著者
臼井 英吉
出版者
公益財団法人 日本醸造協会
雑誌
日本釀造協會雜誌 (ISSN:0369416X)
巻号頁・発行日
vol.74, no.5, pp.272-275, 1979-05-15 (Released:2011-11-04)
参考文献数
4

清酒業界では, 活性炭を60年にわたって使用している。使う側に立っての炭への注文はいたって厳しく, 時にはその中に酒を造る側の責任転嫁も含まれていたかに聞く〇ともあれ長年のかかわり合いが, このようにすでに一つの歴史の姿をとっていることに, 今更らのように驚かされる。本稿をもって, 将来一層有効な活性炭使用への指標としたいものである。
著者
川谷内 哲二 真木 啓生
出版者
金沢大学附属高等学校
雑誌
高校教育研究 (ISSN:02875233)
巻号頁・発行日
no.71, pp.33-48, 2020-03

A-lympiadは現実世界のオープン・エンドな問題解決に協働で取り組み,レポートを作成するコンテストである。その予選問題を教材として授業を行った。問題文が英文であるため,数学科教員と英語科教貝が協同で取り組み,問題の解決からグループ発表まで7時問をかけて実践した。生徒の活動の様子を観察し,作成したレポートとスライドをもとに行われたグループ発表を評価した。アンケート調査の結果から,現実社会の問題解決であるため,解き慣れていないこともあって手こずっていたが,興味を持って取り組むことができたこと,グループ間の相互作用が期待できることがわかった。
著者
山本 和英
出版者
一般社団法人 言語処理学会
雑誌
自然言語処理 (ISSN:13407619)
巻号頁・発行日
vol.7, no.4, pp.25-62, 2000-10-10 (Released:2011-03-01)
参考文献数
15

韓国語の言語処理, 特に韓国語を原言語もしくは目的言語とする機械翻訳における, 韓国語の言語体系と形態素処理手法を提案する. 本論文の韓国語体系の特徴は, 機械処理を考慮した体系であるという点にある. すなわち, 形態素解析の解析精度や機械翻訳における品詞設定の必要性に応じて, 韓国語各品詞に対して仕様の検討を行ない, 設計を行なった. また分かち書きや音韻縮約といった韓国語の特徴をどのように機械処理すべきかについても述べる. 韓国語形態素解析では, 品詞と単語の混合n-gramによる統計的手法を基本としながら, 韓国語固有の問題に対しては残留文字などの概念を導入するなどして独自の対応を施した. 以上の品詞体系と形態素解析エンジンによって, 単語再現率99.1%, 単語適合率98.9%, 文正解率92T6%という良好な解析精度が得られた. また韓国語生成処理では, 特に分かち書き処理についてどのような規則を作成したのかについて提案を行なう. 以上の形態素体系と処理の有効性は, 機械翻訳システムTDMTの日韓翻訳, 韓日翻訳部に導入した際の翻訳精度という形で文献 (古瀬, 山本, 山田1999) において報告されている.
著者
籠谷 直人
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 = Journal of humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.110, pp.183-214, 2017

