著者
中川 允利
出版者
帯広畜産大学
雑誌
帯広畜産大学学術研究報告. 第I部 (ISSN:0470925X)
巻号頁・発行日
vol.17, no.3, pp.221-225, 1991-11-30

潜熱移動を伴わない濃縮法として注目されている逆浸透法を醗酵液中の希薄なイタコン酸カリウムを酸として1(g-H_2IA/dl)より約10まで濃縮するのに適用することを検討した。使用した酢酸セルロース膜は、食塩を99%以上分離するタイトな膜で,窒素ガス加圧下で操作された。(1)イタコン酸として1(g-H_2IA/dl)含有するイタコン酸,イタコン酸水素カリウムおよびイタコン酸カリウムの純溶液を容量で9倍迄濃縮したときの分離率の範囲は,濃縮倍数の増加と共に増し遊離酸で60-70%,酸性塩で90-95%および中性塩で99%以上となった。(2)イタコン酸カリウム純溶液の濃縮の過程で,透過液流束が0になったときの,操作圧(kg/cm^2)と溶液濃度(g-H_2IA/dl)は,それぞれ,50と8.6,75と11.5および100と15であった。(3)純および醗酵液中のイタコン酸カリウムの濃縮過程では,塩の分離率は変わらなかったが,透過液流束は,醗酵液では純溶液の約1/2に低下した。なお,あらかじめ限外濾過した醗酵液でも透過液流束の低下は避けられなかった。
著者
小野 善生
出版者
滋賀大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2006

本研究は、インタビュー調査を中心とする質的調査方法でコンテキストを重視したリーダーシップ研究を実施した。調査対象としては、エーザイ株式会社アルツハイマー型認知症治療薬「アリセプト」探索研究チームの事例、ランプ・メーカーであるフェニックス電機株式会社の再建事例、神戸洋菓子産業の阪神淡路大震災の復興事例、複合素材の研究開発を主とする株式会社I.S.Tにおいてフィールド・ワークを実施した。株式会社I.S.Tの事例は現在データの分析中であるが、それ以外の事例では成果が出ている。エーザイの事例では、リーダーシップの役割分担という新たな概念を導きだすことができた。この事例におけるリーダーシップの役割分担というのは、専門領域の異なる研究者を統率するには、リーダーが自らの影響力の範囲を自覚し、専門領域の異なる部下に対してはその分野に精通したサブ・リーダーを選び、彼等とリーダーシップを役割分担するというものである。フェニックス電機の事例では、企業再建における再建請負人のリーダーシップで重要なのは、リーダーの意向に従うだけの受動的なフォロワーではなく、リーダーと問題意識を共有し、いつでもリーダーになれるだけの能動的なフォロワーを育成することにあるという結果が得られた。フォロワーの能動性を喚起するリーダーシップとは、リーダーが有能性を示しフォロワーからの信頼を得たのちに、組織のビジョンをフォロワーとの意見のすり合わせという一見すると遠回りに見えるような粘り強い相互作用を通じて、彼らの意識変革を促すというものである。フェニックス電機は、倒産後7年目に再上場を果たし、その後当時の経営幹部に社長のポストが継承されたことから、このリーダーシップの有効性が実証されている。
著者
森林 敦子 Wells Jeffrey D. 倉橋 弘
出版者
日本衛生動物学会
雑誌
衛生動物 (ISSN:04247086)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.129-135, 1999
参考文献数
21
被引用文献数
2 4

