著者
佐藤 もな
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2001

本研究は未解明の部分が多い鎌倉時代初期の密教思想解明の一端として、当時の代表的な真言僧の一人である道範の思想を中心に文献学的検討を行うことを目的とするものであるが、本年度は以下のような研究活動を行った。1.昨年度の研究実績である、東寺で発見された道範著の新出写本(『貞応抄』断簡)に関し書誌学的検討を加え、その結果を第53回日本印度学仏教学会(於ソウル)で口頭発表を行った。(詳細な内容については、3月末に発行される『印度哲学仏教学研究』第51巻2号に掲載予定。)概要としては、新出写本は13世紀のものであるが、『大正蔵経』掲載本(仁和寺所蔵本)と同様に本文巻尾が中断される形で終わっている点、紙背がある点などが特徴として挙げられる。2.昨年度に引き続き、東寺観智院所蔵の道範著写本のうち、8点ほどの書誌調査を行った。その結果、これまで検討されたことが無く、現存写本の極めて少ない『開宝決疑抄』という文献について、その内容を掌握することができた。これに関しては、今後『般若心経必鍵開宝抄』との比較検討を行いつつ、来年度に学術発表を行う予定である。3.滋賀県・坂本の叡山文庫に所蔵されている道範関係の文献に関し、書誌調査を行った。その結果、これまで存在が指摘されたことのない『秘密念仏鈔』の室町時代写本があることが明らかになった。これについては今後各種写本と校合を行い、テキスト校訂を行う予定である。
著者
堀池 信夫
出版者
筑波大学哲学・思想学系
雑誌
哲学・思想論集 (ISSN:02867648)
巻号頁・発行日
no.29, pp.31-54, 2004-03-25 (Released:2013-12-18)

緒論 徐敬徳は李氏朝鮮初期の哲学者である。成宗の十九(二十)年(一四八九)誕生。字は可久、号は花潭、あるいは復斎。晩年に関城(ケソン)郊外の花潭に隠棲し、明宗の元年(一五四六)、五十八歳で卒した。 ...
著者
堀池 信夫
出版者
筑波大学哲学・思想学系
雑誌
哲学・思想論集 (ISSN:02867648)
巻号頁・発行日
no.29, pp.31-54, 2004-03-25

緒論 徐敬徳は李氏朝鮮初期の哲学者である。成宗の十九(二十)年(一四八九)誕生。字は可久、号は花潭、あるいは復斎。晩年に関城(ケソン)郊外の花潭に隠棲し、明宗の元年(一五四六)、五十八歳で卒した。 ...
著者
川本 隆史
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

本研究は、1970年代から英語圏の倫理学・社会哲学の領域で活発に論議され成果が蓄積されてきた「社会正義論」の観点から、租税の根拠と再分配原理を考察し、あわせてわが国の租税制度のあるべき姿を構想することをねらいとする。租税の根拠についての説明としては、「利益説」と「義務説」という二つの有力な立場があるが、未だ決着を見ていない。さらに租税の機能の一つに資産および所得の再分配があるとされるけれども、租税を通じての再分配原理の実質まで立ち入った論議はほとんどなされてこなかった。そこで本研究は、そうした欠落を埋めようとするものである。初年度は、まずこれまでの「社会正義論」における租税論の蓄積を吟味ししつ、租税の根拠および再分配原理の探究がどれほど深化しているかを見定めた。研究第二年度には、折りよくMhrphy, L.and T.Nagel, The Myth of Ownership : Taxes and Justice,2002が刊行された。本書のポイントは、「われわれが正当に稼いだ所得なのに、政府はその一部を税金として取り立てている」との臆断の無根拠さを暴きながら、「租税の公正よりもむしろ社会の公正こそが租税政策を導く価値であるべきで、所有権は因習・規約に基づくものに過ぎない」と主張するところにある。研究第二年度から最終年度にかけて、本書をしっかりと読み解くことで、著者らが提起した「社会の公正」という理念と照らし合わせつつ、「あるべき税制」を共同で探究する作業の基礎を固めることが出来た。その成果は、学会誌等への寄稿や学会・研究会での報告に随時盛り込んだ。
著者
挽 文子 伊藤 克容
出版者
一橋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