本稿の課題は, 1930年代のイギリス領インド(以下, 英領インドと略す)市場における日本の「綿製品」(以下, 「綿布」と表記する)を通して, 日本と英領インド, そしてイギリス本国との通商関係について分析することにある。とくに英領インド市場を舞台にした, 日本と英領インドの政府間間交渉であった「日印会商」(1933年9月−34年1月)を改めて取り上げたい。既存の研究は, 日印会商を通商摩擦の舞台とみなし, 日本の世界経済からの孤立の側面から議論してきた。しかしながら, 本稿では, 30年代の日本の綿布は, インド政庁にとっては輸入関税収入を確保するためには必要であった。輸入関税収入額は, 1930年度<「イギリス製品」から2000万ルピー, 「日本製品」から1800万ルピー>, 31年度<1700万ルピー, 2000万ルピー>, 32年度<3000万ルピー, 3600万ルピー>, 33年<2100万ルピー, 2500万ルピー>, 34年度<2900万ルピー, 2600万ルピー>, 35年<2300万ルピー, 3300万ルピー>, 36年度<1700万ルピー, 3000万ルピー>であった。輸入綿布への従価税率は, 1934年以降には日本綿布に50%, イギリス製品に25%という税率であったが, 関税収入額の側面からみると日本とイギリスの綿布は, インド政庁にとっては, ほぼ同額の関税収入を稼ぎ出していた。そして日本にいるインド人貿易商にとっても取引機会を提供した点で重要であった。そして, 「インド棉花」にとっても日本市場は重要であり続けた。30年代の日本の孤立ではなく, むしろ協調的関係を模索していた。もっともこうした通商関係の協調の模索は, イギリスから「満洲国」の承認をとりつけるねらいがあった。協調姿勢も「満洲問題の解決は予想外の好調に進み, 英米等の理解ある態度」を確保するためであったことにも留意したい。つまり広田広毅外務大臣は「満洲問題の完逐を図るために(中略)イギリスとの関係は, シムラ会議を纏めて, 両国の関係をよくするやうにして行くより方法がない」と述べていた。本稿では, 日印会商における日本政府側の代表のインド政庁にたいする通商的譲歩姿勢に注目しているが, こうした1930年代の日本の協調的経済外交は, 32年3月の「満洲国」の建国を対外的に承認させようとする政治的含意があった。33年3月に日本は国際連盟から脱退するが, イギリス領における政府間交渉の協調的外交は, そうした日本の対中国膨張策を補うことに狙いがあったことを看過してはならない。The purpose of this paper is to analyze Indo-Japanese commercial relations during the 1930s, focusing on the problem of the international rivalry between the cotton industries and the important commercial role of Asian merchants in the Asian markets. The major trade friction between Britain, British India and Japan was over cotton textile markets, as a result of bitter commercial rivalry between the Lancashire and Osaka cotton industries in British India. This paper is made based on the historical material, collected by Toyo Menka Co. (東洋棉花) that was, after independent from the Department of Row Cotton, Mitsui Bussan Co. (三井物産棉花部) in 1920, the Japanese biggest trading company in pre-war time, dealing with raw cotton imports and cotton textiles exports. After abandoning the gold standard in December 1931 and devaluing the Japanese yen, Japan decided to link its currency, the yen, to sterling in 1932. The fact, that the yen was linked to sterling at a heavily devalued rate, enabled Japan to shift her exports from East Asia to other Asian countries. The increase in exports of Japanese textiles became a central conflict in Anglo and Indo --Japanese commercial relations, and prompted Japan to hold trade negotiations with the Government of India in 1933 under the control of the Home country. The common understanding is that this isolation of Japan was intensified after the Indo --Japanese trade negotiations in 1933. This paper is to consider some conditions that maintained the level of Japanʼs exports to South Asia, focusing the Asian merchantsʼ Network. The Japanese share in the imports of British India did not decrease, immediately after the trade negotiations with Britain and India in 1933. Chinese, and Indian merchants especially during the 1930s, had a tendency to continue to deal with Japanese cotton textiles, though British merchants attempted to block Japanese goods, and tried to give preference to the goods produced within the Empire.
著者
井手 広康
雑誌
研究報告コンピュータと教育(CE) (ISSN:21888930)
巻号頁・発行日
vol.2022-CE-163, no.14, pp.1-7, 2022-01-29

令和 4 年度から始まる「情報Ⅰ」の教科書に Python,JavaScript,VBA,Scratch の四つのプログラミング言語が使用されたことから,多くの学校がいずれかのプログラミング言語を使用して授業を行うことになる.本研究では,クラスごとに四つのプログラミング言語を使い分けて同じ内容でプログラミング教育を実践し,最後に大学入学共通テスト「情報」サンプル問題の第 2 問「プログラミング」を全員に解答させた.サンプル問題の解答結果や事後アンケートの結果から,どのプログラミング言語を授業で使用していても,共通テスト「情報」を解答する上で大きな影響がないことが明らかとなった.ただし,Scratch については他のプログラミング言語と比較して解答に時間を要することが予測されるため,共通テスト「情報」の DNCL に慣れるための演習が必要であると考える.
著者
古瀬 徳雄
出版者
関西福祉大学研究会
雑誌
関西福祉大学研究紀要 = The Journal of Kansai University of Social Welfare (ISSN:13449451)
巻号頁・発行日
no.10, pp.1-9, 2007-03