センチニクバエの休眠蛹は20℃, 短日の条件下で成虫, その幼虫を飼育すると得られる。東京で採集したセンチニクバエの休眠蛹を20℃で2ヶ月間置きその後一定の期間低温(4℃)に置いた。その後27℃に移し休眠蛹が覚醒し成虫羽化までに要した日数, 雌雄の確認, 及び生存率を羽化率より検討した。その結果羽化までの日数は低温期間の長さによって変わることが明らかになった。このハエの休眠覚醒に最適な低温期間は3ヶ月で14日後から10日間の間で89%が羽化した。しかしそれ以上低温期間が長引くと羽化率が低下し7ヶ月で13%, 8ヶ月以上ではそれが0%になった。東京の10月, 11月は短日で平均気温が16℃から13℃あり, その後12月, 1月, 2月と5℃を割る低温が続く。3月になると平均気温が5℃を越えるようになる。4月, 5月と気温が上昇し実際ニクバエが野外で見られるようになる。得られた実験結果は, 今回使用した東京産の休眠するセンチニクバエが東京の環境に適応していることを示していると思われる。またこれらの実験結果からセンチニクバエの北限についても考察した。
著者
山根 祥雄 小山 健蔵 白石 龍生 安井 義和 YAMANE Yoshio
出版者
大阪教育大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

近年、国内外の学校安全が脅かされ、死傷事件が後を絶たない。先例を教訓化して、同様な事件・事故の再発を防ぎ、被害を最小化するために、学校管理の強化、および死傷事件の際における緊急の組織対応のあり方の具体的かつ総合的な検討が本研究の目的である。しかし、学校安全管理、緊急の組織対応に関して、研究調査・情報・知見が決定的に不足しているので、附属池田小学校、アメリカ合衆国・コロンバイン高校、イギリス・ダンブレーン小学校を訪問し、各事件を再検証した。さらに各事件を教訓とする各国の安全管理、予防策、緊急の組織対応に関する全国的方針、および悲惨な事件の被害者のメンタル・ケアなどを学んだ。一方、学校安全を推進する国内の避難訓練にも立会い、安全管理の強化や非常時の組織体制などを調査した。ロサンゼルスの学校安全管理システムは、予防・防止・緊急の組織的対応が包括的実働的であり、参考になる。昨今、学外不審者にとどまらず、児童生徒による事件など、多様な要因、危険の増大と予測の困難な傾向であるので、立地条件に応じた一層の安全管理、迅速即応・臨機応変の対応、情報の共有化・有機的連携などが要請される。リアルな緊急組織対応のための研修や実際訓練によって、危機回避・避難・対応の着想力やスキルを培う機会の設定が不可欠である。こうして、危険性の確認、管理維持・強化、組織体制の点検、地域・家庭・学校の連携、避難訓練の継続などが必要とされる。また、学校・家庭・地域が緊密に連携し、総合的に子どもを守る取り組みが提唱され、いわばグローバルなモデルとされている。本研究が、安全確保を生存の基本として、万一の場合における安全の一層の管理・整備、予備的な対応方法の準備・訓練の契機となり、通常の学校運営への示唆ともなれば幸甚である。
著者
田中 開 大澤 裕 川出 敏裕 寺崎 嘉博 井上 正仁 佐藤 隆之
出版者
法政大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1999

本研究において、我々は、近時問題化している銃器犯罪に関する諸問題につき、実地調査、資料収集、研究会などを行い、その成果のいくつかを公表した。研究した項目は、(1)少年犯罪と銃器、(2)銃器犯罪と民間ボランティア活動、(3)銃器犯罪について今後導入・活用されるべき捜査手法(4)情報提供者や証人の保護、(5)被害者や被害関係者の保護、(6)警察官による銃の使用、(7)諸外国における銃器情勢、であった。とりわけ、少年犯罪と銃器という問題を研究したきっかけは、本研究を開始した1999年4月に、アメリカ、コロラド州にあるコロンバイン・ハイスクールにおいて、少年が銃を乱射して多数の生徒や教師を殺傷するという事件が発生したことであった。少年による銃器を使用した凶悪犯罪は、近年における銃器の一般人への拡散傾向に照らすと、わが国においても、将来的には起こりうる重大な問題である。また、研究の過程で、(a)銃器犯罪の撲滅に向けて、民間ボランティア活動などの各種防犯・啓発活動との連携などによる銃器犯罪対策を考えていくべきこと、(b)おとり捜査、コントロールド・デリバリー、通信傍受をはじめとする捜査手法の活用や工夫が重要であること(捜査手法のなかには、とりわけ薬物犯罪と共通するものが少なくない。外国の例においても、薬物の不法取引と銃器は密接な関連を有している)、(c)情報提供者や証人の保護が肝要であること、(d)被害者・被害関係者の保護を進めるべきこと、(e)警察官による銃の使用の許否・限界につき再検討すべきこと、などの課題が認識された。また、諸外国における銃器情勢については、従来研究していなかったドイツの銃器情勢について調査研究ができたことが、一つの成果である。
著者
古川 達也
出版者
名古屋工業大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2009