企業においては複数の管理会計システムが運用されているが、それらは環境、経営理念、経営哲学、組織風土および経営戦略などの要因と相互作用の中で機能している。そのため、個々の管理会計システムあるいはその総体からなるトータルシステムとしての管理会計の機能の仕方は同じではない。本研究は、北米進出日系企業を研究対象として、上述のような関係性のなかで管理会計がどのように進化してきたのか、その進化の過程を解明した。
著者
清水 一浩
出版者
東京大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2007

本研究は、ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンの思想におけるカント哲学の意義を明らかにしようとするものである。本年度は、三年間の採択期間の最終年度にあたる。本年度に行なわれた具体的な研究活動は、以下の二点に要約される。(一)アリストテレスの術語法・問題構制からカントを再読すること、(二)ベンヤミンの術語法・問題構制の系譜を探究すること。(一)の作業は、昨年度から継続して取り組んできたものである。結果、以下のような点が確認された。第一に、『判断力批判』の思惟の場が、アリストテレスの『弁論術』のそれと類比的に画定されていること。アリストテレスにおける弁論術も、カントにおける判断力の批判も、固有の対象領域をもたないということを存立構造としている。重要なのは、この脱領域性が、両者で共通して「感情」という言葉で表示されていることである。第二に、カントの歴史哲学が『判断力批判』と類比的な位置づけにあること。「歴史」は、判断力と同様に、自然と自由との間に位置づけられる。自然にも自由にも還元されない「普遍史」の構想は「小説」と呼ばれる。この呼び名にふさわしく、『普遍史の理念』のテクストは、極めてレトリカルに構築されている。この第二の点の素描を、カント研究会にて口頭発表した(二〇一〇年二月二八日、於・法政大学)。(二)に関しては、ベンヤミンの神学的な言葉遣いやモティーフを辿ることも目的として、ヤーコプ・タウベス『パウロの政治神学』の研究会を行なってきた(その副産物として、拙訳になる『パウロの政治神学』が近刊の予定である)。これによって、旧約聖書からベンヤミンにいたる神学・哲学・政治・文学の伝統について、幾つかの鍵言葉が再確認された(メシア、自然、イメージ、儚さ、など)。言葉遣いのレベルでこの伝統を引き受け、再考し、再構築するところに、ベンヤミンの超越論的文献学と呼ぶべきテクスト実践があったのだと考えられる。
著者
小川 正廣
出版者
名古屋大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

本研究では、個人および共同体・社会階層・文明としての人間とその社会のあり方を、空間的・時間的にそれらの内外に存在する「他者」とのかかわりという観点からとらえ、その諸相を古代ギリシア・ローマの古典文学やその伝統を継承した西洋文学の中に探った。具体的には、主に次の点に研究成果を要約することができる。1.ギリシア・ローマ文明が他者との関係を軸として固有の人間観・社会観を発展させたプロセスを、他の古代文明の場合との比較にもとづいて概観した。2.他民族との関係を戦争と平和という両極の状況としてとらえた場合、ホメロスのギリシア叙事詩では戦争と平和の間に乗り越えがたい溝が存在し、他方ウェルギリウスのローマ叙事詩では、戦争の価値は平和の確立という明確な目的によって相対化されたことが明らかになった。3.奴隷と女性という社会の内側の他者に対する見方の変容過程を、ギリシア古典期の通念と両者の地位に顕著な変化をもたらしたヘレニズム・ローマの人間観との比較によって、および、そうした社会的・思想的変化を背景として創作されたローマの劇文学と恋愛詩の分析によって浮かびあがらせた。4.国家の君主がとるべき他者に対する寛容な態度や、人間が他者に恩恵を与えるときの精神的なあり方について、ローマのストア哲学者セネカの論説を中心に検討した。5.異教文化と古典文学の伝統を代表するローマ詩人ウェルギリウスが、キリスト教化した西洋中世を代表するダンテの叙事詩において他者としてどのように扱われ、またどのように評価されたかを検証し、西洋文化固有の他者概念にもとづくヨーロッパ文明の特質について考察した。
著者
何 燕生
出版者
郡山女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