教会音楽の制作に携わる作曲家にとって,教会暦に従った典礼の機会に応じて作品を創り上げることは使命であった。そこには,聖書にあるイエスの心身の治療,信仰による奇蹟の救済の幾多の事例が取り上げられ,これらの福音書を創造の泉とし,宗教音楽の幾多の名作を生みだした作曲家は多い。J.S.バッハ(1685~1750) もその一人である。彼が所属するルタ一派教会において,その日の礼拝で朗読する福音書の章句に基づいて牧師の説教を行った後,関連する歌詞に作曲し演奏していったのが「カンタータ」である。バッハは聖書にある,さまざまな病を持つ患者をどのように捉えていたのか,彼の巨大な作品群から,「ハンセン病」の患者に対する癒しに絞り,現存する約200曲以上の「カンタータ」を調べたところ,「Aussatz」の語句そのものが登場している曲が2曲あり,また福音書聖句との関連する曲は5曲見つかった。そこには歌詞の語りかける深い表現,作品の構造の分析を通して,独立声部と通奏低音の織り成す周到な生地に,「ハンセン病」への思いが「苦難の解放」として,人知れず縫い込まれていることが浮かび上がってきた。それは,手本なしに生み出された独自の創造物であり,バッハのまなざしは,すでにこの時から,遥か先の現代を見通していたのではないだろうか.
著者
浪岡 淳
出版者
日本科学哲学会
雑誌
科学哲学 (ISSN:02893428)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.43-55, 2002-05-25 (Released:2009-05-29)
参考文献数
19

Is the concept of "person" a substance-concept (i.e. a sortal which determines the primitive mode of being for the entities falling under it), or a phased-sortal (a sortal such that its instance need not fall under it throughout its existence)? Recently some philosophers opposing to the traditional view maintain that we are not always persons and that what determines our identity-criterion fundamentally is the biological concept of "human animal". In this paper I argue that this "Animalist" conception is unsound and that the primitiveness of our animal nature should not exclude the concept of "person" as our substance-concept. I suggest, however, that "person" as a genuine substance-concept requires a fresh understanding, foreign to the traditional definition in terms of a set of certain psychological attributes.
著者
スクワイア シーラ・J 山田 晴
出版者
地理科学学会
雑誌
地理科学 (ISSN:02864886)
巻号頁・発行日
vol.48, no.4, pp.269-275, 1993 (Released:2017-04-27)
参考文献数
31

