著者
竹石 洋介
出版者
九州情報大学
雑誌
九州情報大学研究論集 (ISSN:13492780)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.75-84, 2012-03

本研究は、日本の「伝統」を教えるための「相撲の教材研究」のひとつの試みである。江戸時代後半から衰退し始め、近代日本においてその存続を危ぶまれた相撲は、「国内に向けたナショナリズム」と「国外に向けての倫理主義」を前面に押し出すことで、近代日本の「国技」として存続し発展してきた。その際、近代相撲にはじめて現れた「天覧試合」「国技館」「品位・礼節」などは、「創られた伝統」として「内に向けたナショナリズム」と「外に向けての倫理主義」を象徴するものだったのである。つまり、相撲における「品位・礼節」は、近代になって発明された「伝統」に過ぎず、それを教える意義は、少なくとも、「伝統」の教育としてではない。では、学校体育で教えるべき相撲の「伝統」とは如何なるものか。「身体」に焦点化しながら考察する。
著者
牧野 智恵
出版者
公益社団法人 日本看護科学学会
雑誌
日本看護科学会誌 (ISSN:02875330)
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.10-18, 2000-03-31

本研究は, 未告知状況下におけるがん患者の家族と看護者のありのままの世界を理解し, 未告知状況下の患者・家族への看護の手がかりを見つけることを目的に, 現象学的方法論による面接を行った. 研究参加者は未告知がん患者の家族 (配偶者) 8名と, その受け持ち看護者8名である.<BR>現象学的方法論を用いた面接を行った結果, 以下のことが明らかになった.<BR>1. 未告知状況下におけるがん患者の家族の世界は, 告知後患者が悪い結果になるに違いないという <思いこみ (決めつけ)> から, 告知後の結果への <恐れ>, 告知後のかかわりへの <自信のなさ> の中でつらく, 苦しみ, 不自由な状況がみられた.<BR>2. 未告知状況下のがん患者の受け持ち看護者の世界は, 家族と同様 <思い込み><恐れ><自信のなさ> の要因の他に,<無関心><多忙> の要因のなかで, つらく不自由な状況が見られた.<BR>3. 参加者は面接の初めの頃, 1.2. のような状況であった. しかし, 現象学的方法論を用いた面接をすすめるにしたがって, 参加者は「~したい」気持ちと「~してはいけない」気持ちの中でつらく不自由な自分の姿に気づき始め, 自分の本来のあるがままの気持ちに素直に動き始める世界が見られた.
著者
福澤 康典 川満 芳信 小宮 康明 上野 正実
出版者
日本作物学会
雑誌
日本作物學會紀事 (ISSN:00111848)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.54-60, 2008-01-05
被引用文献数
1

サトウキビの初期の生長速度は他のC_4植物に比べて遅く,糖収量及び原料茎重を上げるためにはその改善が重要である.本研究では,サトウキビ属(Saccharum spp. Hybrid,S. edule)及び近縁種(Erianthus spp.,Pennisetum purpureum)を用いて極初期の生長の支配要因について検討した.調査は発芽後,2ヶ月目と本葉が7枚出るまでの2種類の時期に着目して行った.2ヶ月目の植物体を比べた場合,サトウキビ雑種KRSp93-30の茎乾物重及び葉面積は高く,茎根数の割合も高かった.しかし,葉位を7枚に固定して比較した場合,KRSp93-30における茎根数の割合は他の系統とほぼ同じであった.生育初期におけるKRSp93-30の効率的な生長は早い出葉速度と高い純同化率によってもたらされるものと考えられる.
著者
井上 剛光 岸 雅恵
出版者
日本豚病研究会
雑誌
日本豚病研究会報 = Proceedings of the Japanese Pig Veterinary Society (ISSN:09143017)
巻号頁・発行日
no.53, pp.21-25, 2008-08-01

Fort Dodge Animal Health社Suvaxyn(R) PCV2 One Doseの海外における評価成績。Suvaxyn(R)PCV2 One Doseは2種類の関連した豚サーコウイルスを用いて特異的に作製されたワクチンである。野外の大部分の豚は、豚サーコウイルスタイプ1(PCV1)およびタイプ2(PCV2)の両方に自然感染する。PCV1は20年以上前に分離され、豚では非病原性であることが知られている。一方、PCV2は引き金になる関連因子(重感染またはある種の免疫刺激のような)が組み合わさると、重篤な症状を引き起こし、感染豚の免疫機能の低下・不全、あるいは死亡をもたらす。非病原性のPCV1と病原性の強いPCV2は高い遺伝的相同性(ヌクレオチド配列)を有しており、ゲノム構造の約75%を共有することが明らかにされている。この高い遺伝的相同性により、両ウイルスはキメラウイルス構築に際して理想的な構成要素となる。
著者
桐 昭弘 山根 俊和 伊藤 紀男
出版者
富山大学
雑誌
富山大学工学部紀要 (ISSN:03871339)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.77-87, 1997-02