京都学派を中心とするこれまでの哲学的研究の成果に注意を払いながら、『正法眼蔵』思想の宗教学的研究の可能性とその意義を明らかにしようとした。具体的には、応募者のこれまでの研究成果、特に中国語の翻訳を通じて得た成果を踏まえつつ、『正法眼蔵』の成立と中国語(漢文)との関係について再検討すると共に、難解な書物とされてきた『正法眼蔵』の言葉の性格を考察した。また、『正法眼蔵』諸巻の相互間における思想的連関やテキスト全体の思想的整合性の解明を試みた。これらの作業を通じて、宗教学的な観点に基づく『正法眼蔵』思想の体系的な理解を図ると共に、仏教思想史、日本宗教史上における位置づけの解明を目標としている。
著者
池上 純一
出版者
埼玉大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

ヨーロッパの芸術史・思想史において「モデルネ」(近代の最先端から近代の桎梏を乗り越えようとする思潮)への道を切り開いたドイツの音楽家リヒャルト・ワーグナー(1813-83)の活動とその意義を、音楽作品のみならず著作・論文等に即して美学的、哲学的な見地から解明するとともに、ナショナリズム、ユダヤ人問題、ナチズムなどの歴史的な背景に照らして現代にまで及ぶその影響を功罪を含めて明らかにした。
著者
松葉 祥一 河野 哲也 廣瀬 浩司 村上 靖彦 本郷 均 加國 尚志
出版者
神戸市看護大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

本研究の目的は、2008年に生誕100年を迎えるモーリス・メルロ=ポンティの哲学とくにその身体論に焦点をあて、これまでの研究を総括するとともに、新たな展開の可能性を探究することにある。彼の身体論は、哲学にとどまらず、社会学、精神医学、心理学、美学、教育学、看護学などの分野に刺激を与えてきた。近年さらに認知科学や脳科学、ロボット工学などの分野にも影響を与えている。そこで本研究では、2008年11月25・26日立教大学における国際シンポジウムを始め講演会や研究会、書籍などを通じて、こうした彼の身体論研究の深まりと広がりを総括し、新たな発展のための基盤を築いた
著者
棚次 正和
出版者
筑波大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1999

本研究の目的は、宗教的な「救済」と科学的な「医療」の双方を包括するような概念としての「癒し」に着目し、その「癒し」の思想や意味を特に人体観や呼吸との関連の中で考察することを通して、宗教と科学(特に医学)の相互関係を解明するとともに、人類の新たな世界観の提示に結びつくような認識地平を開拓することにあった。学問的方法や知の内容に関して、宗教学と自然科学(医学)との間に大きな乖離が存在することは否定できないが、本研究では、その双方の学問領域の研究成果を統合化するための予備的作業として、まず宗教と科学における自然観や人間観の相違を可能な限り明確に浮き彫りにすることに努めた。その作業を通して、少なくとも次の三点が確認されたと思われる。1.宗教団体やニューエイジ共同体で実践されている「癒しの業(浄霊)」や「自然農法・有機農法」には現代自然科学(医学を含む)の知と技術の体系には包摂しきれない存在の深みの次元-哲学的宗教的には存在根拠や生命の根源と呼ばれる-への顧慮がある。2.その深みの次元に対する考察の射程を持たない自然科学の有効性と限界を承知しておく必要がある。3.自然科学の知見と精神科学(哲学や宗教学を含む)の知見とを統合するための視点の一つが、物質と精神を結ぶ、あるいは体と心を結ぶ「生命」に固有の次元を捉える視点と重なると考えられる。以上の研究成果を受けて、われわれは、呼吸や人体の構造などに現れた「生命」現象を探求するための手掛りが、生物固有の「波動」(ベルクソンの「持続」に近い)概念の解明にあることを示唆した。この探求が切り開く地平には、世界および人間の存在構造全体を見渡しうるような地点が用意されていよう。
著者
鈴木 晶
出版者
法政大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