2年目までの研究によってフルオロシュガーの重要な中間体であるFluorinated Osmundalactoneの合成に成功した。その研究ではアリル位のフルオロメチル化反応(Tsuji-Trost反応)がOsmundalactone合成の重要な鍵反応となっていたため他のアリル位のフルオロメチル化反応が行うことができれば,様々な置換基を有するOsmundalactoneが合成可能であると考えた。したがって,3年目の研究では新たなアリル位のフルオロメチル化反応の開発に取り組んだ。出発原料にMorita-Baylis-Hillman(MBH)反応の生成物から誘導できるCarbonateを用い,シンコナアルカロイドを用いたS_N2'/S_N2'型のモノフルオロメチル化反応を検討した。求核剤にFBSM触媒に(DHQD)_2AQNを用いることで高エナンチオ選択的にFBSM付加体を得ることに成功した。またFeCl_2およびTi(O^iPr)_4を添加剤として加えることによって選択性の向上が見られることを見出した。一方,求核剤としてRupert試薬を用いればトリフルオロメチル化反応が進行することも見出した。本反応はLewis塩基を用いたアリル位の初の不斉トリフルオロメチル化反応の例である。トリフルオロメチル化反応では触媒に(DHQD)_2PHALが効果的であり,エーテル系溶媒が重要な役割を果たしていることがわかった。得られたFBSM付加体およびトリフルオロメチル化体はラジカル反応を用いた分子内環化反応を用いることでフルオロメチル基を有するジヒドロインデンへと誘導することに成功した。X線結晶構造解析の結果,興味深いことにFBSMの付加体とトリフルオロメチル付加体は立体が逆転することが分かった。したがって,反応機構の違いが予想された。
著者
岡野 邦彦 吉田 智朗
出版者
社団法人プラズマ・核融合学会
雑誌
プラズマ・核融合学会誌 (ISSN:09187928)
巻号頁・発行日
vol.72, no.4, pp.365-372, 1996-04-25
被引用文献数
2

Critical issues for the realization of commercial fusion reactor are discussed on the basis of a prediction of power source composition in the next century. The key issue is rather a relaxation in the construction site condition than a competitive cost in comparison with the nuclear fission power plant. It seems a logical conclusion that the competitor of the fusion plant in the cost will be a future CCT (Clean Coal Technology) and/or LNG plant loaded with a CO_2 recovery system.
著者
野中 博史
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.265-286, 2008-03-07