The purpose of this study is to clarify how to determine more convenient or compact bank angle of the 10 cylinder V-type engine. Generally the total number of combinations of cylinder arrangement has a large number with the increase of cylinder. Therefore we usually requires tedious calculations to obtain the analytical result. But the amount of calculation are decreased by selecting reasonably cylinder arrangement of straight 5 cylinders constituting V-type 10 cylinder engine. In this report, we analyze the exciting moment by the latter method. As a result, there is not how to reduce perfectly an unbalance moment of the engine, but we make it clear that the practical engine with some new bank angles is found out. And their results agree with them by the former method.1989年に米国のデトロイトで開かれたモーターショーに,米国ビック3の一つであるクライスラー社が,OHVで8,000cc,400psの90°V形10気筒という途方もなく巨大なエンジンを搭載した"ダッジ・バイパー"というプロトタイプカーを持ち込んだ。これは2人乗りで典型的なアメリカン・スタイルのノスタルジックなロードスターであった。しかし,その車が実際に生産に移されるとは,そのときは誰も考えていなかったと言われている。ところが,その3年後には現実のものとなり,その後は好評を得ながら現在に至っている。一般に,乗用車用のV形多気筒機関としては6気筒や8気筒が主流で,それ以上のものとしてはヨーロッパなどで12気筒のものが搭載されている。このことから,本来,V形10気筒機関は,総排気量と1気筒当たりの排気量とのバランスの関係で,実用には不向きだと言われていた。今回新たに実用化されたV形10気筒機関に関しては,すでに筆者の一人は,その機関に発生する起振モーメントの動力学的な解析を行ってきた。このような多気筒機関の解析においては,気筒数が増えると気筒配列の組み合せ数は階乗で増加するため,その配列の選び方によって,起振モーメントの解析が煩雑になったり,比較的容易になったりする。すでに報告した論文では,V形10気筒機関の気筒配列の組み合せ数を,最大限1,600通り考え,それらすべての組み合せについて計算を試みた。そして,その中で起振モーメントが削減できないものを除外して,実用的なパンク角を求めてきた。それに対して本研究では,あらかじめ気筒配列の組み合せ数を少なくするために,まず,V形を構成する直列5気筒機関の段階で,有効と考えられる配列を絞り込み,それらをV形に配置した場合の解析法について検討を行った。その結果,すでに報告したものと同じ結果が得られたので,ここにその新しい解析法について報告する。
著者
志々田 文明
出版者
早稲田大学
雑誌
早稲田大学人間科学研究 (ISSN:09160396)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.129-141, 1994-03-25

Seizaburo Fukushima (1890-1950), a famous judo instructor, became involved in political activity after he met Kanji Ishihara, who was said to be the best strategist in the Japanese army. The author devised five questions to investigate why he changed and researched them using documents and firsthand accounts. Briefly, the results were as follows: 1. Fukushima was born in Kumamoto Prefecture. In 1920, after graduating from the bujutsu instructors' school he became a professor of the college of budo managed by the Dainihon Butokukai. He then became an influential budo instructor in the Kansai area and also a budo adviser at Kenkoku University in Manchukuo. 2. He was a man who practiced judo actively since his youth and was devoted to helping young people. He was impartial with his students, even with a Korean student who practiced karate, despite the racial discrimination of that era. 3. In 1936, Fukushima built a 80-mat judo training hall, the Giho-kai, where he taught students. At that time, he was an active supporter of a political movement known as the East Asia Union, under the guidance of Ishihara, despite the military police and ultra-rightists trying to suppress it. 4. He recommended his student Suguru Manda for the position of chief judo instructor at Kenkoku University and as a result had an indirect influence on the students of the judo club through Manda, because Manda sometimes invited them to his home to give them opportunities to listen to Ishihara's ideas. 5. Budo instructors generally tend to be conservative, because they are influenced by the traditional budo practice system in which great importance is attached to obedience to seniors. However, Fukushima and his friend Tatsukuma Ushijima, one of the strongest judo players of his era, became critical of their own lives and society after meeting Ishihara. Cases such as these tell us that if we attach importance to budo education in modern education, it is necessary that we try to foster a critical spirit in it, because traditionally it tends to lead to a passive acceptance of the status quo.
著者
菅野 智博
出版者
三田史学会
雑誌
史學 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.81, no.3, pp.469-501, 2012-07

論文はじめに一 満洲国期における農村調査二 北満洲の雇農を取り巻く状況三 綏化県蔡家窩堡の雇農と村落社会おわりに