わが国では舞踊学がいまだ未発達であり、とくにバレエ研究は未熟で、研究者も数少ないという現状を踏まえて、まずバレエ史研究に関する基本文献の収集と整理、改題の作成をしたほか、バレリーナの伝記的研究という視点から20世紀バレエ史を追い、論文にまとめた(これは現在も継続中で、2007年には単行本で出版の予定)。アジアにおける西洋舞踊史に関連しては、まず韓国国立芸術総合学校で聞き取り調査し、韓国では世界でも珍しく大学でのバレエ教育に力を入れていることがわかった。次いで上海市舞踏学校を見学し、聞き取り調査した結果、中国のバレエがロシアの影響下で発達したこと(ワガノワ・メソッドにもとづいている)と、フランスやロシアと同様、全寮制による8〜9年間の一貫教育がおこなわれていることがわかった。日本における西洋舞踊史に関しては大正時代の新聞雑誌資料を収集し、現在これのデータベース化をすすめている。日本に洋舞が紹介されてから100年間に、洋舞と邦舞がどのように相互に影響を与え合ってきたかをみるため、その融合の一例として、高知市のよさこい祭、札幌市のよさこいソーラン祭などの「よさこい型祭」を調査し、これにポストモダン社会をめぐる哲学的な考察を加え、ポルトガルでの国際部用学会で口頭発表し、さらにその内容を手直しして、台北での国際部用学会で口頭発表した。この発表には、かのスーザン・レイ・フォスターに出席してもらうことができた。また、日本においてはダンス・セラピーの領域においても、洋舞系と邦舞系があることに着目し、芙二三枝子のダンス・セラピーと高沢流のリハ舞を取り上げ、その特徴を抽出し、韓国のAPPAN研究大会で口頭発表した。
著者
清水 龍瑩
出版者
慶應義塾大学
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.185-224, 1997-08-25