メディアのニュースに接して人々は、その内容をどのように受容していくか。ニュースの効果研究に関する先行研究では、20世紀に入ってから様々な例が報告されているが、近年はとくにその効果の大きさが指摘されている。メディアが多様化しているにも係らず、情報や主張、イメージ、映像が画一化し、人々に対するニュース効果は強力になっているとする見方が強い。一方で、過剰な情報や主張、イメージを消化しきれない人間が増え、貧しい判断力や想像力しか持てない"象徴的貧困"状態を招いているとの考察もある。こうした状態で、人々は一般人の常識と合理的推論で判断して「根拠のない不合理な情報」に対してどのように受容するのか。懐疑心を持たずにニュースを受容すれば、人は容易に情報に操作されることになる。逆に言えば、メディアを利用した情報操作が容易になる。本研究では実際の新聞記事を用いて1.人は根拠のない不合理な情報を容易に受容する2.人は根拠のない不合理な情報に魅かれ易い3.人には願望や恐怖心があり、そうした心性が強いほど、それを満足させる不合理な情報も受容しやすい4.人は根拠のある合理的情報に接すると、不合理な判断を修正することが多い-などの知見を得た。合理的推論思考や冷静な思慮を欠如させたニュースの受容性の特徴は、真実を追究しようとする視点の衰退につながり、適正な判断力の育成を阻害する。従って、教育の現場で新聞を活用するNIE(Newspaper in Education)においては、ニュースの受容性の特徴を認識した上で、教員が合理的な推論思考と知識を持ち、児童、生徒の適切な判断力の育成に努めることが大切である。
著者
山崎 文夫
出版者
産業医科大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2002

暑熱環境下では涼しい環境下に比べて、起立時に血圧の低下が起こりやすく、起立耐性は低下する。動脈圧反射機能は起立時に動脈圧を正常な範囲内に維持するために必要不可欠な機能である。圧反射の反応性を考える際、応答量に加えて、圧受容器が刺激されてから心拍変化が起こるまでの時間など応答時間も考慮する必要がある。すなわち心拍応答が短ければ、変化した血圧を短時間で正常範囲内に回復させる能力が高いと考えられるが、心拍の圧反射応答時間に暑熱負荷がどのように影響するかは明らかでない。そこで本年度は、心拍の動脈圧反射反応時間に及ぼす暑熱ストレスの影響について検討した。被験者は健康な成人9名であり、実験の内容や危険性についての説明を受けた後、同意書に署名した。水環流スーツを用いて被験者の皮膚温を調節し、正常体温時と全身加温時に圧反射機能テストを行った。圧反射機能テストにはネックチャンバーを用い、頚部に+40mmHgあるいは-60mmHgの圧を負荷することによって、頚動脈圧受容器を刺激した。各圧負荷は2-3分間の休息を挟んでそれぞれ5回行った。頚部への圧刺激から心拍反応がピークに達するまでの時間(+40mmHg、正常体温時2.5±0.3秒、加温時3.5±0.3秒;-60mmHg、正常体温時1.2±0.2秒、加温時2.2±0.3秒)は、全身加温によって有意に増加した。全身加温によって、+40mmHgの圧刺激から血圧反応がピークに達するまでの時間(正常体温時4.3±0.5秒、加温時6.7±0.6秒)は有意に増加したが、-60mmHgの刺激に対するその反応時間(正常体温時5.1±0.5秒、加温時4.5±0.6秒)は変化しなかった。これらの結果から、心拍および血管運動の頚動脈圧反射反応は、暑熱ストレスによって遅延することが示唆された。
著者
久保 文武
出版者
奈良大学史学会
雑誌
奈良史学 (ISSN:02894874)
巻号頁・発行日
vol.6号, pp.29-51, 1988-12