本稿は,湖水地方(Lake District)におけるビアトリクス・ポターゆかりの観光旅行について考察する。主として定性的な調査の結果に依拠しながら,田舎や,イングランドの農村生活についての諸価値が広まる過程で,ポターがどのように利用されるのかを論じる。こうした諸価値は,イングランドらしさをめぐる諸概念や,田舎と都会の対立関係と結びついている。ビアトリクス・ポター(1866〜1943)は,最大級の評価を受けているイングランドの児童文学作家である。国際的にも成功した彼女の絶大な人気は,今日では彼女の著書(その大半が今日も版を重ねている)の売り上げだけでなく,様々な商品や観光旅行,宣伝活動などにも反映されている。こうしたビアトリクス・ポター関連産業の存在は,彼女の作品が評価され続ける理由をめぐって,いろいろと問題を提起する。ヴィクトリア朝末期の人であったポターは,ピーターラビット(1902),ティギーおばさん(1905),あひるのジマイマ(1908),といったキャラクターを生み出し,第一次世界大戦以前に名声を確立した。しかし,今日,彼女の作品は,それが生み出された文脈とは異なる多様な文脈で読まれている。そのため,作品は異なった意味をもつようになっている。文化研究(Cultural studies)の業績は,テキストと読者,生産者と消費者の関係を論じてきた(Jackson, 1989; Gregory and Walford, 1989; Burgess, 1990)。とりわけバージェス(Burgess, 1990)は,ジョンソン(Johnson, 1986)に依拠しながら,意味の変成に焦点を当て,メディアのテキストは多様な読み方が可能な象徴体系の一部であると論じている。同様の議論は,地理学者がこれまでほとんど無視してきた児童文学の解釈や,観光旅行の解釈についても展開できる。本稿は,観光客となった読者が,ビアトリクス・ポターのテキストや彼女にインスピレーションを与えた湖水地方の舞台だてから,どんな意味を汲み上げているのかを論じる。文学観光旅行,つまり著作や作家との関連で有名な場所への旅は,様々な文脈から注目されてきた(Lowenthal and Prince, 1965; Newby, 1981; Butler, 1985, 1986; Curtis, 1985; Pocock, 1982, 1987; Squire 1988, 1990; Ousby, 1990)。しかし,アーリ(Urry, 1990)やヒューズ(Hughes, 1991)が指摘するように,観光旅行については解釈論的分析がほとんど無視されていることもあって,文学観光旅行の研究はまだまだ遅れている。観光旅行の展開とともに,経済的な利益を求めて,風景は新たに意味づけられる。こうした意味を,訪問する観光客がどう解釈するかについて,定性的な研究はほとんどない。湖水地方におけるビアトリクス・ポターゆかりの観光旅行は,こうした観光的意味の生産と消費の研究に,格好の舞台を提供してくれるのである。
著者
テイラー ピーター・J 山田 晴通
出版者
地理科学学会
雑誌
地理科学 (ISSN:02864886)
巻号頁・発行日
vol.47, no.4, pp.197-220, 1992-10-28 (Released:2017-04-27)
参考文献数
49
被引用文献数
1

The Scottish Geographical Magazine is an internationally circulating journal published three tirnes a year. The annual subscription is £27.00 and those intending to submit items for publication in English should send these to the Editor, Dr A S Mather, Department of Geography, University of Aberdeen, St Mary's, Old Aberdeen AB9 2UF, Scotland U. K.
著者
横瀬 利枝子
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.54-62, 2013

本稿では、国のハンセン病患者に対する強制隔離政策が続く中、社会復帰を果たした6名の女性に聞き取り調査を行い、女性退所者特有の苦悩を検討した。その結果、誤った医療政策の影響から、多くの女性は、退所後も子どもを持てないと考えており、子どもを産んだ女性も、周囲からの羨望と嫉妬に苦しんでいた。また、関係性を解体された女性たちは、今も母親との関係回復ができず、他者との関わり方に困惑していた。さらに、女性たちは今、国から受けた艱難と、国費による安堵な生活との狭間で葛藤していた。また療養所の内外を問わず、女性たちは、女性同士の相互監視のような確執に翻弄されていた。疎外は、疎外された人々の中にも生まれている。一方、多くの女性が、夫との関係は、性差も責任も五分五分で、同じ病を経験した同志であると語った。この傾向は男性にも見られた。この意識こそが、これまで女性特有の苦悩が見え難かった所以の一つと推測される。
著者
東 克明
出版者
日本科学哲学会
雑誌
科学哲学 (ISSN:02893428)
巻号頁・発行日
vol.32, no.2, pp.81-94, 1999-11-10 (Released:2009-05-29)
参考文献数
6

This paper deals with van Fraassen's 'no-collapse' interpretation, or 'modal interpretation'. In this interpretation he avoids 'collapse' by supposing that quantum mechanical states, unlike classical states, specify possibilities rather than actualities. But my argument will show that van Fraassen's interpretation is confronted with some difficulties concerning values of observables.

2 0 0 0 OA 担架教程

著者
陸軍省 編
出版者
兵用図書
巻号頁・発行日
1919