施した福島工業団地造成に伴う発掘調査で,柱痕の直径が約90cmを測る縄文時代晩期の掘立柱建物跡や数多くの縄文時代中期の焼失住居跡が発見された。1998~2000年度に福島市教育委員会が実施した確認調査で,縄文時代晩期の掘立柱建物跡と埋甕で構成される集落に加え,縄文時代後期及び中期の集落跡がほぼ同じ区域に存在することが明らかになり,各時期の捨て場も集落の西端に形成されていることが確認された。縄文時代晩期の集落は,大洞BC式から大洞C2式を中心とし,掘立柱建物跡が環状に巡り,その外側に埋甕群が伴う。掘立柱建物跡は建て替えが行われ,掘形は1m以上を越える深いものが多い。竪穴住居跡は掘立柱建物跡に比べて少なく,墓坑の位置は確認されていない。縄文時代後期の集落は,後期前葉から後期後葉まで確認されているが,後期後葉の集落様相は現時点では明確でない。縄文時代後期前葉には敷石住居跡を伴う集落が形成され,竪穴住居跡及び土坑群が遺跡の南半で確認されているが,配石墓は確認されていない。縄文時代後期中葉には,後期前葉より広い範囲に集落が展開しており,墓坑の可能性がある土坑が竪穴住居跡に近接して確認されている。縄文時代中期の集落構成は明確につかめていないが,大木9式~10式の竪穴住居跡が確認されている。竪穴住居跡に占める焼失住居跡の比率が高く,焼失は廃屋儀礼等の当時の風習に起因する可能性が高い。焼土と炭化材の検出状況から,屋根構造は土屋根であったと考えられるが,焼土がブロックで厚く堆積するなど,これまでの調査で報告されている焼失住居跡とは異なる燃焼状況があったと考えられる。宮畑遺跡は,縄文時代晩期の集落形態や縄文時代後期前葉における敷石住居跡の受容,それに縄文時代中期の竪穴住居の構造と風習など,縄文時代の社会構造を考える上で貴重な情報をもたらす遺跡であるといえる。