徳川秀忠の息女和子が元和六年(一六二〇)六月十八日、後水尾天皇の女御として入内したが、武家側よりの入内は約四百年前平清盛の女徳子(建礼門院)入内以来のことで、この件が決して円滑にはこばなかったことは周知の事実として、江戸初期の朝幕関係を物語る格好の史料とされている。そして、後水尾天皇の再三にわたる拒絶とも解せられる譲位の意志を醜意させた、最後の詰めの段階での画策、奔走は幕府側では京都所司代板倉勝重と一外様大名の藤堂高虎であった。しかも、事の紛糾後はむしろ高虎の奔走が中心的役割を果したといえる。和子入内に至る経緯については、徳川家の正史ともいえる「徳川実紀」も何らふれず、元和六年五月八日の和子江戸出発より、六月十八日の入内当日の記事のみが華々しく記述されているのみである。和子入内は家康の遠望と秀忠の政略によるものであるが、詰めの段階での紛糾の解決についてはほとんど記述された論稿がない。ことに武家側の史料を根拠にした論稿は全くなかったともいえる。昭和五一年度の京都大学文学部研究紀要16号に、朝尾直弘氏が京大国史研究室蔵の「元和六年案紙」をもとにの発表せられたのが唯一のものといえる。同論稿は元和六年案紙を武家側当事者の有力な根本史料として、公家側の日記類に匹敵する価値ある史料として、史料考証をまじえながら、従来、明らかにされていなかった重要事実を説述している。本稿ではこの朝尾教授の学恩を蒙りつつ、畿内の数ある有力な親藩・譜代の大名を差しおいて、何故、一外様大名の藤堂高虎がこの難しい交渉の任に選ばれたかの疑問を追求してみることにする。
著者
緑川 明憲
出版者
慶應義塾大学国文学研究室
雑誌
三田國文 (ISSN:02879204)
巻号頁・発行日
no.42, pp.1-17, 2005-12 (Released:2005-00-00)

一 はじめに二 江戸時代の公家は本当に貧乏だったのか?(一) 文学作品にみる公家の生活(二) 歴史資料にみる公家の生活三 近衛家の家領四 伊丹とその繁栄五 近衛家の裕福な財政の背景(一) 伊丹の献上金など(二) 天英院・諸大名の「お手伝い」六 おわりに : 近衛家の繁栄
著者
冷泉 為人 Reizei Tamehito
出版者
神奈川大学21世紀COEプログラム
雑誌
立命館大学・神奈川大学21世紀COEプログラム ジョイントワークショップ報告書 『歴史災害と都市 -京都・東京を中心に-』
巻号頁・発行日
pp.21-28, 2007-02

Present Kyoto Imperial Garden was built comparatively newly.Many Imperial Courts' house was located centering on Kyoto Palace and Omiya Palace in Kyoto Imperial Garden till modern times. It was transfering the capital to Tokyo from Kyoto, and many Imperial Court moved to Tokyo in 1869. As a result, the circumference of Palace was improved and itbecame present Kyoto Imperial Garden.The Imperial Court town of the Edo period suffered a great deal of damage according to the fi re, the earthquake, etc.repeatedly. Especially the confl agration of 1708 burned the large area of the Imperial Court town and the circumference. The Imperial Court town was equipped with fi re extinguishingsystem and disaster prevention system after the confl agration of 1708.
著者
三田 悟 大野 始
出版者
静岡大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

シンビジウムを25-30℃の高温ストレス下で生育すると花芽が壊死する。これを避けるために、シンビジウム生産者は植物体を標高1,000メートル程度の高い山に避暑させる。これを山上げ栽培といい、生産者にとっては重労働である。高温ストレス下でCyNAC1遺伝子の発現レベルが顕著に高まった。CyNAC1遺伝子を過剰発現させたトマトとシロイヌナズナでは顕著な生育障害が見られたことから、CyNAC1遺伝子は高温ストレス下で、他の遺伝子群の発現を制御しつつ、シンビジウム花芽の壊死を促進する役割を担っていると考えられた。
著者
塚本 明 TSUKAMOTO Akira
出版者
三重大学人文学部
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.1-19, 2000-03-25 (Released:2017-02-17)