1996年8月から1997年6月までの1年間,為替レートは乱高下した。日本経済は円安時には輸出に支えられ成長した。しかしこの1年間を通して,日本経済は情報化・グローバル化・ボーダレス化で競争が激化し,各企業はコスト削減,品質向上,短納期が求められた。さらに少子化,高齢化,超低金利で消費は低迷し,公共投資も波及効果が少なく,長期低迷,閉塞状態が続いている。一方,本来人間の意識が固定してできる法律とか制度が,外圧によって,人々の意識より早く変わってしまい,多くのトラブルを生ぜしめている。内需拡大,規制緩和,金融ビックバンなどは人々の意識より早く変わっている。それに対応できない人々が野村証券,第一勧銀などのようなトラブルをおこしている。このような構造的大変革を多くの経営者は身をもって認識しはじめ,経営についての考え方,哲学を変え,新しい対処行動をとりはじめた。グローバル化・国際競争激化に対処するため,レジャー製品の大メーカーは,社長自身が雇用を守ることが大前提だと明言して,競争力の弱くなったスキー板から撤退した。国際競争激化に対処するため,自動車電装品大メーカーは,エレクトロニクスからバイオにいたる基盤技術を強化し,自動車関連ハイテク製品で勝負する。ボーダレス化に対処するため,音響中堅メーカーは音響機器は今後必ずしもハイテクでないからとして,製造をやめ企画,販売に集中する。化学企業は規模では国際競争ができないため,通信・電子関係のコアの事業に集中する。ボーダレス化・情報化に対応するため,大手海運会社は,荷主の分散化.Eメールによる情報の共有化をはかる。高齢化に対応して,警備保障会社が予防医療に進出し,少子化にともなう輸送人員数の減少に対処して,私鉄が不動産業に力を入れる。これらは,各企業とも従来の経営の考え方や哲学までも修正する大転換戦略である。すなわち従来のような産業構造上の連鎖の中での固定的な小売の優位,アセンブリの仕入れ優位,下請不利などはなくなり,部品メーカー,メーカー卸,小売が平等で競争・協調しなければならなくなったことを示している。〈製造等関係〉[セコム]34年前にセキュリティを中心に創業し,その周辺に医療,教育,情報等の事業をおこし現在マルティプル産業に成長。次々に事業展開をするために,家庭用セキュリティシステムはレンタルとし,その安定収入をもとにして新投資を行うという原則。復数の事業を束ねるには遠い先に目標を定める。医療は今後治療医学から予防医学へ。[日本金属工業]日本の製造企業に共通している"製造設備の自社開発は強み"という説はあてはまらない。ノウハウを蓄積して三菱重工,日立に注文生産してもらうが第1番目の設備は非常に高価格になる。これを購入する第2,第3番目のメーカーは非常に安い設備を導入できる。台湾,韓国のメーカーはこれを買い汎用品を大量生産し,日本へ輸出してくる。競争激化。[デンソー]日本国内の自動車保有量は限界に達し,これ以上供給量をムリにふやせば輸出ドライヴがかかり,再び円高になる。それに対処するため自動車関連電装品の強化,すなわち環境,安全,エネルギー関連に特に力を入れる。エレクトロニクスからバイオに至るまでの基盤技術の強さが,企業成長の原動力となり,この企業成長の理念こそが構造的な経営問題解決の条件となる。[アイワ]ハイテクはもはやハイプロフィットではない。アセンブリーに近い音響メーカーは繊維産業のように日本からなくなっていく。日本に残っていけるエレクトロニクス産業は技術の蓄積のできる会社,100億の投資のできる大企業だけ。アイワはこれからは,企画と販売だけで食っていく。これが中堅企業の生き残る道。[ヤマハ]NEW YAMAHA PLANで沈滞したムードの意識改革を行った。この前提として雇用を守ることを大前提とした。強みをさらに強化するためにR & Dに集中投資をし,弱いところから撤退する。撤退の意思決定は社長にしかできない。役員は自分の担当に専念しているから,過去と比べて改善されたと思って撤退できない。スキーからの撤退は社長がきめた。[昭和電工]企業倫理を浸透させるために,従業員にフェアについての話を繰り返しする。化学産業は規模において国際競争力がないから,今後のコアとなる通信・電子関係の事業の研究開発に注力する。その事業規模は10億,20億でいい。また少しでもスケールを大きくするため合弁会社をつくる。そのとき出資比率を50 :50にしない。そうすると社内でエネルギーを消費してしまい,経営責任がもてなくなる。〈運輸関係〉[大阪商船三井]産業構造の大変革を一番はじめに経験したのは外航海運であり,その対処策は既に十分にとっている。グローバル化・情報化を積極的に利用して,荷主の海外拠点分散,本社組織・海外子会社とEメールによって情報の共有化を行い,タイムリーに意思決定する。特にアジア全体の輸送量の増大を見込んで戦略をたてる。[小田急]鉄道輸送人員が年700万人ずつ確実に減っている。年10%の減少率であり,大変な問題である。これは人口構成上の問題だからアンコントローラブルである。それなのに混雑緩和のために収入の4割を設備投資しなければならない。対処策として不動産業等に注力している。外国には私鉄という業態はない。〈流通業関係〉[島忠]家具はクレーム産業である。クレームには出来る限りの対応をする。それでいて利益を出す。顧客の千差万別の要求に対処する。クレームをつけた客を満足させリピータにすることが最大の戦略。一旦仕入れた商品は返品しないし,関東一円以外の遠くは取り扱わない。在庫量,販促費がかからない。[国分]流通業は毎日配送搬入して顔を合わせていても,相手の明日の動きがわからない程環境変化が激しい。対処策としてクイックリスポンスをする組織をつくること,さらに,メーカー,問屋,小売がお互いに裸になって自分のやりやすい機能を,相手方の領分まで入って果たしていく,という生販三層のコスト削減等が必要である。〈研究所関係〉[三菱総研]日本ではもう公共投資にはそれ程の波及効果はない。消費刺激がいい。長期的にみれば最も心配なのは高齢化とグローバル化。高齢化に対して日本人は個人で身を守ることができない。自分で稼ぐシステムをつくる。グローバル化の問題は日本人が外国人を使うのが下手だということ。アウンの呼吸で意思疎通ができると思っている。
著者
樋口 忠彦 川崎 雅史 出村 嘉史
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