近世の朝廷が発令した「触穢令」が、伊勢神宮に与えた影響の時期的変化を見ながら、近世の伊勢神宮と朝廷との関係を考察した。「触穢令」は天皇・上皇・女院の死に際して朝廷から出されるものだが、前期には江戸将軍の死もその対象となった。基本的には宮中及び京都周辺の社寺に限定して出され、朝廷行事や神事等がその間中断された。さて伊勢神宮に京都の「触穢令」が伝えられるのは宝永六年を初発とするが、これは触穢伝染を予防するためのもので、天保年間に至るまでは伊勢神宮・朝廷側ともに、京都の触穢が伊勢にも及ぶという認識はなかった。だが伊勢神宮を朝廷勢力に取り込む志向が強まるなかで、弘化三年時には朝廷は伊勢神宮の抵抗を押し切り、触穢中の遷宮作時を中断させるに至る。両者の対立の背景には、触穢間の相違に加え、神宮神官らが全国からの参宮客を重視したことがあった。
著者
塚本 明 ツカモト アキラ TSUKAMOTO Akira
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.A35-A50, 2004-03-25 (Released:2017-02-17)

近世の伊勢神宮門前町の宇治・山田における、死穢への意識とそれを忌避する作法の時期的変化を考察した。死穢は神社世界の触穢体系の中核を占め、これに触れた者は厳しい行動規制を強いられた。中世以来、為政者たちの死に際して、死穢が広く遍満したとして、朝廷から京都近辺と伊勢神宮を含む関係する寺院に「天下触穢令」が発令される場合があった。だがこれとは別に、伊勢神宮が独自に、宇治・山田市中に対して発令する「触穢令」が確認できる。神宮の服忌令によれば、宮地での変死体発見、「速懸」を行わずに死体を一昼夜放置した場合、火災における焼死の発生の際に、市中一体の触穢となった。だが一八世紀初頭を画期として、宇治・山田市中への触穢令は激減する。その要因は、触穢の発生を避ける作法が発達したことにあった。火災や水害で死者が出ても、それが直接の死因ではないとしたり、届け出方に工夫をこらしたりしたのである。また、死の発生地を縄や溝で囲んで、穢れが拡散しないようにする方法も一般化していった。先例を重視する神宮も、この時期には規定通りに触穢を適用することが困難であると認識していた。山田奉行も参宮客の意向を理由に、触穢適用の軽減を命じた。しかし、触穢において物忌らが神宮長官の触穢の判定に激しく異議を唱えたように、神官達内部で解釈をめぐり争われることもあった。判定をめぐる紛議でしばしば問題にされたのが、世間の評判、風説である。触穢の判定、死穢を避けられるか否かは、神宮に対する外界からの認識が影響した。 論説 / Article
著者
塚本 明 Tsukamoto Akira
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.15-34, 2010-03-28 (Released:2017-02-17)

「神仏分離」の歴史的前提として、近世の伊勢神宮門前町、宇治・山田における神と仏との関係を分析した。仏教を厳しく排除する原則を取る伊勢神宮であるが、その禁忌規定において僧侶自体を嫌忌する条文は少ない。近世前期には山伏ら寺院に属する者が御師として伊勢神宮の神札を諸国に配賦したり、神官が落髪する事例があった。神宮が「寺院御師」を非難したのは山伏らの活動が御師と競合するためで、仏教思想故のことではない。だが、寺院御師も神官の出家も、幕府や朝廷によって禁止された。宇治・山田の地では、寺檀制度に基づき多くの寺院が存在し、神宮領特有の葬送制度「速懸」の執行など、触穢体系の維持に不可欠な役割を果たしていた。近世の伊勢神宮領における仏教禁忌は、その理念や実態ではなく、外観が仏教的であることが問題視された。僧侶であっても「附髪」を着けて一時的に僧形を避ければ参宮も容認され、公卿勅使参向時に石塔や寺院を隠すことが行われたのはそのためである。諸国からの旅人も、西国巡礼に赴く者たちは、伊勢参宮後に装束を替えて精進を行い、一時的に仏教信仰の装いを取った。神と仏が区別されつつ併存していた江戸時代のあり方は、明治維新後の「神仏分離」では明確に否定された。神仏分離政策は、江戸時代の本来の神社勢力から出たものではなかった。 裏表紙からのページ付け