本研究は、近代以降市街地の急速な拡大にもかかわらず、自然と市街地とが一体化した良質な景域が形成された京都の山辺の丘陵地形を対象にして、CGを援用した地形・敷地の空間デザイン分析、および文献資料調査、ヒアリング調査などにより、自然環境と密接に関連した景域の敷地計画と景観設計に関する新たな知見を得ることを目的とした。1.複数の丘陵地を利用した住居群・街路網・広域庭園の景観設計京都の神楽岡界隈の景域を対象とした。近代以前の敷地構成、特に吉田神社・真如堂・金戒光明寺境内との接続によって形成された街路網と土地造成を明らかにした。次に近代における吉田山斜面の広大な茶室庭園と計画的住宅群開発や、その周辺に発達した街路網に着目し、大文字山への眺望特性を地形データに基づくCGから分析し、斜面建築と庭園の統合的な敷地造成と広域な景観設計法を評価した。2.「野」の緩傾斜地形に展開する疏水と沿線都市の景観設計浄土寺・鹿ヶ谷の景域および南禅寺周辺の景域を対象とした。測量データに基づくCGを用いて敷地構成の原形を分析し、複数寺院の境内と建設された琵琶湖疏水分線を軸として「哲学の道」と文人が居住した住居地域界隈の、地形断面などに基づき敷地構成および景観特性を明らかにし、広域でまとまる景観形成の手法を評価した。3.山裾の広域傾斜を利用した広域公園の景観設計円山公園の界隈を対象とした。近世における複数の時宗寺院の塔頭群が複合して名所界隈を形成した景域を絵画史料や現地形に基づく再現CGにより解析し、急傾斜地形の眺望性に特化した懸崖建築と一体的造成による回遊庭園の統合的な景観設計を評価した。次に、近代公園の庭園敷地において微地形を考慮した敷地造成と疏水利用による景観の展開を調査し、広域的な景観設計の解明を行った。
著者
圓谷 裕二
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

本研究の目的は、メルロ=ポンティの哲学における真理論と存在論と芸術論に焦点を絞りながら、彼の哲学のもつ哲学史上の画期的な意義について明らかにすることである。本研究は、このことをメルロ=ポンティの前期哲学から後期哲学への移行を跡づけながら照らし出している。第一章は、主として前期の主著である『知覚の現象学』に即しながら、メルロ=ポンティの真理論を彼のパースペクティヴ主義との不可分な関係から解明している。世界内存在としての身体主体は世界を上空飛翔的に認識する主観ではないし、認識や定立の根底にある前述定的知覚はパースペクティヴ的にしか物や世界を生きることができない。彼のパースペクティヴ主義の独自性こそが同時に彼の世界論や時間論そして真理論の固有な展開を可能にしている。第二章は、後期哲学の核心をなす内部存在論に着目しながら、そこでの方法論の特徴を析出し、前期の現象学から後期の存在論へと重心を移動させた主要な理由を解明している。第一原因も究極目的も措定しえない状況の中で、根源について問いかけるための方法がいかなるものなのかを論究するのが第二章の課題である。第三章は、第二章での方法論の考察を踏まえながら、後期メルロ=ポンティの存在論を<見えるもの>と<見えないもの>の弁証法的関係として解釈している。第四章は芸術論を主題とするが、メルロ=ポンティの芸術論は、芸術を他のさまぎまな領域から区別される独自の領域と見なすのではなく、むしろ、世界と我々との原初的な出会いの場の典型的なモデルとして位置づけている。言い換えれば、芸術とは何かという問いは、知覚経験の根源的在り方を問うことにほかならない。
著者
堀池 信夫 井川 義次 菅本 大二 辛 賢 松崎 哲之
出版者
筑波大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

中国ムスリムは、唐代に先達が入華して以来、元代まで各地に広がり、その間、イスラム思想は中国の伝統思想との対立や融合をへて、明代にいたって中国イスラーム哲学とも称すべき独自の哲学が起こってくる。本研究はその中国イスラム哲学の形成期について、諸哲学者の著述をめぐってその具体的施策の内容面にまで踏み込んで研究を進めたものである。
著者
光末 紀子 宗像 惠 曽根 ひろみ 須藤 健一 山崎 康仕 三浦 伸夫
出版者
神戸大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2000

平成12年度には、各研究領域に内在するジェンダー問題の摘出と分析が行われ、平成13年度には、研究会の開催と討議によってジェンダーに関する本格的な共同研究が進められた。平成14年度はこれをさらに推し進め、「現代社会における文化的性差を支える価値観と諸規範を根底から問い直す」という共通テーマに対する各人の研究成果を持ち寄って数回の研究会で意見交換を行い、共同討議を通じて研究の成果を統合することがめざされた。この研究計画にもとづき、3年間に合計9回の研究集会が開かれた。それぞれの報告者とテーマは以下のとおりである。第1回 曽根ひろみ「公娼制と梅毒」、桜井徹「『女としての自然』の収奪」。第2回 ブライディ・アンドリュース(ハーバード大学科学史・科学哲学科助教授)「アメリカにおけるジェンダー研究」。第3回 藤目ゆき(大阪外国語大学助教授)「公娼制度と日本軍慰安婦制度」。第4回 ロバート・フローデマン(コロラド鉱業大学教授)"Corrosive Effects : Environmental Ethics, Eco-feminism, and the Metaphysics of Acid-mine Drainage"。第5回 カリーム・ベナマル"Theory of Abundance and Scarcity"、土佐桂子「ミャンマーにおけるトランスヴェスタイト-男装者(ヤウチャシャー)のジェンダー論」。第6回 金野美奈子「性別職務分離研究再考-ジェンダー分析の方法論的リスク」。第7回 三浦伸夫「『レディーズ・ダイアリー』にみる18世紀英国の女性と数学」。第8回 光末紀子「B.パッペンハイムの思想と行動-ドイツにおける第一波フェミニズムの一動向」。第9回 曽根ひろみ「日本近世の法制とジェンダー」。いずれの研究集会においても、濃密な内容の報告をめぐって活発な討論が交わされ、本科研の共通テーマに関する研究分担者間の共通認識はいっそう深められた。その結果、新たな性差規範に基づく個々人のジェンダー・アイデンティティの確立と、あるべき「両性の共同性」への展望とを獲得するための基礎が築かれたと言えよう。さらに、各々の研究分担者における研究の進展の一部を紹介すれば、以下のごとくである。(1)光末は、19世紀末から20世紀初頭にわたるフェミニズム第一波の時代に、多くのフェミニストたちがジェンダーをめぐる様々な論争に参加したが、それらの論争を「母性」というキーワードのもとに検証した。(2)曽根は売買春についての歴史学、民俗学、社会学の研究史を批判的に検討し、それを一冊の単著にまとめた。(3)阪野は、ブレア政権の家族政策が、就労促進型給付の拡大や選別主義の強化といった点で保守党政権との連続性が強いことを明らかにした。(4)宗像は、フロイトのセクシュアリティ論を再検討し、男根中心主義とされるフロイト理論に伏在する、女性的セクシュアリティの始原性の契機を探求した。(5)土佐は、90年代のミャンマーの主要な雑誌に見られるジェンダー関係の記事を収集調査した。(6)上野はフランクフルト学派にみられる家父長制批判の論理とその逼塞を検討し、塚原はハーディングとハラウェイの観点観測論および強い客観性の概念を吟味した。
著者
林田 愛
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. フランス語フランス文学 (ISSN:09117199)
巻号頁・発行日
no.49/50, pp.131-153, 2009 (Released:2009-00-00)

Mélanges dédiés à la mémoire du professeur OGATA Akio = 小潟昭夫教授追悼論文集 序I: 精神病治療と外科手術II: パターナリズムの文学的表象 : 戦略としての「情報の操作」III: 疾患ではなく患者をIV. 慈父と医師むすび